2017年8月31日木曜日
ビターな記憶
浪費され続ける身体は、自らのサイクルを汚し、他者を介し、何かを共有するほどに分裂し、分離し続ける先にシステマチックなものが一貫した主体を形成すべきだ、と似たようなものを愛するべきだ、と騙すように木霊し、思想を気だるいものに変え、そこにおとずれる政治性からずれていくほどに補填される悲しみが、空疎なモンスターを生み出し、信仰心などを煽るような捏造された神がやかましく主体を汚すほどに、主体性とは、体制の獲物として、同一化するための人形として扱われるのです、とうながすような否定的でアイロニカルな犬どもが、自らを慰撫する辺りから、快楽を配するだけの闇を吸い取るだけの君の性愛にもとづくセオリーや、制限を持たぬ精神は、何かに依存するために、何かを破壊するような矛盾を孕ませ、はびこる悪意を捏造し続ける正義をふりかざし、不感症な君のこころに配備される恐れや愚かさに気付かずに、何かを破壊することで昇華されているように勘違いするほどに、すべては不潔に見え、そこでまさぐられる感情は、偶像を愛し、偶然に引き取られ、卑近なものに変えられるほどに、掛け替えの無いものは、ここで賭け事の対象にされるだけにいたる。涙腺がほどけ、高揚感にいざなうような美麗に瞬間にこじれる言葉や、攻撃的な姿勢で、陰鬱な証拠を残すだけのシリアスさに砕けた差異から、神聖なものを持ち出し、誤りを正すべきだ、と強制的な行使から、抑止され続ける精神は、自らを破壊するために、自らの攻撃性を外に向け、自らを示す世界全体を業火に変えるべく、自らに対する憎悪を、世界全体に向け、未熟で幼稚な観念は、何かを破壊することだけが、何かを綺麗にするための画期的な行動である、と勝手気ままに配される自らの欠如を埋めるために何かが血を流すことが代償であり、何かのために、何かは、何かであることをやめるべきである、と途端に独善的な支配から、死を操り奉る独裁者として、自らの大義のために晴らすべきベクトルは、死をも凌駕するような死であり、自らの死から逃れるために生み出される軽快な破壊だけが、自らのニヒリズムを生み、自らを破壊するために周囲をすべて破壊し尽くした後に残る自らを保つためだけの欺瞞を続け、満足も得られずに、そこで焼け野原に変わった地平をながめ、平静を取り戻すこともできずに、すべてを燃やし尽くすための行為を持続させるような悪を生み出すのは、絶対的であり続けるだけの正義であり、そこで犠牲をうながすだけの世界である。継続されたばかりに、罪を背負って、いい気になり、何かを担うつもりで、何かを破壊するためのコードを生み出すだけのでたらめなあやまちに則り、自らを裁き続けるために短絡的な戦争を続けるような専横から、専制的な支配を続け、芝居じみた、毎日を同じように繰り返し、空疎な自分を卑下しながら、貧寒な今にぬくもりを与えるような愛を縫い付けながら、報われるために、巣くわれ続ける脳内から豊かなものすら形成できずに、デカダンな者として、何かを引っ掻きながら、悲惨な現状を憂うようなバカンスに出かけるだけの馬鹿どもの至福こそ空疎などと否定するよりも、そこで報われることなどを考えるよりも、ここで深まるものの奥底まで浸透する意味を測る前に、蕩尽し続ける先々で対立を深めるだけの同調やら、同族嫌悪から、緩慢な作用が生み出すほころびや、そこで滅ぶものや、そこで物語に断続する単調な日々がおちいるジレンマや、時代性の悪夢や、うごめく思念を流用するだけの欲望のシステムや、進行する意志が見つけ出した思想こそが混濁を生み出し物事を困難に変えるやらが、まさぐるだけの理想から、理性は、姿勢を失い、枢要なものを介し、自らを正当化するための儀式へと加工された精神は、自らを基調にしないで、自らをないがしろにし、そこで引き裂かれた精神は、契約のためだけに何かと同調し、融合するために葬られるような宴に自らを生贄として提示し、浸食していく心ない何かが、内面的な自傷を繰り返し、事象を汚すのだ、と緩慢な意味を用いるだけの精神分析などが用いる聖戦などが、今を邪険にし、賢者を謳いながら、献上される物ほしさに何かを騙すような仕組みから、真相は闇で屠られ、何度も拷問され、自らを引き裂く音や、心象にたずさえた風景もずたずたにされ、過去を引きずるほどに、ここで補足される定理などが、倫理観などを用い、安易な消費だけが加速していく。臆するほどにカタストロフへとみちびかれる道楽から、どうでも良い、とうながすほどに、どうにかなるものすら、かなわぬのだ、とうながすような独善的な支配を形成するためのセンテンスから、譫妄にいたらせるだけの盲信から、朦朧とし続ける先に思念は、何かを媒体し、自らを罰当たりなものとしてうながし、自らをそこなわすための何かを捏造し続ける。
2017年8月30日水曜日
世界が用いる枷
利便性を用いるほどに不自由な身体を重ねるだけの愛から、定めるべき今すら見出せずに、さまよう意識的な諦観から、提要された部分から分裂していく意識は、裁かれるための罪を用い、今に一途になれずに、途端に現れる空疎なものを崇めるだけの理想が、ここで躊躇を生み、象徴的なものを捉えられずに、苦しむだけに加工された精神に気配は加工され続けるだけの今に追従し、そこで見出すものの空疎さに気付かずに、帰巣すべき意味も、機関的なものに奪われるだけの権力的な統合から、そこかしこで闘争を企てるだけの惰性な支配の拘束から、恒常的な不正を繰り返すことだけに耽溺することだけが正しさを引き出すように示す間から、空白を埋めるための愛が絶えず依存心を持ち、自らを失速させる。行動は範囲を用い、懸隔を生み出しながら、互い違いになる理想は、互いをとがめるために抑圧を繰り返し、空疎なものを持ち出し、自らに刃向かえずに、ここで迎え撃つべき今もちぐはぐになり、担うべき意味は、何かを恨むための理想などを生み、自らを抑圧するだけにいたる。あらゆる反発は、意思を利用し、自らを死へといざなう。瞬間的な愛が持続し、短絡的な消費を終え、簡単に処理されるだけの顛末になびく永遠性が、制度を越えて、秩序がもたらす空疎な悲劇から簡素なアイロニーが持ち出す否定的な陥穽に嵌まり、自らを罰する限りに、誰かも自分と同じように裁かれるべきである、という考えから、自らを苦しめるための法で加工し、猜疑心をかかえ、混濁していく意識は、支配されることだけが、この命を保ち、ここでの平静だけが、平和であるとうながすほどに、本質的なしあわせからは懸け離れ、自らが支配される限りに苦しむことにためらわずに従属する。保つべきは、自分の意志ではあるが、そこでしいたげられ続ける意思は、自分の意思を失い、何かがもたらす影響が自らに不安を与え、絶えず苦しむことになるような欠如に屠られるだけの精神は、自らを操作できずに、誤っていてもなお、そこで正しいと認識し続けるほどに補填される苦しみに補正され、奔走するほどに、凡庸な者が謳う刺激的な快楽にいざなわれ、そこで快感に浸ることだけが理想に近付くのだ、と規制されるほどに過ちを犯し逸脱するのが、人間の本性であるのに、誰もが正しいことをしようと示すほどに監視の目は強化され、誰かの過ちを収まらない欲望に変換させるために裁くことだけが、正義のように捉えられ、そこでの正しさなどを用いるほどに、自らの過ちを誰かに転化させ、自らを快楽へといざなうようなゆがんだ性愛から、散漫な儀式がもたらす悲劇的な緩衝から、疎外され続ける孤独な意識は、朦朧としながら、自らの正しさこそが、唯一の善意であるかのように示すことこそが正しさを生み出すような感覚に陥るだけに浸る正しさとは、悲観的なものが示すような尺度が用いる善悪に引きずられ、自らの意志を示されない苦しみを昇華させるための空しい正義をかかげ、自らにたてつく者すべてを裁くための法を加工し、自らこそが絶対的な正義だ、とうながすようなものが機関として働き、はびこる悪を消費するための悪を捏造しながら、自らを正当化するための祈りを続けるような独善的な神を自らに措置し、自らを神格化する間にはびこる悪を根絶やしにできずに、用いられるものすべてに憎悪を用い、敵愾心を燃やし、盲信を続け、つたない意志は、愛がなんたるかを知らずに、怒りの限りに続く攻撃的な激動に奪われ続ける純粋な精神は、ただルサンチマンをかかえ、自らを消費し続け、焦熱した先に燃え尽きることを目的に他者を攻撃し続けるような幼児的な考えから逃れられずに、ただ、目的すらも喪失し、否定的な自分に浸ることだけが、そこでの正しさへと引き戻す間に用いられる空疎な願いだけを加工し続け、自らの理想に近付くために何かを屠るような構造から逃れられずに、高次に至らずに、いたわることも知らずに、居続けるほどに、そこでの空しさを強調させ、矜恃を保つほどに、もたらされる意味に枯渇し、濾過されずに濁るだけにいたり、そこで悲観し続けるほどに、何かを恨むことだけが、健気で純粋なものであるかのように示すような敗残者として生きることだけが、綺麗な生き方のように捉えるような仏教的な隷属から、冷静さを忘れ、忘却に描く真実も、そこなわれる限りに陰るだけの真実をデカダンなものに変え、そこで固執するほどに不安は増し、そこで出来合のものを崇めるためだけに神を捏造し、自らを正当化するための祈りを続け、つたない意識は、そこで色すらも失い、色のない空を傍観しながら、俯瞰で見る自分は、空間に取り残され、時間から逃れられずに、空疎な永遠性に支配され、裁かれるためだけに行列に並び、順番を待ち続け、ペシミズムを加速させ、自らを裁くために自らに枷を嵌める。
2017年8月29日火曜日
飛び交う意志
羽化した意識が、冷めた彼女たちの言動を眺めている。傍観者として、背くだけの物事に反照することごとくが、連綿と引き伸ばされ、飛翔し続ける意識は、端的なアイロニーを疎外させ、退廃的な機能を孕んだ、ランダムな記号を打ち出すだけの退嬰的な考えから、観点は疎外され、壮大な意志へとつながらずに、短絡的なものを崇めることだけが、理想へと近づき、自らを未熟なものとしてたてまつるほどに、空疎なものが引き継がれ、ここで千切られていく部分的な場面に低劣なものを磔にしながら、浸透するものが、自らを捕縛し、混沌としていくほどに葬られる意識は、いびつなものをかかえ、かさばる動機に淘汰されるだけの日々に、時間すらもそこなわれ、そこで永遠性を育むほどに、永遠性に拘束される。ゆだねられた時間から放たれ、そこで数えるだけにむしばまれていく感情から、環境的なものに責任転嫁し続ける先々で対立を深め、軋轢がもたらされ、用いられるものがこぼすエピソードが、あたかも自分のもののように語られる隙間から襲いかかる意思的な過ちが用いる病や、恒常的な不安を敷衍させるだけの観念が形成していくまやかしなどをたてまつるほどに、そこで補足されることにより、魯鈍な者へと変化していくような今を食い尽くすような言葉が割って入り、背徳などを謳いながら、軽やかに飛び交うべき意志は、自らを喪失し、散漫な意識は、儀式的にもたらされるものを、あたかも愛しているかのように仕向ける間にアイロニーは加速し、利便性などを謳いながら、運命論から逃れられず、また用いられた幸福論に疎外され続ける人間性は、宇宙的な跳躍へといたらずに、超過し続けるほどに、システムの犬として、陰鬱な証拠を引きずるだけの短絡的な昇華が施す過ちに用いられる普遍性が愚行を重ねるのだ、と否定的なほどに高尚へといたらずに、徒に過ぎ去る思議をまねるほどに、不倶戴天を持ち出し、大抵の異物感をとりはらうための殺戮へといたらせるような過ちに同化していくだけの区域をもたらすような点と線から、天命をよぎらせ、あらゆる行為に引きこもり、引きちぎられるだけの日常や、貧寒な毎日におとずれるべき小さな愛にすら気付かずに、起動し続けるものの哀れみを加工するだけの秩序から、仮想するものに犯されているのだ、よと科学的なものを否定的に打ち砕くような言辞から、言動から発散されるだけのやましい毎日に高尚さすらも失われ、さすらう意識は、利便性だけを求め、便宜的に処理されるだけの日常の鎖につながれているのだ、と妥当な過ちを参画するだけの数十億の悪意が木霊し、混沌としていく意識は、正義を用いるほどに、自らを悪に仕立て上げるという欠如を忍ばせ、自らの悪意に気が付かず、自らこそが正しいと仕向ける間に出し抜こうと目論む意識は、何かを虐げ、自らを優位に立たせるために、何かを貶め、自らを蔑みながら、君は用無しだ、と叫ぶ間に補完されるような憎悪だけが、世界を覆うのだ、とペシミストは、自らの痛みを解消すべく、すべての痛みと同調し、同化することで、自らの痛みを増幅させていることに気付かずに、すべてに恨みをぶつける間に解消されない痛みは、さらなる痛みを増幅させ、自らが示すジレンマに陥り、そこで試練を謳うほどに、或いは仁徳を用い、自らを問い質すほどに偏るだけにいたらせられるような結末から、形骸化していく意識は、自らの空白を埋めるために、或いは、自らの空腹を癒やすために、何かをためらわずにあやめるべきだ、とあいまいな市場は、神託を求め、自らを須要なものとしないで、すべては、神のみぞ知る、とうながす間に結末は、さらなる悲劇を加速させ、乖離していく意識は、悲観的なままでままならぬ意識を調和させるための対価を求めるほどに、自らに値するものとは相対する。終わらぬ自己との闘争が生み出すジレンマにショートした意識は、自らの罪の意識に滞在し、大差もないのに、そこに用いられる等差により、自らの位置を確認し、認識すればするほどに、自らを貶め、自らを蔑むほどに、老化していくだけにいたらせられるような精神は行き場を失い、求める場所と自らの懸隔が持ち出す理想との埋まらぬような距離の中で、自らを虚偽として崇めるような存在的な煉獄にたたずむ君が用いる空間などは、何かを埋めるためだけに措置される空疎なものであるし、そこに用いられる居場所などは、そこにあたかも存在しているかのように示すほどに、事実からは乖離し、理解を得ようともがくほどに、そこで捕獲され、捕囚として、恒久的な労働に従事させられるだけにいたるような時間から放たれ、自ら飛び交う嬉嬉とした瞬間に、習慣的なものに拘束されずに、慣性から放たれ、法則的な苦痛や、用いられる秩序をあいまいなものに変え、押しつけられるだけにいたるような苦しみから解放されるべく、自らが有するものだけが、存在を確かなものに変えるように示されることだけが、世界が与える影響であるというような過ちから逃れ、自ら果たすことだけが、そこで満たされぬままにまじわり、あたかも存在しているかのように示される今から閉め出されてもなお、自らが求めるものだけが、今に割って入り、現実のように感じられるというあいまいさをかかえながら、自らが自由であると認識するよりも、そこで用いられる自由すらも超越するようなよろこびだけに浸る。
2017年8月28日月曜日
世紀を超え出る意志
たくさん持つ者だけが、絶対的だ、という、あまりにも退屈な考えから抜け出す。何かを出し抜くよりも、ずっと肯定的で、敵対心すら捨て去った後にひろがる景色を抱きしめるような、爽快感だけが、味方である。あらゆる形式は、物質的な余裕を持ち出し、自分を惨めな者として卑下するような悲観的な考えが及ぼす、愚かな理想よりも、創造的であるという爽快さに、近づくべきであり、用いられるものに操作され、持ち出されたものにより、利用されるよりも、自らに希望を持たせ、短絡的な自由におぼれぬことが、自らに希望を与え、そこで、屈従しないよろこびに耽るべきである。簡略化されたセンテンスではあるが、ここに用いられた理由だけが、流動的であり、逃避してもなお、自らからは、逃げないための姿勢こそを保つ。何事も、支配的で機械的な芝居を続け、短絡的なものを崇め奉りながら、自らを神格化させ、あたかも人格者のように仕向けるような正しさだけが、正しいことのように謳うような者どもが用いる理想などが、この世界や社会などを普遍的なもので加工し、自らの未熟さを隠し、何かを否定するようなよろこびだけが、楽しいことのように、崇められている。あらゆる法則が、空疎なものにすがりながら、内面的な恐怖を取り除くために快楽に奔走し、自らの結末を恐れるばかりに、何かを傷つけるよろこびに耽る。物事の仕組みや、からくりに気づいてもなお、調和を謳う者が支配的に迫り、全部、自分のもののように扱う。誰もが所有しだかるにつれ、自らとの懸隔は生まれ、そこに補完され続ける苦しみが、今を引きこもらせる。正当化されているものほど、悪を利用し、自らを、正しく見せるために虚勢を張り、見栄えだけを保つための他者との闘争を続け、世界との統合を目指すために、誰かを蹴落とすことが、しあわせに近づくものだ、という誤った認識に陥る。陥る先に現れる闇が転化させる苦しみに溺れる先に、現れた愛すら見逃し、すれ違う人々は、誰かを恨むためだけに日々を費やし、自らを裏切り続ける、というようなペシミズムが生む空白から逃れ、今に現れる健気な瞬間や、ゆれる空間にやすらぎ、与えられたものにうろたえるよりも、絶え間ない痛みを運び出すだけの日常が堅持するものが今を汚し、道理を用い、空疎な自分に行き着くよりも、栄華を求め、虚栄心をかかえ、どうでもよいものをかかげ、自らをひるがえす先に疲労感は増し、簡易なものに吸い込まれ、混濁する意識は、さらなる混乱を運び出し、自らを狂わせる。昏倒し続ける意識は、形式的なものを重ね、自らを動きにくくさせ、何かを憎むだけに費やし、悲観的な自らが示す苦しみだけに締め付けられるならば、逃げ惑い、戦うことすら拒否し、答えなどは、答えであることだけが、正しいとされる限りに、正しさは誤りを生み、対比されるだけの自らを重ね、自らの重荷に耐え兼ねずに、簡単に処理されるだけの毎日は、苦しみを与え続ける自らをも恨み出す。晴らすべきは、何かを羨むことにあるが、資本主義的なものは、何かを敵対視し、自らを正当化するために備わる善悪をもたらし、リリシズムにいたらずに、アイロニカルな者として、不快感をあらわにする。労働の牢獄に嵌め込まれた者どもが帰巣すべき正義などを謳いながら、タナトスに犯され、自らを囚人化させ、監視下に置かれた我々に自由などはないのだ、と自由な戦士が集い、日夜、解放を謳いながら、何かを犠牲に、自らの窮屈さに押し込まれ、魂胆を喪失する意識は、形式的なものにとどまり、自らを処刑する。憔悴しきる夜に降る雨は、宿るべきこころを損なった君を優しく包み、反響し続ける音が、孤独と永遠の間でゆらが、不確かな孤独が、空間を汚し、永遠性をもたらす夜が、空間に現れた時間を処理し続け、自らの虚しさを消費し、瀕する形は、互いをとがめ、対象とされるだけの軽過ぎる身体を置いていき、自分から逸脱し、自らの闇に吸い込まれていくのだ、と君のペシミズムが瀰漫する前に、不安を生み出す過程がカテゴライズするものなどにデザインなどなく、ただ、磔にされ、張り付けられたものなどが加工し続ける苦しみを引き延ばし、今にあたかも苦しむようにさえぎる言葉を引き裂き、自らの不確かさなどは、与えられた不安に過ぎず、今につぐないを謳い、用いられたもので、苦しめられるよりも、寂しさや、わびしさに攻め入れられる前に抵抗し続ける意志だけが、自らを越え出て、自らの意思だけに従う。
2017年8月27日日曜日
擁立
こころは別離し、理解を深める余韻から、横溢していく瞬間が循環し、心ない何かに疎外される君が移行し続ける先に囚われるだけの意味を解除し、混沌へとみちびかれるだけに悲観するよりも、確かなものに近づき、あらゆる阻害から逃れるための論理を組み立てる。低劣なものが刺激し、シンプルか快楽を謳うコマーシャリズムが脳内を旋回し、なめらかな時折に折り重なるものが瞬間的に思いを奪い、現時点に空白を与え、空しさを強調するだけの世界から、簡単に処理されるだけの現在に廃れ、いびつな思いをかかえながら、統合されるだけの意識は、ここでの意志を奪われ、整序される先々で秩序を用いられ、元々の意味を腐らせるだけにいたる今から引き出すものなどが陰鬱なものを消費し、生じるものに飲み込まれ続ける惰性なものから、物陰に隠れ、こじつけられるほどに補足されるものなどが、今を奪い去り、イメージの中で取り残される君は、浸食していく意識に飲まれ、自らの意思を失い、自らを行為に収め、収まる先に与えられる影響が絶えず襲いかかり、肝心なものをそこない、ないがしろにされる今が運命を問いただしながら、そこでの正しさに行方をくらます。真実が横暴に迫り、贋物の過程を創り上げるだけの理想から、痕跡も残さずに入り込む言葉が意識を占領し、そこに軽薄な意味を織り成し、作り出される意味に爛れるだけの現実が憐憫などを用い、何かを同情すべく、お涙頂戴的なまやかしを生み出し、恋が簡単に勝利を歌い上げるような刹那に真っ白な思いが今から、はみ出し、惰性にみちびかれるだけの思いは、自らの行いを超越できずに、そこで束縛されるだけの疲憊していく意識は対立を繰り返し、深まる意味は、空間的な緻密さに溺れ、横暴に処理され続ける精神は、自らの聖域を汚しながら、感応し続けるほどに悲観的なものに陥り、自らに現れる言葉の影に攪拌される今に支配され、誰かの独占欲により、よりよいものなどを用いられ、未熟なままに消費され続ける現在から生まれるものがもたらす悲劇から、貧寒なものを加工し、加速する死に追いやられ、倦怠感に苛まれながら、長らくに消費される観念が関係性から解脱し、仏教的な競合から短絡的に捨て去れる意志は、自らのニヒリズムに駆逐され、朽ち果てる意志は、空間的な正気を保てずに、もたらされる狂気に飲まれ、自らの矛盾に打ち勝てずに、観点をそこないながら、襲いかかる動機を旋回し、回線を混濁させ、酷薄なものへと引きずり込まれるほどに混同する意識は、意味に欠如を用いながら、求められるほどに即席の自由を求め、理由の中に引きこもり、卑近な例の中で自らを消費し続けるほどにキャピタリズム的に補填される理由から、自由市場に補完されるだけの空虚な身体を加工するだけの品位に飲まれ、自らが生み出す等差に、自らが苦しむように仕向けるようなキャピタリズム的なニヒリズムに飲まれ、自らのリズムをそこない、そこで召喚されるもののいっさいに攻撃されるだけの消費的な陥落や、奸悪を用い、何かを消費的に嫉妬するほどに、死との距離は近づき、生きて居るかもわからずに、ただ軽薄な存在をそこにこすりつけ、終わらぬ闘争で血を流し続けるだけの消費的な戦争から、戦場へと向かうことだけが、正しいことのように仕向けるようなプロパガンダを吐き散らすだけの贋物の者どもが猛毒を撒き、そこで徘徊し続けるシステム的な人間だけが、はじめての人間として崇められ、神をも超えるような人間を作り出す機械的な論証から、さまよう意識は激情へといたり、すべてを破壊するためだけの破壊を続ける。進化を遂げるべく、透過される先々に印象を統合させながら、背反し続ける先に現れる現実に抗い、返事すらもない今に淫蕩なものを用いながら、求められる思にとがめられ、そこない続ける精神は、批判を繰り返し、自らを空疎なものに変化させる。軽薄なものに浮薄しながら、錆びた動機が規律を用い、未熟な性感帯に接続される意味にくすぐられ、操作され、道程を狂わせられる。
2017年8月26日土曜日
横溢する愛
連帯感を押し付けるだけの政治的なものに押しやられる精神は、みんなの中で孤立し、その孤独に耐えかねずに、暴力的なものに加速し、自らが、自らに枷を嵌め、みんなの中で不自由になる。抑圧され続けた精神は、何かを監視し、利用するための、みんなを捏造し、自らを正当化することで何かを、政治利用する限りに、政治性は損なわれ、意味を束縛し、すべてを見えにくくすることには長けていく。そこで押し付けられた、みんななどは、存在すらせず、側に近寄り、自らを孤立させ、そこから、はみ出さぬように、普遍性を謳い、自らこそ、善良的な市民であると強調し、自らを政治的なものに企て、機械的に生き、受動的にしか生きられないように自らが仕向ける限り、自らの孤独感は拭えず、疎外感をかかえ、自らを暴力的な機械に仕立て上げていく。自ら求める愛を欲する先に訪れる強力な孤独に苛まれ、自ら求める愛には、愛は訪れずに、自らの孤独に飲まれていく。健全なものすら潰えた夜だ、と君は眠れぬ意味を加速させ、自らを不自由に変える。変化し続けるものが懸隔を生み、今に枷を嵌め、時代に責任を押し付けては、自らを正当化するために急ぐ先にぶつかり、簡単に処理される日々に追跡され、追われ続ける意思は、自らの苦しみを加工し、今から孤立し、自らの信用を謳い、もたらされるべき愛などを用い、自らを拘束するような軽薄な愛や、大義を用いずに、大利を謳い、利益目的の愛は、目標に近づけずに、自己愛に老け込むだけにいたる自らを傍観し、確かなものすら見出せずに、惰性に導く意味をアイロニカルなものに変え、ロジカルなものにいたらずに、群像にとろける意思は、自らの愛に屈する。いたわるべき現在に、存在論的なメタファーに沈積する優美な瞬間を捉え、意思を純化させ、最たる意味を喪失し、編み込まれる意味や、ケミカルな君が敵意を生み出し、いびつな観念を形成し、懐疑的な日常や、疲憊し続ける先々でドメスティックな者が差し向けるサディストどもが攻め入る今に起源すらも喪失し、失意のどん底に陥り、応じる答えや、寂寞に溜まる罪の意識が、儀式的なものに頼り、自らを喪失し続けるほどに肥大する意識は、今から離れ、あたかも自らの意思に導かれているように差し向けられた言葉に誘われ、相互作用しているような愛は、自らを愛するが故に、誰かを利用し、傷付けていることには気付かずに、自らを愛する限りに、自らを苦しめていることには気付かずに、自らを苛め、自らの惨めさを加工し、自らが生み出す屈辱に屈していく。こじれる後先は、宛先を持たない。あらゆる対象は、憎むべき相手を求め、眠らずに街中をさまよいながら、何かに酔いしれている。偶像化が進み、荒んだ者や、懶惰な者が謳う適齢期などが今を締め付け、自らを生きにくくしているようなマゾヒズムの揺籃で眠る子供たちは、自らの孤独を癒すように、卑しい自分へと変化していくほどに補填される憎悪と対立している。空疎な分裂を繰り返し、起算されるだけの日々が砕け、しあわせを用いるほどに、二人の距離は生まれ、支え合うべきだ、と促し、契約へといたった途端に、いたわるべき互いを恨み出すような欠如が生み出す余韻から、因果は崩壊し、混沌へと導かれ、ただ、這うように生き、可憐なものこそ儚く散る、というような意味に補完され、交換され続ける意思は、高潔などを謳いながら、長く自らの孤独に閉じこもるような蕾を眺め、かすむ余韻から溢れる幸福論が克服を用いぬから、しあわせにはいたらずに、何かを恨むことに専念し、捻出され続ける憎悪に包まれる。生々しい言葉が現在を虐げ、自らを不規則に育て上げ、惰性に生まれたものを、社会や文化として仕立て上げ、価値観などを謳いながら、長らくに迫る苦しみに束縛され、自らの苦悩に服従し、従事するほどに補填される意味は、色味を失う。あらゆる存在が基礎を用い、法則的に迫る意味も無意味であるし、無であるからこそ、有限であり、有限であるからこそ、すべては縛られ、自らを無に追いやる死に恐怖に感じながら、死を羨望するような矛盾に苦しむことから逃れるための願いに頓挫し続ける意思は、自らを死に追いやり、生きながらえるために求める愛に耽溺する。死を超過すべき愛は、自らの意志だけに従う。あらゆる従属から逃れた健気さが、今に比例するものよりも、自らにだけ誠実である限り、何かに正しさを持ち出し、何かを抑圧することに正しさは無いことを知る。持ち込まれた、みんなという意識から放たれ、自らの意思に帰り着く限りに、何かに虐げられずに、自らを保つために愛に均衡を用い、互いを愛するが故に、互いの均衡を保てずに、破滅へといたるような愛こそが、愛故にもがき苦しむからこそ、何かを愛するという大切さに近づく。
2017年8月25日金曜日
脱兎
破壊を謳うプリミティブな論理が自己を追いやる。寂寞にたまる空疎なものが、自らの聖域を犯すのだ、と正義は、自らを正当化しようと、何かを犠牲にし、心理的なものを用い、何かをうやむやにしながら、しなびた感情がさらなる破壊を呼び覚ますだけの日常に軽薄に積み立てられるものが連動し、証拠をまさぐるだけの古くさい感情が、浄化を求め、混沌とする意識に不安定さを持ちこみ整合を求め、成功方法などを謳いながら、法則的にからまる由縁や、自らを孤立させるために斡旋される毎日に拘束され、症状は悪化し、自らの病を、自らがでっち上げる先々で消費されるだけの精神は、比率ばかりを求め、卑劣なものをかかえ、悲愁にただようアイロニカルな論証から、互いを恨むだけの言葉を編み出し、あらゆる公平さを謳い、自由を求めながらも、自由からは遠ざかり、逃避し続ける先に公正される苦しみをネガティブに扇ぐだけの名ばかりのものが、もたらされる悲劇こそ、崇めるべきだ、と消費的な論理に固執し続け、そこで偏るだけに浸る感情が浄化されずに、何かを恨むためのルサンチマンを加工していく。いくばくかの悲劇をふくませた世界を混沌へと追いやるための儀式を加工するだけの呪詛が横柄に迫る。贋物の価値は、懈怠しながら、姿勢を正せずに、正否を謳いながら、自らのやましさに渇望し続ける精神は、平等などを率いて、自らを悲観させるための対抗を繰り返し、消耗し続ける精神は、今に引きずるいびつな消費から、緩和しきれずに、用いられるよろこびに淘汰され、統制され続ける精神は、誠意などを用いながら、求められる先々で暴かれる真実や、進行し続ける苦しみにさえぎられるだけにいたる。徒に用いられる言葉は、空間を汚しながら、生きた心地もなく、ただ裁かれることを待ちわび、自らに罪を背負わせるよろこびに浸るような悲観的な道筋に貧するだけにいたるような精神などが、抑圧され、さいなまれる記憶は、自らを弱者として捉え、途端に用いられる等差に苦しみ、自らの現状を憂うほどに、うとましい者になりかわり、かかずらう意識は、観点を喪失し、そこで啓示されるものにだまされるだけにいたり、いぶかることを知らずに、信じる者は救われる的に巣くわれる精神は、正義を謳いながら、自らを正当化するための呪詛を続け、つたない意識に空疎な悲劇を加工し、簡単に処理されるだけの毎日に惜別を繰り返し、空疎な死に浸る。あらゆる悲観とは、感性をそこない、そこで喪失し続けることに置かれる死への恐怖をまさぐる。毎日におとずれる誠実な死との距離から、競合するほどに、互いの死を捏造し続けるようなキャピタリズム自身の罪は、自らが背負わず、みんなで分け合い、一部の人間だけが、儲かるようなシステムの中での器官や起源として、そこなうだけの毎日を無駄に消費することだけが、今を保つ秘訣などを謳うようなやましいシステムから逃げ出し、与えられたものを解除すべく、すべては、行いが引き起こす空疎な苦しみを生産し続けるだけにいたらせるようなほころびから、いっさいは滅びるためのベクトルを溜め込み、対比し続ける先に消耗し続ける精神は、何かの証拠をでっち上げ、自らこそ正しいと示唆するような言辞を用いる現時点にも、暴力性だけが宿り、制度をかじるような思春期の硬度や、行為そのものを懶惰なものに変えるペシミストとして、都市間に用いられる簡易な消費から、蕭然たる様相を照らすだけの空しいネオンが採否を繰り返し、何が正解でもなく、何が不正なのかもわからずに、輪から離れ、はばかる先々で他動的に受け入れるほどに、互いの距離は埋められずに、二人の愛は、一人の孤独により、引き裂かれる結果にいたり、そこで用いられる現実が境域を生み出し、狂気などを謳いながら、奪われるだけの今が売買され、科学的な根拠や、簡易な消失から、散漫な儀式へとおとずれる闇を昇華させるための欺瞞を用いるだけの宗教的な公正から、思想的な還元から、消耗し続けるだけの精神は、自らの怒りを加速させ、足枷を外すための暴力へとリズミカルに上り詰め、騙され続けても尚、統制されるための扇動から、専横されるだけに朦朧とさせるような普遍性から、正常さを謳うほどに、孤立していく本能は、凡庸な者に支配され、そこで用いられる贋物のエリートが率いるものに引け目を感じるように操作されるだけにいたるような名ばかりのものに抑圧されている場合ではない。なくしたものを探し続ける当ても無い旅路に切り取られる永遠から、刹那に雷鳴がとどろき、逃避し続ける先におとずれる現実に投影されるものなどが論難をあびせ、暴かれるものの裏を知らずに、ただ否定的に及ぼすような汚れから、形骸化するだけの意思は、何かを代償にすべく、対象とするものを恨みねたみながら、強請るだけの現在を消費するためだけに、絶えず同じような日々を同じように反復させることだけが、あたかもしあわせのように感じさせるようなものからの脱兎をこころみる。
2017年8月24日木曜日
消費的な完結
記憶の奥底に染みわたる夜が、論理を飛び越え、心ない何かが、行いを正すために強制的に入り込む意味をとりのぞき、遠く消えかかる余韻が、インタラクティブにつながり、操作される苦悩や、納期されるものが、行為をとがめ、朗誦されるだけの動機や、根幹に潜む悪意が、新しい世界を高らかに歌い上げ、人々を戸惑わせ、純粋な者ほど、簡単に狂わされ、今が正しいもののように指図され続ける運命は、でたらめなデータを集め、自らを色あせさせ、ささやかなよろこびすら喪失させられるだけにいたり、そこであらがうほどに、運命とは、言葉だけのしあわせにより、本質的なよろこびにいたらずに、そこで感じるべき理想も、希望を失わされ、目先の利益だけを求め、等差を用い、そこに現れる貧富から、貧寒な者が謳う理由により、支配され続けるよろこびを、よろこびとして捉え、途端に苦しみは増加し、そこに現れる苦しみを消費し続けることだけに専念するようなシステマチックな一貫性に制度を生み出し、性の道具として、或いは偶像の神として崇められる快楽の傀儡として、あいまいなマインドを支配するだけの傲慢な独裁者として、そこで悲観するだけのペシミストなどに変化し、変遷をたどるほどに、よりよいものなどは存在せず、平等などは、平等を求める途端に平等とは懸け離れ、そこで用いられる権利に左右され、自らの意思を損ない、そこで求められる行いに操作され、自らの意思を損ない、行いに餌をちらつかせ、貪婪な者ほど、動くことだけが、正しいことのように現れる正しさなどは、独善的な手法で、淘汰されないように蹴落とすための義務を用い、モチーフとするものに指図されるよろこびを謳う普遍性から、不虞を謳い、退廃的な理論をこじらせ、ここで締結するだけのルサンチマンを予防するための注射の役目を担うような哲学が、ずっと奥深くに刺さり、真理を凍結させ、そこで輸血される新たな血だけが、等差をとりのぞき、そこでロジカルに消費されるだけの思想から、思考停止にいたらせるような血合いを施すような法から逃れ、投影されるものなどは、そこで喪失するだけのビジョンを追いかけ、冷めたままで、責め立てられるよろこびに浸るマゾヒズムを重ね、織り込まれる一瞬は、永遠を示唆しながら、そこで終わり続けることにより深まるよろこびや、要する言葉に有することごとくが裏切りを重ね、疑似的な恋愛を続けるゲーム的で依存的な夜が崩壊し、解放感を謳うような通過儀礼や、偽装される先々で対象とされるものなどは、些細なものをアドレスに変え、そこで交換されるだけの義務に組み込まれることで呼び覚まされる快楽や、懐疑的な日常を否定し続けるほどに、何かから遠ざかり、ここで統制されることで現れる贋物のよろこびに市販のものとして大量生産されたようた軽々しい言葉が、やましく突き刺さるような日常に現れる正常などは、政治的なものの病を抱え込んだ混濁から、生み出された汚穢に過ぎず、そこで求められる償いを呼び覚ますような通過儀礼から、躍動すべき精神も、そこで分裂し、解放を求めた精神は、帰る場所を求めるばかりで、プリミティブな自己を忘れ、そこで喪失感に浸るほどに悲観し続ける先に現れる闇に飲まれ、自らを修復できずに、祝福だけを続け、合わさる二人は、一人の孤独をかかえ、そこでむすばれているほどに、孤独感は増していき、近いほどに、遠くに感じるようなあいまいさに毎日は、最たるものを喪失し、証拠も残さずに、ここで混沌としていき、自らを宇宙的に敷衍させ、希望を膨張するほどに、宇宙自体を飲み込み、自らが宇宙のように感じるような無から無限までに整容されるだけの感情が浄化などを求め、断続するだけのシーンとは、はじまることよりも、そこでまじわり、終わるための果てない闘争のように思えるのだ、とニヒリストは、そこでカタルシスをうながすための終わりを強調し、そこで超克すべき苦しみを解消できずに、快晴を知らずに、ずっと暗雲の下で、じっとじめじめした感覚や、惨めな孤独を虚空にうながし、うなだれるほどに、ダレた風に汚され、慧眼を持たずに、暗い目で、じっと帰るべき場所ばかりを求め、比喩しきれぬような夜に余罪を隠し、攪拌されるだけの精神は、夜明けを待つよりも、ずっと、その暗闇でじっとしていることを選ばせるような主義や理想や、偽装されるだけの思想から、浸透すべき言葉を迫害し続ける哲学的な現在に比例するものもなければ、そこに勝敗すらもなく、そこで生じるものなどは、過ぎ去ることも知らないだろうし、そこで語られ、測る時間などは、元々は存在すらもしなかったものであるし、そこで葬られるだけの物事は、混乱へといざなわれ、時間に苛まれ、空間を厭う限りに、その苦しみとは、次元の中で悶え、無限に続くような苦しみを自らに補完し続け、高揚感を忘れ、そこで屈辱にただれるだけのいたり、誰かの悲しみを引きずりながら、夜明けを待つ君の背中をそっと包むような論理を、ここに置いておく。
2017年8月23日水曜日
光景
意志は高気圧に覆われ、そこにとどまらずに中空に果て行く記憶を抹消しながら、そのまま空間に隔てられず、何かを堅持しないで、用いられる闇に消費されるだけの顛末を仰ぐよりも、ここで、偶像崇拝を続け、退廃的な祈りを続けるよりも、よりよいものへと導くべき自分に出会うための闘争を続け、何かに統制される以前に、ここで何かに固執するよりも、劇的な進路を渡り、カタルシスにいたるかぎりに、懐疑的に陰るだけの本質や、そこで従属するほどに、充実感などを安易に生み出すだけの平静などを越えて、ここで混沌としながら、脳内を循環する歴史や、そこで鎮座するほどに知性などはそこなわれ、そこでなぞられるだけの史跡や、聖戦などを謳い、何かのために何かを守るための闘争が、さらなる悲劇を生み出し続けるような闇から、やましい思いが、際限無い苦しみを降誕させ、こじれる後先に引き伸ばされる思いが、恨み辛みをうながし、そこでせき止められるだけの理由や自由などが交錯し、自らの理由とは、誰かの不自由と従属し、そこで求められる所有とは、独占欲にいたることだけが、何かを所有することである、とうながし、用いられる欲はとめどない怒りを放ちながら、何かを奪うための統合を続け、合わさる限りに用いられる悲劇は、過去から意味を受け取り、経過する物事の対称性を失い、フラクタルなものとしてみちびかれるほどに、互いを引き裂くためのルサンチマンは生まれ、互いを破壊し尽くしても尚、破壊すべき対象を求め、破壊の限りを尽くす。取り繕うだけの意味が独善的に帰巣し、起源を用いるだけの理由などが、論難や、貪婪なものを即席に生み出し、そこでたゆむだけにいたるような緩慢な作用から、リビドーは、形容されるだけのものを現実として捉える女性的な目から、不自然に離反し続ける自然的な対立から、大義を用いずに、流れのままにうながされるだけのレジスタンスは、自らの暴力性に統合されるためだけの団結から、ただ、快楽的な暴力にひたるだけの攻撃だけが、純粋なモチベーションを保ち、暴力だけに浸るほどに、革命の意味とは、失われる。ただ、用いられる意志とは、徒に消費され、感覚を奪う。保たれるべき均衡を持ち出し、平等を謳うほどに、平等からはほど遠く、そこで補足されるものに強要されるだけにいたらせるような権力に荷担することだけが、自らを自由に変えるように仕向ける間にアイロニカルな闘争は続き、そこで悲劇をもたらすだけの戦争から、専横され、全体主義の衆愚としての役目を終え、役割に配される少々の快楽へと擬態化していく意識は、短絡的なものに消耗された過ちに気付かずに、記号化し、暗号化した自らを解読できずに、乖離し続ける夜の闇をさまよい、うやむやなものを愛しているかのように思わせるだけの事実に色あせ、斡旋され続ける精神は、気配を攪拌させ、自らの影に入り交じる不潔なものを排除するためのレイシズムが生まれるだけのナショナリズムを加工し、簡単に消費されることに置かれる自らを傍観するための保身から、保守的な交合を続け、変質し続ける神体を崇めるだけの理想主義的な祈りから、過激な思想を用い、履歴を抹消し、新たに生きるべきだ、と問われる是非とは、善悪を用いずに、ただ自らを絶対としながら、何かを崇めるという過ちに気付かずに、破壊し続けるような安易な結末から、天体をも破壊するような声を荒げる私は、体制に反するよりも、ここで反するものすべてに反し、ここでわずらわしく示唆を続けるよりも、高尚へといたるべく、用いられる善意の裏の裏を綴るようなアイロニカルに冷めた感性は、緩和しきれずに、そこで降りしきる意味に濡れ、混同し続ける先々で原理的なものをモチーフに理想を供給するなどとうながすような毒々しい物陰で硬質な意味にゆとりをもたらし、そこで足りないものに清潔を求めても、ここで淡々と綴り続けるものが、継続される限りに高揚感をもたらすだけの安易な祈りよりも、動作に不潔なものを縫い合わせ、そこで終わらぬように継続させるものだけが、私を進める。束縛されるだけの個人的な自由なども謳わずに、のんきに閉鎖的な日常に笑顔を振りまくようなトリックスターであるべく、システムに恫喝を続けるだけの孤独な狼のようなフレッシュな怒りを用い、自らの落ち度を隠すことなく、ここで固執するほどに、漏洩していく言葉が物陰を生み出し、すべてを淡く変化させ、ここで思うことなどは、広益を謳うよりも、ここで公正を用いるよりも、そこで自由をかかげるよりも、何かを用い、求めることにより、自らを動きやすくすることが、動きにくさを生むことを知るべきである。
2017年8月22日火曜日
否定的な夜
乾いた日々に与える影響などが、永遠性をたずさえ、俗悪なものを伴侶にするだけの趨勢や、儀式的に機能すればするほどに、すべては、残像のように変わり、荷担する思いや、わずらわしい衝動を本能や、煩悩とし、途端に従えるものが、今を虐げ、姿勢を崩しながら、くたびれ思いをかかえ、混同する意識に受理するものや、そこで受難に変わり、もっともな孤独を重ね、そこで苦しむことだけが、孤独に与えられた罰のように崇めるような不安感や恐怖を越えるべく、ベクトルは、旋回する意識がたどる短絡的な衝動が生み出す焦燥感から、安易な結末にひたるだけのメランコリーのカラクリから、感動を武器に、偏るための偏向報道を繰り返し、倦怠感を生み出すためのあきらめを生み出すだけのコマーシャリズムがセンテンスを破壊しながら、しなびた意識は、どれを選んでも懶惰なものに変わり、そこで生まれる寂寞に飲まれ、自らの苦痛から這い上がれなくさせるだけにいたらせるような施しや、ほころびから、ホロコーストを続けるだけの貪婪な支配者の意志に無機質に賛同するだけの過激な理想とは、観点を疎外させ、自らの意志を誰かに預けることだけが、自らの意志により、執り行っているかのように仕向けるような意識的な虐待から、散漫な意識は、儀式的なものの低劣さに気付かずに、自らをそこない、何かと融合し、同一化を行うことだけが、自らの存在を確かにするように思わせるような相互作用から、毒性の真実を生み出すだけの多感期の衝動から、焦熱していく意識的な簡明さから、最たる意味をそこない、即席の理由で、自由を勝ち取る的な騒ぎから、散々な今日に仕向けるべき刃や、暴かれた真実から屈折した獣を大量に生み出す限りに陰る思いは、浸透する意識に入力されたものをそのままに受け取るだけの機械的なものとして、物質主義的な衆愚として、終末論などを謳いながら、高らかに歌い上げるようなよろこびを知らずに、浸透する意味が、機能を奪う。精神は薄弱なものにいたり、そこで隔離され、乖離し続ける先に帰る場所や、乖離し続ける先の闇で理性をそこない、理解すらも喪失した純粋な帰路を歩き、這いずる意識は、虚空や、上下左右すらもつかめぬような圧迫された空間の中で鼓動だけを感じ、緩慢に作用する意識的な汚穢から、負担し続けるほどにたまるジレンマや、そこで高明な景色にいたらずに、形式に備わり、過去から流用されたものだけを、真実のように崇めることだけが、何か正しいことのように差し向ける間にでたらめな意識は、緩慢な作用を今に与え、あたかも正しいことのように仕向けることのより、自らの正当性を謳うだけの比率から、規範的なものが生み出す悪が、今を朦朧とさせ、そこで問い質すことが、何か正しさを生み出すことのように思わせる間から、ガラクタに変わる真実は、フラクタルなものほど、互いを恨むものだ、と否定的な感性から生み出される創造的な独歩から静寂から何かを受け取り、聖者がうながす罪の意識などを越えて、与えられる罪などは、自らの罪にあらず、ただ与えられた罪などは、そこでの方針や規律を保つための嘘偽りであり、そこで平衡するものなどは、そこでの対立を深めるほどに、もっともな罪を重ね、罪を背負わせるために、何かを奪い続け、自らこそが正しいと示すために、ためらわずに誰かの命を奪い続けたことが、法の意識を生み出し、生み出された罪は、皆で負担し、背負うべきだ、と脅迫する。規律から迫害され、博愛などを謳わずに、悪すらも超脱し、与えられた意味に懲罰を与えるほどに、魯鈍な者を作り出し続けるようなサイクルや、システムに捉えられ、死しても尚、そのシステムの中で未来永劫、罰を与えられ続けるような苦しみを与えるだけの役目を担うような法から逃れるために、自らの規律だけを愛する。誠実さとは、そこでの誠実を晴らすためだけに、何かを蹴落とし、自らを綺麗なものに見せようと仕向け、そこで徒に消費し続ける精神は、正否を求め、応じるだけの答えに高揚感などを示し、安易に仕向けられる精神は、恩恵などを求め、終わらない闘争へと浸ることだけが、この命はなんとなく成立し、なんとなく生きているかのように思わせるような仕組みから抜け出し、そこに嵌め込まれている枠組から逃れ、能動的に生きることだけが、順応を謳い、協調するほどに、狭まる意識がナショナリズムやファシズムに陥るだけの全体主義的な衆愚として終わらぬように、或いは、コミュニストとして、キャピタリズムに打ち付けるハンマーの役割として、絶えず攻撃性だけを高めるようなやり方では、自らをそこない偏執するだけにいたるし、そこで孤独に示される超個人主義的な消散やら自己の消費を謳い、自らを孤立させるだけでは、孤独をかかえ、偏向していくだけにいたり、そこで飼育されるだけの意識は、保守的なリベラリズムに食いつくされ、空洞化した意識は、何かを補完するために安易な契約を謳い、誰かを勧誘するだけのアナーキーさなどは、今に自らの権力を絶対として仕立て上げ、自らを誇張することだけが、絶えず襲いかかる苦しみに反することのように謳い出す。
2017年8月21日月曜日
不破
否定的な日常の旋律を縫い付ける夜に加速し、付加価値を謳うよりも、そこに現れるだけの価値に満たないものに決めつけられる前に、自らの純真無垢さを仰ぎ、矛盾しても尚、虚しいと萎える花が、ルサンチマンをかかえ、偏った理想を供給し、自らを正当化するような防衛本能から、忘却に置いてきた、豊かな愛すらも、孤独にむしばまれ、独創性を失い、毒性に変わるような交換から、固執し続けるほどに、叶わぬから、と掲げられた理想などは不必要であり、そこで求められるものなどは、利己的なものであり、力学の中で汎用される凡庸なものであり、理性を謳うほどに、本能を抑止し、自らを抑圧することで生まれる快楽にひたる。空疎な出会いから、何かを埋めようとするほどに、空虚さは増し、自らに交わるものすべてを、利用しようと目論む。求められるものに連関するものが、互いを利用し、理性を奪い合い、終わらない戦争へと移行する。ここでの争いがデータ化され、私物化するための独占欲が加速し、奪うためなら、なんでもする、という純粋な本能が働きを加え、自らを、くだらない傀儡に変え、本質的なものを見失い、自らを物に変えていく。用いられるものが、果てしない苦しみを律動させ、自らを苦しめるための永久機関を生み出し、一切を暗い闇に引きずりこむ。混み合う意識は、互いを強調するがあまりに、緩慢な作用を生み出し、自らを苦しめるためだけにひたる快楽だけを求め、互いを貶し、落とし込めるためだけ機能し続ける。そこで順応するものが応じるだけの過去に引きずられ、意識とは疎外感をおぼえ、未熟な観念は、軽薄なものを信心し、見つけるべき今も、止揚できずに、その場で膠着させられるだけの意識に引きずられ、自らの苦しみの敗者として、自らを傷つけるだけにいたるような氾濫を引き起こした脳内で陥落し続ける世界を崇めるだけの対立や対比から、怠慢な理想を生み、自らを蹴落とす自らが攻め入り、生命の意味を問うこともなければ、そこで利己的に用いられる理想を堅持するがあまりに、自らを独裁者に変えていく。低劣な理想を用い、何かを遂行するために押し通す意味などが、不和を生み出し、不安感へといざなう途端に居心地の悪さだけが強調され、そこから逃げ出すためのウソを循環させる。騙され続ける精神は、正確性を失い、自らへの居心地の悪さにより、最たる意味をそこない、即席の自由や、そこで生み出される理由などが達観へといたらずに、安易なものを崇拝し、枢要なものをそこない、行いに転じて行く恒久的な苦しみの理不尽さに気付きもせずに、自らを苦しめるためのウソを自らにつき続ける。追憶に貧する価値から、化合し、稼働していく物々しい事柄が、恒久的な理不尽さを今に生み出し、打算されるものなどは、何かの採算に合わせるために、互いを傷つけることに専念すべきだ、とうながすようなキャピタリズムには、リリカルさが足りないの、だと妥当な位置から這い出る詩的な論理は、季節的な哀れみにふれ、ふれあうほどに傷つけ合うという矛盾や、無作為に生まれたものを調律したがい、互いを傷つけることを厭わないのだ、と妥当な意味や、惰性に見つける位置などが、今に等差を生み、倒錯にいたらせるだけの闘争から、淘汰されるだけの感覚は、惰性なものに陥落させられ、自らをそこなう喪失感に苦しむ。無駄なものを排除しようとすればするほどに、無駄なものしかない、とうながすニヒリストやミニマリストがうながす仏教的な理想や、思想を踏み台に、自らを正当化するための革新的な理想などが、今をちぐはぐなものに変え、物事に生み出されるべき摂理も、今に接続される苦悩や理想にねじ曲げられ、自らの理想とは、死の欲動に追い込まれ、自らを殺めるために何かに偏執し、生きながらえるために、死に投影される物事に極まる死への渇望から、世界とは、徒に消費され、生きているのにもかかわらず、そこで生かされているなどとうながすような文言に騙され、自らの世界の中で孤立させる。あらゆる協調とは、統制をめざし、同じような目標で死するべきだ、とうながす。うなだれた日常から生まれる慎ましいものこそ、幻想であるのだ、と赴きに生じる障害を壊すためなら、ためらわずに攻撃にいたるような本能をカタルシスにいたらせぬから、暴力性は加速し、制度を壊すための闘争から、統制されるだけにいたらせられるような普遍性に敵愾心を燃やし、戦争へといたり、扇動され続ける精神は、敬神にいたり、はびこる悪を生み出す自らの誠実さこそが、いちばんの悪であることに気付かずに、自らこそが正しい、とうながすことを堅持する正しさなどは、正しいことに偏ることであり、そこで理解を得ようと、理念を用い、何かをけしかけるほどに、その正しさとは、正しいとされることに偏向し、自らをいちばんの悪に変化させる。あらゆる悪とは、捏造されたものであるし、悪である前に、現れた本質的な正義をも破壊するような正しさの中では、正しいものと認識されないもの以外は、悪であり、そこで悪である、と認識されれば最後、そこで排除され、疎外させられ続けられる。
2017年8月20日日曜日
叙情的な交差
法が打ち出す苦しみよりも、法から抜け出す喜びよりも、法から逸脱し、解放されたい、と願うほどに、法自体に関わるように慈しむような機械的な愛に従事するよりも、より良くなりたい、と祈るばかりの、化け物どもが徘徊する街中で、一律の幸せなどを探すよりも、獰猛に慟哭し、正しくあろうとすらせぬところから、善悪を脱ぎ捨て、全肯定するだけの、快楽主義的な自己啓発に汚されずに、自らの健全さに、行き着くように、自らが、自らを騙す。動機だけが交錯し、互いが抱え込んだ罪を置き去りにしてまで、自らを幸せにしようと目論むような罪には、罪の意識が微塵も感じられず、自らの幸せのために、自らを正当化する罪には、なんの罰も与えられずに、のうのうと永続化される意識は、自らを正しい者として、自らを神に仕立て上げ、自らを神として崇める。何かに抑圧されるなど、うんざりであり、何かを理由にこけ落とすことなど、馬鹿げたものであり、そこで、陥し入れようとする自らに陥る病が有史以来、加速し、あらゆることに、枷を嵌め、罪の意識などを埋め込み、自らが、自らを抑圧するようなシステムの奴隷として生きることなど、以ての外である。政治から離れて、自分に行き着くこと、枠組みを超えて、何かを排除する以前に、自らを保つために、自らに帰る。行き着く先は、何度も屈折していき、自らの苦しみを植え込んでいく。あらゆる空疎な方法論が、自我に攻め入り、時間的なものを有しながら、今を強請り、強奪し、さらなる苦しみを倍増させるための裏切りは続くが、そこで生み出される苦しみなどは、依然として空疎な苦しみであり、何かを感じ取ろうとせずに、与えられた苦しみに浸るだけのセンチメンタリズムに犯される。充当されるもののほとんどは、無意味な正しさを吐き出し、何かを履き違え、自らを守り、保つための欺瞞を続け、自らを正当化することでしか、その正しさにすら近づけぬように差し向けるほどに生まれる空しさとの対峙を続け、自らに打ち克つこともできずに、勝敗が価値を曲げ、そこで正しいとするほどに、答えからは懸け離れていく。あらゆる正しさとは、周囲が及ぼう影響により偏るだけにいたり、何かに寄りかかることでしか、自らを正当化できずに、義務的に執り行われる善意的な架け橋を安易に渡るほどに、答えからは遠く離れていき、幽遠へと引き裂かれていく思いは、そこで分裂を繰り返し、断絶され続ける意志は、高潔なものを失い、独善的な支配へと身体を明け渡し、自らの苦しみを垂涎する者の餌として存在し続けるだけに浸る痛みとは、間違いを改めずに、何かを責め続けることでしか、正当化できない正しさの中で苦しみ続けるだけであり、デカダンなものをかかえ、完治しない苦悩をまさぐりながら、何かの傀儡と化し、加算される原理とは、理不尽な正しさを応用し、そこでの正しさを際立たせるための虚飾を続け、つたない意識は、そこで正しいとされるものの餌として、提示される現実との差異を埋められずに、その正しさを鵜呑みにし、自らをそこない続けることに存在とは軽薄で、軽々しいものにしいたげられ、荷担する義務が用いる名ばかりのものに利用されることだけが、ここでの役割を担い、使命などを与え、運命と共に生きるなどとうながす首謀者が生み出す独裁的な物言いから、簡単に処理されるだけの今に起源を与えずに、過去のものを流用し、そこでの正しさを謳い続けることだけが、何か正しいことのように思わせられることに生まれる協調性などは、制度の中での役目を生み、官僚的な支配から、気配を攪拌させられ、管轄を用い、規制され続けることで生まれ続ける悪とは、正義に利用されるだけであり、そこでの悪とは、本質的な悪にいたらずに、そこで否定されることにより生まれた被害者でもあり、加害者でもあり、何かをもたらす是非などを是認させるために利用され続けることで、機械的なものとして、ひとつの正しさを、絶対的で十全とした正解として「崇め」神と名付けられ、そこで数千年の罪をかぶせられるだけにいたる一人の人間として指定されるものへと偏ることなく、自らを悔い改めよ、叫ぶ間に短絡的な罪などは、正しさを理解できずに、ただ、罪から逃れるためだけに、何かをためらい、自らを屈折させ続けることにいたらせる正しさが生み出す偏向を迎合することが、正しいとされるのであれば、ここでの正しさなどは、依然として悪を創造し続けるだけの贋物の神として存在するためだけに、人間と名付けられ、その人間としての義務を全うするための正しさなどは、独善的なものでしかなく、そこに現れる絶対的なものなどは、何かに適応するための絶対性であり、そこでの制度からはみ出さぬように生み出された世界などという悪魔的なもので邪推し続けるだけの悪魔的なものの子供として、独創性を奪われ、森羅万象を駆逐するためだけに、ためらわずに破壊するための制度の一部として存在することに混在する意識的な枢要さなどは、止揚にいたらず、物事を膠着させ、行動を拒否し、渋滞や行列にきちんと並ぶような普遍的な善意を抱え込まされたことにひたる原理的な善意の申し子のように語り出すような正しさを放つ手法や商法の一部として生きることこそが、善良である、などとうながすような悪魔的なものの子供とは、恒久的な孤独をかかえ、何かを恨むことでしか、存在理由すらも見つけられずに、その場で用いられるものにいらだちもせずに、何も考えずに並ぶという過ちに屈折していき、自らの罪を感じることにより、誰かの罪は、自らより悪いものとして定め、痛めつけることだけに専念するような全体主義的な管理下に置かれた檻の中の獣として、除け者にするためにためらわずに自分以外のものを否定し続けるだけの食されるために生まれた家畜のように、あらゆる独善的な毒性は、真理をもむしばみ、自らを傷つけずに、何かを傷つけることには厭わないような者どもを配下に置き、自らを崇めるためだけに、ためらわずに攻撃性を止揚し続けることだけに専念する限りに、そこでの神は、人間が生み出した神から超越できずに、自らの定めをも呪う者どもを生み出し続けることが、創造性だ、とうながすような神などは、神と名付けられ、神の皮を被った人間であり続ける。
2017年8月19日土曜日
開く
革新的な鳥どもが羽化する。飛び立つその速度は、捉えられずに、立証されるだけの風景などを千切り、短絡的な誤解を含んだ言葉の綾をさえぎり、終末をしのぎながら、長らくに沈殿する歴史や、知識もない愚弄な若者と否定する連中をしりぞけ、背反し続ける思春期の翼をひろげ、閉鎖的な日常を飛び交う、その優雅さにほれぼれしながら、慢性的な病をかかえこんだニヒリストや、嗚咽を綴るだけの物語の中でのペシミストどもが併用するだけのデカダンスをちりばめた詩的な夜の余罪をかかえた意識が混濁を生み出すだけのファシストどもの白昼や、衰亡し続けるだけの未来に抵抗を加えるほどに、運動とは、行動の意味をとらえられずに、快楽的な破壊者として生きることでしか、自らの使命を果たせずに、運命論者がちぐはぐな革命を謳うころには、沈殿する意識は、ファシストどもの餌に変わり、なまめかしい瞬間に移動し続ける意識から離れていくほどに、逡巡し続ける意識は、自らの考えに置き去りにされ、自らの苦しみが支払うためだけの義務に絶えず巻き込まれ、緩慢なアイロニーを吐き出すだけの汚い口から生まれる言葉を、あたかも正しいもののように扱うことが、正義を代弁しているなどとうながすような醜悪さを放つことにアンチテーゼをかかげ、関連する状態から孤立するだけの孤独などは、孤高にいたるための試練だ、と謳うだけの宗教的な昇華などは、自らを信心できずに、辛抱強く耐えることだけが、正しいことのように思わせるほどに、自らの欲望に支配され、抑圧されるほどに反発しようと目論むだけの物事に操作され、情報の奴隷として、或いは、自らを正義として悪を生み出すことだけが、自らをカタルシスにいたらせるような方法でしか、自らを娶ることもできぬような婚姻へと帰巣するほどに、根幹は腐るのであり、何かを代用として、自らを綺麗なものに仕立て上げるだけの操作から、性的なもので拡散されるだけの情報を常用するほどに、自らの意志とは反して、そこで操作されることに生まれるよろこびに支配されることこそが、生きてることであるかのように仕向けられ、それが使命であるかのように洗脳されることほど残酷なものなどないようね、と語る彼女の意識をフォーマットしようと目論む現実から逃れるように逃げ惑う私は、戸惑うほどに露骨な商法に騙される輩どもが謳う金言などに邪魔をされ、些細なことで苦しむべきだ、などとうながすだけの協調的な奔走から、奴隷化していく意識を何とか革命へと移行していくとする者ほど、権力が大好物だったりするわけで、そこで分け距てられ、身の丈を知るべきだ、とかなんとかうながすような権力的な暴君として、自らが用いる権力を保つためだけに生まれる既得権や、権益ばかりを優先するだけの改革などにアレルギー反応を起こす私は、他愛ないものを愛するべきだ、などと謳う同情的な輩にもじんましんを起こし、行いが用いる善意的なものこそ、有徳へといたらせるなどとうながすような善悪の是非すらわからぬような者が指し示すものほど、そこにあるものを保持したがり、搾取し続けるような悪趣味なナショナリズムや、ナチュラリストどもが謳う綺麗なものほど汚いものであるし、やがて、何が勝か、ばかりがまかりとおるような世界などは、捨て去るべきである、と謳うようなミニマリズムなどは、自らのニヒリズムが引き起こす病から逃げるために何かを捨てるべきだ、と謳い出す始末にあきれかえりながら、飽き足らずに、何かを受け取りながら、うごめく思念とのぶつかり合いがとめどなく脳内で行われ、慢心を生み出すだけの高次などは真理にいたらず、掃いて捨てるほどある綺麗事や、美辞麗句などをつらねているだけに満たない今に汚いものを吐き出すようなアイロニーだけが、自らをいずこへといざなうわけでもなく、いじらしく何かに焦燥感をかきたてられながら、抵抗を加え続けるほどに、この命とは、どこに行き着くわけでもなく、自らをも超越し、ここで用いられるものなどは、何の影響も与えず、そこに反応するものなどは、そこで善悪を突きつけられているだけに満たず、そこで足りないものを補おうとすればするほどに、足りないものが現れ、満ち足りないのに、何かを求めることでしか、自らを認識できないように仕向けるだけの情報などに刷新され続ける意識などは、空虚さを溜め込み、自らのニヒリズムに食い尽くされ、自らの怪物に打ち勝てずに、何かに敵意を向け、自らから逃げるために何かに敵対心を生み、奪うための闘争から、統制するための統合から、投影されるものだけに流されることだけが、何かを得ることのように思うような判断の誤りから、余り有るものは、あらがうほどに、ほとんど無に近く、そこでの摩擦から、毎日の闘争は、統制を謳いながら、平等を謳いながら、自由を持ち出し、愛を磔にしながら、しなびた思いを売買し続けることだけが、ここでの正しさなどとうながす者に反する命こそが、ここでの役目や役割などから排除されても尚、抵抗し続ける命だけが、そこで測ることをやめ、持ち出されるものに反発し、安易な発想で、安泰を願うだけの体たらくを終え、事務的なものが生み出す欺瞞や、不満足を謳うだけの自己顕示欲や、欲するほどにほつれ、そこで正しいとされるものなどは、ジレンマを生み出すだけにいたることをはじめて知るべきなの、だ。
2017年8月18日金曜日
混沌
飛び回る記憶は、どこにも行き着くことなく、同じような場所を旋回し、幾重にもからまる空間や次元に隔てられ、時間を用いられては、転換すべき現在にひたりながら、悲観ばかりを繰り返し、空虚なものを重ね、回線を混濁させ、脳内で純化することもできずに、悪い面影とは、ここでの苦しみを輪唱し続けるほどに理想と矛盾していく精神は、契約や、軽薄なものを崇めるほどに、魯鈍なものに変化し、実体もないものを恨んだり、悲しんだりしながら、進行し続ける意識は、いびつなものを形成し、ルサンチマンに変化しながら、変換され続ける意識に懸隔を生み出す。名ばかりの事実は、かさばる思い出を消費しながら、今に迫る意味がエモーションを重ね、乖離していく時間に唱和されるものに扇動され、亡霊と化する意識は、何かに搾取されることを恐れるばかりで、自らの愚かさに気付かずに、軌道修正を施すべき現在に入り浸るだけの現実に隔離され、そこで感化されるものが、感覚を奪いながら、うごめくものに飲まれ、論理的な商法から、逍遥し続けるほどにシステムの餌として俯瞰に襲いかかる無感覚の衝動から、躍動すべき現在に着せられたイメージが邪魔をし、阻止され続ける意識は、徒に消費される今に空疎な面影をたずさえ、退廃的なものを用い、物事に占領されるだけの今に欺瞞を用い、盲信を続け、つたない意識は、つくづくに蕭然たるものを形成し、わびしさをたずさえずに、自らの寂しさにふれるほどに、そこでの孤独とは、実感もなく、ずっと続くだけの孤独を消費し続けるほどに、孤独であり続けるだけの意識は、裁かれるだけの原理や、現実感をそこないながら、そこで喪失感をたずさえ、何かを失い続けることに恐怖をおぼえ、孤独を創造的に昇華できずに、そこで用いられる孤独が鼓動を奪い、動機すら不潔なものである、と暗鬱におちいらせるための暗示が絶え間なく用いられ、そこでツールとして存在するだけの対象が生み出す苦しみが用いるセオリーや、整合されるべき現在に消費されるだけの思いが、途端に苦しみを往復させる。些細な出来事により、そこでの苦しみを反復させるだけの悲恋を連動させるような過去から引き取るだけの面影などは、そこでの苦しみを倍加させるためだけに思い返すためだけに引き出される思いなどは、そこでの思いにあらず、そこで苦しむためだけに措置される思いとは、自らのマゾヒズムを加速させ、不安が用いる苦しみに作用するだけの過去を利用し、自らの領土を奪うためだけに自らが仕向ける行動が、今に軋轢を与え、停廃にいたるだけの心身が仮象するものを崇めだし、何かを崇敬するほどに、自らとの乖離は進み、そこでの理解を得ようと求めるほどに、自らから孤立し、乾いた精神は、何かを受け取ることもできずに、答えの中でもがき苦しみ、空洞化した意識は、何かと同化することだけが安心感を得るものである、と思うほどに、すべてから乖離し、同一化を施すほどに、魯鈍なものに変化し、自らを喪失し、意思に足枷を嵌め、何かを保つために、何かを守ろうとすればするほどに摩耗し、自らをそこないながら、転じて行く苦しみを濾過できずに、逡巡し続ける意識は、苦しみをめぐり、今に苦しみを持ちこみ、求められる意味にしいたげられ、今に弛緩する。今に調和し緩和すべき痛みも、先々で対立を深め、ナショナリズムや、アナクロニズムや、超自然的な対話を絡めて、自らを正当化するだけの独善的な神を主張し、何かを悔悟にいたらせるような罪を服用させるために騙し、搾取することだけに専念するような悪趣味な主体をかかげるだけの理性をもそこなった欲望を加工するだけの禍根の首謀者どもがカスタムするだけの意志などは、自らの力にあらず、そこでそこなうための行いへと加速させるだけの不安感を利用し、自らを抑圧し、抑鬱へといたらせるだけの思考へと加工するための言葉が生み出すものが物事を邪推させるようなルサンチマンへといたらせるような偏執を生み出すだけの理想などが、あたかも正しいもののように崇められ、自らを正義として謳うものほど、悪を創造し、自らを正しく思わせるために騙し続け、自らを正当化するための空疎な理想などを用い、誰かを騙すことだけに生まれる快楽から、求めることの正しさを謳うほどに欲望の機械として措置されるものすべてを貪婪に食べ尽くすことだけに専念するような餓鬼として、あらゆる法を謳い、混沌としていく時代を崇めるだけの空疎な理想を配置し続けるだけの贋物の神として、あらゆるジレンマを生み出し、諦観や諦念を生み出すためだけに独善的な言葉で抑圧し続ける先に生まれるのは破壊よりも、もっともな空虚が現れ、その空洞に吸い込まれ、終わりも始まりもせずに、そこでの空しさを吸い込むだけの空虚さが、すべてを否定し、悲観し、貧寒な現在に生まれるべき愛すらも廃れ、疲れた身体を引きずるだけの亡霊として生きる自分を乖離した自己が傍観し続けるだけの空疎な世界が、世界を覆うだけにいたる悲しみだけが自らを癒やすのだ、という空しい争いが延々と自分の内外で続くことだけが、正しいのだ、と示すような悲しみの生贄として、贋物の神に捧げられるだけの空疎な戦争が続く。
2017年8月17日木曜日
音程
やめていたはずのタバコを吸いながら、無意味な音を観測している。不自然に調律される音階の調べは、不愉快ながら、何か嬉嬉としたものを大気中に微量にふくませ、汚れた意味を形成しているなどと退廃的な言葉で埋め尽くすのは、低気圧のせいか、とうなだれるよりも、うわずるような声を発するだけのカラスの鳴き声が、鼓膜をふるわせ、高慢な者が支配する云々と、世界を否定するよりも、おもしろい意味をまさぐるような関係に制度すら不潔に思えるような夜に支配される以前に、何かから乖離するようなよろこびの揺籃で眠り、夢の中での神秘的な帰路をたどり、怠慢な意識がたどり着くデカダンスな風景をよぎらせる詩的なノイズが形成するノスタルジアで、痙攣する夜明けが、銀河が一律の悲しみをうながすだけの今朝に排斥されるだけのスラングや、衰亡する意識の過程に生み出される哲学的な酵素を生成しながら、しなびたふんいきが醸し出す鬱陶しいほどの非道さを保つだけのキャピタリズムの空疎な刺激を受けながら、鍵盤をたたくたびに昇華する思いが逍遥を続け、受け付けないものほど、気になるものであり、それを否定し続けるほどに、与えられる影響にかさばる思いは、陰鬱な衝動を空間に吐き出し、派生する意識は、様々な思惑の中で怪訝なものを重ね、重荷に変わるらしい、と黒猫がカタルシスをうながす水中を泳ぐような感覚で、脳内を循環し、おぼろげなものを気ままに排除するだけの資本的な猶予にひしめく思いが、思念を孤立させ、膠着する意識は、永劫の彼方で、荷担するだけの義務の中でダンスすることが、あたかも生きているように思え、と強制的にうながすような瞬間に犠牲的な精神をうながす信仰心などが、今を疎外させるだけにいたるから、人間とは、いつまでたっても誰と居ても、孤独なままなのであるし、やがて、その孤独の中で示唆されるものを思案していることが、あたかも考えているように思わせられるだけに浸るような世に警醒をうながしたところで、快楽的なものが受注し続ける生産的なものに支配されるほうが、清潔であるかのように思わせられ、色あせるだけの路地から、排出され続ける毒気を健気に吸い込み、もののあわれなどを謳うほどに、哀れみなどは、淡いものである、ということに気付かずに起動させられ、いつかは、強制終了させられるだけにいたるような日々に結末などを仰ぐだけの終末論的な快楽の傀儡として操作され、ファシズムが加速し、死へと能動するだけの順応を呼び覚ますだけの諦観へと汚され、擁護され続けるほどに、この命とは、補完されるだけのものへと交換されることだけが、この世界の仕組みであるのだ、などと有史以来引きずっているだけの関連性から、制度は付着する意味を扶養し、あたかもしあわせを装いながら、自らの手を汚さずに、生命を奪うことだけに専念するような世界こそが、欲望に従順であり、欲望の下僕として、迎合されるものに流されることだけが、生きやすくするのだ、という容易い思いが、高次へといたらずに、あらゆる意味で今を加工し、悔悟を埋め込みながら、病的なままでにうながされる教育が埋め込んだ協調性という混沌に飲まれ、そこで統合されることだけが、正常であるなどと謳うほどに、正常さにもとづく異常さに気付かずに、徒に消費される精神は、敬神にひたり、いたわることなどを謳いながら、虐めるだけにいたり、とがめられた精神は、どこにも行き着くこともなく、ここで語られる言葉の傀儡として、被害者意識を加速させ、仮想とされるものを崇めるほどに、あがない続ける意識は、あいまいなものを称えながら、途切れ途切れの精神を、何とか保とうと、うとましい現在に原罪などを埋め込み、多様性を謳いながら、孤独を絶えず進行させるだけの情報から譲与されるものなどは、何の足しにもならず、孤独感を増させることだけにいたる。ここまでの記録すら本当にあったことかもわからぬままに、このままに進むように仕向ける看板に左右される意識的な汚穢を清め祓うための祈りなどは、空しく今を示唆するだけに浸るものが精神を摩耗させ、そこでの祈りとは、帰依することだけを目的に、何かを取り込み、統制しようと目論む間に住まいなどを形成し、そこで奪い合うことだけに専念するように仕向けられるほどに、自分の行き着く場所などを求めるほどに、虚空を生み出す。あらゆる住まいとは、帰るべき意味を持たず、どこでも落ち着くような場所へと変化させられぬから、どこに居ても孤独は増していくのであり、孤独を謳歌できぬから、その場での苦しみにおちいるのであり、横溢する瞬間は、絶えず今を純化させ、循環するほどに混濁を生み出し、めぐる思いは、そこでの偶像を抱え込んだままに、孤立していくことを恐れ、自らの恐怖に飲まれるから、帰る場所などを必死に求め、止めどない恐怖に犯され、そこでかかえさせられる罪の意識などを抱え込んでいく。
2017年8月16日水曜日
ルサンチマンの夜
考えの奥底でなびく面影も、真理をそこなった物陰に潜む影に捕食され、自らがくみ取る善悪に犯され続ける示唆などは、そこでの考えに補完されるためのものを措置し続けるほどに、自らを魯鈍なものに変化させ、関係性に制度を生み出し、今に緻密なものをそこない、そこでの苦しみを背負うような義務を繰り返し、強迫的に繰り返し、屈折したものを思案し続けるほどに、苦しみとは、今を束縛し、代用品として、そこでの仕組みとして生きることしかできずに、出来合のものを信心するほどに、屈折していく意識は、内面的な縄張りの中で即席の自由や、束縛されるほどに増していく苦しさを氾濫させ、間接的に生まれる欲望により垂涎し続けるだけの今に酷薄なものを生み出し、何かを差別することだけが、自らを昇華させるのだ、と資本的な死へと組み込まれていく意識的な汚穢を増幅させるだけの嫉妬心が自らの内面に巻き込み、そこに現れる雰囲気を呪うことでしか、自らを正当化できぬような争いの中で拘束され続ける意識は、抑圧に耐えかねずに、体系から逸脱できずに、ただ生み出されるものを、そのままに受け入れるほどに、魯鈍なものに陥り、自らの価値の中で確執を生み出し、覚醒すべき今に理すらも生み出せずに、即席の理由を愛し続けるほどにやせ細る意識は、やがて死へと加速し、滅びるためだけに呪詛を続け、つたない意識は、自らの暴力性の中に現れる制度だけを絶対性として捉え、囚われた意識は、互いをとがめるための理由を絶えず補足しながら、自らの苦しみから離床できずに、自らの深い苦しみの中で眠れずにいる。あらゆる装置から取り外された意識は、法の外で、法を形成し、やがて自らを拘束するための法の中でためらいながら、絶えず進行する意識的なまじわりに疲憊しながら疎外感にふるえ、自らの孤独に敷衍していく恐怖に飲まれ、自らの十全とした正しさという狂騒に飲まれ、自らの不自由さに嘆き、カタルシスにいたらずに、徒に消費していく現実に補完され続ける意識的な界隈でなれ合うほどに自らが自らを破壊するための所有を求め、対象に求める愛から背反できずに、そこでの自由を謳うほどに、魯鈍なものに変わることの哀れみを謳うだけの独善的な輩がうながすだけの愛を愛として捉えるほどに、自由は自由ではなくなり、何かを独占するための愛が、絶えず苦しみを加速させる。死を往復する儀式的なものに拘束され続ける自己が、自らからも逃れたい、ともがくほどに、自らの苦しみに飲まれ、自らの閉塞感に耐えかねずに凶行に及ぶなどと謳うような性善説的な前提から逃れるために、悪とは、悪という役割を持たされる前に、悪であり、正義が生み出す悪とは違い、ただ、悪であるということすら気付かずに、凶行にいたるのであり、そこにいたるまので経緯すらなく、ただ、突発的に執り行われる儀式的な行為から、自らの死から逃れるための暴力的な措置から、配置されるだけの意味や対象などは、マテリアルですらなく、そこにリアリズムすらも欠如し、ただ、行われるためだけに置かれたものに対し、悪意をもって行為を行うのではなく、ただ、そこにあるから、そこなうものである、という行為の純粋さだけが、行為へと及ぼすことに善悪すらない。サイコパスと名付けられた彼や彼女らの慟哭を拾うようなニュースが徒に狂気をとりあつかうようなメディア的な快楽に垂涎していく者どものよろこびが氾濫し、そこで堪能する快楽こそが、いちばんの悪意であることすら気付かずに、何かを批判することだけが、自らの生きる道のように示唆する間に隷従するだけの支配的な何かから逃れるための情報や構造こそを排除すべきであるのに、キャピタリズムは依然として、自らの快楽に純粋であり、キャピタリズムとは、一般市民をサイコパスに変える機械であるかのように思い、ここでそこなわれる限りに陰る真実すらも虚偽であるし、やがて、清潔感を求めるだけの普遍性などが、生活を保つために、或いは、自らを誇示するために着飾るような風景が脳内を占拠し、そこで保身を生み出し、くみ取る是非などは、何かを騙すための畜生どもや、クズどもが奴隷にするためのコマーシャリズムを垂れ流すための迎合などを生み、そこで取り繕われるものに取り憑かれたものがゾンビと化し、自分の意識を失い、街中を徘徊し、喜怒哀楽すらも奪われ、のうのうとちんたらと蓄積される苦悩にも気付かずに無感覚で不感症のままに、感性を捨て去り、去りゆくことだけを思い返すような画面の中でのしあわせそうな風景に遭難しているような一過性の快楽の傀儡として、一貫性を持たされ、ただ、同じサイクルで債務をかかえ、最たる意味を忘れ、再現され続ける同じような日々の中でいびつなものを形成しながら、軽薄な者として、あたかもしあわせそうに普遍的な日常を同じように繰り返すのだ、と言い放つようなルサンチマンをかかえているような全体主義に反するようなマーチの最中で生み出すべき思想も枯れ果て、何かに左右され続けるほどに、査定され、婚姻へと引き込まれるほどに、補足される理由とは、法則的な苦しみの中や、宇宙の十全とした規律の中で、惜別を繰り返しては、自らの苦しみを往復するほどに、ここでの苦しみとは加速し、そこに用いられる領土を保つための戦争だけを続ける。
2017年8月15日火曜日
すべてとの乖離
世界が走りって、後に残るのはガラクタばかりだ、と語る君の目は純粋に燃えさかり、ここで語られるすべてとは、情念が張り裂けてから生まれたものであり、そこからはじまったものが、すべてであり、そこで語られるものだけが、理由を理由然としている限りに、そこにひろがるものだけが、自らを作り出すのであり、新しくなり続ける風景は、ここでずっと続くのだろうし、やがて消え去った後に残る滓や、とろけた後に熱情し続ける恋の模様や、フュージョンし、浮遊し続ける限りに、この命とは、死して尚、金に変わることもなく、漠然とした死だけを、今に引きずるのであり、理想なども潰えた後に現れるまぼろしや、慢性的な痛みをかかえ、ねばっこい苦しみを形作るだけの日々などは、何の意味もなくなるのだ、とニヒリズムに苦しむよりも、自ら踊る素敵さに気付くべきであるし、誰かが語るものなんて、語られた後の言葉に過ぎないし、そこで過ぎ去れば、場面は延々と転換され、観点を疎外し、剥がれ落ちる瞬間に理想は供給され続け、つたない意識はしいたげられ、視線をそらす君のうつむいた姿が美しく、屈折し続ける意識に接続され続ける情報などは、そこで常用され続けるものに偏り続けるべく、ベクトルを意識の外側へと放つほどに、軌跡とは踏みにじられ、不等なものを謳い上げ、自らを正当化するための保身や美談にからまる意識が、何かをごまかすためだけに、ためらわずに闘争へといたらせるような争いから、憤懣をこぼす季節は、自らが移り変わるよろこびに構築される美しさに気付かずに、今ある苦しみに論点を移し、考えの中で苦しむことすべてが、今の苦しみを生み出すことを知らず、楽しむとは、画期的な方法であるのに、そこで悲しむことだけが、自らを形骸化させ、枯れ果てる世界の中で涅槃をめざす君の願いなどは、尊くもなければ、そこで用いられる苦しみから逃れられずに、与えられた苦しみを繰り返し味わうべきだ、と理不尽に迫る雰囲気から超脱し、その先に現れるものだけが、君をものがたるのであり、もらい物ばかりの風景に後退していく意識は、未明の夜に鎮座し、沈積する悲しみに暮れ行くものを結い続けるほどに、豊かさを失い、自らの喪失感に悶えるような夜に方法論は崩壊し、世の常だ、と笑い飛ばすような諧謔にいたらずに、慢心が生み出す兵器的な夜に支配され、軽薄なままでけちくさい日々を仰ぐような愚劣なスタッカートに汚れ、揺動され続けるほどに生まれ出る怒りが補填し続けるシーンにからまる関わりから、加算される原理に散々な日々を反映させるほどに、自らの影に寝首を掻かれ、かかずらう意識は、今に浸る苦しみだけに偏りを示し、生きることの意味などを問うほどに、その意味とは遠ざかり、そこで与えられる答えなどは、そこで苦しむためだけにためらわずに毒々しいもので自身を苦しめ、そこで使命感を補うために保つものや、守るものが誰かの不幸により、カタルシスへといたり、理を持たずに、求めるだけの正しさとは、ただ、そこで何かを従え、虐げるためのゲームの中で、アカデミックなものこそエリートであるなどと空疎なメロディーを生み出し、いびつな観念が形成するのびのびになった儀式の最中に思い描かれるものに権限を移すだけの答えなどが、行為をまさぐり、何かを持つことだけが、ここでのすべてなどと間延びしていくだけの意識に与える影響が及ぼす汚れなどをとりはらうための儀式が加速し、そこでとりはらわれるための罪を与えられ、名付けられた途端に、そこで緊縛され、身動きも取られずに、ただ罪を解消させるための罰を自らに授ける間に預かる意味が、今に重荷に変わり、思えばわずらわしく、思わなければ、そこで蓄積される苦悩に犯されるだけにいたるような不浄な身体を納期し続けるような儀式的な生贄としての生活が、清潔感を謳い、そこで用いられる普遍性が編成するものだけが、物事を超越し、演じることだけに専念し、建設的な考えにいたらずに、ただ退嬰的なだけにいたらせるような儀式的な補完から、家族的なしがらみに閉じこもるだけにいたらせるような考えの中で問われるべきは、そこにある是非にあらず、そこであらがうほどに生まれるひずむから、リズミカルに消費され続けるだけの遊蕩な者が支配する時代に生み出される贋物の空虚さを互換し続けるだけのシステムの中で体現され、還元されるためだけにひた走ることから、傀儡として生きる従順さにウソの使命感を当てこするほどに、補完される苦しみとは、そこで互換され続け、同調するほどに、そこで魯鈍な者として生きることのが、生きやすいなどと麻痺した感覚がうながす関連するだけの日々が連動していくペシミズムから、便利な者や、簡単なものだけが処理し続ける善悪と勝敗が可能世界すらも破壊し、延々とまじわるパラドクスから、排斥され続ける論理的な証拠を補足するためのパラドキシカルな締結から、停泊し続ける意識は、そこで住まう者により、儀式的に昇華させられ続けることにより、自らを喪失し、そこない続ける意識は、行いの中で見つける正しさを知らずに、正しいとされるものに左右され続ける。
2017年8月14日月曜日
枯渇
妥当なものなどないのだから、考えていても、仕方ないものであるし、ここで葛藤する限りに、自らを保つことすらもできずに、襲いかかる不安などがよぎるような風景に嘆じるものも、物事の中では、小さな悩みに過ぎず、ここに用いられる不安などは、過去を利用し、今に理性をそこなわせるような無力さを生み出すだけにいたり、浸る感傷などは、今を対象にせず、ただ設置されるだけの疑問に呈するだけの理由をまさぐるほどに、魯鈍な苦しみは、今に不安を生み出すだけにいたり、増していく不安とは、焦燥感を生み出し、自らを醜いものに変えるだけに専念し、そこで捻出され続ける苦しみは、憎しみを生み出し、外に向けられる攻撃性が、結局は、自らを傷つけていることに気付きもせずに、何かを批判することにより、その苦しみを昇華させているようで、苦しみとは消えずに、不当な毎日を呪うように、自らの運命をも呪うようなコードが脳内を循環し、そこで純化できずに、過去にとどまるほどに、その苦しみとは繰り上げられ、そこでの苦しみを演じることが、自らのしあわせである、という誤認を生み、認識すべきものも、ゆがみ、そこで思い違いを生み続けるほどに、自分から懸け離れていく思いは、そこで停止し、過去から抜け出せずに、その場でもがくようで、実際は、過去への思いがさえぎり、今に苦しみを復元し、複製し続け、そこでの不安のようで、過去から持ち出された不安により、今の苦しみとは延々と増幅し続ける。蓄積された苦悩をさえぎるような純粋な精神の中で、そこで敢行され、継続される考えが寂寥たるイメージの中で折檻され続ける間にリフレインする自虐的な言葉が簡素な意味を吐き出し、答えを姑息なものに変え、問題に巻き込まれていく意識的な枢要さも、誰かの言葉に支配され、襲いかかる文字により左右される精神は、敬神を続け、或いは自己愛に耽り、自らを保つために、他者を傷つけるという性質的な暴力性を抑えるための機能が元々働かぬサイコパスどもが徘徊する夜をまさぐる君の化膿したこころに可能世界的な空想をひろがらせ、感染症をかかえた猫とカタルシスを分け合うような夜に緩衝すべき愛も、反証である、と促すようなペシミストどもは、自らの意見こそが正しく、それに同調しない者すべては、自らに反するものである、と攻撃性を増していき、何かを憎悪することでしか、愛を表現できないような者がおちいる時代錯誤から、散漫な意識は、過去から引きずるだけの意味を、ここでの答えとして締め付けるような独占欲を埋めるためだけに婚姻にいたり、そこで保たれるものなどは、いつかは摩耗し、千切れてしまうものであるし、そこで収納されるだけの名ばかりの愛は、出来合のものを崇拝し、何かを利用するために、誰かを支配し、そこで愛しているかのように仕向けるような芝居の中で簡素な愛にひたり、批判的な反応から、排斥されるための自由を謳い、そこでためらうだけにいたる精神が契約をほどこし、縫合されるだけの傷をひろげる作業を続け、そこでの苦しみを複製し続けるほどに強制的に抑圧される精神は、自らの苦しみの中だけで生まれるものを愛するような自己愛に耽り、自らを保つためだけに、何かを利用し、傷つけることを続ける。中空で死を眺めるような夜に洞察すべきは、生きている意味でもなければ、そこで定理を生み出すほどに、何かを踏み台にしてまで、自らの正しさを打ち出すような空疎な支配の経路をたどることでもなく、ただ、そこには何も無い、とうながすようなニヒリズムにひたるよりも、すべてを超え出て、自らに帰り着くことであり、そこでの不安などは、俯瞰を攻め入り、無感覚なままに、何かに支配されるよろこびを呈するような言葉に騙されずに、自らを強調し、そこで正しいとされるものを正しいとするような自らから抜け出て、自らこそが正しいとするような自らが産み出す正しさをも抜けだし、そこで正しいとされるものなどは、そこで刷新されもせずに、ただ過去から複製された答えを延々と引用し続けるような体系がこしらえたギミックに操作され続け、最たる意味も見出せずに、満たされない思いは、満ち足りないから、と奪うことに専念するだけだし、そこでエリート主義的な者が打ち出す独裁的な主観から持ち出される主体性などが、制度を生み、そこで支配し続けるための法で加工された精神などは、軽薄なものであるし、そこで正しいとされるものなどは、何かを奴隷としてまでも、ここで保たれるべきものに無抵抗なままに、苦しむべきだ、とうながし、ここで目的もなく、ただ同じような日々になおざりになり、あたかも普遍的なぬくもりこそが、あたかもしあわせのように演じるべきだ、とうながすプロパガンダやコマーシャリズムに犯され、本質的なものや、真実などは見せないように仕向けることに気付いているのにもかかわらず、無抵抗で無計画なままに、今を保つ限りに、苦しみとは生まれ続ける。
2017年8月13日日曜日
連動
連動していく意識が、星を収斂させ、ここでただよう面影も、誰かから借りたものである、と惜別する風景は、やがて、人工的なものを愛する欠如に苦しみ、みちびかれるほどに、遊蕩な者に支配されることに背反し続けることに疲れ果て、退廃的なものを生み出し、停泊する預言に引き取られる意識は、空疎なものを愛し、復元されるだけの現在に抱え込んだ閉塞感に苦しみ、密接な関わりを持つほどに現れる懸隔から、検閲を繰り返し、悦に浸るような輩が禁止するものこそが、本質的な愛であるのだ、と妥当な位置から引き取る観念がむすぶ儀式的な思いが、呪いを繰り返し、充当されるものなどは、阻めるだけにいたり、漁られ続ける意識は垂涎を繰り返し、求めるほどに欲しくなる精神は、捕食されるための餌としてしか、その存在を強調できずに、今を超克できずに、刻刻と迫るセンチメンタルなものや、ここで生み出されるメタファーにシンクロしながら、浸透する意識は、まがい物を崇め、ここで神としてたてまつるものが、自身に包蔵され続けるほどに、自らを喪失し、そこで埋め込まれるだけの意味や、そこに現れる神が生み出す姑息な気配や、そこで支配されるほどに増していく快楽が充当するものだけが、自らの苦しみを昇華させるのである、とうながす苦悩から、ここでやましいものをかかえ、かかずらうだけにいたる生死は、自らをそこないながら、出来合のものを愛し射止めることだけに専念し、真実の愛へと向かえば向かうほどに、その真実とは、現実に汚され、何も正しいものもなく、ここをただれさせ、物事を見えにくくするだけで、ここで知性を持たずに、与えられた答えがうながす義務に滞留し続ける意識は、短絡的なものを崇めることでしか、自らを正しいことのように感じられずに、そこない続ける存在を追従するほどに、今に屈従し、今に与えられる苦しみを永続させることでしか、自らの存在を確かめることもできずに、今にたしなめるものや、そこであがなうものが差し引きすることを往復する意識は、いびつな観念を形成し、寛容さを忘れ、いざなわれるままに、自らを屠ることだけを繰り返すような現実的な摩擦から、保身が生み出す面影から、思い出に加工されるだけのものを海馬がリバイバルさせ、理性をそこなわせ続けるほどに色あせる瞬間は、継続すればするほどに、そこで魯鈍なものに変わり、事実に硬直し続けるだけの現時点での僕らをうながすような懺悔だけが、自らを快癒へとみちびくのだ、という神的なまがい物から、そこで適任するものなどは、ここでの意味を迫害させ、ここでののしるだけにいたらせるような反照から、緩衝すべき愛すらも不潔なものに思うような不安定さを武器にするような退廃的な人格を形成し、物事に耽るほどに陰惨なものを愛し、あらがうほどに、何かを破壊するよろこびに耽り、気高くも残酷な者として、聖戦を謳いながら、犠牲をも厭わずに、問い続けるものが示すかたよりに寄りかかるほどに、よりよいものなどは、自らの尺度で生み出され、外から現れるものすべてを破壊し尽くしても尚、何かが足りない、と叫ぶような街角で定理などは見つからず、そこで身につくものなどは、醜いものであるし、朦朧とする瞬間に主観は定義を失い、そこで喪失感を重ねるほどに、寝返り続ける意識は、退廃的なものをかかえ、かかずらうだけにいたるような精神は敬神を繰り返しながら、長らくにとどまる意識は、あいまいなものをかかえながら、自らにそなわる女性的なものが適任していく今に敵意を見せる男性的なエゴから、迎合されるほどに、ここで蓄積されるものが生み出すノイズに飲まれ、郷愁へと改ざんされ続ける懐かしいように思える時ほど、残酷なものをこころの中で表し、そこで終わらせるためだけの形式に酔い痴れ、風景を破壊するようなものを生み出すための想像だけが、正義のように語られ、そこで傀儡のように生きることの容易さが生み出す苦しみが絶えず襲うのだ、とうながすような意識ほど、奴隷化したものはなく、そこで意識の奴隷として軌跡を踏みにじるような言葉を放つほどに、自らが腐ることを知らずに、そこでののしり、いい気になるような俯瞰から、無感覚に引き取られるものが、今をほつれさせ、そこでうながされる理由などのいっさいは、自らを苦しめるための構造を生み出し、そこで想定されるものなどは、今に苦しみを媒介させ、感情論的にうながされるものに左右され、そこで刷新されるためだけに、何かを書き換えられ続けるほどに、つくづくは、続く限りの苦しみを今に引きずり込み、そこでの苦しみを永続するための言葉を吐き出しながら、蓄積され続ける苦悩は、次なる苦しみを自らに売買する。
2017年8月12日土曜日
詭弁
繰り返される夜が静謐さをたずさえ、世界性を徒に消費しながら、観点を疎外させるなどと堅苦しく狭めた言葉でカタルシスをうながしながら、ここにそなわるセンテンスのひずみに揺らぎ、停泊する理由は、束縛されるほどに、身体をかわかせ、フィットすべき君の肌も、どこか違うところで感覚しているような感じられる。送られていく情報とは、微かにニュアンスを変えて、私たちを麻痺させているのだ、とうながすのだが、所詮は、その情報に左右されている方が、楽な者のが多く、自らに理由を与えられず、与えられる理由に利用されることが、価値へとつながるのである、と言い放つほどに、即席の理由は、自由を謳いながら、自らをも邪魔に思い、情報の中へと倒錯していき、自分とは何であるかを考える前に、自らを価値として捉え、それを測るためだけに、ためらわずに何かを犠牲にし、誰かを否定しながら、自らをも喪失していくほどに魯鈍な者が売買を続けるのだ、とコミュニストたちは、過激な理想を建ててはみたものの建設的に考えるほどに、破壊的なものにおちいるという欠如を生み出し、自らを導くべき理想も、思想を混濁させ、掻き乱される精神は、自らをかきむしるほどに、自らを神として崇め、自らこそが正しいとうながすほどに、認識力とは奪われ、客観的に自分を見つめることすらもできずに、純粋な破壊へとおちいり、自らのニヒリズムを収めるための空虚なこころに嵌め込むべき理由たる思想をコードに変え、書き換えられ続け、自らを破壊の神へと変化させる。偶像崇拝を続ける支配的な者の物陰にたまる腐敗したものがうながすレジスタンスやらがやかましく、やらしいムードを称えるような繁華街におちいる闇ばかりが生まれるなどと謳うような独善的な者が騒ぎ立てることのが、よっぽどうるさく感じ、そこでがんじがらめになっているものが、かんじんかなめなものを見落とし、そこで対立するほどにどちらもおちいる闇へと吸い込まれ、自らこそ正しいとうながす保身のための言葉が、高揚感をそこなわせ、そこで確実に死に至るまでの風景をたずさえた絶望が、有する過程に価値を強請りながら、内面的な戦争から、専横されるほどに、現れる僥倖や、競合するほどに、軋轢は生まれ、そこで懸隔が生まれ、うだるような暑さの中で射止めるべき世界も、出来合ものを与えながら、それで満足すべきだ、と表紙に乗るような普遍的な家族という洪水に飲まれ、マイホームという閉塞感に苦しみながら、居場所を探し悶える君が焦熱し続ける先に現れるシステム的な現れに生まれる敵愾心などが、新たな闘争を生み出し、何かを踏み台にしながら、朦朧とした意識のままで、ちぐはぐな今日を終えるためだけに、絶えず続けられる生命とは、何を理由にして動くのか、と悩んでいる隙間にも闇は迫り、その闇の中で測られるだけの出来事に吸い込まれ、自らを未熟なままに措置し続けるような空しい言葉に砕身していくほどに、名ばかりのしあわせとは、そこでのしあわせを奪い、ただ次なるしあわせのために、空しい作業を続けるのか、と生きる定めとは残酷にも使命を持ち合わせておらず、ただ継続されるままに引き伸ばされるようなものであり、そこで生まれたペシミズムに飲まれるリリカルな少女の毒を飲み込んで、魂胆も引き裂かれ、ここで混同していく意識が、やがて根幹を腐らせ、感覚をも奪うような倒錯へとおちいらせる間に色あせる瞬間は、永遠に飲まれ、そこで無に変わるよりも、そこでの時間を永遠に引き延ばされ、そこで絶えず進行していく限りに乖離していく現時点は、理解を深めるよりも、そこで忘れるべきである、とうながすことに反し、そこで語られるペシミズムなどは、そこでの永遠性を深めるほどに、自らを深みに嵌め、その闇に引きずり込もうとするのであり、そこで林立する問題などは、提起されず、問題である前に、過去から流用されたものを引き合いにだし、今を苦しめ、永遠に引き込もうとするための詭弁を続け、追憶に潜む、もっとも暗い闇から引き落とされるだけの精神的な苦痛が安易な安住の地などを求め、理想を追い求めるほどに、理想との懸隔は生まれ、そこでの間隔を奪うための闘争が延々と続き、自らを傷つけることだけに専念し、デカダンな輩が見出す過去からの病から、過ちにいざなうだけの有用な史実に感応すべきだ、と言い張る答えなどのいっさいは虚偽であるし、そこに用いられた途端に、答えとは、脅迫的に迫り、自らを納得させる前に、その答えが、答えであることだけが重用なのだ、と強制し、そこでの答えに反することは、いちばんの罪であるかのように迫るような答えなどは、答えにいたる前に、答えであることの大切さだけを騙るだけであり、そこでの正しさなどは、正しいとされていることだけに通用するだけの正しさであり、それに反するものすべてを悪として捉えるような正しさなどは、正しさにはいたらずに、何かを蹴落としてまで、自らこそが、正しいのだ、とうながすような正しさなどに、正しさなどは生まれないの、だ。
2017年8月11日金曜日
名ばかりの愛
二人の愛とは、世界と共有すべきではなく、部屋に閉じこもり、二人の愛を深めるべきであり、どこにも出かけない限り、二人の愛を引き裂くものはない。ただ、引き裂くものがあるとすれば、いっしょに居ても、抱えて、感じてまう孤独である。孤独だけは、分かち合うこともできずに、互いが抱える孤独は、簡単に何かを壊してしまい、自らをも、破壊し尽くす。長い間に囚われた豊かな交錯から、互いに浸透するものが、思い、考え、煩うことすら忘れ、孤独な長い夜をあたため、もう冷めないように、とあたため合う限りに、愛は永続し、時間に囚われず、老いすらも超越し、互いの間で和解し、熱く火照る身体を癒すような風が吹き付け、ただ広い空間に置き去りにされ、認識することすら不潔に思うような純粋さが、空間的なものを取り払い、愛に入り混じるものが、全体性に背反し、用いられた背徳などは、その場での罪を解消するための、独善的なまがいものに変わり、瞬間は永遠にほどけ、循環するものが痛みや不安を取り除き、永続的な安心感を引き出すような愛が、季節を封緘し、いつかの面影に引き取られ、対象として捉えるだけの存在から、自らの確かさを生み出すための大切な存在へと変化し、体制的なものや、現実的なものに囚われぬ限りに、愛とは、その場での永遠性を深める。関するものが阻害するだけにいたる世界に閉じ込めようと強請るだけの国家すら煩わしく、もたらされた必然性などは、制度の中で膠着し、個人的な憂鬱を生み出すだけにいたり、確かな愛すらも、足枷に変えるような世界性には用はなく、ここで果たすべき義務を謳うほどに、愛とは破綻する。瞬間的な愛は、今に順応しようとも思わずに、互いの愛を貫く。そこにあるものも、夢となんら変わりなく、ただ有り、認識することにより、その場に有るように思えるだけで、現実に吸い込まれ、何もなかったかのように、次の場面に展開していく。置いていかれるだけの存在の危うさをとどめるべく、抱き合う二人は、永劫の調べを進め、互いの身体に書き連ねるパスワードを書き換える現実との対立を続ける。恋と愛の違いを雄弁に語ることにより、愛によりかかる思いを焦熱させ、愛するということに距離を置き、立体的な物事との差異を測るような理論的な洪水にのまれ、自ら愛することに疲れるという作用をもたらすような愛に蓄積していく苦悩が、浪費し続ける精神にとどめを刺すために絶えず自尊心をうながすような逃避から、還元されるための愛がもたらす空しさから飛躍すべく、愛するということから離れる彼や彼女らの鈍痛が泣き叫び、氾濫する意思に反し、かかずらうだけにいたらせるような功名心を求めるだけのネットワークから放たれ、自由であることとは、自由を有するにあらず、ただ、現れるものを純粋に知ることから、自由という名ばかりのものから放たれ、自由であることにより、求められるだけの自由から離れ、自らを愛することを始める。愛するということを知らぬ限りに、誰かを知ることはできずに、ここで陳腐に交わされる愛などは、何かを買い取るための価値を互いに与え、とがめられるだけにいたり、いたわることを忘れ、浪費し続ける思いは、システマチックになり、自らの意志を損ない、そこで純然たるものを用いずに、いびつな愛をかかえ、重なる思いは、重篤な病にかかり、悩まむほどに苦痛は増していき、逸脱できずに、愚かな自己を虐げることにより、快楽は増し、快楽の傀儡として、自らを屠るための自己愛を形成し、自らを苦しめることにより、自らを認識し、存在を確かめるような行為が引きずるような思いとは、今に悲観し、貧寒なものをかかえ、混濁する意識に蘇生され続ける苦しみをよみがえらせるための呪詛を過去の中で続け、つたない愛は、疎外感をかかえ、ルサンチマンに陥る。恨み辛みを吐き出すだけの苦悩は、誰かに責任転嫁し、自らの苦しみとは、外から与えられる影響にだけ左右されるなどとうながす限りに、その苦しみとは乗り越えられずに、そこで苦しむ限りに猛る思いは、自らを苦しめるように、他者をも苦しめ、自らの苦しみの領土を広げ、世界全体にその恨みをもたらせ、すべてを破壊するためのコードを生み出す。その苦しみをくみ取るのは、自らだけであり、そこで改ざんされるだけの今に機能していく苦しみに順応するほどに苦痛に従順とし、本質的な愛は自己愛によりねじ曲がり、生まれたままに用いた純粋な愛とは、ゆがんだ自己愛により病を加速させ、自らだけが苦しんでいるのは、誤りである、と外に向けられる敵意は、やがて大きな敵愾心に変わり、テロリズムを誘発させ、自らを破壊するための儀式のための生贄を探し、その敵意を他者に向け、その攻撃性という愛は、ただ純粋なままに暴力を誘発する。あらゆる愛とは暴力的なものであり、独占するため、所有のために偏りを見せる。愛とは、互いをとがめもするし、破壊にいたる場合もあり、散漫な愛がプロセスを形成するほどに、愚鈍な争いは強化され、強固な意志を用いる愛ほど、自らをゆがませていることにも気付かずに、自らを愛し過ぎるが故に、傷つけ続けることにすら気付かずに本質的な愛にいたらずに、本性を隠し、今を錯綜し、豊かな愛にいたらずに、何かを破壊することに原理を見出す。その原理をひるがえすために、私たちは生きてる限りに希望は失われず、用いられる理由に利用されずに、理性を保ち、心ない何かに苦しむこともないのであり、理想などを用い、何かを破壊にいたらせるような者などの支配から抜け出すための希望を持ち続ける限りに、愛は廃れず、自らをも傷つけないのである。
2017年8月10日木曜日
官能的な昇華
誰にも届かぬ祈りに迫る夜が、真理を打ち砕き、論理に疎外され、ふるえる今を体感し、かかずらうだけにひろがる闇が心地よいように感じるようでは、この夜から逸脱できずに、用いられる位置は、今に折檻を加え、あらゆる阻害を加え、相対的なものへと加工され、名付けられた途端に、苦しみとは、陰惨なものをモチーフに貧相な主体をかかえこんでは、混濁する現在にひれ伏すだけにいたるようなあいまいさを含み、そこに用いられる差額や、与えられた差異などが陰鬱なものを用い、衝動性をそこなわれ、そこかしこで点滅する孤独は、今を苛むことだけに刺激を加え、言葉数も少なく、幼稚に励む愛から、混沌としていく子宮の中での論争から、カラカラに乾くほどに、ほどける生命は、創造的な飛躍をめざすべく、ベクトルは、意識を旋回し続け、ここでとどまるな、と泣き叫んでは、そこに現れる怒号が、目を覚ませ、と神的な支配から抜け出すべく、自己に帰還するような旅路へといたるような哲学的な夜にからまり合う性的なノイズや、森羅万象をむさぼるだけの人類のまやかしなどが卑劣なものを忍ばせ、ここで騙されることだけが、自らを生きやすいものに変えるのだ、とうながされるほどに反するのが私であるし、ここで語られる私などが吐き出す要理にひしめく詭弁めいたものが、寂寞の中での白昼夢を生み出し、白痴どもが徘徊する博打的な夜に手を打つことなどできるはずもなく、論理的な抵抗こそが、行動を越えるのであり、そこでの行動などは、何かにうながされる限りに限りあるものに変わり、或いは、陰りを生み出し、日だまりに出ることもできずに、深い闇に措置される受注されるだけの快楽に錯綜するほどに、この生命とは、あいまいなものをかかえこみ混乱し続ける意識は、魂胆を忘れ、ただ批判し、罵倒し、罵声を浴びせるだけに終えるのだ、という過ちを屠るだけの終わりをうながすだけの否定的なルサンチマンで終えずに、ここでの否定とは、何かを乗り越えるための正しさに迫害され、ここで追求するものに追従すればするほどに、物事との懸隔は生まれ、ここで奪われる思考停止におちいるだけでは、横溢するものに飲まれ、物質的な猶予から、現実的なよりどころに虜になるだけだし、出し抜くことばかりを考え、大切なものを拒否し、そこでの愛を荒んだものに変えるのだ的な宗教的な汚染から、同情を謳うばかりで、自らの保身に走るだけの悲観的で受動的な輩が打ち出す成果などが示す正解などは、世界性を用い、何かを支配するためのでたらめなものであるし、ここでの服従すればするほどに楽になるのだ、とうながすような世界から居なくなるようなよろこびを放浪し続け、哀感に浸るよりも、ここで悲観せずに、感知し続ける限りに、継続されるものだけが、本質的な愛を受け取ることを教わるのだ、という結論に浸るままでは、ニヒリストで終わるだけであるし、やがて渇望するのが、この欲望がへだてるだけの惰性さが織り成す生命的な法則なのだ、と宇宙的な狂乱者がうながすカタルシスのカラクリを説き明かすために、コマーシャリズムに占領される前に、その普遍的な毒素が脳内を汚し、気配を消してまで、君を抹消するための言葉を巧みに操るような私こそを拘束し、処刑台へと送りべきだ、などとうながすようなペシミズムをかかえた自己が混濁へといざなう前に、この夜をとろけさせるような愛を受け取るべきではあるが、私といえば素直さは、自らに帰するものであると思うし、やがて重なる愛とは、何かを腐敗させるものであるし、愛が用いる力の強大さに飲まれ、自らを裁くことでしか、正しさも見出せぬようになり、担うべき愛も、その愛の重みに耐えかねずに、体系的なものに飲まれ、そこで携帯するものだけが、自らを守るのだ、という機械的な結合から、結論とは束縛され、そこで捕縄され、独房へと入れられ、自らの罪の意識を永遠にかかえるのだ、と語る悲恋から、悲観的な洪水に飲まれ、感覚的な潤いを求めながら、詩的な能動性だけが、制度を飛び越え、疲憊しないで、今を渡りきるような高次へと運ぶのです、と自信ありげに語る健気な醜さにほれぼれしながら、何かに骨抜きになることもなく、答えとは、今を引きずり、答えを引き伸ばす限りに陰る本質は、何かを保つために何かを引きずり下ろし、何かを棚に上げ、何かをこき下ろすためだけに利用されるような領土を保つために、ここでの闘争は続けられ、同じような過ちの間に迫る過ちに背反するような者が現れても、その者が力を手に入れ、同じような過ちにいたるような連鎖的な渋滞から逃れるために息も絶え絶えになりながら、悶える夜は、真理よりも、神秘的な星のにおいや、殺伐とした脳内で受胎し続ける文字という子供が虚空をかき消すからこそ、人間的であるよりも、その人間的なものから逃げ、颯爽と駆け回りうそぶくトリックスターのように生きるために、互いに欠乏を謳うような輩が示す思想などにおちいることなく、自らの意志だけが、潤沢な資源を脳内で生み出し、それを文字に変える間に存在とは、存在から抜け出し、自らの無や有限や無限すらも超越し、ここで続く限りに永遠からも乖離し、続くほどに瞬間的に切り離されていく私は、どこに存在するわけでもなく、瞬時に今を飛び越え、未来を漁り、過去を葬りながら、高揚感と共に自由を弔い、多幸感へと自らをいざなうような昇華を続ける。
2017年8月9日水曜日
夜の国
砕けた眠りをかかえて、不自然な夢の中での寂寞で謳歌するような瞬間に感情とは弾け、そこで尊さなどを見つけ、渇望し続けるほどに、論理的なものにおどけ、ここで遠ざかるような面影などは、その場での感情に左右されるだけで、正しさとはほど遠いものであり、そこで利用されるだけの者は、代用品としての生き方を瞬間的な爆発をこしらえ、行動的な疎外感やら、孤独感に苛まれる以前に、ここでの生とは、不必要なものに囲まれている云々と語るよりも、ここでの生命的な飛躍をめざすのだ的な昇華よりも、ここでの静寂をたしなむように、過去にとむらわれるだけの思いに群れるだけの者から離れ、胸裏にひしめくドキドキが統合され続けるほどに、正常さなどはそこなわれ、損害などを訴えるだけの屁理屈な輩が這いつくばるような明日などから離れ、願い事などは、ここでの尊さを不要なものに変え、赤裸々に歌うべく、へたくそながらも、ここで響かせる思いだけが共鳴するような夜に潜む者がひそひそ話で語り続けるものなどに耳を塞ぎ、何かを変えるとは、簡単にするよりも難しくあるべきであり、そこでそこなわれるだけの生活に清潔感を求めるよりも、よりソリッドにいたり、寄り添う者を傷つけるような鋭さがなければ、そこで排除され、排外主義に犯され、何かを受け入れることを拒否し続けるようなナショナリズムに偏り、名ばかりのナショナリストは、戦争がしたくてたまらないような、はしたなさをかかえ、果てしない悪意をかかえこんでは、混濁する意識の中で受注し続けるものにしいたげられるような結末を徘徊しながら、明日のしあわせなどを願うことに吐き気すら感じるし、偏るだけにいたる者が示唆するものなどは、境界線を与え、後悔を埋め込み、埋め合わせのために何かを騙すことに専念するだけにひた走るような快楽主義的な開発から、自己啓発的な空疎な言葉が、似合うのだ、と彼女たちは、現実主義的な諦観に犯され、起きることにも嫌気がさし、この空想や仮想でしかない世界を確かなものにさせるための認識を執り行うためにインサートされるものや、衝動性に支えられ、欲望に狩られるほどに、欲そのものに狩られるだけにいたり、何かを借り続けるだけにいたり、ダレた主観から現れる醜いものが零れるほどに興奮する私は、不羈なマゾヒズムであるかのように思われても尚、その醜さにほれぼれするようでいて、本心では飽き飽きしているだけであり、あらゆるものが措置するものの退屈さが生み出す体系的な苦悩を取り除くべく、このベクトルは、散漫な怒りを拒否し、そこで等差を生み出すほどに補足され、等閑にいたらせるだけの虚偽をばらまき、共感などを謳うものに吐き気を催し、朦朧とする意識の過程が生み出すセンテンスに何度も刺されながら、脳内で純化される綺麗事などをきれいさっぱり排除すべきだ、と甘酸っぱい初恋などが訴える間にとむらわれるべき理想などを葬る先を考え、自らの意志のためにかなぐり捨てたものなどに未練すらもなく、ただひたすら進む先にすすり泣く者の哀れを感化させるだけのあいまいな言葉に削除されながら、この長い意味の中に沈殿していく意識は、沈み込むほどに、自らの孤独の中で静かであり、孤独の中で対話を続ける先に現れるものだけが、自らを昇華にいたらせ、そこで逍遥し続ける意識は、商業的なものに利用すらされずに自由なままであり、その自由すらも求めぬからこその自由であることを知ることから、自由という名ばかりの言葉を爆砕し、いっさいは、ここでのビッグバンを終え、無から汎用されるだけの不潔な原子や分子や、構造的な排泄から、掃きだめから引きずられただけの孤独な観念などが脊髄を通過し、ニューロンを破壊し、脳天を引き裂き、あふれ出る血の勢いで目覚めるような哲学だけが、ここでの倒錯を収めるのです、と硬質な者が騙るから、ここでの詭弁あふれるきめ細やかなノイズの洪水に流され、高次であることなどは、醜いものであるし、あらゆる好転を望むほどに、愛とはほど遠くなり、ここでほどこされるものに毒されるだけにいたる夜に唾を吐き、天使すらも潰えた後に神すらも捏造されているのだから、天使などは、はじめから存在しないのであり、ここでの神とは、人間が生み出した私利私欲の化身であり、何かの形式を使い、愚鈍な者を製造するための接続から、寛容を用いずに、何かを排除するための秘訣を訴える間に寂寥たるものは、騒々しいものにしいたげられ、ここでの正解などは、世界を世界として正しく認識させるための詭弁であることに気付くべきであるのに、君はといえば、君であることを諦め、あらゆることを否定し、批難し、自らの首を絞め、悲観的な快楽に浸るようなデカダンスに浸り、ひろがる世界とは、勝ち誇るための汚物をまき散らすだけの世界であり、あらゆるものは、ひとつの力へと引っ張られ、あたかも、自分の力のように扱うから、その力の扱い方も知らぬから、自らを引き裂く前に世界を引き裂くのであろうし、与えられ、あてがわれた世界などは、そこでの世界をあたかも真っ当で扱く自然なように魅せることだけに専念し、本質的な正しさを捨て、見栄えばかりを気にしては、自らの間違いも改めずに、誰かの間違いを正すべきだ、と拳を上げて叫ぶような輩もやかましいが、何もしないで、文句ばかりうながすような奴らもうるさいから、ただ、しじまにとろけるようなこの熱情が、表現や行動を越え、自由であることも忘れ、有限や無限すらも持たずに、うやむやな夜に消える。
フラクタルな愚行
互いがぶつかりあって、入り交じる瞬間に、星の終わりのコアや、声色や、ふさぎ込んだイメージに転化していく感性が焦熱し、時代性の陰鬱さに妨げられるよりも、より獰猛に示す値から、死滅していく今をさかのぼるだけの空疎な独り言や、孤独感にさいなまれるほどに、恐怖とは滲み、自らに染みいり、示されるものなどは、終末論を生み出し、自らのペシミズム的な構造に快楽を求め、追従していく意識は、今を重複し、服従することだけが、憂さ晴らしになるのだ、とリベラリストどもがカタルシスをうながす原野に咲き誇るべき黄金の花や、見くびる先々で怯えるだけの日々に証言を残し、限界を作る制度から、カラカラに乾いた異次元で最たる意味を喪失し、足りないものを補うほどに、喪失感を宿すようなロジカルな帰り道には、アイロニーばかりがうるさく脳内を循環し、よろこびにいたらずに、自己中心的な錯綜から、瓦解していく意識的な汚穢に降り注ぐ顕示欲や、現時点に位階を生み出すだけの体たらくな冒険から、死に損ないの明日から、蓄積される緩慢な理想などが、今を騙し続けるだけに堕落し、フラクタルなものほど、同族嫌悪に陥り、自らこそが、正しいものである、と宣言する隙間がかかえる理想が、思想を持ちだし、自らこそが、正義である、と惰性にみちびかれるものに嬉嬉としている様が気色悪く感じ、寛解することもない病を捏造しながら、自分を騙すことで遷延する者が、物事に軋轢を生み出し、絶えず闘争を導くほどに怯える先々で締結していくものが、諦観をうながし、提携することでしか、自らの力を強調できずに、そこで強調されるものも、同調を求め、同情へといたらせるべくうそぶく始末に嗚咽をうながす君の感情論的な束縛から、現実的なだけで、適当に適応することだけが、この世界での役目を果たし、役割に背負わされた義務や、担う意味の中で、正しく思考することだけが、ここでの生き方をたやすくするのだ、という哀れを加速させ、ひた走る先に衝突することすらお構いなしに進むことがエゴイズムように語られるが、それは単なる独善的であり、当然だ、と蹴落とす先におちいる闇しか生まれず、そこで屍骸と化するだけにいたるのに、何をそんなに誇示し、堅持しているのか、と形而上的に示されるものに絶えず証拠を残すことだけが、この存在をぞんざいなものに変えるのであり、そこで不確かな何かを追い求めることだけが、自らを癒やすのだ、と人の皮をかぶった家畜たちは語るが、自らを懈怠に気付かずに、何かを着込んでは、自らこそが主役であるだ、などとうながすような自由などは、自由に利用されるだけであり、デカダンなままに何かを想定し、そこで蓄積される苦悩に支払う義務などを与える間に応じる答えなどは、答えに達する前に、構築され続けたものに加工された義務を愛してるようなふりをして、自らを善人のように仕立て上げ、善意を押しつけ、そこで与えられる疑問にすら答えられずに、適当に与えられた答えに偏り続けることでしか、自らを認識できぬような者に存在は与えられず、そこで軽薄なままに存在の軽さに苦しめられ、そこであらがうこともしないで、支配的な余韻に因果律や、合致するイズムや、そこで意地になり、担うべき意味もそこない続けることが、行動のように騙られ、便利になるほどに利便性だけを求められるなどとうながすようなナチュラリスト的な補完などが示す自然回帰などは、自然の本質すらに気付かずに、自然の驚異を知らずに、自然に帰ることこそが、ここでの疲れを癒やす的なまやかしを用い、そこで適応できずに、そこで苦しむことから逃れるためだけに絶えず何かを騙すことだけが、自分を守ることなど、とうながすような者が語ることには耳も貸さず、ここで重用とされるものなどは、自らの重篤さに気付かずに、自らの行いだけが、何かを正す的なまやかしに騙され、絶えず何かとの闘争を企み、そこで蓄えられたものを収奪するために集団心理を利用し、能動的に生きさせないように、生きたままに遺棄し、善良な市民を演じさせるための法で加工し、罪の意識をたたき込み、互いを監視するわりには、互いに無関心だ、という矛盾を孕みながら、誰かを嫉妬し、何かより勝るために執り行われる義務の中でしか、自らを認識できないような者が左右されるコマーシャル的な普遍性に締結していくだけの意識が生み出した衆愚の中で、自らの役割を見つけるための演出がほどこされ、どのように生きるかを示されないから、と自らの生き方すら見出せぬような教育などは、何のための教育なのか?とほどこされる意味に縫合されたままでは、自らの傷を縫い合わせることすらできずに、誰かに縫われるために今にさまよい、今に見失い、何かに流されているほうが楽だ、とフラクタルなものに陥り、そこで与えられた秩序だけが、自らを守るなど、とうながすことが、正しいことのように扱われ、厚かましいものが慢心を生み出し、閉塞感を打ち破ることもできずに、ここで出来合のものを信じ崇め、そこでたてまつられたものが、神と名付けられ、退廃的な産業に駆逐され、自らの残骸を愛するだけの退廃的なモジュールとして生き、軽薄なものに接続され、観念の安寧すら保てずに、用いられるものに中庸を毒され、どちらかに偏ることだけが、自らの正しさを演出させるのであり、そこで円熟するものだけが、自らの正しさを弁証法的に飛躍させるなどと甘い言葉でいざなうような陰鬱な支配の気配から、ただよう軽薄な理想などは、理論を構築させ、高次へといたらせもせずに、ただ体制が設置するものに物事を決め込まれ、ひとひとりすら守れずに、何かを保つための闘争から、倒錯し続ける先にうながされる平和などは、平和を保つための戦争を利用し、理由を用い、何かを保つために摩耗し続けるような矛盾にすら気付かずに、自らが正しい行いをしているように思わせるだけの詭弁に利用され、領土を奪うために、或いは自らを潤わせるためだ、とうそぶくような輩が用いる金銭的な毒素から、独創性を奪うための憎悪を利用し、争いにこそ、能動的であるべきだ、と語るようなプロパガンダが横行し、今を利用し、理性を奪わせ、欲のために欲を使い切るべきだ、というベクトルに向けるための無神経な排除を続けるような改正を続ける。この世はサディストばかりだ、と閉塞感に汚れ、今の悲しみに擁護されているだけでは、何かの抵抗に巻き込まれ、自らの意志をそこない、誰かの力こそが、自らの力に変わるなどという幻想に飲まれる前に自らを見出し、自らの力だけが、位置的な至福に騙されずに、絶えず己の価値を乗り越える限りに家畜として終わらずに、今の苦しみを超克し続ける。
2017年8月8日火曜日
影
言葉が影を背負う汚れた街だ、と彼女がカタルシスを求める文明的な快楽の果てで子宮的な環境から派生する母性的なエロスから、観点を疎外されるだけの論理的な洪水にのまれ、自らに供給されるエゴが関係性を無数に引き延ばし、快楽的な階段をのぼり、能動的な迫害から、惰性なままで欠如を見出す彼女の呪いから、収斂される先に叙情的な渇望を生み出す空の色の純粋さも知らずに、このロマンに浸り続けるだけの退廃的な模様からあふれる銀河との統合から、甘美な瞬間に主体性は破裂し、もたらされる制度に発芽する、瞬間的な需要や、ここで収容されることにより、自らの束縛や、いびつに速度を増していく彼らの暴虐な内面性に秩序などは崩壊し、アドレスひとつで、快楽へといざなうだけのエスカレーターに乗り、強要されるほどによろこびは増していくのです、とマゾヒストどもが、ドメスティックな夜に一貫性を求め、用いられる制度の中でしか、寛容さを用いずに、そこで知性を持たずに、何が生命か、とうながす哲学者も、同じような作用の中で物質的な快楽を求め、とめどない怒りが循環する先々での対立から、不潔に交換される意味に高揚することでしか、自らの苦しみを解除できずに、ここで心象はとがめられ、引き裂かれ、数々の自堕落な風景の中で転じて行く詩情から、生命の起源を潤わすために、何かを殺めるような隙間から、衰亡するだけの過程に締結していくだけの生命的な充填をほどこすためにおどけ続けるほどに、奴隷になるような主観から生み出されたものが秩序であるし、やがて、はつらつと生きることもできずに、生きることがつらいのだ、と仮象から生まれるものにのまれ、自らのちぐはぐさ加減に嫌気がさし、散漫な儀式の中でしか、自らを認識できずに、出来合のものを崇めたてまつる間に肥満化していく意識が参画するものに支配され、緩慢なものへと変化し、感性をほろぼし、放浪し続ける先にシステム的な段階へとのぼり、性善説などを謳い、同情を謳うようなプロセスに嘔吐し、そこで統合され続ける意識は、宇宙的な飛躍にいたらずに、無は、一律の悲劇を加工し、そこで終わることだけに生命は費やされるべきだ、とニヒリズム的な簡素さにはまり、贋物の価値が支給する理論に理性は閉じ、透徹できずに、汚れたものとして、システマティックな街での一貫性を求めるほどに、自らの苦しみとは増していくように思えるのだ、と彼女たちは、論理的な考えにいたらずに現実的なものへと飲み込まれ、混同し、同化するほどに道化どもがうながす獰猛な理想に供給されるものだけが、今日を生き残る糧だ、などとうながすほどになじられるだけにいたり、ここで浸るものだけが、物陰に隠れ、ここで攪拌され続けるほどに些細な意味に強襲され、凶暴性を増していく意識は、思考停止にいたり、今にひたり、悲観するだけにいたり、いたわることをわすれ、徒に消費される日々を周遊し、融解し続ける先で分裂していく意識は、義務感にさいなまれ、屈従することでしか、自らの正しさを認識できずに、出来合のものを通過していくほどに、魯鈍なものへと変わるだけの強度から、都会的なまやかしから、緩慢な意識が垂涎し続ける先に僥倖などは訪れず、求めるほどに、懸け離れていくのが、ここで提起されるものであることに気付きもせずに、同じような過ちの中で、同じような思想を持ち、もたらされるものに反するほどに、ここで魯鈍なものになりかわるだけの言葉をかけ、改善されずに、ただ散漫に緩衝していくだけの愛だけが、大切なもののように扱われるほどに、そこに圧がかかり、圧壊するだけにいたるような愛を崇め、その愛を求めるほどに、愛とは、愛することを忘れ、愛されるために、自らを高次にいたらせることも知らずに、愛を騙るような詐欺まがいの街並みにひれ伏すことなどせずに、設置されるだけの暴力的な愛が、今を無感覚に変え、課せられた罪に連帯感を用い、そこで苛まれるだけにいたるような精神などは、自らをなぐさめるために、何かを否定する。最たる意味を喪失し、探すほどに、ここでの差額を埋めようと目論むだけの黒々とした思いが知性を持たずに、ただ制度の中で支払われるための義務へと転化していくだけにいたるような闘争を続けるだけの空しさをかかえた人混みで収容されるだけの意識とは、孤独を恐れるばかりで、何かに対置されるものだけを正解のように扱い、世界的なまぼろしにつつまれ、矯正されるために行列にならび、自らを正そうとするほどに、屈折していき、逸脱することもできずに、一貫して順良な市民を演じ、順応していくほどに、自らは失われ、何かに名付けられるほどに自らの魯鈍さに気付かずに、傀儡として生き、道化として生きることを知らずに、ただ与えられる影響だけに左右される。
2017年8月7日月曜日
瞳孔
結末においてけぼりをくらい、滑落し続ける意識は、短絡的な模様にからまり、神経をとがめながら、とっかえひっかえに何かを愚弄し、見くびる隙間に現れる簡易な感情を削ぎながら、今にあらがい、卑劣な者がうながす空疎なものに怯えるだけに顛末とは、横行するものに強奪されるだけの今を悲観し続けるつたなさに過激な理想を用い、何かを収容するだけの独裁的な者が謳い続ける法につたなくからまる隙間から、現れにほどこされる苦しみに媒介し続けるだけの堕落した意思が放つものに陥落し、落胆し続ける精神は、正否を求め、そこで横溢するものに飲まれ、自らを喪失し続ける先々で愚鈍なものになりかわり、課せられる意味や、負担し続ける先に現れるであろうしあわせなどが、今を埋めるためだけに、ためらわずに攻撃を続けるだけに連動する怒りが今を破壊し続けることだけに専念するような法の中でしか、我々は存在しないように思わせるような仕組みから、巧みなウソを使い、今にちぐはぐな理想に飼い慣らされるだけにいたらせるようなものから脱走すべく、この夜のすべてとは、まやかしを理想にし、そこで理性を保つかのように思わせるような操作から、そこで淘汰されるだけにいたらせるような思いにひしめく被害者意識を加速させ、そこで枷をはめられ、世界性を奪われ、自らの未熟さに気が付かずに理想を追求するほどに魯鈍なものに変わり、そこで変化を求めるほどに止めどない苦しみは、誰かの理想を騙り、むさぼり続けるだけにいたるような身体から乖離すべく、すべては、そこで希望を用いずに、帰巣すべき場所を求めるほどに、止めどない苦しみは、安易な自由を謳いながら、退廃的なものに変わるだけにいたるような矜恃から、倫理観を謳うほどに、倫理からほど遠くなり、そこで正義をかかげるほどに、悪におちいるだけにいたるような攻撃性を蓄えるだけの正義とは、権力を用いた時から腐敗するためだけに、自らの内部を食い散らす者が支配を続け、そこで私服を肥やすための都合の良いものを生み出し、そこで復権され続けるだけにいたる力などは、今に誓いを用い、自らに隷属するための法で加工し、次々に苦しみを生み出し、そこでちぐはぐになる誓いは、自らの汚れに気付かずに、用いる理想により、強制的に執行され続ける苦しみを敷衍させ、そこで延々と生み出される苦しみから、はみ出せずに、そこで見続ける未来などは、そこでの平衡や均衡を保つための理想の中でしか、自らを正当化できずに、今に生み出される苦しみの餌になるだけの無知な者どもが閉塞的な闇で買い取り、飼い慣らすだけのルサンチマンやペシミズムを加速させ、そこで加勢し続けるだけの意識は、何かを破壊することでしか、自らを満足にいたらせずに、接続され続ける大量の悲しみを武器に、自らの未熟さをさえぎるような怒りだけに支えられ続けるような思考では、何かを変えることもできずに、同じような権力を率い、同じような過ちをくり返すだけにいたり、理想とは、理想の中でしか、その理性も保てずに、知性すらなく、そこでの誤りに気付かずに、自らを追いやるための闘争から、そこで統制を謳い、堅持するための既得権を守るための言い分けを繰り返し、自らを正当化するためだけの闘争や統制は、映じるものの中での不潔な役割として悪を作り出しごまかす。そこで騙され続けるだけにいたる安易な精神は、簡易なプロセスの中で屠られるだけいたり、ひたり続ける今に痛みを生み出し、媒介し続ける先々で依存し、尊厳などを謳いながら、この存在の軽佻浮薄さに苦しみ、自らの損得だけが、善悪の是非を用い、何かを位置づけるほどに、ここでの孤独感は増し、誰かと居ても尚、その存在とは強調されずに、すぐさま今に飲み込まれ、そこでの永遠性の餌として、あらゆる立証を踏みにじるだけの忘我に消え去る間にむしばまれるニヒリズムに加速し、過去に映じるものだけが、今を癒やすというような哀れみにそぐうような同情的なプロセスを打ち砕くような鉄槌を用い、そこで映じるものなどは、美化されたり、もっともな苦しみを反復させるだけにいたるようなものを自分の都合により連鎖させるだけにいたるようなものなどのいっさいは破棄されるだけのものであるし、そこで面影をかかえても尚、迫る今は、欺くために自らを利用し、今に操作を続けるだけにひたる現在に現れる過去が強調するものなどは、幻想であり、過ぎたものなどは、夢よりも不確かなものであるし、そこにある現在すら、提示されるものに占領され、独占し、所有するために儀式的に荒むためだけの契約を続けるほどに、ここでの愛とは、本質的な愛を喪失し、そこで証拠を用い、持ち出される意味に占有されるだけにいたるような軽々しい示唆が浸透させる真実の愛などは、何かを騙し、ごまかすための愛を体系的に支配するための愛を大量生産し、正否を求めるほどに、中庸はそこなわれ、そこで愚かな支配を続けるための提携から、体制が生み出す改正などが、正解をねじ伏せ、あてがわれる答えだけが、今を生きやすくするなどとうそぶく。
2017年8月6日日曜日
無限性
無にそなわる無限性が、今を引き取りながら、永遠性へと移行し、自らの苦しみを昇華させる間に宇宙的な調和など求めずに、ただとどまらずに進む限りが、永遠へと引き伸ばされる心身を崩壊させ、交換し続ける先々で対立する価値などは、表面的なものしか交換できずに、ただ陰湿なものに変わり、こぼすアイロニーが否定的に物事を捉える途端に物事とは、構築されていくものを否定し、自らの力だけが、この位置に求められるものに反し、関する合間に情念は消え入り、本質的なものを見失い、ただ有るものへと移行し、行為が引きずるニヒリズムを超過し、混沌としていく宇宙の端くれで、愛に似た物質を探し、空間を延々とさまよう間に引き戻される過去には、高潔なものはなく、そこで美徳のように崇められ、都合良く変化するだけの過去の出来事などをリバイバルするほどに、自らと乖離し、そこでの面影にひたるほどに、現実との懸隔は生まれ、自らの不自由さを嘆きながら、そこに用いられる差異に苦しみ、徒に消費されていく現在に諦観を生み出し、関係するほどに完結していく現在は、指定される義務や、応じるだけの答えとの平衡を求め、終わらぬ闘争を生み出す限りに用いられる統合が正常を謳い、求められる限りに、軋轢を生み出し、何かを踏み台にしながら、自らこそが、正しいものだ、と認識するほどに誤りが生まれることを直しながらも、自らの正しさを求めることを知らずに、途端に現れるものに表現を奪われ、自らの意志で何かを創造的に昇華できずに、簡易なもので惰性に築いたものが、障壁に変わり、自らをごまかし続ける間にひしめく理由が、流動性を失い、喪失感にただれていく感情は、誰かの思いを借りて、むさぼる現在に無為なものを用いずに、ただ現れるものを買い取ることでしか、自らを満足させずに、そこに現れる優越感に敵愾心を持ち、持たされた義務や、もたらされるものだけが、自らの用いるものを満足にいたらせるのだ、という処刑台へとのぼらされるだけに最たる意味はそこなわれ、磔にされる自己は、礎を持たずに、ろくでもないものをかかげ、意味に墜落し、自らを抑圧させるだけにいたらせるようなものに取り囲まれ、加工され続ける間に強調されるものや、そこでまやかしを生み出すだけにいたるようにうそぶく者どもの手中に収まり、はばまれるほどに、自らの闇に陥り、鬱々としていく思いが、今に自己犠牲を唱え、何かを救うためだ、とうそぶきながら、何かを騙すためだけに、自らを生贄として捧げるふりをする。無を用いるほどに、似通ったものが、似たようなものを生み出し、限り合るものに合わさるものだけが、枢要なものとして崇められ、そこで物質的な余裕を用いるものだけが、真理を持ち出し、物事に軋轢を生み、無限性へといたらずに、幼稚な理論に偏りながら、何かを傷つけることだけが、美徳のように崇められる限りに人間が生み出した神という逃避から、怠慢にいたるだけの崇拝などを捨て、長い歴史などは、ただ長いだけであり、そこで引きずられたものに提示され続ける苦しみに偏らずに、そこでバンダリズムにいたるような閉塞的な野蛮人どもに手を貸さずに、ただ自らの表現だけが、存在を明らかなものに変え、そこで求めることに飽き足らず、破壊するだけのよろこびに転じて行くだけの抵抗などは、抵抗しているようで、抵抗にいたらず、そこで自らのさまたげにもがき、そこで正しいとされるものに占領され、そこで洗脳され続ける間に生まれるシンパシーも、何かとの調和などは求めずに、ただ純粋な衝動だけで動くことだけが、正しい働きなどとうながすような正しさを崇めたてまつるほどに、退廃的なものに陥り、強要されるままによろこびは増していき、そこで邁進するものが、定期的な罰を与えるほどに、自らにほどこされる意味との調和をめざすべきであるのに、他者を介し、或いは神を介し、自らの惨めさを消費し、そこで逍遥し続ける間に生まれるジレンマが、育むという意味を忘れ、ただ迫害され続ける恨みを加速させ、介する間に巡礼を続け、つたない意思は、汚いものを疎外させるほどに、自らの汚れには気付かずに、そこで応じる否定とは、自らを綺麗なものに見せつけるだけにいたるような自尊心が今を支配し、健全な者としての芝居を続け、そこではみ出さぬように、と思えば思うほどに、何かとのズレは生まれ、そこでのズレを埋めようと求めれば求めるほどに、何かとの懸隔は生まれ、ことごとくに支配される限りに、ここで遠のく本質は、自らの正しさすら見出せずに、ただ正しいとされるものに支配され、そこで続ける芝居だけが、今をしあわせに変えるのだ、という普遍的な屠殺場に運ばれるまでの軌跡をたどり、対価を求め、役割を終えるためだけに、むしばまれる現在に、生きてるなどという幻想をかかえ、簡単に処理されるだけのまやかしを崇め、そこであがなうだけにいたる権力的な者が支配を続けるほどに、ここでの芝居は、三文芝居になり、誰もが、そこで騙されているふりをしている。
2017年8月5日土曜日
心地よい目覚め
もっとも暗い場所からあふれ出る詩情が夜を神秘的に包む。新品にされた感情ががらくたになるまで、何かにこき使われるよろこびを教えられてから、この苦悩というものは、能動することを忘れ、受動的に受け入れることだけが、正解のようにうながすような世界などは、世界と名付けられ、したり顔で、必要では無いものは、即刻排除すべきだ、と言い放つ隙間には、色彩などはなく、暗澹とした靄のようなものが、悲劇的に囲い、悲観し続ける先にシステム的な現れに対する敵愾心を相克できずに、自らの苦しみに律動する不快な音に吸い込まれ、自らに罪を課せるような出来合の事柄に至福をおぼえ、そこで同じような衣服を着せられ、同じようにおざなりな者として生きるのだよ、と優しく語りかける悪魔どもの私腹を肥やすために私は生きるのをやめ、制限を持たずに、知を愛し続けるほどに、ほつれ千切れ消えゆく存在の果てしなさや、そこに生まれるはしたないものなどを覆われながら、長らくの孤独に迫るセンチメンタルなどは、その場での悲しみに酔い痴れるだけであり、そこで生み出される詩的なものなどは、ノイローゼが生み出す幻想であり、自らの幻影を追いかけ、理想を生み出し、組み込まれるままに打算するものなどは、何も豊かにせずに、そこで虚偽的に支払われ続けるまやかしの財宝や、リンクする苦悩に統合されるよろこびなどにひたるようなオプティミストどもが画面で暴れ、暴くべき真実も、暴力的な支配から、真理を損ない、そこかしこにあふれる韻律や、林立する者どもがリンチし続けるほどに加速する快楽の傀儡として生きるような輩が、自らの孤独感や疎外感に耐えかねずに、体系に支配され続けることだけが、自らのよろこびを満たすのだ、とうながすような即効性のある解除法などを示唆する暇もなければ、ここで失われるものなどは、失うために存在するのである、とニヒリストどもは語り、解体すべき昨日も、本質的なものをそこない、そこかしこに苦悩を生み出すためだけにためらわずに何かを蹴落とし、おちいるものを高笑いするようなあくどい至福から、輪唱されるものなどは、有史以来、何かから優位であるための法で加工し、自らを屈折させるものへと変化させるような理由や理屈を卑屈にかかえ込み、混濁する意識は、魂胆を忘れ、答えに左右し続ける先々で対立を深め、終わらぬ軋轢が生み出す汚穢を崇めるような者どもが、神をでっち上げ、自らを巣くう苦悩を取り払えずに、むなしい祈りは、今にいびつな警醒をかかげ、むしばむ者へと変化するのであり、理想とは、思想に巣くう癌であり、邂逅すべき自らから離床できずに、焦熱し続ける先に焦慮すべき事実も、示威的にまさぐられ、自堕落なものに変化し、懸隔を生み出し、蹴落とすことだけが、ここでの真偽を見つけるのである、と何かを屠り、葬るだけの理由を述べるような退廃的な者どもが真理を捏造し、愛と平和と自由という幻想を追いかける間に健気に切り取られる間に咲く花の理由も知らずに、気持ちに遅れをきたし続ける間に膨らむ期待感は、汚いものほど、綺麗なものだということを知らずに、答えに合わせるものだけが、物事を正しくし、そこでの均衡を保つのだ、ともたらされるだけの意味に不一致していく意識は、今にしいたげられ、そこでしたがうものだけが順応し、横溢し続ける簡素な出来事に勝敗を生み出すだけの対価から、退嬰的な考えが還元するものだけが、価値を決め込む。あらゆる価値は、不当なものをかかげ、自らを正当化するための戦争にいたらせる。そこで持ち出される権利などは、誰かの理屈が捏ねたまぼろしであるし、そこで反応するほどに、敗退していくように仕向けることが上手な情報から、操作され続ける無知な者どもが平衡を求め、ここで生まれるデカダンスに支配され、芝居を続ける先につたない意識は、誰かの言葉を借りて、快楽を埋めるためだけの欲動から、吝嗇な者どもが謳うミニマリズムや、奴隷と化すことなく闘争するのだ、と自己に帰り着くことを知らずに、闘争に身を置くほどに、自らとの懸隔はひろがり、自らが得た権利を用い、独裁者へと変化し、大きな理想とは、自らの地層を汚し、誰も住めなくしてしまうのであり、そこで葬られるだけにいたるような自己などは、その場ですぐさま捨て去るべきであるし、自らに行き着くことすらできずに、何かを支配し続けるほどに、自らが用いる空しさに打ち勝てずに、何かに屈することだけが、自由にいたるのだ、といような幻想から逃れるべく、自己に帰り着くために、自らとの闘争を深める現在につかまつるもののいっさいは空しいものであり、そこでむしばまれた精神は、徒に何かを消費し、そこで生み出される欲望に支配されることだけが、ここでの答えに欠乏せずに生きるのだ、とうながすようなペシミストから逃れるために続ける「意志」だけが、唯一汚されずに、自らを高次にいたらせる。
2017年8月4日金曜日
懈怠
私は、私を信じている限り、何かに屈することなく、言葉数も少なく、あくせく働くこともなく、なくなく時間をかけることもなく、ゆっくりながら、長らくに腰かけた孤独のなかで真理をまさぐりながら、何かにとまどうこともなく、よく見れば、細部にまでドラマティックなものがそなわり、生命を躍動させ、今に律動するものが、複雑に交わりながら、投げやりになる君の陥落する姿や、姿形すら不潔なものに思える、とうながすような思いが散漫なものをたずさえ、感性を束縛しながら、さながらに苦しみを送り込むようなエモーションや、永遠性を超え、へだてるものすら持たないものとの調和や、そこで長じるものが次元をも破壊し、無限との会話や、制度や組織を超え、閉経した宇宙が、もう一度、何かを産み出そう、ともがく隙間から接近する創造的なものが、今に適任していき、敵対心などを取り払い、ただ、あわさる限りに淡く物事は溶け出し、色もなくなり、たそがれに響く強制的に迫る意味の住まいで引きこもる君の低く歌う歌声が、ここまで届いて、存在の不潔さに苦しむこともなければ、今に苦しむべきだ、などとうながすような権力的な言葉が今に使命感などを謳い、論難を生み出し、困難にひたり、今にいたる病のまやかしに気付かずに、機械的に生きることが、正しいことのように謳われる世界などは、自らの正しさを認識させるための常識などを用い、今に束縛され、自由を用い、誰かを騙すことしかできぬような者が、正しいことのように、今を呪い、今を踏み台にしながら、しなびた思いを引きずる現在に生み出される認識などは、今を徒らに消費しながら、浅ましいものをつなげることが、命のように語られるが、綺麗なものほど、いびつなものであり、今に朽ち果てるからこそ、美しくも見えるのだ、とデカダンな輩が語る間に排除され続ける夢や幻や、保身や敵愾心などが、憎悪を増殖させ、促進され続ける怒りは、誇大妄想を抱えたルサンチマンと化し、解体すべき現在に偏在するものが、今に孤立し、巨大化したルサンチマンは、ペシミズムをかかえ、破壊するための神として、自らを崇め出し、誰かを苦しめるための呪詛を続ける。危険な物語を加速させ、今に性差を用い、たぶらかされた精神は、今の苦しみをごまかすための敵を作り出し、度重なる苦痛に耐えかねずに、自らに向けられた不安や恐怖を共有するためのネットワークを織りなし、簡単に処理され、還元され続ける苦しみに染み入る所以や、悠遠になびき、はぶかれる思いが閉幕し、平静を保つために建前を持ち出し、ごまかし続けるほどに苦しみが寄生し続ける。遷延し続ける意識は、儀式的なものの生贄として、自らが自らを捧げ、そこでの苦しみから逃れるために、必要ではないものを今に追い求め、自ら苦しむための呪いを自らにかける。時間から自ら取り残された思いは、行き着く場所すら求めずに、すべてからかけ離れ、自ら願うことすらせずに、設置される意味を飛び越え、倒錯する瞬間に純化され、循環するために支払われるものなど必要とせずに、センチメンタルなものなどから飛び出し、どこまでも上り詰める意識は、陰鬱なものに安易に支配されずに、考え続ける先に時から逃れるための理論をたずさえる。巻き込まれる思いに混濁し、混乱し続ける先々で始まる思いが刹那にからまり、かかわるほどに重要なものをそこない、時折に跪く過程に締結する思いにすれ違い、つたない思いが本質的なものをそこない、無知なままに引きずる思いに錯綜し、時間が与える老いという罰から逃れ、自らを屠るための時間を打ち砕くために、続くものだけが、時間に打ち負けずに、ひたすら継続するものが悲観せずに、接続される思いを継続させ、ただ、ひたすらに続くものだけが、時間に追われる恐怖から逃れ、自らが生み出すものだけが、運命を飛び越え、時間から乖離し、長い間に引き出される詭弁や欺瞞をさえぎり、自らの意志だけが、唯一の力だ、と知る。
2017年8月3日木曜日
初期衝動
幼い時から、自らの価値は、自らが見出し、何かに教えを乞うよりも、何かに抑圧されてまで、何かと、同調や協調はしないために、学校を放棄し、自らが学びたいものを、自由に学んできた。あらゆる法は、空間に揺らぎを生み出し、自らを不自由にするものであり、自らを囲う国家すら、私を加工し、順応するべきだ、と脅迫する。与えろれた論理は、今にいびつなものを生み出し、何かに偏りを生み出し、意志を踏み台にし、あらゆる抵抗を罪として捉え、今に罰を与える。あてがわれた意味は、今を不自由なものに変え、問題をすり替え、正しいとされるものが、悪を捏造し、悪を利用し、自らの正しさを強調し、その正しさを共有するための、教育を施し、逸脱しないように矯正する。そのような正しさに、正しさはそなわらず、絶えず差異を生み、何かを苦しめるために保たられる理由などは、既得権を守るための道具としての人間や、人間と名付けられた傀儡どもが、自らの生活を保ち、守るために、正義を利用し、悪に転じていく。独我論的な考えを加速させ、束縛から放たれるために、自由を謳わずに、自らが選んだもの以外は、懶惰なものとして捉え、自らが生み出す力だけが、唯一の力だ、と唱える。何かを、与え続ける者は、「悲しい」のである、と伝えるデカダンスの連中が示唆する運命論的な昏睡から、等差を生み出し、淘汰されるまでの歴史に鎮座するだけの王が騙るものに耽るだけの連中が、支配下に置かれ、帝国主義に反しようともくろむほどに、王に跪く結果に導くような連動から、道理とは、不潔なものをたずさえ、自らを支配下に置き、みちびかれるままに消費し続ける精神は、今から逸脱できずに、過去にとどまり、鬱々としたものを連ねながら、被害者面し、短絡的で軽薄なものに陥り、掲揚されるものを崇め、自らも国家の一員として執り行う義務のために、幼稚な抵抗を続け、自らをペシミストに変え、偏執し続ける事が、変化のように騙られる間におちいる闇や、応じるだけの答えに寂寞は生まれずに、詩的な流動性を生み出せずに、惰性に見出すものだけが、本質的なものとして捉える先に存在とはそこなわれ、自らの不確かさに苦しむだけにいたる。徒に消費され続ける精神は、自己から乖離し、理解を得るために虚偽を綴り、自らを正当化するための自堕落さに気付かずに、自らの空腹を癒やすための要理にもとづくエゴだけが、自らを朦朧とさせずに、しかと見つめる先々で対立を続けるよりも、そこから乖離し、理解すら得る必要性もなく、そこで幼稚にみちびかれる先に見くびり続ける意味は疲憊し、自らを傷つけることだけに専念し、捻出され続ける苦しみは、今に鬱陶しくからまり、関わるほどに、わずらわしいものを形成し、証拠も残さずに、自らに入り込み寄生し、今に苦しめるためだけの悲しみを引き出しながら、過去を引き合いにし、今に苦しむだけの定義の中で裁かれるためだけに、自らを罪深い者として制定し、自らの罪の中でしかはたらきを得ずに、ただむしばまれる自らを傍観し続ける自己との対立を続けずに、ただ外から与えられる影響に責任をなすり付け、確かな自己にすら行き着かずに、誰かに与えられたアイデンティティーだけが、自らを成功に導くなどとうながすような金言に左右され、自らの意志を損ない、誰かがうながすものだけが、真実へと導くような間に生まれる支配的な論理から、論証されても尚、それに反し、抵抗を続ける者どものあくどい至福から、そこかしこで生まれる退屈な法から、理想は、供給され続けているようなふりをして、おざなりなもので今を支配し、訂正されずに、ただ、そこで正しいと位置づけられるものにこうべを垂れ、たてつくことも忘れ、何かの主義を背負いながら、いい気なっているだけでは、何の変化も与えられずに、ただ邪推し続ける先に破壊を生み出すだけの定理にもとづくものに迎合し、簡単に処理された昨日をうらやましげに見つめ、もう明日など来ないでくれ、となげくよりも、もっと獰猛に自らを見つめ直すべきであり、そこで固執し続けても、そこで消費され続けることは変わらずに、ここで支配され続けるほどに、贋物の快楽は加速し、何かの傀儡として死するまで、自らを消費し続けることに置いて行かれる心身は、自らが存在していることすら感じられずに、何かの道具として嬲られ、死する一歩手前で放置され、そこで補完され続ける快楽のためだけに生きる亡霊やゾンビとして生きることだけが、ここでの生活を保ち、守るための摩耗であるのだ、などとうながすような定理などは、弁証法にいたらずに、ただ継続することだけが、今の豊かさを保つのである、とうながすようなものこそ、現実を見つめておらずに、その場で継続されるものだけが、しあわせを約束する、と騙るような者に耳を貸さずに、自らに帰り着き、そこで表されるものなどは、そこでの支配を続けるための欺瞞を続け、そこで耐え続けるだけの意思は、死ぬよりも悲惨な生を続けるほどに、自らの存在などは感じられずに、存在の軽さに取り残される精神は、そこで用いられる不確かな満足を追い求めるほどに、自由から遠ざかり、求めるほどに、利用される結末にひたるだけのペシミストで終える。
2017年8月2日水曜日
星との間隔
この場から乖離し、理解すらも求めぬ場所で瞬く間にひろがり、絶え間ない接続が連なり、鮮明なものすらおののく隙間で苦悩を表し、主観にあてがわれる意味や、そこで立証されるほどに、魯鈍なものになりかわり、見る夢も不潔に変わるような世界性に感応するほどに、感性とは腐るのであり、その場でくたびれ、与えられた問題に証拠を残すほどに、この生命に循環すべき意味も、純化されずに、些細なことで朽ち果て、抵抗力を失い、望まぬ望みをおぼろげな中空や、子宮の中で課せられた義務で加速するほどに、自らとの懸隔が生まれ、倦厭にいたり、いたわれぬ呪いを今に重ね、自らに欺瞞を放ち、不満を垂れながら、誰にも行き着かぬ思いは、調教済みの理論の中で束縛され、即席の自由を求め、理由の中で沈む。物事の襞につつまれ、出来事は調和できずに、自らを抑圧する圧迫感にふるえ、得たものを自慢げに披露するだけの儀式で低劣なものを吐き出すだけの疑似的な殺戮や、散漫な儀式が仲介する間で屈従するだけにいたらせられる精神とは、自らの自由を求めずに、与えられた自由の中で自由を求めるほどに不自由になり、担う意味も、その場で重荷に変わり、負担を背負い続けるほどに、すり減る精神は、栄進できずに、今の形に収まり、自らの重みに耐えかねずに、圧壊する。カタルシスを追い求める獣たちが夜に獣性をなびかせ、走るリビドーは、何かを堅持し、何かを維持するために何かを保有し、独占欲のためにためらわずに、誰かを自らの意思だけでしたがえるための闘争が続き、つたない意識は、自らが用いる苦しみを昇華するための通過儀礼を与え、退廃的な理論が早熟なものを殺める夜は、本質的なものをそこない、そこかしこで仮死化していく意識は、誰かに呼び覚まされることを待ち、自らの孤独を抱きかかえ、悲しみに暮れることしかできない。そこで戒律を生み出す孤独は、散々な現状を呪うことでしか、自らを強調できずに、そこで切れ切れになる意識は、自らの存在の軽薄さに耐えかねずに、自らを抹消するための呪文を唱える夜に生み出すべき真理を与えるよりも、そこで用いられる独裁的な主観を打ち破り、自らに帰り着くことを知り、熾烈な時ほど、その時折にひずみ、折り返す物事の浅薄なものに気付くべきであるし、簡単に処理される言葉などは、そこに残るだけで、何の影響も与えぬし、そこで用いられた簡易な言葉などは、今から逃避するためだけの誰かの理想を自らに組み込み、そこで対立すべき自己と出会わずに、ただ与えられた言葉で、何かを得たふりをするだけに終える。誰かが、「大丈夫だよ」と抱きしめてくれるわけでもない夜は、自らを抱きしめ、「君なら大丈夫」と自らなぐさめるべきであり、そこでかかえた苦しみなどは、今を越えるための使命や儀式に習うよりも、何かに寄り添い、したがわせるためのあいまいな答えを飛び越えるべく、自らを自らでなぐさめてでも、その瞬間を超越すべきであるし、やがて滑落する意識は、死をしたがえ、対価を求めるだけの権力を用い、統合するための等差を生み出し、あらゆる原理の中で便利な役割であるための犠牲を謳いながら、君を束縛するであろうし、やがて勝ち負けなどは、そこで善悪を用い、何かを生贄にし、そこで誰かの不満を昇華するための快楽的な処刑のための犠牲として崇められるだけに終えるような世界などは、世界と名付けられただけに良い気になっているだけに過ぎず、そこでもたらされる災厄などは、誰かが与える影響だけに左右されているだけに満たない苦しみを今に授け、確かなものにすら足枷を嵌め、自らの世界性からはみ出す者は、すぐさま処刑にするような独裁的な手法でもって、ここでもつれる者すべてを獣性が用いる論理だけで、理想を追求するという純粋なまやかしによって、何かを快楽のために破壊し、何かを傀儡にするためにためらわずに処刑するだけにいたるような快楽の中でしか、自らを正しく認識できぬような正常さを謳うだけにいたらせるような正しさだけが、正しいものとして崇められ、それを神と名付け、崇拝し続ける先に腐敗していくだけの権力は、権威を用い、権利を謳い、何かをさまたげ、お涙頂戴で騙しながら、長らくに迫る自らの黒々としたものを主体に組み込みながら、理想を追求するほどに、すべてを苦しめ続けるだけの意志は、今を衰退化させ、犠牲を生み出すほどに、自らの快楽度は増し、複製され続けるだけの怒りを増長させ、憎悪を用い、敵愾心を加速させ、疑心暗鬼におちいるほどに、生じる怒りは加速する。正解すらもないから、と育むことをやめてしまった者たちは、自らの立場を悪用しながら、しなびた意識に連なる有史から続く貪婪なものに加勢ながら、自らこそが正しいとうながすほどに、正しさとは奪われ、自らの苦しみに自らが悶え苦しんでることにすら気付かずに消滅する。
2017年8月1日火曜日
帰路
人相もわからぬような世界に広がる余韻が、因果などをたずさえ、遮られる所以が、運命を背負い込み、混濁する意識が形跡を与え、絶えず苦しみをうながし、短絡的なものを創造し、想定されるものが悶絶し、困難を与えるだけにいたらせるような軌跡をたどるだけでは、ダメだとか謳うような世界に本質すらなく、ただ、与えられ、あてがわれたものが、真実のように騙られ、退廃するだけにいたる。からからに乾いた帰り道に理解を深めるよりも、乖離して物事を深めていくような実直な瞬間にふれるような関連性に連動していく意識は、存在をまたぎ、自らをひるがえしながら、とこしえになびく幽遠や、被害者意識をかかえた彼女たちの慟哭や、彼らが卑下する辺りに明晰なものを重ねながら、人格形成の中で区域を生み出すだけの絶え間ない自己からの等差や倒錯などを飛び越え、超越し続けるだけの段落や、関係性がたずさえる制度や、精悍な主観にひろがる思いがたずさえる場面などが思い出にうなだれ、今に影響する過去などは、そこで消耗させるだけにいたり、進むことを拒否し、そこで行き着く思いは、過去の奴隷と化すだけであるし、そこで用いられるものなどは、求めるものに戻るべきだ、とうながすだけにいたるような言葉などは、貪婪なものを用い、求められるままにしたがうことだけが、ここでの行いにひたり、決めつけられるだけにいたらされる精神は、自らを迫害し、懐疑的にみちびかれるほどに、不安があふれる。そこかしこに用いられるものが、求められるままに関心を謳いながら、そこで同調するほどに、自らとは苦しみをかかえ、理不尽に消費され続ける自己が、つたないものを敷衍させ、こしらえられるものに依存しながら、しなびた感情は、今を謳歌できずに、そこでトラウマを生み出し、そこでかかえるものに逡巡し、純化すべき現在も、懸隔を生み出され、そこで生まれる緊張や、情緒を保てずに、ただ、短絡的に消費するだけにひたり、生産的に統合されるだけの正常な意味に心情とは壊され、支えを求めるほどに、用いられる苦しみが利便性を求め、まとまらぬ思いは、とどまらずに、ここで躍動するふりをしながら、理不尽なものに支配され、芝居を続ける先で対立を深め、終わらぬ闘争は、自らの中での軋轢にとどまらずに、他者を介して、自らを破壊するために、自らをおとしいれるような言葉の刃を自らに向ける。そこで剥き出しの感情は、傷つくことを恐れ、他者に攻撃性を向け、自らのペシミズムを誰かに抱え込ませ、自らの苦しみを昇華させるような徒な消費を用いる関係性に関わるほどに、自らとは懸け離れ、そこで回帰すべき自己すら超越できずに、そこで越えるべきなのは、そこで問題提起されたものだけだ、とうながすような者に加工されるだけに禍根を生み出し、そこで欠如を用いるだけの理由に理想をうながされ、普通であることだけが、そこでの答えに引き合いに出されるものに打算され続けるものに連なり、自らの意思を損ない、誰かがうながすものだけが、自らに帰り着くべき答えを与えるなどとうながすような答えなどは、その場での孤立を恐れるばかりで、本質には近づけずに、今にひたり、悲観するだけに終える。そこで終えるべきなのは、自らの逃走であり、そこで統合されるものなどは、等差を用い、そこで決議されるものなどは、魯鈍なものに陥り、自らに与えられる苦しみから逃れるための言葉を成立させるためのドラマを用意され、自らの生き方に批判を続け、否定的にうながされるペシミスティックな主観から、習慣的なものに適任するための敵愾心を燃やしながら、煉獄へと陥り、自らの苦しみの中でもだえるだけにいたる今にひたるだけに終える。悲劇とは、どのような場面でも今に転化されずに、過去の中でしか成立しない苦しみを、今に再現し続ける。画期的な発明を宿すような帰り道に見つけるものが、詩的な昇華にいたり、そこで紹介されたものなどは、借り物に過ぎず、そこで与えられた影響などは、無力なものであるし、自然から借りたものすら、今に蓄積される苦悩へと変わり、徒に消費され続ける観念は、何かから借りたものに与えられ続ける痛みに耐えかねずに、自らを壊すだけにいたる。位置づけられた苦しみから逃れるための帰路は、苦しくとも美しい場面を転換させ続け、支えすらも必要なく、膜に閉じ込められた孤独の中でひろがる永遠と対立する。延々ととがめる先に生まれるものと逍遥し、そこで老い続けるだけに転化し続ける自然との対立から、信用を謳う者が屠るだけの社会性に徒に消費され続ける正否との別れを告げ、製品化される前に、自らの品性などを用いる以前をたどり、そこで超越し続ける意志が純粋なものをたずさえ、ただ、互いを恨むような構造すらも破壊し、用いられた幸福などは、そこでの価値が定める借り物の言葉で今を締め付けるだけに満たない。
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