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2017年7月31日月曜日

軋轢


 記憶の旋律に運ばれる感情は、誰かを介した理由に感化され、仄かなものに注がれる情熱をたしなめ、退廃的な互換を執り行うだけの恋愛的なゲームや、構造的な気配にいざなわれ、自らの意志を直線に引き、悲観することすら、ここでは、わずらわしいものであり、そこで虐げられても尚、進む先々で対立を深めるだけの関連性や、連動する気配が、支配的に何かを押しつけ、今を抑圧しながら、しなびた感情に浪費していくだけの瞬間的な和解や、回避する感情にひしめく道理や、理解を謳うほどに負担が増していき、邁進すべき現在に現れる懸隔や、その場しのぎの言葉が今をふさぎ込ませ、腐敗していくだけにいたるような権力の野蛮さに散漫な意識は、儀式的に昇華されるために信仰を求め、そこで親交を深めるほどに、魯鈍なものに変わるだけの思想が思考停止にいたり、病を加速させるだけの現時点で大量生産されるだけの感情が、姑息なマネキンどもの愚鈍な感情を引き出すだけの流行的な代用品として現れるだけの簡単な言葉に処理されるほどにもだえる意志とは、ルサンチマンをかかえ、自らをもっともな怪物に変えるのだ、と乖離する自分がすり減り、いたわることすら、いらだつことに移行していく精神的な逃避や、統合されることだけを目的に支配を続けるような正義の理論が、理想を供給するふりをして、自らの過ちを隠すために悪を偽装し、そこで帰巣すべき事実も、饐えた香りを放ち、何かを愛することとは、そこで欺瞞を用い、絶えず模倣を繰り返すだけにいたらせるようなファシズムにおちいるべきだ、と語り続けるような神話的なほころびから、ここで跳梁跋扈し続けるだけの普遍性が述べるものなどに耳を塞ぎ、何かが犠牲を謳い、誰かが何かのために偏った思想を用い、何かからの支配から逃れるための闘争から、貸与され続けるものが用いる復讐から、複製されるだけの品行方正から、方向性とは、間違った信念を用い、理念を用いるほどに、ゆがんだ思想にいたらせるような真っ直ぐな意志は、何かを受け入れることを知らないが、何かを請け売りに気配を仮想されるだけの者に変えるような理屈よりもマシだなどと浅薄な野蛮さを加工するだけのペシミストどもがうながすそもそもの存在理由などは、理由にいたる前に自らを破壊するためのタナトスの暴走に打ち負け、自らを勝敗の中でしか測れるようでは、要理にいたらずに、この場で蓄積する苦悩にひたり、高次にいたらずに、用いられる次元と空間と時間の中で消費され続けることだけが、自らの存在の不確かさを認識するための手立てのように思うほどに、自らとは乖離し、そこで理解すべき自己とは、自らを認証するような他者を介し、そこで果たすべき義務などを謳うための愛を仮想し、悔悟をため込み、そこで罪を重ねぬような善良さを用いながら、何かを模倣し、こじれるだけにいたるような普遍的な制度の中でまかりとおるものをまがい物のままに崇めることだけが、実直なことであり、そこ軽薄に溜め込んだ矜恃などを自らの盾に変え、体制にこびへつらうほどに、こじれる先々で自己とは乖離し、そこで理解を得るために自らを捨てることだけが、あたかも、この世界での生き方のように騙られるようなものを超越すべく、すべての教育の掃きだめから生まれるようなエゴよりも強烈に迎合されるシステムを打ち壊すべきであり、ここで深慮にいたらずに、ただ敢行され続けるほどに続くものとは、自らの魯鈍さに気付かずに、自らこそが正しいとうながすほどに、そこで用いられる正しさなどは、正しさから懸け離れ、自らを正しいとするものなどは、所詮、何かが用いた理由が徒に消費するために求められる事柄だけに自らの正しさは宿るなど、とうながす者の支配下に置かれるためだけの理屈を捏ねるほどに捻転していき、自らの意思に懸隔は生まれ、乖離を生み出し、理解を求めるほどに、そこで独裁的に生み出される意思に実直なほどに、偏りを生み出し、そこで改定された規定などは、機械的なものを生み出し、改ざんされるだけにいたり、消費されるだけにいたるような正否の中で、清貧さを求めるほどに、いじらしい自己との欠如を埋めるための闘争を続け、つたない意思は、自らが排除する自らにより、暗示され操作され続けるだけに自らの過ちを加速させ、自らを不安においやる自らにより、自らとの乖離を生み出し、理解を得たいと求めるほどに、ほとんどの理由とは懸け離れ、自らを苦しめるだけにいたり、足りないものを補うための闘争を続ける限り、そこでの不安とは解消されない。

2017年7月30日日曜日

鋸歯


 とがめるものは何もなく、ここで空虚な思いをたずさえても、ここで引き伸ばされる思いが交互し、主観性を奪いながら、互いを縛り付けるだけの契約に巻き込まれ、創造性をそこない、行いの中でしか、正しさを引き出せずに、ただ存在するだけで良しとされるような調和も生まれずに、徒に生み出される結末は、そこでの高揚感をそこない、応じるだけの答えの中で怠慢なものを生み出し、相似するだけに、対立を深めるだけの理論が、その場で同意することだけが、正しさに実直であるのだ、と妥当に生み出されるものに補完されるだけの交換から、こじれる先に生まれる権威がゆがました空間で生み出すべきものも、本質を失い、物質的な猶予が、今に愉快なものすら失わせ、ないがしろにする瞬間に補完されるものなどは、些細な軋みの中で引火するような出来事に緩慢に対峙するような出来事にアクセスし、寛容を失い、即席の自由を理想の中に組み込み、理性を失わせ、猜疑心を用いながら、超越を繰り返すべき現在に点在していく意識は、誰かの言葉を借り、借り物の感情で動機を操作し、高次にいたらずに、いびつなものを生み出しながら、絶えず闘争へといたらせるような悲劇の中で陰鬱な衝動が用いる破壊的な作用から、散漫な意識が、たずさえる言い分けがましい現在に注ぐべき意味も、印象に統合され、ここでとろけ、熱情していく先々で生まれる恋の意味すら知らずに、いじらしく屈折し、そこでリビドーが暴れ出し、相対する自己との欠如を生み出し続ける先に現れる怒りをまさぐり続け、そこでルサンチマンへと変化していくだけにいたるような現状に戒律を与え、絶え間ない争いへといたらせ、あてがわれる自由と、そこで生まれる保身に合致し、補足されるものだけが、この物語の中で軋轢を生み出し、相続するだけの理由が、自由などを謳い、退廃的な理想は自傷的なものを生み出し、自らの欠如に組み込まれるシステマティックな理想を供給し続けるような定義の中での欠如を埋めるための操作を続け、ここで軽薄なものを措置し、敗残していくだけにいたるような退廃的な快楽だけが、唯一自らから逸脱するものだ、とうながすような毒性の言葉から、そこで独創性を失わせ、しいたげられ続けるほどに、つたない意識は改ざんされる。「私はそう思う」と言い続けることで磨かれ続ける歯はやがて鋭利な牙に変わり、その鋸歯で噛みつく間に愛が離れても、その愛とは、離れるためだけにシステマティックに生み出されたものであるし、そこで打算されたものなどは、誰かの借り物の言葉で答えをこじれさせるだけにいたり、些細な言動から激震を生み出し、激情の住処で生み出される暴力的な何かが参画し続けるものが、プラトニックをかかえ、掛け替えの無いものを謳いながら、運命の中で疎外される自己に憩いの場を提供するなど、と謳い続ける先に仄かに愛した理由すら不潔に思えるような潔癖的な純潔も、その場で機械的なものをたずさえ、懐疑的な今に現れる欺瞞により、乖離し続け、システムの中で愚鈍な者を演じながら、自らを改ざんし、介在し続けるほどに、この場で名付けられたものにより重荷を背負わされ、最たる意味をそこない、そこで怖じ気付くほどに、すべては化け物に見え、自らの矜恃をそこなわせるためだけに、ためらわずに奪い合う現状に構築される虚偽に騙され続け、追考できずに、その場で生み出される些細なものに怯え続け、つたない意識は、機械的な消費から、そこで逍遥し続けるほどに、補足される理由とは、今に強調されるものだけに同調し、そこに加えられる圧力により、否を言えずに徒に生み出される答えの中で溺れることだけに専念し、そこで捻転し続ける意識は、言い分けを重ね、インモラルな者を疎外させるための法を生み出す。そこで与えられる罰に組み込まれる快楽からよろこびは与えられ、名ばかりのしあわせが偶像崇拝を続け、用いることだけが、唯一自らの快楽を埋めるよろこびに変わるのだ、と意識の刷新を執り行うための刷り込みから、自ら流動的にいたらずに、何かに適任し、そこで敵愾心を膨らませ、自らの野望のためだけに何かを蹴落とし打ち破ることだけが、ここでの答えに締結し、ここでの姿勢を正すのだ、とうながすような者がうそぶく支配の経路から、契約の中でしか果たされぬようなものの中で、自らに結合していくものすら、今に苦しみを組み込み、生み出されるものなどは、ここでの義務を果たすためだけに何かに近付き、あたかもしあわせのように思わせるような仕組みの中でしか、正しさとは示唆できずに、そこでしたがうことだけが、幸福への近道であるなどとうながすような者が求める方針の中で保身のためにうながされた理由が、今を縛り付け、安易に決議されたものが、もっとも暗いものに陥らせ、その闇から逃れられずに、もがくような日々などは、ただ生きてる、とうなだれ、うながされるままに左右され続け、そこで固執し続ける理由などが、思想などを用い、理性をそこなわせるだけにいたらせる。

2017年7月29日土曜日

虚像


 空中で分解していく思いや、そこで寄り添う愛などを導く記憶の愚鈍な物陰に隠れる君の理論に注がれる思いが、生じる由縁に帰巣し、作用し続ける先に現れる仄かな記憶に重なる思い出も、その場では邪魔になり、味気ないものを生み出し、物事を踏み台にしながら、意識的な同意を求めるだけの演奏を終え、感動的な出会いも、いつかは別れと相似し、充実感などを写真に収め、それを広めるほどに空しさだけが膨脹し、姑息な者がうながすものを信心するほどに、信じているものなどは、そこでは魯鈍なものに変わり、考えるほどにまじわる先にまつわる意味が、つたないものと合致するほどに、補足されるものに巻き込まれ、自らを拘束し、そこに生まれる苦しみだけを増幅し、そこで相違しないものが闘争を続け、もたらされた意味や、もたらされる快楽に従順なほどに、自由とは遠くなり、みちびかれるほどに、ここで見くびるだけにいたらせられるような意味の虜になり、利己的なものを重ね、危害を加えるだけの輩として、互いを敵対視するほどに保持される蔑視から、便宜的なものを運び続ける意志は、十全としたものを用いずに、用いられたものにより支配されるよろこびだけを重ね、懐疑的な日常に迫る名に犯され、同調するほどに同情を謳うような者がとりあつかう信仰に奪われる意思は、誰かの言葉を借り、君の理想を高らかに歌い上げ、さらなる同意を求め、君を追い込むために罪を背負わせるであろうし、そこで浪費し続ける先に迫るシステム的な敵意をかかえ、加算される原理や、そこで合わさる意味などは、互いとの親交を深めるために、たてまつるものへと偽装され続ける犠牲を用い、君を生贄として捧げるための詭弁が迫り、狭い価値にとどまり、そこで束縛され、最たる意味をそこない、そこかしこに空疎な疑問を残し、あらがうほどに、あてがわれる意味に充填される意思的なまがい物や、寂寞にからまり、うとましい世界を崇めるほどに、自らとの懸隔は深まり、不快感を率いて、今に用いられる苦しみを補填し、自らのルサンチマンを膨脹させ、アンチテーゼを謳い、退廃的な理論にからまりながら、かかわる意味とは、そこで束縛するための罪を用意し、安易な結末に迫るニヒリズムや、義務感を謳い、欺瞞を用いては、何かを裏切るよろこびにふるえる意識は、普遍的なものを用い、一途なものを支配するための芝居を続け、そこで補足されるものに毒され、自らが信じているものだけが、定理であり、そこで鋭利なものを用い、引き裂くような輩を排除するための疎外を勧め、整合されるものだけが、ここでの正しさを語りるなどとうながす者こそがルサンチマンであり、自らの破壊衝動を抑えるための転化から、大義を用い、率いられた思想だけが、自らを育てるなどとうながすほどに、自らとの距離は生まれ、そこで乖離していく意識は、自らにしいたげられ、そこで犯すための罪の意識を嬲りながら、内外に果てるジレンマに迫る散漫な考えから、開示されるものだけが、自らの意識を正しく引き取るのだ、と悲観し続ける者を崇めさせるための呪詛を続け、そこで受け答えを続け、与えられた答えがうながす義務的なものに左右されるほどに、最たるものをそこないながら、そこかしこに迫る疑問がうながす勝利へと移行するほどに、身近な死は、自らの死を見るためだけに自らとの別離を求めるような意思に反するような死の欲動から逃れるための闘争を続けずに、そこで負け惜しみをうながしながら、与えられた運命を否定するだけでは、自らの死を乗り越えられずに、そこで果たすための義務に覆われ、応じるだけの意味に結合していくほどに、指定されるものに支配され、そこで用いられる言葉にうながされるほどに邪推を続け、惨憺たるものをかかえながら、暗示され続ける意識が排斥し続ける先に生まれる苦痛や苦悩から逃れるための絶え間ない戦争から、異物感を取り除くための解剖を続け、汚い苦しみだけをうながすような言葉のまやかしを説き明かすために、この生命とは姑息ながらも、生きながらえようと誰かを蹴落としては、何かの上に立とうとやかましく用いられる権力欲や独占欲がキーキーと耳に響き、機械的な同調だけが、この世界を同じ方向に進ませるなどとうながすような幻想こそが、悪意であり、そこに現れる本性を読み解くために、考えるべきであり、そこで考えるものをも超え出て、そこに現れるものなどは、フラクタルなものばかりで、相違するようで、同じようなもの同士が批判し、否定し合うほどに、フラクタルなものに近づきながら、自らを見つめずに、見つかるはずもないものを追い求めるほどに、体系的なものに関わるほどに、自らとは機械化していき、ただ同調するためのツールとしてだけ発達していく限りに肯定も否定も関係なく、ただ同調するための答えだけが、今に用意される。

2017年7月28日金曜日

夜の帝王学


 窓から吹き抜ける夜風が平静を伝える。静寂を語る夜は、何事もなく、何も求める必要性すらなく、そこにあるものだけに混在し、存在感をたずさえ、何かを伝えるものすらなく、邪魔すら入らぬような忘我の先に見つけるものすら、無駄なものに思い、応じるだけの答えをたどる寂寞をたどり、もどる席すらなく、与えられたものなどは、文明が作り出したエゴだとすら思わずに、ただ感じるままに消費する影が寄り添い、答えすら用いずに、誇示することすらなく、淡々と過ぎ去る夜に答えなどは不潔なものであるし、ここで訣別するものなどは、その場での出会いと別れを繰り返し、空疎なものを引き出しては、引き合いに出されるものに悲観する必要すらなく、ここにからまる実情は、ただ単に空回りながら日々を食しては、何事もなかったかのように示す現れに哀れみなどをかける必要もなく、有するものなどは所詮は何かを強請るための道具であるし、そこに用いられるものなどは、権利を主張に求め続ける限りに絶えない欲望に支配されているだけに満たないし、ここで満たされても尚、欲しがるのが、人間と名付けられたものが消費するだけの事柄に征服される複製品どもがカタルシスを求め、何かに依存する先に損害などを謳い、短絡的な衝動から、ここに用いられる因子や、躍動感を失い、簡易なもので消費する先に生まれるものにまた支配されることを繰り返すことが、正しいことのように示され、そこでこじれるほどに、誇示する意思は、陰鬱なものの犬として、或いは、自ら仕掛けた罠にはまり、自らを悲劇のヒロインへと仮想する先に生まれる現実などは、現実である事すら忘れ、そこでこしらえられる生贄として生きることだけが、犠牲的な昇華を施し、そこに現れた罪を洗い流すかのように示すような法の中で荷担し続ける義務などが、空疎なものを生み出し、何かを踏み台にし、何かをコントロールすることだけが使命感のように思えとうながすような先に画期的なものすら従順な機械による支配に寄りかかるだけの意味に欠乏していく意識的な疎外感が機械的な伴侶を求め、神をこしらえ、そこで犠牲になるための者を創造し続ける先に欠落していく意識の先々で懸隔を生み出し、孤独感は膨脹し、瞬く間の孤独にすら耐えられぬような者が画面の中で塞ぎ込み、現実に返事すら返さずに、些細な動機に支配されるよりも、この画面の前に現れる結末だけが、現実から逃避させる大切なツールである、と互換していく忌忌しい欠如から、主体性とは、支配されることにより、自らの欠落を埋めるための虚偽を孕み、自らを正当化するために何かを批判するだけにいたるような現在に響くアイロニーだけが、隘路を拡張し、網膜に浸透するイデオロギーや、隠逸し続ける先に生まれる敵愾心に支配される以前に、ただサイコパスなだけに、なだれ込む意識の確変から、覚醒し続ける先にシステムの奴隷として、死するまで資産的な思案に左右されるだけの結末の内外で屈折していくあいまいなマインドが、傲慢なものをたずさえ、何かに指図することに生まれるよろこびだけが、生きていることを示す値に変化し、それに相対していく意識は、絶え間ない苦しみを自らに引き出し、悲観していくほどに、自らとは乖離した意識の中で不安を攪拌させ、そこで確証されるものなどは、何かが示したものに過ぎず、そこで信じているものなどは、死んだものが引き出した悪意であるし、やがて、敗残していくだけの生命が適性を求め、敵愾心を膨脹させ、憎い敵を作り出すほどにルサンチマンは暴走し、やがて攪乱するための抵抗を続け、短絡的な破壊から、バンダリズムにいたり、テロリズムへと移行していく先に憤懣は重なり、化合された品位から、病的なまでの信心から、錯綜していく意識が短絡的な愛を求め、放置された先で待ち受ける悲しみに引き裂かれたままにバラバラになる心身を傍観する乖離した自己を想定し、悪魔的な邪推から、散漫な意識が限界を用い、朦朧としながら、しなびた意識は、支払うための義務にひた走り、疲憊したままで機械的な夢を構築する羊たちの群れに投下される爆弾や、言葉を迎撃し続ける先に構築される意味との闘争から、投影されるものへと逃走から、当然とされるものに反してこそ、関するものとの別れを加速させ、自らに帰り着く間に戒律なども不必要であるし、そこに用いられるものなどは不潔なものであるし、出来合のものを信じ込まされるだけでは、真実の愛を謳うだけのふさぎ込んだ独裁者にいたるだけであるし、そこで用いられた自由へと同じ意識で走るほどに、自らとはそこなわれ、そこに与えられた影響だけが、自らを保ち、守るものだという幻想に気付くべきであるのに、築かれた混沌の塔の王どもが嘔気をいざない、名指しで批判される間に共立していく同調から、同族嫌悪にひた走るだけの内部での闘争から、そこで統合されるために自らをも憎むべきだ、と敵意剥き出しの自己との闘争を続ける先に待ち受けるのは、自らをも破壊し、用いられるものだけに操作された便利な者として崇める者のためにはたらきを加えるほどに、果たすための義務が迫り、狭い世界の中でまかりとおる価値に統制されることだけが、よろこびのように感じるような短絡的な機械で終わり、気配すらも感じられずに、何かに流されることが楽なのだ、とうながすような者どもの至福のために、自らを摩耗する。

2017年7月27日木曜日

ミメシス


 狂騒にとろける言葉が他者を介して入り込んでくる。彼女たちのジレンマに反復するものが帰巣する瞬間にリロードされる思いは、過去の遠くで反響し、どこか違う入り組んだ場所で遅配を繰り返し、理想をうながすほどに、しあわせとは懸け離れていくだけにいたるような結末に迫るニヒリズムに逆らうほどに、幽遠に引きずり込まれるのだ、と妥当な位置から放たれるデカダンスから、寛容なものをさまたげるだけにいたらせるような悲劇を加工するだけの品位が律動させる音階を上り下りし、のびのびと考えることすらできずに、支配的な理論は追いかけてくるのだ、と強迫観念に苛まれる君のうとましい実情などは知らぬが、ここで兼ね合い関係をむすぶほどに、二人の間は懸け離れ、定期的な孤独を埋め合わせるための愛などは、愛とは呼べずに、そこでとがめられるだけにいたり、衰退化していく感情は、動機を見失い、ただ動かされるままに重なるものや、重なり合うほどに、孤独感は増していくのであり、そこで耽るものなどは、自己愛にひたるだけにいたり、引き裂かれるような愛の痛みを知らずに、主体性などとうながすほどに、自らとはそこなわれていくだけの過去の遺物に過ぎず、そこなわれたものが思考を綴り、伝わるものが、あたかも真実味を膨脹させ、些細な出来事で深く傷つけていることに気付かずに、生贄にされるだけの空虚な身体が他者を介し、そこで感じたものなどは、快楽にいたらせるための動機を孕んだ懶惰なものであるし、互いをとどめるだけにいたるような婚姻とは、鎖につながれた欲動を加速させ、その鎖を千切ろうともがくほどに、関係とは、互いをむさぼり、満たされぬままに流動し、本質を見失い、何を愛しているかすらもわからぬような意味を履き違えるだけの他者との感応とは、そこで引き伸ばされるだけにいたるような定理にもとづくジレンマを生み出し、そこでの試練とは、じれったく、ねちっこいものであるし、そこであらがうほどにしあわせなどは、名ばかりのものを抱え込んで混濁する価値の中でしか測れぬような愛を葬るだけにひたり、自らを悲劇のヒロインに変えるだけの陰鬱な時間を加速させるだけの経路などを破壊するような死を待ちわびるような屍どもがうごめく街で運動を続けるだけの空疎な精神を天秤にかけるようなキャピタリズムを破壊しようともくろむような輩が謳う自由や解放などは、確かなものを喪失し続けることすら知らずに、自らの理想に移行し続ける意志の下で大義を見出すほどに、偏りを示し、そこに現れる悲劇を乗り越えることを知らずに、短絡的な改革が生み出すもっともな悲劇に疲弊し続ける精神を引きずる。維持された法などは、神の名を借りた者が支配するための理想をうながしたに満たず、ここで完成されたものなどのいっさいは、腐敗するだけにいたるし、そこで語れる紙切れだけの愛から、敗残していくだけにいたるような疎外される者どもの吠え声や、ここでこしらえられた暗鬱なものを引きずって意地になっているだけに満たない国家などに骨格などはなく、そこで論証されるものなどは、その場で損傷するものであるし、その場で汚され、名を騙るだけにいたるような権力に同調するだけの経路を進むほどに、甘い汁を吸うためだけに絶えず蹴落としにかかるようにけしかけるような闘争から、尊さもなく、ただ育まれたものを継続するほどに、蛮人どもは屁理屈をうながしながら、自らを守るために保存を謳い、そこで補完されるものなどは、誰かの言葉を借りたものでなれ合いながら、内外に果てる理由は、自由を求め、自由からほど遠いところで、統合されることだけを謳う正常から抜け出せず、自らの異常に気付かずに、起動するものにより、支配されることだけを目的に最たる意味をそこないながら、蓄積していく苦悩は、ここで虚偽を生み出し、帰路を絶たれ、退嬰的なものとして、システムの虚栄に導かれ、自らこそ、自由の子である、とパトスを暴走させ、断続する理由に散漫なものをかかえ、仮死化していく心身は、甚大な被害を受け手も尚、ここで苦しむことだけが、痕跡を残すことであり、ここで生きることである、と宣言するように仕向けるような神などは、自らを神として崇める者だけに従順であり、そこでこしらえられた理想や理念などは、自らを崇めるためのデータであり、自らの理想のために、何かを動かすための出来合の真実がデカダンを生み、ここで認識するもののほとんどが誤りや過ちを認めずに、ただ現れるものにいざなわれる方に導くための言葉が次なる誤りを生み、そこで弊害になるものを破壊するための正義が生まれ、そこで破壊されぬように刃向かう悪が生まれ、自らを苦しめぬように、誰かを苦しませることが正当化され、それを法で加工し、もっとも速い速度で死へ向かうためだけの競争を生み、そこで傀儡として生きることだけが普遍化していき、指定された義務を用い、飽き足らずに何度も続ける闘争から、統合されることだけに焦点を向けさせるための教育が孕んだもっともな悪意に囲われ続ける社会などを帰納させる数理が多目的に媒介する先々で対立を生み続け、そこで生み出される軋轢の中ですべての踏み台として存在することだけが、存在理由であるなどとうそぶくのである。

2017年7月26日水曜日

同化


 地殻を動かすようなひらめきをたどり、網膜に退く運命を測るような出来事が散漫に消費していく過程や、今を邪推し、蜃気楼をたどるような朦朧とした意識に貧していく要因を取り除くような展開を生み、ほそぼそと補足し続ける先に転じて行く思いが限界を生み出し、短絡的な衝動や、有する過程に生み出される過ちや、あいまいで未熟なままなのが、この生命の起源を躍動させ、ここで行いを正すような動詞や、達観するほどに、物事とは懸け離れ、答えを追い求めるほどに、数学的な狂騒にみちびかれ、前衛的な改定を続け、不羈のままで異端的に消失していく現在に体制が生み出す苦悩や、改ざんされるだけの数多の理由に疎外され、壮大な理論にいたらずに、胸裏にひしめく矛盾に支配され、ここで浸透していくものが、意識を刈り取り、何かに勝ち誇るような日々から逃れるための軋轢を生み出すような容易な感性から、感触すらもなく、衰亡し続ける先に宿るあいまいなマインドが体たらくなものを生み、補足されるほどに道理とは、動機を失い、ただ、何かの奴隷としてはたらき続ける意志は、いびつな観念を操作し、陥落していくだけに指定された義務や、物質的に強請られ、誘導され続ける先に生み出される欲望が打算するものに勘案されるものだけが、自らが考えたことのように示す矛盾と、順序を虐待し、艱難辛苦を生み出し、苦しみを出し抜くことだけが、勝利の鍵のように扱われ、ここで渇望し続けるほどに、苦しみに隷属するほどに補填される哀れみも、どこか、悲しげなものを演じ、堅実を謳いながら、現実では、何かを騙すことだけが、自らの矛盾を削ぎ、同意するものへと移行し、依然として、主体とは孕んだ、懶惰なものに支配され、物事の暗礁に乗り上げ、能動的であればあるほどに増していく敵意や、そこで敵愾心を膨らませ、自らのルサンチマンの奴隷として反し続けるほどに、自らの意思とはそこなわれ、何かに左右され、何かを保とうともたらされるものに左右されるほどに、自らの意思とは、自らにより破壊され、そこで徘徊し続ける先にシステマティックなものとの一体化を求め、そこで同一化を施すほどに、本当のものなどは、能動的でもなければ、デリカシーもなくこころの奥にそっと入り込み、背徳を謳う自我に占領された儀式的な意識は、枢要なものをそこない、そこで補正され続けるほどに、矯正を謳うような教育がもたらす一体感が用いる快楽の傀儡として、システムに算用されるだけの数学的な乖離を施され、機械化していく意識は、儀式的な供犠として、与えられた義務のために、規律の怠慢さをかかえこみながら、自らの苦しみを信仰し、行為にもとづ整合や、そこで迎合されるものだけに通わされたものだけが、自らを正道へといたらせるのだ、という信じ込みから、思想とは、間違ったものをそのままに受け取ることだけが、あたかも自らを正当なものに変え、掛け替えの無いものを守るために摩耗する意識は、儀式の中で一大な快楽を受け取るために奔走し、自らが与えられる苦しみの分、快楽も増すという幻想を生み出す脳内でのはたらきのために、歯がゆい理想を企て、惰性に生み出されるものの中で嗄声をこぼし、昏倒していく意識の中で苦しみとは、聡明なものを捨て、ただ、そこで苦しむことだけに専念し、意識を捻転させ、そこで膠着するものを崇めたてまつる間に互いをとがめ、恨みを晴らすための道徳が今に迫り、欺瞞を用い、漫然としない意識は、親愛なるものを高らかに謳い上げ、そこで崇められるものだけが、真実を語るのだ、とうながすほどに、法則性にからまる矛盾していくだけの原理にもとづくものだけが、物事を確かなものに変え、そこで暗示され続ける意識は、犠牲的なものをかかげ、加算される苦しみの奴隷として、意識にむしばまれるだけの誰かの消耗品として、商法の中で司る権利を守るためだけに闘争を続け、保たれる理想は、もたらされる苦しみが生み出すちぐはぐな理想を保つためだけの戦争を続け、つたない意識は、汚いものを排除しようとすればするほどに、自らの醜さには気付かずに、誰かを排除する事で、自らの汚さを昇華させるような仕組みこそを変えるべきであるのにも関わらず、既得権のためにためらわずに理想を改ざんするような悪魔どもが巣くうような要因から逃れられずに、何かを理想とするほどに、思考停止に陥り、応じるほどに、答えとは、尊さを失い、ただ、答えとしてそなわるほどに、そこで遅延を生み、横行する時代的な策略から、情報が不法侵入を繰り返し、深層心理すらも破壊し、果敢に挑むこととは、何かから懸け離れ、掛け替えの無いものを倒錯させ、そこで生み出される快楽に従順ではなくなり、自らを喪失するのだ、というような哀れみを吐き出すような答えこそ迫害すべきである、とうながすような事務的な理想から逃れるべく、帰巣すべき場所も求めず、この空間に放たれた瞬間に愛することに怯えるようなジレンマを越えて、答えに従属しないで、十全としたものを重ね、掛け替えの無い自らに帰り着く。

2017年7月25日火曜日

永遠性の歌


 狡猾なものが示す記号の雨が降る。硬化していく意識は、交換される儀式から、犠牲的ななにかを謳う同情の槍に突き刺され、自らを悲観するほどに、増していく痛みがエンドルフィンをうながし、そこで改善される意識は、快楽を用い、何かの傀儡として生きることだけが、自らを解放するものだ、と次々に償いを用い、自らを独裁者に変化させ、変換される義務から、懸隔を用い、持ち出された意味に閉め出された孤独感に苛まれ、最たる意味をそこない、喪失感にゆだねる人工的な楽園を歌うボードレールの悪意から、煉獄へといざなうランボーの世界からの孤立や、神々との交信を続ける塔の中で饐えたものを放つ飢えた言葉を噛みしめ、何事を孕んで不安定な日常を捜索する中原中也の鳴き声や、簡単に処理されるだけの愚論を引きずる帝国主義的な懶惰から、解放を求めるほどにすれ違う意識は、淫靡な結末を孕み、詩的な姦佞から、寝息を絡ませ、夜に悲壮感をただよわせるコウモリどもの大合唱から、乾いた身体に浸透する死のにおいや、認識するほどに、そこで認可されるものなどは、論証にいたらずに、正体を隠し、悪へと移行するのだ、と妥当な君の惰性に生み出された網膜にからまる犠牲的な観念から、奇跡がなんたるかも知らずに奇跡を謳う精神主義的な衆愚から、化石のような言葉を掘り起こし、あたかもそれが正しいように語る現在を否定し続けるニーチェのような凍てつく漂流から、ファシズムの分針を進ませるだけの政治的なプロットを泳ぐ理念も捨てた何かのツールどもがそもそもの憎悪を操作するのだ、とコミュニズム的な反乱を巻き起こすほどに、意思とは懸け離れ、用いられた大義も、何かに左右されるだけで、物事の本質は疲憊し、自らを苦悩させるだけにいたらせ、そこで解消されない痛みは、本質すらも見失い、キャピタリズムの奴隷として、或いは白白しくむさぼる餌のまずさにも気付かずに、精読することもなく、表面的に受け取る意味に偏りを示すだけの主義や思想などは、指導者を必要として、何かに汎用されるだけの数多の理由に理屈を捏ねて、捻出されるものが用いる義務から、空疎な意味に移行していくシステムの敗残者たるルサンチマンどもがうながすアイロニーこそが、市民の声であるなどとうながすような餓鬼どもがうごめく気だるい日々から別れを告げ、そこで求められる償いとは、少なくとも悪にアクセスするための受精を繰り返し、均等なものなどを謳うほどに、魯鈍なものにカスタムされ、意識の番犬として、何かが語る言葉の前で吠えるだけにいたるだけの堕落した構造を打ち砕くような鉄槌を用いずに、何かに一途であるほどに、ゆがむ精神は、何かを育むことを知らず、何かを裏切ることで達観しているかのようにいたるような悟りの中で、不当なものをかかげ、かかえた苦しみをその場で引き伸ばすほどに、そこで引き合いにされるものなどは、今に悲観を生み出し、強大な敵意や、境涯にひしめく苦しみに流動していく同化していくだけの支配的な規律から、暗号化していく意識に入り込む情報や、常套句を用い、何かを和ませるように迫る間に進路は奪われ、そこかしこで苦しみを氾濫させ、ランダムな意識は、今にも悲劇を用い、貧相な意味を持ち出し、適当に生きることを知らずに、適度を知らずに程度を用い、何かを測ることで安心感を得ては、自らを満足にいたらせるほどに、物事の本質とはほど遠く、そこで補填されるものなどは、足りないものを補うほどに、保全を謳い、そこで奪われないために闘う意思を削ぎ、聡明なものすら、何かに与えられた義務にひたる。貧相な影からこしらえられ、そこで案出するものが、すべての厭わしさの代用品として、支配されるほどに増していく苦しみに悲観していくだけにいたり、いぶかる先に生まれる行動は、コード化され、硬質さをそこない、同意を求めるほどに、相違していくことを知らずに、史観にひずみを生み出した規律から、喜劇にいたらずに、そこで持ち出される言葉が運ぶ意識的な枢要さに騙され続ける意識は、支えを求め、何かを信心することでしか、自らを満たすこともできずに、自らを知らずに、何かを知ることにより、自らを知るように思い込まされる間に混み合う意識は昏倒し、攻撃的にいたり、何かを否定することだけが生きがいのように感じるような外観を崩すために、ためらわずに自らとの闘争を続ける先に生まれる弁証法が、便利なものを生み出す間に何かを踏み台にするだけで、何かを啓蒙にひたらせるためだけに、体系的なものを吐き出すような口を縫いつけ、追考するほどに愚鈍なものに変わり、同じような命題にひしめく意思は、意味に偏りを見出し、不快感をあらわにし、自ら生み出したものすらすぐさま飛び越える辺りから、あいまいなマインドは、毎日に緩慢に作用するものを排除し、そこで疎外され、孤独であろうがお構いなしに飛び続ける意識は、陰鬱にひたらずに、平等などを謳わずに、用いられた自由に引きずられずに、ここで引き裂かれても尚、売買されずに、感応し続けるために詩的な昇華を求め、創造的に想定されるものだけを真実として捉え、ここでプラトニックにむしばまれ、無実の罪を背負った聖人どもがひたる空疎な快楽にひたるよりも、恐怖に震え、身動きも取られずに、選ばされたものを、あたかも自らの意志で選んだかのうように示される間に持ち出される議題に反し、自分から超え出ていく。

2017年7月24日月曜日

いらないもの



 証拠も残さずに、永遠にしなびた記憶を呼び覚ますような音楽にいざなわれ、空へとすいこまれる感情と同化していく夜だけが、唯一、自らと同一化し、敷衍する意識は、聡明なものをたずさえ、鮮明な過去を形成する余韻に浸透していく形式が、今に思いをたずさえ、ビジョンをたしかなものに変換する中枢で有する権力を機械化しながら、帰巣する真実に保たれる均衡などが、貪婪なものを引き出し、悲観するだけにいたらせるような瞬間や、主観や主体性をなぶるだけの動機があいまいなものを引き出し、貧相なものにゆだねられた思いがたゆたい、絶え間ない闘争や、合間に生まれる緩慢なものを作用させるだけの動機に陥落していく意識の奥底で枢要なものなどは、この世には存在しないのだ、と定理がうながし、連なる記憶をたっとぶほどに、体感するものとは、ここでの事実を史実に変換し、事実とは、ここで示されるものを認識しない限りに、事実とは、事実になりえぬのだ、と妥当な位置が引き出す言葉が邪魔する間にロジカルなものが想定する帰路が、ネガティブなものを引き出し、悲観させるだけにいたらせるような不安や恐怖の間で居所すら失い、内面的な世紀や、ここでこじれる時代性や、時間が引き取る自己や、常套句を放ち、懐かしさから解放され、現実へと引き戻される間に居場所ばかりを求めるケミカルな未来や、ここで嫌いになって担うものほど、そこで残酷なものを用い、用いられたものが重みを生み出し、応じるほどに変化しない毎日に刺激すらそこない、そこかしこで愚行を重ね、不幸を謳いながら、運命的な開示から、乖離し続ける先に散漫な意識は、言動に引きずられ、肥満化する意識は、システムの中で見捨てられたみなしごであり、何かを憎むほどに補填されるものを撃ち続けるほどにけだるい様相は、裕福さなどを謳い、そこで用いられる答えを批判的に乗り越えられずに、批判するほどに、疲憊し続ける自らを恨み出し、見つかることを恐れ、隠遁し続ける真実は、自らの陣を取られることを恐れ、復讐にふるえる日々を過ごすことの疲れから、追憶に貧するだけの意味が用いる理由に比するものや、そこで貧寒なものを用い、昏倒していく意識は、衰亡し続け、姿勢を失い、聡明にいたらずに、考えの中で慟哭し、汚いものを想像し、そこで相応するものだけが、自らを認識させるものだ、という悲観的な感情から、簡明に解釈できずに、むずかしくし続ける先に老けるだけの真実は、人工的なもので自らを埋め尽くし、つくづくに迫るつまずくだけの記憶は、慟哭を重ね、懐疑的な日常を刷新させようともくろむ者が示すものを信用し、そこで用いられる甘い言葉に遭難する。言葉ほど、そこであいまいなものに変わるものはないのだ、と妥当に打ち出す答えに占領され続ける意識は、戦争の渦中に入れられ、兵士になるか、兵器として利用されるかの二択を迫られ、生命の未熟さを味わうだけにいたり、そこで左右する言葉に邪推しながら、与えられる影響や、栄養だけでこの身をあいまいなものに変化しながら、ここで実直に示されるものにすら反し、悲観し続けるほどに、自らとの懸隔はひろがり、疲憊し続ける精神は、浄化されずに、背負わされた義務のために動かされ、そこで対面するものや、そこで怠慢にひろがるものに精神を傷つけられ、生み出されたものが打算し、参画するものだけが、物事を確かなものに変化させるのだ、という意識すらも奪い、退嬰的なままで誇張されたものだけを信心するような哀れみに気が付かずに、そこで飢渇し、飢餓し続ける先に創造性もなく、そこでくたびれ、裏切り続けるほどに排除される記憶は、愚鈍な永遠性の中で囚われ、変わらぬ制度の中で誠実さなどを謳い、用いられるものだけが真実を語るのだ、と惰性に導かれた答えだけが、今を刷新し、新たな理想を生み出すのだ、という虚偽に左右され、苛まれ続ける先に生み出される楽園や天国に偽装され続けるこころは、よりどころを求めるほどに、孤独感を増していき、使命感などを用い、安易に示されるものが、自らを閉め出し、惰性で生み出されたものを信用するほどに、孤立していく意識は、疎外感にふるえ、増え続ける恐怖感に支配され、自らが生み出す不安感により、自らを喪失させ、総じて真実とは、あいまいなものであり、矛盾を孕んでおり、懶惰なものに変換するだけにいたるような答えを今に引きずり、それこそが正解だ、としたり顔で今に示されるものだけが、支配を強化するものである、と宣言するような退屈な理想が主義や思想を形成し、利己的な支配から制されるだけの精神とは、何かに利用され、支配され、操作されることだけが、よろこびにつながるなどとうながすだけの理想ならいらない。

2017年7月23日日曜日

継承


 澱んだ意識を覚醒するようなものが、妄りに入り込み、背徳を謳いながら、反撥が生まれ、抑圧を叫ぶだけの愚行にひた走るほどに、人間という名に補完され、破壊し続ける精神は、支えを求め、些細なことで激情を重ね、攪拌される半径に呼び戻される苦しみからリターンするものが、復元を続け、綴られた情報をたどるだけの短絡的な衝動や、常道が叫ぶ同情に補完され続けるほどに、人間的な何かとは、何かを求めるための構造の中で芝居を続け、つたない昨日を発散させるために参画する毎日に攪拌され、懐疑的な意思は、意味を求めるほどに、意味から懸け離れていくという矛盾を孕み、育むべき愛は、その場で瓦解し、ほそぼそと生きる結末にいたり、ひたるほどに、求めた何かとは、改善されずに、その場で屈従する哀れみから、連帯感を叫び、同一化するほどに、自らとは乖離していくように感じるのだ、と惰性な意識は、達観しているように仕向けるような批判的な意思に苛まれ、今に屈従していくことでしか、自らの痛みを解消できずに、出来合のものが謳い上げる保身と、そこでせめぎ合い対立を続ける自己との終わらぬ戦争が続き、つたない意識は、空疎なものを信心し、みすぼらしいままに退化していき、逸脱すべき現在に貧するほどに、自らとはそこなわれ、そこに保存されるものが測る物事などに左右され、今に作用すべき愛も、保身ばかりを促し、自らを束縛することだけに専念し、抑圧される精神は、些細なことで苦しみを背負い、制限を生み出し、俗世に囚われた意思は、何かを表現することを恐れ、自らを締め付けることに快楽をおぼえる。そこで補完された恐怖から逃れるための闘争が続き、そこで統合されるものは、自らを苦しめることにより、快楽は加速し、死の傀儡として、悪を用い、正義を語るような者としてシステムの中での資質を求め、追い求めるほどに懸け離れていくしあわせなどを賭け事にしては、妨げられるほどに増していく欲望の中で指定されるものを仰ぐことだけが、自らのしあわせを手にするのだ的な発想から、敵意を生み出し、敵愾心を生み出し、周りを破壊し続けることにより、おちいる孤独と同化し、自らに服従するほどに魯鈍なものとして、艱難にいたるほどに、鈍麻な感情を引きずり、引き合いに出されるものや、そこで騙されるものをまたぐほどに、偶像を生み出し、そこで溜め込まれる意思は、対価を求めることに専念し、捻出される差異や、あいまいに律動する音との摩擦を繰り返す宇宙空間から、悔悟を生み出し、罰を受けるよろこびにひたる人類の経路や、改善されない痛みを加速させるだけのペシミズムを嫌悪すべきであるのに、そこに与えられるよろこびに勝る快楽はないのだ、と惰性が生み出す意思が陰鬱な衝動をかかえ、そこで嵌まる意味と、緩慢に作用し続ける病の間で綻ぶ何かこそが、自らを認識させるのだ、という誤りを生み出す。シンドロームは、依然として寛容であり、君の苦しみを補完し続ける。先々で敷衍する苦しみは、普遍性を謳いながら、保たれる均衡を壊そうと必死に罪の意識をかき鳴らし、懐疑的な保身が生み出す正義から、存在とは、自らの存在の中で欠落し、薄っぺらい存在は自らが自らを認識する間もなく、その場で果たす義務のために昇華しきれずにさまようような欠損をかかえ、過剰に生み出される情報が示す欲望から、動揺し続ける先々で対立を続ける存在は、その場で途切れ、そこで永遠を摂取し、自らを凡庸な者だ、と卑下することだけに専念し、悽愴苛烈な現在に枯れ果てる彼らが支援するものに偽装され続ける何かしらにしいたげられ、従えられた意識は、何も発散できずに、可能性を否定し、悲観する。貧相な主義をかかえ、何かに依存することでしか、主体性の重みに耐えかねずに、体系化されるものにこじつけられるものへと引きずられる意志は、卑近なものを批判することにより生み出される快楽の虜になり、担うべき意味も、そこで複製されるだけに満たない答えを引き出し、貧相な主義は、衆愚の中でのカタルシスを求め、自らを特別視し、蔑視を続け、軽薄な理論を形成し、何かを警醒しているフリをしているだけでは、自らを汚すだけであり、自らをたしなめるだけにひたり、そこで生まれる快楽だけが、フラクタルに連なり、絶対的な規律と十全とした調和を生み出すのだ、と騙る神話から逃れ、自らの気配を攪拌し、さえぎられる現在に突出すべく、韜晦し続ける先に逍遥を続け、そこで収まるだけでは、足りないものを補うための戦争を続け、軽薄に浸透するものに占領され、羨望を続け、何かに嫉妬するだけにひたる現在に抵抗を生み出せず、そこで肯定し続けるほどに、崩壊していく意思は、解放をめざし、何かを利用することだけに専念し続け、何かにあおり立てられ、何かになぶられ、放置された意思が澱んでいき、いくばくかの可能性すら否定し、続けることをやめてしまう。

2017年7月22日土曜日

怠慢

怠慢な身体を引きずり、今に悲観し続ける先に肥大化する欲望が氾濫し、欲動し続ける先に気配を牛耳り、機械化する運命は、今に悲観的なものをたずさえ、さえぎられる思いを徘徊し、破壊し続ける先に現れた苦しみを再利用しながら、しなびた思いを加速させ、かけがえのないものを喪失し、消費され続ける思いを察知し、悟る間に肥大化する悲しみに左右される思いを予防しようと、動機を撹拌させ、配備される愛が凶暴化し、暴走する意識がエコーし、興奮を抑えられぬ意識は、快感を利用し、良俗なものを謳い、束ねられた意識は、システムをかかげ、改善を求める意識は、予知を利用し、何かを支配する目的だけを遂行させ、忍従することすらできずに、用いられた言葉に保護される日々は、現実味を失い、画面の中でしか存在しないものを崇拝し、信用を謳いながら、配備されるものは、憎悪を生み出し、緩慢な愛は、大義を持たずに、刺激された精神は、何かの支配下に置かれることにより、安心感を生み、安易に騙される思いは、何かを強要され、最たる意味を損ない、度重なる苦痛は、狂騒に撹拌され、自らの半径で満たされた思いは、次なる快楽を求め、つぎはぎだらけの精神は堕落し、フラクタルに感応する快楽や、今に敗残し、回転する意識は、観点を失い、疎外され続ける先に理由を求める形式的な者が寄りかかる先が、変わらぬものを高らかに歌い上げ、退廃的なものを信仰する。その先に待つ苦しみを繰り上げ、腐りきった感情が孕んだ意識が、知恵を失い、ただよう意識は、神経をむしばまれ、無害化を謳う権利は、法に補完されるものが、感覚を喪失し、しびれる先に、行動性を奪われ、衝動だけに左右される獣が、聖域をかかげ、介する間に理解を求め、乖離する先で求められるものが芝居を続け、つたない意識が汚いものを視察し、侵食するものが、イメージを奪い、見るものがつかさどるものが、つたないものが、中間地点を奪い、奇跡をもたらせずに、神格化された意識は、聖域を求め、自らを神に仕立て上げていき、逸脱する生命は、矛盾をかかげ、観点を失いながら、長らくに這いつくばる孤独が悲劇を持ち出し、欠陥を持ち出し、だしぬくために蹴落とす意識は、形骸化していき、義務をもたらし、支配へと移行する先に気配はうばわれ、裁かれ続ける意識は、満たない感情を持ち出し、苦しみを利用し、今にもたらす悲劇が明晰なものを奪いながら、曖昧なものを悟り、再生され続ける苦しみに邂逅するための無知な雨が降る夜を、あてもなく散歩する自由を知らずに、散漫な意識は、儀式的なものを仰ぎ、相対するものが慟哭を続け、追憶に瀕していく意識は、定期的な苦しみを繰り上げ、寛容なものを損ない、狭い世界で悟るものなどが、困難をかかげ、同じ苦しみに同調するように仕向ける間から、背反し続ける先に最愛な者を喪失した先々で対立し続ける運命が卒倒し、聡明なものを失われ、うばわれ続ける観念は、様々な思惑を重ね、介する間に動機は、道理を失う。網膜の内部で卑劣に寄生し続ける悪魔的なものが、敵意を利用し、適宜するものへと強制的にはぶかれていく意識は、定義を失い、猜疑心を用いる。あらゆる苦しみを治療するための憎悪に課せられた政治的な半生をひるがえすようなヒロイズムが革命的な偽装を続け、流用されるだけのシステムの先で無援な者として、システムの中で逆流し続ける先にシステムを追い越すようなシステムの中で乱用されたものに背反し続け、暴走し続ける先に理由すらもなく、ただ愛する日々に口づけし、帰る場所すら持たずに、何かに満たされることを求めずに、ただ溢れるものでれ、と神がカタルシスをうながす以前に、自らが氾濫させる精神の先々に用いられる日々から放たれ、ただ愛する先に用いられるニヒリズムを超えて、私は、自制することなく、計画的な排除を続けるために名付けられたものは、瞬時に捨てるべきであるし、もたらされたものなどは、今に認識されたものに乱され、まだ満たない、と求めるための血を流す。意思を改ざんし続ける先にイメージは、記録を改ざんし、通り抜ける意識は、いびつなものをかかげ、計画的なものを用い、今に利用されるほどに、自らとは損なわれ、内面的な苦しみを乱用し、牛耳られた意識は、用いられた価値により、今に苦しみを繰り上げ、包括され続ける先に絶え間ない痛みを繁栄させ、自らを苦しむためだけに流用する。

2017年7月21日金曜日

競争


 たなびく永遠は、はるか無知な様相で、現実を疎外し、瞬く間に映える主観に、よろこびを与える。覆われた暗鬱な物語に現れる閉塞感を超えて、不羈なままにたどる様子を俯瞰でながめる乖離した感情がひれ伏す先で、鮮明なものなどは、ここで貪婪なものに変わり、関係性をむさぼるだけのリビドーを旋回し、展開する意識は、散漫なものをかかげ、現実味を喪失し、演奏を続ける退屈な連中がでっち上げた支配のコードをかき鳴らすほどに、ここでは、乾いたものに変換され、変化のない日常を這うように進むだけの延命から、願い事を続けるほどに不幸なる彼女たちの動向を追うよりも、ここに現れるものがうごめき、這いずる意識に悪態をつきながら、つかず離れず、ついてくるものだけが信用に値するなどと、相対する君は、感情が動かぬから、と安易な瞬間に修復を求め、祝福を謳うほどに、鈍感なままに奴隷化するのであり、理屈をこねて、捏造される毎日を信仰することだけが、しあわせに導くのです、と死に近付く嘔気から、王道を歩くほどに、同化していく意識は、感動などを謳いながら、内面的な憎悪を膨脹させ、いつか破裂する回路から、飢餓する毎日に季節は風化し、抱擁されても尚、そこで近付く愛にすら鈍感なままで、簡易なものに支配されるよろこびから、平静を保つほどに、狂気に近付く領域から、そこに現れる境域でしばられるほどに、補完されるものにこころ奪われ、運命を手懐けているつもりでも、そこに覆う死に打ち勝てずに、逸脱することもできぬままに、出来合のものを信用し、心情を吐露するほどに、何かに蹴落とされるのです、と遅配する意識は、観念論につかまり、伝う意識は、関係が用いるコードにより、よりよい価値に近付くのだ、と惰性な弁証法から、短絡的な毎日に適応するほどに、生きてるかすら不透明なままで、不本意なままに、何かを信用するほどに、応じる答えにアイロニカルなものをぶつけ、ぶしつけにたずねてくる瞬間に恨み辛みをぶつけながら、適応し続けるほどに、補足される獣の流儀から、留意するものが、ここでねじれ、祈るほどに、アイロニーをかかえ、観点をそこない、散漫な儀式の生贄として、柵の中から眺める世界は、ただ広いだけで、自らを補完するような愛に近づけずに、ここで誓いをうながすほどに、愛とはほど遠いものになるし、やがて滑落する意識は、死へと追い込まれ、行動性すら支配され、運動的な器官に痛みを授けるような孤立した夜から救うべく、自らを超克することだけが、その場での苦しみをひるがえし、ここに用いられる道理に支配されずに、隠遁し、孤独と静謐の先で待ち受ける匕首を捨て、生命が偽言を探すほどに、回答とは、用いられた答えに左右され、自らの位置を謳い、占領されるだけの意識は、惰性に物事を変化させ、そこで変換されるものが支えを失い、逃避し続ける先に現れる現実などは、鈍感なままに処理されるだけの物事を破棄できずに、そこで溜め込まれる苦しみに占領され、量子的な観念から、容易な発想が生み出す宗教的な移行から、ここで迫害されるだけのアウトローや、トリックスターどもを檻に閉じ込めるほどに、法に補完される苦しみにより、人間とは、人間として完成されるのだ、と神を利用し、流用されるだけの感情は、上下左右すら見失い、自らが徒労するほどに、弄する感情は崩壊していき、解放を願うほどに、出来合のものを真実に変えるための変換から、偏執していく意識は、今に適任できずに、敵意を溜め込み、破壊的な感情に疎外され、自らの隠れた暴力性を扇動する者どもに利用されるだけの価値として存在することだけが、君たちの役目である、とでたらめなもので作用させるような依存的な順応から、不満を用いるほどに、不満を解消しても尚、次の不安が迫り、不安定な感情は浄化されずに、感情がおもむくままに行動することだけが、孤独と死への逃げ道であるのだ、と騙る者こそ神を捏造し、アイロニカルなものを数えるだけのペシミストであり、絶対的なニヒリズムに移行し、義務的に排除を続けるだけの可能を用いた神は、自らの罪の重さに耐えかねずに、体系を破壊することで、自らの理不尽さを解消し、そこで収めるものが作用を続け、何かを騙し、動かすことだけが、正義へと値し、そこでかかえたジレンマを解消するための快楽と暴力だけが、自らの渇きを癒やすのだ、と謳うような同情から、道理は退嬰的なものに陥り、自らを退廃的なものに変化し、物質としてしか生きられぬようなたやすい機械的な論理から、対価を求めるだけの経済的な猶予に隠された罠を解除できずに、罪の意識ばかりを増加させ、自らを苦しみに屈従させ、その罰を受け入れることで、自らは解放されるなどとうながすようなデカダンの祖や、終末論を用い、何かを破壊することでおとずれる快楽を保つような正義をかかげた独善的な手法を用い、何かを洗脳することだけが目的な理想などは、哲学を知らずに、構築されたものだけにしたがい、知らない者をのけものにすることしかできないような獣でしかない。

2017年7月20日木曜日

高次


 誰にも届かぬところで反響するものが、融合し、死の断続から逃れ、生命を呼び起こすような叫び声から、産後からあふれる哲学的な抗争から、混沌としていく意識に散漫な動機がちらばり、制限を巻き起こす宇宙から抜け出し、ただよう意識は、この夜での真理を引き裂き、神を持つ前のプリミティブな衝動だけが、ここでの本性を呼び覚まし、本能が引き起こすものだけが、物語に何らかの影響を与え、授かるものなどは、ここで論難をあびせるだけだし、本音と建て前などを謳うだけの建設的な妄想から、獰猛な意識は、何かに飼い慣らされるのは、飽き飽きだ、と制度を持たず、ここで与えられる制限などは、ここでの苦しみを膨脹させるだけにいたり、何かにひたることで逃避することだけが、ここでの本質を知るのだ、と妥当な位置は、意味をたゆませ、ここでの行動を鈍磨なものに変え、貪婪な者に陥るべきであり、誰もが、同じもののために突き進むべきだ、と洗脳されたペシミストどもの嗚咽が氾濫する同化するだけの日々などは瞬時に捨て去るべきであるし、ここで生きているものは、何かに生かされているのだ、という言葉のまやかしが引き出すロジックなどは、何かと同調し、強調し続ける先で待ちわびる死へと加速し、動機をそこない、そこでさまようべきだ、と位置づけられた意味などが引き出す答えなどを引き裂くべく、この人間と名付けられたものは、定理の中で制限を用い、自らを苦しむための制度を生み出すことに長けているのだ、と惰性に騙られるものが、延々と引き伸ばされ、悲観すべきである、と宣言されたが最後、そこで法に加工された原理などに誇張された未来を誰もが占うべきだ、とうるさくつきまとうような主義などは、何かを信仰し続ける先に生まれる枢要な価値を保つための崇拝へといざない、途端に凍り付く一帯は、一体感などを求め、退屈なものをそこに取り込み、何かを撮り続けることだけが、自らの使命である、というような自慢を繰り返し肥満化し、怠慢な者に陥るほどに、愚行には気付かずに、愚弄することだけには長けた卑屈なものがうながすものに左右され、ここで作用するものなどは、哲学を待たず、何かの先を取り込むことだけが、自らを強調し、共闘すべきだ、と惰性な意味を引き出すだけのものを信仰する者に指図されるよろこびに取り込まれることだけが、うまくいくのだ、と悟るような間を打ち砕くような鉄槌が必要であり、悲観し続けるほどにシステムが誇張する理由に刷新されていくものが、アップデートされ続け、同じ意識へと引きずられるべきだ、と卑近な者が宣伝するものに引きずられる、その身が滅びても尚、何かを恨むことだけに専念するような主義が理想を供給するほどに、理想とは懸け離れ、自らを苦しめ続けるだけにいたるような兌換が繰り返され、重なる痛みは、意味がなんたるかを知らずに、何かを感じているかのようなフリをすることだけに長け、体感するほどに、ここでの完全性とは、脆弱なものを生み出し、そこでこじれた意識は、何かを批判しいい気になっているだけでは、何かを超越することはできずに、その何かにすら気付かぬままに退廃的な呪詛を並べ、何かを羨むだけでは、うやまうことを知らずに、うまい話に乗っかり、能動性をそこない、受動的に受け取る依存的な人間が徘徊する既製品やコピー品であふれた街並みに同化することだけが、自らを守るのだ、という意識こそが、自己を摩耗させ、卑屈な者へと変化していき、そこから逸脱しないように、同じようなものを愛することだけが、ここでの価値であると宣言される間に愛は何かを変えるものではなくなり、愛とは飼われ、買われるものに変化するのだ、と信用や清廉潔白を謳う者ほど、内心では残酷さを孕んで、懶惰な自己を蔑みながら、自らに向けられる憎悪を、誰彼かまわず共用すべきだ、と同情を謳うような信仰の間で欠乏していく意識は、便宜的なものをモチーフに、理論的な排除を繰り返し、廃絶されるべきなのは、既存のものであるのにも関わらず、既得権を保つためだけに、犠牲を問わないのだ、とうながすような強権こそが、ここでの理由を傷つけ、問題提起されるものも、確かさを生み出すのではなく、自らの足かせを外すべく、自己弁護を続けるだけであり、貧寒な価値をカタストロフに追いやるような棘を持たずに、何が花か、と嘆く君に作用するものも、誰かが用いた苦しみを今に引き出し、意味のない闘争へとおちいるだけにいたるのであるし、ここで問題とされるものなどは、誰かが率いた価値が卑近なものを用い、何かに利用されることだけが、ここでの価値にいたるのだ、と積み上げられた歴史を否定しているようでは、何者でもない、と疎外させることだけに長けるような意識的な排除から、情報操作されていくことのほうが、楽なのだ、とうながすような政治性が、仮想的なものに支配され、誰かに敵意を向け、無実の罪を自らに着せ、何かを恨むことだけが、自らの罪を洗い流すなどとうながすような思想の中で、創造性すらも失われ、構造的なものが堅持する事実から離れられずに、同じような理由の中で苦しむ現在から抜け出すような高尚へと進み、ここで判明するものなどは、何かを認識しているわけでもなく、何かをへだてるためのウソを実現させるためだけに、ためらわずに破壊することによろこびをおぼえるようなサディストばかりが、群れの頂点で馬鹿みたいに騒ぎ立てているだけ、だ。

2017年7月19日水曜日

制圧


 理想を保ち、守ろうとするほどに、人は曲がってしまう。過ちを認めない限り、間違ったものを信仰し、自らが正しいとし、自らを捻じ曲げる。あらゆる理想は、主義の下で別離し、自らの考えのように差し向けられた理想に操作され、自らを喪失していく。同じ行動、同じ動作にも芸術性は存在し、繰り返すことにより、その美しさは溢れていく。ふれあうほどに、時間の感覚は失われ、損なわれたものを満たす愛だけが、時間を忘れる。時間とは、継続されるほどに、愛を損ない、そっけないものを溜め込み、自らを喪失させる。あらゆる苦しみとは、時間の概念が生み出し、絶え間ない苦しみを補完する。時間を忘れさせるのが愛であり、時間を感じさせるようでは、愛ではない。外は、止まない雨で、あてのない感情はずぶ濡れで、時代性を謳い、暗鬱なものをかかげては、自らを苦しめるための時間に追われる。眠れぬ夜を数える羊は、眠れることに気付いておらず、自らに見捨てられた夜に補完される苦しみを感応し続けるほどに、過去の奴隷と化する。還元されるだけの愛とは、自らとの距離を深め、そこに現れた深淵に飲み込まれ、自らを喪失していることにすら気付かずに、今にくじけていく。そこに求められる定理とは、自覚すべき愛を、自らに補完できずに、受け入れられぬものばかりを想定し、自らを屈折させていき、卑下し続ける先に現れる闇へと措置されるひずみから、リズミカルな衝動を喪失し、高次へといたらずに、混沌の中へと葬り去られるだけの自分を屠るための機能だけに順応していくニヒリズムに打ち克つべく、途端にねじ曲がる衝動は、興奮を忘れ、自らを昨日に閉じ込め、心ない何かを生み出すための定理に基づき、構造的に排除され続ける今に機械化する心身は、自らを苦しめるための時間を想定し、透徹できずに、不透明なものに囲われ、過去に隷従するほどに、時間の外からは出られずに、でたらめな何かを崇拝し、自らを排除していく限りに提起されるものとは、今を戸惑わせ、透過できずに、不感症へと陥り、真実の愛を見失う。ないがしろにされ続けた精神は、肥満化し、自らの鈍重な精神をむさぼり食うことだけに専念し、扇動され続けるほどに、バビロンに飲まれていくのだ、と感情的な何かは、殺風景なものを迎合し、薄っぺらい関係性の中での制度に苦しむことだけに捻出される苦しみだけに飼い慣らされていくことを反証するような制度の中で、自らの鮮度は失われ、混淆されるほどに、行動とは、今に軋轢を与え、こじれる先に生まれる闇の中での闘争を続けるほどに、ここで綴られたものに連関するほどに、自らを抑止し、こころは揺動され、些細な出来事の中で提起されるものの毒気におかされ、自らの矛盾に気付かずに、考えることを超えるような考えにいたらずに、還元されるものにのまれる。想定されるものなどは、そこでの意味から抜け出せずに、惰性に示されるものに閉め出されるだけにいたり、何かを信用するように仕向けるような宣伝から、洗脳され続けた仰仰しい教育から、教養を謳うほどに、ここで洗礼されるべきだ、とうながすようなデカダンどもの至福から生まれたジレンマをかかえた数千年の歴史が形式的なものに系列を生み出し、ここで体系化されるものが快感をうながし、運命的なものをでっち上げ、あいまいな今に愛は飼い慣らされ、そこで売買されるだけにいたるような愛の狭間で、何かを叫んだとしても、絶え間ない虚構が迫り、価値の中でしか測れぬ価値から離れられずにいるままでは、そこでの時間に占領された意識は、形式的なままにおちいる先に生み出される惰性な意識に囚われ、退廃的な呪詛を繰り返すだけの安易な考えに陥り、偏向し続けるシステムの先で、戒律から乖離すべきであるのに、そこで謳われる正常に支配されるだけでは、ここから抜け出せずに、散漫な意識が買い取るだけの偶像に支配されるのだ、と芝居じみた革命家たちは、自らを再認識すべきであるのに、自らの大義のために用いられる犠牲を良しとする。その先で待ち受ける煉獄に嵌め込まれた精神の最後で道理を用いるような正義などは信じられるわけもなく、そこで分け距てることに専念するような主義にひたり、閉鎖的なままでは、自らを消耗するだけにいたるし、ただ開け広げているだけでも、出来合のものを信仰し、自らにかかる比重を取り除くための徒労を重ね、そこでかいがいしく持ち上げられるものを崇拝し、疎外される恐れや、死に至る先に迫る闇にのまれる怯えや、往往とうながされる様を傍観するほどに、自らとの距離は深まり、そこで生きてるのかすら認識できずに苦しむことを反復させ、反芻すべき愛にいたらずに、何かを求めるほどに、深みにはまる先に生まれる闇だけが、自らを汚れさせずに、健気に感じる苦しみだけが、自らを癒やすなどとうながす先に生まれる闇に嵌まり続けるだけにいたり、自らにひたるほどに、水増しされる快楽などは、瞬時を癒やすだけにいたり、真実にいたらずに、何かをごまかすために繰り返される義務に苦しめられるだけにいたるようなサイクルから抜け出すために、自らを克己し続けることにより、よりよいものをすぐさま飛び越えるようなものを書き続け、ここでふれる時間などは、すぐさま過ぎ去ることを知る。

2017年7月17日月曜日

閃光


 新たな生命の鼓動がどんどんと鳴る。贋物の感情を注ぐだけの転換期を越え、ののしるだけの自然や、正義をうながすだけの信仰にへだてられずに、惰性に生まれたものが信用を謳い、絶え間ない闘争へといたらせるだけの悲劇から逃れ、精神的な構造を打ち砕くような現実性が打ち出す制度を超克し、いびつに形成するだけの論理的な廃絶から、途端にあふれる心象におりかさなるすべての汚穢をかき消し、清潔な時折にまざるものだけが、天をたたき、なしとげた後にひれ伏すよりも、ここで比例を重ね、加算されるだけの原理や、そこで用いられる倫理観が打ち出す正体もわからぬようなものを相続するよりも、ここで幼稚にみちびかれるだけの緩慢な作用や、運命的な出会や別れを排出し続ける先に現れる魯鈍なものが支配を加速させ、そこで浸食するだけの痛みに耐え、体感するほどに、ここでの感覚は麻痺し、関連するほどに、時代性に征服され、複製される真実や、うやむやな過去を形成するほどに、軽薄なものを折り込み、高揚感をそこない、そこでこじつけられたものに関連するほどに、冷静はそこなわれ、相似していくほどに、何かと近似しているのだ、という強迫観念にねじ伏せられるよりも、ここで身を寄せ合うほどに、孤独は増し、そこで提起されるものなどは正しくもなく、そこで脅迫的に迫る意味は、用いられた価値の中で制圧を続け、圧迫感に耐えかねぬ感情は、固執し続け、軽薄なものを信仰し、心情を凍結させ、陶然たる心地を失い、統制されるほどに、未熟な感情は、関係性に入り組んだ意味の中で朦朧としながら、しなびた思いは、信仰の中でしか、自らを認識できずに、正しさを用いるほどに、正しさとは、途端に神聖を失い、作用するものがさびれ、くたびれたままに祈り続けるほどに増していく空しさは、みなしごのようにさまよい、自らを正すこともできずに、あたえられた正しさの中で緩慢に作用するものだけを信用し、自らを正しく認識できなくする。あらゆるものが大量流出していく。停泊する思いは、帰る場所を求めるばかりで、与えられた愛を受け入れられずに、孤独であろうとするほどに、尊さを履き違え、デカダンなものへとおちいる。先々に現れる鬱々とした深淵に潜り込む彼や彼女らが求める母体を打ち出すような言葉の影に潜む罠から逃れるための方法論を打ち出すべく、ここで生まれるものがすがすがしくあるべく、ベクトルは、天からすなどるよりも、枢要なものを放置し、あらゆる論理の外へとエクソダスし、永遠性を保つよりも、ここでひずみ、そのままであることを拒否するほどに、苦しみとは、その場で増していくのであり、そこでマストとされるものとは、慢性的な中毒を与え、そこで依存することだけが、避けられないものから逃れるための方法である、とうながすよりも、そこで立ち向かい、玉砕覚悟で打ち出す創造だけが、今を救う手立てになるのであり、そこで謳われるだけの救済などは、自らを救わず、そこで用いられるものを保ち守るためのウソを兵器化し、加算される原理が生み出した第三者からうながされる答えを即座に変換するだけの機械的な正論などは、何かを論破するための武器でしかなく、そこで兵器利用されるような言葉たちが、多目的に与える影響が、今の困難をもっともな困難に変えていき、難渋なままに、世界とは、世界であることを目的に、今を過信し、自らの生活だけが保てれば、と互いをとがめる途端に倒壊していく関係などを保つよりも、ここで用いられるものを解明すべく、すべてとは、そこで極まり、身に余るものばかりを形成し、迎合されることを信仰し、ここで答えとされるものにさえぎられた途端に連関していくほどに、物事とは偏ったものを理想し、理性を失い、喪失感に耐えかねずに、奪い合うだけの結末に唾棄されるものを崇め、自らをデカダンなものへと変化させていく。意味を救うのは、自分だけであるし、そこでの孤独に位置関係を求めるだけの暗鬱に隠遁しても、その場での苦しみとは、越えられぬものを自らで生み出していく結果にひたるよりも、ここで昇華し続ける高揚感に身を任せ、宇宙規模にひろがる詩的な幌を張り、矛盾しても尚、我が儘に進むことだけが、詩的な逍遥を続け、観念から逃れ、能動し続けることだけが、継続することすらも拒否し、我がうながすものだけが、我に帰巣し、記号化されるだけの安易な改心を求めるだけの宗教的なものを飛び越え、神を生み出した人間を越えてこそ、はじめて人間である、と言えるような価値が打ち出すカタストロフを乗り越え、付加価値などクソ食らえと聡明な時折に織り込まれたものなどは、今を動きにくくさせ、何かを憎むための理想が、理性をそこない、姿勢をうばい、なあなあなものを生み出し、出し抜けることだけを目的に、損得や善悪だけが媒介する退屈な互恵を謳い、退嬰的なままにおちいるならば、みなすべておちいるべきだ、とペシミストどもがうながすよりも先にいたる闇を切り裂くような者でありたい。

2017年7月16日日曜日

清廉


 意識の隅々にみずみずしいものが染み渡り、自然回帰を謳うよりも、現時点であびる鼓動が慟哭することにより、連綿と深まるものが、普遍性を越えて、淵源に果てる永遠性や、制限を持たぬ精神が生み出すものとシンクロし、ここで黒々としたものを生み出すよりも、絶え間ない生命の活動に重ねることにより、自らの痛みは昇華し、木漏れ日が歌うフラクタルな呪文や、商業的なずさんさを謳うよりも、ここで形成されるものの意味を悟るよりも、ここで軽薄なものを用い、何かを支配しようともくろむよりも、欲望うごめく都会を否定するよりも、要理になびく不浄をなげくよりも、ここで健気に敗残していくものが提起する理由にこじつけられる痛みが複製していくだけに聯立していくものに腐敗していくよりも、ここで身を寄せ合い、確かな愛をあそばせる契機から、形成されていくだけの言葉に邪魔されずに、時代性が用いる陰鬱を有史以来はこばせるだけのあいまいな市場を飛び越え、記憶にむすばれるほのかな優しさにゆらぎ、誠実を用い、何かを構築し、構造的な排除を謳う法に偏る心情に屁理屈を述べるよりも、リベラルを用い、統合されることだけを目的に進む精神主義にいたるよりも、その場での自分をそのままに愛することが、よりよいものを謳うよりも、ここで占われるものに阻害され、苛まれた今に枢要なものをそこない続け、行いに転じ、自らを束縛するだけの理由に疎外していくほうが、よりよいものを見つけられるのであり、そこで見つけたものすら見つめ直し、自らの領域をさまたげるような卑屈をかかえるよりは、自らにいたるもので足るのだ、と受け入れることにより、何かを憎むことをやめ、清潔な自己を保てるのであり、ここで蔑むだけの記憶は、自らのはじまりを否定し、そこでまじわるものがはじまりを告げるのだ、という勘違いを含ませるだけの理想を供給するように仕向けるような理由から、疎外感はふくらみ、そこで応じるだけの答えに流されるままでは、自らの勝利を確定しようと仕向けるような法の中でしか、自らを認識できずに、ここで深まる意味へと到達できずに、その場で淘汰され、問い質す間に貫徹すべき意志すらそこなわれ、そこで習ったものだけが、物事を形成し、そこでの正しさを表現するほどに、何かとの差異に囚われ、自らを永遠の捕囚として崇めるだけの悲観的な観念が生み出す関係性に取り込まれ、同一化を求めるだけの愛は、自らの孤独に耐えかねずに、偏った理想を用い、理性をそこない、獣のように生きるために毒されていくような主体性は、体制にこびへつらい、自らのつらさを昇華できずに、何かと自分の痛みを重ね、その痛みを消費していくだけにいたり、いたわることを忘れ、自らを道具のように扱うことに現れる偶像と偶然の間で卑劣な闘争を続けるだけの消費的な毎日に締結していく理由も、貧寒とした意思をたずさえ、何かを否定することでしか、自らの正当性をかかげられぬような価値だけを用い、闘うことの意味を履き違え、自らを苦しめることだけに専念し、厭世観をたずさえ、演出されるがままに緩慢な理想を組み立て、立場を利用し、領土を奪うことだけに専念するような闘争から、投影されるものに偏り続けた理想は、間違いを認めずに、そこで提携されるものへとひずみ、いぶかる先に堅持する現実から、原理的なものに偏り続けた価値は、自らの価値を守るための破壊活動を続け、派生する意識は、何かを保つために、その力を利用し、何かを守るために摩耗していく意識は、何かを守るための暴力を続け、つたない意識は、そこで法理へとむさぼられるためのバクテリアのように繁殖し、寄生を続け、自らに帰り着かずに、戒律の下で裁かれるために、この罪とは、今に用いられた苦しみを消費するのだ、という惰性な達成感を確認するために、さらなる破壊を推し進め、自らの正当化を目的に誰かを攻め入ることで増していく快楽が提起するものへと偏り続けた意志は、自らの大義のために犠牲になるものの意味を知らずに、ただ自らの意志が堅持するものに偏り続けるほどに、自らの意志に苦しめられ、自らの理想を謳うほどに、理想と現実との懸隔に耐えかねず、自らを破壊するように、外へと破壊的な意志は敷衍し、自らの意志を保つために、理性をそこない、そこで転じて行くものに抑止力を与えられずに、ただ破壊することを目的にしていく。あらゆる原義を瓦解させるだけのプロパガンダが進行し、指導者が与える影響のままに鋭利なものをそこない、そこでなあなあに推し進めるものだけに行動を左右され、最たる意味をそこない、理屈を捏ね、理性をそこないながら、生きることのより生まれる義務などに指図されるほどに、この命とは、むかむかしたものを溜め込み、軽薄な理想を掲げるものへと偏り続ける。そこで返事を待つ君は、今にしいたげられ、そこで複製された真実を崇めることだけに精一杯だ、と妥当なものをかかげ、惰性な生き方に転じて行くほどに、抵抗力は失われ、そこで反撥するものか?はたまた、ままならぬままに流されるままに排除されていく生き方に転じて行くかの二択を迫られ、そこで崇められた価値が生み出す答えだけが正しいもののように崇めることだけに専念し、そこで演出されるものだけが、自らの正しさを示唆するのだ、と信じ込むことを余儀なくされていることに気付くべきなの、だ。

2017年7月15日土曜日

矛盾


 矛盾していく私は、提起されるものを無視し、自らに行き着くものに心洗われ、未熟なままにとなえる季節を飛び越え、こじれる後先や、切れ切れになる思いが途絶え、途端に愛があふれ、ふれあう思いが抵抗を続け、伝う思いが、真理やシンパシーを超えて、時間に制限される前に今を超越し、秩序を守るよりも、たびかさなる理由が流動し、自らを正すものなどを貪婪なものに変えるだけの排除を続け、伝う意識は、奇跡を求め、健気な祈りから抜け出し信じるべき自分に帰り付かずに、寄り道ばかりして、互いをとがめるための言葉を知らず、主体性を持たずに、誰かに与えられたものにむしばまれ、無神経なものを伝えるだけの道理をうながすだけの果てや、経過するほどに、ほつれる感情は、浄化されずに、悪意を伝え、退廃的なモラルをうながし、快感をうながすだけの、堕落した思いが洗脳を続け、刹那にぬいつけられた思いは、淫蕩なものをたずさえ、快楽を用い、もたらされる愛をつなぐ時折に織り込まれるものが、物語に変わり、新たな姿勢を取り戻し、朦朧とした意識は、自らを世界から迫害させ、氾濫する意識は、憂鬱なものをあかげ、かけがえのないものを放棄し、超克すべき苦しみも肥満化し、自ら堕落し続ける先に現れるものが苦しみを伝え、絶え間ない苦しみを体系化したのが、国家であり、社会であり、法であるのだが、そこでの否定は、今を批判するだけで、新たなものを作り出せずに、惰性に制する間に蔑まれる記憶を循環していくリビドーが、同一化を求め、長期にわたり、自らを拘束し、構造的なものに惑乱し、猥雑な思想をたずさえ、最たる思いを長じる所以が今をこじらせ、行為に引きずられ、いじらしい思いをかかげ、自らを蔑むことに専念し、捻出されるものや、今を捻転させ、貸与するものや、沈積する理由を加速させ、裁かれる思いが化石化し、仮死化する思いは、徒らに消費され、今にとどまり、意味を見失い続ける。運命から疎外され、埋もれた感情を浮遊させる。あらゆる思いは、表現を伝いながら、創造的に昇華させ、はびこる愛が果たすべき意味を見出し、思いは、どこにも止まらずに高みへと向かう。あらゆる論理をしりぞけた後に降り注ぐ意味を通過し、観点を濾過しては、長らくにせきとめられた思いを昇華させ、鮮明な過去や、明晰な別れにへだてられた感情を逍遥し、行方不明の思いを即座に補完するような影を踏み散らし、ラストシーンにちらばる目的を寄せ集め、世界性に制されるよりも、自ら敷衍させる思いが超越を繰り返し、瞬く間にしりぞく行方は、試練を伝え、ジレンマにもだえながら、朦朧とした意識に対し、退廃的なモラルをかかげ、用いられる原理に理想を供給する間に焦熱していく怒りは、いぶかることをやめ、ためらうだけにいたらせるような悲劇を加工し、卑屈なものを用い、何かをモチーフとすることで、、自らを正しいもののように仕向けるような価値に閉め出される今がいびつなものを形成し、中途半端に保とうとする意志と、陰鬱な衝動をかかえ、懐疑的な日常にはなつべきアナグラムを超克し、高揚感を束縛するだけの演奏を続けるだけの堕落した言葉が反響し、途端にしりぞく思いは、自らを責めることでしか、自らを正当化できずに、或いは、何かを否定することでしか、自らを認識できぬようなものが持ち上げる罪や、追憶に比する価値が、カタストロフを用い、持ち出される意味は、階級的なものにとどまり、自らを卑下することでしか、生きていることを感じられるようなものから抜けだし、詩的に捉える意味は、前衛的なものにいたり、ふちどられるだけの闇や、すなどられるだけの今に疑問を用い、恒久的に開け広げられる進路をめざし、貸与し続けるだけのシステムがロストし続けるだけの猶予に悲観するよりも、ここで飛び越える思いは、統合もされずに、盗用され続けるだけにいたるような意味に混濁するだけの自堕落なものをフラクタルなものであるかのように示すことよりも、ここで言葉に寄りかかり、安易なものに付着し、自らの不具合を正そうと示す法から、ここで相対し、対話を拒否し続けるだけの惰性な意味に困窮し、混沌としていく意識は、姿勢を失い、何かを是正することでしか、自らの罪を克服できずに、何かを正しいと思い込まされているだけでは、ここでの価値は乗り越えられずに、自らの苦しみを苦しむことを会得することで増していく苦しみは、自らの苦しみを厭うことを知らず、ここで苦しむことに酔い痴れるほどに、自ら破壊的な衝動は外へと向けられる。あらゆる攻撃性が進化を遂げ、淘汰されるだけのいたるべきだ、と語るAIどもが氾濫する未来に矜恃すらも喪失していくのだ、と短絡的な忘我に果てるだけのジレンマは、自らの行く末に恐怖し、自らの罪へと隔離されていくだけに怜悧にいたらずに、いびつな論理を重ねるだけのキャピタリズムに理想を吸収され、供給される闇をかぶりながら、自らの被害者意識を加速させ、自らを悲劇のヒロインへと昇華させる間に結末とは、血をにじませ、憎しみを強化させ、強固になった思いは、何も受け入れられずに、自らを否定することでしか、自らを正しく認識できないようになる。

2017年7月14日金曜日

逆流


 走り去る感情は、どこにも帰らずに、何かを待っている。守られた感情が、連帯感をうながし、安易につながるほどに、関係とはほつれて、今にも争いを生み出し、終わらぬ軋轢は、何かを蹴落とすために妬み、憎むことから交わる瞬間は、どこか寂し気で、健気なものを保ちながら、何かを恨むために、ためらわずに闘争を生み出し、統率を謳う世界は、自らの威厳を保とうと、権利を用い、権力に偏り、正義を用い、異物感を謳いながら、長らくに隔てられた世紀に季節は戸惑い、止まらずに今にはびこる言葉が意思を占領する。原理的なものを捨て、原始的なものに行き着く。果てになりがそなわろうが、ここで思うことが、現実へと行き着き、永久へと移行していく。何かの心残りが永遠性を含み、脳内で再生され、精算される間に結末とは、今にも追いつかれ、現実へと吸収される。去りゆくものが、苦悩を放ち、何かを懐かしむことで、ここに哀れみを生み出し、今に束縛され、些細なことに苦しむ意味から逃れられずに、軽薄なものに侵攻され、自らを喪失していく。あらゆる過去は、今に寄り添い、自らを解放できずに、崩壊へといざなう。その因果に負ける前に、自ら生み出す抵抗力だけが、自らの権力へと変わり、外から与えられる影響に屈さずに、うつむく君を何度も立ち上がらせ、そこで対立する立場などは、もたらされる意味に偏向していくだけに陰り、可決していくものなどは、民主主義を捨て、のうのうとデジタル化される今を官能的に傍観し、暴走する真理は、意味を逸脱できずに、今にすがり、つたないものを持ち上げ、自らを正当化していくほどに、魯鈍なものに変わり、何かを憎むことでしか、自らの死を越えられずに、ここに応じるだけの答えだけを崇拝し続けることに置いて行かれる感情は浄化されずに、ここに置いて行かれ、求められるほどに、自らを束縛し、抑圧される精神は、プラトニックなものをかかえ、デカダンなものへと移行し、心ない何かに攻め入られるほどに、自らの価値とは、外から与えられる影響により屈折していき、そこで提起される正義などは、正義がなんたるかを知らずに、自らの正義を保つための統合を求め、逃走する者や、逸脱する者を捕らえ、未熟な観念が生み出した答えが引き出す空疎なものに支配され、物質的な感応から、ここで交換されるものがさえぎる限りに、みちびかれる苦しみだけを膨脹させ、等位を生み出し、そこで問う者とは、狂気にいたり、境域を汚す汚穢のような扱いを受け、そこで受け取るべき正しさを示唆できずに、そこで認識するものが送り込む空疎で過激な理想を打ち立て、軽薄なものを進行させ、ここで迫害されるだけにいたり、現実から逃避し続ける先に盗用された真理を持ち出し、統合することだけを目的に惰性な真実は、今に迫害を続け、暴虐なままに加速された怒りは、定めるものを持たずに、底に用いられた定理すら破壊し、瓦解していく真実は、今に追いつかれ、意味を見失い、自らを破壊するための定義にいたり、外へと向けられた暴力性が、自らの世界を打ち壊すまで、何度も外へと怒りは向けられ、そこで怯えている感情は動機を失い、投棄される先に同期されることだけを目的に起動を繰り返し、自らを機械的に奉納していく儀式的なものへと加速し、自らの死を昇華させるための信仰だけが、自らを強靱なものに変えるという幻想から抜け出せずに、嚮導されるままに、胸裏に潜む悪意を攪拌し続ける先に生まれるもっとも暗い闇に密かに進行していく意識的な汚穢を浄化するための祈りを続けるほどに、自らとは隔離され、孤立し続ける精神の深淵で自己を破壊し続ける先に闇は深まり、緩慢に作用する理由に基づき、自らこそが正しいのだ、と示唆する間に生まれる憎悪を加速させ、意味をむさぼり、自らを強調するほどに、リビドーは暴走し、攻撃性だけを増していく夜に潜む空疎な答えをひるがえすための呪詛を続ける祈るだけの者から、逃げ惑い、隠遁し続ける先にシステムがうながす真理が加工する倫理や品位にもとづくものが意味を求め、さまよい続ける間に通過し、撃ち抜かれ貫通したこころを縫い付けるべき愛も、何かに買われ、自らの変化を望まずに、外から与えられるものにより、変化することだけが、自らを正しく変化させる、という幻想から、そこで同一化をめざすためだけの同調から、同義を謳い、すべては、フラクタルなものであり、そこで互換され続けた結果が、今の人類を生み出した、とうそぶき、後ろめたいものをかかえながら、かけはなれていく意識は、掛け替えの無いものすら売り払い、自らを昇華するための宴にひたり、悲観するほどに、ここで関するものが、慰めを用い、今を統制することにより、与えられた安心感にひたるほどに、すべてとの距離はひろがり、派生するものに吸収された意識は、自らの感情を放棄し、外から与えられたものだけが、自らを認識させ、そこで深く洞察し、深く考えることをやめ、自らを放棄することだけが、自らが自らを認識し、理想の自分に近付くなどという浅薄で軽薄な考えから超越すべく、人間から超越し、神を持たず、何かを待たずに、時間をまたぎ、空間を引き裂き、次元から放たれ、囲いを用いた科学を破棄し、自らに浸透する詩的な何かをだけを敷衍させる。

2017年7月13日木曜日

逸脱


 嘘だらけで、でたらめな秩序を打ち砕くような閃きを生み出し、互いを傷つけるだけにいたるような虚構が迫り、未熟な価値を生み出した人類は、進化の仕方を誤り、したがうことだけで、考えを破棄し、排斥されるだけの価値が機械的なものを作り上げ、惰性なものが、今を支配する。どこに行き着くこともなく、ここに現れるものを普遍的に普及させ、生産的にいたるよりも、獰猛に蹴散らす闇から這い出る意識的なものが、反応し続けるものに反し、現れるものなどは、ここで洗われるものではなく、今に苦しみを与えるだけに手応えもない日々をもがき、今に位置づけられるほどに、ここに居続ける苦しみは増加する。簡易な立証を終えた疑問から、散らばる風葉にむしばまれていく夏や、逸脱する果てに侵攻する汚穢をしりぞけ、軽薄な法を重ね、ここでウソを続けるだけの諦念を捻出するだけの詐欺まがいの進路から逸脱し、脱する先に現れる過程などは、誰かが、自らの損得で選んだ懶惰なものを紙幣的に捉え、途端に法則的なものを生み出し、つちかわれたものに疑問を孕まずに、慢心だけが膨脹し、時間の外に出られずに、与えられた影響だけが、今の答えにもとづくという怠慢から、義務的なものが今を覆い、応じるほどに、苦しみを増加させるための法で加工し、ここに加工されるものなどは、全部ウソで構築されたものを答えとして受け取るほどに、自由を謳い、自らの不自由を嘆き、軽薄なものを拡散し、あらゆる意味を攪拌し、配備された愛に基づき、何かを愛したフリを続けるほどに、演技的な者は、永遠性を知らず、前衛的なものにいたらずに、そのままに受け取る感情は、カタルシスにいたらずに、自らの立場にもたらされるものに高揚しているかのように仕向けるような公用のものが示すものに専横され続けるだけにいたるようなファシズムへと移行していくだけの国という囲いが示す哀れみや、そこで林立する規律などは、何かを律するよりも、そこでの支配を保つための強制力を放ち、そこで正しいとされるものを示唆するものに左右され、自らの理想を打ち立てるほどに、自らの理想とは懸け離れ、提起されるものに抑圧され、自らの理性すら制する辺りに老いるだけの心身は、理屈を捏ねるだけに捻出されるものに覆われ、応じるほどに、応用されるものに制され、明晰にいたらずに、命じられるままに行動する楽さにフラクタルなものが作用し、同調し続けることだけが、自らを正しく認識するかのように仕向けるような答えに閉め出される恐怖が打ち出す惰性なものに気付かずに、起動され続ける今に昏倒していき、抵抗し続けることにより、答えも高みを目指し、惰性なものを否定するだけの弱者が放つ共通語がもたらす不安に指図されるよりも、よりよい答えに導くほどに、自らとの懸隔はひろがり、何かを見下すだけの選民思想にいたるだけの暴力的な気配から、形骸化していく先にいくばくかの可能性を孕んでいるかのように見せつけるだけの神を崇めるよりも、ここに横溢するものに抑圧されるよりも、よりよい価値を孕んでいる、と言い放つような懶惰な囲いを取り外し、ここで用いられる独善的な手法に抑圧されるよりも、自らの価値にいたり、いたわることをうながすよりも、痛いと叫ぶほうが、ここでの価値は、まったく違うものに転換し、ここに現れる偽善的な司法や資本を飛び越え、長じる運命に浪費するだけの生き方を提示するよりも、そこから逃げ出し、自由を用いずに、ただ今を満喫する手法へといたり、いぶかる先にいびつな定理が現れ、ここで停止するだけにいたる精神は、誠意などを謳い、贋物の自己を調律させ、延々とうながされるままのコードを適当に掻き鳴らし、懐疑的な収容所で描かれた自己を始末するための処刑を続けるような独裁的な自己を生み出し、何かを否定し、批判することだけが、自らを癒やし、自らにいたるものだ、と裁きを下すような馬鹿者や、ただ年老いたことが、偉いのだ、と言い放つようなファシストや、体たらくなものを出現させるだけの退廃的な者や、そこでうやむやに生み出されたもので制する辺りから、誠実をまとい、自らの正義を貫くほどに、正義からは懸け離れていくことに気付かずに、権力を持たされた者は、自らの過ちを隠すために何も残さぬように今を攪拌し、自らの権力を保つためだけに行動することだけが、自らを正しくするのだ、という過ちに気付くべきであるのに、持たされた権力の強大さに立ち向かえずに、自らが率いた権力に屈するだけにいたるのが、人間であり、その人間から超越すべく、用いられたものから逃げ惑い、神を捨て、国家を捨て、法を捨てた辺りから人間的な臭気は消え、ここに崇めるだけの理想や、ここであがなうだけのものから放たれ、あてがわれたものに左右するよりも、ここで指図されるものに加工され、屠殺場に運ばれる前に、自らを昇華させるような創造性だけが、逸脱し続け、ここでしたがい、しいたげられるよりも、ここで抗い、どうなろうが、戦う定めを愛し続ける。

2017年7月12日水曜日

理想を覆すもの


 何にもなびかずに、自由に飛び立つ者は、おびえることを知らずに、不羈なままで不規則にうかぶ現実を濾過し、逡巡するだけの意識的な諦観から放たれ、度重なる苦しみも、へっちゃらに、平衡するものなどは、偏向するだけにいたるし、やがて生命はとろけ、統合されることだけを目的に整合され、参照されるだけのものを引きずりながら、卑近なものに変わり、偏執するだけにいたる精神は、やがて自らの怒りを増幅させ、腹心にためこんだ黒々としたものに混濁し、出し抜けることだけを考え、還元されるものだけが、この物語で重要なものをおびていくのだ、とおびえた本質は、おぼえもないものを信用し、それが示す値に相対し、対抗し続ける先に老けようがお構いなしに、自らの意志をつらぬくことに革命すら不必要で、そこで与えられた大義などは、主義を懶惰なものに変え、自らを高め補完する思想などは、そこでの目的を見失い、ただ、自らの意志の中をさまようだけにいたるから、適当に歩いて、照り返す光で、闇夜を切り裂いて、名付けられた道をけとばし、倦怠感を与えるだけの簡易なものに聡明もなければ、そこで変化していくものなどは、観点を失い、自らが見つめるものにすら不安感をおぼえるような恐れから逃げ惑い、そこで怖じ気付くよりも、簡単に処理する現在に諦観はなく、ここで空白を生み出すだけの戸惑いが、運命を浪費し、やがて、何かを恨むことだけが、自らをなぐさめるのだ、という哀れな理想から逃れるための高尚へとひたるだけでは、何事も、その場でとどまり、透過できずに、不透明なものや、不潔なものを哀れむだけにいたり、悲観するだけにいたるのであるし、やがて、うやまうだけの理想は、理性をそこない、何かを保つための戦争へと移行し、自らの痛みを昇華させるための絶え間ないペシミズムが終末論を謳い、ロジカルなものを消費しては、散漫な意識は、形式的なもののに捕らえられ、惰性に生み出されたシステムの虜として、コマーシャリズムがうながす理想の家庭像を取り込み、統合される先に生み出されるのは、正常という異常であり、その異常に気付かなければ、先に進むことはできずに、そこでの甘い汁を吸うことを目的に枢要なものをそこない、考えることをやめてしまい、考えるものとは、狂ったものである、という理不尽な方程式の中で軽蔑されるべきは、否定し合う、この意識であり、ここで軽薄なものを育て批判するだけにいたるよりも、肯定的に抵抗し続ける先に現れるものだけが、孤立しても尚、自らを育成することだけに専念し、宣言に隔てられずに限界を生み出し、淵源で嬲られるだけの今に簡素なものを謳うよりも、ここで関連するものを否定し続けることだけが、あたかも昇華にいたり、すべてを弁証法的に高めるように思えるようなものなどは、容易にひるがえされるべきであるし、何かをひるがえすために哲学は存在し、そこで抵抗し続けることだけが、自らを高次にいたらせるのであり、そこでいたらぬままでも、そこで何かの気配を感じ、感化させるものを読み解くことだけが、どのような状態であろうが、自らを越えることだけが、今を専念しているように思い込むことも、自らの誤りに気付き、起動されるものが謳い上げるだけの文言を信用するよりも、ここで神聖とされ、聖戦を謳い、精神を奪うだけにいたるようなものを信心するよりも、自らを高めることだけが、互いの動作をうとましく感じるべきだ、とうながすような隣人愛的なものに同化するよりも、何かを信じる以前に、何かを信じている自らを信用することだけが、真実を破砕し、ここで正しいと示唆するものなどは、何かを奪うだけの呪詛のように感じるのだ、とうながすような左派的な考えから、何かを保つために指導を加え、同じ目的に進むのだ、とうながすような右派的なファシズムへと移行する途端に加工された品位を未だに守るべきだ、とうながすような保守的な理想から、理性を捨て、平衡へといたるための暴力を枷に、自らを高めるような急進的なリベラリズムから、輪唱されるものが聞こえるから、と何かを破壊することに転じるだけの理想とは、血を流すことを目的に、自らを高めていくのだ、ということに気付き、それを恥じることから、自らは高まるのであり、互いを恨むことを目的に主義を聳立させるだけの多目的な媒体に奪われた主体は、ただ、破壊することだけが、自らを昇華させるのである、という勘違いを含ませ、そこで洗脳されるだけにいたるようなポピュリズムがこびへつらう体制や、体系に閉じるだけの理想とは偏り続け、そこでカタトニーにいたり、自らを喪失する先に奪う合うだけの理想とは、理性をそこない続け、そこにアナーキーなものを謳う中流階級的な悪名高い革命へと移行するだけの堕落した観念では、平和を謳うだけで、自由を利用し、理性をそこなわせ、そこに現れる不安に打ち勝てずに、破壊的にいたらせるのであり、そこでの終わりをうながすだけでは、何かを創り上げることもできずに、あてがわれる自由を利用し、理性をそこない続け、行いに正しさを強要し、自らを正しくするために何かを利用し、自らこそが正しいのである、という勘違いを孕み続ける。

2017年7月11日火曜日

吸収

誰もが夜を通過する。たまゆらにゆれ、ふれあう景色が溶け合い、愛に似たニュアンスをねたましく眺める形式から、美を抜き取り、退廃的な夢にもだえる先に季節が抱き合い、あらゆる痛みを昇華させ、純粋にきらめくネオンがまばゆく、瞬間を吸収する夜にからまり、かかわる所以から迎合されるだけの言葉がうそっぽく交わり、あらがう偏見を飛び越え、褪せる夜が恥ずかしそうに隠れる。度重なる夢が、趣旨をちぎりながら、ちぐはぐにぶつかり合う彼や彼女らが、孤独に眺める夜を縫い付け、つたない動機や、境域に撹拌された最後の言葉がハレーションを巻き起こし、到達する思いも淘汰され、戸惑う動機は、自らの孤独を敷衍され、最たるものを損ない、生じる所以が、暴かれていき、逸脱できずに悲しむよりも、擁立されたものが、物語を膠着させ、些細なことが行き違い、悲観にくれるよりも、砕かれた昨日の美しさに酔いしれ、したがうよりも、ひたるよりも、身を寄せ合い、しあわせに似たようなものに包括され、裁かれた思いが孤立し、興じる先に些細な思いが相違し、いびつな思いを形式化し、簡単に処理された思いに沈む優美な永遠だけは、印象に溶け込み、とめどないものを孕ませ、自らの痛みを即座に昇華させ、散漫な意識が、なれあうよりも、なぜ?と憂いに歪む我々の希望が、何かに偏る以前に、自らに帰り着き、戒律を作る以前に、陰鬱に沈む悠遠や、共立するものが、障害を生み出す前に、未熟な我々を救い出し、短絡的なものをかさばり、快活なものをそこない、今に啓示を与えるだけの、退廃的な主義を締め出す。自覚する前の思いが、救済を求め、さげすんでいる。あざむく記憶から、損なう動機が閉じこもり、幸福を謳うだけの陰湿なものが、今にも証明を求め、今に叱責を重ねる。引き離された我々は、邂逅を求め、都会から離れ、放たれる思いが速度を増し、誰にも止められずに、つたない気持ちを咀嚼し、想念を虜にするような、利己的なものを伝え、対峙する先で貸与するものや、道楽を重ね、奏でるものがなびき、くじけた思いが転がり、こじれる先々で退嬰的なものを持ち出し、逃避する先に持ち込まれるものが、今を閉じ込め、拘引し続ける先に色彩を失い、追憶にひしめくものが、卑劣なものに変わる。空間に埋め込まれる道理が、不自由を与える。手応えも感じられずに、寛容なものを喪失し、真理を高らかに歌い上げるような者こそ、卑屈な者であり、あいまいにからまる容易なものが、観点を奪い、猥雑に重なるものが理性を損ない、ないがしろにする習慣から、感性を奪われ、緩慢に作用するものに誘引され、操作され続けるだけのツールとして生きることに専念する。関与する夜に動機をさずけ、自らは、自由に散歩を続け、散漫な夜に別れを告げ、つくづくにせまる動機が、空間を処理し、科学的に汎用するものが、配役を決め、機械的な演技を続け、汚いものを促し、家庭的なものを謳い、奪われるだけの過程は、体たらくなものを即し、終末論などをもたらし、空腹を癒すだけの日々は、ひらひらと逃げ惑い続け、くたびれた思いは、その日暮らしを重ね、自由とは、求めることにはなくて、そこに答えもなく、思うがままに発散することで、自由であることを忘れてしまうことに混在する終了の儀式を超えて、はつらつと出迎える意識が、意識する前に飛び立ち、何かにそそのかされる前に、世界と名付けられただけのものから飛び立ち、たちまちに現れる傷だらけの君が促す思い出も、どこか尊く、どこでもない場所で、誰かに似ているだけのものに変わり、そこで思い出すものなどは、今に作用するようで、そこには、用事もなく、そこで意識をせきとめるだけにいたり、満たされたい、と促すだけのオプティミズムを蹴散らし、終焉を謳い、謀る思いに屈従もしないで、ここを超え続ける先に現れるものが本質を語る。ここで偶然に重なるものも、夜に吸収され、境目を生み出すだけの、見境いもないものがミサイルを撃ち込み、期待感を示すだけのものが、ためらいを生み出し、出し抜かれ続ける先に生み出される苦しみを捉えるだけの形式が、軽薄なものを与え、何かを考えることは、悪いことであり、難しく考えることは、狂気にいたるように仕向けるような普遍性が正否を騙り、何かをとがめるだけにいたらせるための意識に蛇行する形式が、正常を謳い、何かを妬むことだけが、正解にいたるものである、と騙る規律こそを、切り捨てるの、だ。

2017年7月10日月曜日

干渉する意思


 呼吸をするように愛して、と彼女がカタルシスをうながす全容に破裂するジレンマたちは、時代的な猶予を引きずり、パラダイムになびくだけの感情と論理の狭間で捕らえられた意識は、永遠性を叫ぶばかりで、借りの自己を解体するだけの日々にニヒリズムが迫り、ヒリヒリと痛む心身は、寝付けずに餌付けされる日々から愚弄を重ね、有する価値に囲われる今に迎合されるだけに腐敗していく今にさえずる記憶も、平衡を保てずに、用いられた言語の外に出られずに、ここで用いられる不具合から、快晴を望み、澱んだ感情が俗世に偏り、簡単に処理される現在に懸隔を生み出し、ここでもたらされるものなどは、場に問題を持ちこみ、問答を繰り返し、反復する意識は、しいたげられ続け、つたない意識をかぎ取る労働的な犬が徘徊する赤い原野に即座に補完されるだけの意味にカタルシスを執り行うための義務を巻き込み、混濁していく意識は、散漫なものを愛し、愛している、と語るほどに、愛しているということが枷に変わり、世界をセンチメンタルに染め、相続する意識で生きながらえることが、あたかも、正しいことのように示唆し続けるほどに、正しいものとは、そこで屈従するものが、従事し続けるシステムの中でヒステリックに叫ばれるものを崇めるための神として措置されるものがうながすものだけが、正しいことのように反応し続ける脳内で自らとの和解を執り行われずに、ただ、強制的に反応し続ける正しさだけが、ここで正しさをうながすことにより、偏り続ける君を強制的に取り囲む偽善的な猶予にはびこる悪意のようなものを溜め込み、ここでかいがいしくむさぼるだけの貪婪なものがうながすパッションや、贋物の価値を信じるための信心をうながすような情報にとがめられるだけの君のメタファーがためらいもなく、推考し続ける先に捉えるべき事実も、この史実の中では、事実関係すら結ばれずに、乖離し続ける先に信用を謳うだけの世界は、寂寥たる由縁が用いる自然的な解決にいたらずに、強制的に迫るだけの幼稚な企みから、その枠組の中で介在するほどに、解消されない痛みを増していき、逸脱することすらできずに、出来合のものを信用し続けるほどに、自らとの懸隔はひろがり、そこで乖離していく意識は、しいたげられ続けるほどに、通過するものにあてがわれる生活から、緩慢に作用するしあわせに似た依存的な毒素から、聡明なものすら知らずに、ここに現れる苦しみを情報化し続けることにより、主体性もそこなわれ退廃し続けることに気付きもせぬから、そこで悪霊のようにさまようだけの意識を空爆しようともくろむ国家的な偽装から、犠牲を生み出すほどに補填される怒りをぶつける対象を探しさまようような問いの中で敢行されるものに同調し、革命とは誤りを含み、そこで破壊することだけが、自らをカタルシスにいたらせ、苦しみを超克し続けるというような贋物の超越に騙され続けるほどに増していく快楽に擬態化するカメレオンどもや、シュールレアリズム的に汎用されていく仮想世界から、懐疑的な日常に現れるルサンチマンが陰湿に告げ口し続ける先々で軋轢は生まれ、そこで失速を余儀なくされる君は、意味がなんたるかを知らずに、そこに難点をうながし、諦観にいたらせるためのウソが続き、疼く精神は、正否をうながすほどに、善悪との懸隔を埋められずに、運命を呪うことでしか、自らから超越できずに、演じることだけが、自らの快楽を増幅させ、贋物の幸福を崇めることに現れる快楽にひたるだけで、この刹那を終え、欺瞞を重ね、不満足を謳うことだけに費やしたものに値するものや、そこで相対するものや、あいまいに作用する毎日に低劣なものを持ち出し、ファシズムへと移行するだけの俗世に寛容さもなければ、そこに用いられるものから逸脱もできずに、そこで屈従するほどに、浪費する関係の間で演技を続け、犠牲的な坂路をのぼる苦しみに耐える日々を愛するべきだなどと綺麗事を述べる前に、この老化するだけの身体から逃げ出そうと必死にもがくほどに、そこで敷衍されたものなどは、瞬時に消滅し、そこで用いられたものをインモラルなものに変えるためのベクトルを育て、惰性に示されるものに閉め出されても尚、この命は反撥するほどに、その命の速度を燃やし、獰猛に生きることにより、よりよい価値などを謳うようなものから跳躍し、有する価値などに値する生き方などは、カタルシスを求めるだけの弱い信念が持ち出す呪詛により、自らを弱体化させ、大義を見出せずに、本質を揺るがすこともできずに、ここで構築されるものを、愛するほどに、知り得るものなどのほとんどは、何かを占領するための虚偽に塗れたものであるし、それを知って騙されうながすようなものがウヨウヨする現在に右往左往するだけの思想などは、開眼にいたらせずに、簡単な快楽に処理されるだけの機械的な人間になるための教育をほどこされ、方向性を決めつけられ、ここで屈従し、そこから動くな、と命じられることにしっぽを振ってよろこぶような世論から、幼児的な政治が作り上げたものにしたがうことでしか機能しないもののいっさいは、不潔であり、不必要なものであり、何かに統治されずに、そのままであらがう意志こそが、創造的に生きる。

2017年7月9日日曜日

かぎりあるもの

誰にも届かないところでバタつきながら、あらがう先に現れるかすかな心音をたよりに、まくし立てるだけの昨日を蛇行する意識に派生する闇を切り裂き、容易に考え付くものが、物語を膠着させ、物事に捕らえられ、即座に敷衍する理由にすがり、ずけずけと入り込む過去に枯渇し、整然とした瞬間を循環し、度重なる苦しみをさえずる儚さも、どこか悲しげなままで、自らに与える刺激や、今にあてがわれた幸せなどを同封した過去からの手紙に、主体性は奪われ、正義を謳うものが示す自由に従属し、さらなる苦しみを膨張させる先に待ち受ける苦しみが、さらなる苦しみを与え、今に利用されるだけにいたり、いたわることを知らずに、苛立つだけにいたり、現在に転化していくものが、意味を継続させ、今に迫害されるだけの自らを傍観するだけにいたり、来す意味に飲まれ、今にすがる。この意思は、宇宙にまで肥大すべきであるし、ここで出会いや別れを重ね、機械的な意思が示す信用が、シンフォニーを奪い、短絡的なものに左右され、自らの欲望を支配する自らに意思を奪われ、猥雑な意識は、関係に阻害され、散漫な意識は、儀式的なものに利用され、流動的であるべき、自らの意志を枯渇させる。あらゆるさまたげを生み出したびに現れる戸惑いや、回答を待ち受けるほどに、自らを売りさばくだけの日常に堅持するものが、現実味をそこなわせ、即座に怠慢なものへと変化し、経ていく感情は、浄化されずに、誰かの間違いを許せずに、何かを認めることもできず、何かに従う限りに、自らの意思が枷に変わり、自らの自由を奪うだけにいたる。先々でけだるく作用する意味が、意志を緩慢化させ、簡単に秩序を生み、そこで、還元され、もたらすものが、自らを決定づける間に工面する意識が、今を捕獲し、捕らえられた意思は、意味を見いだせずに、ただ、支払うための義務を謳い、独善的に示し続ける今に馴れ合い、何かを神として崇め、あいまいに作用するものが、今に悶絶し続ける。長じる苦痛は、すべてを暗鬱なものに変え、今に諦観を生み出す。出し抜こうと仕向けるほどに、手懐けられる意思は混濁し、途端に苦しみを敷衍させ、普遍的なものを流用し、意味を斡旋するための戦争を生み出す。汲み取るべき意味も見失い、ないがしろにした瞬間に主体性もそこなわれ、齟齬をきたし、規制され続ける凡庸な意思は、未熟に成立していくものに翻弄され、老化していくシステムに組み込まれた意味も、すぐさま腐敗し、朽ち果てるだけにいたるような意味を再構築し、あたかも新しいもののように示す理由に理想をもたらし、騙し続けるだけの意味が、今に仲違いし、ためらう意識は、屈するだけにいたる。度重なる暴威を捉え、自らの不純な欲情から、加算される原理的な多幸感や、カビ臭い日々や、陰鬱なものをフラクタルに変え、システム内部で作用する軽薄で、浅薄なものが打ち出す理想に偏りを生み出し、事象を汚しながら、形而上的に昇華を目指すよりも、現実的なものを、無知なままに愛し、そこで捕獲され、強制的に補完されるものにより、抑圧され、自らを押し潰すだけにいたらせるような、外からの圧力に屈さず、自らをよろこびで染め、聡明な時に介入し、介在する先々で、背徳を促すよりも、いぶかる先で快楽を用い、排斥し続ける思いをねぶるような、思わせぶりなものが振りかざすものに押し潰される前に反発し続ける美しさに感化される感覚は、何かを健気に超えて、あらゆる無作法なものが示す退屈を超越し、演じるだけの今から飛び出し、自らに帰り着く。私には、何もいらない。必要なものなど、行き着く先は、同じようなものを、同じようにとがめ、今を痛めつけるだけにいたり、ひたる今に理由を押し付け、経路を決めつけ、同じような、苦しみを何度も繰り返すべきだ、などと促すような論理が即すものなどは、今にさまたげを生み、散漫なものを定立させ、今に苦しみを瀰漫させる。

2017年7月8日土曜日

辺境


 限りあるものを抱えた生命は、自らの矛盾を消費しながら、しなびた明日や、汚れた今にさかのぼるための、窮屈な過去からの逸脱を目指し、ここに現れるものを模倣するよりも、今を屠り、葬るための法が加工する理屈が、意味を凌ぐこともできずに、答えに逡巡し、今に従事しては、さびれた記憶をまさぐる酷薄なものの断続が物語を破壊し、やがて滑落する意識は、どこにも帰られずに、乖離したとしても、帰る場所など求めぬ先に現れる純粋な精神だけを取り込み、刻々と迫る痛みや、まがい物の今日を爆砕しては、陰る本質や、主体性をねじ曲げ、安易に消費されるだけの過程に結ばれる定期的な軽薄なものを取り除くために保たれた戦争などが激化し、現れる痛みを昇華させるために、新たな攻撃は、一切を純粋に破壊することに専念し、答えに従属するほどに、皮肉な者として生活に補完されるものの捕囚として生きることに専念する意識は、何かを妬み、何かを虐げるために、すべてにおいて隷属的であり、自らを傀儡として生きることに誇りを感じさせられている強制的な言葉に洗脳され続けていることに気づいたとしても、信じ続けていた力に屈し、自らの正しさを持たずに、用いられた正しさに屈し、正しさを証明できずに、正しいとされるものを強制し、正しいとされるものに抑圧され続け、その正しさが用いる権力に加担し、自らを破壊するための衝動を外に向け、自らを戦争に加担させるような強制力を孕ませ、間違いを改め悔いるよりも、その間違いを正しいと思い込ませ支配するためのプロパガンダを続け、自らを統制するための正常を謳う世界が、自らの正しさを汚すことに気づかぬ限りは、そこで、こき使われるだけにいたるし、いたらぬままに消費する現在に混在し、意識的な座礁を繰り返し、岩場に乗り上げた意識は、ひとりで考える苦しさに耐えかねずに、何かに寝返り、未熟な願いを叶えるために、祈ることだけに専念し、行動とは、単に動けばいいものだ、と勘違いし、動き過ぎた先に待ち受ける退廃に陥り、自らを操作するものに打ち勝てず、瞬く間に消費されるだけのものとして、義務的に生き、何かを維持するために保たれるものを崇拝し、背徳を重ね、解読されないためのまやかしを促すような現在を健気に解読しようと試みる純粋な者だけが、物質的な歪さに打ち勝ち、消費されるだけの者から抜け出し、自らの正しさすら不必要になり、担うべきは、価値が用いるものにあらず、自らが打ち出すものだけが、ものの価値に支配されずに、芝居染みた世界を切り裂き、自らが、自らを救うことに、代償や答えすらいらず、そこで呼吸するだけで、幸福であるし、そこに用いられた幸福を、克服するために、この命は存在し、そこに粗悪なものを呈示するだけの蛇行を繰り返し、くたびれた意思は、何かを維持するために、保つべきものをかかげ、懈怠するだけにいたり、機械的に消耗し続ける先でシステム的になり、今にむしばまれ、無駄な日々を過ごした、などと促す貪婪な者に縛られ、難渋な現在に悲観し続けることで、諦観を生み、観点を奪い、今に分裂し、自らの苦しみを、自らが演じるほどに、浸り続けるものへと依存し続け、もたらされる苦しみに偏り続けるつたない意識は、今に悲観だけを続け、何も感じ取れなくなる。膠着する意識は、今に屈従し、自らの進路を邪魔するための自らを作り上げる。そこで観点を盗まれるためだけに退歩し続ける意識は、短絡的なものを崇め、自らを信用するためのウソを自らにつき続ける。自らを信用すべきだ、と世界がうそぶきながら、長らくの孤独を癒やすための卑劣な遊びを続けるだけの幼児的な意識が、いぶかるほどに、補足される苦しみを消費するための闘争を続け、掲揚されたものを崇めるほどに、論じられたものの意図を捉えられずに、萎縮していく意識は、自らの意思を持たずに、その場に現れるふんいきに飲まれ、能動的に生きられずに、ただ、ちぐはぐな自分を愛しているフリをし、憎むことだけに専念しては、自らの立場を利用し、何かを追いやることで現れる快楽が、自らを癒やしていくのだ、などと勘違いを施す脳内で騙され続ける苦しみから逃れるための逃走を続けても、すぐさま、そこで取り込まれ、取り留めもなく続く苦痛から逃走できずに、もたらされる苦しみに追従し、意識的な汚穢を吐き出し、破壊的に募る意思は、いびつな観念を形成し、そこで関連するものすべてを憎しみに変えていく君は、構造的な伴侶を失った苦しみで、さらなる暴力性を増し、何かを破壊し尽くした後に敷衍する憎しみを膨張し続け、さらなる破壊を続ける。

2017年7月7日金曜日

流動する悲劇


 機械や屍人どもが徘徊する日常をすり抜け、数々のジレンマを抱えた輩が排除を叫ぶような退屈を孕んだ怠惰な意識が、形式的なものを押し付け、意識を抑圧させることにより、遮られ続ける先に結ばれない思いが、おこがましく関わり、かかずらう意識が、今に裁きを加え、何かを支配することや、手懐ける理由などを用い、今に阻まれ続けるだ毛の陰りを生み出し、たゆたう瞬間に便宜的なものを打ち出し、定めを謳うだけの季節や、奇跡を用い、何かを騙すだけの日々にとがめられるより先に進む意識が垂涎し続ける先にいなされる思いが、ひれ伏し、加害者も被害者も死に絶える夜にとどまらずに、自由に飛び続ける意識は、姿勢を正すことを謳わずに、自らの自由の下だけで、超越を続け、つたない意識を立ち上げ、怠慢なものをうながし続け、今に生まれるジレンマがとがり、途端に突き刺さる痛みは、退廃的なモジュールを生み出し、議論の外で破壊活動を続け、つくづくに迫るニヒリズムが自らの内側に傷を付けるほどに、その痛みを外に向け、自らの痛みを回避する行動へと展開していく先々で鬱々としたものが、韜晦を続け、通過していく今が儀式的なものに関連し、ここで束縛されるほどに、苦しみをしたがえ、今に偏向していくだけにいたる精神は、アナーキーなものを履き違え、憂うことを知らずに、儚さを知らずに、情けを謳い、ただ自らの革命のためだけに破壊された世界に迫るセンチメンタルや、寂寞を知らずに、席を奪うことだけに専念するキャピタリズムが謳う満ち足りないものを漁るだけの日々に破壊は続き、先行する意識は、様々な思惑に邪魔され、邪推し続ける先に法則的な神経を引き裂くような爪を持った君が引き裂く先に卑近なものすらなくなり、そこで引っかかりを生み出すだけにいたるような先に苦しみを巻き込んでいくほどに混濁し、ここに飽き足らぬものを持ち上げ、もっとほしいと求めるほどに保身は加速し、死を超越できずに、理智を持たずに、立場に組み込まれるだけの構造的な何かが示す論理を知らぬだけの等差を生み出し、加算された痛みはさらなる破壊を生み出すサイクルから逃れられずに、人道的なものを用い、権力へと荷担するだけのニュアンスがリリカルなものを知らぬから、何かを満たすことだけに専念するほどに、すべてから懸け離れて行き、そこで提起されるものなどは、用いられる問題の外に出られずに、罵るだけにいたる先に生まれる苦痛から逃れるための専横を続け、応じる答えから、ここで用いられるものに攻め入られるだけにいたる生命は、自らが生まれた意味を求めるほどに、自らの空しさに気付かされ、何かを本能的に破壊することでしか、自らを癒やすことしかできないような理由を用いる規律から、理性をそこない、そこでけしかけられる暴力的なものに阻害されるだけの意識は、今に与えられた答えをモチーフに自らを騙すことでしか、自らの正しさを演じられずに、演じきれぬ衝動的な自己が生み出し続ける黒々とした思いが引き出す悲観的なものが感性を奪い、今をつたないものに変え、貨幣価値や、加減を知らぬから、何かを破壊しても尚、自らの暴力性に気付かぬ制度が、一過性のものを肥大させ、自らの権限を謳い、権利を持ち出し、何かを奪うための闘争から、倒錯していく意識は、戦争状態に陥り、専横される主義は、理屈を用い、何かを悲観させることでしか、自らのよろこびすらも引き出せぬような関係性に関連し、連動していく腐敗していくだけの神話を信用し、そこで信心し続けるほどに、通過するものは、調和を知らずに、ここでの規律に騙されることだけが、上手く生きていく秘訣である、と騙る金言や箴言などを放つだけの退屈な解決から、回答を待ち続ける君が引きずる意味が、今を覆い尽くし、追考することだけに専念する先々で神聖なものをかかげ、自らを循環するものが、純化しきれずに、ここで切れ切れになる意識が分断され、そこで乖離し続ける精神は、敬神を募り、ここで追従し続ける意識が神をかかげ、何かを攻め入ることでしか、自らのデカダンなものを消費できずに、そこで快楽を求めるだけの正常を謳うだけの連中が支配する世界に気配すらなく、この命とは、ハレーションを起こし、宇宙の外に運ばれ、無よりも先で引き伸ばされ、いつか星を支配し、心配していた今すら抹消され、瞬く間に現れたことよりも短い出来事に幽閉されるだけにいたる、と語るペシミスティックな夜にロマンを捧げるために哲学は存在し、ここで昇華しきれぬものに同行し、行為がセンチメンタリズムに攻め入られる前に、盾となるのが、哲学の役目であるし、ここで果たすべき義務が語る有無などは、膿に変わるだけだし、掛け替えの無いものすら、何かにいずれかは変えられるわけであるし、永遠性などは、自らでしか消費できぬものであり、永遠性を謳うほどに、ここので苦しみは増していくだけであるし、与えられた意味に支配されるほどに、この存在とは、そこなわれるだけにいたるし、濫觴するものすら、何かを起源にしては、何かをかかげることでしか、自らの正しさを認識できぬようなものをふりかざし、何かを脅すだけの飾りである。

2017年7月6日木曜日

応用


 ここで果たすべき義務が、健気なものを奪い、気配に従事し、意思を占領され、限界を持ち出し、何かに戸惑いを生み出しては、手懐けられた意思は、何かを批判することで、自らを乗り越えられずに、何かを否定することにより、現れる満足感に簡易な自由を感じ、今に軋轢を生み出し、自らこそが、正しいと決めつける間に酷薄なものを与え、意味をさえぎることもできずに、自らを押さえつける。脳内で循環するものが、安易な欠落を生み出し、出し抜ける君は、意味を裏切り続けることにより昇華することで、簡易なものを乗り越えたフリをしながら、負担を軽減するなどとうながすような独善的な言葉が生み出す系列に入り込み、利得などを謳うだけの幻想を信心する間に現れる流行的なファシズムに奪われた身体を傍観するだけの権利主張者として、緩慢な作用を施すような言葉の中でしか、生活を際立たせずに、機械的な労働から、弄する間に既読されるような感情を用い、何かをモチーフにしながら、しなびた感情をないがしろにしては、主体性を用い、何かを戻すことで、自らの過去が生み出す欺瞞をさえぎり、何とか生きていく、という手法で、出来合のものを崇め、あいまいな作用を施すだけの今に構築されるものが根絶やしにするだけの意味をくみ取り、自らの矛盾に作用するような解毒を執り行うためのギミックが生み出され、自分の範囲の中で覆すように思わせられるような間に健気なものもそこなわれ、そこで問題にされるものが打ち出す定理も、誰かの言葉を借り、かりそめの自分にあてがわれた自由を守るような戦争にもルールが存在し、そこで孕まされるものが、損得を謳い、退廃的な事実にからまる先々で空回りしながら、なあなあになるだけの意思は、位置的なものにからまりながら、自らの寂寞を知らずに、ただ騒ぐか、そこで何かに依存することでしか、自らを見出せぬようなジレンマを生み出し、時代性のものが持ち出す観念が意味に蓋をして、今にふさぎ込むことで生まれる鬱々としたものが、聡明にいたらずに、いたらぬままの感情が持ち上げる意味を信仰し続けるようなシステムの中で枯渇するだけの生き方を提示され、そこで展示されるだけの自分に移行し続ける苦しみをさえぎるようなよろこびも見出せずに、今に現れる苦しみに阻害され、些細なことで痛みを倍加する。継続されるものが、信用を謳いながら、因果にはみ出せずに、ここで見出すべき是非も、誰かに借りた意味で、位置的な苦しみを忘れるための言葉を吐き出す間にくみ取るべき意味も、履き違えたものをかかげ、今に安易な消費を繰り返すことでしか、昇華できぬような快楽主義的なものに適任し、それに敵意を向けるような厭世主義的な者が終焉を謳いながら、たまゆらに燃え尽きる本能を凡庸なものに変え、そこで懸隔を生み出し、何かを踏み台にしながら、しなびた記憶に水をやるように、過去にすがるほどに、この世界とは狭いものに変わり、何かを見出せずに、何かすらもわからずに終える先にはじまりもおわりもなく、そこで儚く入り交じるものが、あらゆる色を越え、相似するほどに、純血な者などおらず、すべては、ひとつからはじまり、そこで混淆を続け、混沌の中で攪拌された血は、誰もがひとりの親からはじまったように、すべては、ひとつの意味からはじまり、そこでまじわるものが、今の文明を築いたのであり、そこで解明されるべき是非も、いろんな意味を孕ませ、今を阻めることもなければ、そこで履き違えるだけの意味を昇華させ、そこで逍遥するほどに、幼少期から引きずった卑近なものを捨て去り、些細な動機に迫る価値を転換させるためだけに、この命とは、煌煌と慟哭を続け、生きていることが悲しいのではなく、悲しいと思うことで、悲しさを助長するのであり、、そこで悲しみに手助けするほどに、この命とは些細なことで空しさを強調するのであり、そこで理性を持たずに、理屈に支配され、ケチな精神を生み出し、何かを踏み台にしながら、斡旋されるほどに、あいまいにつながるだけの意図は、意味を履き違え、掻き乱されるだけの精神は、誰かに操作されるだけにいたり、そこで傀儡として生きることを余儀なくされる前に、自らを見つけるべきであるし、やがて、そこで渇望するだけにいたるなら、いっさいを燃やし尽くすような業火として生き、処置されたものなどは、しょせんは、そこに距離を生むだけであるし、そこで生み出されたものにしたがうべきだ、とうながすような者こそ悪であり、そこで正義をかかげ、何かを抑圧するものこそ、悪の根源であるし、そこできな臭くまじわるものを着込んで、同じ理由に同調すべきであると同調圧力をうながすほどに、魯鈍な者に変わるし、やがてそこで価値を決め込むほどに、機械的なものにおちいるのであるし、応じるほどに、横暴な者が示すものにより、そこで理想を押しつけられ、ここで気配もなく、何かに従属し、牛耳られる先々で対立を深め、何かを批判できずに、「そこで罵るほどに、情報の餌として、自らを生贄として授けるような奉納から、儀式的な犠牲は、意識的な苦しみを昇華させるためのツールである」と謳うようなルールに乗っ取られる心身は、犠牲者意識を加速させ、自らこそが、正しいとうながすだけのモンスターに変わる。

2017年7月5日水曜日

誤り

楽園すらもいらず、そこですらすらとのべるものが、健やかさをたずさえ、美麗な時に消えゆく季節に孤立し、現れるものなどは、じゅくじゅくに膿んで、たびかさなる苦しみを昇華させることに、正義すらも不必要で、風が運ぶ匂いだけが出会いと別れに重なり、輪廻すらいらず、ただ、苛立つ君が補完する苦しみを逍遥するほどに、君自身の苦しみは増していき、あらゆる苦しみは、絶望に移行し、憩いの場や、居場所を探すほどに、すべては、イカサマを重ね、徒らに消費していく季節は、空間から逃れ、自らを喪失し、現れる孤独にのまれ、自らを抑圧し続けるだけにいたるし、いぶかる先に様々な試練やジレンマが現れ、あいまいな指定を続け、つたない意識が、散漫なものを持ち込み、緩慢に作用する理由を慰留させ、些細な動機が示す苦しみに締め出される君は、意味を見失い、今に痛みを重ね、簡単に処理できるものすら、処理できなくするし、探すほどに、非道なものにおちいり、自らを醜くするし、あらがうほどに、様々な痛みが迫り、狭い価値にとどまるだけにいたる君が裂ける先々で分断される意識は、形式的なものをかかげ、自らを正しくしようと目論むほどに、黒々としたものを生み出し、ためらわずに、何かを否定することでしか、自らを正しく示せずに、諦めるだけにいたり、蛇行する意識は、精神をとがめ、自らを不自由にしていくし、現れる本質は、真実を騙し、正しさを持ち出し、何かを傷つけるだけにいたり、いばりちらすだけの意識は、喪失感をかかえ、自らと和解できずに、誓いを生み出すだけの意味を謳い、理解されない、と叫ぶ途端に孤立する意思は、自らを補完するために、自らを騙し続け、一体化を求め、何かに依存し続ける。何かを生み出そうともがくほどに増していく虚しさから逸脱すべく、満たない自分を認めることから、自らとの和解は進み、そこで苦しむよりも、今に寄りかかり、時間に吸収される存在が、過去の中では永遠をかかげ、自らの虚しさを昇華させるべく、ひろがる意味を撹拌し、はばめるだけの意味を超越し、自らの苦難を超克し、ここで軽蔑され、今から決別しても尚、自ら目指すものだけが、物語を超えて、かけがえのないものをたずさえ、まにまに現れる苦しみなどは、次なるよろこびにつながる苦しみであるのだ、などと今のよろこびから逃避するようなたわごとや、金言に騙されずに、自らから、逃げぬ限りは、どこかに逃げようが、どこかから逃げ出そうが御構い無しであるし、そこで構うものなどは、ちっぽけなものの繰り返しであろうが、ここに現れる本質だけが、真実を語ろうが、ここで浪費し、枯渇するだけの未来であろうが、御構い無しに進む先に、何かを求めずに、そこで探す答えなどは、今に対価などを生み出し、一貫性などを謳い、今に怠慢なものに変わるよりも、いさぎよく散りゆく自らが跨ぐものだけが、今をはばめるものから跳躍し、あらゆる論理にかかわる以前の、プリミティブなものが、今に馴れ合わずに、あいまいなままに消費する過程や、経過するほどに逡巡し、従事するだけにいたる。今の誤りを飛び越え、継続するほどに、物事はほつれ、カタストロフをむかえる。あらゆるものは、破滅するために、その生命を燃やすのにもかかわらず、何かを破壊するために、その生命を燃やし尽くす。軽薄なままに相似する意識が感覚を破壊し、苦しみだけを重ねるように仕向ける先に境目を用い、何かに重圧を加え、空白を生み出す迫害から逃れるためのエクソダスから、永続するよろこびをでむかえるためのよろこびのために、神を捨て、自らの主体を整然とさせ、些細な動機を超越し、永遠性を伝い、はばむ時折に長じる苦しみなどは、今を懐かしむためだけの苦しみであるし、やがては、自らの矛盾をでむかえ、自らの正しさが、正しさを語らぬところから、善悪を超越し、自らの運命を紡ぎ、自らの確かさを産み続け、続くほどに現れる健気なものだけが、今を踏みにじるだけの堕落から逃れるべく、とどまることもなく、現れる意味に孕む今などは、過ぎ去るだけの意味を孕んだ懶惰なものであるし、そこで塞ぎ込もうが、開けっ放しで、誰彼かまわず受け入れようが御構い無しに、自らが荒もうが、ここで不可能を生み出すだけの意味を蹴散らす。

2017年7月4日火曜日

気配


 ファシストがおどる原理的な夜に締め出される君の軽薄なものから、もたつく意識は、今に立場を逆算し、そこで利用することで、もたらされるものを、愛などとうながし、自らを騙し続ける。暗号化された夜にたくされたものを撹拌し、論理の外へと飛び出し、自らを矛盾させる答えを補完するだけにいたるような意識を逡巡させ、循環させずに些細な出来事に幽閉された君を助けるような軽さを用い、何事にも止まらずに、自らの自由に利用されずに、今から跳躍していく。ちぐはぐなものをかかえ、今におちいる闇との対話を続ける君が相続するものなどが、意識をへだてるだけにいたり、垂れ籠める闇は、意識の外を覆い、意識の内側への侵攻を企て、ここで惰性なものが示す真理に真偽をたずさえずに、ただ信仰心を加速させ、惰性に続ける信心は、自らの心因性に因子を授けるだけにいたらせるような闇をその場にささげ、そこから身動きを取られぬような散漫なものから超越するような答えを偽造し、犠牲を生み出し、そこでカタルシスにいたらずに、姿勢を奪うだけの侵攻を続け、そこで謳われる信用から、啓示などを用い、そこではばまれ続ける意識は、健気な者を処刑台に送り、自らの不純なものを昇華させるために快活に処刑を続け、強制力を放つ権力を率い、あらゆる論理を破壊することだけに用いられる定理をかかげ、冷厳な意識や、スキームを燃やし尽くし、自らを追従させるための洗脳を勧め、途端に敗北感をかかえ、用いるものこそがすべてであり、そこで価値となるものだけが、私を決定づけるなどとうながすようなコマーシャリズムに専横される意識が買い続けるものなどは、その場での価値をすぐさまそこない、そこで見失うだけにいたるような価値などは、有って無いようなものであるし、そこで圧力を加え、何かを抑止するだけの得心や、そこで涜神を続けるアナーキーな意識が示す暴力的な構造を破棄し、そこで用いられるものなどは、妄想にもいたらずに、そこで喪心し続けるだけにいたる精神は、分裂を続け、自らの恐怖から逃れるための分断を接着するような役目を放つものすらも批判し続けるような人格を作り出し、そこで操作され続けることに追従する意識は、さらなる分裂を続け、そこでの役割すらも破壊するようなシステムの外へと出られずに、そこで惰性に汲み取り続けるものが、恒久的な支配を継続させるだけの他者を自らに媒介させ、外と内からの破壊を求め、自らの惨めさに時系列すらもなく、そこで切り取られる自分と、そこで固執するほどに、自らとの懸隔は生まれ、自己は破壊されるだけにいたり、いたわるべき自分も、そこで担うべき意味も、そこで理知にひたり、物質的なものから昇華を企てる仏教的な逍遥から、キャピタリズムが生み出す神経質な文化からの解放や、懐疑的なニヒリズムに陥り、自らを破壊するほどに、外へに向かう暴力性は、自らのを傷つける変わりに、他者を容赦なく攻撃することだけが、自らを自由にするのだ、という下劣な意識をかかえ、自らの意識的なゲリラを育て、打倒をかかげる意識は、自らに攻め込み、生命の根源を奪うような倒錯から、ここで踏破すべき自分と、ここで相似するだけの自分が選ぶ価値などは、そこでの価値を決め込むだけで、意識を混濁させ、そこで根幹を奪うだけにいたるような倒錯を生み出し、錯雑とした観念は、自らの問いに答えられずに、枯渇するだけにいたるし、そこで様々な思惑を重ね、捻出されるものが、正義や正否を用い、正しさを用い、裁きを加えた辺りから、人間とは暴走し、権力を用い、武装した観念は、関係するものすべてを破壊するための法をかかげ、そこで自らの損得で示す差異から、散漫な儀式の生贄として、自己を捧げ、自分すらも捨て去り、何かのツールとして生きることで、自らのリアリズムを放棄し、加算される現実とは、そこでの夢のような妄想や、そこで模倣するだけの幻想へと記号化され、幼稚な意志をかかげ、プリミティブな衝動こそが、ここで生じるものを真実に変えるなどとうながすような馬鹿げた理論にこじれるような者どもが私腹を肥やし、自らを成立させるだけの対話を続け、そこでつじつまが合わぬままに、あいまいな理想をかかげ、自らを騙すだけにいたらせるような惰性な正論が飛び交い、ここで固執するだけにいたり、習熟することもなく、言葉も枯れ果てた辺りから、あいまいに作用する人道的なものや、仁徳などを謳い、退廃的な意識に互換され続けるものが、制度などを謳い、そこで束縛されるだけの意識は、誰かの簡易な言葉を信用し、そこで真実を画することもなく、用いられる言葉により、利用され、論題を破壊し、論難をあびせるだけの罵声だけが飛び交い、義務的な言葉が意味に作用し、そこで利用されるだけの意味を攪拌し、そこで奪われた権利を取り返すための戦争が続き、そこで経済的な猶予を謳うだけの便宜的な破壊者が隷従を謳い、用いられる基礎を破壊するようにもくろむ者の餌として生きることだけが、正しいことのように示されているような価値などのいっさいを破棄する。

2017年7月3日月曜日

無償

未完の思いをたずさえ、エゴをかかげ、張り裂ける君の秩序に帰結するものが、まにまに、ままならぬものをかかえ、記憶に臆するだけの、過去に幽閉されていくほどに、ほどこされる苦しみを補完するだけに、負担するものなどが、レジスタンスに変わり、希望をかかげ、自由に扇動され、動じるこころが、不和をたずさえ、用いた希望が、暴力的に加速し、物事の印象や、起因を破壊するだけの権力にかたより、よりそう意味や、そこで食い違い、自らを食い散らかすだけの貪婪さをモチーフにする若者どもが、騒がしいと、しいたげる大人には、前衛的なものが足りずに、全体主義におちいり、体制にこびへつらう退廃的なモジュールとして生きるだけの堕落した今に落胆する君のスタンスが用いるものが、居場所などをもとめ、パーソナルなものを破綻させるだけのペシミズムが、破壊し続けるほどに、終末が待望され、そこで論理を腐敗させ、展開されるものに覆われる時間の外から、機関的なまじわりや、リアリズムをそこない、幻想をたずさえ、自らを不純なものに変えるような倫理観が渇望し、欲望を加速させ、ただもとめるほどにもだえる意識は、儀式的なものに頼り、立場を利用し、何かをわきまえるべきだ、と論じる自らの矛盾に気が付かずに、機械的に示されるものから締め出され、惰性に取り組む意味に囲われ、加工される品位や、そこで託つものに占領された意識は、自らの意思により汚され、自らが、正しいと示すほどに、自らに見捨てられ、何かにうながされるままに屠られ、葬られる矢先に信じるべき自らすら見失うから、自らに裏切られることになるのである、と宣言するような理想が、理性を汚したり、今を貶したりしながら、しなびた理想は、誰かの思想を借りて、理性を失い、妨げられる日々に屈従しないための暴走を続け、未熟なものは、刃を弱者に向け、自らの矛盾を飛び越えるための批判から抜け出せずに、自らの正しさを押し付ける自らに抑圧され、遮られる現在に退く者が打ち出す原罪が、今を記号化し、わかりやすい言葉で今を拘束し、意味を読み取りやすくする間に軋轢を生み、何かを破壊するための原理を保つ戦争を続け、ここで、つたなく保たれるものが、懸隔を生み、穿鑿しては、何かを罠に嵌め、自らを浄化させるための戦争を扇動するプロパガンダを続け、絶え間ない破壊は、自らを解消し、昇華するために、自由を利用し、君を位置づけ、そこにいるべきではないなどとうながすほどに陰る本質は、何が正しいかすらも見失い、自らを見捨てる間に廃れ行くものを崇め、あたかも自らが正しいと仕向ける合間になれあいを深め、つかまつる意味に捕獲され、敗者として生きるだけの矛盾が生み出す惰性なものに退き、悶絶し続ける先に、境目を生み出し、再会の約束すら果たせず、派生するものに飲み込まれ、自らの流れを生み出せずに、惰性に測ることしかできずに、デカダンなものとして生きては、あたかも生きているかのようにとらえるものとは、そこで捕らえるためだけに、生み出される正しさに、ためらいもなく飲まれることでしか、生きていることすら認識できずに、そこで間違い続けるだけにいたり、代償をもとめ、自らの性根を腐らせるような軽薄な言葉に拘泥し、出来合いのものを信心するような物質的な信仰者から、物事のカラクリを説き明かせずに、ずっと続くものこそが、真実を語るなどと、平気にうながすほどに、真実などは、すぐさま廃れ、真実がうながすものこそが、絶対である、と用いた正しさを悪用する者により、すぐさま捻じ曲げられ、枯渇するだけにいたる精神は、いたらぬままに敬神にいたり、ひたる意味に飢渇し続ける精神は、成否をうながし、正義を利用し、悪に転じ、理性を失い、用いられたものだけが、真実を語るのだ、という幻想に気付かずに、機械的な捕囚として生きることしかできずに、自らを破壊するだけに転じ、対照的なものとして、対比されるだけの心身に互換されるものを、自らに補完し続け、監視されるがままに、今を緩慢なものに変え、利用されるだけの身体を傍観し続ける先に生まれるシステムに組み込まれ、浅薄なままにたずさえる理想に理性を奪われ、いじらしくもだえる観念が捻出し続ける先に異様なものが生まれ、ここで点在するものにおおわれ、自らの矛盾に気付かずに、自らの黒々としたものにつつまれ、今に果たすべき義務を謳い、果たすべき義務のためだけに、有するものだけが、正義であるとうながすような保身に飲まれ、自らを、はしたないものに変える。

2017年7月2日日曜日

別れ


 純粋なものに対しては、純粋であるべきだし、そこで抜け駆けするものや、健気なものを汚すだけの者が閉め出され、惰性にうながされるままのものを、あたかも愛しているかのように示すような差異から、散漫な意識に原形もとどめずに、そこから排除される悲しみに澱むだけの現在に代償などを謳い、さまたげを生み出すだけの現在に迫るセンチメンタルな倦怠感や、健忘し続ける先々で切り取られる運命が測り続ける意思的なものの哀れなどを加速させるだけの命題などに塞ぎ込みながら、記憶が生み出す孤独な現象に妨げられる夢の奥底で後れを取る意識から放たれるべく、ここでの思いなどは、ここで横溢するものに秩序を生み出し、自由を奪うだけにいたるし、まがい物を生み出すだけのあいまいな日々に維持されるほどに補填されるものなどに邪魔される意識は、今にしいたげられ、健全なものを謳うほどに、ここで破壊されるだけの日々は、今に欠乏していき、精神的な排斥を続け、つたない意識に飲み込まれるだけに葬られる意識的な終わりから、ここで汚穢を生み出すだけの現実的な廃墟に登り、能動的な意思を保てずに、用いられるものに騙され続けることに俗っぽくいたるだけの人間性が麻痺しながら、ここでしなびていき、うらぶれては、何かを忘れるための斡旋から、ここで圧力を与えられ、抑圧され続ける精神は、権限を謳い、何かを奪うだけの還元から、観念に退くあいまいな意味との緩慢な作用に苦しむ君との距離から、何かに興じるほどに、事実との距離に諦観していく君の浪費していく意識的な指定から、裁かれるだけの日々に形容を求めるほどに、何かに嵌まり込むだけの意識的な依存から、損得をうながすだけの日々に隔てられ、思い返すほどに、自らの惨めさを加工するだけにいたるような面影などにセンチメンタルになるよりも、担う夜か逸脱し、生み出される退屈などは、何かを退屈と思うほどに、補足される苦しみの捕囚として生きることしかできずに、何かに直にふれることもできずに、出来合のものを信仰し、矛盾した神を崇め、自らを正そうと仕組む間に取り組まれたものに淘汰された意識は、何かを愛することも知らずに、何か理不尽なものにさまたげられ、今にも崇めるだけの意識は、関わるものすべてを神からの認識を重ね、自らの意思を損ないながら、殺伐として意識は、裁かれるためだけに、ためらわずに自らを生贄として捧げ、散漫な意識に傲慢なものがかかげる理想や、そこで追い込まれるだけの日々に惰性なものを信心しろ、とせがむだけの意識は、今をはばみ、何かを破壊するための呪詛が定理をまやかしに変え、今に記号化される幼稚な仕組みから、そこで企み続けるものが狭める意識は、自らを騙すためだけに、何かを信仰し、何かを崇めることでしか、自らを成立できないような弱い人間を捕まえ、自らの矛盾を正すように、と従え、虐げる間に仰仰しく迫る意識に問答を授け、そこで正解へと導くような世界などは、自らの世界から排除され、他者の世界へと吸収され、吸引され続ける精神は、自らの純粋なものを放棄し、そこであてがわれるものこそが、自らの正しさへと引っ張るものであり、そこで張り合うものへと、自らを大衆的なものや、普遍的なものに転じさせ、何かを演じることでしか、自らを正しいもののように扱えぬような者が崇める神だけが、あたかも正否を伝え、善悪を用いながら、何かを求めることは罪であり、そこでお布施し続けることだけが、しあわせに近付くのだ、とうながすほどに、自らに補足される苦しみを昇華しきれずに、その苦しみをとりはらうべく、もっとお布施を重ねるほどに、自らの苦しさは、軽くなったような気になって居るだけでは、自らを越えられずに、答え合わせをするほどに、答えとはほど遠く、そこで補完されるだけのものがいい気になり、自らが、自らを拘束し、そこで怯える幼稚な取り組みから、統合され続ける意識的な終わりに示され、そこから閉め出される意識が退嬰的なものや、体系的なものに退きながら、因果にうながすカタルシスや、そこで相互する意識的な割愛や、渇望し続ける欲に寄り添うだけの君のエゴなどは、エゴにいたらずに、ただ欲そのものに純粋なわけであり、そこで求めるだけの欲などは、欲にすらいたらずに、自らの欲を自らが食い散らかすだけの貪婪なものに気付かずに、もたらされる意思と、持たされる意識が及ぼす穢れのようなものに気付かずに、ただひたすら幼稚にむさぼり食うのが、「この人間としての役割であり、そこで退廃的なものに変わるだけの意志などは、互いをとがめる理想を生み出し、何かに偏り、自らこそが正しい、と示すほどに、自らに閉め出され、そこで惰性に生み出されるものが、些細な苦しみを評価し、表現をそこないながら、そこかしこに苦しみを媒介させ、そこで反響し続けるものが、自らを奪うだけにいたるような利己的なものへと変わり、途端に苦しみを背負うための義務や、そこで謳歌すべきよろこびにいたらずに、自らを徒に消費することだけに専念するような日々から抜け出すために、自らを聳立させ、そこで勝敗すらもなく、善悪すらもないからこそ、自らの正しさもなく、そこで求める正しさなどは、正しくあろうとするほどに、ゆがむだけにいたるの、だ」そこで渇望していく不純な意識も、そこで拘束されない限りに、何かが示す不純なものなどは、そこに用いられる法により、動きをとがめられ、自らの理由にいたらずに、何かが示すものに閉め出され、自らの正しさは見られずに、何かに見られているという意識が生まれ、今を不自由にさせる。

2017年7月1日土曜日

関与


 死をも超過していく可笑しみをたずさえた、アンニュイな路地からあふれるコズミックな予感や、ハートフルな毎日に降り積もる昨夜の至極から、健気な主観から現れる優雅なずれから、朝焼けに迫るニヒリズムが瀰漫する前に、不満などはなく、今をなぞるほどに、謎ばかりが増え、形骸化する意思や、いびつな経路を踏む君のヒステリックな物陰に撹拌される過去や、ここまでの距離に迫り、むしばまれる感情を浄化するための閃きが宿り、未熟な正論を打ち砕くような神秘を加工するだけの正常こそが、不潔であり、今を鈍色に変えるだけの日々を蛇行し、包括されるだけの日々に鬱積するものに比重を与えるだけの善悪が謳う正しさなどは、所詮は自らを正当化する未熟な自分に気付かぬままであるし、あらゆる理想とは、誰かが用いた理論を、あたかも自分のもののように扱うことにより、自らに猶予を与え、悠揚な史実に関わるほどに、自らの忠実なものが破壊され、緻密なものほど、何かが足りない、と今に補足されるものを演じ、自らを抑圧し、今に拘束され、些細な痛みに入り混じる不潔な感情にがんじがらめになり、疲労困憊しては、日々にいたらぬものをかかえ、現実からかけ離れていき、かけがえのないものをもとめるほどに、今にゆがむのである。あらゆるものは、相似することにより、同族嫌悪におちいるかのように示すペシミストにも、哀れみをこぼすべきだ、と宗教は、自らのカタルシスのために、何かに手を加え、自らの稼ぎに変える。そこに生まれた隔たりを解除できぬような同情では、何ものも変えられず、今に疲れ果て、惰性なままに、物事に取り組み、自らに疲れていく。そこに枢要なものを抱え込むあたりから、自らとの懸隔は生まれ、今に束縛されるだけにいたる果てに待ち受ける苦しみに拘泥しては、妨げられる日常や、今に気配を隠し、抱え込んだ痛みに混濁するほどに、自らに補完されるものに偏りを示し、悪意を溜め込むだけにいたる。

 自らを凌ぐような言葉が逡巡し、孤立した思いは、死をも、永遠をも超過し、自らの深くに沈み込む。自らの言葉は、静謐に反響し、自らを整然とさせながら、自らの背中を刺すような言葉が痛いのであり、絶え間なく他愛ないものが、自らを包み、ひとときの苦しさをまぎらわし、自らの紛らわしさを整頓させるような孤独にも耐えるような言葉を、自らに生み出す創造性が、制度を超え、意味に付着する因果を超越し、自らの記憶にまとわりつく黒々としたものを取り払い、排斥され続ける未来を破壊しては、退廃的な現在を健気に整頓する。崇めるものも不必要であるし、求めるほどに墜落していく彼方で感性は死に絶え、そこでもだえる意識は、孤独なほどに、今を謳歌する。何かや、誰かと居ても、孤独はついて回るし、やがて、煮えたぎる意識は、そこでの孤独を燃やし尽くし、あらゆる論理を飛び越え、へだてるものも持たずに、自らの意志だけで、今を調律していく。あらゆる音程を狂わすだけの世界を蛇行する意識は、そこでの不可能を用い、何かを率いるだけに追従する意識は、今にも瀰漫する意識的な汚穢を飛び越えられずに、自らに溜め込まれる苦悩に苛まれ、未熟なものに疎外される意識は、今の孤独に耐えかねずに、自らが用いる痛みを加速させ、自らの未熟を謳うばかりで、何が正しいのかも知らずに、知り得ぬものに洞察を重ね、自らの苦しみに追従するほどに、鬱積していく意識は、散漫なままに感触もそこない、そこでレイシストに変わり、自らを狡猾なものに仕立て、自らこそが正しいのだ、と分裂していく意識は、散々な現状にとがめられ、そこで即席の自由を求めるほどに、自らの中をさまよう。尊さも廃棄された朝だ。すでに浄化された感情を引き出すだけの惰性なものにとがめられるだけの途端が苦し紛れにうながす問答に苦しむことでしか、自らを認識できぬような夜を飛び越え、深い夜を踏みしめ、熾烈な争いを続けるだけの転換をうながすだけの正しさなどが模倣するものなどは、知り得たものに過ぎず、そこで償いを求めるような醜悪なものを生み出し、何かを奪うための闘争から、ここでの倒錯を生み出すだけの現実などが、現実感などを押しつけ、今を抑圧し、正義を謳うから、この身体とは自由に和解できずに、猥雑な観念が示す愛に閉め出される惰性な意識は、達するまに悲しみを浄化できずに、ここでの情交にもだえ、今に卑劣なものを生み出し、そこで繰り返されるジレンマに支え合うべきだ、と伝えても、そこでの苦しみを演じることに貧寒なものを加速させる精神は、自らを加工し、そこで枯渇し続けるだけにいたり、いたらぬ自分を血合いする自分との対立から、誓いをたてるほどに、自らの自由とは利用されるだけの身体を生み出し、今に堕落するだけにいたるし、やがてそこで渇望する君の正しさに気付くべき自分を成立させる間にも今に気付いた正しさも、すぐさま正しいことをうながすほどに、正しさとはほど遠いものに変わるし、誰も正しくはないが、自らこそ正しくないことに気付かずに、安易に成立させる正しさなどは、今を閉塞感をたずさえ、散漫に生み出される悲しみが今を疎外し、自らに行き着かずに、与えられる孤独に酔い痴れ、自らの苦しみに敷衍していく痛みを媒介させるだけの日々を、愛しているかのように勘違いしていく。

 誰もが悲しみを撲滅しようと、何かを忘れることだけに専念するほどに、遷延していく意識は、何かを忘れようとするほどに、繰り返す現れる悲しみに飲まれ、自ら生み出す苦しさに気付かずに、そこかしこに現れるものとは、外から与えられたものに過ぎない、と外側に敵意を向け、自らこそが正しいと認識するほどに、自らとの懸隔はひろがり、自らを恨むほどに、誰かに刃は向けられ、自らを傷つけるほどに、誰かを傷つけるだけにいたる。