2017年5月31日水曜日
収まるもの
意識を先々につむいでいく。思う浮かべることがシンクロし、リズムを感じながら、幾重にも重なる生きた観念から、生じる由縁だけが、世界を正しいものとして認識し、そこで想像することだけが、さえぎられることもなく、自由に羽化するものだけが、ここで成立し続ける思いを敷衍させ、こしらえられる日常に反し、わざわいもなく、おもむくままに進む限りに陰ることもなく、ここで呼吸を繰り返し、心情を吐露する意味のリフレインや、因果律に反し、窮乏していくほどに、魯鈍なものを疎外し、ここで生まれるものだけが、井蛙な者をしりぞける。ただ忘れ去られるほどに、快感は増していき、運命的なものにちぐはぐになりながら、自らの意志だけで進む。ただよう意識は、空間に反し、時間がもたらす悲劇などは、単なる数字的な恐怖と脅威の間で浸食していく痛みを倍増させ、売価を求めるだけの日々にエゴイズムを加速させ、自らの正しさだけが堅持するものを加速させ、そこで足かせに変わるようなものが示す意味にとがめられるほどに反する意識は仮象されるもの生命を吹き込み、感情のままに恐れを破棄し、境目も持たずに、もたらされるものに左右されず、ここに現れるものが呼吸を繰り返し、自らの生を輝かせ、干渉する間に卑劣な波動を手にし、同族嫌悪をを謳うだけのうっとうしい日常が加算する原理などは、陸地を持つから、そこに生み出される境界に入り込む者に利得を押しつけ、倫理観の下で抑圧を重ね、感覚を損なわせるためだけにためらわずに侵入していく者が、支配を続けるだけに満たない幼稚な企みから、ここで固執するものだけが兵器利用され、個性をそこないながら、個人的な憂鬱を謳い、様々な思惑に入り交じる理不尽なものや、俯瞰に攻め入り今に供給される苦しみなどを旋回し、意思的な戸惑いにとどめを刺そうともくろむ間に悲劇的なものに適任し、そこで悶絶し続けるものが間柄を破壊し、聡明さを排除し、ここで破壊されるだけに籠もる意識は、背景に生じる兆しを知らずに、そこに現れる憎悪だけを加速し、そこで加工されるだけの不安の餌として、今にしいたげられるだけにいたる意識は、痛みを知らずに、白白しく迫るものにとがめられることだけが快楽のように感じるのだ、という被害者意識的な快楽に偏りを示し、そこで閉め出される今にオーガズムを求めるほどに、とめどない痛みは加速し、常用するものに葬られるだけの拗れる後先に宛先もなく、そこで同封する意味が不謹慎に品定めする間から卑劣なものが加工され、ここで愚行を重ねるだけの演技的なキャピタリズムが謳う理想に事足りるものなどなく、そこでカタルシスをうながすだけの損得や善悪が悲劇を加工し、恒常的な苦しみに憎しみを加工し、ここでよじれる意味が悲嘆に暮れ、空洞化する意識に嵌め込むべき理想などを求めるほどに今に隔てられ惰性なまなに処理し続けるものだけを求めるだけの理想に支配され、仰仰しく用いられるものが用いる恐怖に支配され、高く飛ぶことを知らずに、そこで答え合わせするものや、合わせるままに生み出される悲劇や、貧寒とした意識がかかげる理想の強要がもたらすものに拘泥し、そこで構成されるままのものを愛することだけが、愛するようなものだ、という勘違いだけが歓喜を生み出し、そこで強要され、正しいもののように扱われ、何か正しいもののように思い込むほどに、正しさとは強制的に入り込み、理想を供給するほどに、強要される正しさは権力を持ち、そこで用いられる権威だけが、物事の正しさを堅持し、管理されることだけが、自らのよろこびを生み出すという麻痺した精神から、緩慢に作用する悲劇を模倣するだけの意思が生み出す汚穢や、攪拌される先に鬱積していく意識は、支配されるよろこびだけを加速させ、そこで鬱積するものがデリカシーもなく入り込む辺りから、悲劇は加算され、自ら生み出す苦しみだけが、今の使命感を生み出すように感じさせ、ささやく意味がうそぶく今に気配を生み出し、加工される意味から、可決していく苦しみが票を集め、正しさは間違ったほうに進むことだけに専念し、持たされた真理をかかげ、ここで生じる由縁を支配的に押さえ込み、そこで収められるものだけが、正しさを謳い、専横するだけにいたるような価値の周辺にもたらされる伝統を破壊することだけが、次々に越える意味なのだ、という勘違いから、ファシズムは加速し、そこで清貧を用い、自然回帰を謳うほどに、自然からは懸け離れ、そこで自由を用いるほどに、自由の中での自由に収まり、不自由さを再発させ、自らが発する苦しみの理不尽さにうち負かされ、そこでの空白を埋めるだけの意識的な公約や規約を用い、構築されるものが示す今に境目を用い、そこで謳われるものに長じるものが模倣し続けるような正しさなどは、ただ惰性に続いていただけに満たないものを抱くことだけが、ここでの正しさを活用し、自らを正しいものに変えるなどという妄想を模倣し続けることにより、自らとは喪失していき、ほとんどの影に変わる。
2017年5月30日火曜日
反する者
押し寄せる意味との対話を進める。躍動する意味は、根源を焦がし、熱情する今が意志を孕んで、あらゆる意味を倒錯させる間に迫る刹那に揺動され続ける意思は、根幹を腐らせるような善悪に汚され、様々な思惑がひしめく間柄が用いる情念を静謐で昇華させ、簡単に処理される現場を弁証法的に逍遥され、ここで呼応する真実は、誰かが汚した意味に過ぎず、ここで行われる行いとは、儀式的な何かにさまたげられ、率いられた神により、陰湿なもんをかかげ、寛容さをそこないながら、長らくの欠如を埋めるための戦争が進み、荒んだ価値と、懸け離れていく意味からの統合を求めるだけの正常などは、位置的な苦しみを埋めるための絶え間ない扇動から、散漫な意識を傍観するだけの無知に現れる否定的な観念から、加工された品位にもとづくエゴが加速し、死へと能動していくだけの生は、制限を持たされ、何かを信じることでしか、ここでの意味を問えずに、与えられた位置に消費されるだけの死は、生の意味を問わず、途端に打ち砕かれるだけにいたり、ひたる意味から、ここでの欠如を加工し、緩衝できずに、衝突を繰り返し、互いが与える攻撃的な意識から、緩慢に作用する現在に消費されるだけの価値観にほふられ、ここでの情熱は、瞬く間に消え入るだけの現実へと摩耗され、創造性をそこない、作られたものだけが、価値あるものとして崇められることから、ここでの価値とは、用いられる価値を信心する者が示す尺度により、与えられた意味をそのままに食することだけが、正しいことして、崇められるような間から、散じる意味は、邂逅できずに中空をむなしくさまよい、ここでの意味に完結できずに、その場での収容に応じることでしか、自らの正しさを示唆できずに、さまよう意思は、陰鬱なままに脅威を受け入れ、経過する意味に偏るだけのナショナリズムを生み出し、あらゆるファシストが忘我をさまよいながら、自らの権威を保つための闘争から、体制が生み出す権力を傍観するだけの意思的な交わりが示す使命感が、さらなる戦争を生み出す欠如から、人間的なものを超過していく意識は、時間の中で裁かれることを待ちわび、死との対立から、圧迫されるだけの行為にもとづく意思的なかじかみに与えるぬくもりを知らずに、自らを貧寒なものに変え、課せられた意味に抑圧されることだけが、自らを正しい者へと変化させるのだという勘違いを孕み、惑溺する先々でさいなまれ、何が正しいのかは、君が決めるのではなく、意味にもとづく尺度が示す価値だけが、意思を決定づけるといい放つ倫理観などは、均衡を保つだけのウソに過ぎず、そこでの償いを求めるだけの信仰から、行為とは、その場での軋轢に耐えかねずに、自らを壊す権利だけを叫び、惰性に生み出された主義に捏造された真実にもとづく意味の下で、あらゆる裁きを加えるだけにいたり、加勢される真実は、自らこそが正しいものだという権利を戯れ言を用い、あらゆる意味に懸隔を生み出し、重ねられた意味に屠られ、縫合されることを待つ屍骸として生きることでしか、自らを正しいものとして捉えられずに、そこに生み出される矛盾に反し、関する間に生まれる敵わぬ敵であるものに虐げられる。流浪する意思は、はびこる悪意に転移するあらゆるさまたげに消費されるエゴから、ここで快活なものを失い、おざなりなものを重ね合わせ、あらゆるものを騙すことでしか、自らを正しいものとして措置できないような正義に偏り、そこで勝ち誇ることでしか、自らを保てぬような弱者として生きることこそが、正しいのだという境地に立つ意思的な不安を解消すべく、すべては、すべからく与えられるものであるというエゴから、傀儡として生き、自らのダミーを何体も作ることでしか、今を保てずに、互いをとがめるだけの理想と、ここで問いを捨て、衰退するだけの現在を傍観するための現時点を生み出す時間的な理解から乖離し、懐疑的な意味に持たされる正解から放たれ、ここで歯がゆくゆがみ、互いをとがめるためだけにあつらえられたものからの逃避を求めるべく、元々に備わったものが用いる煩わしさが堅持する意味との闘争をもくろみ、あらゆる原理が用いる権利に反し、かかずらうだけにいたる精神の縁にもとづく体現されるだけの正しさだけに行為は引きずられ、そこで正しいとされるものをしたがえるほどに純粋な意志とは、その場でしいたげられ、何かを攪拌する理由と、ここでうとましく重ねるものへの統合を用いる世界との対立を深め、そこに生まれる軋轢が示す記憶が生み出す無数の無知さが生み出す強要を越え、さまたげられ続ける原因と、ここでつれづれ続くほどに、つたない意思はがんじがらめになり、担う意味も、誰かに似合うかどうかだけで判断され、安易な判断から、範囲を持ち出し、あらゆる意味との訣別を果たせずに、そこに用いられるものに束縛され、自らの自由が持ち出す保身と、そこで縫合されるだけにいたる傷を放置し、次なる戦いに出向く勇ましさを用いずに、あらゆる意味に縫合されることを待ち続けるほどに、そこで孤立し、膠着するだけにいたり、もっともな孤独とは、自分が、自分自身を傷つけることだけに専念するか?あるいは、そこでの孤独を創造的に昇華させ、驚異的な跳躍力を身につけるか?。
2017年5月29日月曜日
時間との闘争
時間は次々に老いて行き、今を放置し、先へと急ぎ足に進む。時間とは、与えられた猶予にひしめく雑音のようなものだ、と怠慢な風景はカタルシスを求めるべく、意識を旋回させ、風を無視し、自らの意志だけで専横する意識下に置かれる力強さを消費し、逍遥する先に現れる愛のようなものを観測し、そこに現れるひずみをリズミカルに消費し、音階を歩く表情は、圧力にも屈さず、今にゆがんだとしても、すぐさま元通りにすべく、すべては、ここでまじわることにより、尊さを生み出し、育む力とは、そこで進んでいようが止まっていようが、同じようなものであるし、やがて成立するものも、ここで気配をかきけし、革命的な威力を用い、自らを高次へといたらせるのであるし、そこで継続されるものなどは、時間などは無視し、無数にちらばる意識と共鳴し、そこでためこむジレンマを消費し、数々のわざわいを昇華させ、自らのむずかしい時間に入り込むだけの論理的な渇望から、そこで活躍していくものが空疎なものを飛び越え、自堕落なものの脅威から逃れ、能動的に生きることだけが、ここで形成される意味や、ここで軽薄にたんじるだけの論争を越え、へだてられるものの惰性さにさえぎられずに、途端に現れる意識的な何かが担う素敵なものだけが、今を謳歌し、ここで完全性をふくめ、惰性に捉える感情が仄かな余韻を残し、そこで思考するものが真実を語るかのように見せつける間にひしめく論理的な汚穢から、そこでまかなわれるものなどは、今をとがめるダメージに変わり、変則的な日常を演奏する刺激的な君のエゴから、行為は巻き込まれ、ここでの孤独や、そこで思う死を捉え、途端に暗くひずみ、誘引される意思や、そこで陰湿なものに抵抗できずに、飲み込まれる自らを傍観する合間に現れるものが滞在し、そこで孤立することにより深まる考えに捕まらずに、そこに現れる考えとは、考えを越えるべく現れる考えに還元されるものに流れず、そこで緩和し、寛容さを取り戻し、途端に現れ一致する何かしらと融和するために、この生命とは、恫喝されても、そこで同一化を求め、何かに安易に依存するシーンから離脱するために、ここでのまじわりとは、途端に夜にほどけ、もどかしいものや、そこでしいたげられ、したがえるものが、意味を不安に変えるだけの恐怖を捏造し、そこに現れる不安を対象にしては、さまたげられ続ける先に選ぶこともできずに、懶惰な自己を磔にし、憎むことでしか、自らを昇華できずに、そこで専横する主義へと偏るだけの移行から行為とは時間の中で凝固し、透徹できずに、にごったままで眺める景色は、形式の中で固まり、何かの傀儡としてしか生きることもできずに、何かを捉えることもできずに、知らぬままに流されるだけの形式にのまれ、うたかたの自由を何かでにごすだけにいたらせるような悲劇をモチーフに変え、ここで懸隔を生み出すだけに現れる義務に捕らえられ、拘束された意思は、何が自由かも知らずに、与えられた自由に揺動され、こころの自由を失い、さまよう意識は、限界を叫び、もだえる先に現れる燃えるような一貫性に捕らえられ、淘汰される意識は、ここで緩衝することもできずに、投影されるものに奪われる意識は、そこでの権利を叫び、デリカシーを用い、何かを過信し、感性を失い、そこで裁かれることを待ちわびるような鈍磨な感情は、何が愉しいのか、と探すことにより、自らの退屈を消費することだけに専念し、そこに現れる自由な意識を食することでしか、満足も得られぬような餓鬼として生き、生かされることだけが、ここでのしあわせであり、そこで聞かされるものなどは、どれをとっても正しくはなく、そこでたっとぶことができずに、出来合のものを信心する辺りから、自らとはゆがんだものに変わり、物わかりの良いものだけをしたがえ、散漫な意識は形式にのっとり、何かを裁くことに現れる空間を汚し、軽薄な理論を製造し、ここで生産されるものだけが真実を語り、そこで仰仰しくかかげられたものを信仰していれば、ここでのしあわせは約束される、と謳うようなリリックに洗脳される辺りから、自らの意志とは、そこで汚され、軽薄なものを信仰することでしか、自らの存在価値や、存在理由を見つけられずに、倦怠感をかかえ、疑念を用いずに、そこで信じることだけが、自らを高尚なものへと変化させるのだ、という麻痺した意識が捉える日常などは、どれも不潔なものであるし、純粋なものほど汚されれば大きな悪意をかかえ、正義を謳うことだけに専念し、そこで宣言されるものなどは途端にファシズムに移行し、何かを排除するための洗脳がはじまり、そこでまじわるプロパガンダを信用し、現れる意味に高潔さを求めずに、元々にそなわる意味に排除される恐れだけが加速し、ここで横暴に迫る意味に奪われる心身や、そこに現れる対価や、状況を汚すだけにいたらせるような演技から、ここで継続されるものに鬱積していく意識的な模倣や、揺動される先に荒れた意識は、現れるものを食い散らかし、欲望のままに進行することを否定し、そこに現れる観念の支配を受け入れ、今に継続される苦痛を膨脹させ、今に失速していき、時間の外からでられずに、その場で捕囚としての役目を果たすべく、弁解を続ける意識は、言い分けを続け、そこで流布されるものや、塗布されるものによる変化を受け入れる変化は変化とは言えず自らが作り上げた意志を、自らが喪失させる。
2017年5月28日日曜日
歪む夜
引用されるたびに失われる形式によいしれる具現化されるだけの日常にきらめくネオンも、他人事と単語の間に消え入り、暗号化される日々は、追いかけるほどに一貫した貪婪さを孕み、そこに生まれるエゴが人間的な臭気を放ち、よどんだ日常を浄化させるような晴れ間に揺動され、日常は変化を求めるほどに、その日々のサイクルに飲まれるようだが、ここで思うことも、何かに思われることで元々の意味を壊し、快活な動機すら失われるかのように見せつけるような余韻から、陰惨な形式が孕む破壊的な言葉に刺激され、意識的な低下を叫ぶだけのプラトニックな日常に卑屈な感情が生まれ、何かを恨むほどに、魯鈍なものになりかわり、ここで代償とされる者や、出し抜けるための者を作り上げるだけの理想などは、すぐさま廃れるものであるし、突きぬけるような希望がなければ、そこで継続しているものなどは無駄に終わるようだね、と君の姑息な笑顔の裏側にそなわるペシミズムを打ち砕くべく、私は存在するのであろうし、やがて、死に追いかけられ、君のニヒリズムは完成するのだ、とかいう諦観はその場で捨て去るべきであるし、そこで考え違いを孕む限り、その場にとどまり、時間と空間の餌食になるし、縁を思わずに、ここでの距離は生まれず、その場で測ることも生まれないままに、あいまいなマインドは低劣なものを育てる惰性な事柄から、乖離していくだけの景色を追いかける日々をも越えるような意志を持たぬ限り、その場で朽ち果てるだけにいたるし、そこで語る「その場」とは、そこでの拘束を思わずに、自由に回想する間に生まれる自由をも越える手立てになるのであるし、そこで担いものだけが意味を軽くし、そこで屈するよりも、そこで恒常的な愛にみちびかれ、高次に至るような住まいを見つけ、すぐさま逃げ出し、修復し続けることにより、簡単な祝福を受け入れるよりも、そこで強調されるものにとがめられることもなく、音と音の間にひずむ優美な嘆息から閉じる瞬間にも、美しいものは混在し、思う限り、ここでの症例は飛び越えられるための絶え間ない闘争であるし、ここで観測されるものに支配されるよりも、覆われる意味をくつがえすような美しさを保つような君に補足される意味だけが、緻密な意味に迫り、ここで完全性を保つよりも、十全とした意識で四季をひるがえすような詩的な遊歩道を歩き、ガイダンスにはしたがわず、そこでダンスし続けることだけが、今の行列にならび、何かに倣うよりも美しいものであるし、そこでしたがうほどに、謳われる人間性に支配され、気配も失われるであろうし、そこで有するものなどは、何の足しにもならないから、哲学とは存在するし、そこでの素材にも変わり、もたらされる苦しみも、自らが思うことで強調されることを知り、そこで楽しむことを忘れれば、そこでの苦しみは強調され続け、自分自身をおとしいれるだけにいたるし、そこでいたらぬことを思うよりも、次々に脱ぎ捨てる感情をおいてけぼりにし、憎むことよりも、簡単に処理する方法を学ぶべきであり、そこであいまいな日々に結合していく鈍感なものをドナーにし、先天的な苦しみを分かち合うことはできない。意味が不潔に変わるだけの正解が迫る狭い価値をうながす教育が世界を社会を世間を作り上げるような犠牲的な日々にファシストの脅威が迫り、現代のゲノムを解明し、新たなよろこびを想定し、あらゆる権化を打ち砕くような鉄槌を下すべく、ベクトルは天をも超え、手懐けられた天体を越え、宇宙との調和をもくろむ暗黒の外側に存在する自己との対立を続け、そこで軽薄な者が示す尺度から逃げ出すべく、弁解を続けるだけの意図から放たれ、ここで連動するものとは、自己が作り上げた偽装であるし、そこで堅持するものなどは何にもならなくとも、そこでなしとげることだけが、世界を世界として認識させ、そこで惰性に達せられるものなどは、何かを継続したかのように思わせるような時間という悪魔が用いる麻酔により、麻痺した感情が徒労を重ねていることすら忘れ、そこで軽蔑されるだけにいたるような毎日に贋物の達成感を与えるだけの支配的な経路から逃れ、自分が示すことだけが、そこでの正解を生み出し、ここで形成されるものなどは、何かにしたがうための理想であるし、そこでしたがえるものは、次々に支配を加速させ、持たされた権力という麻酔に麻痺し、まがい物のものを崇拝し、止揚することを知らぬから、途端に現れる恐怖に飲まれるのであり、そこでのらりくらりと逃げ惑い、毎日にかかげられる血や、そこで価値として崇められることにより加速するナショナリズムや、そこでリズムを失い、理不尽なものをルーツに、決められたルールを守ることだけが、この世界を正しくするという虚偽から、そこで束縛するだけにいたる空間的な排除を恐れるばかりで、何の正しさも知り得ぬのに、正しいことを知ったように語り、何かを抑止し、抑圧される限り、用いられる罪の代弁者として、あらゆる悪を生み出すだけの代理の子として、悪魔的な言葉を吐き出すだけの空疎な学者の餌として、包囲網をしき、論破するために練られた作戦と寝るような独善的な解釈者として、あらゆるレジスタンスの的として、背くほどに孤独になることを恐れるばかりでは、ここで取り残され、そこでの正解をにみちびかれることだけが、世界のように思うことにより、自らが自らを排除し、過信を続け、そこで改心することだけが、正解だ、という思い違いにこそ気付くべきである。
2017年5月27日土曜日
作用
風景に入り交じる情念が昇華する。時間との闘いを終え、卑劣に迫る悠遠にひろがるだけの意味が今を徘徊し、意思の快活さを奪うだけにいたる。ここで強調されるものなどは、母の大きな愛を背負わずに、他人がうながす描写の中でしか活動できずに、そこで体現されるものに去りゆき、今に現れ帰任するものが認可するものなどは、貪婪なものであるし、そこで思い浮かべるものなどは、自分勝手に律動し、状態に負荷をくわえるような無責任なものをふくませ、怠惰なものに変え、自らの外観を破壊し、自らに内部を越え、コアを打ち砕くような愛でしか、自らを癒やすことはできないのであり、そこで思い浮かべる理想と、ほど遠いものを愛しているかのように示すことでしか、愛されていることも認識できずに、そこに現れる普遍的なものが謳歌する主観から、瞬間的や飛躍から、ここで循環するものなどは、純化できずに、心象にたずさえたものが補完するものを信用し、そこに現れる行いとの軋轢から、称えられるものにたきつけられるものだけを信じ抜く限りに、自らの正しさは肥やされ、ここで公用のものとして現れるものなどは、問題にもならず、自らが正しいと思う限りに自らを正しいものとして昇華させる。あらゆるものが緩慢に作用し、ここでたよりなく重なりながら、長い日々に結末をつなげるだけのサイクルから、境目も持たずに、もたらされる苦しみに刈り取られる意識や、散漫な語源を託し、あらゆる卑劣な消費を繰り返すだけの資本主義的な憂鬱や、姑息な者が示す差異により引き裂かれる心情は、死を引きずるほどに、ほとんどの価値は、ここで希望を失うだけにいたるような日々を引き取ることでしか、自らの行いを正せずに、そこで認可されるものなどは、法により囲われ、そこで文字化された悪意を背負い、欺瞞にいたらせるだけの由縁や、そこで束縛されるだけにいたるような緩慢な精神がひれ伏すだけにいたるような状態を揺籃に乗せ、あやし続ける間に敢行される意識的な裁きや、ここでかき消されるだけの意識が持ち出す保身や、定めを謳い、ここで誇張されるものへと引っ張られる間にあいまいなマインドは、毎日に低下する幸福の意識や、そこで求められるものにとがめられるだけに惰性にみちびかれ、加算される意味に欠乏していくだけの意識的なとがめから、退廃的なものへと変化し、固執するだけにいたる精神は、何が正しいのかも忘れ、わずらわしいものから逃げることだけが、正しさを引き出し、そこで拡散されるものや、合致するものなどが今を卑近なものを生み出し、今に奪い合う権利や、理解を示さず、難癖をつける辺りに報復を繰り返すだけの喧噪が用いる限度が、答えから飛躍できずに、その場で駆逐されるだけにいたる自分を傍観し続けることだけが、正義なのだ、と納得させる間に駆除される結末や、そこで欠乏し続ける由縁から解放されるための呪文をうながすほどに、ここでの孤立感を生み出し、その場での拘束を、自らがほどこす。くだけた骨が混ざり合い、真新しい心情を重ね、今に情熱を燃やし、その場から逃げ出す。逃げることにより、見え隠れしていた本質が違う形で現れ、見たこともないような形に変化する。ここrろの変化とは、その場での理屈を越えて、自らの苦しみを解き放つよろこびから、見えていたものを変化させる。そこで加算される苦しみなどは、その解放のために経過する通過儀礼のようなものであるし、そこでとがめられ、苦しみにことに怯えるよりも、そこで横暴に示されるものに反し、そこで閉め出される前に思い描くものが本質的なものをとらえ、途端に現れる言葉を加算させ、そこで現場を打破するような意識を用い、率いた過去などは、その場で作用せずに、ただ用いた過去などは、その場では邪魔になるだけであるし、新しい思いが何度も今を越えて、あらゆる痛みを疎外させ、爽快な意識に成長させるのであり、そこで卑屈なものをかかえ、重なる思いが病を越えて、寂寞に溜め込んだ苦悩を昇華させるよろこびにいたり、すべてから逃げることにより一新できるのであり、そこで逃げるな、などとうながすことにより、自らを膠着させるよりも、自由を用い、何かを引き合いに今の苦しみを消し去ろうともがくよりも、よろこびを増やすための努力を続けるべきであり、そこに現れる保身と、そこで更新される意味などは、魯鈍なものを用い、何かを屠りながら、ほとんどの意味に作用し、そこで欠乏していき、形跡すらも残さずに、出来合のものや、でこぼこ道に変わるだけの答えから離れ、今に現れるよろこびだけを強調するような先に生まれる愛だけが本質的なものであるし、そこで捉えるものなどは、捕らえられた意味の中でしか作用しないものであるし、そこで公約を生み出し、口約束の先に裏切りは強調され、そこで保身を生み出すだけにいたるような戦いから、怠惰なものを交錯させ、ここで葬られるだけにいたるような補完に反し、ここで交換されるものなどは、何にも値せずに、何かに値するようなものでもなければ、その場で値するものなどは、すべてと対立し、そこで求めるものなどは、そこには何も存在しない。
2017年5月26日金曜日
高揚
日常においてけぼりをくらい、空疎な日常の悲劇にがんじがらめになる君の憂鬱を消費するような理想が意識について回り、過信するほどに、自らを苦しめるような領域から短絡的で安易なものを消費し続けるだけに陰る真実がもちいる本質などは、今を束縛するだけの即席の自由に移行し、リロードされた感情を何度も撃ち込みながら、長らくの閉鎖的な観念が受け取りを拒否し続ける先で対立を深め、時間論から逃れられずに、用いられる時間に対する自らの空間との対立を深め、延々と戦争状態に陥りながら、散漫な意識が用いる革命的な語源と、そこで互換されるだけの精神的な消費が巻き込む苦痛に打ち克つような刺激的な快楽を用いるガイダンスに支配され、芝居を続けるだけに加速するエゴは、仮想するものと仮想されるものの間で無の状態をキープし、そこで孤独な対立を続ける限りに現れる善悪が用いるアニミズムへと吸収され、自らが産出し続ける悲劇へと加工されるだけの品位や、貧寒なものを用い、あらゆる原理を超克できずに、その場での悲劇をもたらすものへと偏り続け、そこで懈怠するだけにいたる体制的な傲慢から、緩慢な作用を及ぼす間に生まれる苦しみと、空白を埋めるだけの演技的な互換から、悟性は取り除かれ、そこで用いられる本質などは、真理にいたらぬからと排除されるだけに至り、自らの憂鬱を担う限りに語り口は、妄想的なものに変わり、そこで秩序をもたらすだけの簡易な手法が持ち出す主義により束縛され、そこで膠着し続ける意識は未だに寛容さを取り戻せずに、何かがうながす悲劇に散漫な意識を護送し、強制労働に従事させることだけが、この世界の本質を無視し、そこでの滑落を救う手立てであるのだ、などとうながすような運動的な諦観から、ここにみちびかれる悲劇が構想するものや、依然としてよろこびにまでいたらずに、そこで悲観することだけが、今を制して、いぶかることを辞め、ただ引きずられるがままに生きているようなものを自らの手で引き裂くことだけが、正解へと導くようなものだ、とカタルシスにいたらずに、語られることだけに従順であることが、ここでのしあわせへといたるのだ、という勘違いから、悲劇は加速していく。生きるとは、そこで生かされていることに取り残され、その場の檻に閉じ込められるようなものだ、と語る動物園の動物たちは、自らを見透かし、檻の中で愚かな権威をふるい、自らを檻の中に閉じ込めることにより、諦観へといざなわせることだけに長けるような人類の平衡を保とうと必死にもがくかのように檻の中をぐるぐると回り、自らを狂わせぬように、いつでもその首に噛みつくために自らの平衡を保っている。もたらされる怒りが浮上し、今にいたる苦痛とは、文明が与えたものにより、現れた悲劇である、と蔑む間にも、すべては進歩し、あらゆる退歩をゆるさず裁き続けることで置いて行かれた者がたむろするこの世の終わりなどは、この世のはじまりなのかもしれず、そこで気付いたことこそが、ここから排除されたよろこびに満たされるのかもしれず、そこで汎用されるものに乱用されるだけの心身を傍観するような日々へと移送され続ける間に転化できない精神は、その場での生死を境目に、自らを苦しめることだけに専念するような要因から、揺動されるだけの現在に進行していく痛みに指定され続ける苦痛から逃れるべく、今に現れる苦しみを消費するために、退屈をしのぎ、何かでごまかすことでしか、自らが生きていることすら認識できぬようになり、担う意味も、今に現れる悲劇にあらがえずに、ただ諦めることが、何か生きていることを再認識させるようなもののように感じるようになり、現れる退屈を消費するためだけになってしまう。そこでなれ合うだけの意識はジェラシーをかかえ、何かを否定することだけが、自らを占領しようともくろむものに反するようなものを生み出し、今に算用されるものにあらがうようなものである、と告げる惨憺な様子で理想を供給する位置的な自由から時間的な疎外感を取り除くべく、かかげられた自由に消費し続けられた死を排除し、今を生きるなどとうながす限りに過ぎ去る今とは、今に分裂し、意味の中で高揚感を失い、与えられたものにかかげられた至福を加算させることだけが、今を幸福に変え、今を克服できるのだ、という哀れさをかかげた同情的なものにより、自らの生をうやむやにしていく。現れた苦しみは、哀れみを与えられるほどに、今にいびつなものを形成する。今に強靱さをもたらすようなよろこびへといたらぬ限りに苦しみと平衡する意識は、自らの幸福にはいたらずに、今にいらだち、いたらぬ自分を疎外させるたびに、苦しみとは際限無く生まれるものであり、そこで思う苦しみとは、どこにも影響を与えずに、自らの中でしか影響を与えずに、延々と苦しみを引き伸ばすだけにいたり、そこで卑近なものをかかげ、何かをなじるほどに、ここでの苦しみは膨脹し続ける。
2017年5月25日木曜日
訂正
意識はいつも、何かを欠乏させ、横柄に迫る意味に加担し、自らの結末は、自らに対し、いつも退屈なものをちりばめる。そこで約束されるものに接続され、感覚を失い、なんども見失う自己にかけていく意識的な終わりが示す汚穢などは、ここで選択するものが決め込む意味が今に逆恨みし、生み出されるものに満たず、ここで生まれたものなどは、何かの役に立とうとも思わずに、その場にあるから、あることを認識させ、今に苦しみを与えるようなものであるし、そこで問題を用い、何かを深みにはまらせようとするほどに、自らを狭め、当たり障りのないものに転化し、そこで展開されるものが、今に潜り込み、意識を混濁させる。潜り込んだ穢れを取り払うための儀式に参加し、通過儀礼として苦しむことを余儀なくされる間に平衡するものもなくなり、そこで統制され、統合されるための戦争が執り行われ、自らから飛躍できずに、与えられた影響を与えられたままに受け取るような義務化が進み、自らが未熟なままに現れる信仰が無神経に入り込み、作り出された物を神格化し、それを神と名付けた途端に真実や恐怖が迫り、自らを狭い世界に閉じ込め、与えられた価値の中でしか測れぬ者として、指定されたものに義務を与えられ、その与えられたものに対しての善悪をかかげ、自らの陰に覆われ、くたびれた意思を背負い、義務的に促されるものだけが、自らの恐怖を昇華させ、自らの苦しみが生み出す畏怖を越えて、短絡的な同一化を求める世界との懸隔を生み出し、短絡的な補完から、自らとは損なわれ、そこでほどこされる教育とは、純粋な機械兵として生きるための国家的な骨格を背負わせた義務感に狭められた意思を超克できない亡霊として、無抵抗に定められた道を嫌々に歩んでいるようなフリをして、従順になしとげることが美徳であると認識させた誤りを生み出したシステムから抜け出せずに惰性な犬とし、あらゆる正義とは、何かをとがめ、制限を生み出し、制圧され、抑圧されることに快感を見出すマゾヒズムを生み出すために生まれた時から与えられた外からの抑圧により、自らの快楽とは、抑圧からの解放であり、自由への逃避ではなく、逃げることは、苦痛を伴うなどと促す悪魔どもの私服を肥やすための出来合いの真実が今を狭め、識見を失わせ、自らに塗布されぬものに色を決められ、果敢に挑むほどに変化するものが指し示す先に生まれる詐欺まがいのものに撹拌され、自らの半径は失われ、範囲は狭められ、そこで用いられた苦痛を敷衍させ、自らを見失う。そこかしこに苦痛を媒介させるためのプロパガンダが迫り、最たる意味をそこなわせるための域を奪うような戦争が横柄さを増し、毎日に寂寞を生み出し、観念に悲観的なものをうながすための専横から、収奪され続ける意識が執り行う差別化により、自らに生まれるものに奪われるだけの感覚から、そこで姦悪をな者として、背くことでしか、快感にいたらぬようなサディズムを加速させ、何かに枷をはめさせるような制限を生み出すことだけが、人間として生きることが楽になり、担う意味が示すものに指図されることだけが、自由を手にするチャンスである、などとうながすような悪魔どもの語りぐさなどにだまされれるわけもなく、そこで用いられるほとんどが空疎なものを吐き出すだけであるし、そこに用いられるものなどは、必要性すらも用いずに、そこで用いられるものに対し、愛することも忘れてしまい、時は金なりとうながすことに補填される売買という快感にほころび続ける意思は、滅びのジンクスを用い、何かをカタルシスにいたらせずに、カタストロフへといたらせるための偏りを絶えず生み出し、自らを苦しめるためのエゴがためらわずに浸透し、そこで信仰する意識的な神との訣別を行わずに、そこで用いられる神を、神として崇める先に生まれる苦しみとの衝突から、そこでかいがいしく迫るものが贋物であることに気付かずに、あらがわずに、そのままに与えられたものを信じるような勤勉が用いる修羅を歩むだけにいたるような征服されることにより、満たされ、もたらされるよろこびとは、生きているとは言えずに、生かされているのだ、というのとも違うのであり、そこで引き伸ばされているだけに満たない生とは、そこで感じるものを、自らの意思で感じ取られることもできずに、自らの愚かさに気付くことすらできずに、与えられたものを、そのままに信じることだけが純粋などではなく、それは無知であり、ただ井蛙な者に陥るだけであり、そこで交換され、枯渇し続ける精神に与えられるものや、そこで影響し、永遠性へと制圧される前に自分すらも捨て去り、納期されるだけの違う自分を毎日に取り替えることだけに専念し、毎日についやすべきものが、卑賎なものや、貧寒なものに変わる事柄に飲まれるたびに、自らを枷に変え、そこで加速する風景に置いて行かれることに怯えるだけの答えが示す闇へと閉め出され、惰性なままに居て、うながされるままに流されることだけが、ここでの枯渇を癒やし、そこで交換されるものだけが、正義を語るのである、という欺瞞から抜け出せずに、そこで与えられる影響だけが、絶対的であるのだ、という確固たるものを打ち砕くために私とは生きてる。
2017年5月24日水曜日
肯定的な夜
哲学とは、精神をかき乱し、むしばむものを昇華させるために存在する。せいぜい、そこの距離を埋めるために存在するわけでもないが、すり寄り、歩み寄れば、優しい存在である。宿命に反したまま、行き過ぎる風景を網羅するような刹那に嘆ずる所以や夢がしりぞき、寝ぼけ眼で乖離した世界を傍受する。当たり障りのない風景が関する合間に残り少ない愛が開け、簡単に処理されるほどに今とまじわる先々で乖離する心情がほどけ、おどけた真実がのさばる前の自分に帰りつく。あらゆる原理が理屈をこねる朝に浸透する、しんみりとした行方は、誰もが用いる狂気を利用し、散漫な意識に限界を用い、何かにとまどう主体は、戒律をまとい、自らを戒めることだけに専念する。捻転する意識は、儀式的なものを超過し、数々のジレンマが時代性を虚ろなものに変え、問題性を孕む以前に、ここでのさばるものが、卑屈を抱え、軟弱な精神を駆除する前に、ここで関連するものに固執していくことに現れる強迫観念が、簡易なものをかかげ、自らを監視することで強化される監視されている、という意識が引き出す卑近なものが促す価値にカスタムされる。未熟な観念が生み出すまぼろしや、幾重にもからまる意味合いに屈折していく精神が指定するものに孤立し、あるいは、その場で束縛され、自らの痛みに費やされる現実だけが、現実のように感じさせるギミックから解かれるべく、生きたような実感をさずけるすがすがしさなどが示唆するものなどは、たよりないものであるし、その場で満ち満ちていくものなどは、今に完結していくほどに、夢のようにしか思えぬものである。命とは、その場で完結するものであり、その場で感じたものだけが、今に兼ね合い終焉をむかえる。その場で考えるものとは、今に置いて行かれ、継続するほどに、その場での苦しみを膨脹させる。そこでさからい続ける意思だけが、意味を越えて、高潔なものへといたり、高尚なものに転じて行かぬ限り、その場で卑屈になるだけであり、かたよった精神は、今にひたることだけに関係していくものを恨み出す始末である。あらゆる言葉は、そこで緩慢に作用し、そこで孕むことなどは、答えにみちびかれるための経路をあたえるだけのギミックを超越できずに、そこでこしらえられるものに依存し、自らを損得で決め込む辺りから、善悪とは今にのさばり、理性を越えられずに、そこであたえられるものに抑圧され、些細なことで傷つく現在に転化していく苦しみにより、否定的なものに陥る。そこで肯定すべき意志を身につけるよりも、そこにあたえられる影響を越えて、硬質な意志を作り上げるための哲学が存在し、あらがうことでしか、正解とはあたえられずに、そこで本能的なものに摩耗された精神は、今にひたる答えに安易に引きずられ、卑屈になる。担うべき意志は、そこで解脱することばかりを考えるような安易な悟りが示す刷新が及ぼす破壊的なニヒリズムに対抗するような意志を企て、惰性に示されるものに閉め出されることを恐れるばかりで、そこで怯えるだけの意志は、堕落したものを堅持するのであり、そこで誇示するものが免じるようなものが、惰性な判断だけで、答えに乗っかり、自らの意志を損なうことに陥る欠如から、そこで接続されるものが示す尺度に追い出される恐怖にいざなわれ、不安に人格を奪われるのであり、底での『欠如』を埋めようとするほどに、逃げることを忘れ、その場で追い詰めれることにより、今に襲われ、誰かの意志の傀儡と化す。関わるほどに、関係とは権力を用い、ことあるごとに示される意味から尺度は生み出され、今を埋めようと詰める意識は、難癖をつけ、そこでこじれるだけにいたるような精神は、正否を用い、根幹を奪うだけにいたるような困窮から、自らを疎外させ、そこで生じる苦しみの『サイクル』へと陥っていく。自らを肯定すべく、生命とは躍動するのでもなく、そこにもたらされる宿命により、自らを誇示することもなく、そこでこじつけられるものに怖じ気付くこともなければ、そこで転じ、意味を不潔なものに変えるだけの戒律から、懐疑的な日常から逃避行を続ける意思だけがジプシーとして、吟遊詩人として生きるような結末に退く間からあいまいなマインドを放つだけの精神的な苦痛を昇華させ、そこで消費することだけに専念するよりも、そこで求められることに応えることだけが、答えを導き出す鍵であるのだ、などとうながすような即席の自由を越えることから、自らを超越し、あたえられるものを超過し、そこで現在から引きずるだけの存在を切り離し、次々に新たな自己を再生していくのが存在を超越していく仕組みであり、そこでの苦しみとは、そこで引きずることにより強化され、そこでさえぎるだけの意思が生まれ、そこで対立を深めるほどに、捕まる意識は、延々と苦しむことだけを敢行する。そこに現れる苦しみなどは、瞬時に飛び越えられるものであり、飛び越えるために存在する。そこに現れる超越こそが、自らを止揚し、そこで高められるものだけが、互いを恨むような原因から抜け出し、そこで線引きするものや、生み出される壁を壊し、誰かに愛されるためだけの愛が生み出す欠乏から抜け出し、惰性にみちびかれる答えに抑圧されずに、自らの考えだけを飛躍させていく。そこに現れる苦痛とは、飛び越えるためだけに存在し、そこで苦しむためには存在しない、そこで考える苦痛とは、考えがみちびく幻想であり、そこで真実のように語られる苦しみなどは、欺瞞を含んだエゴを用い、何かをモチーフに何かを傷つけるための演技を続けるような傀儡が示す鈍磨な感情を移行させるためのシステムを用い、誰かを騙すための倒錯を生み出し、境目をあたえることにより、そこでの苦しみも倍増していくことから逸脱するのが、生きているということであり、そこで生き抜くことを思うよりも、そこで要理に反することだけが、人間自体を飛び越える。
2017年5月23日火曜日
超越
動物的な本能を捨て去り、慟哭の夜空に突きつけられる余罪や、迎合されるほどに飼い慣らされる意識に住まいを移す分裂的な影を背負い、心証につらなるシンフォニーや、ファシストどもが叫ぶ現前から長ける浪費されるだけの感情が牢記するものなどは、生きるということに邪魔になるのだ、と告げるような生き方こそが、生きているとは言えず、ただあらがうことをやめ、そこに現れるものにあてがわれた事実を、事実のようにうながすことでしか、生きていることも認識できぬような生き方などは、生きていることに価値を用い、何かに値するか、相対する先に現れるものに屈従することでしか、今を癒やせずに、今に現れる苦痛と、そこで普通とされるものの間に現れる差異や、そこで快活さをそこない、底なし沼にはまり、身動きもとられずに、途端に苦しみは倍増し、そこで膨脹する苦しみに飲み込まれることに生まれる満足などはしょせんは、何かを買い取り、何かを売り続けることでしか得られぬ快楽を求めるだけの脳内の仕組みに反せず、そこにおとずれるジレンマがいずれトラウマをかかえ、理想を供給すべき愛すらも、愛することを忘れ、愛されることに重点を置き、そこで束縛される観念はあらがえずに、自らの苦しみに飲み込まれる夜に信仰しているだけの本当とされるものなどは、善悪でしか物事を測ることで自らを自覚することに利用される本質へと移行していく苦しみをかき消すための道具として、あらゆる正否を利用し、そこで制限を生む苦痛と、そこで本質をにごすためだけにためらわずに使われる保身と、そこで捕囚として生きることのが簡単であり、そこで処理される痛みに麻痺し、毎日を愚鈍にすごすほどに路上でたむろする意識は、整合されずに、そこで苦しみに巻き込まれ、そこで症状を悪化させるだけにいたり、自らを抑圧させることだけが、自らを苦痛から救う手立てのように感化させ、そこで感じる苦痛は、屈折したものをかかげ、そこに現れる痛みから逃れるために、ためらわずに何かを破壊し、そこで瓦解する意識は、果敢に挑むことを忘れ、よどんだ意識の表面をすなどる君の意識的な汚穢にもとづく苦痛の終わりへとひしめく意味も、そこでの終わりに欠けていく意識との調和を目指すべく、明晰なものを求め、そこでの判断に膠着せずに、孤立し続ける意識は、システムが用いる過剰さや、死に至るウイルスを培養するだけの感情的な汚穢を浄化させるためのアンニュイな魔法をとなえ、寂寞に解消される痛みとの調和を目指すべく、君の苦しみが散漫なものをかかえ、そこでの苦痛を倍増させるだけにいたるような闘争へと陥る先に現れる闇との対立を越えて、そこで終わり続けるだけの意思とは、何かを散漫に壊れさせることだけに専念し、自らのデカダンを超克し、ここで固執する痛みなどは、そこでの乖離を生み、どこにも自らを存在させずに、そこでそこなうだけにいたる意識は、即席の自由をかかげ、何かをごまかすことが逃避だ、とうそぶく間にもとづく痛みに疼く精神が栄進を続ける先で統合されることだけを目的とする正常こそが偏りを示すものであり、そこで締め付けられる意識は、使命感を用い、何かと同調することでしか、自らの痛みを解消できず、そこに現れる痛みが用いる大義に酔いしれ、何かを破壊することでしか、自らを認識できないような確認作業である破壊活動に専念するような現在に芸術性はなく、とがめられるほどに、自らを強調しようともくろむ意識は、そこで止揚することもできずに、ただ抑圧され続け、苦しみに耽るほどに、満足とは遠く、途端に現れる苦しみとは、満足すらも捨て去り、そこで硬化する意識を軟弱な精神がゆがめ、そこで傍観者として、傷つく自分を補完するための交換条件などをかかげる社会との軋轢が生み出す苦痛との終わらぬ戦争を続ける間に乖離していく今にも意味合いは不潔なものを重ね、かさばる思いを昇華させるような儀式的な生贄として、今に苦しみべきだ、と悟ったようなものをかかげる似而非真理的なものを吐き出す破壊的な主義を刷新すべく、あらゆる原理とは、今を苦しめるためのツールでしかなく、今に解放を謳うほどに、自由にはいたらず、そこで用いられる解放との矛盾を埋めるための空疎な自由だけが、今に浮遊し、有する価値と、そこに現れるカタストロフから、価値観の違いでおとずれる人種間の争いに転じ、そこで疎外感を生み出し、ルサンチマンを生み出し、今にはみ出すものを処刑地に送り、違いを生み出すだけの言語から、そこに限度を生み出すだけの等差から、痛みをかかえた意識は、そこでの距離を埋めるためだけの密会を続け、そこにおとずれる革命のために、何かを犠牲に今を破壊するようなものへといたるような構図を終わらせるべく、共存共栄すらも超越し、そこに現れた歴史が作り出した敵視を越えて、そこで阻むだけにいたるような保身と、そこで不安を生み出すだけの恐怖に阻められずに、おとずれるものをそのままに愛することから、互いの理解を求めるよりも、そこで同意を求めるよりも、そこでそのままに生まれたものを生々しく愛することでしか、愛を飛び越えることもできずに、そこで裏切られてもなお、何かを信じることでしか、何も始まらぬのだ、と。
2017年5月22日月曜日
矛盾との戦い
壁をとりはらい、自然に意識する以前に、ここで生まれるものの全容を測ることよりも、ここによりかかり、制する余韻や、因果律に反し、時間からかけはなれ、ここで思い違いを生むものや、運命論に支配され、散漫な意識を時間に追わせるだけにいたるような終幕から放たれる偽善的な要因や、インタラクティブなものほど、互いを信じてはおらず、そこであたえられる影響だけに左右され、すぐさまゆがんでしまうものである、と洗練される先々にセンテンスは死に絶え、誰もが情報の中で退歩し、時代錯誤におちいるだけだし、惰性に支配を繰り返すだけの王朝が示す明晰な判断すらもそこなわれた懐かしみだけが、代償を求め、今にさまよい、欺瞞を続ける辺りから、追憶とはうばわれた価値により、違った理想をあたえられたものを思い返すように海馬をカットされ、些細な原理にもとづくエゴを捨て去らせるべく、うばい続ける価値から、ここでもちいられる過去などは、枯渇するための理由をためらわずに生み続け、うばわれる原理や、ふかまる意味に恐々としていくジレンマが指定する義務へといじらしくとまどい続けるだけの君の無知にも悲劇は現れ、今に拘泥するだけにいたるだろうし、ここで浪費し、老化することを傍観し続け、つたない意識は機械的な末端に生まれる排除法や、破壊的な現場に理想論的な敵愾心を生み出し、破壊することだけが、この世の軋轢を矯正し、救世主を生み出すのだ、と井蛙な者が示す識見などは、正しく物事を見られずに、正しいものとして物事を見ている限りに、その正しさとは、正しいとされるほどにゆがんだものを今に生み出すことに気付かずに、自ら定める位置や、今に統合され、今に位置的な苦しみを複製するだけの真理に釈然としない精神は、主体性をそこない、そこで価値の家畜として、あるいは悲劇のヒロインとした、または、闇夜でもっとも暗い者として正否すらも持たずに、善悪に解消され、回収されるだけの最後を待ちわびるような悲しみに暮れる間にもっともな悲劇の者として、物事に軋轢を生み出す悪意の根源として、悪に焼き尽くされ、その場を燃え尽くすことだけに専念するような捻転した精神に喜劇的な笑いを持たずに、貧賤な者として、あらゆるものを憎悪することに想定されるものや、そこで装填されるものを撃ち続けるような憎しみの子として、恒久的に孤立し、ここで拘泥し続ける限りに陰る本質や、そこでそこなわれるだけの価値におびえるだけの一生から、いっさいの苦しみとは、今に永久を用い、ここでコアをなくし、長らくにひしめく利用された身体を交換するほどに、おぼえもないものを引き出すだけの卑近な過去から、交換され続け、硬化するだけのこころを暴走させないように抑圧するような国家的な偽装から、共産主義的な失敗や過ちとは、人間的な成長がなく、ただなあなあにあたえられた平等に尊さを持たずに、自らを問い質すことを知らぬから、そこで許すという怠慢を用い、何かを対価にしか人間とは人間として動けないという機械論的なさまたげに打ち勝てずに、浸透した主義は、理想を用い、希望を失わせるための革命にいたったことで、前よりも自らを苦しめるという矛盾を孕ませ、そこで奪った主権を守るために反するものを処刑し、そこでいっさい欺瞞を取り払うべく、関係のないものまで殺めるような恐怖政治に利用された者どもの悲しみを謳い上げる価値が今も揚揚ともよおす隙間に襲いかかる昼間の睡魔のような悪魔が迫り、生命を危機にさらすような散漫な儀式の彼方で、あいまいな理想を捏ね上げるほどに革命とは国家を越えられずに、自らを越えぬ限りにこしらえられるものに支配され、自らの意志を喪失し、互いをゆがめるためにゆだねる理想は、ここで了承を得る以前に、ここで強要されるものや、そこで驕傲な態度で示す差異にあらがえずに、今に見出すべき理想も、理性をそこない、本能を用い、何かを特権的に殺め、現れる理想に打ち勝てぬ限りにあてがわれるものに気配を奪われ、ここでの理想とは、何かを勇躍させることもなく、現れる不満が瀰漫する前に、強制力を持ち出し、強制的に従事させるための恐怖を巻き込み、現れる不純な理想に帰巣するだけの権力を保つための剣劇と銃撃迎撃の演技を続け、あたかも正義をかかげた行為とは、悪魔的なものであり続けるし、そこで続けられるものなどは、何かに隷属し、そこで展開されるものなどは、何かを奪うための敷衍を続け、つたないものをかかげ、それを成長と告げるような告白などは、ここでの正しさを見出すこともできずに、延々と続いたきた理想に寄りかかりすがるものを正しいものとして認識すべきだ、という洗脳まがいの理想が倦怠感をいざない、何かを考え、何かを思い、何かをかかげることとは間違ったものであるという普遍性が生み出した不潔な心情とは、誰がなんのために生み出したものなのかを考えるべきであり、善悪の是非を問わずに、ここで正しいものと悪いもので分け隔て、惰性な判断で、性善説と性悪説を唱える以前に、ここに現れる善悪などは、懸隔もなく、同じようなものを、同じようにかかげているだけに満たず、どちらも正しければ、正しくもないのであり、そこで決め込むことこそ、正しいとは言えず、そこで正しいものとして認識させるような強制的なものを保持することが正しいとされ、そこで認識するものを怪しまぬ限り、自らの考えなどはないの、だ。
2017年5月21日日曜日
詩的な闘争
空疎な物語を孕ます、詩的なオーガズムが、メモリーを消し去り、さらなる進化をとげるべく、飛び立つ。涙の色も濃いの、と理由もなく吹き付ける意味にふるえる君の小さな肩の行方を気にする。誰の悲しみでもない悲しみを埋め合わせるために私とは存在するの、と悲劇に満ちた感情のコイルを巻き、意識に拘泥し、或いは機械的な行動に支配され、動的なものに奪われる意識を傍観する自らを傍観するような乖離した青春を行き来する地下鉄の散漫な吐息をかきわけ、情念とは、ここでへだてるものを惰性に運び出すような連想を続け、ここで想定されるものや、ここで想像するものなどは、情報の中で淘汰され、ここで問い質され、追い出されるだけにいたり、そこで逡巡していることの矛盾に気付かずに期待感を孕まし、自らの複製品を愛するような始末のわるいナルシシズムに融合するような交友関係が生み出す高揚感などは、今を不満に変え、そこで空疎な理由を生み出しちぐはぐな思いをつなぎあわせるための接着剤的な恋人を探すようなあてもない旅路に平衡する意識的な俯瞰が空腹を癒やすためだけに日々に摩耗され、今に支えをもとめるほどに孤独にゆらぎ、自らの強靱さに気付かずに、気付いたころには、その場であたえられるものを、あたりまえのように食することだけに専念するような貪婪な者として、指定された意味の中にしか帰結できずに、その場での名残惜しさを吐き出すばかりで、ここに無駄なものを同封させ、無知なフリをして、誰かを騙す狡猾さを手にし、憎むことでしか、場面展開もできずに、その場でのうのうと伝統的なものを愛するような保存から、ここで補完され、修理されることだけが、あたかも確かなものを今まで形成し、そこで広がったものだけが、由緒正しく初々しいものだった、としいたげる先に思想は枯渇し、根幹をくさらせるだけにいたるような理想などは、希望にまでいたらず、用いた理想により、何かを徹底的に破壊し、自らの儚さにおぼれるだけのペシミズムによいしれることに痛みなど麻痺し、何かを死へと追いやることに起こる矛盾をかき消すためだけにためらわずに何かを傷つけるような精神性だけが、今と乖離し、回避し続ける己との矛盾との距離を埋めるべく、ベクトルを同じにすべきだ、と協調と同調は語るが、そこで距離をつめるほどに互いを恨み出す始末であるし、そこで闘争を続けるほどに、終わらぬ憎悪は、誰彼かまわず自らにも牙をむき、ただ破壊するためだけに暴力に従順になり、そこで語られる理想とは、欺瞞でしかなく、そこでしゃぶり続ける理想は、自らの幼児性を解き放つべく、そこで無邪気に壊すことだけが、自らを解放することであり、そこで懐疑的にならずに、ただ純粋な破壊だけが、人間を進化させたのであり、そこで生まれた暴力性だけが、人間社会を強固なものに変え、加算される暴力だけが、今を作り上げたのある、というエゴイズムこそを破壊し、そこで姑息に積み上げた理想などはリセットすべきであるし、そこに理性はなく、そこにしいたげられた者の悲しみを知らずに収奪され搾取され続けるようなものを打ち砕くべくコスモポリタニズムへと移行していく。さらなる意志の飛躍は、自らの力を倍に変える。俗悪な者が示す権威や権利や管理から離れ、徹底した意志で自らに移行していくことだけが、自らの意志に従順になり担う意味などは、今に義務をもたらし、意味を背負わせるだけにいたるのであり、そこでジレンマを生み出すだけの理想などは、理性を持たずに人間の権利を謳うほどに、人間から懸け離れていくのであり、そこで求められる権利などは、何かに管理されるための権利であり、何かに対する義務であり、そこで支払われるものを待ちわびる君の理想も、理性を失わせるための定型が生み出す体系により、形骸化する今をあたかも愛するように、と仕向けるための金銭であり、そこで卑賎な者が示す差異や余韻から因果律に反し、宇宙にも反し、ここで干渉するものなどは、世界を認識させるために無理矢理に迫る意味に引き出される卑近なものに悲観していくだけにいたるような闘争から、倒錯し続ける先に近付くほどに魯鈍な者に変わるだけの偽装をほどこし、そこで理性を失うだけに手懐けられ、そこで展開するものが転換期へといたらずに、同調し、譲歩し続けることにより、自らを見失い、自らを探すほどに、自らとの距離は生まれるのであり、そこで生まれる虚偽や、そこに現れるものによる矛盾や、従順なほどに傷つくのが恐いから、と妄想から生み出される不安が補完し続ける恐怖へと誘う強迫観念から、軽減されない痛みに麻痺していく苦痛から、通用のものとして崇められるだけの答えなどは、今に退行させるだけであり、そこでデカダンな者として生きるよりも、ここで十全なものとして確かめる愛だけが、今に間を生み出さずに今を阻めずに、ここで生まれるものだけが、物事の確かさを形成し、ここで軽薄なものを生み出す以前にここで未来永劫続くものが綴る物語だけが、物事に孤立せずに、ここで専横するものを批判し、ここで生まれるものだけが、物事の確かさを謳う以前に用いられるものに支配される前に前に乗り出し、ここで表されるものだけが今に苦痛を運び、そこで通用するものだけが、本質であるなどという勘違いを生み出すことを補完させるような文明などは破棄し、ここで新たな思想を生み出すためだけに私とはあたかも存在する。
2017年5月20日土曜日
叙情的な茎
空間でふるえるものが反響し、エモーショナルなものを伝達し、脳細胞を活発化させるような勇躍から、夜通し抑圧されるだけの不安にさえぎられずに、与えられるものを愛することだけが、この幼稚なたくらみを越える鍵になるわけであるし、あらゆる意味とは、接続される途端に継続されるだけの意味を孕み、世界を自らが産み落とすような過激な理想から、ここで抵抗を加え、構造的なものから排除されるよろこびにひたる現在に信用すらもいらず、ここで負担になるものなどは、今に担う原理や、帰巣する季節に終末論をうながすだけの道楽の鳥たちの仮病やらが散漫に地殻変動をうながし、乖離する現在に低劣なものをうながし、偽装される真実や、ここで空疎なものを用い、理想を供給するかのように窮境へと送り込まれるだけの偽善的な独白から、高尚さを謳い、何かを騙すことだけに専念する。狡猾な者だけが修羅を越えるのだ、と理想郷にたどり着く前に倒れ込み、利己的で不死身な現在に低劣なものを重ね、理性をそこなわせるだけにいたるような倦怠感を網羅するウイルスの中をさまようだけにいたり、代価を求めるほどに、代償を求め、対象とされるものを恨むことだけに専念する。ルサンチマンが破壊する全容から、固執するだけにいたるような現在に偏執する差異から、またぎ続ける先に普遍性を捨て、何かの虜になり、似合うものだけを集めるだけの正義から、演技的な彼彼女対たちを傍観する延焼し続ける精神が包まれる業火の苦しみとは、包まれた自分でしかその苦痛は認識できずに、誰かの苦しみは理解できずに何かが生み出す苦しみがそこで反映され、些細なことで苦しむことを繰り返し、そこで不安に思うことや、抑圧され続ける限りに解放を求めることすらやめてしまい、マゾヒズムを加速させ、そこでリリカルなものを放棄し、そこでさすらう意識は、住まいを失い、内外に果てる不埒な結末や、結合される先に現れる制圧に反することは愚かなものだ、と衆愚は語るであろうし、そこに生まれる欺瞞が今を阻め、最たる意味をそこない、喪失感にただれ、行き場のない苦しみは、そこで渇望を繰り返し、加算される痛みは、今をさいなむだけにいたり、いぶかるほどに露呈される苦しみとは希望を失い、そこで見捨てられた自己を恫喝し続け、つたない意識は、やり場のない苦しみをかかえ、そこで粗暴なものをかかげ、現れる苦しみに肉薄していく精神は苦みをおび、現れる結末に結合され、そこで苦しみを利用し続けるだけの偽善的なものに粛清され、制圧されるだけの精神は、そこで応じる苦しみへと意思を奪われ、自ら考えることをやめ、そこでためらうものが安易なものを崇拝し、そこで高揚感をそこない、応じる苦しみに相似する苦しみを崇め奉る。
まじわる先々で愛は低劣なものへと変化する。愛と名付けられた途端に得るものなどは、得るために求めるものへと変わり、そこで偏執し続ける愛は何かに固執し、そこで苛立つ精神は、今に肉薄していく軽薄なものを信心し、なれあうことだけが、今になあなあになり、担う意味も今に似合うほどにおどけていき、浅薄なものを掲げ、何かを批判することだけに用いられるものが、妄想を繰り返し、そこで不安に思うことなどは、今に影響を与えるはずもないのに、今にあてがわれる苦しみに当て付けるような不満ばかりが今におおいかぶさる。ここで横溢する苦しみとは今に軽蔑を用い、何かを否定し続ける限りに乾いた心情は、何かを求める愛へと帰巣できずに、その場で駆逐されるだけにいたる悲しみへと従属し、そこで隷属し続ける限りに加算される苦しみに斡旋され、聖戦を謳い、目的を伝統の破壊や、他者への邪推が行き過ぎた破壊をもたらすような苦しみへと同化していくほどに破壊の速度は増していき、今に邁進する苦しみは、今に飢餓をもたらし、精神的な枯渇は、何かを破壊することだけに専念し、蔓延する苦しみは、今にこじつけられるものが生み出す不安を再生し続ける海馬で変容する映像を反復させ、ここでの苦しみとは、今に解消されない苦しみを回収し続ける限りに続く苦しみの永遠性を用い、何かをモチーフに不安を強化させ、今に現れる不安が欺瞞をもたらし、自らを騙すことでしか、そこでの快楽に行き着かず、そこで行き着く痛みは、今に帰任できずに、不安をさまようだけにいたり、そこでいぶかるほどに、狡猾なものが示す差異から、散漫な意識が儀式化され、些細な動機に締結し続けるほどに堅持する意味は、今に固執し、現れる苦しみに染みいる意味にいびつなものを形成し、形骸化していく意識は、その場で亡霊に変わり、そこで軽薄なものを形成し、迎合し、契合されるものだけを真実のように崇める先に生まれるものを信心し続けることだけが、自らを聖なるものへと進化させ、そこで変化し、変異し続ける限りに現れる苦しみは祝福を用い、あらゆる正義を越えるような者へと変化し続け、止まらぬ意志は、自らの力だけが、この位置から用いる苦しみを昇華させ、創造的なものだけが、行き場のない苦しみを昇華させ、あらゆる苦しみとは、この場で用いられるものからの逃避であり、逃げることだけが、君を意味から逃避させ、あらゆる苦しみとは、その場から離れ冷静に見つめれば、何のこともない健気なものである。
まじわる先々で愛は低劣なものへと変化する。愛と名付けられた途端に得るものなどは、得るために求めるものへと変わり、そこで偏執し続ける愛は何かに固執し、そこで苛立つ精神は、今に肉薄していく軽薄なものを信心し、なれあうことだけが、今になあなあになり、担う意味も今に似合うほどにおどけていき、浅薄なものを掲げ、何かを批判することだけに用いられるものが、妄想を繰り返し、そこで不安に思うことなどは、今に影響を与えるはずもないのに、今にあてがわれる苦しみに当て付けるような不満ばかりが今におおいかぶさる。ここで横溢する苦しみとは今に軽蔑を用い、何かを否定し続ける限りに乾いた心情は、何かを求める愛へと帰巣できずに、その場で駆逐されるだけにいたる悲しみへと従属し、そこで隷属し続ける限りに加算される苦しみに斡旋され、聖戦を謳い、目的を伝統の破壊や、他者への邪推が行き過ぎた破壊をもたらすような苦しみへと同化していくほどに破壊の速度は増していき、今に邁進する苦しみは、今に飢餓をもたらし、精神的な枯渇は、何かを破壊することだけに専念し、蔓延する苦しみは、今にこじつけられるものが生み出す不安を再生し続ける海馬で変容する映像を反復させ、ここでの苦しみとは、今に解消されない苦しみを回収し続ける限りに続く苦しみの永遠性を用い、何かをモチーフに不安を強化させ、今に現れる不安が欺瞞をもたらし、自らを騙すことでしか、そこでの快楽に行き着かず、そこで行き着く痛みは、今に帰任できずに、不安をさまようだけにいたり、そこでいぶかるほどに、狡猾なものが示す差異から、散漫な意識が儀式化され、些細な動機に締結し続けるほどに堅持する意味は、今に固執し、現れる苦しみに染みいる意味にいびつなものを形成し、形骸化していく意識は、その場で亡霊に変わり、そこで軽薄なものを形成し、迎合し、契合されるものだけを真実のように崇める先に生まれるものを信心し続けることだけが、自らを聖なるものへと進化させ、そこで変化し、変異し続ける限りに現れる苦しみは祝福を用い、あらゆる正義を越えるような者へと変化し続け、止まらぬ意志は、自らの力だけが、この位置から用いる苦しみを昇華させ、創造的なものだけが、行き場のない苦しみを昇華させ、あらゆる苦しみとは、この場で用いられるものからの逃避であり、逃げることだけが、君を意味から逃避させ、あらゆる苦しみとは、その場から離れ冷静に見つめれば、何のこともない健気なものである。
2017年5月19日金曜日
至福
大量生産的に飼育されるという言葉で簡単に処理されるようなキャピタリズムの中で懊悩するものが、苦しみの末にしたがうことでしか自らを正せずに、ただあらゆる主義とは、一律のことを謳うが、一律のものなどないにもかかわらず、求めることだけには長けていくのが、思想というもののあやふやさ加減を信じ込むことが、枢要なものであり、崇高なものである、という勘違いを含んだ経済的な猶予から些事にこだわり、そこで拘泥し続ける限りに何かに置いて行かれることにのろけていく。克服されるべきは苦しみにあらず、克服すべきは、幸福と名付けられ、その幸福を追い求めるほどに現れる苦しみであり、求めるほどに不安とは増して行き、現れる苦しみにあらがうほどに、しあわせとは遠のくという幸福という名ばかりのものこそを乗り越えるべき超越を目指すべく、自分とは見つめることにより、見えにくくなり、憎むべき存在に変わり、そこかしこで偏りを示し、現れる苦しみを呪い続けるだけにいたる。あらゆるしあわせに寄りかかるだけの偶然的で偽善的なものが示す尺度により、自らを粗暴にあつかうことに現れる幸福の理論などは、ことごとくを昇華できずに、その場限りの幸福を追い求め、自ら苦しむことから逃げないなどと疑いもなく、自らを苦しめることに現れるマゾヒズム的な観念から、軽減されない痛みを連動し、ここで肉薄するものが、寄りかかる自らをも寄せ付けずに、そこで突き放す限りに、自らの理想と懸け離れ、用いられる理想とは所詮は、その場で偽装されるだけの企みに変わり、その場で枠組を作り出し、そこで保護されるものや、そこで保険にかけられるものや、そこでかけがえのないものとされるものまで売買される始末を描くような共産主義的な結末から、欠乏していくほどに何かを監視するという社会主義的な考えに還元されるものが平等を謳い、衝突を繰り返し、終わらぬ戦争へといたるだけの主義などは要らぬと叫ぶような実存主義的な通わしから、ならわしなどは、ここで何かを賑わすこともなければ、ここで高揚感も持たずに、雇用される苦しみを叫ぶほどに、自らの住まいを求め、ここで結合され、保護されることだけが、生きてるような実感を与えるようなものへとかすむだけの希望から膨脹し続ける憎悪から、相互理解を謳い、何かを法で加工するだけの品位から、立像とは、ただそこにたたずむだけなのに、苦しみをまとうのはなぜ?と君が思う先々で妄想のようなものが生まれ、その場でもまれ、生まれるものとは、そこで奪われるだけにいたるような空疎な悲劇から、刺激的なパラダイムから、同じような俯瞰に捕まり、そこで束縛されることだけが自らの猶予を終え、叱責にうなだれる俯瞰から、ここで即席の自由をうながすだけの寂寞をただよい、ただそこに現れるものを愛することをやめ、ただ責任から逃れるように放蕩し続ける限りに意志とは老けない。
乖離する由縁が今に敷衍し、普遍的なものに抵抗を加え、自らに現れる栄光から、永劫へとつながる今に倦怠感をかかえては、短絡的な動機が走り去る。足音も聞こえずに、ただ現れるほどに老い続けることが断続する。継続する苦痛は、自覚するほどに痛みを補填し、終わらぬ苦しみや、そこに汚穢を生み出し、高揚感をそこない、即座に転換していく痛みを引きずる限りに苦痛を増し、慢性的な痛みを引きずるような域をさまよい、自らに転化していく痛みに代償などを求めるような国家的な偽装を生み出すだけの井蛙な主観がアナクロニズムを加速させ、分別ある大人として機能するほどに、子供を疎外させるだけにいたらせる先々でふかまる対立は、軋轢を生み出し、そこで狭まる域は、自らを抑圧させるだけに専念し、そこで軽減されない痛みにさいなまれ、そこで苦痛を膨脹させ、痛みを傍受し続けるシステムを強化させ、そこかしこに苦しみを織り込み、体系の中で苦しめることだけに専念するような宵を生み出し、儀式的に虐められる先々で誰かの痛みを解消するための対象として存在することだけが、その者の価値のように崇められる先々で惰性に敢行される暴力は住まいを失い、居心地も居所もなくし、ただ効力として現れる暴力だけが、今の痛みを解消し、あらゆる独善的な行為に葬られるだけの意図から、位置的な苦しみを伴侶にし、ただ憎むことだけに増幅する痛みは、自らを際限なく苦しめる限りにドメスティックなものを一貫性に変え、衆愚として機能し、何かを対照にしては、自らの苦しむと比べるほどに、自らの苦しみを解消するために何かに敵意を向けて、何かを蹴落とすために陥れるためだけにためらわずに攻撃し続ける先に現れる苦痛を解消するための儀式を強化させる。
あらゆる神は幼稚な企みを超え、さらなる高みへと急ぐべきだ、と自らに語る。語る先々に現れる障壁を壊すような言葉こそが、言葉としての役目を果たし、そこで吐き出されたものなどは、瞬時に消え去り、形成される痛みを昇華させ、自らの価値に帰り着き、そこで戒律も持たずに、カタルシスをうながす限りに乖離する思いも、そこで思い出に変わり、課せられる意味も、そこで改正され、晴天を求め、ぬくもりある言葉へと行き着き、生きるとは暇つぶしであろうが、そこで諦観し、膠着しようがお構いなしに時間や空間を思うほどに、重荷は増えていくばかりで、そこで経験したものも、過ぎ去れば、幼稚な企みに支配され、枠組の中でしか働かぬものを正しいことのように信心していただけに満たなかった、と慰める隙間に色彩もあふれ、ただようほどに、ここで酔いしれることもなく、次々につぎはぎにされ、そこでつぐないなどを求める以前に定型のものとして、あらゆる要因によりかかり、果敢に挑むことを忘れ、「そこでおどけて魯鈍なものとして、いろんなものを排除する」よりも、そこで自らが自らの意志で踊るよろこびに耽る。
2017年5月18日木曜日
永続するもの
個人的な憂鬱を生み出し、現在を支配する過程から、経過していくほどに生まれる苦痛や、そこで即座に展開される意味に巻き込まれ、創造性をそこない、即席の自由を求め、革命へと掻き乱された時代を傍観するような時間が連綿と綴る意識下におかれた傍観するだけの過去からの虚飾を生み出すほどに、自己とは自分を踏み台にし、植え付けられるものの空疎を孕み、懶惰なものへと長じる由縁から、叢生するものに隠遁し、ジレンマを抱え、今に引き合いに出される苦しみから、達成感をくすぐるだけの偶像に支配され、位階の中に組み込まれ、そこで秩序を生む愚かさから、偶然を吐瀉し続ける限りに陰る本質が怪訝なものを組み立て、建前が生み出し毎日の虚勢から、延々と続けるほどに、この命とは、同化することだけに長けていき、そこで弔われるものがビジョンを失い、情熱すらも消え去り、些細な動機に入り交じる短命でもどかしい小さな生命にも宿る同一の命とは、ここで成立する余韻に捌けられ、自らの命の短さを自覚する以前に、ここで同様の痛みを抱えさせられ、相似するほどに酷使した身体が分裂し、数多に分散していく今に抵抗を加え、運動的に孕む現在に域から逸脱し、惰性にみちびかれる思いが、おびえをかき消し、その命の短さを飛び越え、永遠性にもとづく制度に引きずられる前に自覚する自らとの距離を埋めるだけの闘争に陥らずに、ここであらがう隅々に栄養を設け、保たれる意味などは、いっさいの均衡を保つ前に、勢いのままに飛び続ける意思は、純粋なものをかかえ、ここでこじられるだけにいたるような意味から飛び立ち、様々な思惑を越えて、能動し続ける限りに退廃的なものにとがめられるよりも、純粋な意志だけが、あらゆる障害を越えて、ここで与えられるだけの意味が横行し、今に意思を奪うだけにいたるような戦争を生み出し、際限ない苦しみを内服しながら、自らの内外に果てるジレンマによどみ、征服欲だけが、自らの住まいを奪いながら、内向的に孕む懶惰なエゴから映じていくものに瞬間的にうばわれ、うながされるまに帰巣していく意味から長けていくべく、理想を捨て、蝉蛻を続ける限りに現代的なものに苦しめられずに、闇夜に消え入る本質から乖離し続ける限りに生み出される苦しみを打算するだけの制裁をここに加え、空疎なものを吐き出しながら、来す意味が、今に膿に変わる。
散漫な怒りをかかえ、自らが選んで孤立する辺りから、あらゆる差異は、正解を持たずに、ただあらがうほどに、自らの世界に枷を嵌め、今に欺瞞を生み出し、不自由にさせるだけにいたるような現在に来すイメージが占領し、意志を奪うことだけに締結していく意味が専横を続け、同化するだけの意思どもが軽快さをそこない、私の苦しみも何かと同化し、あらゆる成因は、私が生み出す罪の代償なのだ、というようなペシミズムが痛みを加速させ、因果応報などを応用し、そこでの罪を解消すべくカルマは自らで回収するのだ、とうながすような路上の神は、感染症にふるえる猫の苦しみもわからずに、ここでカットアップされるものを真実として捉え、その描写に集まるものだけを真実として崇めるのだ、とうそぶきながら、ここで執り行われるものは、ここで統合されることだけを目的に盗用されたものを奉りながら、本質を濁すための戦争を強化させ、ここで強固に祭られるものを信心すべきだ、とうながす限りに、ここでの理想とはまやかしになる。担うべき意志は、誰かに似合うものを同じように着こなすのではないし、ましてや、同じものを着た途端にそれは全部ウソに変わる。あらゆる論理を疎外させるための方法論へと縫合された傷跡を傍観し、ここで不謹慎な想像を終え、想念に帰巣するだけの事実関係が軽薄なものを構築し、ここで構造的な配慮を加え、ここで同調することだけに専念し、そこに現れるものを愛するべきだ、と浪費するだけの観念は、軽減されない苦しみに移動し続けるものが、悶絶しながら、しなびた意味に寄生するだけのいっさいの欺瞞から放たれるものが均整を求め、平衡を謳う辺りからいっさいの均衡は崩れ、力が用いる関係性に連動していくほどにくたびれた理想を掲げるだけの退廃的な需要を求めるほどに、用いられた矜恃は、何かをするには邪魔になり、担うべき意味はいっさいの意味に緩慢なものを生みだし、自らの愚かさに陥っていく。
ここで向き合う愛も、徒に消費され、あらゆる愛とは、愛という言葉を用いら、語られることで役目を終え、そこで保つべき愛も、来す意味に占領され、今に意思を喪失し、相違し続ける限りに相似するというサイクルから抜け出せずに、そこで採決を繰り返し、同じものを、同じように孕み、懶惰なものに変化させ、ここで構築されるものに誓いをし、憎むことでしか解決にいたらぬような保身から、憧憬を繰り返し、ここで滑落していく精神は、そこでの役目を終え、今に生み出される苦しみをにじませ、あらゆる苦しみを膨脹させ、今に疎外されることに生まれる自己の中での繰り返しだけが本質を強調し、自らを止揚し、あらゆる原理から超脱する。
2017年5月17日水曜日
存在から飛び立つもの
宿命論を謳う夜に巻き込まれ、連続する風景とは、断続的な苦痛をまきちらすだけの印象から、淫蕩に耽るだけの互恵を求めるだけの貪婪な連中が支配するだけの靴底に磔にされたガムのような気分で散漫ま明日を呪う君のドレスアップされた荒れた心情にとどこおる文明的な鈍磨なものに嘆き続けるほどに厭世観を溜め込み、互いをとがめるだけの理想が互いを憧憬し合いながら、ののしり合う先にシリアスなものなどもナンバリングされ、価値とは、同じ蛮行の下でしか価値として見出されずに、そこに現れる価値などは、連帯感などを求め、今にひずむだけにいたるような価値に倣うものほど散漫なものに変わり、そこで得る理解などは、試行錯誤する以前に、現れた影響を、そのままに受け取る限りに自らの価値とは、何かにさだめられぬ限りに、そこで蓄積されるノイズで何も聞き取られずに、勘違いを生み出し、そこで低劣なものや、訂正される深夜にもとづくエゴから、行為を巻き取られ、同じ価値のたもとで苦しむことだけを延々と繰り返すことに正道はある、と混在する意識から乖離させる介在するだけの神の名の下に注がれる観念論的な侏儒どもが戦列を離れ、あらゆる虐待を執り行うギミックから、倫理観をさかのぼり、逆上する先々で敵愾心を培養し、そこかしこに憎悪を撒き散らすようなこころみから、ここで効率良く何かを刺激的に有償のものとして扱うことにおける物質的な浪費から、浪々と消え入る本質は、すべてを統制するために働くことこそが、ここで姑息なものが生み出す演技的なものから、快楽的な繁栄から、判然としない意識は、したためられる先でも、与えられるものでしか動けずに、与えられるものだけが今に意味を与え、栄養を授けるのだ、という幻想を動かし続ける資本主義的な情緒などを打ち壊すべく、そこでつちかわれるものなどは、誰かに踏まれ、そこで不満をまき散らし、さすらう意識は、探されることを待ちわびるばかりで、自ら抗い探すことを拒否しているだけにいたり、そこで過ぎ去ることなどに置いていかれる恐怖に震えるばかりで、あるいは、何かを得るために、何かを蹴落とすことだけが、そこでの正解を導き、自らを純粋な世界へと巻き込み、そこでの苦しみから逃げ惑う限りに陰る本質は、そこでそこない続ける行いから、横溢する物事へと派生していく苦しみから逃げることを知らずに、立ち向かうから、その場での苦しみを繰り返すだけにいたるのであり、苦しみも越えればなんてこともないものであるし、何かに合わせあてがわれたものにしたがう必要性もないし、そこに現れる必要性などは、制度の下でのはたらきを加えることだけに与えられたものにすぎないものを必死に追いかけるべきだ、という強迫観念に突き動かされることで生まれる恐怖にすぎず、そこで償いを求めるような罪などは、罪の意味すら知らず、そこに現れる善悪に支配され、何が正しいのかは、神のみぞ知る的な散漫な意識では、何事も越えられずに、与えられたものを、与えられたままに食することだけが、所属することであり、「そこで属することだけが」しあわせへと導くという教育のあわれさに気付くべきであるのに、そこに現れる同調から浴びせかけられる平等といううわべだけの言葉に磔にされた神である君の理想は屈辱の下に処刑されるような結末にいたるのだ、という強迫観念がまたここでもはたらき、磔にされた自己を救うべき考えを持ち合わぬ限りは、そこで縫い付けられるものこそが、そこでの緩慢な痛みを助長するだけにいたるような結末へと引きずられていくほどに痛みとは増すことに気付かずに、気付いたころには、傷口も開ききり、流れる血は、誰かにすすられ、その悲しみの得体の知れなさを傍観者は笑い続けるように思えるような強迫観念が延々と意識下で空疎な支配を求め、依存的に何かに追従することでしか、そこなわれたアイデンティティーを取り戻せずに、そこで取り残されるぐらいなら、何かに隷従し、自らの苦しみを旋回し、簡単に処理される先々で対立を繰り返し、ニヒリズムにいたり破壊的な情緒に来すイメージから送られる結末へと散漫な意識は、儀式的なものに転化していくだけの意識こそが、自らを決定づけ、現れる世界との融合を目指すようなにせものの高揚感を用い、何かを目的にする限りにたぎる永遠性が、互いをとがめ、そこで羽交い締めにされる精神は、そこでの抑圧こそが、自らのいたらぬものを癒やすものであり、そこでいぶかることは悪い事である、という認識を生み出すことの意味を知らぬから、そこで同調することでしか判断できずに、誤ったものを信じ、そこで信用を求めるだけにいたるような制度へと偏り続けるだけにいたり、そこで交通していく意味は、今に儀式的に昇華されることだけを目的に、そこでとがめら続け、つたないものを信仰し、そこでの悲しみをぼやかすことでしか、自らを許せぬから、些細な苦しみは、今を巻き込み、何かを乗り越えられることを知らずに、そこで固執し続ける先に現れる諦観に飲み込まれる。
2017年5月16日火曜日
通い合うもの
言葉には具体性はなく、そこで制圧されるだけの理由に頓挫し、あきらめにいたるような苦しみを同じように味合わせようともくろむような連中が支配する空間に雲隠れする天体から、連帯感を求め、もとづく永劫に栄光をかけあわせ、ここで行いの点と線がむすばれ、ここで離れる理由すらないのだ、と君に私論を授け、与える栄光は、その者との距離を与えるよりも、その者との間に生まれる虚偽に埋もれようとも、ここで弔われる一生は、瞬間を堪能し、ここで納期されるだけの意味などは、緻密なもなければ、そこに大義すらなく、そこですらすら述べられるほど簡単に処理されるわけにはいかないからこそ、創造的に進化し続ける先に深まる意味につかまり、そこでつまらぬものを溜め込んでは、せきとめられるだけにいたるような痛みを抱えた心に迫る不潔なデータや情報などに左右されずに、ここで求められるものとは、そこで加速する欲の化け物として、場面で転換される理由や、そこで接続される限りに陰る可能性や、ナノレベルにまで浸透するリベラルな理想が真相を解体し、やがて滑落するだけの不自由な身体を切り離し、帰路につき、ここで仮想されるものや、そこで加速するものが生み出す距離を埋めるためのリビドーに枯渇しては、同じような快楽へと入り浸るだけの脳内での欠如に収めるべき税金すらも不必要であるし、ここであらがうほどに、ポリティカルなものがリリカルなものを捨て去り、カードひとつで何でも解決できてしまうような人間の汚穢から引き離され、あらゆる連帯感とは、連動する革命の波にのまれては、自らの意志を失い、思考停止に追いやられ、追いつこうと必死にもがくほどに、ここでの距離は生まれ、空白を埋めるための時間からの逃避から、ここで誓いを謳うだけの進路へと逆走し、逆臣へといたるための闘争から、対比されるだけの優劣へとゆらぐだけのルーツが人種間に慢心などを生み出し、何かをわけへだてるという矛盾が、人間本来の煩悩を加速させ、懊悩していくほどに、苦しみのサイクルから抜け出せずに、ここで用いられるモラルとは、何かを保つための平等を謳うだけの権利へといたらせるような結末に急がせ、そこで加算されるものが、今に課せる義務などで追い込み、ことごとくに孤独を与えるような当て付けから、ここで課せられる罪の矛盾と自分との距離を埋められることによる苦しみから抜け出せずにもがくほどに、ここでの終焉にからまる犠牲的な観念から、軽減されぬ痛みを押さえるための薬として与えられた神を偽装し、あらゆる権限を自らに与えるような企みから、構築される意味とは、途端に欠乏を生み出し、秩序を保とうとするほどに、その場でうとましいものに変わり、関わるほどに、物事との距離は生まれ続け、そこで阻まれるジレンマから、ここで役目を終え、終末論的なものを措置し、自らにパスワードを授け、あらゆる権限を放棄し、あらゆる意味からの統合をもくろむ権利を放棄し、あらゆる意味からの脱兎をもくろむような勇気だけが、意味からの飛躍を遂げ、与えられたものによる支配よりも、ここに寄りかかるだけの偽善的な特約のために裏切るような結末に配される愛からの脱獄や、苦楽をともにする以前に、苦楽とは、定められたものが与える義務により、自らに課せる罪との移行から、移動し続けることに生まれ続けるちぐはぐな論理に羽交い締めにされ、破壊的な論理をたずさえ、義務を破壊するための闘争を繰り返し、破壊することだけに呈するような暴力装置をも放棄した後に現れるのが、幸福であり、そこに構築されるものなどは、何かを征服するために漁るような官僚たる宦官どもがうながす台詞を信心するようなものが逡巡し、偶然をよそおい事故に見せかけ処理するようなあくどい商売から、死の断続に生の軋轢を生じさせるだけの愚行が容易に物事を信じるべきであり、そこで見せかけと思うものこそ信じることで救われるのだ、という幻想や保身のための建前こそを破壊し、新たなものでたたきつけるような連中からの指示すら無視し、ここで現れるものを愛することからはじめるのではなく、そこに現れるもの、現れたままに知ることから、自らの考えは生まれ、何からも影響を受けずに自らから発信するものだけが真実を語るのであり、そこで正解と処理されるだけのものなどは、情報に譲与するためのプレゼントを用意し、何かのための理想であるとうそぶき、何かを武器にしては、今に亀裂を与え、嘘の水を流し込み、ことごとくを飲み込み、何事も無かったかのようにするような仕向けから、出し抜くために裏切るほどに加速するおどけるだけの道化師どもの快楽のための道具として、客寄せパンダとして、あらゆるプロパガンダを飲み込むだけの肥大化した身体に課せる無知さがうながす差異から垂れ籠めるものが、今をたじろがせ、同じ者でなければ、そこで同意を持たなければ、今に苦しむだけにいたるのだ、という戯れ言を克服し、幸福を用い、何かを支配することを終える。
2017年5月15日月曜日
夜の正体
夜を背負い、帝国主義的なまがい物たちが森羅万象を偽装し、あらゆる神話を利用し、死と神を捏造するような原理から離れ、帰属するだけの運命とは、何かを有し、種族を保つことだけに専念するような生死の狭間で利用されるだけの原理へと帰還し、快活な動機を失い、意思すら何かに操作され、そこでまじわるものとは、いじけるだけに至り、体系的なものを携帯し、そこで接続される情報だけを模倣し、法理の彼方で原則を決め込むだけの生命の浪費から、あいまいな差異にもとづくエゴにつまずき、飢渇するだけに得るものとは、与えられるものにより増していく快楽を次々に欲しがるだけのリビドーから、快楽原則をまたげずに、ここにおちいるだけにいたり、ひたる意味から、ここに可決していく苦悩だけが、主義をまとい、ただ、老い続けることを養うことのように騙るような福祉的なにせものをばらまき、延々と又借りしていくだけにいたるような生き方に観点はそこなわれ、何かを恨むことでしか、ここでは良いはたらきも行えずに、ここで繰り返し残像のように、または、権限を用い、何かを訂正するほどに、ここで貞操観念を用い、何かにしたがうことだけが、幸福へといたるのであり、そこで接続されるものが、今にあてがわれるものを崇拝し、何かに利用するために持ち上げられた神は、やがて自らの存在すらそこない、何かを買い取るだけの偽装を繰り返し、自らを尊いもののように扱うことにより、リアリズムもそこない、幼稚な汲み取りから、今に狂い、いびつな精神を形成するだけのジレンマを抱え、苦しみにいざなわれ、自らをあきらめるだけにいたり、接続され続ける苦悩に左右され、些細な痛みに繁栄していくものに覆われ、現代的な病をうやまうだけにいたり、欠けるものや、かけちがえるものや、かけがえのないものにけがされ、健全なものなどそこなわれ、即座にむらがるものや、ここで判然としないものがねじまがり、加算される痛みに些細な道理をうながし、理屈だけが、今を捏ね上げ、個性をけずり、形成される意味も君の計算ずくであろうし、ここであらがうものとは、ここで永久に入り交じるものであるのに、そこで反するほどに、高揚感はそこなわれ、そこで即座に転換されないから、そこに居続けるのであり、居心地の善し悪しで判断するだけの前例から抜け出せずに、惰性な答えに、巻き込まれ、固執するだけにいたる精神は、今に高尚さをそこない、即席の自由を抱え、安易な判断で善意をうながす限りに悪とは繁栄していき、そこに生まれる区域や地域に根ざしたものが判断を誤り、ここで駆逐されるだけにいたる精神は、誠意を求めるほどに、きたないものや、機械的なものを培養し、漫然としては、自らの浮遊感にさいなまれ、生きている感覚を求めるばかりで、そこで方向付けられるものに左右される安易さに苦しみながら、長らくに迫る鈍間な感情や、確執を生み出し、やがて終わらぬ闘争へといたるような内戦から、何万光年をもへだてる憂鬱から、惰性な性差から生死を謳い、何かを根絶やしにするための業火を生み出すような恨み辛みが意味をスパイし、姿勢を狂わし、習わしによる判断でしか、保てぬようなものなどは習俗による支配され、新しいものを取り入れるような寛大さを持たぬから、自由主義へといたらずに、エゴイズムにおちいり、短絡的な攻撃性だけが、性質をねじ曲げる。そこで欠如していくほどに今を謳歌し、そこで対立するほどに自らとは失われ、探せば探すほどに、自らとの距離は生まれ、そこで奪い合うだけにいたるような姑息さから、差額を求め、統合されることだけを目的にする正常さを保つための戦争から、論証されるものの外に屠られ葬られるだけにいたるような身体を探し続ける亡霊どもがうごめく街並みの道理などは、理屈でしかなく、ただ、還元されるものに考えさせられることだけが価値であることを崇めるような者どもの至福や、そこで祝福されるものなどは、何かを恨むための道理を生み出し、そこで加速され、そこで足かせを嵌められ、世界を奪われるかのように仕向けるようなダンスを続けるほどに、踊らされることにより、満たされる快楽をうながす儀式的なガス抜きから、蓋然性を打ち砕くようなリズムから、理想を供給するだけの罪を歌い続ける天使どものメロディーから浪費し続ける限りに求められる欲望との軋轢を深め、自己から乖離していく様子を観察し続ける私は、再現されるだけの日々とは、何かに捏造され、そこで苦しみを生み出す境目から、赤い目をして泣き続ける君が帰巣すべき場所も、そこで操作されるだけにいたるような情報の虜として、理解を得られずに慢性的な痛みを抱え、ここで欠けていく理想から、競争的なものに放られ、硬質な思いを持たずに、何かを失うことでしか、自らを強調できぬような思い出などの一切は捨て去るべきであるし、ここで諦念し、諦観する暇もないから、ここで改善されるものをも越えるべく、私とは私すらもぬぎすて、ここで高揚するためだけに弔われずにピークをむかえ、昇華させる。
2017年5月14日日曜日
逃避行
瞬間的に達成されるものが今に言いなりになる。担う意味もセンチメンタルな様相で、強迫的に迫る君と意味との間で結末を求めるばかりで、加算されるものに押収されるだけの今に欠乏を抱え、換算されるだけの関連性から、今に連動していく苦しみに蓄積されるものに迫害され、些細な理由に押し込まれる今に隔離される。有する価値との間に迫る結末は、君を苦しめるための言葉を吐き出すよりも、希望をも超越するようなこころみにいたるべく、君に便りを送り続ける。ここで加算されるものなどは、最たる理由も残さずに、ここで確実性を謳うよりも、ここに要理を用い、十全としたものに変わるべく、理想をも越えるような今だけが、意思を伝え、退廃的な動機や、そこに朽ち果てるだけの意味が用いるモラルに慟哭したり、苛む今に交接していくものが、新たな物を吐瀉し続け、永遠性をそこかしこに孕んで懶惰なものを飛び越え、創造的な飛躍へといたり続ける途端に現れるものがあらがい、ここでの結末に怯えるよりも、ここでおぼえもなく関わるほどに、からまる意味から、今に追い込まれ、押し出されていく瞬間を敷衍させていくような主観からの逸脱を目指し、終焉に巻き込まれるフラクタルな身体から、果敢に挑むほどに、ここで憧憬を続けるだけの厭うだけの指針にはびこる絶望的なものへと逃避していくほどに補填される憎悪が今をむしばみ、偽善的なものや、徳を謳うだけの信仰に行為とはさまたげを生み出す欠如に変わり、ここで補完されるものが動機を封じ、今に嘔気を与えるだけにいたる。開いた傷の縫合を終えた君は、いつかの悲しみも、そこでしばられていただけに満たないものであった、と気付く前にくじける。来すイメージに追い込まれていては、何も見えずに、そこで価値観を用い、何かをしいたげるだけにいたり、したがえるものに降伏し、そこに求められるだけの幸福に引きずられ、悲観するだけにいたるような執心から、貧寒なものを抱え込み、ここで連想していくものに追従することだけに専念するのが、資本主義的な生き方であるのだ、と宣言するような邪推から、済世を謳うだけの連中の支配から、官僚などは、世界を認識できてないのに、ただ与えられたものを全うすることだけが善意なのだ、と思い込む辺りから、ちぐはぐな論理は遡行していき、退廃的なモジュールを生み出し、リリカルさをそこない、リアリティーを喪失し続け、本質はそこなわれ、相似していくほどに、恒常的な苦しみを生み出す住まいの中で誰かを恨み続けることだけに見つける意思のようなものが今に滞留し、今とは、今に追われることだけに従事し、今に迫る苦しみが、今を追い越す辺りから、固執するだけにいたるような現在に怠惰なものを抱え、価値観を屠るだけにいたり、今に盗用されるだけの意味から、日々は露骨なものにおびえ、応じるだけの答えに大義はなく、ただ肉薄していく限りに悪は偽善的なものをまとい、体制にこびうり、運動的な排除から、うごめく革命の酒気や臭気にまじわる解除を願う社会主義的な機械的人間として製造されるだけの動機だけが、意思を決定づけるのだ、という洗脳的な配備から、そこであらがうこととは、死を意味するのだ、という循環からの脱兎を目指すべく、今を純化させるための理想をこなごなにしては、さまたげを生み出すだけの理想とは、今に帰巣することだけを目的に永遠性に反し、そこでの終わりを求めるだけのペシミズムにいたり、いぶかる先に提示されるものを信心し続けることだけが救われ、今に報われるなどという勘違いを屠るべく、そこで放送されるものなどは、支配するための専横的なプロセスを今に巻き込み、自らの考えで何かを執り行えず、そこで執心するものとは、誰かに与えられたものであり、そこで仕向けられるものから逃げ出すことに罪などなく、はじめから罪などはなく、罪とは与えられ生まれるものであり、それこそが正しいとされるものなどは、善悪を問わず、ただ正しいとされる限りに正しいものとして今をしいたげ、したがえることだけが正しいのだ、という過ちこそを正すべきであり、そこで正しいとされるものに正されるようでは、何の正しさにもいたらずに、自らを追いやり、苦しめるだけにいたるのであり、そこで与えられている価値に苦しめられるよりも、何かに決め込まれ、そこで強迫観念に苛まれるよりも、そこでうとましくからまる意味に生み出される境目がくみ取る意味などは、ただ今を位置づけ、そこで等差を生み出すだけの仕組みに与えられる金銭的な補完だけが、「ここで交換されるものとの軋轢を終え」修正されるように仕向けるような過ちから、ここに生み出される誤りへと多目的に接続される文明的にいたらぬものを過去からひきずり、その卑近なものを形成しただけに満たないものを社会と名付け訂正し、抵抗するものを排除するための法から、罪は帰巣する場所を求め、誰かのこころを住まいにしては、指定されるものに逆らうものに与える結末とは、みじめなものであり、みっともないものだ、という意思を植え付け、そこで屈従することのが簡単であり、そこで処理され続けるだけの短絡的な思考へと後続することのがしあわせであるなどという過ちからの逃避行を続けては、対比されるだけに自らとはそこなわれ、「そこで測られる物として扱われ」そこで解決したように思えるものも、今にしたがうほどに論点は擦れ、そこなうだけにいたるような精神を正否が追い求める。
2017年5月13日土曜日
風を待つ者
どこにもルーツを持たぬ君は、不自由やふぞろいなものを掲げ、散漫な意識の奴隷として、考えるほどに不安に苛まれ、今に痛ましく攪拌され、最低限の至福を追い求めるばかりで、何がしあわせかすら理解もできずに、ただあてがわれるものを、あてがわれるままに愛することに磔にされ、軽減されない痛みを抱えた儀式的な夜に葬られる自己や、ジオラマみたいな夜の街にこぼれるあいまいな汗のしずくが快楽を表現し、眠らぬ街に闘争を企て、惰性な意識で拘泥する者を虜にするようなデカダンスの夜から引き出す意味から、位置的な苦しみを引き取る卑近な悲しみから、心証にたぎる恨み辛みを構造的な排除へといたらせるような余韻から、因果律に反し、宇宙的な痛みを引きずるだけの君の意図から、そなわる季節に抱合される悲しみのあらわれを模写するような藝術的な伴侶を引き連れ、悲観するだけの思想とは、その場で気付くことにいたらぬような罠を踏み、複製されるだけの真実に加工され、一切は、実存主義的に昇華され、ここで存在を誇張し続ける自己との対立を続けることによぎる絶望を越えるのだ、とうながすキルケゴールが放つセンテンスのドル箱を持って、加算される原理に注がれる可能性などは、可能世界の中でのパラサイトとしてしか生きることもできずに、今に不和を生み出し、強調されるものへと奔走していくことだけに専念することだけが、ここに一縷の望みを託し、あらゆる論理を崩壊させるような破壊的な進路を生み出すベクトルから、ここで幼稚な企みを施すような破壊的な意志とは、自らの力で動くことができずに、何かに与えられる影響だけが、自らを動かすのだ、というような勘違いからファシズムへと移行し、自らこそが高尚なものであるという選民思想から、選択権とは、何かを排除し、監査され続けるだけの惰性なものを動かすためだけにためらわずに何かを蹴落とすことこそが勝利へといたるのだ、という考えが及ぼす悲劇から、卑賤なものへと陥るだけのカタルシスから、カタストロフを生み出すだけの闘争から、大差もなく、ここに掲げられるだけの勝敗や等差から、換算されるだけの意識の経路を進む処刑されるだけの感情から、あいまいなマインドに幼稚なプロセスを生み、何かを踏み台にすることでしか正解も導き出せぬような連中が示すような制度などに英知はなく、そこに刻まれる意味だけを緻密なものに変え、機密事項である、とジレンマを抱えるいじらしい制度から、西欧主義的なものから抜け出せずに、永遠性を放てずに、話すことがアメリカニズムに支配され、言葉はジレンマを抱え、自らをアレルギー症状に導くだけにいたるような堕落を横溢させるだけの宣言から、散々な歴史の告発人として、競合するだけの意識は、キャピタリズムの中でリリカルなものを見出せずにシニカルなままで死に関与する商人として、あらゆる意味の商品価値を探るだけの消費的に荒むだけの感情がデリカシーもなく情報に扇動され、専横されるだけの意志とは、今に意思を損ない、そこに現れる力に屈従するだけにいたり、いぶかることを知らずに構築されるものが誓うものへと占領され、そこに区域を持たせ、何かを分け距てることの性差から、制圧されるだけの今にいたるような儀式的な苦しみの住まいへと押し込められ、ここで拘泥し続ける位置的な苦しみに専横されることにおける苦しみを再活用し、そこに生まれるジレンマを解き放つような欺瞞を商売に変え、加算される意味だけが、今を価値付けるものであるとうながすような独裁的な者が描く真実などを信心することで、ここに現れる苦しみを誇張し、自らに溜め込む苦しみから依存的な情交へとドライブし続け、加速する意識は、加算される原理を超越し、倫理にまじわる始まりを壊しながら、原子と共に高揚し、宇宙にそなわる物質が祖先であり、ここで分け距てるものが生み出すような主義などは、短絡的なものしか生まず、ここで闘争を生み出し、終わらぬ意味を追いかけるようなジレンマが他者を制圧しようと、また隣人を恐怖に陥れようとするような企みから、枠外へと放たれる意識的な疎ましさから、謳われるものだけが、真実を誇張し、ここで真実とされるものだけが、死の恐怖を外に追いやり、生きている感覚すら失わせるような正義や制度から離れ、ここに現れる世界などは、認識しなければ、世界でもなく、そこに境目もなく、現れるままにそなわるものだけが善悪すらも越えて、ここに現れる意味に位置すらもなければ、何かが欠けることもなく、ここに現れるものが愛すらも持たずに、ただ現れ混ざり合うことに理屈すらもなく、そこに陸地すらもないのであり、ここに現れるものとは空間や時間を補完するための器官や機関のように扱われる以前に、ここに力を加えれば、何かはうながされ、何かは屈従し、流されるままや、流されるままに反応するものを正解などとも認識せずに、ただ与えられる影響とは、物事の代償を謳わずに、ここに含まれる物質的な猶予だけが、こしらえられる意味から超過していき、権限すらも持たずに、権利すらも謳わずに、何事にも屈さずに、ただ現れるままを体現するような生き方だけが、世界に正解なども求めずに、求めることに始まる倒錯こそが、何かに偏り、屈従することを知る。
2017年5月12日金曜日
平静
規定されるままに過ごす一生とは檻の中のようだ、とオーガズムにひたるだけの権利が毒々しいものを虐げ、したがえるものに悲観をうながすだけの感覚とは、憧憬を続けるだけで、一律の意味に神を求めるだけで出来合のものを信心し、みすぼらしい現在から逃げ出すための道楽が荒んだ感情を癒やすのだ、と言い分けがましく補完されるほどに倦怠感は増していき、今に諦観をうながすだけに至るし、ここで効率良く何かを補完し続けてもなお、分裂していく意識は、対立を深め、終わらぬ軋轢から、戦争は荒んだものをどんどん生産的にうながし続けるし、ここで受け入れるものとは、偏るだけの思想に至らせ、思考停止に陥る全体主義的な余韻から、因果律に引き離される君との愛や、君との意味すら厭わしいものに変えるようなウイルスをまき散らし、観点から疎外させるためにプリミティブなものを用い、何かを信用することで、何かから救われるものだ、という肯定的なペシミズムに陥るだけの同情から、浪費していく精神とは、観念論から逃げ出せずに、実存主義的な優美さに遊離し続け、用いられる差異から、ここで再開発されるだけの現在とは歴史の中で鎮座する正解の中でしか答えを求められぬような正否の中でしか、自らを正解へと誘えぬように現在に転換される悪とは作られたものであるし、創造主を捏造し、何かを憎悪するための理屈を並べ、神々との闘争から、ここで倒錯するものを踏破できぬから、ここでつまずくだけに至り、何かにひたることで場になじむという幻想から、経験論をうながし、漠然とした悪意をむさぼるだけの幽鬼として存在する存在をそこなわせるだけの有徳さを補正し続ける真理などは、今にみちびきを生み出さずに一瞬の痛みで逸脱し、自らから離脱し、加算される痛みから生み出される戸惑いがやがて諦観へと移行し、その場で膠着させ、現実味をそこなわせるだけにいたるような即席の贖罪から、体系的なものがひろがり、何からの自由を奪う不自由を作り出すだけの製造から、相違し続ける限りに果てしない倒錯にいたるような無知さを攪拌し、あらゆる差異との衝突を繰り返し、その安全性をうたがわぬような全体主義的な容易さから、要因とは、何かを成し遂げる前に、ここであつらえられるものに依存することでしか、生きていることも認識できぬような生き方が正義というのなら、ここにある正義とは、清貧さを求めずに、何かを奪うための強盗であり、そこで統合されるものが用いる正常などは、そこに用いられる意味からはみ出さぬように、と用いられた答えに隷属する奴隷の真理であるし、そこで強制的に用いられる意味とはむらがる意味の中で繰り返しうながされる位置の魑魅魍魎であるし、みちびかれる意味とは、今に卑近なものに変わるし、ここであつらえるものこそが、今を悲観するためのシステムの中で垂涎する者の餌として補完され続ける心身とは、新体のための生贄であるし、あらゆる論理の中で売買されるような生贄として、その人生を真っ当なものだ、と認識するほどに悪に荷担し、何かを食するよろこびに遊びを用いるような残酷さを孕んだ懶惰な生を真っ当する。そこで保持する苦しみとは、理解を得ようと、何かを求めようとするほどに、苦しみとは増していき、いくつもの可能性を否定し、今にとどまるほどに、ここでの苦しみを補填し続ける。ここでさいなまれる意味との統合を目指すだけの正常が、ここでの差額を埋めるために文明の餌として、自らを儀式に投じるのだ、というようなアニミズムに倒錯していく原理的な我が子を葬るように、何かでがんじがらめになるほどに、そこでおどけ、おどらされるほどに愚かさを強調するような原罪こそが、いちばんの愚かさを含んで、何かを否定することだけが、ここでの進化を育むのである、と宣言するようなセンテンスに騙される以前に、内面性がなぶられ、今に観点に疎外されるだけの君の無知に迫る歯がゆさに破壊的な政治性から、清逸な主観を用い、短絡的な動向にひきずられるよりも、ここで要理を用い、林立するものなどは、邪魔なものに変わるだけだし、ここでバラバラになる主体は、探されることを待つばかりで、今にまじわることを知らずに、今に邪推し、何かを恨むような性悪説から逃れるべく、この意味とは位置を持たずに、ここでバイタルを増幅させるための創造性だけを蓄え、ここに孕むものが権威的なものに囲われ、加工された品位を用い、倫理を盾に、何かに取り込まれることを傍観するような諦めに屈従するよりも、どこに居ようが不安とは増すし、何を持っても、何も持っていなくても不安とは消えないものであるし、何かに追われるほどに、強迫観念は増していき、邁進していく今も、今に意味を見失い、自らを恨み出す始末から、姿勢は狂い、ここで何かに偏ることだけが、正しいことのようにあつかわれ、あいまいな今に始動していくものも、意識をしどろもどろに変えるだけにいたるし、ここで保たれる愛とは、継続されるものではなく、そこに契約すらもなく、ただ愛することすら思わずに、自然に放つような愛だけが、愛と呼ばれる前の、形すら持たずに、今に体系化する以前の愛が何かを強要せずに、理想論にいたる前の愛が病になる以前の時折にひずむ優劣が運ぶ優越感にひたる前の愛に帰り着くような感覚だけが善悪を越える。
強固
遠くふるさとを失った君の無感情なまなこからあふれ出る慟哭は、道徳すら持たずに尊く、そこに儚さを充填し、あらゆる神秘は、進歩を否定することにより、身近に感じられるのだ、というアニミズムを超えて、何が神を用い、何が今を支配するのか、と論点をそらし、観点を強奪するような強欲なこころみが、またたくまに感情を奪い、あらゆる死に寄りかかる真理とは、今に隠逸し、倫理観を謳いながら、もちいられる孤独をむすび、まさぐられる感情がユニゾンし、優越感にひたるだけの陰りを生み出す勝利などはいらず、ここに敗者すらなく、形あるものが強請るだけの価値の強欲さに刺激を受けるのだ、とうながすような者の姑息さや、卑賤さにセンサーも狂うのであり、ここで理屈をこねるだけに寝返る意味が今を鞍替えし、簡単に処理されるだけの感情のたもとであらがうものを保存することだけに専念するような精神的な捻転から、今に弱者を迎え入れ、形作られた意味の中で真理を用い、何かを騙すように仕向けるようなファシズムの嵐が吹き荒れ、戦争的な彼や彼女たちの頭蓋骨に響くような戦闘機の重低音が、重点をそこなわせ、ただ闘うことだけが革命であるのだ、と宣言するような幼稚な企みから、ここに枠組みを用い、何かを締め付けるだけのいたるような使命感などがいたらぬ思いを強調し、ここで宣言を繰り返すことにより、言葉に重みを与えるかのように仕向けるようなプロパガンダが横行し、横溢していくだけの感情は、そこで指定されるだけの意味を精神としてとらえ、今にあつらえられる苦しみに容姿を求め、今に戒めをくわえ、恒常的な苦しみへと移行していくだけの今に意志はなく、ただしいたげられるだけの感情が環境などに責任転嫁し、供給される意味は、意思をそこなわせるためだけに相互理解などを謳い、同調することにより、強調されるものとは、強制力を用い、何かを権力的な圧力により支配することだけに専念し、蔑む感情から、捜し物もなく、たださまようような生き方は悪であるなどと謳うような体たらくなファシストどもが批判的にいたり、差別的にいたるまでの虚偽を用い、距離を生み出す限りに意味とは際限ない苦しみに住まいを見出し、生きることとは、その域で苦しむことに拘泥し、そこかしこ軋轢を生み出し、終わらぬ戦争へといたり、最終戦争などを謳い出すようなペシミズムの預言者は静謐さを知らずに、死のさわがしさから逃げるためだけに、何かをためらわずに騙し扇動することだけに長けていくのであり、そこで軽減されない痛みが用いる恐怖を利用し、何かを不安に追いやり、死へと誘うような快楽的な死へと共謀するだけの理屈は、理想を促すほどに希望を見失い、何かを追い求めるほどに、自らはおいてけぼりをくらうのであり、そこに生まれる軋轢により、苛まれる精神は、うとましく悶える現在に点在していく意識的なプロセスに反せず、ただうながされるままを流れると思わせられているような教育的なものから逸脱を行えずに、強制的に支援されるプログラムの中でのプロレタリアート独裁を叫ぶようなジレンマを自らに生み出し、刷新され、砕身し続ける辺りから、あらがう幼稚な企みが枠組みを生み出し、そこに正義をあつらえ、悪を見つけるほどに、正義とは産み付けられたものに疎外され、自らをゆがまされるだけにいたり、いぶかる先に長じる安易な正解は、軽快さをそこない、そこかしこに苦しみをリロードし、自らのこめかみを撃ち抜くための理由という弾丸を何度も補填し、何度も撃ち抜く快楽に支配され、些細な出来事は死を超過し、今に至る痛みにさらばえ、些細な出来事がリバイバルされる限りに陰る本質は、憎悪を蓄え、自らの中で惑溺するものに依存し続け、自らを愛することだけが誰かを愛するのだ、という勘違いを生み出し、自己愛から抜け出せずに、自らのナルシシズムが誇張される限りに愛とは愛することに依存し、自らの損得だけで愛とは偏り、そこに平等性を求めることにより、さらなる偏りを生み出すことに気付かずに邪推し続ける先に現れる普遍性などは、制度の中でしか強調できないような愛を愛として認識させるための強制力を孕み、今に興じる由縁から、こじれる先に生まれるいじらしいものをしたがえ、あたかも自らを有利なように仕向けるような欺瞞を続けるような虚勢や虚栄から映じる由縁などは、一切の意味を一貫させずに、ただ関する間に背反することもできずに今に続くことを続けるほどに、ほつれていく現在に補完されるだけの自己が自分を認識できずに、今に設置される意味へと継続していくものに保護されるほどに、自分とは失われていくのであり、ここで創造的なものを孕まずに、ただ同じことの中にも続けることにより、ますます創造性も増すものもあるが、その創造性とは認識することにより、創造性は膨らむものでなければ、そこに創造性はなく、作ることだけに重点を置き、何かを正しいものとして、今に腐敗していくようなものへと移行していかずに、そこで進化を遂げる限りに対価は生まれずとも、そこに現れるものは本物であり、何にも左右されず、任意などを求めずに、自由に拘泥せずに、そこで束縛されても、その中での自由になあなあにならずに、何かに方向付けられる以前に、ここで交互するものが正しくあろうが、正しくなかろうが、そこで老化することを恐れるだけの衆愚に巻き込まれずに、ここで構築されるものを作り上げ、何度も壊し再利用し、新たな創造へと変化していく辺りから変換されるものなどは、今を決めつけることだけに忙しい輩が示す尺度に振り回され、そこに現れる価値に利用されるだけに終えるようなものから今すぐ逃げ出すの、だ。
2017年5月10日水曜日
快活
いびつに形成された君の記憶が浄化されることをめざし、昇華を続け、ひたすら純粋で無知なままに今を仰ぎ、刹那にとどろく意味を弊害に変えるだけの位置を放棄し、無償に築く今が疲憊せずに、長じる瞬間に厭うことなく、言葉の影を背負い、プラトニックな変換から、転化していく意識がつぎつぎに一生を着替え、そこかしこに現れる原罪とは、点と線を結ぶ現実との罠に変わるだけの歴史に意識を沈下させ、そこに生まれる誓いが苦しみを与えるだけに至り、あてがわれる苦しみに補填されるだけの意志とは、短絡的なものを信心し、そこに生まれる力に腐敗していくだけに至らせ、いぶかる先に責任を背負わせ、世界性を崩壊させるだけにいたるような倒錯から、そこに生まれる等差は、尊さを踏みにじり、生きていることだけに生まれる倒錯から、錯雑とした観念に措置されるだけの憂鬱に偏向していくだけの意識的な汚穢に斡旋されるだけの瞬間から生まれた結末から、迎合されることだけを信心し、今に帰巣していく一瞬の出来事にまじわる神秘も真理を謳い、何かを奪うことでしか、自らを認識させることもできずに、出来合のものを侵攻させるだけに至るような人間的な対立から、悲観していくだけの退廃的な妄想へと至らせるような繰り返しの中で裁かれるだけの値から、あいまいな現在に点在している意識的な横溢から、今に逸脱し、惰性にうごめくだけの理想とは、思想を用いずに、ただ与えられるものに旋回し、一過性の事実に一貫したものを損ない、そこかしこに優劣を決め込み、起動する理由や、季節感に封じられるだけの意図や、互いを寂寞に押し込めるような理想から、理性を損ない、そこで完治しない苦悩が今にもうろうとしていき指定される意味や、そこに生まれる義務だけに動かされることを、生きているなどという言葉で操作し、今に用いられる自由などは、論証もできずに、その場で突きぬけることもできずに、用いられるモラルに理想を供給し、そこで即座に束縛されることだけが、あたかも生きて捉えるもののように扱われるような歴史へと引きずられ、今に卑近なものにまじわり、言葉の広大さに処刑されるだけにもたらされる苦しみから、空虚感に磔にされ、はりつめる位置から、移行し続ける言葉を背負い続けるだけの原罪をかかえた始まりの神は、いくつもの歴史に抑圧され、自らの徳により苦しむような反復の中で軽薄なものを抱え、加算される意味に原理を押しつけ、自ら苦しむことを傍観するような乖離したマゾヒズムから、立証される真実に用いられる仁徳により、圧迫される精神は、自らを縁取ることでしか、自らを正しいものに制定できずに、確立されるものなどは、その場にとどまり、魯鈍なもので今を征服し、複製されるだけの真実に兌換されるような惰性さに性差を用い、最たる意味を持たずに、今に軋轢を与え、迎合されるものを謳い上げるような退廃的なモジュールとして生活することだけが、、自らを正しいものとして認識するような哀れみにもたげ、怠惰な歴史に鎮座するだけの枢要を持ち上げ、強制的な支配から、気配に択一していくものなどの不毛を用い、同情へと誘うような歴史的な溺死から、アニミズムを誇張し、自らを無自覚なままに無為なものとして、自由をカタルシスへと誘うための十全とした正義として従わぬものを処刑するための呪術を用い、選択権も与えずに、あらがうほどにからみつく意味との密度や、密接にむすばれる意味との位置的な地位をもたらせるための権力の外堀を破壊するためのデータをけたたましく吠えるような獰猛な獣として、一切の義務を孕み以前に懶惰なものとしていぶかる先に堅持する理想論的な剥奪から、隔離されるだけの現在に転換していく意志のまがい物を濾過すべく、途端に苛むだけの理想に強制的に移送され、強制労働に従事していくほどに補完される意味とは勘違いを生み続け、奪われることに置かれる自らとの距離を生み出すマルクシズムの優劣から、誘導される意味を補填し続けるだけの不安との統合から、問われる悪を操作する正義こそが、本質的な正義を偽装し、そこにあらがう悪を制定すべく、規律の下で成敗を繰り返し、勝敗を用い、そこで互換し続けるものが負担するものを分かち合うという幻想をモチーフに自らを膠着させる歴史に沿うように後続していく意識が生み出す優越感に飛翔し続けるような似而非超越がもたらす悲劇の構造に補完され続ける安易なものの捏造から、延々と老け込む意識は、疲憊し続け、そこに用いられる苦しみに補完されることだけが生きていると認識できる最後の手立てであるということで加速する快楽へと移行していくマゾヒズムが補完していく悲惨で陰惨なものを自身の内部で加速させ、そこで思うことに示されることだけが、自らの存在を確かめることであるという苦しみから抜け出す。
2017年5月9日火曜日
矛盾
純粋な理想などは存在せず、何かに捻じ曲げられた理想を掲げ、自らに誇示するものを信心し、それだけが理想などという危うさは、破壊を生み、何かを奪うための理想は、ためらわずに何かを破壊することを定義に変え、理想に膠着する意思は、精神性を立派に歌い上げては、自己陶酔に陥り、自らが生み出す快楽だけがリアリティーを持つものであり、そこに与えられる権力だけが、自らを強調し、確かな意志を用い、ジレンマを飛び越えるものだ、という似而非超越を生み出す限りに、陰る本質は、自らの醜さに気づかずに、現れる苦しみを横柄に反復し、自らに強調される苦しみに理解を得ようと求めるほどに、理解とは乖離し、自らの苦しみだけに服従するしか、苦しみとは対峙できないのだ、という苦しみなどからは、すぐさま逃げるべきであるのに、共通的な美学は、あからさまに逃げることを恥とする文化を伝え、死することでしか、システムに反対できぬような理想論に拘泥し、自らに与える結末に後悔を与え、自らを締め付けることだけに専念するような拘泥から諦観は生まれ、観念に懸念を示さずに、見解すらもなく、すぐさま搾取されるだけだ、と性悪説にアクセスし、自らに背かずに実存主義を掲げ、個人主義を淘汰すべく、すべては矛盾を重ね、真実などは、本質を見失い、保身のために何かを騙すことに専念し、あたかも何かに相似しているフリをして、理屈をこねては、自らを正当化するための意味や答えをこしらえる。現れる悲しみは誰のもの?と遠のく意識に補完される他者の精神を介し、自らの苦しみを強調するようなミステリーへと移行していく途端に自らは崩れ去り、些細な出来事に超過していくだけの時間においてけぼりをくらい、ここで繰り返される事情とは、時間の外から出られずに、空間の中で繰り返される苦しみを連動させるための媒介を繰り返す。そこで補填され、補正されるものだけが、真実を語るものだ、と俗悪な者が堅持する理由などは権力に荷担するための合成的な由縁に末期的な苦しみを疎外させるための逃避である、と促すような破壊的なニヒリズムが促すペシミズムが与える痛みこそが、孤独な病を発明し、今に購うための理想を誇示するための意味を堅持し、拗れる意図から、意味を引き取るほどに卑近なものに引き合いに出されるだけの打算から、散々な現実に帰巣していくだけの理想とは、意味に背反できずに、今に苦闘を続け、綴る意識は明晰な判断に至らずに、今に痛む身体を引きずり、浸透していく今に補完されるだけの身体として、今に身を捧げるための今とは、今に意味を失い、今に置いて行かれるだけに至るし、その場で敷衍するものなどは、何の意味も持たずに、意味を誇張するための今に自らを閉じ込める途端に苦しみとは倍増していくのであり、そこで応じるだけの不安に促されるままに移行していく苦しみの虜にになり、担う意味の隣で屈従するだけに至るような精神性に世界性は崩壊し、そこで補完されるものなどは、嘘偽りを放つだけの独善的なパレードを自己の内外で繰り返し、与えられる理想とは希望を持たずに、地を這い、律儀に自らに立ち向かう間に消費されるだけの理想のためだけに働くのであり、そこで競うことで保持したものが確かなもののような勘違いを生むような思想こそが危うさを生むのであり、ここで強調される意味などは本質を見失い、損なわれるだけの意味の影として弔われずに時空をさまよい、拗れるだけの時間に損なわれる影として意味の中で爛れていきいびつな観念を形成し、今に依存することでしか、自らを生きてると認識できぬような生き方などは、生きていることにはならず、そこで生かされているなどという感慨を施し、自らを苦しめるためのメタファーを生み出し、物事に軋轢を形成し、そこで闘争を続ける間に老いた身体は背反できずに、時間との対立に敗れ、いびつに形成された盲信し続けた理想などは思想にも至らずに、もうろうとした意識が欺瞞を生み出し、不満や不具合を昇華させるための嫉妬心の業火へと自らを投下し、そこで問われる理想との永久の戦争へと至り、いぶかる先に堅持する理想などは、今に魯鈍なものに変わり、ここで姑息な者にこき使われることでしか、自らを信じられずに、今に思想により肉薄していく意志も、違う者の理想に意志を奪われ、意味を見失い、今に緻密に与えられるようなイメージも独裁的なものに塗布される色により、自らの理想を着替え、快活さを失い、何かを裏切るためだけに憎悪をもたらすような正義を生み出し、自らを犠牲に、悪意を捏ねるだけの正義を正義として捉え、そこに生まれる絶対性へと全体主義の衆愚として遺棄される他者を介した孤独な身体を傍観する何か違う自己との消費レースから、冷静さを失い、即座に転換していく苦しみとの闘争だ、と促すような統制から、統合されることだけが、自らの正常さを強調するのだ、というような分析的に保持するような正常さなどは、何の正常さも生み出さずに何かを疎外し、自らを優位なものに転化していくことでしか、生きてることも感じられぬようなものを異常として捉えるべきであり、そこで問う有為から、優位を生み出すだけの等差に低劣な理想を掲げ、今に苦しむだけに至るような空疎さから放たれ、自らの意志をとがめずに、今に現れるものを受領する。
2017年5月8日月曜日
身体から越え出ていくもの
権威的なものに反するほどに、権威的なものに陥るというジレンマから逃れるための力を授けることにより、そこには権力に傾き、自らを道化や傀儡と化するだけに至るような定理が用いる諦観に屈従するだけの軋轢を生み出す互いのとがめるだけの批判が降り注ぎ、散漫な意識に情緒すらなくなり、対比されるだけの現在に点在する意識に隷属するほどに、存在とは損得で測るだけの愚鈍なものに陥る限りに、陰る本質は、正しさを憎むほどに、自らが正しくなるという原理から理想は、今に意味を見失い、意志を捨て去り、蔑むだけの意味を批判するだけの快楽に沈む記憶に従属するほどに自らの痛みにほどこされる非道なものを信心し、アニミズムを持ち出し、自らが原罪の役目を果たすような人間から神へと超脱していくような似而非超越から、悲観するだけの心情に統合されるだけの正常さなどは、そこに差異を用いずに、何かを信じることだけが、誠実なものであり、自らを物質化し、暗澹とした心情に比例するものだけを虐めることだけが、自らを慰めることになるのだ、というファルス的な憎悪にひずむだけの空虚な身体を引きずり、散漫な意識に埋め込む冒涜から、いじらしい精神のジオラマを形成し、それを壊すことでおとずれる快楽へとひざまずくのが人間の哀れであるし、そこにあらがえずに昏倒していく意識は、執念を用い、終焉へと引きずる恨みだけを加速し、今に加工される意味や、意志を損ない、そこかしこに受理される意味に帰依するものだけを選りすぐり、自らを神格化していくほどに魯鈍なものへと変化する意思は、意味を損なう限りに信じるべき自己を持たずに、今に磔にされる自らを崇めるだけの自己陶酔から、心理的な作用を用い、何かを騙すことだけに専念するような洗脳からの解放を目指すべく、超越とは、その場での苦しみを超過していくだけの痛みを発散させるために利用されるものではなく、そこにあらがう限りに反する意識が自らを苦しめても、その場で屈従することなく意志を敷衍させ続けることだけが、超越へと自らを誘い、そこかしこに現れる物事との対立を深め、孤独に打ち震えていても抵抗をやめぬような精神だけが真実とも正義とも自由とも呼ばれずに、実存主義的な超克だけが、構造主義を超えて、文学的な昇華から、短絡的な同化を目指すだけのタナトスを超えて、自らの死へと逸脱していくような生を証拠に残すよりも、この場での屈従こそが卑屈な連絡を重ね、そこに苦しむための連帯感を生み出すような全体主義を打ち倒すべく、そこで操作されることに甘んじていることにすら気付かぬような者が謳い出す真理などは、真実に至らずに、答えに同化することだけが、自らを保存し、補完されるものにより、自らの豊かさに至るのだ、という過ちへと移行していくほどに、愚鈍な自己に気付かずに、今に屈することだけが、唯一自らを救う方法論である、という幻想からの逃避すべく、夢想し、想像し続けることだけが、豊かさを乗り越え、ここにおとずれる苦しみからずれていく限りに、感覚とは誰にも左右されずに、そこに勘違いを生み出さずに、少々のずれがあるからこそ、生きていることに価値などは求めず、求める限りにおとずれる価値などは、今と合致し、少しでも同調し、同情される限りに自分とは正しく査定され、社会的に認められるなどという幻想こそが、自らを愚鈍な者に変え、物質的なものとしての立像を抱え、自らの影を枷に変え、今に生きているなどという妄想から抜け出すこともできないままに、移行していく存在とは、その場での役目を終え、次々に自らを脱ぎ捨て、他者を媒介し、自らの存在をでっち上げるだけに満たないような未来へと倒錯していき、そこにおとずれるペシミズムに荷担し、自らの破壊とは、世界全体を破壊するための力学に変わるのであり、そこに利己的な死を迎え入れては、短絡的な死に巻き込まれ、孤独に失することしかできないのが人間ではあるが、孤独であるからこそ、創造的に昇華させ、自らを認識し、求めるよりも、そこに現れる数々の出来事を向上させるために絶えず自らとは存在するフリをしては、妨げられ、演技を続け、独善的な判断で求められるものに絵空事を重ね、空疎な自分を磔にすることでしか、自らを認識できぬような生き方を超えて、あらゆる方法とは、放浪し続けることにより、論理は放棄し、好奇心だけで、ここにおとずれるものとの摩擦を続け、自らが産み出すものだけが、物質的な猶予を用い、何かとの間に生まれるパラダイムを超え、乗り越えられるものが精神であり、存在は唯一乗り越えられないものであり、そこに測るための機能などなく、そこにおとずれるものとの調和などを求める以前に、存在は存在として、その場で厭わずに何かとの融合をすぐさま終えているのであり、そこにおとずれる精神との軋轢を乗り越え、自らを認識し、居場所などを求めるよりも、分裂的に逃げ惑い、そこに証拠すら残さず、滞留する意識を捨て、傲慢な差異が用いる差額などを無視し、短絡的なものへと移送されるだけの真実などは、真理を持たずに与えられた倫理観でのみ何かを破壊することをもくろんでは、ほくそ笑むような連中が何かを虐げられるために作った歴史により、動作するだけの傀儡に過ぎず、そこに示唆するものなどは、自らの過ちを隠すために補填するだけの答えを生み出し、何かを見出し、何かを正すことができるのだ、という権力や権威こそ超えるべきであり、超えられるべき何ものかであるのは存在ではなく、精神である。
2017年5月7日日曜日
根幹
純粋な姿勢を持つ思想は、何かを狂わすものを持ち、自らを見失い、闘争へと身を捧げる。その供儀に参加する意識的な誤りすらも、誤りとは認めらず、何かに没入し、没落しても尚、自らを正しいとすることを否定はできない。用いられる均衡とは、所詮は測り、比較するための平衡であり、そこに現れる均衡などは、対立を深め、軋轢をもたらすだけに満たず、今に満ち満ちていく憎悪が補完する物語の中で満たされぬイデオロギーに没入するほどに、自我とは破壊され、時間の中に墜落していく。『被害者意識を抱え、メロウな時折にひずむ時間の外との公約を守るための政治性が生活環を圧迫し、陰りを生み出すだけの刺激だけが、快楽を誘い、淡泊な生活を加速させ、今に求める快楽の需要を増すほどに、人間性とは制度の中で壊れ、形有るものに有する価値や、そこに生まれる過程に阻まれるだけの精神をむしばむような貪婪さが論難を用い、何かを否定し続ける限りに負荷を与え、生きることとは、苦しむことなどという幻想を生み出し、今に枷をはめ、自らを否定し続ける限りに陰る本質は、存在自体を韜晦させ、今に屈従することでしか判断を担えず、確かな意味を受け取るようで、それは、与えられた義務だけに従事し、自らの意志では何ら行動すらも起こせぬような機械的なものは否定に値する』相対する意識的な諦観から、葬られる存在とは、宇宙的な真理に至らずに、ここで調和するための真理を真理として持ち上げ、今に拘束するだけに至り、今に慢心を生む。即座に諦観へと誘うだけの調和とは、共存共栄を謳い、自由により麻痺された精神を拘束するための自由を利用し、今に理由を当てこすり、あらがう者を否定し続けることが正義だ、という勘違いを生む。あらゆる倒錯を生み出し、踏み台にするだけの答えにへりくだるような演技を続ける正義が君の自由を奪うだけに至るまでの過ちを加工し、ここに品位を生み出し、倫理で今をごまかし、そこでインモラルなものを掲げるものを否定し続けることにより増していく快楽を重用とし、都市間に現れる幸福論的な象徴である経済を保つための過ちこそが正当化されるべきだ、というような教育に閉じられる永遠性に制度は扶養することだけが、唯一の正義であり、現在を保つことだけが、原罪を否定し、自らを利己的なものに捏ね上げるような道具として、或いは傀儡として生きるためのセンテンスなどを用い、何かを攻撃することだけが、自らの快楽を収めるような行動であるなどと促すような行動などは、今に動向を失い、自らの喪失感に耐えかねずに、価値観を葬り、今に屠られるだけに至り、放逐されるだけに至るような精神性などが退廃的なものを用い、物事を利己的に捉え、こしらえられる価値を信仰することに依存することだけが、正しいことのように扱われているのであり、ここに措置されるだけの救済措置などは、今をごまかすための行動であり、そこで拘置されるだけに至り、永続的な苦しみを死しても尚、味わうようなものを永続させることだけに専横する主義の虜として、利己的なものを育て上げ、井蛙な者が刺激する惰性な論理に加勢するほどに、一過性のものを謳い、あらゆる意味を透過させているようで、問うことを否定し、今に悲観することだけを目的に何かを煽るようなアジテートから、意味は膠着し、今に苦しむことが論理であり、それが哲学であるなどという苦しみこそを逸脱すべく、楽しむことの異常さを保持するような創造的な飛躍を目指し、今に演奏を続け、狂ったように分断し続ける先に老けることの恐れや、死すらも超越するような過ちから、誤りを生み出しても尚、第三者の目に苦しまぬように、今に劇的な飛躍を遂げ、自ら踊り続けるよろこびから、ここで膠着しないように、論理の外に出るべく、宇宙と名付けられる以前の空間との融合を目指すような異様な高揚感とは、創造的な飛躍でしか得られず、そこに現れるものをそのままにむさぼる観念からの離脱を目指し、理想を捏ねるだけの捏造的な社会を写生するだけでは、模倣するだけのものとして物質的に扱われ、利用されるだけに至るのであるし、その利用から価値を生み出すものなどは、高尚なものなどなく、そこに現れるものを価値として崇めるような信仰心を生み、そこに締結していくだけの破壊的なニヒリズムを育て、自らのペシミズムを癒やすような戦争を増やしていくような世界などは、世界と呼ばれるだけの名ばかりの箱であり、この箱庭から脱するべく死へと誘うよりも、生を昇華させ続ける先に現れる創造的な飛躍だけが、永遠性を捉え、制度を否定し、自らの自由に利用されずに、自らの希望を肥やしに何かを利己的に搾取するだけの悪趣味な主義にアクセスせずに、今に設置された義務を引っこ抜き、自らの位置など持たずに、律儀に流される血を否定し、今に現れるものを創造性だけで捉え、逍遥し続けることのよろこびだけが、価値と言えるようななにものか、である。
2017年5月6日土曜日
歌い上げるような愛
神も身もだえするような孤独を乗り越え、延々と連なる永遠性を否定し、被害者意識が売り買いされ、ここでの些細な意味が災難を生み出し、カタストロフへと至らせるような悲劇から、貧寒なものをモジュール化し、今を席巻するための権力として倒錯へと誘うだけの闘争から、反社会的な構図を生み出すだけのカタルシスを促すにせものの正義から、犠牲心をあおり、あてがわれる自己犠牲的な昇華へと誘う同情と生死との間ので背反を執り行うべく、ここでの徒労とは、いつかの疲れを癒やすための帰路へと変わるのだ、という幻想からの脱兎をもくろみ、この生命とは、制限を持たずに、今の苦しみとは、与えられた義務へと引き伸ばされた苦悩であり、ここでの不安とは、滅びを求めるだけの人類的なタナトスとの調和を目指すようなナイトメアや、宇宙規模にまで広がる意思表示やらが今を邪推し、邪魔者として排除しようともくろむような人間的な制限から、人間的あまりに人間的であるべく、余り有るものすら奪い合うだけの闘争が荒んだ感情を虜にし、破壊に至らせるだけのニヒリズムよりも、ここで諦観へと誘うような仏教的喪失を促すうなだれたニヒリズムに至らせるような同情的な何かが動向を奪うだけに至るような攻撃性へと転化させ、あらゆる精神とは、諦めるほどに破壊的に荒んでいくのであり、自己の破壊を目指し、世界性の破壊を執り行うべく、何かを支配的に分離し、今を分断しては、位置的な悲劇に引きずられていく卑近な自己を比率するものや、成立するものや、おのおのに整序していくものが個人的な猶予を用い、何かに対し、猶予を求め、似たものであるのに、相似するものを憎むような同族嫌悪へと浸るような人間性などは、正確性を持たず、制度に固着するだけの意味を引きずるだけの精神を買い取るだけの義務へと遭難していくのであり、自分の居場所を求めるほどに、とめどない苦しみを引き出し、今に悲観するだけに至らせるような正義から、自然的な淘汰から、そこに等差を生み出すだけの忌み嫌うような階差を打ち砕くべく、アナーキーなニヒリストがセンチメンタルに帰巣する聖地を偽装し、そこで攪乱を目指すだけの中庸を持たぬ原始的な人間が想像する範囲などは、描写するに至らずに、今に苦しむためだけに手向けるようなためらいからあらがえずに、ここで用いられるこことは、姑息なもので染め上げられたものに連帯感を求め、何かに同調することでしか、何かを信じられずに、信仰心をくすぐり、今を跨ぐような悲劇へと拘束され、批判的な論理に硬直し続ける要因に卑賤なものをモチーフに、刺激的な猶予に派生していく苦しみを強調させるだけの曖昧さや、あらがうほどに、当てはめられるものにはびこる悪意から、配備される愛がいつしか憎悪に変わるような月日に変換されるような時間論から逃れ、注がれる時間とは、ひとつぶひとつぶぶつかり合う原子の音を鳴らし、引きずる時間との調和を目指すような夜明けを待ち、間違いに倒錯する動機から、統制されるだけの真理を用い、何かに罵声を浴びせるだけの価値などを打ち砕くべく、人間とは人間から超え出て行くべきであるし、機械との融合から、雇用されるだけの範囲に用いられる反抗的な意志から、インモラルな衝動が分裂していき、指定されるだけの意味に義務を用い、何かを代償に、今に浸透する苦しみを抱合するような愛などは、真実の愛ではないが、真実の愛とは、信じることでしか生まれないのが愛であるし、今に専横する者が短絡的な死を願うだけの代償から、介する愛とは利己的なものに変わり、ここで横暴に支配し、従事し、屈従することでしか、愛とは認識することもできないような愛ならば、愛とは破壊すべきであるし、そこに現れる愛などは、愛に至らずに、何かにつまずき、自らの苦しみに屈従することでしか愛を認識できないのであり、そこに現れる愛とは、何かを操作するためだけに愛と呼ばれることをよろこぶような価値を生み出したものへの代償を求めるだけに至るようなリビドーに支配され、ここで専横されるよろこびから、生まれる愛だけが、愛と呼ばれるが故の苦しみに迷い続ける。従事する苦しみを癒やすべく、愛とは均衡を保とうともがくよりも、今に破壊を願い、壊すことにより、現れる創造性に至らぬような愛を排除し、或いは愛に向かうべく羽化し、今に昇華し続ける先に現れる愛のようなものを育てることだけが、愛に近付くのであり、そこに現れる愛とは意味に拘束され、今に屈従することでしか、自らを認識できぬようなものからの逃避を目指すべく、共生を願うよりも、共有を求めるよりも、そこで強要されるものすら許すことに義務を用いずに、何かを許すことに同情すらも用いずに、凭れるものすら一生懸命に愛する行動だけが、自らを知るのであり、そこにおとずれるまでの強要すらも飛び越えるものが愛故の超越であり、その超越だけが、真実に近付くのである。
2017年5月5日金曜日
尖鋭な理
機械油を垂れ流し、スモッグが垂れ籠める憐憫にふれ、不潔な観念を解き放つだけの紅蓮に輝く優美な季節に遊離していく感情を解き放つような輪廻の輪から放たれ、たちまちに現れるアニメ的な街並みに関わり、慣性を捨て去り、無重力の間柄に生まれる感性だけが、今に感情を伝え、退廃的なロマンを語る家庭的なさえぎりから、原野に帰宅する君のプリミティブな感情や、季節感を風刺した主体性を模写し続ける画家どもの至福から、市販されるだけの身体が浮遊感満載で、論理の底を漁り、意味を蹴破るほどの衝動を捕食するのが、哲学の役目であるのだ、とスピノザが語る先々で乖離していく精神は、信用を謳うばかりが、事実とは違うものとの融合こそが、この資本主義の中では正しいのだ、と語り、懐疑的な日常をカタルシスに誘うような奴隷と化することだけが、この世界では重用なのであり、ここで構築される闇の中で正解を求めるような気分を崩壊させるだけの感情を解放させるべく、私とは、この世界に降り立ち、君を背反させるべく、そこで背徳を重ね、開示される由縁を駆け巡る意志から、改善されない痛みを抱える偏頭痛の街から、喧噪が軽快な騒音を促し、輪唱する神話から、改ざんされた真理にもとづく永劫を渡り、均等な意味とは、ここで不快感を用い、前頭葉をまさぐり、海馬を崩壊させるだけに至ることだけが、精神的な解放だ、と促す仏教的な解離性から、気概を損ない、考えている風に立ち尽くす君の誤りから、感傷的なニュアンスの髪の毛がなびき、まとわりつく汗との幽境に嵌まる君の猥雑な罠から、甘美な瞬間に理論性を整序させ、ここで構築される闇との対立を続けるべく、価値に反し続けるのであり、ここで疎外を謳うようなマルクシズムから、締結していく先々で受精していく観念が孤独な子供を生むころには、このメタファーすら死に絶え、企業的な暗鬱さにのまれ、正義を謳うだけの懐疑的なジレンマを謳うだけの科学的な犯行から、配備される間に定める位置を引き伸ばすだけのデジタルの魔法を唱え、機械兵として、平均を壊すことを目的に、所持する意味を乱用することでしか、デカダンスを打ち破れずに、出来合のものを信心することだけが、自らの認識を深め、存在自体に厚みを与えるのだ、という過ちから、理論性に制度は損なわれ、君との距離が生まれる辺りから、この幼稚な策略の段階に踏まえる意味とは、不和を用い、意味との調和もできずに、デリカシーもなく染みいる意味から、浸透する意味の傀儡として、深層心理を破壊し、超自我をも引き裂くようなフロイトの誤りから、ここで摂取する意味とは、君の間に生まれた軋轢を解消すべく愛したフリをして、その行いを正すことでしか、自らを正当化できないような表現を引き裂くべく、すべては、ここで述べられる以前に、企てられる意味により、リアリティーを損ない、似而非リアリズムが哲学的な優位さに運ばれていき、何かを裁くことでしか、何かを正すこともできないような連中がでっち上げる意味から、ここで批判し続けることにより人類との調和は行われずに、自らとの差異を生み出し、計り知れない意味を搾取するだけの悪趣味な主義だ、と批判し続ける限りに本質とは陰るのであり、そこに用いられる政治性などは、幼児的なものから逃れられずに、自らを正当化しようと地団駄を踏む子供のような尊さを用いながら、何かを批判的に乗り越えられずに、自らの政治的な批判にのまれ、自らの意志とは瞬時に損なわれ、力は一切の意味を失い、一体化をもくろむ価値の犬として、淫靡な結末を生み出すだけのサキュバスどもの餌として、指定される義務を快楽で染めることにより、考えを傍観するような卑劣な脳内をアフレコするだけの心情とのぶつかりから、対象とするものすべてに敵意を剥き出しにし、憎むことでしか、自らの主義を正当化できないような思想などは、思想などではなく、そこに置かれた意味にオカルト的なものを掲げ、意味のないお経を上げるようなものであり、そこに尊さを捏造し、信じるべき意味を神に書き換え、そこで快活さを失いハウリングするノイズを聞きながら、狂い続けるだけの動機につまずくだけの退嬰的な意思や、体系的なものに関わる安堵に耽るよりも、そこで反抗的に一人きりでも闘うような純朴な青年もゆがんだ意思を抱え、持ち上げるものにもたげるだけに至るような精神性などは、成否を求めるだけにとどまり、与えられる善悪にあてがわれた意思を掲げ、意味を損ない、喪失感にとがめられ、その場で屈従することでしか自らを認識できないような世界とは、世界とは呼べずに、そこに憑依するだけの空疎な空白であり、そこに世界を当てはめ、自らを破壊するだけに至らせるような世界が用いる正常や、正当なものなどは、価値をもたらすこともなく、強制的に洗脳し、信じることだけが、唯一の救いなどと謳うような自由などを用い、意味を迫害するだけに至るような答えにまとわりつく意味にかまけるほどに、魯鈍なものに変わり、用いられる意思の中でしか、判断もできないような意志を掲げ、意味を損ない、そこで満たされないから、と求めることだけに専念する。
2017年5月4日木曜日
壊れた問い
帰るべき場所や、逃げるべき場所を提示すべく、国家や意味を超え、あるいは、語られれだけの自由が重圧を与え、信じたものなどは、裏切られるためや、乗り越えられるために、自由とは存在するのであり、自由との結婚は、今に隷属し苦しみを敷衍させ、あらゆる理由は正義を乗り越え、自由を超越すべく、自由とは、自由として存在する。死の外側に放り投げられた我々は、帰るべき場所を探し、さまよい続け、つまずき、逃げ回る君の儚さこそが、詩的に昇華され、事実としての完全性を生み出し、制度に付着する自己から飛び立ち、あらゆる善悪と調和する。需要と供給を終え、真理をまとい、空間を旅する時間との別れも終え、ここでの役目を果たすだけの義務である死との調和を施し、はじまりとの交わりから、ここでの一体感とは簡易な瞬間にとどまるだけの永遠性へと飛躍するような瞬間との対立を続けることにより、国家や意味を超え、アナーキーに成長していく過程から、枯渇しても尚、順序を捨て、思い思いに耽る今が純然としたものであるべく、すべては思想を持たずに、ここでの調和を含ませた同一化を施す的な言葉をこぼすタオイズムから、流動し続ける意識とは、どこにでも混ざり合うことが可能であり、不可能を持たぬからこそ、自らの意志は制度を持たずに、そこで付着することに増していく猜疑心を乗り越え、ここで孤立する神経から、疎外し続ける先に現れる過程から、転化し続ける先に飛躍よりも、超越のほうが近道である、という誤りに気付かずに、遠さと近さで測る間には、距離が生まれ、今に苦しみで阻めるだけに至るのであり、そこに距離を用いるから、国家を形成し、人間的に苦しむのだ、とレプリカントは語り、かけがえのないものなどは、電脳世界間では、簡単に流行していくウイルスに侵略により、自我などはほとんど無意味なものであるし、同調する意識を露呈するような精神などは、邪魔なものであるし、ここに論難を用い、何かを否定し続ける辺りから、言葉すらも邪魔なものになるのであり、ここでリアリズムを消化し続ける苦しみに耐え抜くことでしか、生きていることも実感できない人間などは、記号化すべきである、とネットワークの中枢で神経を麻痺させ続けるよなバグから、征服されるだけの感情を保とうと必死にもがく人間的な悪あがきをあざ笑うコンピューターウイルスどもが徘徊する深夜に論理は敗退し、ここで哲学的に郵送される真実ですら、最後の疑問を終え、捏造されるだけの真理を真理として受け入れることでしか、自らを認識できないような存在などは、死の影を背負い、義務的に生かされ、放牧され、与えられた餌の感覚でしか、存在を認識できないようなカタルシスを生み出すのが、国家的なシステムの中での価値観の家畜としてしか生きていることを肯定できないように仕向けるようなシステムの虜と化するだけに至るような囮を作り出し、何かを統合することでしか正しいことを正しいものとして認識できないようなものだけが、力として認識され続ける限りに、我々は鍵を失い、そこかしこで迷うだけに至り、逃げることを知らぬから、そこでの苦しみにとどまることだけが、あたかも正しいことのように認識する誤りに気付くべきであるし、そこで逃げることを知らぬから、君は、不安に苛まれ、今に厭うだけの価値を価値として出迎えることでしか、自らを認可できないのであり、そこで同情することだけが、自らを正しい者として世界と統合し、あらゆる原理を損なわずに、ここに現れるしあわせとは、何かと同化することだけであるなどという勘違いを生み出す以前に、誰かに指図される以前に自らが生まれた途端が前後左右であり、生まれた時から時間は進み、生まれた途端に阻むだけの世界は、世界として勝手に入り込んでは、背徳者である、と決め込み、危険であり、悪である、と決め込む正義たる独裁者との対立を生み出し、ここで相続するものなどは、過去からの苦しみをここで繰り返す反復することだけが正しいことのように示唆するような正しさだけを認識することが、唯一の正義であるのだ、という欺瞞から逃げ出すべきである。何かの複製品である定理に基づき、同じようなものを作り出すことに置かれるフラクタルなものなどは存在せずに、微妙な違いに気付かぬ限りは、同じような定理に支配され、理屈を捏ねる者として疎外されるだけに至り、あらゆる正気とは、捏造された真実から、同調することで、平衡を保つように思い込むように作られたものを崇めることにより、自らをリアリズムに仕立て上げ、そこに現れるものしか愛せないように思い込むことだけが、世界であり、正解であり、ここで高潔なものに変わる答えであるのだ、というエリート主義ではなく、自らを強固なものに変えるような超エリートを作り出すべく、意思とは簡単にねじ曲げられずに、自らを正しいと思う限りに自らとは正しくあろうとせずに、何かに加勢することもなければ、そこに現れるものにあらがうことにより、より強力な意志が生まれるというような自らを至上の者へと突き上げるような昇華に恍惚感などもなく、そこには恬淡な意識だけが、浮遊するでもなく、そこに存在するように存在し、そこに現れるままにあるところにとどまるわけでもなく、ここでもなく、どこでもなく、どこにでもいるように仕向けるように仕向けるものこそをひるがえすような者であるべく、すべてはすべであとして有する以前に、私は、ただ私であることだけをよろこぶ。
2017年5月3日水曜日
愛と名付けられる以前のもの
言葉を持たぬ二人は、会話の変わりに意識の互換を繰り返し、書き換えられる記憶から、臆することなく、住まう意識に果てるだけの私情を捨て去り、理論を超えて、ガイドすら不必要なのが愛であるし、そこで普遍的に混じる瞬間だけが、愛であると宣言する間に埋められぬものすらなく、埋めようとするほどに、邪悪なものが生まれ、関係を遠ざけるだけに至るし、ここで類似し、痛みに変わるだけの儚さをちりばめ、集約される思いが二人一緒だね、と席巻していく意識に軋轢すらも生まれず、ここにはびこる愛だけが、瞬間を悟り、ここで知り得るものなどは、ほとんどの意味を持たずに、すれ違っても、またいつか出会うであろうし、ここで用いられるものにさえぎられるほど簡単なものではないよね、と笑う君の本質だけが、現象や現実をぬりかえ、真理すらもいらず、ここに構築され、意味として今を移ろうだけの感情が、様々な思惑を超え、現時点から遠ざかり、ここに用いられる時間すら、今に対処しきれずに、時間としての意味を果たせずに、二人の外観を傷つけることすら不可能であるし、ここに現れる永遠性は、すべてと対立を続け、そこに用いられる死すらも瞬間的な痛みから飛び立ち、たちまちに現れる痛みもぬぐわれるものだし、ここでもぬけの殻になっても、簡単な身体が交換されるだけの愛では満たされないような思いだけが、ここに永遠性を築くのである、と鮮明で聡明な意識だけが、意味を掴み、今に果たす義務を超越し、今に互換されるものだけが、正しさをも超越し、今に演じることをやめ、ないがしろにした主観からあふれる仁徳のようなものすら不潔に感ずるような愛だけが、本質が何かを知り、ここであらわされるものなどは、現れる限りに偶像や虚偽に変わるようなまがい物であるし、ほとんどが意思の道化であるのだから、二人の間に放たれる空気感のようなものだけが、延々と邂逅し続け、そこで出会う限りに終わる瞬間から、また何度も出会いと別れを繰り返し、同じ時を過ごすよりも、その時を追いかけるほどに一貫性すら失い、時間に追われるだけに終わり、ここでの終わりとは、今との妨げとの終わりを含めたメタファーに過ぎず、ここで過ぎ去るものに推理すら不必要だし、誰かが出し抜けた分、ここに現れる空白を埋めようと忙しく生きるよりも、今を厭い、自らの苦しみを際限無く綴るだけの過去に納期される不純な意識がベターなものとして扱われる以前に、ここに固執することなく、時間とは、ここに現れを作るようで、妨げを作るだけに至るだけで、本質すらも見抜けずに、ここで見間違えるだけに至るような痛みから、絶えず行進を続け、意識を超過し、そこに置いて行かれるだけの自分を傍観するような苦しみをも楽しむような瞬間から死を乗り越えるまでの軌跡から、ここで役柄を終え、演じることをやめた途端に現れるものが本物であるのだ、という幻想を乗り越え、ここで終える物語がガタガタと崩れ去る余韻にひしめく流動性や、君の躍動感から、君が信じたものが飛来し、嫌いなものすら好きになるような瞬間から、主体性とは、誰かの簡易なものとして扱われる以前に、自らを確固としたものとして認識し続けるための大切な主体であっても、所詮は、君といれば共感を求めるべく、共通項などを謳いながら、たゆむ現在におとずれる原理に折れ曲がるだけの主体が世界と対等さを求める先に平等さとは死に絶えるものであるし、世界とは、世界を認識させるための名ばかりのものでしかなく、君が産まれた途端にひろがったものは、君であるし、そこに世界などはなく、君を含めたすべてであるし、そこで雇用されるなどとは思いもせずに、ここで設置されるだけに義務などを生み出し、ここで狭まるだけの価値を背負わされ、そこに些細な苦しみも厭わずに、ただ支払うための義務に追われるなどとは思いもせずに産まれた輝きから、加算されるだけの意味にあらがう二人の世界すらもすぐさまねじ曲げられるが、二人ならば修復できるだろうし、ここで祝福を用いずとも、今にしあわせすらも乗り越え、ここで固執するだけに終えるような物事からの飛躍を遂げ、今にとがめられる以前に、ここで鮮明なものを生み出し、高揚感をたずさえ、いつも浮遊しているような感覚で雲の間をすり抜け、疲れも知らずに、そこかしこに産まれるものを通過し、自らの力を蓄え、その位置からいつでも飛べる準備を蓄え、その場で降りしきる雨に濡れても負けないような君の情熱がひしひしと伝わり、君との出会いをまさぐるような夜が敷衍し、やがて、静謐は預言を蓄え、季節に封じられる感情を解き放つほどの愛が補足するものだけが、自らを兌換し、絶えず産まれるものだけが、愛と呼ばれるべく、そこで愛と名付けられたものは捨て去るの、だ。
2017年5月2日火曜日
肯定
君たちの盾になるような言語を生み出すべく、機械的な論理から、位置的な模倣を繰り返すだけの人類的な過去から枯渇するだけの正義から逃げ出すべく、そこにあるものの哀れみに浸るよりも、今に現れる言葉が俯瞰を覆い、勘違いを生み出すだけに至るようなものの盾になるべく、この命は、まがい物を受け取らずに、ここにあらがう者のために備わるべき言葉として、或いは、そこに鎮座しても、位置的なものに囚われずに、ここで偶像を打ち倒すような強い者も、その偶然に打ち負かされ、その場で立ち尽くすような苦しみに震える君の熱病を冷ますような愛であるべく、ベクトルを旋回させ、ここに力を加えられる以前に、この存在こそが、力の源であり、自らの意志だけを動力源に、鉄の意志へと変化させ、変化する意味から、善悪を引き出すだけの権力が勘違いを生み出し、今を踏み台に、何かをなしとげることこそが、正しい力の使い方である、という獣の流儀では、ここで留意するものに善悪を押しつけられ、正しい判断に至らずに、いぶかる先に堅持する意味や、虐げられるだけに至るような罪の重みに耐えかねずに、兼ね合いながら、敵わぬものを作り出す精神の内部できらめくような閃きを生み出すべく、くみ取る意味は、今を押し広げ、今に屈従せずに、ここで席巻するものが、力で範囲を奪うだけに至らせるような悲劇を攪拌させ、ここで正義を押しつけることだけに専念するような捻転から、捻出される君が力学を用いても、そこに熱量はなく、ほとんどは燃やし尽くされた後の残骸や、その場で影に変わるほどの業火に包まれた苦しみが住まいに変わり、分裂していく意識は、今に虐げられ、欺瞞を用い、不満を促すことだけに専念するような扇動から、ここでの死は追いすがることだけに専念し、旋転していく先に転化していく君が掃きだめのゴーストに変わり、エゴを行為で巻き取るだけの機械的な道理に導かれ、激高する辺りから、ルサンチマンの怪物と化するまでに至った経緯を推し量るべく、ここでおしなべて語られるものなどは、本質には迫らずに、狭い価値の中でとどまることでしか、自らの正しさを引き出せずに、いじらしく卑近なものとして、今に浸るだけの価値の家畜として、ファシズムの番犬として、力が集まるところでしか吠えられぬような者をも巻き込むようなムーブメントがリリカルさを用い、詩的に改ざんしていくことだけが、唯一の正義に近付くような聖なる儀式的な俯瞰に迫るような完治しない苦悩をないがしろにしてまでも、貫くような意志だけが、備わるのが、私に唯一作用する力であり、それだけが権力と言えるものであるし、ここで間違いをこらえて、ここでこしらえられるものを飛び越えることだけに専念し、止揚を続ける先に帰宅するリズムから、理想は恬淡なままに乗り越えられるものだけが、ここで言葉を用い、正しさを押しつける以前に今に襲いかかる意味から脱兎し、結末をにじるだけの意味から、なじる瞬間になじむことだけを考えるのが、哲学の役目であるし、ここで敢行されるものが、正しさすらも捨て去った後に敷衍するものが抵抗を加え、神々しくさかのぼる意思が、静謐な余韻から理性を伝え、相対する瞬間にこしらえる意味から、憧憬するだけに至るような者が引き出す意味から、地殻変動を及ぼすほどの意志の力だけが、ここまでの意味を飛び越え、ここで硬質な意志を備え、そこかしこに生み出される苦しみに空腹を癒やすだけの陰りを生み出すだけの意思的な宣言を終え、ここでセンテンスを改造し続ける先に現れる言葉が、もうろうとしながら、しなびた過去を引き取る限りに陰る本質から、ビターな感情ががんじがらめになるような主観から飛び立つべく、そそくさと逃げ惑い、昏倒する意識を引き取るべく、消失していく瞬間が永遠性をまとい、途端に荒涼たる由縁にとどまるだけの苦しみに恒常的な台詞を述べ、能動し続ける瞬間に老けるだけの命を超え、ここで退嬰的な者として意味にとどまるだけの苦しみに絶えず引きずられるだけの行程を終え、統制されるだけの意識に季節を混じらせ、こじれる今に戸惑いながら、途端に高尚さを損ない、そこで求められるだけの意味にとどまることだけが、ここで正しいものとして役目を果たすことが正しいもののように扱われることが正義として認識されることで、今に燃焼していく罪や、今に築く意味や、構成される限りに来すイメージや、今に意味合いを見つけ、近未来へとつながるような意図を生み出すだけの言葉としての意味を捨て、ここで観念を押し広げる。複製され、復元されるだけの私のコピーたちが、工場で大量生産される。ただ大量に生まれるだけの相似することでしか、私は、私として存在できずに、今に潰えても、似たような観念が同じように作り出されることを繰り返し続ける。
2017年5月1日月曜日
関わり
ある一定の力ですら暴走するのが、用いられた力であり、そこに与えられた力ですら、自らの力により、自らを腐敗させ、自らの力により、自らを壊すだけに至る。一切の力は、ホメオスタシスを破壊し、自らのホルモンを狂わすことだけに専念するように仕組まれた意図から、位置的な繁栄をもたらす愛すらも、ここで用いられる力により、互いを破滅に追いやる。破滅に先で抗い、構築されたものに従う以前に、ここで違うものを並べ、否定的に改ざんされるだけの生命にもとづく永劫から、行為を引き取り、卑近なものとの対峙を続け、対等さを謳うよりも、ここでの平等をも超えるような議論へと至らぬ限りは、解決には至らずに、自らを破壊することだけに生まれる定理が、答えとして定義として、意味を磔にし、自らを神として制定することに用いられる力が、未来永劫に働き続ける限りに、人間とは、人間から抜け出せずに、人間としてしか正解を求められずに、今に浸る意味から位置的な狂いは生まれ、吐き出される言語に集約される言葉の密度や、今に緊密になる恋の予感や、行為に引きずられるだけの過去の苦しみや、今に補完されるものが今をさえぎることにより生まれる不安などから逸脱するために生命とは存在を定義するものを持たずに、ただ存在する限りに存在を認識することでしか、自らの正当性にすら気付かずに、既読される限りの文面である物語の中で芝居を続ける限りに陰る本質とは、真実を持たずに、今に繰り広げられる普遍的な闘争から、等差を用い、今に渇するだけに至り、一党独裁的に集約していく権力は、自らの力の暴走にすら気付かずに、与えられた力に連帯し、連動していくジレンマを自らに絡ませ、中央集権的であるように仕向けるような似而非民主主義が描くシナリオには、仁徳の欠片すらなく、何かを奪うことでしか、国家としての義務を果たせぬような力の使い方では、自由を謳い、希望を捏造することでしか、何かを扇動できずに、今に譫妄に至り、自らを喪失し、相似し続ける過去から、枯渇する精神に与える栄養から、恒久的な倒錯から、察することすらできずに、自らに与えられる影響でしか、自らを律することもできずに、答えとは、用いられることで力を加えられ、それが正しいと作用することでしか、答えは答えを導かれずに、そこかしこで擦れを生み出しても、そこに与えられる摩擦により、今を業火に包んでも、誤りを認めることもできずに、答えは、答えとして、何かを破壊することだけに秩序を用い、整序し続ける限りに、自らを騙し続けることでしか、正しさを生み出せずに、惰性なものが生み出す判断から、誤りは加速し、そこに語弊生み、弊害が生じ、自らのバランスを保とうとすればするほどに、自らとの擦れが生じ、そこに苦しみだけを生み出すような結果に至り、今に居座るだけの答えなどは、どんな論難をも受け入れずに、自らを正しいとすることでしか、自らを正しいものとして認識できずに、今に適任するものなどは、ちぐはぐなものを生み出し、今を壊すことだけに専念し、創造性を損ない、過信を生み出し、あらゆる原因は、自らにあるのだ、という驕りから、すべてを破壊するような独裁へと移行していく。改善されない本質は、空を引き裂き、飛ぶという観念すら捨て去るべきだ、と希望を用いる以前の子供たちに告げるような残酷さを含んでは、ここで越権しても尚、何かの隔たりしか生まぬような答えに踏まれるだけの生命の微かな音を聞き逃さずに、そこに現れる原理などは、利得だけを求めるような軽佻浮薄な意思を用い、何かを騙し有利になるように仕向けることでしか、自らをしあわせなどを謳えぬから、ここで生息する聖なるものなどは、物質的なものに有用に働くことだけが、聖なるものである、と宣言するようなものこそ正しいとするようなまがい物の価値を生み出すだけの詐欺師どもがうごめくような時代を錯誤させるための自我を混沌に落とすような答えばかりがまかり通り、今に理屈を並べても、ここで接続されるものは、時代的な正しさを真っ当にするための独善的な手法だけが、今を正しく育てるのだ、というとがめから、途端に破壊されるだけの原理を理想に、今に打ち付けられる便利な身体から、便宜的なものを引き出すだけの貧寒な理論を盾に立ち向かう現在にも、祝福を求める限りには、祝福などは訪れずに、今との擦れを埋めようとするほどに、擦れは解消できずに、今に昏倒していく意識は、誰かにコントロールされることだけが、正解へと至る道であるのだという勘違いから、屠られるだけの自我は、自らを統合させることだけに必死で、誰かのあら探しを続けることで、自らの誤りに気付くような者すら居なくて、そこで現れるほとんどのものは、自分に対するものであるし、すぐさま対処し、自らを飛躍させるような調律を施さぬ限りは、今に現れる音と音の隙間で幼稚な企みを施し、ここで見つける意味も、今に捕まり、ほとんどの意味を露呈しても尚、自らの苦しみの居心地の良さに居座ることだけが、自らの居場所のように感じるようなものからの脱兎を目指すべく、なににも捕まらずに、自らをも正しいとせずに、ここで設置されるものに反し、ここでの苦しみなどは、瞬時に消え去り、些細な意味に欠乏していくような意味の中でしか働かぬような意味などに関わる前にすぐさま昇華する。
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