2017年3月31日金曜日
自ら踊るよろこび
恋とは絶望から始まる。交わる先に現れる思いも、恋い焦がれ、あこがれるほどに、自らとはおいてけぼりをくらい、今に与えられる影響とは、自分の自信のなさを伝えるだけに行き違う思いとの絶望感である。安易に即される絶望にこそ、何かを愛するという意味を知るような原理を産出し、今に現れるものを素敵に彩ることだけが、生きていると定義づけるのだ、という宣伝的で横暴な規律を用い、判断を誤るようなものも愛であるし、そこに神を用い、悶える意識に願掛けを施し、今に現れるものに修繕される先々で戒律を生み出し、即座に与えられる罪の意識が欺瞞を生み出し、踏み出す意識は収斂され続け、現れる意味を悟る者が誤りを正すように強制するほどに同化するだけの同調し、同情することだけが、世界を掴むのだ、と意味を履き違え、今に課せられる罪や、緩衝する先々で対立を含ませ、現前をたどるモノトーンの夢と踊る先で懐疑的なものが促すニヒリズムや聡明なものを汚すだけの言葉に締め付けられ、記憶と死にまつわるだけの価値に引き出されるだけの迎合された意味を引き継ぐ者が、批判的に攻め入り、退廃的なものを吐き出し、果敢に挑むことも忘れ、ただ嘆願するだけの日々に愛は散り行き、生活の道具として、偶像を愛することでしか、毎日の疲れを癒やせぬような論理的な齟齬から、ここでフォーマットされ、さまようだけの道理に論理的な解決を求めても、求めるほどに逃げるのが、その場での価値であり、そこで憎むほどに遠のくのがしあわせと名付けられた宗教的な幸福であるし、ここで克服されるべき幸福を乗り越えてこそ、ここに現れる絶望も超越できるのであるし、そこで理解を得られなくとも、そこに与えられるものだけが、先々に伝わり、確かなものに変えるのであるし、ここに宿るものだけが、欲深いものを蹴落とし、今に認識し続けることが亡霊のようにさまようようなものと融合し、死をも乗り越え、今に現れる苦しみなどは一瞬であるし、そこで屈従し、屈辱に震えるほどに敷衍する苦しみばかりが、空疎な日々を嬉嬉としたものに変えるべく、危機感を用い、恐怖を煽るような扇動から、斡旋されるほどにサクセスは遠のくし、ここに現れる物語も他者の言葉を借りて、ガス抜きを繰り返し、狂いそうな日々に遭難し、相互理解を得られずに、交互し続ける意識は、自らの空しさに身ごもる自意識ばかりが成長を遂げ、そこで語れるだけの社会の一員として、因果な結末を生きることすら嬉嬉として立ち向かわなければ、そこで屈折し、批判者として悲観するだけの日常を生きるほどに汚されるだけに至るのだ、と解毒剤を用い、懇意に迫るだけの安易な結合から、処される意味などは、今に配分されるだけの苦しみを漁るだけの貪婪な者として従える意識の奴隷として生きることだけがしあわせと名付けられたものをむさぼる忘我の獣として、或いは、鈍麻な感情を引きずり、何かに影響を与えられなければ、感じられぬのが、この人間という入れ物であるし、ここで隷属するほどに安心するのが本能的なものが脳内で働き、何かに狙われていた過去からの影響を施す恐怖から逃げ出せるわけであるし、今に虐げられているからといって何かのしあわせに足かせを嵌めることだけが正しいことではなく、正しいからといって強制するのでは、権力者と何ら変わらず、ここに用いられる苦しみを理解して始めて、何かと交わることもできるが史跡すらも踏みにじり、自ら生み出すものだけが本質を作るのであろうし、ここに現れる死を乗り越える純粋な意志だけが、愛するということを始めて始めてみようとする決意を含み、多様化され、対等さを謳い、用いられる平等が生み出す等位から差別化が進み、苦しみにも多様性が生まれ、対等を用い、何かを平等へと戻そうとする企みにより、枠組みが生まれ、そこではみ出すものを疎外させるような結末に至るような自然の摂理たる弱肉強食を用い、狂信的に迫る意味から、正義は偽装され、今にあされるだけの真実が君を苛むであろうし、ここで促されるものを老子的に流動できずに、ここで緩慢に作用するものに感化され、流動することだけが正しいとされる流行的な捕食から、諦観を生み出すだけのペシミズムが生み出す悲劇の子として、あらゆる創造性を排除し、虐げられる忘我の身体に結末を塗りたくり、安易に塗り替え、書き換えられるだけのエゴイズムを加速させた快楽だけの傀儡として、勇ましい結末を迎えるよりも、ここで闘わずに、死ぬことを選ぶことも然りと言い放つほうが嘘っぽいし、ここに奉納されるものなどは、効能を誤り、何かを痛めつけるだけに利用する麻酔薬であるし、或いは麻痺させるための毒にしかならぬような言葉が誤りを引きずるわけだしで、忙しく動き回る苦悩は、今に嵌まる罠の意味を知っておきながら、知ったままに従う快楽に震えるような超絶なマゾヒストばかりが徘徊する原野に原案とされるものなどなく、そこに物語るものなどは、どれだけ裕福で、そこで幾らもらうかにより、ここに関わる意味は違っていくことだけが、文明が生み出した力であるし、ここで唯一とされている以上のものを知りたく私は学問に溶け込み隠遁していくだけに陰らぬ精神は燃えたぎり、ここに永続的に汎用されるように、どこにも影も形も残さずにすぐさま消え去り隠れるほどに自らが鋭く光り、そこで屈折した鈍色の結末を照らす一筋の光りであるのだ、とうそぶきながらも結末に輝く一瞬の光りとは美しいものであることを知るような尊ぶ意識が統合されずに、自由に分離し、そこに体系を生まずに、産まれたままをよろこぶような素直さだけが、今を切り開くような強度を高めることだけが、生きていることなどを求めるよりも、自由を求め、自由に戸惑うよりも、絶望感にひれ伏すよりも、今に苦しむよりも、ここによりよいものを生み出そうともがくよりも、力を抜いてありのままであるのも違うし、ここで高まる限りにどんなものであろうと受け入れるようが受け入れまいが、自ら生み出すものだけが真実だ、と言えるまで永遠に続けることだけが、ここでの基礎になる。
2017年3月30日木曜日
均衡
今まで虐げられた文明的な対価から、用いられる偏見に苛立つ両者の対立から、退廃的なモジュールをつなげ、いくばくかの可能性をほどこすだけのイデオロギーを掲げ、権利を主張するだけの宗教的な狂騒へと入り組んだ意識は、陰鬱な衝動を重ね、訪問する意思に反し、ここに現れるものをことごとく裏切ることだけに精通していき、逸脱し続ける限りに現れるものに毒され、制される間に性差を生み、苛まれる記憶に臆するだけの過程や、デカダンな時折にひずむ悠遠へと導かれるだけの怯えた精神は、献身的な加護を受けるべく、祈りを続け、そこに現れる幻想を愛することを幸福と思う限りに、幸福とは克服されずに永続されるが、そこに現れる意思的な幸福とは本質的なものであり、その場で捉える多幸感は、自らを制さずに解き放ち、確かな愛に変換され、放たれる意思は、そこで監視されずに、自らの意志を信仰のために注ぐだけの力を蓄え、物事の硬質をとろかし、ここに現れるものを信仰的に昇華させることだけが、物事の本質を知る手立てに変わるのだ、と思い込む力だけが絶対的な力であり、そこに生み出される信じる心とは、通わす意味に緩衝を終え、互いを許すことから始めることにより、何かに寄りかからずに、偏る限りに陰る真実も、全体主義的なものに汚されずに、純粋な信じる心だけが、真実を掴むのである、と思う限りにたぎる信仰は大義を用い、用いられるものに支払われる代償である死をも超越し、そこにこしらえられる永遠だけが、すべてと統合を終え、信条こそが、正常なものであり、そこに現れる信仰的な清潔感だけが世界を確かなものに変化させ、そこに現れる苦痛をも昇華させ、そこで消費されるだけの資本的な売買のしあわせよりも、そこで買い取られるだけの義務に専念するよりも、自らの信仰を正し、そこで清く祈ることだけが世界を清潔なものに保つと信じることだけが、「しあわせを膨張させ、そこに現れる差異に反し、ここに現れるものだけを自らの意志と同化させ、確かなもののように演じることにより、自らを愛するということを知り、そこにこしらえられたものがたとえにせものであっても、そこで信じたものだけが、真実を語るのである」と宣言する辺りから、神的なものが描く真実との合致を終え、自らを信仰の度合いが強化され、そこで強固になった意思がレジスタンスに変わり、狂信的なものがテロリズムに移行する限りに純粋な信仰とは、義務に捕らえられ、そこで描かれる真実だけが、唯一の幸福へと誘うのだ、と宣言されることにより、自らを喪失し、純粋な真理はやがて、もうろうとしていき、逸脱する限りに陰る本質は、真実を損ない、そこに現れる苦痛を昇華させるために変換される偏見を生み出し、何かを憎むことから、純粋さを損ない、そこに生み出されるべき愛すらも損ない、何かを憎むことから、愛とは芽生えるのだ、と専横する意識的な洗脳から、譫妄へと至る互いに迫るカタトニーから、快楽を受容し、意味の傀儡として言葉狩りを続けるパノプティコンの中心に立つ中央集権的なまがい物の貪婪な獣として好き嫌いせずに食い散らすだけの契合された獣が描く真実により、ファシズムは加速し、そこに原理的な苦悩を生み出し、そこであらがうほどに苦しみとは増すらしい、と虐げられる間に信仰とは強化され、そこに用いられる苦痛から逃げ出すためだけに多面との闘争を続け、伝わる意思的な還元から、緩慢に作用する動機が物事を左右させ、信仰的な許しを得るべく、物事をえぐるためだけに信仰とは扱われ、何かの権利を奪うためだけに用いられる嫌疑から、倦厭され続ける間に値を用い、採算を合わせるためだけにあてがわれる互いに緩慢に作用する幸福を超えられぬ限り、ここに生み出される価値を散財する者といて、意味のないものばかりを追いかけることだけに専念するのが、幸福である、という誤りに気付かずに、既読されるだけの運命として、傍観し続けるだけに惰性な価値を追従することだけが唯一の幸福として問いかけることも知らずに、そこで監視し続け、批判的に『毎日を終える』ことだけが定理であると勘違いをほどき、おどけているようで実は、怯えているだけに過ぎず、そこに現れる恐怖から逃げ、何かにあらがうことを知らぬから、何かを監視し、何かを批判することだけが、自らの恐怖をごまかすことで安心感を得るような安易で簡易なものを積み上げるほどに、罪の意識は倍増し、今に拗れる意図から、意味的な肥満を続け動けぬようになるまでを傍観し続けるだけの自らをも乖離させたような理解では、今にあらがうこともできずに、悲観することでしか、今を判断できずに、闘争へと至らずに統合を謳うことで、自らの正常さを正当なものに変えることが正常などと謳われていることに過ぎずぬなら、皆が皆何かの精神的な病であり、そこに生み出される物事との距離を埋めることだけに専念するのが生命の役目だ、と幼稚に宣言する間に生まれる誰かとの間隔に嵌め込まれるだけの正しさが、正しさであるならば、今に生まれるものなどは依然として幼稚なものであり、以前から備わる意味などは、無意味なものを今に敷衍させ、既得権を守るためだけに摩耗されるのが、私たちの役目なのだ、と押しつけられ、抑圧され続ける間に生まれる抵抗こそが、純粋な意思であろうし、そこに信仰すらも用いずに、現れる原理にあらがうことだけが、真実へと至る道であるし、そこに現れるものを批判し続け、昇華し続けることが、批判の役割であるし、ここに現れるものなどは、ほとんどにせものであるし、ここで語られるものも、すぐさま飛び越えられるべきである。
2017年3月29日水曜日
完全な昇華
重なり合う衝動は、青春を象徴としていく。現れる衝動が意識を戦乱へと巻き込み、乖離していく意識は、意味もつかめずに、脳内で背反し続ける正気のリズムから離れ、今に徒労を重ねる。私たちは、何度も絶望を超えて、ここに退くだけの運命に抵抗し、告発を続け、酷薄な現在に進行していく意味に傷つきながら、簡単に処理されるだけの毎日にひずむ今が関係性すらも持たずに、ただ離れていくだけに至り、間隔を生み出し、今に悲観するほどに補填される苦しみばかりが増すから、たまには忘れるために多面になびく成因にもとづくものなどを葬り、やがて青春すらも消え去り、現時点に残るのは、宦官どもが生み出す訂正されるだけの現実に促される意味に即されるだけの苦悩に同行し、横暴に入り込む利得ばかりを求めるだけの僅差から換算されるだけの人間性や、そこに制度を生み出すほどに、私たちは無残に負けるためだけに産み落とされた資本主義的な機械なのだ、とつなぐ今から逃げ出すべく、悟ることすらもなく、ここにかかずらうだけの今に欺瞞を吐き出し、緩慢に措置される今に起源を残すだけの権限だけが、犠牲的に誘うだけの緩慢な作用から、散々な現在に退き、さえぎられるだけに至る今に起算されるものなどが改ざんを繰り返し、私たちが生み出す意味などが危難を生み出し、空疎な理由を吐き出しながら、しなびた記憶を流用するだけのシナプスが興奮と抑制を司るエロスをくすぐり、ここに生み出されるものなどは、宇宙規模で考えれば何の意味も成さぬようで、ここに現れるものすべてが今に交わり、今に始まることを考えれば、ここに備わる私こそが、宇宙のはじまりに交わり、今に追われては、終わるだけであっても、今に抵抗を加え、この空疎な争いの中で転じて行く意味に悲観する暇もなく、今に倒錯しても尚、今に注がれる情熱だけが、意味を飛び越え、ここに現れる意味すらも超越し、今に現れるものにあらがうほどに、この意味との狭間に現れる言葉などに精査され、果敢に挑むことすら忘れ、今に移送されるだけに移行していく苦しみとの狭間で量子的な希望を生み、現れる言葉などは、所詮は人間が人間を押さえ込むための毒されたものであるし、ここに現れるものなどは、今に作用せずに、ただ勘違いを生み、簡単に正気を失わせるための言葉であるし、この場に作用するものなどは、今に名ばかりを裁くだけに至り、たゆたう狭間にあいまいな私情を持ちこみ、散漫な意識は、今に未熟なものを措置し、動機を損ない、そこかしこで何かを恨むだけに至り、互いをとがめるだけの幼稚な倒錯から、操作されるだけに至るような人間として、指定される義務へと追いやられる機械論的な論難から、感傷的な敵意を向けるだけの思春期の迎合から、経路すらも損ない、そこで痙攣するだけの経験を積むべきだ、とつくづく迫る悠遠に潜む空疎な閃きから、貸与し続ける意味に虐げられ、この場で敷衍するものなどは、不健康なままで、奇跡を待つだけの退嬰的な人間として、即座に理由を損ない、そこかしこに苦痛を生み出し、鬱々としていくだけに歴史観に苛まれ、今に生み出される欺瞞と共に倒錯するだけの現在に希望すらも損ない、失われた意味を追い続けるだけの惰性な人間として性悪説に転じ、ほどこされる名に拘束され、気負うばかりで、そこに答えすら残せずに、現れる答えにあらがうほどに、今に現れる苦しみは倍増し、今に現れた苦しみにばかりに目が行き、行き違う意味と自らの距離に苦しむばかりで、何が正しいのかも見出せずに、ただ苦しむことだけに専念していき、重なり合う空虚感は、映じる運命に吐血を繰り返し、吐瀉される文明的なうねりを用い、逸脱していく先で対立を繰り返し、大義を用いずに、大利を謳い、動機を散漫にさせ、奪い合うだけの価値に惰性なものを生み、今に意味の中で性差を生み、逆撫でされるだけの憮然とした記憶が臆するほどに枢要なものすら損ない、そこに行いを正すという正しさの中で示唆され、達観するだけに互いをとがめるだけの惰性な私欲に結ばれるだけの関連性に連動していく劣悪な状態に陥るだけの衝動性から、証拠も残さずに消え去るのが、この運命にもとづく定理に引き戻されるだけのもうろうとした現在に主体性を用い、死を応用し、今に苦しむことだけが、人生をよりよいものに変えるのだ、という金言こそ失せるべきであるし、ここに現れる苦しみを次々に昇華させるのが、この生きているという感覚に還元されるだけの創造的な操作であるし、ここに現れる狡猾なものや、枯渇するほどに、機械的に至るような動作から、淘汰されるだけの幻にまとわりつくのが自らであるし、ここで見つからぬものなどは、探しても見つかるはずもなく、ここに交わるものだけが、正しさを示唆し、勝手気ままに流動し、誘導されずに、自らの意志だけで突きぬけることだけが、持ち合わせる答えに合わせることもなく、ここにあらがうものだけが、その場での正しさを飛び越え、ここに現れるものにあらがい続ける意思だけが、何かに示唆されずに、ここに現れるものだけを愛し始めることだけに心ない何かが攻め入っても尚、ここに逸楽を与え、果たす意味などはなくとも、自らであることをよろこぶことだけが、答えであるし、ここに出来合のもので操作されるだけに課せられた意味に支配されるだけで、人間的なものに陥り、人間であることだけが、正しいことにように抑え付けるほどに、人間らしさなどは損なわれるわけであるし、そこで分け距てるだけに至り、食い込む位置的な意味に支配されるほどに、芝居じみた毎日を地味に演じるだけに終えるような生き方が人間らしいというならば、それは機械的なものであり、快活な動機すらも何かに潤滑油を注がれ、あたかも循環的に受難に立ち向かい、同情を飛び越え、人間らしさを取り戻そうとするほどに、何かに支配され、保持する意味にほじくり返されるだけに至る。
2017年3月28日火曜日
ルサンチマン
訪問するものが背負う無意味さに虐げられ、断続する痛みに耐えかねずに、記憶の奥底でたぎる意味合いから、結末に退く由縁に敷衍していく場面に転換していく意識的な終わりや、疲憊する影を整合させるだけの意思的な結末に頓挫するだけの思春期の経路や、そこで契合されるだけの物事に兌換されるだけの形あるものの悲劇に交わる瞬間に悔悟をため込み、互いを恨むことでしか判明しない愛などにもとづくエゴから、永続的に関係に継続していくものが、次々に償いを求め、与えられる罰に関与することでしか問題を解消できずに、今に現れる痛みや、複製されるだけの真実が生み出すエゴなどが、今に緩衝できずに塞ぎ込み、すべてを憎むことでしか何かを表現できないような人間を生み出すことでしか、デリカシーを解消できずに、今に関与する苦しみから、利己的なものを生み出し、そこに与えられる刑罰だけが、人間性にもとづく制度の下で、何かを支払う義務に感化されるだけの制度などに膠着し、そこで負債を抱え、最たる意味を損ない、そこに屈従することでしか何かを判断できずに、独創的なものを損ない、そこで怯えるだけに終えるような瞬間に迫る苦悩や今に服従するだけの幼稚な枠組みや、体制的なものにはびこる由縁を凌げずに、今に広がる意味に囲われ、自らの意志を喪失し、外から加えられる力にだけ関与し、感覚を損ない、そこで踏みつけられる快楽に溺れるだけのマゾヒズムに転嫁していく。かかずらう意識は、徴用されることでしか死を乗り越えることもできずに、今に難癖を付け、つくづくに生まれる疑問に馳せるものが、今に横暴なものを突きつけ、君を脅迫し続けることだけに専念するだろうし、ここに現れるものなどは、結末を押しつけ、抑え付けるだけに至るようなものを唱え、今に苦悩ばかりを溜め込み、互いをとがめるだけに至るような結末に滑落していくだけであるし、そこに用いられるしこりを取り除けずに苦しむだけに転移していくものが膨脹していき、自らを奪うまでに至り、いたわることを知らずに、自らに課せる意識的な罪に関与し続ける先に償いを求め、卑劣な者が企てる惰性なものに支配され、軽薄な者として、同じような動機を持つ顛末になびく位置的な恨みを媒介し、関与するほどに怒りを保持し、何かを恨むことでしか、意外性を持つ事もできずに、今に食い違う自分との距離に苦しみ、そこに虚偽を生み続け、何かを騙すことでしか、正しさを捉えられずに、唱えられることにないがしろにされる精神に形容されるものだけを信じ込むような人間として、指定される意味にもとづく答えだけを真実として捉える虚偽の者として、背くほどにスキームの中で欠乏していく意識的な哀れみを謳うだけの幽霊として生きるだけの結末に弾ける余韻から、有する行程をたどるほどに恋する思いが貪婪なものを抱え、何かを用いる者しか愛せないような人間などは、人間ではなく、餓鬼であるし、何かをむさぼり、食い尽くすまでは、自らを正当なものに変換もできないような中身もない平衡性を求めるだけの怪物として、感傷的な演技を続け、綴る意識に否定的な観念を蔓延させるのだ、と差別的な経過を用い、景観を汚すだけの意思を擁護するだけの保守的な私情に補完されるだけの憎悪が、ここでも活躍し、かいがいしく無差別に入り込むだけの他者の私情が、今を浪費させ、老化させるだけに至るような悪趣味な企みから、専横を極める現在に心象などは、誰かに与えられる印象を、あたかも自分で定義づけ、その場に存在するかのように見せつけるだけの虚栄から、映じるものなどは、孤独に妨げられ、今に虚空を生み出し、故郷を失いさまようのだ、と妥当な者が惰性な意識を吐き出すほどに、その場での屈従関係を強化させ、監視し合う先に生み出されるパノプティコンの中で寂寥たるたるみを生み出し、絶え間ない苦しみの中で住まいを失い、さまようジプシーとして、際限無い苦しみの中で強要されるだけの強迫的な観念に狭い価値を生み出されるだけに、互いを監視することだけを強化させ、共感するほどに、互いの中で保持されるものなどは、邪魔になるだけで、用いられる言葉もまやかしであるし、ここに居座るだけの価値などは、誰かに与えられた影響を演じるだけであるし、ここに用いられる答えも、互いをとがめるだけの理想に変わり、空疎なものへと変化し、今に感覚を損なわせ、感じることすら不潔なことであると抑圧され続ける精神が反撥し続け、攻め入られるものに反抗し続けるほどに、システム的に雇用され、高揚感を損ない、そこに与えられ続ける苦しみだけに導かれ、満ち足りぬから、と裏切る続ける先に思考停止に陥り、操られることでしか本質にも至らぬような貧相な価値を用い、関係性に彩られる正しさなどに示唆されるほどに、誰かの意思決定だけに判断されるものに屈従し、自らが導き出す答えすらも見出せずに、見くびるほどに、身構えるだけの私情は、真相解明できずに、利己的な理想に左右され、軋轢を生み出し些細なことで生み出される闘争が仕組む罠に嵌まり、自らを退屈なものに変換していくだけに形あるものの犠牲で終わり、今に従えるものなどは、物事の真実などは見出せずに、導かれる先々で対立を続け、そこに生み出される惰性な戒律から、懐疑的な日常に狭い価値を生み出し、求められる値から、誰かが生み出す苦悩を吸い込むだけの無関心な掃除機として、あらゆる原理にたずさえられる精巧な意味すら用いぬ過去からの過ちを引きずるやましい記憶から、敬うことすらできずに、ここに用いられる答えにいらつくほどに、補填される苦しみはやがて怒りに変わり、偏執し続ける先に生み出される狂信に共鳴し続ける運動的なプロセスは、過激なものに陥り、個人的な破壊から、全体性の破壊へと移行し、行為にもとづくエゴを加速させ、自らを保つためだけに破壊し続けることで得られる快楽を加速させ、今に求められる現時点などは、互いに用いられる点と線を踏みにじり、求められる距離から生み出される行為が引きずるだけの迎合を生み出し、行動するほどに、自らを抑圧させ、外から用いられる力に反する力が生み出され、何かに破壊される前に、自らが何かを破壊する行為に移行していく。
2017年3月27日月曜日
過ち
何も見えずとも歩くのが人間なのだよ、と促す先に現れるだけの幻想的な記号の群れが反射的に執り行う義務感に苛まれ、記憶に臆するだけの私情を挟み込み、混同する意識が受理するものや、そこに生み出される水域などは、何かを愚かにするだけの指数や思想を生み、運命論的な論難や、約束事に秘めた裏切るだけの衝動が、精神的な緩慢さをカルマの責任にし、転換され続ける間に生まれる間隔に嵌め込まれる思いが、破壊的な心理を生み出し、倒錯し続ける精神的な素因から、阻まれるだけの現時点へと統合され続ける間に生まれる変化は、懸隔を生み出し、最たる意味すら見出せずに、ここから逸脱し続ける先に都合の良いものへと変化する間に生まれる空疎なものへと矯正され、権力的なものをかぶり、過敏な精神を掲げ、簡単に処理されるのが人間であり、そこで関わるものなどは、教義を押しつけ、快楽的なものを摩耗させ、毎日に生み出される寂寞や、苦悩をこじらせ、心地よいものなどもなくなり、ここに現れる善意的なものに荒らされるだけの精神は、果敢に挑もうとするほどに、自らの空虚さに耐えかねずに、人間として何かを認識するほどにそこで保持する名前などとの軋轢を重ね、懐疑的な日常に補完され続ける苦しみだけを繰り上げ、自らの苦しみだけが、唯一の救いを生み出すのだ、と惰性に施された域から転じて行く空疎な悲劇が緩衝できずに、自らの苦しみにより、抑制され続ける先に生まれるのが、世界の破滅であるなどと宣言するような幼稚な企みの枠内で屠られるだけのペシミストたちに夜明けを越え、のぼり続ける朝との昇華を迎えるべく、ベクトルは、恨むことに原理を用いず、ここに現れるものをそのままに食すのが、マナーであるのだ、と淫靡な結末に有する過程に捕食されるだけの独善的な哀れみで何かを優雅に屠るような連中が示す尺度などに囚われるほどに、補填される苦しみは倍増し、空間を汚すだけに至ることに用いられる時間から抜け出せずに、自由をまとうほどに、連中が保持する理由へと搬送され、反逆者は疎外されるだけの運命なのだ、と堕落した論理を掲げ、論証されることだけが、あたかも世界を形成し、そこに答えを生み出すほどに保持される権力を尻目に、倦厭するだけの大衆に別れを告げ、ここに現れる人間としてもとづくものなどは、迎合されることだけが真実のように騙られ、散漫な意識に入り込む利得などが、価値などを謳い、悪態をつきながら、罵るだけの過程が演技的なものを続け、犠牲的な精神こそが、良いものを作り上げるなどと宣言するような幼稚な企みから、そこに枠組みを生み出し、はみ出す者を位置づけるだけの善悪で解消されるだけの正しさなどは、どこから正しいと定義され、そこに正しさを押しつけ、罪の意識により意識を抑圧させ、逆らわぬことだけを求めるような正義などは、悪を位置づけ、そこに逆らうものを悪として捉えることだけに専念することから解放されずに、そこで監視し続けるだけに至るような意識的なパノプティコンの中で忍び足で隠れながら、背反を続ける意識的なゲートウェイを通過し続ける先に煩忙を極める代理母たちの憂鬱の中で信仰心を掻き乱すような幼児退行的な混淆から、はびこる悪意は散漫な意識を乗っ取るべく、そこで正しいとされ、意思を虐げるものなどが論題を綴り、意識的にまがい物を生み出し、過激な思想をたずさえ、忿怒へと至らせるようなことから、侮蔑され続けるだけの要理に迫る自らの価値にカタストロフを生み出すだけの倒錯から、等差を生み出し、そこに間隔ばかりを生み出し、何かを奪うためだけに攻め入るだけの悪趣味な搾取にアクセスし続けるだけの数理にもとづくエゴから、迎合されるだけの観念が恒久的な悔悟を放ち、毒性を蓄え、生じる由縁を突き刺すために迫る黒い影から逃げ出すべく、自らの考えがあらわになり、担う意識などは、今を阻むだけに至り、体系的に携帯する位置的な何かを背負うほどに、何かを親身に感じずに、敢行されるだけのものをあたかも自分のもののように背負うような義務的な緩衝から、反照し続ける意思に迫る犠牲的な精神にもとづくエゴから、安易な協調性を生じさせるだけの些細な闘争から、倒錯し続ける先に生まれる狭小な意思が何も受け入れられずに右傾化し、或いは、何かに反するためだけに交錯し、そこに生み出される悲劇とは、たずさえる信仰の欠如である、と制する辺りから、過激な思想は生まれ、何かを保つためだけに守ることを強制するような利己的な現れだけが、存在を誇張し、高尚へと誘うのだ、と支配的な形式から、何かを加工することだけが、何かを正すことに至らせるのだ、と促すような教育から離れ、自らをプロパガンダで仮想させるような世界だけが、世界として認識することの限界である、と制する辺りから、政治的な伴侶が、君を攪拌させ、何が正義か?と促したことすら忘れ、何かに反し、邪推し、何かを虐げることでしか、正しさも見出せないような差異からの背反を行えずに、ここに反する意識とは、何かに汎用されることに反することもできずに、何かに横柄に迫り、形あるものに詐欺的な行為に従事するだけに『終える』ような価値などは、応益に反する行為であり、そこに応じる過程から、価値などを用い、何かを従わせるだけに横柄に迫るような価値などを打ち倒すこともできずに、問題を見間違えるから、私もいつまでたっても人間的な位置にとどまり、そこに押しつけられる問題を命題のように取り間違え、自らの誤りに気付かずに、規制される自己に自らが虐げられ、そこで抑圧されるほどに与え続けられる罰が何かを背負うように強制しながら、自らを抑圧し続ける先に現れるのは、サドとマゾの関係性が用いる絶対的な正しさだけが示す精神的な潤いだけが、応用される原理にすら反し、高揚感を託すだけの、この関係性だけが、敢行されるものにすら反し、ここに現れかかずらうものに応用される以前に、ここで雇用されるほどに誇示するものが今に使命感を与え、命じられるほどに高まる意識は、さらなる快感を呼び込み、そこで終わらぬ高揚感が永続することだけが、正しさをおぼえさせ、そこで横暴に支配されることだけが、世界を正しいものとして強制的に認識させるような関係性に陥るだけの堕落した観念が経過する意識の景観を汚し、擁護されるだけの関連性から、従える自らを契合させるように用いられる快楽だけが、今に全能感を与え、今に従うことだけが、唯一の快楽である、と示す辺りから、自らとは喪失され、何かと同化し、同調することだけが、快楽を呼び、さらなる快感を増すように仕向けるような脳内の働きだけが、今を十全なものに変えるかのように麻痺させる。
2017年3月26日日曜日
指定される前の自己
汚された身体を抱え、私たちは、後退しないように、もたらされる自由を論理に突き刺すだけのシステム的な身近な優劣に支配されずに、多目的な情報に司るだけの短絡的な需要と供給という補完から逃れ、耽溺するほどに快楽とはすり減り、求める欲のほうが増し、自らを崩壊させるだけに至り、はじめは解放を求め、そこに疲れた心身を没入させ、没落していくだけに終える応じる意識は隷従するほどに、意識の奴隷として、あらゆるものの獲物として、自らを放置し、今に統治されるだけに至り、いたわるべき症状も、損なわれるだけの精神におおいかぶさるだけの憎しみとの統合から、刹那に有する過程は、快活な動機を損ない、そこかしこで恨み辛みを述べるだけの理想から、了承されない身体は、認識不足である、と宣言され、その場で置いて行かれるだけに至り、何かと統合することだけを目的に、精神は正常さをもたらし、権力的な支配に至らせるべく、何かの言うことをよく聞くためだけに正常さを用い、何かを利己的に加工し、生産的に生み出される同じような人間が、似たようなものを愛するように仕向けるような情報に譲与されるものなどは、普通でもなく、同じように差し向けるほうが、よっぽど狂気的であり、そこに興じるものなどは、誰かの利得のためだけに自らを喪失しては、自らより弱い立場のものを疎外させるためだけに自らを権力的に崇めるだけの自己顕示欲や、暗示するほどに、安易に力を巻き込み、自らを破壊するだけに至るような構造的な快楽から、傀儡として生きることだけが、この本質に立ち向かうための逃げ道に変わり、ためらわずに生み出されるまやかしのシーンに断続する苦悩や、自らの空白を埋めるためだけのリベラルな衝動が今に権利を叫び、実体のないものを愛するような余韻や、因果にひしめく時間をも超えられぬ空間的な箱の中で摩擦を繰り返し、その内部で行われる義務的なものに統合され、盗用されるだけの意識は、誰かの情報をまとい、自らに譲歩するものだけを取り入れ、自らを利己的なものに変えるためだけに精神的な凶状にひしめくあいまいな理想を強調するほどに、補填される憎悪がひしめき、今に排斥される理由は今に恐れを成し、自らに形成される罪の意識に査定されるだけの軽薄な交換から、形骸化し続ける先に生まれる安易な想像から、劣悪なままに加工された意識は、誰かと似たようなものを愛するほどに、自らを知らずに、何かに促されるままに生きることだけが、定理や定説であり、今に生じる由縁などに補足されるものが今に傲岸不遜なものを生み出し、交換される意味に去りゆく今に犀利なものなどなく、何かをとがめるためだけにためらわずに倒錯させるだけの等位から、投影されるものは、物質と物質の間で汎用され、同じようなものを恒久的に氾濫させ、汎用されるまやかしから、しなびるだけの虚栄の意識を掲げ、今を磔にし、自らを憎しみながら、その槍で突き刺すのだ、と大衆に促されるままに自らの正解すらゆがめ、そこに現れる権威だけに娶られるだけの儀式的な悲劇の花嫁として、自らを弱者のための犠牲的な補完を繰り返すシステム的な多幸感へと送り込まれるだけの同情的な加工を執り行われ、誰もが同じようなもので悲しむことだけが摂理へと導くのだ、という支配的なプログラミングから離れ、一切は統治されずに成長を遂げ、そこに聖地などを生み出さずに、自らを決めつけるような閉塞的な場所へと加工されずに、自らが宿ること以外に何ら意味を持たずに、ただ現れるものを、そのままに愛することだけが、利権などを打ち倒し、自らに宿すことだけが、統合などを謳わずに、今に現れるものを、そのままに受け取り、受け入れることから、世界からの孤立を用いるだけの権利的な欺瞞を超越し、今に現れる不満足などが生み出す不可抗力に抵抗を続ける一人の自由さを持たず正義からの保身すらも受け取らぬ強者として、そこに勝敗を義務的に用いるだけの機械的な善悪に和むことなく、ここに現れる答えに抗う正しさだけが、短絡的なアナーキズムに陥らず、ましてや思想などに左右されずに、ここに現れるものの中庸すらも無視して、そこに現れる枢要な観点などが、転換させるためだけの幻であるし、そこに現れる独善的な言葉に圧縮された大衆的な狂気が扇動する全体主義の夜から、衆愚が生み出す傀儡政治的な販路を拡張するだけの義務的なギミックから、偽装されるだけの真理をまとった神の再来から、再販されるだけの意識は、今に恍惚感を求め、淫売な犠牲心を孕み、関与するほどに、汎用されることに導かれ、見くびるだけに至らせるような間隔に感化されるだけの形容から、形跡は踏みにじられ、今に未熟な精神を放逐させ、追放されるだけの精神は、今に批判的な欺瞞を持ち出し、権力への闘争へと至る先に現れるのは、同じ意味を反復させ、何かを支配するためだけに情報を操作し、皆の不満を引っかき回し、攪拌しては、自らの権利のためだけに扇動を繰り返すアジテーターとして生きることしかできぬようなアカデミックなものを掲げ、自らを象徴的なものにし、答えをすり替えることでしか、満足できないような快楽主義的な死へと追いやられるだけの殺風景な意識に察知すべき観点すらも何かに左右されているだけに至り、そこに現れるファシズムに自らを奪われ、理性を損ない、そこかしこに暴力的なものを措置し、配置される意味に居場所を求めるほどに、位置的なまやかしに引き取られる憎悪を加速させ、自らに枷を嵌め、意味を反復させることを知らぬから、同じようなことに悩むのではなく、そこですぐさま忘れることだけに専念するから、すぐ何かに左右され、騙され奪われるだけに至るのであるし、そこに現れるものなどは、本質が何かも知らずに、今に現れるものを純粋に表現しているだけであり、そこに何の裏表もなければ、そこに措置される理由などは、何かを象徴的なものに変え、掲げられたものを崇めるためだけにためらわずに何かを騙すことでしか、答えも導けないような輩が生み出す闘争などは悲劇しか生み出さず、今に現れる苦しみばかりを演じ、自らを悲劇的な者に変えることでしか、表現もできないようなもので今をデコレーションしていくだけにくだらない意識が今を買い取り、利己的なものを次々と表現し、自らを道化的に成長させる。
2017年3月25日土曜日
コズミックな真理
星から派生したダイナミズムを重ね、論理的な思考がとがめるだけの現前に備わる量子的なものに適任していくほどに、プリミティブな観念を放ち、原生に備わる理由が流動的に刹那を攻め入り、時間の外に出られずに、宇宙的な希望を徘徊する原野に引きずられる精神が、正否を促し、貪婪なものを抱え、重なる理由に良俗なものを求めるほどに狂気を膨脹させ、不老不死を促す単細胞的な論証を切り開くような解剖をほどこされる無知な君の接合から、観念に疎外されるだけの乖離していく主体を傲岸不遜に傍観するだけの覇者のような気持ちで、呼吸すらも忘れるような恋の容易な行為のさまたげによる記念日へと加速していくような揺籃からの記憶に惑わされる心音に囲われ、「ここに現れ残るものなどは」遠くへとさまたげられ、些細な思いを切り取りながら、機関的なものに関わり、今に悶絶するような意識的な境目に邂逅することだけを目的とした主体に関わりながら、重なる記憶の重たさに酩酊し、明晰な判断すらできずに、今に蓄積する苦悩へと当該するものに退嬰的になるような体系的な身体にほどこされる情報が快楽を促すほどに、意識的な傀儡として何かを恨むためだけにためらわずに分娩台に乗り、憎むことだけに専念するようなシステムの母として君臨するのであるだろうし、そこにダレた彼らの枯れた精神至上主義的なアニミズムを掲げ、加算される原理を枢要なものとして手っ取り早く崇拝しては、信仰心を高めるほどに、その信仰とは嘘っぽくなるのであり、そこに生み出されるアナクロニズムに吸い込まれるだけの明晰な精神が具現化されない意識に加工されるだけの品位を掲げ、性悪説などを用い、快楽や力を否定することから偏りは生み出され、利用される悪が、正義をいっそう良いものとして掲げるほどに、正義とは、偏った理想を用い思想を利用し、意識の領土を奪うだけであり、そこにもたらされるナショナリズムなどは、過激な意思を掲げ、自らの意志に従わずに、大義を用い、自らを利己的な機械へと変化させ、偏執し続ける意識的なまやかしや、躍動する精神に同化するだけの一切の経過が背負うだけの理由が利己的なものを重ね、緩衝する先々で対象とする苦しみや、空疎な理由を掲げ、感触すらも損ない、そこに背負わされる義務ばかりが、蛮声を張り上げ、簡単に処理されるだけの便利な意思として便宜的なものを吐き出し、破壊的なものに従属するだけのルサンチマンとして、指定される義務から、権利を謳うだけの退廃的な獣として、或いは、意識の中での置物として、自らを傍観する乖離した精神の覇者として、壊れた感情をかき集め、自らの爪で傷つけ汚すだけの化け物として、或いは、自らの傷にすら気付かずに、その場で朽ち果てるだけに促される懺悔を掲げ、そこに現れる汚穢を背負いながら、生命的な起源に迫る原理的な私情から、肖像を打ち倒すほどのほろ苦い思い出を抱えた呪いの歌を促す街路樹たちの記憶の奥底にアクセスし、君が恨むものなどは、所詮は誰かに生み出された惰性な幻であるし、そこに原理として掲げられるものなどは、今に魯鈍にさせるための枷を嵌め、論難を浴びせ、他者を苦しめるためだけにとがめるような理由を吐き出すだけに携帯する理由を掲げ、加算される理由は、不正なものを用い、モチーフとされる価値を用い、君を意味の中で苦しめるだけに至るし、そこからエクソダスしていくものが、俯瞰を汚し、君の空間的な理想の領域に良俗なものを求めるほどに、外から現れる穢れのようなものを儀式的に浄化させることだけを目的に、そこでうそぶく婚姻の道具として、愛を知らぬ、ただ気配だけの恐れから逃げるためだけの婚姻の道具として、出来合の偶像と遭遇するだけの相互しない自己からの逃避のためだけの統合を謳う正常さの道具として、そこで偶像崇拝されるか、死へと送り込まれるだけの甘美な対象の偶然の道具として、ためらわずに使われる義務的な自己嫌悪に現れる自己との軋轢に迫る動機の道具として、今に苦しむための偶像との統合を終え、そこにこしらえられる自らを測るための尺度として扱われることだけに専念するのが、生活なのだ、と諦観するだけに至るような幼稚な企みから、互いをとがめるための理想から、良識などないから、ここでコンピューターにばかり頼るのであり、アンニュイな夜に依存するためだけに何かを検索するのであり、ここに現れるまやかしを処理するためだけに情報に酔うのであるし、ここでかかずらうためだけに、情報とは存在し、「そこで否定する」ためだけに、君は存在を賭けた戦いなどを謳い、用いられるものを補完する星と星との距離を知らずに、浸透する意識に互換されるものだけが、悟性を踏み台に、今を斡旋することを知らずに、そこにこしらえられるものだけが正義であり、そこで衆愚に変わるだけに至るような言葉だけが、真実を語るのです、と傀儡が騙るような道理を信心し、そこに現れるものだけが世界を破滅に追いやるのだ、と促すような正解などは、世界を正しいものに変えるわけもなく、私が正しいのだから、君も正しいのであり、君が正しいのだから、私も正しいのであろうし、そこに教わるものなどは、お粗末なものに変わるし、そこで流用されるものなどが、あたかも真実のように示すような間に綻ぶ意味などは、今に滅ぶだけだろうし、ここで役に立たぬものが躍動し、ここで粗末に扱われるような私が容易に示すようなものが、何かの値になる以前に、ここで果たすような価値や、孕むような意味に今も苦しめられても尚、そこで正しいと思うものだけが、正しくあろうと専念し、あらゆる原理を飛び越え、そこで怯えることなく、私は、私である限りに寝そべり、優雅に思考を動かす間に距離すらなく、時間が空間が空疎な理由を用い、意味の中の落ち度ばかりに目を向けるほどに、そこで補填される自らの苦しみに、自らが苦しむだけに至り、浸る意味から避難する君に非難を浴びせることすら無駄なことであるし、そこに無駄とされるものなどは、誰かが促した恐怖に怯えた本能が生み出した戸惑いに満たず、そこに現れる苦しみなどは、理不尽に君を支配するだけの権限などを率いた権力的な思考から生み出された惰性な論理であるし、そこに制裁を加えるだけの国家的な欺瞞を膨脹させ、宇宙的なニヒリズムを侵食させるだけの戸惑いに変わり、そこで苦悩を徘徊するだけの煩悩を膨脹させ、宇宙規模にまで膨らむあいまいなものをこしらえるだけの独善的な振る舞いばかりが強要され、そこで同調されるものだけが正解のように扱われるものに反するための歌をためらわずに掻き鳴らす画期的で勝手気ままな魔法が懶惰なものを打ち倒し、そこに生み出される希望的観測すらも飛び越えるような十全とした希望だけが、この場に希望を産み出し続け、「ただ飛び越えろ」と私は、私に語りかけるの、だ。
2017年3月24日金曜日
ほほえみ
あいまいな感情はマインドという宇宙空間をさまよい、その場に静寂を生み出し、寂寞に包まれる観念は婉然ととろけ、熱情するふんいきに明晰なものを生み出し、幼稚な理論や、齟齬する過程に生まれるだけの分裂的な衝動や、証拠も残さずに、この空間からの離別を繰り返す人間的な終わりから、汚穢を溜め込むだけの言葉から生じる無情な時折に軋む身体が、物事との由縁から放たれ、何かを考えられずに、考えさせられる愚かさに気付かず限りに、人間とは、人間の中での等差にもがき苦しむのであり、そこに神を用い、何かを引き合いにしては、自らを恨むだけに終えるような兌換から、課せられる価値に危害を加えられるだけに終えるのだ、と妥当な位置から引き出す意味が卑近なものに変わり、悲観するだけに至らせるような悲劇的な倒錯から、散漫な意識に現れる物事との間隔から、歓喜を生み出すべき今に至ることごとくは、過ちにばかり目がいき、暴くべきことには目を背け、存在自体を素材に変えるだけに至るような調教を受け、自らを苛む者から逃げ惑うだけに至るような妥当な生き方だけが、物事の本質に迫るものだ、と謳うような構造に迫る由縁が宇宙的な詩を促し、創造的な叢生から最たるものを覆う原理的な意思に隔離されるほどに、有する言動に未熟なものを相似させ、制されるだけに至るような間に生まれる疎外されるだけの意思は、自らの孤独に耐えかねずに、この場に現れる距離に恨み辛みを促し、互いを責め立てるだけに至るようなセンチメンタルな意味から、緻密な栄養を引き取り、悲観するだけに癒えない意思を抱え、かかずらうだけに至るような現在に貧寒なものを生み出し、問題に膠着し、不安定なままでも自由に飛べるのであり、飛ばずとも、アスファルトの上でも自由に操作されなければ、自らの意志だけで決定し、動作するものだけが、本質を突きぬけ、自らに課せられた意味や、かぶせられた罪や意味に反し、ここに現れるものなどは、与えられたものであり、それに操作され、動作するようでは、自らとは損なわれ、そこかしこに生み出される影響とは、何かを利用し、君の意思を奪うことだけが、純粋な意思決定なのだ、と促すようなファシストどもがうごめく道理から、寂寥たるものを吐き出す白昼夢の語源に隠された麻痺させるための魔法や、咆哮を続けるほどに、自らの声とは、自らには聞こえず、誰かに叫ぶほどに、自らとの間隔は広がり、そこでむしばまれるだけの精神は、自ら生み出したものに食いつくされ、何かの代用として、何かの間に現れては、自らの意志を喪失し、そこに現れる力だけに流されるだけに終え、自らの役目を果たす云云と騙るだけの欺瞞を重ね、快活な動機も損ない、そこに不満足を促すほどに、苦悩が促進し、浸食される心象は、精神に歪みを与え、猥雑なものを抱え、重なる意味に本質を奪われ、損ない続ける意思は、そこかしこで不安定に動作し、統合されるほどに、行き違う意思は、嘘の涙を流し、誰かを騙すだけに至るような恋愛的なゲームの中で、構造的な修羅を歩く誇大妄想を抱える幽霊どもとの会話を続け、そこに用いられるバイタリティーが苦しみを生み出し、物事を踏み台にしながら、しなびた意識が、薙ぎ倒されたままに構築される罪の意識や、理論的な屈従から、従属することだけが、この場での意味を生み出し、今に居場所を与え、そこに存在することを認識させるような理論ゲームの中での等差を生み出すだけの言葉の綾の中で、姑息なものを用い、狡猾なものだけが、この世界に準じるためのものを持ち、何かを跳躍し、調節する者であるなどと促すだけの怠惰な論理に高尚さもなく、ただ現れるものに対処するだけの退屈なまやかしを用い、物事を騙すことだけに専念するようなセンテンスが支配する物事の骨格が腐り出し、崩れ去るのを傍観する者の隠された悪意から、あいまいな毎日に退くだけの優美な転換から、対価を求め、値するものに相対し、大概に果てるだけの由縁や、互いをとどめるだけに至る理想や、帰巣する現在に展開していくシーンに現れる優美なものが放たれ、誘引されるだけの意味や意思の中でカタルシスを促し、場面場面で背負わされる義務こそが、空疎なものを生み出し、今を奪い合うだけに至るような専横から、戦争を生み出し、意思を踏み台にし、産まれてから意味もなく背負わされる善悪が改悪する間に、国籍などを与えられ、無意味な教育から、意思を踏みにじられ、物事の本質などは見抜くほどに、生きにくくなるのだ、と何かを憎むだけの大人になるのだ、と惰性なものを背負い、欺瞞を重ね、浸る意味から、居続ける苦しみに耐えかねずに、そこにねじ伏せられるほどに、互いを苦しめるだけの理想を掲げ、物事の接点を引き離し、羽交い締めにされるだけの自我から離れられずに、その場でむしばまれるだけの心身を傍観するだけの離別した自己から、孤立し続けるだけの安易な接続から、促されるだけの者として、とがめられるだけの苛立つ物質として、疎外されるだけの人間からの惜別を重ね、被害者意識を重ね、おおいかぶさる痛みとは、他者から与えられた痛みであり、今に悲観し、関する間に生まれる意識とは、他者から絶えず与えられた影響により、増していくものである、と語るような者が生み出した文言などになびかずに、私は、私であることだけを謳歌する。
2017年3月23日木曜日
叫ぶ
潜在的に埋め込まれたものが獰猛にうごめく。選択させられたものに動かされることに及ぼす快楽だけが、意味を受注し、正義を生産し、今に制限を生む。即座に抑圧された精神は、意味を遮断できず、迫る意味に利用されるほどにほどこされる意味を追求できずに、与えられたイメージを、そのままに受け入れ、打診することもできずに、迫るモラルが作り出す身近な摂理や規律が用いる判断だけが、正解に導くものである、と宣言する間にほどこされる意味などは、何かを支配し、左右させるためだけの思想を生み出し、思考停止に陥り、何かに反することだけが、答えを引き出すのだ、と妥当な位置から引き出される貨幣や紙幣を用い、快楽を買い取ることだけが、幸福への近道だ、と促すのだ。そこに現れる間隔に嵌め込まれるだけの妥当な意味から引き立たせられる普遍的な互換から、悔悟をため込み、未熟な快楽に触れなければ、穢れるなどと促す宗教的な補完から、保身に至り、自らを保護するのが、本能であり、今に芝居を続け、何かを騙すことだけが、しあわせを独占することなのだ、と女性的な還元から、男根的な支配へと需要だけを求め、そこに堕落したものを生み出すだけの一切の穢れを昇華させるための宗教に保存されるだけの価値を求めるだけの快楽の傀儡として、改悪されたものを愛することだけが、互いを知る方法だ、と惰性な意味をくみ取る正義は導かれる悪に翻弄され、資本主義的な衆愚として、システムの中での餓鬼として、何かをむさぼることに怯えるような恐怖が課せるジレンマに反せずに、ただ不安に導かれ、自らの未熟さに居場所を損ない、喪失感に漂う星の思いも、今に逸するだけの感情に服従し、従事することだけが、正解へと移行し、行為にもとづくエゴを疎外させ、屈従することだけが、物事の本質に迫り、今の生活を保つことだけが、真理であり、あらゆる理由は平伏するほどに増していく快楽により、同一化だけを目指し、統合された正常な精神こそが、誠実な意志を作り出すなどと促すような正常さこそ、異常なのであるし、やがて誰もが滑落するだけに終えるような生き方に示されるだけの尺度などは、自らの物差しで測ることには至らず、そこに現れる懸隔に示されるだけの区域に及ぼされる換金されるだけの自由に要するだけの罪や罰やらが、今に桎梏を与え、有する価値へとカスタムされるだけに意味の番犬として、よく吠えるの、だと惰性な位置からプログラミングされた価値を漁るだけの悪趣味な搾取者として、権力側に荷担するなどと促すような革命などは、幼児退行した意識下に示される父への反抗的なまがい物に敵意を剥き出しにし、引き出される憎悪の子として虚空をもがき、破壊だけに従事し、自らに産み出される純粋な破壊的な意志だけが、大義を見出し、破壊することだけに従事し、政権を奪ったところで、同じような過ちを容易に引き出し、あたかも変わったように示し、もっと悪い独裁制へととろくさく陥るだけに示される過程に求められる世界などは、自らの偏りを戻すためだけに、ためらわずに、何かを犠牲にすることだけに専念するような意思などは、思想に汚されていることを清め祓うべく、互いを倒錯させ、現れる幻想に支配されるだけに至るような操作を生み出し、意味を踏み台にし、今に現れる苦しみを憎むことでしか、自らを昇華できずに、創造性もなく、ただ仇討ちのためだけに、生きることなどは、白昼夢をさまようようなものであり、そこに現れる問いなどは、自らの破壊的な意思を癒やすためだけに存在するような幼児的な反抗心にしか至らず、そこに現れる怒りなどに抗うためだけに世界とは存在するのではなく、そこに現れる世界を正解として認識するに至らず、ただ自らの気配を感じたく、存在を認識しようと思えば思うほどに、存在とはあやふやなものであり、今に認識しようとしても、即座に存在とは消え去り、軽薄なものを信心し、信じ込むほどに、自らとの距離は生まれ、乖離していくだけに終えるようなものに生まれる空白を埋めるべく、誰かに愛してほしいのだ、と欲するほどに、自らの欲が君との距離を生むであろうし、そこに用いられる距離が、君との融合を求めるほどに、互いが示す距離にほどこされる空虚なものに閉め出され、互いを知ろうとすればするほどに、互いの距離を埋めようと悶えるほどに、互いの距離とは生まれるが、そこに距離を用いることにより、距離とは生まれることに誰もが気づけずぬから、何かを愛することを測ることでしか、相知ることはできないということに陥ることに気づかずに、今に現れる距離などは、自らの認識が生み出す空虚な苦しみに過ぎず、そこに現れる苦しみなどは他者が与えたものではなく、自らが生み出した苦しみがたゆみを与え、そのたゆみを戻そうとすればするほに、うまくはいかず、今に現れたたゆみなどは、自らが生んだたゆみであるからして、そのたゆみを認識すればするほど、たゆんだものを意識し、自らのたゆみばかりが目につき、苦しむことだけに移行していくのであり、そこに認識するものは、悪い方にばかり意識は移行し、そこかしこに域を生み出し、今に至る苦しみとは、誰かが与えたものだ、という被害者意識に至り、自らの痛みを和らげようとする自己保存の意識が、自らを守るためだけに、何かを恨むように移行していき、何かを恨むことだけが、自らを正しく動作させるのだ、と本能的にプログラミングされたものに反してこそ、はじめて人間を飛び越え、名ばかりのものを信用せずに、自らの力で位置的なものを飛び越え、今に等差を生み、倒錯へと至らせ、今に浸る欲望などは、誰かに与えられた餌に満たないのだ、と大声で叫ぶ。
2017年3月22日水曜日
掻痒
孤独な羽音をふるわせ、飛躍を遂げるすがすがしい朝に従えるものもなければ、今に隷属し、隷従するだけに至るようなものもなく、今に孤立する思いが、比率などを捨て、対象とするものを放棄した後に広がる存在だけが、優雅に瞬間を閉じ込め、途端につかまえる意味が、あつらえられたようなものに覆われ、記憶を書き換えられるだけに至るような短絡的な思いを抱え、抵抗し続けるほどに、自らを苦しめても尚、そこに現れる現実とは、現実味もなければ、損なうような意味ばかりを浪費し、瞬間に拗れるだけに至るし、至らぬままに放置された思いが因果に飲まれ、おのおのの時間に消費されるだけに至り、時間の外に出られずに、時間の中でしか測られぬようなものが、今を覆い尽くし、苦しみを敷衍させ、些細な出来事にも傷つくような君の可憐さとは、愚鈍とも言えるし、感じるほどに、鈍くなようなものなどは、感じるに至らずに、今に苦しみを思うことだけが、正しいことのように示すような態度や、今に拗れるほどに体制の中に閉じこもり、そこでの苦しみを謳歌するだけに至るような思いなどは捨てる以前に、用いるべきではなく、持たされた義務にもたらされた苦しみを帰巣させるだけの場所としての存在の不確かさに苦しむほどに、自らの住まいをとは失われ、自分を探すなどという幻想をつかもうとすればするほどに、自らとはすれ違うものであるし、自らとは探すものにあらず、元から備わったものであるし、そこに現れるものが物陰に隠れ、物事に消費されるだけの関係が感性を失い、貪婪なものや、鈍磨なものへと引き裂かれていくようなジレンマから飛び立つべく、帰巣する場所などは求めずに、元々に備わるものなどは、今を阻めるだけに至り、今に与えられる苦しみにあてがわれるような理想を追い求める限りに、求めるものへと隷属し、自らの苦しむに屈するだけに至り、そこに現れる不安に食い尽くされるだけに至るし、そこに現れるものとの対立を深め、そこに現れる軋轢を終え、対比することとは、自らに枷を嵌め、狭い世界でしか、正解を見出せずに、モラルがなんだと放つ間に生まれる差異や、そこに生まれる背反や、はびこる悪意などに従属するだけの不謹慎な夜の波動が快楽を促し、死する間に失速していく時間とのたわむれや、誘う隙間に優位さを求める等差とは、そこでの差額を埋めるための闘争を続ける限りに幸福を求めるばかりで楽しむことを忘れるのであり、何かを買おうと必死に追い求める間を楽しまずに、そこに現れる回答だけに揺らぐような聖地に偽装された真理を元手に、何かを破壊するための口実をつくり、今をまさぐる真理が偶像を生み出し、偶然を装い、君を捕らえるだけに至るであろうし、ここで浪費するだけの観念がタオイズムを持たずに、戦いに明け暮れるほどに、魯鈍なものへと変化していくことが進化なのだ、と促すような幼稚な主義に理想はなく、自らの思想に食い尽くされ、空腹が続き、自らを癒やすための闘争へと陥り、理想を追い求めるほどに、何かを認めることを忘れ、否定することだけが、自分への釈明に変わり、そこに続く言い分けがましいプロセスをプログラミングされ、プロパガンダを自らに促し、脳内で再生されるものだけが、真実を語るのではなく、騙すのであり、そこで貶されていく精神は、蔑むほどに明晰な判断を行えずに、濁った意識は、今に敷居を作り出し、何かを受け入れぬことだけが、自らの価値のように思えるような色魔として生きることでしか自らの快楽を癒やせずに、最たる意味も見出せずに、何かを批判し続けることだけが、生きがいなのだ、と促すような寂れた意識に捧げるべき理想などはなく、理想などは希望に至らずに、何かを羨み嫉妬心に悶え、寂寞に耐えかねずに、自らを忙しく働かせ、自らを騒がしいものに投下し、加算される意味に追い込みながら、自らが苦しむことでしか自らを感じられずに、そこであらがうことを知らぬから、孤独であることを恐れ、今に襲いかかる苦しみに押し込まれ、自らを抑圧し続ける限りに陰る本質や、悪魔的な世界に配信される苦しみを利己的に遡及させ、窮乏し続ける限りに生まれる救済を求めるような弱気や、そこに生まれる同情の精神などが配信するものに背徳を促すべく、与えられた義務などは、今に苦しみを与えるための義務であり、そこに現れる意味などは、君を排斥するための意味であり、そこで苦しむことだけをプログラミングされたような生き方に競う価値が生まれ、そこで身もだえし続けるだけでは何も知り得ずに、そこから抜け出すこともできぬし、そこで求め続けるだけの貪婪な人生などに姿勢すらもないから、そこで膠着するだけに至り、自らを疎外するような結果に至り、誤ったマルクシズムを抱え夢想することでしか自らを癒やせぬような者が生み出す想定などは、創造性を欠いたものであるし、想像し続ける限りに物事は真実へと変化し、変換される意味などは、完治しない苦悩を癒やすためのツールにもならずに、そこでルールを作り上げ、理想を供給するフリをして、何かを搾取するような悪趣味な観念が生み出すパラダイムを破壊し、リリカルなままに歌い上げるような創造性だけが映じるものを素敵に昇華させ、写実的に語るものだけが、カタルシスへと誘い、今を解体し、互いをとがめるような理想こそを捨て去る。
2017年3月21日火曜日
群像の先で幼気なもの
書いた瞬間に私の存在は曖昧になり、すぐさま私の存在などを定義するものは無くなり、存在自体は消えて無くなる。何かを行動した後にも、何かを残す理由すら無く、今が不潔に交わり、一切の意味を喪失する。何かを欲するとたんに意欲は消え去り、そこに残るのは、抑圧され、欲しがるほどにもがくだけの意欲が自らと乖離し、欲しがる理由すら見失い、今に苦しむだけに至る困窮などは、自らが生み出すだけの機会に過ぎない。そこに満たそうとする意識が存在する限り、欲望に手懐けられ、自らを喪失する。金=鬱屈という答えの中で垂涎する過程が、卑劣なものを生み出し、生きる、というまやかしの中で、自らを循環させ、暗鬱としたものを生産し続ける。恋の予感だけが、生命を高揚させ、関与する意味の密度が膨張し、そこに善悪を用い、意思に枷をはめる以前に、結ばれる確かさだけを強調し、確かな愛だけを押し広げていく。妨げるものを持たぬ愛は、物事の確かさを感じるよりも、自らの正しさだけを認識していく。死を匂わせるデザインと、生を検閲する意思が合わさり、ただ反するだけでは終えずに、明確な目標を用い、正しいものを謳わずに、自らに帰す。すべてを止揚したところで、すべては、まぼろしに終わる。ただ生まれる第三の位置により、計画は頓挫し、短絡的な破壊へと至る。革命とは、そのような危うさに気付かずに、自らを滅ぼすためのホロコーストなどを引き起こし、逆らう者すべてを、処刑に至らせる。啓発するものなどは、啓蒙には至らず、自分の利益だけを考え、自らを高めたふりをする。理屈をこねるだけを続け、自らを熱病に至らせ、酩酊し、強制的に高揚させられ、欲しがる快楽だけに動かされる人間ばかりを生産する。法とは、何かの暴走を止め、自由を守るためのツールであり、ルールでは無い。あるのは、純粋な理性であり、何かに制限を与え、自由を奪うための権利を用い、何かを抑圧し、抑止するためのツールでない。群像の先で澱んだものを浄化させるべく、続ける呪詛などは、短絡的な支配からの脱兎をもくろむような正攻法のツールには至らず、その場で至らぬものを消費し続けることだけが、確かな答えへと導くのである、などと促すだけの自らの閉塞感を癒やすだけの空疎な金言を放つだけに終わり、自らに溜まり込む汚穢や、そこで泥酔するだけに至るような出来合のもので世界に枷を嵌め、その場で生まれるものを膠着させ、同化させるだけに至らせるような言葉に入り込む偽の感情や、偽の表情などが、表現を奪い、理解を滞らせ、ここに膠着し、硬化していくことだけが、唯一の正解に導くのだ、という欺瞞にさえぎられ、些細なものからあふれる憎悪が、路頭に迷わせ、毎日に雑音を与え、何も聞こえなくするのが目的であるようなプロパガンダが意味に欠如を与え、物事の確かさを測る尺度を用いるほどに、物事に距離を与え、離れ過ぎたり、近づき過ぎたりして、確かなものも見出せずに、今に悶絶していき、指定される義務だけが、物事を理解することだ、などと促すような言葉こそ、まやかしである。ここに居座るものが攻め入り、リズムを乱すだけに至るような統合を目指し、堕落した観念を関係性に突きつけ、あらゆる論理で疎外させるだけに至らせるような制限を生み、雇用されるほどに未熟な身体は、魯鈍なものへと変化し、投影されるものに押しつけられる痛みや、退廃的なものや異物感などを抱え、寂寞に浪費されるだけの軽薄な意味を遂行するほどに、観点は喪失され、査定されるだけに意思が先々で奪われるだけに浸るだけに至るような現在にいたわれることや報われることばかりを求めるほどに、しあわせとは、名ばかりのものに変わるし、言葉や名に示され、閉め出されるだけに至るような怠惰なものが寂寥感を吐き出し、破壊的なものに妨げられるだけに至るような現在に間隔を生み出し、空白からはみ出してく自己が、利己的なものを備え、遭難するだけに至るような現在に利用されるだけに浸るような意味から、ちぐはぐなものを吐き出し、受理していく哀れみが、自らを矯正し、意思も損なわれ、操作されるだけに至る。滑落する思いは、追憶を這い、攻め入る理由に固執するだけの論理的な遭難から、衝動性を蓄え、宇宙的な強要や、宇宙の中で亡骸と化すまで閉塞感に至り、自らを倒錯させるだけに至るような値を生み出すだけの退廃的な価値になすり付けられる痛みが攻め入り、制限を生むほどに反撥していく精神は、行き違いを生み、出会いや別れの中で喪失感ばかりを蓄え、孤独に利用されるだけに至るような現在に顕示欲ばかりが目立ち、満ち足りない思いを創出していくことだけが、真実なのだ、と現在にひしめく理由は、今を閉め出し、意味もない闘争へと浸るだけに攻撃的なものを持ち出し、譲与されるものだけが満足感を生み、簡易なものに何かを変換していくだけに体系的なものに備わる価値に寄りかかり、自らの意志を損ない、孤立していく感性は、安易なものを神として崇め、設立される意味を復元していくほどに、そこに生み出される意思を奪うだけに至るような定理にもとづくエゴや、行為にひしめく罪悪感などは、安易な性悪説を騙り、調教されるだけに意思は、何かに従うことにより、虐げられることを目的に快楽を重用し、逸する先に報酬が生まれることだけに欲望の速度は増し、今に攻め入る理由が、理屈を飲み込み、自らが生み出す理由を踏み台にしては、妨げられる精神は、今に膠着し、自らが産み出すべき理由も、疎外させられるだけに至らせるような軽薄な定理にもとづくものよりも、自らが生み出す理由により、自らを偏らせるだけに至るようなものが、自らを孤立させ、孤独感などを強調し、ルサンチマンなどに変化し、偏執し続ける先に生み出される悲劇を誇張しては、何かを妨げるだけに至らせるような倒錯や、等位を生み出し、そこかしこにエゴを生み出し、吐き散らされる怒号に包まれ、慎ましやかなものすら破棄され、快活な動機も損なわれ、残るものは、今に惜別するものや、シーンに断続する残像のような愛の残り香や、残り滓を集めるような毎日の労働に高揚感すらなくなり、恒常的に感覚を喪失するだけの悲しみが敷衍し、混同していく意識的な敷居や、四季に織り込まれる意識的な関与や、途端に快癒していくような感覚に陥り、あたかも正しいものを、正しいもののように崇める先に生み出される罪により、自らを毒するだけに終えるような徒労から、途端に陥る苦しみに利用されるだけの不安感を往復させ、幸福などを謳うころには、自らの幸福などは、その場に何も残さずに、ただ心残りを用い、今を恨むだけに終える。
2017年3月20日月曜日
葛藤
私は私だけを信じているし、逸脱し続ける先に生み出される最たる意味だけが、今を緻密なものに変えるのだ、と妥当なものを引き出す安易な偏りから、自らとは閉め出され、今に孤立するだけに『終える』などと簡単に処理しては、終わりを謳うだけの閉塞感から産出され続けるのが『偏り』であるし、そこに対価を用い、役柄を与え、相互依存的に転嫁していく痛みが互いの恐怖をまさぐり、新たな快楽に関与し、強調される痛みだけが、生きていることを実感させるのだ、と惰性なものが生み出す意識的なまやかしに麻痺していくだけの意思的な脆弱さに境目を生み出し、浸る痛みに適任していくものだけを正確なものである、と宣言するような幼稚な企みから、貸与する感情に同行するだけのセンチメンタルなものにもとづくエゴが行為に巻き付き、意味を不自由なものに変えるほどに、自らの偏執は加速し、何かを恨むことや、批判することだけが、世界を正解に変えるのだ、という意識こそが、すべてを破壊し、何かを正そうとするほどに、何かを汚すだけに至り、自らが正しいのだ、と信じている先に生まれるあいまいな位置から、引き取る意味が今に膠着を生み、すがるだけの意思は、今に希望を損ない、喪失感に酔いしれ、自らから逸脱できずに、位置的な苦しみに相互互換され続けるものだけが、正解を生み出すのだ、と促すほどに、自らとの間隔は生まれ、戻れぬような距離にまで広がり続け、乖離していく自己に境目を生み出し、差異などを当てこするだけに至らせるような、自らに別れを告げ、新たな自己を生み出し、過去から引きずり、強要されるものから離れるほどに、誰かが謳うような自由などに左右されず、誰にも作用されぬことこそが、自由であるのだ、という安易な観念すらも飛び越え、何かにすがり、楽しむのも自由であるし、何かを利用し、とがめてまでも楽しむことも自由であるのだ、と資本主義的なまやかしを生み出し、衆愚へと誘うだけの論理的な虚偽を生み出し続ける観念を軽蔑したとて、自らが生み出したやましいものを疎外させられずに、ただ幼稚に搾取されるような界隈から奪われるだけの観念云云と叫んだところで、今に浸るだけの意味に偏るだけの独善的なものや、偽善的なものが集約させる約束からは、逃れられない。
2017年3月19日日曜日
芸術性をかき乱す焦燥感
静謐な予言を繰り返す鳥たちが描く時代的な憂鬱に偏執していくだけの抵抗を描く退嬰的な者として、何かの名残を安易に引き継ぐだけの幼い心に変化を求めるだけに怠惰な大人として偏執するだけの影を背負い、欺瞞を促し、偏向し続ける限りにたぎるものが、すべてを破壊し尽くす限りに生み出される時代的な閉塞感などに帰巣していくファシズムの影や、変容を遂げる限りに自らの影を背負い、利己的なものを挿入し、根源を燃やし尽くすような父権的なものが、権力を用い、安易な支配へと至り、欲望を引き継ぎ、自らの快楽のためにためらわずに支配を加速させ、何かに枷を嵌め、世界をいじることのよろこびへと歪み、何かを自覚する以前に芝居を続け、自らを追い込み、カタルシスにも至れず、迫る痛みに改ざんされ続けるだけの他者を介した快楽を受注し続ける生産者として一生を苦しみで覆うだけの過程から、抵抗を加えるべく、ベクトルは、母なる愛を背負い、巨大な欺瞞を取り払うべく、嘘の涙を使うのだ、と妥当な位置から引き取る同情や、うそぶく人間が用いた神を引き継ぎ、続々と迫る憎悪と友達になりながら、担うものを履き違える辺りから憎しみは加速し、仮想する苦しみを多目的に連動させ、現前に迫る傲岸不遜な精神が不規則に迫り、狭い価値に押し込まれるだけに抑圧される精神は、敬神に至り、機械的なものへと陥り、問いの中で高次なものを求めるほどに、止めどなくあふれるものが、問題に軋轢を与え、たゆたう私情が永遠性に悶え、暗鬱としたものを自らの奥底で溜め込み、互いをとがめるだけに至るようなものを補完し続け、伝わるものを綴る限りに絶え間ない痛みがセンチメンタリズムを継続させ、後続する意識は、構造的なものに支配され、制圧されるだけの精神は、怠惰なものを加工しながら、断続する痛みの卑劣な拘束から、恒常的な苦しみにさえぎられるだけの幼稚なギミックから、偽装されるだけの精神は、不安定なままであるし、やがて滑落するだけの自らの幼稚な理想に供給されるだけの苦しみだけに回帰するのだ、と陥る先に現れる恐怖から逃れるべく精神分析や哲学は高尚なものを用い、利己的な自己を疎外させるためだけにデータを生み出すのであるし、理解を得るよりも、ここに開示されるものに反する限りに、人間をも超えて、自らに示され、閉め出されるだけに至るようなデータに反し、関する間に生まれる愛が退廃的なものを用い、自らを裏切るだけに至るような惰性な倒錯から、対価を求めるだけに、用いられる理由に理屈を捏ね、自らを正義のように仕立て上げるだけに惰性なものを拍動させ、迫害され続ける先々で得るべき理想も、競争に巻き込まれ、自らを萎縮させるだけに至るだけだし、惰性な制圧から繰り広げられる不安の音が反響し、病を加速させるような変則的なジャズが脳内を徘徊し、破壊される原理にもとづく遠因から引き取るだけの破壊的な理想に協調する事だけが、世界を正解に持ち込むのだ、と妥当な意味を吐き出すだけの世界的な憂鬱から、悠遠にとろける気丈な意識も、統合されるほどに魯鈍な世界に巻き込まれ、自らをとどめるだけに至り、ドメスティックなものと一体化し、感覚を麻痺させるような善悪から、徒労をかさねるほどに、統合される悲しみを敷衍させるセレナーデが愛する者に伝わる前に挫折するのが資本主義的なものであるのだ、と闘争へと巻き込むような幼稚な革命は、意識に邪悪なものを持たせ、攻撃性をいじるよろこびだけに敷衍していく行動から、アニミズムを加速させ、自堕落な自己に存在理由や、利用されるだけの価値や、代価を生み出す限りに、自らとは価値が備わった者だ、などと促すだけの資本主義的な優劣から、優越感を引き出すだけの衆愚の一員として、因果をさまよい、欠落していく意識の区域に食い込む限りに陰る本質は、苦みを帯び、理想は供給されるほどに罪の意識を背負わせ、その場に止まらせ、落胆するだけに至らせるような倒錯から、錯雑とした観念は、関係に制度を生み、その場で屈従させることだけを目的に、互いを恨むべきだ、と惰性な支配から、達観すべく、すべては、衝動だけを用い、欲そのものに支配される以前に、欲のためだけに動くのであるし、そこに生まれる理屈などは、幼稚なものを重ね、破壊するためだけに制度を用い、物事を膠着させるだけに戦争は生まれるわけであるし、ここで要約すべき事実もすぐさま消え去るわけであるし、、惑溺するだけに終えるような人生の短さに水増しされるような理由を補填し続けるだけの生きた値などは、今に化石に変わるし、やがて、制圧され、制約を持たされ、何かを儀式的に昇華させることだけが、唯一の救いを与えるのだ、と妥当な芝居を続ける限りに陰る精神に肉迫するものが、虐げられても尚、自らの理想のためだけにためらわずに闘うことの美しさに勝るものはなく、そこに現れる闘争心が憎悪を掲げても尚、そこに迫る美しさのために徒労を重ね、何かを捨てるという意識を掲げる以前に、ここに確約されるものに反してでも、立ち向かう純粋な『意思』だけが、唯一正しさも掲げずに、自らの意志だけを従え、大義を用い、理想に供給され続ける情熱だけで、情念を加速させ、今に立ち向かう美しさだけに敷衍していくよろこびだけを加速させることに枷を嵌めるだけの自己すらも超越するような者であるべく、何かを並べずに立ち向かうことだけの美しさだけを藝術と呼ぶ。
2017年3月18日土曜日
ひるがえす者
退屈な日々をくぐり抜け、名前もない路地にぶつかり、衝動的なニュアンスが近付き、鈍間な感情を昇華させ、時折にひずむ優美な瞬間にくたびれた君の私情に司る痛みなどをまさぐり、偶像崇拝を続けるだけの図々しいエンジェルどもがひしめく老化するだけの体系的な身体を引きずり、退嬰的な魔物へと変化するだけの老後を引きずり、胎盤をかきむしる娘たちの症例を観測し、還元される有毒な日々にむしばまれるだけのヒロインどもの憂鬱の空疎さに、均等な意味などは、満ち足りないものが用いる価値を率いて、その価値だけに偏るような者の屁理屈である、と宣言する私は、いまだに正義がなんたるかを知らずに、透き通った毎日に一体感すら求めず、同化するだけの景色などは、形式上のものを掲げ、形而上的な判断でしか捉えられぬ観念的な倒錯であるし、やがて成立する物事も、現象の中で偏執するだけだし、出し抜けるほどに、代価を求めるだけの輩が婚姻などを謳うだけの前衛的なトタン屋根に登る猫たちの優劣に貧寒なものすらなくなるようなタイミングを用い、戻るも地獄と自堕落な観点を引きずり、無知な意味を引き取るだけの精悍さを奪い合うだけの青春から抜け出し、ニヒリズムに浸るだけの若気の至りや、ダリが描く本質を無視した超越的で哲学的な憂愁に悶える官能的な奉納の儀式ばかりが目につくから、邪推するほどに、ゾディアックはねじ曲げられ、天を眺めるほどに迷うのであり、殺伐とした世を形成するだけの論理的や、ロンリネスや、喪失感を重ね、加減も分からずに殴るような衝動から、継承されるものなどは、ろくなものではなく、物事の本質すら知らずに、何かを押しつけ抑圧へと至らせるような問いに対する答えを値にし、導く答えから引き取る宇宙的な言語よりも、原子にまでなびく裏切りの刹那にとどろく苦悩から能動的に機能するような主観に用いられる十全とした答え以外は、答えとは呼べずに、そこかしこにしばるだけに至るような値などは、資本主義的な立体感を授け、預かる領地の中で昇華できずに、同化するだけの道理から離別し、深層心理を壊しては、妨げられるだけの日々に微熱を捧げ、あいまいな毎日に迫るセンチメンタルな洪水から、行為に至るほどに、間違いを続けるだけの幼稚なブラックホールに細胞すらもバラバラにされ、理論上をさまよい、人間が生み出したベクトルを踏み台にし、圧縮される精神が嗄声を促し、観点を疎外させるようなジレンマから、差別的な行為にもとづく正攻法の行為にもとづくことこそが、エゴであるのだ、と惰性な位置から求められる答えとは、個体して対象を傍観することでしか、本質を捉えることもできずに、持ち上げられることを真実として捉え、途絶えぬように願うだけの人間にもとづく禊ぎから、観念的な軋轢を続け、伝わる意思に反撥し合う意識的な敵意から逃れるべく、君は想像と真理の間で多目的に誰かを責め上げるほどに増していく快楽を感じ、サディズムが加速し、下から君の素質や性質としてのサイコパスを発動させ、リンクする精神的な境域に狂気が生まれ、加速するサディズムと共に弔われぬ精神に手向けるべき憎悪の花や、はびこる悪意に捻転して行く卑屈な精神が敬神にもとづき、自らを神として崇める先に現れる偶像たる自己との対立を深めるほどに、狂気は加速し、自らを眺めるだけの傍観者として、離人症に陥り、応じるだけの答えに貧するだけの影をまとい、用いられる形に拉致され、恒久的に牢獄に入れられ監視されることによろこびを感じるまで数億年を数え、悲観するほどに食い込む時間から逃れられずに、不安ばかりを募らせ、恐怖に扇動され、用いられる苦しみにより、倫理観を奪われ、安易な答えに引きずられ、悲観するだけに至るような怒りを募らせ、秩序の中ではびこる位から引きずるだけの価値などにもとづくものだけが、世界の中での英知として崇められ、毎日の名残に響く無知な答えを引き取るだけの卑屈なものとして育つよりも、無知なままで笑い飛ばすような快速な者であるべく、用いられる抑圧になびかず、自らの価値だけが、世界を正解に導くのであり、自らの世界だけが、正解であるのだから、そこで羽交い締めにするのは、自分であるし、白白しく生み出される答えなどにもとづく世界などは、世界として名付けられただけのものであるし、ここに用いられる答えなどは、なあなあなものになり、担う意味に悲観するだけに至らせられ、支配されることこそが安心感に成り得るのだ、と妥当な判断から、たっとぶことすらできずに、自堕落に生活するほどに、魯鈍な者に陥るのだ、という罪の意識を引きずらせるだけの観念などは、与えられたものに過ぎず、そこに現れる空間に不快感を用いるだけの裏切りを続けるだけに満たないような汚い答えに対価を求め、引き出す値から支払われる義務のようなものに追われ、自らを狭い価値に閉じ込めるニヒリストどもが懺悔する街に汚穢ばかりが溜まり込み、立場を謳い、用いられる原理のモジュールとして備わるだけの体系的な家庭や、継続するほどに魯鈍なものへと変わり、快活な動機すら見出せずに、満ち足りないから、と何かを牛耳るか、裏切るかの二分化でしか物事を捉えられずに、途端に現れる閉塞感に耐えかねずに、だいたいのものとは、ここで支配されることだけを待ちわび、何かに逆らわないように恐怖感を植え付け、奪われるだけの心理が、仁徳などを促し、人為的なミスを繰り返し、人工的な痛みを重ね、意外性を用い、モチーフとされる苦しみに軋轢を重ね、快活な者すら居なくなり、いたわることすら忘れ去り、些細な痛みに起源を移し、互いをとがめるだけに至るような理想の中で理性すら損ない、整列するほどに、「その整列を乱すことに怯える」だけに至るような体系的な基礎や、空疎なものが未明の夜を制圧し、生活感などを用い、牽引される権利へと競合していくほどに、物事の密度は、強要されるものだけに物語るものだけで意味を屠り、現時点に備わる憎悪を増幅させ、何かを支配することで現れるよろこびだけを、よろこびだ、と促す妥当さの危うさだけが、衝動に変わり、利己的に物事を従え、虐げていく。
2017年3月17日金曜日
理解をも超えるもの
日中に羽化する起源が、どこに帰るのだろう?と野晒しの記憶を妨げるような量子的な観念が軽減されない痛みを独白し、完全性を求めるほどに魯鈍なものに成り代わるだけの現在に生まれる間隔や、阻まれるほどに燃えるのが愛なのだろう、と浪費するだけの観念が関係性に制度を生み出し、今に付着する苦悩や、納期される瞬間に気配は、習慣的なものや、希望的観測で着脹れし、均等な意味や、位置的な幻や、連動し、想起し続ける先に生まれるモラルなどが慟哭へと誘い、固執するほどに老化するのが、人間である、と宣言するような幼稚なギミックを乗り越えられずに、それが真理である、と悟ったような気分で居ることこそが愚かなものであるし、やがて滑落し、自らの理想などは、今に繰り上げられる苦しみと同化し、幼稚なものへと統合され、流動するほどに意思とはまやかしに変わり、緩和せずに、関する間に空虚さを流布し、一大勢力などに変わり、権力に牽引されるのが、人間の悲しみではあるが、そこに用いられる力に反せぬのが摂理ではあるのだ、と妥当な位置から引き出す意味を用い、モチーフとされる者を演じるだけの者に嫌気がさすし、清潔なものすら無く、魯鈍な者どもが引き連れる意味合いに悲観するだけの感傷的なまほろばに住まう哲学者に牽引され、領土を奪うだけに追われる位置的な苦しみが悲観し続ける間に生まれる溝ばかりが深まり、誰かを批判することでしかデリカシーを保てずに、自らの均衡すら保てずに、用いられる悲しみを利用するようなデカダン的な賞与を与えるボードレールの憂鬱極まるガイダンスが散漫な意識を懐疑的なもので染め上げ、おののくほどに苦悩を増していき、自らの域から出られずに、引きこもる先に生まれる苦しみが空虚さを媒介し、起因となる不安に奪われるだけのムンク的な不安を暗示し続ける限りに不安とはぬぐえずに、その場で仮死化し、貸し借りされながら、絵画の中で生きていき、世界とは、模写され、同じような貪婪さをまとい、自らを絵の中での一部の幻想や記号に変え、同じような色の中で流動しては、動機を奪われるだけの至り、貧する間に高揚するようなヘルダーリン的な詩の世界の中で、賭博を繰り返すようなさんざめく衝動が、タナトスと和解し、分離する意識との統合を目指すちぐはぐな意識は、詩世界の中で背反を繰り返し、利己的な主従関係を生み出すだけの力関係に計測される量子学的な展開から、爆砕される意思が宇宙空間を漂い、死しても尚、星との統合を辞めずに、宇宙との調和を目指し、死した後の物質が宇宙自体と交わり、同化することだけを目指すような同一化から、画期的な意思を手にし、憎しみを屠り、惜別に震える君の攪拌から、戸惑いは消え去り、些細な痛みを媒介するほどに、徘徊する意識は、痛みを体感し、背反し続けるほどに、カタトニーをほぐし、牽引する意味は、意思を飛び越え、今に現れる苦しみなどは、妥当なものを引き出し、そこに模倣されるものだけを生み出し、今に誇張される意味を物語の中で引きずり、多感な少女が描く病へと引き取られる意思は、卑近なものに引きずられずに、徒に消費されるだけに現れる差異に反照するものが、やがてぬくもりを授け、些細な痛みと同化し、マインドを奪うだけに至らせるような闘争から、淘汰されるだけに至る痛みから、いたわることすら忘れ、今に弊害を生み出すだけに吐瀉するものをかぶり、介する間に灰燼に帰するだけの身体のまやかしや、やかましく迫る過信や、懐疑的な日常に動作するものを傍観するほどに、関する災いは、地峡を引き裂き、引き合いに出されるまやかしを信じ込むだけの信仰から、言い伝えられたものを信じる純粋さの危うさに築かれた幻から、浪費されるだけの成否に遮断される精神を整合するだけに、領地を与えられ、その場だけが、自らの位置である、と宣言することから戦争の強度は増し、虚偽を生み出し、キュビズム的な誇張された部位を用い、誇張された部分に意識が行くように洗脳するようなプロパガンダが横行し、応じる答えに専横される意識は、用いられる答えだけを真実として捉え、そこに現れる弊害から、害する意識は、露骨な支配にすら気付かずに、与えられる影響を受け取るほどに、意識は籠城していき、何も受け入れずに、自らの判断だけが硬質なものを生み出し、何も受け入れないことから、自らとは確かなものを生み出し、今に散漫に現れる偏向するだけの意識的な汚穢を吐き出す限りに陰らぬ精神は、戸惑いをかき消し、今に生まれる不満や、瀰漫する苦悩に不満足を伝える限りに反映していく影を自らの区域に背負わせ、罪の意識を与えるだけの法に緩慢に作用するだけの痛みから緩和できずに、今に注がれる苦悩などは、誰かが促す価値が正しいものだ、と専横するほどに、価値とは、価値を損ない、「そこに値するものだけに固執するような答えを利用し」あらゆる根源を奪うだけに至るような倒錯を自分に生み出し、今に作用する苦悩だけで反復していくような答えにこそ反撥すべきであるし、すべては、今に欺瞞を用い、澱むだけに至るような管轄を生み出し、そこだけで権限が作用し、利用する者だけが、正解を扱えるのだ、と官僚的な偶像を生み出し、意味を踏み台にし、確かなものに枷を嵌め、世界を牛耳ることだけに専念するような力だけが、正義として捉えられ、途端に生み出される善悪に利用されるだけの人間を徘徊させ、傀儡へと変え、今に感覚を奪われ、麻痺したままにゾンビ化した者たちの暴力的な闘争に巻き込まれていく。
2017年3月16日木曜日
加護
描くこと以外は生きているとは言えず、この場を凌ぐために、描くことが、善悪をも超越し、自らをも翻し、与えられる影響や、関係性を持ち出し、意味に閉じ込めるだけに終えるような人工的なものに疎外されずに、虚空に浸り、固執するだけに終えるような退嬰的に映じる苦しみに補完されるだけの季節に封じられ、とがめられるだけに至るような現前に貧するだけの影をこしらえ、あいまいな自己から背反し、そこに備わる利己的なものに共鳴せずに、今に現れるものだけを世界として捉え、そこに認識する苦悩などは、どこか乖離したものをもたらし、用いられる苦しみに苛立ち、徒に消費する過程から、意味に欠落していくものが屈折を呼び覚まし、まざまざと見せつける幼稚さに離床しては、つまずく朝や、つまはじきにされているのだ、と屈辱感を感じ、空疎な日々に悲劇を生み出し、今を不安に変えるだけの枷を外し、世界から脱兎し、野晒しにされた感情にぬくもりを与えることだけが、私の役目であるし、そこにでたらめに生み出されたデータなどは、今を出来合のものに変え、代用品としての日々を生きることだけに昏倒するような今に疲憊していくだけの可能性を破壊し、悲嘆に暮れ、空疎な日々を歩むだけに至らせるような傀儡として、正義を謳い、犠牲者として、自らを崇め、そこで悲観するだけに至るような機械的な生き方などはできぬから、描くのであるし、ここに生まれる独善的な気配や、緊縛され、起爆するまでの数秒間に襲いかかる劣等感や挫折感などが座礁へと至らせ、暗礁に乗り上げ、能動的に生み出される創造的なものすら、敵愾心に苛まれ、屈辱を溜め込むほどに陥るジレンマが引き出す怒りに屈折していくほどに、補填される苦しみは、悲愁を漂い、ただ酔いしれることだけに専念し、物事の本質すら見出せずに、今を出し抜くことだけを考え、還元されるものだけが生み出す祝福を受け取ることだけが、祝福への近道だ、とうそぶく間に無謬な答えを引き出し、自らの意思だけが、世界を捉え、そこに現れるものが真実などでは無く、そこに屠られ、葬られるだけに至るような恐怖が迫り、そこにかいがいしく迫るようなものが悶え、惰性なものへと接続されるだけの観念が答えをねじ曲げ、自らこそが正しいのである、と過信する間にごまかし続ける意思は害され、解消されない苦しみに悶えるだけに終える。劇的な者であるべく、スタイルは変えずに、誰かに曲げられずに、健気に動作する。用いられる苦しみなどは所詮、誰かが持ち込んだものであり、自らを苦しめる理由にならない。重たい頭を引きずり、お目当のものすら不必要であり、叫ぶほどに枯れた声でも、誰かに届くであろうと信じるほどに、自らの強度は増していく。
自らを詰まらせる閉塞感などに疎外されずに、世界を愛したいものだが、難しくからまり、関わるほどに正解は捻じ曲げられ、苦しみに消費される現在に、間隔を生み出し、束縛されては、今の苦しみとは、今に境目を生み出し、露骨な支配に阻まれ、はびこる痛みに成熟せぬ精神は、絶え間なく苦しむような呪詛を放ち、誤謬に浸り、悲観するだけに阻まれる精神は正義を謳いながら、命を奪うだけに至るような倒錯から、錯雑とした観念に還元され、あてがわれる苦しみを繰り上げ、補填される痛みに刺激を加え、空虚感を携え、遮られる命は、季節感を損ない、束縛される間に生まれる苦しみばかりが強調され、勝敗を決め込むだけの関係などが意思に壁を作る。
眠ることも忘れ、夢見ることすら拒否して、現れるものなど無意味ではあるが、不羈なままにうごめくなまめかしい静謐さを携え、アンニュイなままにひしめく五感が鋭く作用し、有する過程に言葉を残し、滾る生命が勇気を携え、たずねる者に弊害などを与え、ひらめく名前をひきずり、優美に消え去り、切り取られる間に不幸すら無く、広がる限りに生まれるものがもだえ、伝わる先々に敷衍するものが、間も無く現れ、確かな動機に変化し、本質をゆるがし、たゆませ、脱がせる間に生まれる世界や、可能性がかばい合い、確かな思いを復古させるほどに退屈は生まれ、欺瞞を用い、引き出される苦しみや、不安を促すだけの分裂したものが紊乱なものに接続し、生々しいもので統合し、物語を奪い、追いつかれぬこころに迫る意味が波状になり、波及される苦しみに屈辱を溜め込み、互いをとがめ、和解に至らず、遮られるだけの幼稚さを唾棄し、苦しみにひずみ、交わる間にソリッドなものを生み出し、互いをとがめるほどに、愛が育むものが離れ離れになりながら、担う愛が意外性を生み、制度に膠着せずに、確かな衝動を伝え、証拠も残さずに、荒れ果てた精神が阻まれながらも、長い間に生れるものだけが、唯一確かなものであり、そこにためらわずに、つながる。ただ創造することだけが、痛みを昇華させ、今に迫る苦しみを超越し、確かな思いを逍遥させ、日々に生じる苦しみなどは、些細なことに位置的な苦しみを繰り上げ、今に苦しみを立証させ、認識を深め、捕まる意識が無意識に入り込み、退廃や、大罪を植え込み、数々の動機を垂涎し、みずみずしい意識を漁り、独占欲を削ぎ、進歩を目指し、頼りない今も、超越し続けることにより、自らを隔てることなく、意識を飛び越える。
2017年3月15日水曜日
擬似的な魔法
歩くほどに研ぎ澄まされていく感覚が、ツンケンし、テクノみたいな感情を放つ景色から受け取る形式美みたいなものは、邪魔になるし、受け取る側のゴワゴワしたもんに、からまるだけであるし、与え合う影響などは、互いの中に距離を作るしで、愛には、形式などは、邪魔なのである。リアリズムを捨て、ステアされた感情がピカピカひかり、美しいデコレーションである。見るものとは、見る者の感覚により、見方感じ方は、変わるわけであるし、千差万別である、と言い放つとたんに、差別や分別は進み、意味を侮蔑するわけであり、互いの差異を埋めようとするほどに、互いの溝は深まり、仲違いするのである。互いに与える距離とは、利己的なものや、今に拘泥し、意思を奪い、堅持する理由や、関する間に受理し、認識しては、様々な邪魔なもんを退け、確かな理由へと長じていき、行き違う思いを葬り、臆する思いを昇華させ、寛容に思いを処理する義務的なものや、理不尽なものを想起しては、物事の顛末に退く間に正義を謳いながら、互いに隔たるような倫理観などを取り除き、ただ愛にだけ、純粋であろうと努めることだけが、真の正義なのである。
まぼろしに閉じこもる君の憂鬱で、アンニュイな感じが、官能的であり、理由も無くふさぎ込む過程を超えて、ただある自らに放つ疑問が、延々とサイクルする。リサイクルされた感情をリペアし、難しくゆがむ空間を仰ぎ見ては、妨げられる容姿に避難し、あらゆる論理とは、とがめられる先々で、曲げられるだけであり、自らの正しさを示すようなものでは無い。
恐怖と怒りを太古から背負わされ、義務的に描かれていく毎日に体たらくなものを生み出し、破壊的なものが、悟性をも破砕し、爆砕されるだけの意識はこなごなになり、担う今を背負うほどに増していく不安を補填するだけの日々に果敢に挑み、すり減る命が繰り上げるものや、関する間に生まれる災いや、悲観するほどに感覚は麻痺し、愚鈍な意識が論じる意味や、論難を授け、暗澹とした意識が換算するものが枢要さを失いながら、長い歴史に鎮座しているだけの意味が吐き出す答えなんかに指図を受けているだけでは、何の変化もない日々に慣らされ、塗り替えるべき現在に点在する意識的なまやかしや、瀕する間に弛むものや、たゆたう間にとろかす意味からとがめられても尚、立ち向かう意思だけが、さらなる愛にふやけていく。
ふさぎ込んだ街並みが放つ磁場やら何やらで脳内で徘徊する汚いものが参画するものへと偏るだけの不眠的な毎日に疑似的なものを振りまき、負担する感情が背負う義務や、陰湿なものが踏み込み、不満を垂れ流し、憤懣へと誘い、生きることがちぐはぐになりながら、担う意味を着込むほどに、補填されるものが共感などを誘い、仮死化する意思がもだえながら、艶麗な時に育まれる愛へと強請られ、有する間に用いる欺瞞などが、不満足を謳う限りに本質などは損なわれ、そこかしこに敷衍する苦しみだけが、憂鬱へと誘う。幼稚な法に加工されるだけの権利に肥大していき、昏倒する意識は、垂涎する者が生み出すだけの定理にもとづくものをうそぶくだけの交換へと至り、陥穽を生み出し、頓挫するだけに至らせるような惜別から、蝉蛻し続ける先につたないものを生み、今に踏み台にされながら、査定されるだけの今に欺瞞を用い、困難さを生み出す。相続する苦しみは、先祖代々受け継がれ、今に批難を加え、浪費されるだけの真実や、まやかしを生み出すだけの季節に巻き込まれ、空疎なものを引き出し、引き替えにされる生命に定めすら無くなり、すがるほどに幼稚なものを生み出し、意思を踏み台にし、台無しされるだけの意思は、様々な空虚さを抱え、空疎な意思が引き立たせる苦しみへと一過性の苦しみを働かせ続け、他者から借りる幼稚な苦しみを引き取り、卑近なものに陥り、応じるほどに、奔走する意識は、本当の意味を損ない、そこに生み出される喪失感に苦しみ、解析される苦しみや、挑むほどにゆがむ魯鈍さや、浪費し続ける限りに骨格を壊し、徘徊する原理にもとづき、エゴへと至るような供給や、窮境に陥り、狭い価値へと阻まれ、破壊的な今に乗じる意味や、貧寒とした意識に入り込む利得などを謳うだけのげんなりとさせるだけの欲望が割り込んでいき、ゆくすえを破壊するだけになる。
ここに存在するものなどは、自らが認識することにより現れ、そこに定められているだけに惰性なものへと変化し、変遷をたどりながら、経ていく様態や、有する過程に用いる空虚さや、散漫な意識が捉える儀式的なものや、季節に織り込まれることにより生まれる軋轢や、束ねられ、そこに厚みを増していき、硬質なものに変化し、おののくだけの意識は、低劣なものを生み出す、抵抗するほどに、その場で固執し、ことごとくに偏見を用い、差別するだけに至るような距離を与え、迎合されるものだけを真実として捉える途端に、自らとの間隔は生まれ、狭めることも無く、阻まれるだけに終え、困窮する意思は、饐えたものを吐き出し、今を破壊するだけに終え、欺瞞を生み出し、犠牲的に備えられる意思は、恐々としていき、供給される苦しみを敷衍させ、普遍的な結末に長じる由縁が変化に耐えかねずに、自らを破壊するだけに終える惰性さに精査を続け、監視するだけに終え、慢心を生み出し、そこで卑下するだけに終えるようなジンクスから、人工的な信仰から、信じるほどにゆがむだけに終え、欠乏していく精神は、途端に、ねじ曲げられ、果敢に挑むことも損なわれ、そこかしこに敷衍する不安を巻き込み、自らの恐怖に衰亡していく。
まぼろしに閉じこもる君の憂鬱で、アンニュイな感じが、官能的であり、理由も無くふさぎ込む過程を超えて、ただある自らに放つ疑問が、延々とサイクルする。リサイクルされた感情をリペアし、難しくゆがむ空間を仰ぎ見ては、妨げられる容姿に避難し、あらゆる論理とは、とがめられる先々で、曲げられるだけであり、自らの正しさを示すようなものでは無い。
恐怖と怒りを太古から背負わされ、義務的に描かれていく毎日に体たらくなものを生み出し、破壊的なものが、悟性をも破砕し、爆砕されるだけの意識はこなごなになり、担う今を背負うほどに増していく不安を補填するだけの日々に果敢に挑み、すり減る命が繰り上げるものや、関する間に生まれる災いや、悲観するほどに感覚は麻痺し、愚鈍な意識が論じる意味や、論難を授け、暗澹とした意識が換算するものが枢要さを失いながら、長い歴史に鎮座しているだけの意味が吐き出す答えなんかに指図を受けているだけでは、何の変化もない日々に慣らされ、塗り替えるべき現在に点在する意識的なまやかしや、瀕する間に弛むものや、たゆたう間にとろかす意味からとがめられても尚、立ち向かう意思だけが、さらなる愛にふやけていく。
ふさぎ込んだ街並みが放つ磁場やら何やらで脳内で徘徊する汚いものが参画するものへと偏るだけの不眠的な毎日に疑似的なものを振りまき、負担する感情が背負う義務や、陰湿なものが踏み込み、不満を垂れ流し、憤懣へと誘い、生きることがちぐはぐになりながら、担う意味を着込むほどに、補填されるものが共感などを誘い、仮死化する意思がもだえながら、艶麗な時に育まれる愛へと強請られ、有する間に用いる欺瞞などが、不満足を謳う限りに本質などは損なわれ、そこかしこに敷衍する苦しみだけが、憂鬱へと誘う。幼稚な法に加工されるだけの権利に肥大していき、昏倒する意識は、垂涎する者が生み出すだけの定理にもとづくものをうそぶくだけの交換へと至り、陥穽を生み出し、頓挫するだけに至らせるような惜別から、蝉蛻し続ける先につたないものを生み、今に踏み台にされながら、査定されるだけの今に欺瞞を用い、困難さを生み出す。相続する苦しみは、先祖代々受け継がれ、今に批難を加え、浪費されるだけの真実や、まやかしを生み出すだけの季節に巻き込まれ、空疎なものを引き出し、引き替えにされる生命に定めすら無くなり、すがるほどに幼稚なものを生み出し、意思を踏み台にし、台無しされるだけの意思は、様々な空虚さを抱え、空疎な意思が引き立たせる苦しみへと一過性の苦しみを働かせ続け、他者から借りる幼稚な苦しみを引き取り、卑近なものに陥り、応じるほどに、奔走する意識は、本当の意味を損ない、そこに生み出される喪失感に苦しみ、解析される苦しみや、挑むほどにゆがむ魯鈍さや、浪費し続ける限りに骨格を壊し、徘徊する原理にもとづき、エゴへと至るような供給や、窮境に陥り、狭い価値へと阻まれ、破壊的な今に乗じる意味や、貧寒とした意識に入り込む利得などを謳うだけのげんなりとさせるだけの欲望が割り込んでいき、ゆくすえを破壊するだけになる。
ここに存在するものなどは、自らが認識することにより現れ、そこに定められているだけに惰性なものへと変化し、変遷をたどりながら、経ていく様態や、有する過程に用いる空虚さや、散漫な意識が捉える儀式的なものや、季節に織り込まれることにより生まれる軋轢や、束ねられ、そこに厚みを増していき、硬質なものに変化し、おののくだけの意識は、低劣なものを生み出す、抵抗するほどに、その場で固執し、ことごとくに偏見を用い、差別するだけに至るような距離を与え、迎合されるものだけを真実として捉える途端に、自らとの間隔は生まれ、狭めることも無く、阻まれるだけに終え、困窮する意思は、饐えたものを吐き出し、今を破壊するだけに終え、欺瞞を生み出し、犠牲的に備えられる意思は、恐々としていき、供給される苦しみを敷衍させ、普遍的な結末に長じる由縁が変化に耐えかねずに、自らを破壊するだけに終える惰性さに精査を続け、監視するだけに終え、慢心を生み出し、そこで卑下するだけに終えるようなジンクスから、人工的な信仰から、信じるほどにゆがむだけに終え、欠乏していく精神は、途端に、ねじ曲げられ、果敢に挑むことも損なわれ、そこかしこに敷衍する不安を巻き込み、自らの恐怖に衰亡していく。
2017年3月14日火曜日
鬱屈
からみつく指先から恒常的に放たれる愛の軌跡をたどり、臨月の空から垂れる愛が交響曲を放ち、輪唱される神話や、多目的なルーツに重なる瞬間がにおいを放ち、共感する間にもたらされる悲劇などを取り除き、利己的なものがこしらえる言葉や、根幹を腐らせるだけに至るようななれ合いにひざまずくほどに、貧寒なものをもたらし、商業的なずさんさを空間にこしらえ、濫觴するものに奪われるだけの幼稚なギミックを解き放ち、懐かしむほどに、補完されるものが今を覆い、単純で利己的な苦しみへと引きずられていく。宇宙規模に広がる議論の最中に用いられる昏倒するだけの理由から、理想を用いるほどに、苛立つ精神は限界を用い、均等な理由などは分かち合おうとするほどに、理解まで至らずに、戦争へと至るような倒錯から、そこに問う悪などは、用いられる道理により偏執し、利用価値を引き出し、物事にすがるだけに至るし、いたわるほどに、言い分けばかりが増え、俯瞰に攻め入る制限から、今に帰巣する意味も、均等なものにそぐうだけに至るような理由に加算される原理的な検証から、関する間に利己的に奉納される理由から了承される観念が限界を用い、健全な理由などを用いるほどに、一途なものは損なわれ、そこかしこに生み出される苦しみに悶え、悲観するだけに至ることに関することだけが、世界を世界として認識することに現れる苦しみから背反できずに、凡庸な理由に措置される苦しみや悲しみを引き出すほどに、慢心を生み出し欺瞞へと至らせ、悲劇を生み出すだけの人間的な形式や、景色に現れる哀れみを引き取り、誓いを求めるほどに保持される理由に利用されるだけの現れや、抗うほどに、損なう現在に原理的な力学や、備わる苦しみに引き出されるだけのあいまいな毎日に現れる固執するだけの正義に偏り、互いをとがめるだけに至る。行き詰まるだけに至る私たちの未来にもたらされ、求められるだけに止めどなくあふれる憎悪が主観を襲い、瞬間的な苦しみが生み出す敵対心に誘われ、猥雑に意味を補完するだけのメディア的な扇動よりも、衆愚が生み出す画期的な機械による等差が生み出す動作こそが、いちばんの不安を誘い、意思を奪うだけに至る扇動から、戦争へと留置されるだけの観念が生み出す悲劇的な統合から、傀儡と化し、同化するだけに至るような交換から、諧謔さを損なうだけに至るような考えに還元される理由に鬱積していく迎合されるだけの意志から、卑近なものに陥るほどに理屈ばかりが増えていく。迎合されるだけの罪が誰かに利用され、そこかしこに苦しみを植え付けるだけに至るような体系的な契約から、形骸化する意思が外観を壊し、概括されるほどに野晒しにされ、死するまで傍観されるだけの爽やかな身体をあなぐらに放置し、そこに偽造されるだけの真実や、もたらされる意味の窮屈さに起因を残し、散漫な意味から解き放たれ、ないがしろにした意味から抜け出し、自らの欺瞞を飛び越え、不満足をも超越し、今に鬱屈するほどに、魯鈍なものに成り代わり、自らから閉め出され、権利などを用い、何かを奪うだけに至るような倒錯から、最たる意味を保存するだけに至るような蓄積されるだけの苦しみを捨て去り、今に現れるものをはじめて愛する。
出会うことによる引き裂きという行動から、配備される愛が持ち出す意識に対する背反から、愛から放たれる意識との別れから、猥雑な倫理を引き出すだけの認識が用いる等差や、動作に対する品格などが、互いの間を引き裂くほどに、悲観するだけの行為にもとづくセオリーが理解に至る前に、そこに生み出される苦しみだけを増幅させる。齟齬し続ける意識は、改善されずに、そこに鬱積されるものにより陥る悲劇に攪拌され、改善されずに今に不当なものをもたらす模倣されるだけの苦しみが生み出す住まいにあてがわれる儀式的な何かが汎用するだけの奇跡を信用するだけの弱った心に汎用されるだけの悲劇が原理を生み出し、意味を阻むだけに至り、体系的なものに搾取されるだけの身体が快楽を受注し続け、端的な理論に吸い取られることにより、多幸感に浸り、高揚し続ける意識的な昇華が敵愾心を捨て、惨憺たる今に現時点を生み出さず、そぐうほどに齟齬をきたし、期待感を孕むほどに阻むだけに至るような精神が見出す悲劇に攪拌される先々に濫觴するものなどは、誰かの意思を奪うだけに至り、耽溺するだけに至るような起算から加算される痛みが今を分離させ、理解を得る以前にここで固執するものが革命に至らずに、自らの苦しみを吐露し、露骨な支配に引きずられるだけの緩衝から今に緩和していくほどに怠慢なものを生み出し、今に鬱積する苦しみに屈折していく精神が起算するものを生み出し、争いばかりが増え続ける間に産出される愛が確かなものを引き取り、『合間合間に生み出される愛が離れぬように、と手をつなぎ、互いの愛を確かめるようにからまる指だけが、愛のようなものをその関わるぬくもりや感触が脳内を循環し、簡易な苦しみに陥らずに、確かな愛だけを今に敷衍させる』。
出会うことによる引き裂きという行動から、配備される愛が持ち出す意識に対する背反から、愛から放たれる意識との別れから、猥雑な倫理を引き出すだけの認識が用いる等差や、動作に対する品格などが、互いの間を引き裂くほどに、悲観するだけの行為にもとづくセオリーが理解に至る前に、そこに生み出される苦しみだけを増幅させる。齟齬し続ける意識は、改善されずに、そこに鬱積されるものにより陥る悲劇に攪拌され、改善されずに今に不当なものをもたらす模倣されるだけの苦しみが生み出す住まいにあてがわれる儀式的な何かが汎用するだけの奇跡を信用するだけの弱った心に汎用されるだけの悲劇が原理を生み出し、意味を阻むだけに至り、体系的なものに搾取されるだけの身体が快楽を受注し続け、端的な理論に吸い取られることにより、多幸感に浸り、高揚し続ける意識的な昇華が敵愾心を捨て、惨憺たる今に現時点を生み出さず、そぐうほどに齟齬をきたし、期待感を孕むほどに阻むだけに至るような精神が見出す悲劇に攪拌される先々に濫觴するものなどは、誰かの意思を奪うだけに至り、耽溺するだけに至るような起算から加算される痛みが今を分離させ、理解を得る以前にここで固執するものが革命に至らずに、自らの苦しみを吐露し、露骨な支配に引きずられるだけの緩衝から今に緩和していくほどに怠慢なものを生み出し、今に鬱積する苦しみに屈折していく精神が起算するものを生み出し、争いばかりが増え続ける間に産出される愛が確かなものを引き取り、『合間合間に生み出される愛が離れぬように、と手をつなぎ、互いの愛を確かめるようにからまる指だけが、愛のようなものをその関わるぬくもりや感触が脳内を循環し、簡易な苦しみに陥らずに、確かな愛だけを今に敷衍させる』。
2017年3月13日月曜日
継続する意味
宇宙的な神話をひもとく静謐な正義や、我が身を滅ぼす意識が迫り、醜い争いを意識の中で展開し、回転する座標や、ミリタリズムが降り注ぎ、立体的な戦争が損得を謳い、導く意識が儀式的なものを生み出し、俯瞰に偶像を生み、何かを踏み台にし、意識を破壊するだけに至らせる。憎しみ迫る意識を改ざんし、革命的な偶感から、不満足を謳い、リベラリズムへと変化し、偏向し続ける意識は、罪を組み上げ、意識的な苦悩を宇宙的に膨張させ、初期宇宙から改ざんされ続けた意識の傲慢さや、最たる意味を失い、そこかしこに即席の苦悩を生み出し、際限ない苦しみへと至らせる儀式が、数千年に渡って続いてきた。変換される罪は、儀式的なものへの生贄として捧げられる。あらゆる苦しみを複製しては、復元され続ける苦しみに厭い続けるような永遠性を乗り越え、今に至る奇跡を謳歌する。何かに寄り添う形が具現化され、確かな形容に変わり、裁く以前に、今に現れるものだけが、確かな意味を継続し、あらゆる意味を継承していく。確かな意味は、今に足枷を嵌め、世界を牛耳り、君の意味を奪うだけであるし、育むべき今も、欺瞞に遮られ、不満足を謳い、際限ない苦しみに浪費される観念が、軽薄なものを生み出し、他愛ないものを汲み取る以前に、確かなものは迫害され、自らの罪の意識に苦しみ、意識に危害を加えられ、自らの苦しみに苦しむことに専念し、自らに軋む所以や、躍動する展開に追いつけずに、形骸化していくだけに終える意味や、緻密なものを生み出し、意思を踏み台にしながら、しなびた意識は、今を敗残に追いやり、止揚するこどもできずに、でたらめな方法論を生み出し、自らに食い込む苦しみを反復させ、今に反発し合うものや、形成される真実に横領され、応用されるものに食い違うものや、問題に早熟に生まれる答えとの食い違いや、互いに相違し、相似するものに落ち込む間から、時間は偏執していき、行き違うほどに、ほつれては緩慢な作用を施し、利己的なものを生み出し、物事に軋轢を与え、たゆむだけに至るモラルや、悶絶する先々に契約を交わし、必然性をもたらしながら、滾る意識は、対話を続けながら、対等さをもたらし、今に飛躍するものが、貧寒なものをもたらし、苦しみを補填し続けては、自らの未熟さに屈従し、密接に結びつく思いが包括され、確かな愛で密着し、離れぬように仕向ける余韻は、かかずらうことなく、愛を送り続け、そこに強制的に強請るような愛は無く、儚く続く意思的なまやかしを取り除き、利己的な愛に疎外されるだけの孤立感や、横柄に迫り、一途なものに派生する真実や、まがい物を授け、行方不明になる意識が担う苦しみや、違いを生み出すほどにずれは生まれ、奪い合うだけに阻まれる精神は、知り得るものも無ければ、そこに退き、虚空を漂い、席巻される意識は圧壊し、今にがんじがらめになり、理不尽なものを携え、今に悶絶し、シーンに屈従し、従事する先に生み出される屈辱に快楽は生み出され、そこに増していく意思的な核家族化から、界隈に生み出される曖昧な摂理や、倫理観を謳い、簡易な支配へと急ぐ意識は、カタストロフに導かれ、自らを破壊することに専念し、生まれる苦しみに操作されながら、内外に派生する意識的な等差が生み出す階級闘争に交錯し、換算されるだけの精神的な軋轢から、悶える精神は、陰鬱な言い訳を続け、毎日に交換される苦しみを補完し続ける先に止揚することもできずに、用いられた疲れを生み出し、限られた苦しみを、限られた中でなぶるような拘引から、手立てを奪われ、今に苦しみを繰り上げ、汎用される理由に今を奪われ、意外性を用いずに、インタラクティブなものを生み出し、今を踏み台にし、意思に軋轢を生み、何かに屈するほどにくたびれる先に対立し、互いをとがめるだけに、いたずらに消費される苦しみが位置的な痛みを生み出し続ける。阻まれる先に生まれる未来が、あさましいものを従え、何かを横柄さで包み、互いを包括するほどに、自らを傍観者に変え、自らを身代わりにしながら、代償的な痛みを補完し続け、悲観するだけに至らせる。世界は、共感を用いながら、長い苦しみを凡庸に継続しながら、膨張する苦しみは、被害者意識を増幅させ、自らを破裂させ、破滅するだけに至る。
2017年3月12日日曜日
宇宙的な閃き
初々しいものがあふれ、虐げられていた思いを昇華させ、ひずむ感情をリズミカルに変え、意味に変容されるだけの幼稚な企みや、猥雑な思念を昇華させ、逸する先に生まれる愛と華々しく結ばれ、無数の幼稚な企みに感情を操作されずに、ドレスアップされる現在に懸隔を用い、間隔を生み出し、麻痺させるだけに至るようなたゆたう衝動性や、律する間に募る思いが抑圧を撥ね除け、自らの意思に無頓着に帰還し、関する間に生み出される背反や、排斥される間に徒労をかさね、眠りからほどける瞬間に生まれるものが真実を語り、カタルシスを促し、隠語を放つ動機や、同調性を捨て、ノスタルジアをたどり、リンクする瞬間に生まれ、塗り替えるものだけが、この物語の間で確かなものを実らせ、邪推せずに、円滑に進む物事から、出来事とは、その場で消費され、深夜にさまよう孤独な感情を昇華に至らせ、解消する痛みは、旋回するほどに麻痺し、魯鈍なものに変わり、ロジカルなものに衰退させられるだけに至り、堅持される余韻が、誇示するものや、怖じ気付くだけに至らせるような喜劇や悲劇の間で浪費していく感情は、カタルシスに至らずに、自らの苦しみだけを繰り返し反復させ、そこに翻すべきよろこびを生み出さずに、見出すものすべてを浪費していくだけに至らせるような屈辱を進み、荒む精神は、些細なことで高圧的な法や罪にさえぎられ、模倣する事でしか、善悪も生死も乗り越えられずに、与えられたままに現れる儀式を司る幼稚なギミックに飲み込まれ、混同する意識は、散漫になり、担う事柄の重荷に耐えかねずに、観点に疎外され続ける間に消費されない藝術は、庶民の下に降り立つほどに落ち度ばかりが目につき、目に余るものに変わり、命じられるものに変化し、藝術とは、そこで退化していくだけに至り、自らの退嬰的なものや傲慢な意識に司る欺瞞などを抱え、延命することだけに専念し、自らを喪失し、失意の下、妨げられるほどに傷ついた意思は、陰鬱な衝動を重ね、自らの焦土に眠らせているぬくもりを忘れ、照合される先々に位置づけられるほどに、居心地の悪いものを抱え、固執するだけに至り、枢要なものを損ない、そこにあふれていく痛みばかりを解消させることだけに専念する。悲恋に打ち砕かれた者がおののく隙間からあふれる悲観的な緩衝を終え、借りているものを返すことだけに終える業務から、凝固していく意識は、接続されるものに苦悩を引き渡し、悲観的に至る先々でいたわることすら忘れ、自らの苦しみに制限を生み出され、今に定める屈辱や、そこかしこに意味を与えるほどに、転換されるものは、今に浸るだけの苦しみを媒介し、意識的な哀れみばかりを膨脹させる。力の間を揺らぐものが、権利を用いふさぎ込ませる。憂鬱を敷衍させる散漫な意識は、形式的なものに覆われ、意識を奪われ、意味を背反できずに、今に蓄積される苦悩を膨脹させる。あらゆる不満は、不安を誘い、今に蓄積する動機に不正なものを持ちこみ、追い込まれる意識は、欺瞞を生み出し、今に立場を用い、位置的なもので恫喝し、自らの意思を破壊するだけに至る。体系的なものに携帯するものや、体系的なものに逍遥し、媒介する先々で権利を謳い、用いられる悲劇に酔いしれ、自らを悲劇のヒロインとして扱い続ける先に現れる苦痛はやがて快楽を用い、自らをマゾヒズムに変化させる。与えられる罰は、快楽に変化し、不安を用いるほどに、快感は増していく。あらゆる拘束は、抑圧されていくことに生み出される悲劇を延々と敷衍させ、動機を損ない、長じる由縁に弾き出される感情は、はびこる悪意に鎮座し、暗澹としていく。指定される義務が用いる抑圧から、さえぎられる意思は、快楽に改ざんされ、段々と迫る意識的な汚穢や、終わりを導くだけの悲劇へと逃避していき、貧寒な意識は、今に変換される儀式的な戸惑いからミニマリズムに至り、再現される悲劇を重ねる愚行がガイダンスを促し、段々迫る意識的な敵対から、対話を終え、退廃的なロマンに浸るだけの偶像的な気配から、現実にはびこる悪意にとがめられては散漫になる意識は、排除され続け、自らの片隅に現れる偏執が苦痛を収斂させ、自らを搾取するだけの資本主義的なシステムを生み出し、自らが作り出すものすら、すぐさま見つかり、課税をかけられる。閃きをたずさえたメタファーを掲げ、アンチテーゼを重ね、換算されるだけの原理に反し、理解を求めるほどに、止めどなくあふれる感情は、動機を乗り越え、今に慟哭を与え、たゆむだけの意思を敷衍させるだけに専念する。
2017年3月11日土曜日
創造的な飛躍
ここに現れる距離を測るようなことすらせずに、今に迫る疑問を乗り越え、自らに帰するイメージや、意味合いに不潔なものをこぼすだけの塗料を掲げる君の意識的な批判から、介する間に迫る露骨な支配や、贋物を突きつけるだけの意思的な何かが腐敗させるだけに至らせるような悲劇を攪拌するような耽溺から、加速するジレンマが精神性に制度を加え、今に歓喜を授け、与えられる快楽だけが、健気に意思を突き動かすのだ、と仮想し続ける脳内で幽霊と化するだけの自己を抑圧し、軽薄な自己啓発などで、魯鈍な者へと陥り、短絡的な金言を吐き出すような可能世界での獣を作り出し、差し替えられ、出し抜けることばかりが、意思を専横し、占領される死へと迫る恐怖から逃げ惑う人間性が制度に付着し、膠着する意思は、状態を保つことだけに専念し、今に拘泥し、受理されるものへとおののき、肉迫する先々で対立を深め、関係性に制度を与え、埋め込まれる罪の意識から、軽薄な試練を運び出し、不安へと誘うだけの価値の家畜として、或いは原理や原因に妨げられるだけの自制を与え、苛む記憶や、マゾヒズムに陥る。類似品としての自己を模写するような形に横溢していく自堕落な形式が迫り、景色を汚すだけに至るような展開から、転換していく意識は、観点を阻害され、苛む記憶がうじうじしながら、裁かれるだけに至る代価から、代用品として慢性的な痛みを抱え、感染する痛みから、他者から借りた痛みへと運ばれるほどに恥じらう意識は、判明する意識的な苦悩を重ね、苦痛へと至り、いたわるべく心も、魂胆を損ない、ないがしろにする意味から、耽溺し続けるだけに至るような遅配から、短絡的な信心へと進み、荒んだ意識は正式な正義を用い、支配するだけに至り、関連する苦しみは、暗澹としていき、指定される義務へと運ばれていく意識を傍観し続ける。システムとの交わりを拒否し、自らに迫る弊害に反し、露骨な支配に反するほどに強度を増していく精神は、マゾヒズムに浸らずに、悲観する意思を乗り越える。あらゆる原理は、悲しみの回路を循環するほどに、自らとのほつれを増やし、破綻していき、自らを見失い、現れる空虚感に苦しみ、屈折していく先々に統合される苦しみに一生涯苦しむことに至る。最たる意味を露骨な支配を生み出し、構造的な苦しみを増幅させていく。派生する苦しみは、他者から借りた苦しみへと浪費していくだけの感情に道理を働かせ、シェアされ続ける苦しみをコマーシャリズムが促し、終わらぬプロパガンダは、私こそが正しいの、だと洗練する先々で、倦厭される宣伝を知らぬ間に受け入れ、頭の中で何度も再生され、自らの姿勢を破壊し、そこに受け入れる苦しみだけを認識していく。その認識が生み出す死へと追いやられる正式な精神は、とがめられるほどに恐怖を倍増させ、協調される死へと追従していき、自らが生み出す苦しみこそが、この世界を生み出す原理であり、そこに現れる苦しみこそが世界である、と認識するだけに至るようなマゾヒズムからヒステリックなものを引き出し、卑近なものに陥り、即座に苦しむだけに退嬰的なものや、体系的なものに疎外されるだけの孤独感に至るか?資本主義的な屍骸として生きるかの差異になどに現れる間隔を漂う幽霊として生きるのか?とうそぶくような革命的な論理に治外法権の者として生きるような暴力的な昇華に至らせるような統合から放たれ、藝術的な進化から、創造的な昇華に至らせるべく、反するとは、暴力的に至る血に備わるのでは無く、そこの欲するものが悲観するほどに現れる垂涎する意識が欲しがる死の衝動により、ますます邁進していく意識的な餓鬼を用い、漁るだけに至るような搾取する者や、かばい合う歴史に鎮座する現前をたどる宗教的な専横から、バイオレンスな意思を用い、虐げるだけに至るような独裁者へと変化し、とがめるほどに増していく快楽の虜になり、担う意思は、境目を用い、何かを差別的に消費するのが、この資本主義的なものではあるが、そこに現れる衆愚が生み出す扇動から生み出される戦争の権化どもが徘徊する意思を媒介するような国家的な欺瞞から、フラクタルなものほど、互いをとがめるためだけに至る同族嫌悪をの炎を燃やし、世界を地獄の業火で包むような卑劣な還元から、差別的に規制されるほどに、フェミニズムは加速し、やがてファシズムへと至るような退屈な逍遥から、時間をすり替え、スリップさせ、時間との擦れを延々と感ずる深淵から、私怨を引き上げ、何かを憎悪するだけに至るような共感から、介在する意識は、大罪を用い、何かを罪の意識により、よりよい不安へと導き、報うだけに至るような倒錯から、錯雑とした観念を支配するだけに至るような闘争から、倒錯し続ける意識は、自らの境目を失い、世界が用いる正常さを正常と思うことの異常さに気が付かず、正常なものなどは、作り上げられたまやかしではあるが、そこに正常と示さぬ限りに、人間とは動作できずに、今に倒錯し、意思を損ない簡単に狂うだけに至るような境域に生み出される原理的な狭間に生み出すべき新たな衝動を与えるべく、勉学に励むべきであるし、そこにとどまるようなものを積み上げずに、与えられる罪にたゆむことも無く、自らの意思をピンと張る。
2017年3月10日金曜日
あらがうもの
時代に反するのが、私たちの役目であるし、やがて枯れ果てる前に、この命を使い果たすような行事の後に迫る制裁を待ちわびるような若気の至りが分け隔てなく、惰性なものを捨て去り、散漫な意識に形容されるものなどは、一切に魯鈍なものを持ちこみ、陰鬱なものへと変化させるだけに至り、いたわることばかりを目的に印象に吐露するものが、悶えながら、用いられる原理などにいらつき、路頭に迷うか?徒党を組むかの違いから、散漫な意識は、どこにでも対立を持ちこみ、大義を損ない、緩慢に退くだけに至るような退化から、観点を失い、そこかしこに恨み辛みを用い、持ち込まれる意識に監査され、検査が終わる、と研鑽されるだけに至り、強制的に思念をねじ曲げられ、与えられる意味に固執しては、代償を求め、何かをとがめることだけに理想を供給し、与えられる意味は、対比されるだけに至るような痛みとの交わりから、露骨な支配を受け取るだけの家畜としての生き方や、そこでふさぎ込むだけの行為に貧するだけの永遠性にふやける身体が、こうむるものが自らを退廃に至らせ、寂れたふんいきや、因果応報に往往としていくジレンマを抱えた昼下がりの情念は、燃え尽きたいのだ、と叫ぶようながんじがらめの定理にもとづくエゴから、拘引されるだけの自堕落な差異から、陰惨な誓いに収まるだけの情景に発散される痛みにもとづく提携やら、形体に引きずられるだけの諦観や、鬱積する心情にもたらされる悲劇を攪拌し、関係に能動していくことだけが、唯一の真実を放ち、破綻するだけの印象や、果敢に挑むことを忘れ、澱むだけの思念は、念じられるだけに意味に補填される苦しみを繰り上げ、今に起算されるだけの改ざん的な余波から、要する間に導かれる苦悩や、空洞化する意識を抑圧し続ける憂鬱な演技から、前衛的な意思を持たずに、ただ依存的に繁栄していく快楽の需要から、常用される罪の意識を率いて、その意識の鞭をたたきつけるほどに増していくマゾヒズムから、毎日に裁かれるほどに、快感は原理的なものに拘泥していき、抵抗するほどに、快楽の密度はあがり、快楽を求めるほどに、自らの寂寞が広がり、空洞化していく意識に注がれる快楽を求めるほどに広がる空虚感に耐えかねずに、求めるほどに快楽とは空虚なものを引き出し、その空虚さを埋めることだけに専念し、快楽の傀儡と化するころには、関する意味に葬られ、放置される意思に鬱積していくものが、運命を牛耳り、リンクする意味が悲観を呼び覚まし、機関的なものに備わるエロスや、永劫にほどこされる罪の意識に補填され、抱合されるだけの意識はやがて価値観に屠られ、自らの意思により駆逐されるだけに居たる。退嬰的なエリアに潜む価値観との統合をもくろむ恐怖の意図から、位置に引き出される利己的な意識が責め続けるだけにデカダンスに至り、そこの這いつくばる美醜のものを藝術的に掌握し、昇華させるためだけに渇望する意識を支配し続けるサディズムが虐め続ける時間が永遠性を蓄え、妨げられるほどに邁進する快楽を常用し続ける間に備わるニヒリズムが快楽を増幅させるべく、ベクトルは旋回する意識に転換されるものを最大限に利用し、引用される者に復元されるだけの恐怖に同調するだけの不安感を課せ、加算される痛みや、隠逸していく先に現れるゲシュタルトを子飼いにし、憎むことだけを演じさせるべく、違う自分を何度も反復させ、そこに現れる影響に備わる永遠に沈み込んでいき、混濁していく意識に妨げられ続ける先に援引されるものに利用され続ける余韻や、因果律に反し、はびこる悪意に需要を求めるだけの出来合の真実のプロットを破壊するような反抗心から、はびこる悪意に充填されるだけの成因にもとづく真実などは、ゆがんだ意識が孕む意味を屈従させるだけに至らせるような倒錯を用い、交換される理由や利用されるだけの意志がゆがんだ価値を用い、意思を抑圧させる間に膨らむ憎悪が、造言を続け、増幅する価値に位置的な痛みを授け、指図されるだけの空虚な身体に感染していく痛みも無知なままに影響を受け続け、羽化する意識が飛び交う今にも瀰漫する不満ばかりが栄養を求め、妨げられる幼稚な企みから、枠内に果てる私は、制限を持たずに限界などを謳わずに、現れるものをあてがわれるほどに、現れる意味に愛を奪われ、今に阻まれるだけに至るだけだし、出し抜けることばかりを考えるような機械的な輩が用いる汚い言葉の傘下として、同じような動機を、同じような意味で吐き出すだけの自堕落な企みから、枠内からはみ出せずに、惰性な意識に飼い慣らされていく体系的なものの破壊を謳う以前に、すべては、個々に宿り、此処に宿るものだけが、固執せずに、体系から放たれ、自らの意思を循環させるべく、純化していく意識は、形式に覆われずに、景色を楽しむことだけに専念し、洗練される先々に現れ敷衍するものが、伝わるものなどは、今を魯鈍なものに変え、論難をあびせ、あいまいな毎日に疲れたものが与える罵声に汚され、体系化する意識がもたらくすむだけの意味が、今を覆い尽くし、暗雲立ちこめる意識に怠慢なものを運び続け、体外に果てる理由が、高潔なものを用いずに、狡猾なものへと陥るだけに至らせるようなねじ曲がった意思と合致するものだけを本質として捉えるような枷を嵌め、世界に制限を生み、原生のものを破壊することだけが、正義のように扱われるだけの惰性な革命こそが、何度も同じような時代を作り上げ、人間的な欺瞞をサイクルさせるだけに至るような抗いは、あてがわれるだけの購いから、あいまいな意味をさえずるだけに至らせるような悲劇を換算するだけの体制的な原意などは、本当の意味を隠すことだけに専念するようなセンテンスをばらまき、従順なものを作り上げるような教育を生み出すための手法などは、もう誰も騙されるわけも無いし、そこに虐げられるような日々は、もう終わったの、だ。
2017年3月9日木曜日
狡猾な朝
国家とは、夢を捕食するもので終わるのか?突きぬけていく正義は、演技を続け君に近付き、蓄積する苦悩を食い散らし、何も残らぬように駆逐するであろうし、あいまいに迫る意味にマインドは奪われ、毎日に追われるだけに血を争う戦いへと倒錯していくだけの論理をたずさえ、意味を崩壊させるものか?あるいは、あらゆる意味を収斂させ、収奪する者との闘争を続け、世界を終わりへと導くような神を設立し、あらゆる摂理と抗うだけの法を蛇行させ、惰性に自己顕示欲をはびこらせるか、と観点は浪費されるだけの永遠性を訪ね、終わらぬ旅路へと至るような形成される深夜にもとづくエゴから、永劫回帰的に終末をつなぐような関係などに清潔さは無く、関連する動機に収容されるだけの意味に強制的に働かされ、最たる意味を損ない、そこかしこに分裂していく意識は、意味合いに不潔なものを出現させ、意味を奪うだけに至るし、やがて生活感を用い、簡易なものに閉じ込めるだけに至るような体系から、形体するものへの犯行により、形骸化するだけのリスクを謳うだけの異次元的な対話から、法則的に食われ続けるような論理をたずさえ、「そこで荒らされるほどに争う永遠性と自己との解決や、統合を謳うだけの卑屈な論調を敷衍させ」動機を奪い、正義が悪をかぶり、自らを悪に染め上げるだけに鬱積する苦悩がばらまくノイズや、鬱積する過程にもとづく開かれた意思が紊乱なものに犯され、静謐なものに映じる藝術的な開花から、対話を続け、汚い過去に形容されるだけに瀰漫する不安などに映じていく自己とは卑屈なものに偏るだけに至り、いたわられることを目的に互いを認識するだけの固定観念に襲われ、応じるだけの答えに自らを結節していくほどに諦観は暴走し、今に真理を奪い合うだけの聖戦を持ち出し、正義で偽装された関係から、観念は偏るだけに至るような交わりから、毎日に満ち足りずに悲愁を漂わせ、欠乏していく精神は、邪推へと至り、誰かを恨む呪詛を重ね、攪拌される正義は信念を奪われ、動機を攪拌させ続ける先に待ち受ける一体感は、安易な快楽を促し、消費を続けるだけに至り、体制にこびへつらい、平衡する意識を保つことだけに専念し、センテンスにより、点線は暴かれるものにつながるほどに魯鈍な対象を見つけ、その者を生贄にし、自らをカタルシスに至らせるような罪の意識に截然される意識的な錯乱から、殺戮を重ねるだけの即席の独裁者として背くほどに生まれる感情により退行を続ける先につじつまも合わずに色あせるだけの瞬間に閉じ込められ、来世を思うほどに、現在や現時点に置いて行かれるだけの感情が情景に達する前に消え去り、過去から持ち出す意識的な虚栄を張り、自らを磔にし、そこに現れる罪を解消しようと改ざんする先に散々なものばかりが生まれるたびに倍増していく罪の意識により、自らから逃避を続ける。容易な逃避は、そこかしこに利己的なものを備え、責任を他人になすり付け、自らこそ正しいものように損得で測るような尺度から、価値は退廃的なものに陥り、用いられる制度にねじ曲げられた感情に等差を持ち出し、等位に備わる値だけが正しいのだ、と教えられるほどに、人間とは、人間によりねじ曲げられ原意を忘れ、原理に酔いしれ、自らこそ、正しい神を司り、対するものに制裁を加え、自己を聳立させるためだけに今に堅持する意識こそが、正しいものへと至るのだ、と堅持するだけの利己的な正義から、孤立するだけの個人は、そこに置いて行かれるだけに至り、そこに差異を生み出し、そこかしこに苦しみを充填し、歯止めも無くあふれる苦しみが敷衍し、普遍的なものを措置し、何かを恨むためだけに信仰的な敵意から、革命を促す論理的な証拠から、誇称されるだけの名ばかりの衝動から、論理的な敵愾心から妨げられるだけの原因に措置される安易な動機が示す怒りから、ふれあうほどに、そこに恨み辛みを生み出し、つながる痛みは今に排斥される苦しみを動機につなげ、そこに永続する苦しみの捕囚として生きていくことこそが、正しいものへと至るような罪滅ぼしになるのだ、と道理に導かれているかのように示すような正しさなどは、正しくあるべく、正しいものを演じることこそが、正しいことへの近道である、と示す道標として生きるべきだ、と妥当なベクトルから、正義に軋轢を加え、整合される時折に暴かれる意味や、真理が危害を加え、意味に子飼いにされ、従属するほどに、奴隷として生きることのよろこびこそが、しあわせの近道であり、失わないように保つことこそが、正しいものであるのだ、と妥当な位置づけから、位置的なものに屠られるよろこびから、猛威を振るう真理は、自らの卑屈さや、悪意に気が付かずに、自らこそが正しいのだ、とこしらえるものにより、軋轢を生み出し、互いをとがめるだけの論理から、立証されるだけの苦しみを唾棄し続ける先にシステム的な交わりから、はじまりを羽交い締めにし、まがい物を生み出し、歯がゆく悶える精神は、誰かの怒りを借り、借り物の怒りにより、誰彼かまわずに攻撃するだけに至るような対象を見つけることだけに忙しく動き回り、自ら生み出すことを知らずに、自らを哀れむほどに補填されるだけの苦しみに屈折していき、自らの痛みを感じなくなったら最後、誰かを攻撃することに生まれる快楽に酔いしれ、補填される他者の苦しみだけを餌にして生きるような亡者になり、自らが餓鬼に変わるころには、答えに拘泥し、体系化した自己を勝利に導くために卑屈なものとして内外に果てるだけの自己の亡霊を傍観するだけの者としてさまようだけに至る。
2017年3月8日水曜日
混濁
青年達は帰る場所も無く、穢れているのは、彼女である、と自らの法で汚す論理から、利口なものほど、魯鈍なものに陥るだけであり、陰る本質から、憎しみを増加させるだけの日々に嗄声を流し、端的な理論に拘束され、後続する意識は、今に悲観し、引き返すだけに至り、利用されるだけの身体は利息が付き、借金を返すだけの日々などに追われるだけの意思は、強迫的なものに引っかき回され、現れる不安との対立を続け、つくづくに迫る不安とは、思うほどに、その不安の強度を増していき、今に不安定に変わるだけに至るだけの精神に秩序などを求めるから、止めどない痛みは、計り知れない恐怖を巻き込み、原理的な憎しみから、びくつく精神は、いくつもの境界線を作り出し、織り成す衝動は、何かの権化として現れる瞬間に習慣的な苦しみを生み出しながら、内外に現れ派生するものが、今を暗澹としてものに書き換え、介する間に情報を埋め込みながら、内面的な疎外感にふえる恐怖を同調させようとするほどに、互いの依存度は増していく訳であるし、そこに生み出される苦悩は速度を増し、互いを生贄として供えるだけに至るような供犠から、教義に犯され、疑問を持つことが、いちばんの悪意である、と宣言されるような間から生まれる肥満化した意思は、悴む決意や、乖離する値や、あいまいな毎日に現れる欺瞞や、裏切りを続けるだけに論調とは引き伸ばされる痛みに意味をなすり付け、血合いを施された空っぽの身体を捕食するだけの彼らの不満から、憤怒を引き出すだけの安易な決議から、象徴的な痛みへと神を引き出し、懐疑的な日常に攻め入るセンチメンタルな衝動から、商法とは、今を屈折させ、生まれる苦しみに増幅していくだけの憎しみを足していき、悲観するほどに、誰かを恨むことdけに充填される物事に補足されるだけの些細な闘争から、倒錯していく本質は、保存される苦しみへと巻き込まれ、苦しみを再現するだけの機械として慟哭し続けることに本質を置き、応じるほどに魯鈍なものを補足し、後続する意識に縦横するものが阻害し、通り抜けられるように措置する間から葬られる今に疑問を投げかけ、何事にも平常心を保ち、尊く現れる疑問に対処し続ける間に増える不安も、案ずる先に生まれる手立てや、そこに即席の理由がほどこす自由などに偶像的な支配を受け入れ、自らを屍骸として受け入れるだけの幸福論的な欠如から、形成される真実などは虚偽であり、絵空事であり、統合されるほどに同じような意味を同じようなニュアンスなどを伝えるほどに、相似したものをこしらえるだけに至り、行為にもとづくエゴに引きずられるほどに間隔とは生まれ、そこに麻痺していくだけに指定される苦悩を同じように味わうべきだ、と悪意を備え、懐かしむだけにいぶかる先々で対抗する意識は、抵抗力を増していき、慢心に至り、浸る意味は悲観するだけに至り、いたわることも忘れ、用いられる答えに利用されるだけの軽薄な理論に相似するだけの自己に相違を伝えるほどに自分との乖離を感じ、理解を得ようと必死にもがくほどに、もうろうとしていく意識は、指定される意味に徒労を重ね、今に邪推するだけに至り、いぶかる先に生まれる衝動は、動向を奪い、研鑽を積まずに、生まれるままの無知さと純粋なままに屹立していく意識の高低差も無く、ただ現れるままに表現する先に抗う詩的な衝動だけが、差異化を進め、境目も持たずに折檻されるだけの身体が促す応答から、反するほどに生まれる関する間に即されるだけの意味に備わるジレンマを昇華させるべく、そこにたずさえる慢心を排除へと至らせ、作成されるだけの真実がほどこす立体的な虚偽から、散漫な意識に迎合される物事だけを取り扱い、それを飛び越えることで崇拝されるような神から受け取る答えなどは、大義を持たずに、ただ短絡的に消費するほどに儲かるようなシステムから、聡明なものすら無く、負担を軽くさせるべく、軽口を叩く限りに陰る本質は怪訝なものを抱え、今に悶絶するだけに至るような軽薄な移流から混沌としていき、慢性的な痛みに変えられる、危害を加えられる意識は、機関的なものに飲まれ、導かれる屈辱や、構造的なものに抵抗せずに、構造の中に取り込まれ、当該する者として生きることの中を徘徊し続け、どこか乖離したように自己を傍観するだけに至るような対立から、精神的な乖離は進み、荒んだ意識は懐疑的な何かを抱え、大義を利用し、領土を奪うために死を利用し、システム的なものに絡め取られるだけの意識は、言い分けを続け、慈しむことを謳いながら、異物感を抱え、居座り続けるだけに至るような今に充填される苦しみにさえずる意味がいびつに変わり、陰鬱なものをこしらえ、拘泥するだけに至るような現時点に促される恐々としたものに主体性は飲み込まれ、そこで誇示し、表示されるものこそが本質であり、それだけが真実のように語るような者こそ怪しむべきであるし、そこに磔にされるだけの意思は、答えを求め、止めどなくあふれる欲と共に流動し、法則的な関係に囚われ、関係性に制度を生み、観念を拘束しながら、肯定的に考えられずに、還元されるだけの意味や、今に欺瞞を生み出し、不満足を生み出し、俯瞰に攻め入る細緻なものに反し、似たようなものを増幅させるだけの幸福などにもとづくしあわせなどは、足りないものを補うためか、求めるほどにほしがることへの際限無い欲望の住処を求めるだけの自由の利用か、と促す先に現れる可能性も、稼働させられるだけの利用から、価値観を謳い、勘違いを生み出し、今に害を生み出す。
2017年3月7日火曜日
散漫な正義
彼女たちは、宗教的な和解を求め、聖なる父親像を高めていき、自らを狂わせていく。性的倒錯の夜から、森羅万象を書き換えるリズムに鬱積していく秩序を乗り越え、形成される騎士団に弾圧される前に、自らのタナトスに打ち克ち、性的に映じる死から逃れ、ニヒリズムを乗り越え、原理的な行為にもとづく正義に頓挫せずに、蓄積される幽遠にそぐう価値などに遭遇する前に高圧的に迫るセンチメンタルな夜から、ペシミストが改ざんする会話から、弁証法に至らずに、対話に用いられる卑屈な改善策から、塗布される屈辱を重ねた血にメタファーすらなく、与えられる影響をそのままに受け入れるだけの破綻者が枢要なものを持ち出し、何かを犠牲的に支配するための革命の狼煙を掲げ、換算されるだけの資本主義的な衆愚が生み出した腐臭を漂わせる傀儡政治の屍として、製造されるだけの品位を保ち、そこに欠如を告解を与えるだけの悔恨の棺に収められるまでのよどみを増やし続け、一過性の真実や、影や形も無く、あざやかさも無いものに占領されるだけに至るような価値を促すだけに羽交い締めにされる意味から逃れられずに、ずっと続くからといって、そこに権威的に備わるだけの愚鈍なものの至福に関わり、関する間にジレンマを与え、相対する先に生まれる意味などが、今に結末を生み出し、そこで終わる事だけを観念的に備わらせ、猥雑な思念から、略奪を叫び、収奪されるだけの論理から、軋轢を与え、猜疑心を生み出し、今を踏み台にし、台無しにしながら、品定めされるだけの人間的な悲哀から、求められるほどに苛立つ本心は、本能のままに裏切りを重ね、システムに吐瀉すべきまがい物の史実から、真理を用い、自由で拘束するだけの自由に立ち尽くす現代的な傲慢から、浪費し続ける先に現れるみすぼらしい現在に浸るだけの官能的な批准から、垂涎するだけに至り、幼気な者にすら体系を与え、そぐわぬものを処刑するだけに至るような権力的なものからの脱獄を重ね、圧壊する前に、自らを放置しては、妨げられずに、何かに加工される前に、囲われるだけの意味を蹴破り、自由自在を謳う前に、自由である事に束縛されるようなジレンマを乗り越え、寛容に受け取る先に愛しいと思えるものは生まれ、思う前に備わる出来事だけが、唯一愛と名付けられる前に、愛すると思う以前に、「そこに現れるものを、現れるままに愛する事を始める事を、愛と呼べる」か、と促す先に現れる裏切りから、即座に転嫁していく対象への憎悪から、散漫な意識が生み出す嫉視や、熱病を重ね、乖離していく精神から、正義に滑落し、悪を元手に、悪をモチーフにしながら、肥大化していく憎悪を増幅していくだけに至るのが、人間的な誤りであり、そこに語弊や誤解を生み出す限りに陰る本質は、精神性を謳う限りに陰るだけの出来事に恍惚としていき、狡猾なほどに生きやすいようなたやすさを生み出す限りに本質とは、保守的なものに守られ、そこに偽善的なものや、まがい物こそが、この本質を正すものである、と宣言するような法からの脱兎を目指し、弁証法的に補完されるだけの意味に引き取られ、そこで昇華に至らずに、止揚される先に生まれる差異から逃れるだけの軋轢が生まれ、そこに倒錯していく自己から、欺瞞を生み出し、差別的に繰り出す裏切りから、乗っ取られるだけの身体を葬るだけの過去という棺にしまわれる悲しみから、終焉に巻き込まれる身体は、どこか他人を介し、認識を高めるだけに、互いを嫌いながら、同族嫌悪や、隣人愛などを用いながら、互いをとどめるだけに至るような精神的な不在を埋めるための快楽主義的な業火に飲まれ、自らを補足させるだけの意味をリストアップし、自らをよく見せようと示す間に補完される苦しみへと老化するだけの身体を放置し、悪趣味なものを用い、利己的に占める間から、自己批判は加速し、自らを卑下する限りに誰かを恨むようなシステムから、思想が運ぶ混濁に慰留するだけの動機が不純なものを育て、惰性に生み出された意味からエゴイズムは加速し、誰もがナルシシズムに陥り、自分以外を愛せないようになったのだ、と促すような精神分析の欠如や弊害に保たれるだけの均衡に補完されるだけの原理が生み出した意味と罪の間で寂寞をたずさえ、カタトニーに至り、凍り付き、今に磔にされるだけに至り、乖離していく自己を離人的に傍観し続ける死をも超越した時間に引き戻されていくだけの精神から逃れる事もできずに、その場に通り過ぎるだけの何をも介さぬ自己を諦観へと至らせ、そこにとどまる事で、解決していくだけの凍結から、討議だけが、うるさく論理的なやましさを脳内で循環させ、純化させずに汚濁に変えるだけの偏執から、返事も無く、ただたたずむ自己の図々しさに鬱積していく怒りから、排出される汚穢を重ね、宇宙が始まる以前から交わる自己から、阻まれるだけに至るようなファシズムを練り込んだ今に象徴的な神を屠るような結末を生み出すような徹底した憎悪から、はびこる悪意に顛末をこすりつけるほどに、屠られる神とは、自分なのだ、と気付き、自らの苦しみの内で叫ぶような論理的な空虚さに迫る寂寞に吐瀉され続ける苦しみを繰り上げ、制限を用い、正義で拘束されるだけに圧倒される身体は、交換されるだけの空虚さだけを生み出し、死に差額を求め、終わらぬ戦争へと居たらる。
哲学的な昇華
あの空は嘆いているのだ、と君が愚行を正すような因果律の彼方で、寂寞に離れるだけの主体性を破壊するような尺度を持った論理と敵対し、絵空事を吐き出しながら、徘徊する深夜に導かれる官能的な解脱のシーンを断続的に、または、恒久的に傍観するような幼稚な企みから、秘密裏に満ちる日々に幼児退行しながら、彼は散る夜明けに黙示録を掲げ、抑止されるだけの悲劇の中でのヒロインを演じるだけだろうし、やがてヒロイックな夢を抱え、ダイナミズムに意味をなびかせ、喜劇的に生きるのであろうし、生きるとは、死を着込んいるだけであろうが、そこで諦観するようなニヒリズムに駆逐されるようなジレンマを抱え、むしゃくしゃするから、と弱い者いじめをするだけの今にすがるだけの多幸感にひざまずき、謳われるだけの信仰心は、やがて破壊的な容易さに自らを引きちぎり、悲観するほどに現れるペシミズムの虜になり、担うものや、縫い付けられるものを背負う事に置かれる義務的な要素や、蓄積する苦悩や、化合物を混ぜ込んだシリコンや、混濁する意識に迫る白昼夢や、ひれ伏すほどに勝る快感などが精神性を汚し、加算される原理は、やがて君を破壊するだけだろうし、そこに現れるものも、じれったいものであるし、やがて卑劣なものにひれ伏すほどに増していく快楽を呼び込むだけの機械や傀儡として生きるのであろうし、死へと迫り、慈しむ事すらできずに、今に奪い合うだけの権利が迫り、生命をカタストロフに至らせ、軽減されない痛みを生み出すナイトメアや、明晰な判断をできずに、囚われの身として恒久的に呼吸もできずに、あの空をうらやましげに見つめる塀の中での君の崩壊から、無為なものを掲げ、今に響かせる感応から、習慣的ななれ合いに卑屈さを重ね、起源を用い、今にはびこる悪意を受注し、それを生産的に生み出すのが、資本主義だよね、と謳う黒猫の懺悔や、凄艶に消え去るのが、生命の役目であり、そこに生きているものとは、過去に追いつかれずに、瞬間的に資するものであり、そこここで死を乗り越えられずに、便宜的な猶予を測り、はびこる悪意を生産的に捉える事が、超越のように扱われるような真理にもとづく身元不明のエゴを買い取るだけの人々のエロスに迫り、体内で生み出される計算式や、祝福が降り注ぐ満月の夜や、余罪を抱え、制限的に描く藝術的な余波から、観念論や、弁証法を超えて、騙るだけのリリシズムに整合されるだけの詩的な洋服に着替え、カスタムされた僕は、はどめも無くあふれる哲学的な要素を踏まえ、俯瞰に囚われずに、傍観的に迫る現時点から、裁かれるだけの宇宙の規律に基づく時折にひずむだけの存在を超えて、遙か無知で幼稚な論理をたずさえ、模写し、模倣するだけの傲慢な盛り場からあふれる業火や、後続するだけの言葉に乗り越えられ、ここに現れるものを、言葉で騙すだけに至らせるような感触をたずさえ、そこに描くべき是非は、今に是認されるだけの物事に透過させられる事が無ければ、そこに現れる正しさなどは、虚偽に満たず、そこに現れるものとして、白白しく生み出されるエゴが方法論のように今を屠り、君を包括し、母なる愛で捕縛し、混沌へと誘い、名付けられた途端に、自由と平和を軽やかに歌い上げ、具体案すら無く、ただ踊る事だけが、世界を正解へと導くつもりが、自らを独裁者に変換し、平衡する意識や、平静を保とうと疎ましくからまる利己的な保身を嫌悪し、顕在する意識を引き離し、貧寒なもので包括しては、疑念を持つ前に、偽善者として生きる事だけが、この死へと追いやられる恐怖に勝るような詭弁に打ち克ち、やがて専横され続ける事に耐えかねた人民が抵抗する訳も無く、同じような事を、同じように続ける事だけが、世界を世界として認識する手立てであるように作り上げた教育こそを壊すべきであるし、もう一度真理について究明すべきであるし、この術を取り除き、ロジカルな監獄へと引きこもり、自らのカタトニーと対峙する間に悲観するだけの輩が促す後進的な考えにひざまずくよりも、その先を行こうとするほどに、ゆがんだ思想を手にし、自らを独裁者へと育て挙げるだけの惰性さや、性差を用い、動作を不潔に変えるだけの遅れたマニフェストや、形成されるだけの痛みにゆがむだけの夜にちりばめられるフェミニズムを促し、男女に境目を生み出し、そこに平等を謳うほどに、間隔は生まれ、物事がゆがんだ結末に至り、男女間の格差は広がり、悲観的な考えが横行し、しあわせなどを謳うほどに、そこに生まれるジレンマに惑わされ、今に戸惑いの奴隷として、一切の権利を用いる事無く、権限とは、権力を用い、そこに生まれることごとくを破棄せずに、継続される事により、巨大な力は生まれ、誰も操作できないような力へと変わり、とがめられるだけの生命は、リベラリズムを謳い、軽薄な自己を啓発するだけの利己的な触診から、体たらくなみそぎを執り行い、ジーザスと謳う事により、右往左往し、権力を移行し、移動し続ける先にイドすら破壊され、リンクする記号や、かいがいしくむさぼるだけの餓鬼どもの閉塞的な観念論に奪われる主権や主体性は、死の外に追いやられ、生きる事と別離したものへと自己は捨て去られ、忘れ去れるだけに至るような動機や、臨界点を迎え、爆発する瞬間や、主体性を引き裂くほどの宇宙の終わりから、宦官どもが謳うような時代性の病や、やましい者ほど、やかましく騒ぐだけであるし、自分の罪をカタルシスに誘うべく、誰かを生贄にし、その犠牲をよろこぶような快感だけが、唯一の解決方法のようになってしまったからこそ哲学が必要であり、そのような時代を謳うような自分こそを疑い飛び越えるべきであり、そこにもたらされる義務に追いやられるだけの時代性などに正確性は無く、そこにもたらされる意味に権利を履かせただけに至るような嫌疑などに追いやられる者こそ、否定的であり、批判的にしか、物事を超える事を知らずに、逍遥し続ける先に迷いばかりが先行し、そこに生まれるガイダンスに従うほどに、ゆがんだものを、ゆがんだままに愛するだけに至る。
2017年3月5日日曜日
相対性
どんなものを書きたいのかすら欠如したままに、この白紙を埋めていくような予感から、引き出すエモーションなどは、シナリオを無視して、無意識をさまよい、意識下に現れる波紋を傍観する自己から乖離した自分をひけらかすような散漫な意識が傲岸不遜なものを破壊し、ここに現れる事だけを世界として認識する事からはじめようと思う。思う事とは、この意思の隣で横暴に攻め入り、制限を用い、誰かが生み出した答えを還元するほどに、権利を用い、意味に権力を持たせ、今を専横し、主義や思想が入り込み、意識的な遭難を繰り返し、相違するものとは、どこか似通うものであるし、どこからが他人のものであり、ここに現れるものに近付くほどに、ほとんどのものとの距離は深まり、そこに現れる間隔に嵌め込むべき是非すら無く、そこで是認したら最後、引きずるだけの答えに飲まれ、意思は、今に悲観するだけに至り、苦痛とは、考えを及ぼす限りに引き伸ばされ、今を覆い尽くし、つくづくに苦しみを植え込み、謳われる真実や、用いられる出来事に膠着するだけに永遠性を利用し、今に付着する死の節々に迫る死の端を引っ張るような生から生まれ映じるものが、永遠をも超え、唯一へだてるものは、そこで考えに及ぶ自己だけであり、自分を磔にし、はじめての神として崇める事から、墜落は始まるのだ、と惰性な領域から、行き違う過程や、貞潔を謳い、欠如を生み出しながら、今に奪い合うだけに至り、因果を踏み台にし、生まれた事に用いる疑問を脱ぎ捨てられずに、今に現れる苦しみだけに偏りを見出す。みちみちていく悲しみは、空虚さを利用し、そこに現れる空白を埋めるための闘争へと、あるいは自己を閉じ込め、そこに誰も居れずに、自らが備わる限りに現れる事だけに本質として備える供犠から、自らを他人のように感じ、自らを傍観し、自らの分身を生贄に捧げ、自らを破壊する事だけに専念するようなペシミズムに陥るか?はたまた快楽を追いかけるほどに、快楽に追われる事に身分を作り出し、崩壊していく観念は、自己顕示欲を肥大させ、ナルシシズムを抱え、完成されない自己を恨む事から、ルサンチマンを生み出し、奪い合うだけに至る権利から、犬儒的な思考は加速し、死に背き、誰かをあざ笑うためだけに、誰かを利用する事から否定的な人間だけを惰性に生み出すような仕組みこそが、正解であり、世界である、と宣言するような退屈な主義から、退廃は生まれる。何かを変えようとする限りに偏るのが人間である的な摂理を踏みにじりながら、権利を主張し、無情に意味を引き出すだけの卑近な価値をカタストロフに追いやるような革命から、原理は廃れ、原因は疎外され続け、自らの孤独に耐えかねずに、重なり合うものへと遂行する限りに意識は、追従する事だけに専念し、依存するだけに終えるような形あるものの義務に追いやられるだけの愛は、革命に至る前に、愛により、愛とは破壊され、自らが示す不快感に追いやられる意識的な欠如から、葬られるだけの惰性な意識は、境目を用い、モチーフとされる罪を背負うだけに、生命の起源や、緩慢な差異から引き取る恐怖や不安を考える事だけに専念し、先天的な痛みや、今にいぶかるだけに至るような体系へと損なわれるだけの意味に引きずるだけの悲しみをさえずる記憶は、やがて誰かの惰性な意識を普遍的なものとして扱い、自らに圧力を加え、空疎な意味や、今に引きこもるだけに至らせる。堅持する意味は、固定観念をたずさえ、今に付着し、記憶をむさぼる。このような硬い動機から、苛むだけの記憶は、臆するほどに窮境に迫る意味から、理論的な細胞を切り取り、何かと縫合し、新たな生命として躍動させ、苛まれる記憶が、飛び越えるべき今に分裂的に消費されるだけに、逍遥する意志は、今に鬱積するものを飛び越えるためだけに、自らの力を、自らのためだけに利用する。利用されるだけの関係を結ぶような世界との対話を始め、痙攣する意思が、横着なままに物事を運び出し、出し抜けようとせめぎ合う意思に鬱積するものが、静謐なものを動かし、情景に達する苦しみを脱ぎ捨て、むせび泣く現在に怠惰なものを巻き込み、毎日に迫る寂寞をたしなむ。記憶に現れる孤独な光景に処される苦しみへと疎外されるだけの自己が演じ続ける先で、裁かれるだけの意味を用い、もたらされる悲劇や、用いられる事により、増していく苦しみなどに起源を持たせ、意味を悴ませるだけに至るような窮屈な遭難者として現在を徘徊する意思は、虐げられるだけに至り、浸る意味から、悲観的に引き取る苦痛を倍増させる事だけに専念し、誰かが促し、宣言されたものを、あたかも自分が言い放ったように語り出す間に欺瞞は生まれ、意味を踏みにじり、不潔なものを運び出し、意味を吐瀉するだけの対象を用い、率いる意味へと引き込み、苦しみを与えるだけに至るような苦しみを縫い付けるような眠れぬ夜に血合いを施し、散漫な意識に置いて行かれた空っぽの身体に嵌め込む是非から、暗闇で抗う善悪は、互いを知らずに、互いをとがめ、傷つける事だけに専念する事こそが、弁証法であるのだ、と促すような誤りから、過ちは加工され、高潔なものは偽装され、そこかしこに過去から引き出したジレンマから、トラウマを生み出し、何かをフラッシュバックさせ、不安を生み出す事だけに専念するような生命などは、何が正しのかすらも知らずに、幸福を騙る。有史以来、騙し合う事だけに専念したような日々を徘徊し、対話を施さずに、そこかしこに正しいとされるものへと強制され、矯正されるだけに至る正しさとは、正しい事など無く、そこに権利を生み出す限りに、何かの力を借り、自らの意思は無く、何かに与えられた力でのみ、何かを裁く事だけを正しいとするならば、用いられるシステムなどは、退廃と破壊しか生み出さずに、今を保存し、補完されるものなどが攻め入る限りに、自由と愛は名ばかりで、騙られるだけに至り、浸る意味などは、悲観させるためだけに独善的に利用され、自分こそが、正しいとされる者がうごめく現代に相似し、近在するものなどは一切無く、そこに現れるものなどは、何も知らずに、真実だ、と信じ込まされている限りに至る答えなどは、答えに利用されているだけに過ぎず、魯鈍なものに陥り、そこに現れる意志などは、何かに追われるだけの意志であるし、そこに現れる力などは、自らの力にあらず、そこに現れる力などは、誰かが促し、外から措置された借り物の力である。
2017年3月4日土曜日
なにものにも屈さぬ意志
君の泣き声が空の彼方まで広がって、注がれる愛や、供犠の生贄として、遙か無知な胎動に囲われ、恒常的なよろこびを放つだけの君の呼吸が、答えすら持たずに、個体として生きる揺動から、敷衍し続ける思いが、行いを超え、ないがしろにしている答えを飛び越え、途端に現れる確かな思いが、ここで思い出になる前に、プリミティブな衝動や、正午過ぎにあふれる折檻の声や、暴かれる真実を黒く塗る君の律動から、輪唱する神話を超え、心ない真実に投下される爆弾の音や振動が後続し、あらゆる論理をかき消すような轟音が鼓膜をつんざき、実証実験の中での餌として扱われる悲劇的な小生に現れる諦観などを乗り越え、口実に結ばれるだけの正解などは、所詮世界を諦観で埋め尽くすだけに至らせ、至らぬ思いが、そこかしこでジレンマを抱え、肥大する苦悩が、能動性を汚し、慧眼に至らずに、穢れた目で惰性に物事をにらみ付け、退廃的なモジュールとして、生産的に生きる事でしか、答えを答えとして応じるだけに至るような兌換だけが、勝敗を分けるなど、と魯鈍な者が示す差異だけが、生きる事での差額を生み出せずに、ルサンチマンを引き出し、機関的な愛憎から、あいまいなマインドは毎日にデリカシーなどを求め、統合されるだけの日々に露骨な支配を求める事だけが正解へと導かれ、確かなものへと変化していき、経緯に悶える兼用されるだけの事実にリリカルなものすら無ければ、欲望のままに促され、誰かがよろこぶ事が、誰かをしあわせに導くなどと魯鈍な正否を促す限りに、陰る本質は、真実をうやむやにしては、妨げを生み出し、アクセスできなくさせるだけに済世を促し、度重なる暴虐の日々に緻密な意味を排出する限りに偏り、勝ち誇るだけに至るような正否にもとづく清貧な事などは、所詮は、偏った視点でしか、物事を見つけられずに、そこに現れる魯鈍な観点から、諦観へと誘うだけの卑屈なロジックや、浪費するだけの観念が生み出す観点などは、物事を確かなものだ、とむやみやたらに信じる事だけに専念し、旋転する意思は、制限を生み出し、宣言に騙され、混沌へと誘われ、途端に苦しみを媒介しては、惰性なものへと陥り、応じるだけに浸る意味から悲観するだけに至るような意味に関するほどに、言い分けがましく、徒に日々を消費する事だけがキャピタリズムのしきたりのように思い、扱われるだけの空虚な身体を引きずり、与えられた権利に惰性なものを重ね、自らこそが正しいのだ、と惰性に引きずる身体が、故郷を求め、或いは、帰る場所などを謳い、返り血を浴び、罵声に耐え、絶え間ない苦痛を敷衍させ、普及される普遍性の中で卑屈な者として、意味のモデルケースに吐瀉する応益的な諦観から、訂正されるだけの真実に縫い付ける人畜無害だ、とうそぶく惰性な愛から欺瞞を生み出し、不満足を謳い、足りないからと求める愛などは、愛に至らずに、名ばかりの愛は、名付けられたものに汚され、その場で傷つくだけに至り、体系的なものに処される意味などに刑罰を与えられ、それこそが敬愛の念を抱いている証拠なのだ、と魯鈍に吐き出される意味がハミングし、反響する音が脳内に響き渡り、洗脳され、占領される間に専横的に示された意味に閉め出され、洗脳された意識は、誰かに正しさを用い、何かで専横する事だけを目的に変え、多角的に物事を捉えられずに、惰性な判断だけが、正解へと導く近道である、と嚮導する者などは欺瞞的な者であるし、不満足を武器に、快楽へと導くだけの傲慢な機械兵であるし、閉塞的な観念を植え付け、判断を誤らせるだけに至るような意味から、不安を促し、同調する不安だけが、与えられた不安を解消する手立てであり、そこに用いられる不安などは、他者から媒介し、与えられた不安を、あたかも自分の不安のように示す事でしか、解消できぬ悩みなどは、悩みに至らず、与えられた不安を自分のもののように示す事でしか昇華できぬサディズム的な消費から、逍遥し続ける精神はシステム的なものに捉えられ、意思をとがめられ、もとづく意味を惰性に判断し、虐げられるだけに強制的なプロセスへと移行していくだけの苦しみの供犠の中での生贄として生きる事だけが、答えだ、と高圧的に攻め入られる顛末から、天啓を得たのだ、と勘違いを施し、安易な意味への欠落から、答えへと欠如し続けるほどに後悔などを促し、退廃的なものへと陥り、瀰漫する不安は、今にもとづく不平不満を枷に変え、苦しんでいる事を演じるだけに至り、現時点に備わる苦しみは、誰かに与えられた影響により、その不安におののくだけの苦しみを演技的に消費する事だけが、現時点の苦しみを消費し、交わる苦しみを解決に至る証拠へと引きずるだけの過去からの影響を今に絶えず与え続ける事だけが、惰性な苦しみから逃れる方法である、と宣言する間に散漫な意識は、次から次にちぐはぐな苦しみを生み出し、意味を分散し、今に与えられる苦しみに虐げられ、従える意味などを乗り越えられずに、今に与えられる苦しみを、過去から引きずった意味で解消しようとするようなデカダンな答えなどが、有史以来、意味を卑近なものに変え、答えを、卑屈にねじ曲げては、真実をうやむやにし、意味の無いものに意味を授け、あたかも価値があるように示した辺りから、苦悩は肥大化し、悲観し続け、そこで従う事だけが、唯一答えを乗り越え、今の苦しみを麻痺させるために従事し、従属する事だけが、苦しみを乗り越えられる答えであるのだ、と促すような答えこそを蹴り上げ、自らが生み出す意味だけで、答えを乗り越える事こそが、不安をかき消す事である事を知るべきなのであり、何かに促され、誰かに与えられた答えなどの一切は、まやかしであり、自らが産み出す決意だけが、本質に至るの、だ。
2017年3月3日金曜日
精神的な飛躍
空虚な身体は保身を抱え、妄りに嵌め込む意識的な虚空や、交通し続ける先に緩慢に作用する原理や、理解をほどこす以前に、怠慢な理由を放送し、耽溺させるだけのメディア的な理想へと供給されるだけのプリミティブな罪を配布され、共通する意識から、傲慢な選択へと至らせるだけの狂気に疎外させ、多目的な理由や、ルーツに混在する意識的な汚穢を敷衍させ、巻き込まれる意識は、儀式的な生贄として、散漫に配される間にジレンマを抱え、自らの戦場へと課せられる義務的な調和から、超克されるべく苦痛をもたらすだけの猜疑心を抱えた日常に迫る、誰をも羨む心から、ことごとくはキャピタリズムの中では立派な歯車として生きる事だけを目的に、或いは、ぼくとつに生きるべく、仏教的な対話から、何もかを捨てる事だけに現れる強調されるだけの質素さに専横され、自らの欲望に素直で無いほどに、何かに偏るだけに至り、何かを捨てようとするほどに、自らに倒錯し、等差を生み出し、自らの死の内部で磔にされ、死をも捨て去る間に生まれる分裂的な多幸感が簡易に備わり、安易に排出される理由に磔にされ、自らの死を傍観するだけに至るか、或いは、薄明な時折にロジカルな平等をこしらえ、卑近な愛を用い、元手となる愛は、資本的なものに破壊されるから、と赤い鉄槌で打ち付ける傲慢な差異から、散漫な意識に配される愛は、平等の名を騙り、平らにしようと何度も打ち付ける轟音が響き、日々に嬲られる前に、この疲れから排斥されるだけに、苦痛の徴候に閉め出され、感化する以前に、大量に覆い被さり、いぶかるほどに、現れる苦しみに覆われ、嘔気を重ね、心ない何かに課せられる義務から、空疎な意味を吐き出す口を縫うほどに、魯鈍な神経からあふれ出る憂鬱のシンフォニーや、フォルムを汚し、慧眼に至る前に、現れるものを見つめるほどに、強調される痛みが、些細な動機に射し込む光の優美さに包まれ、つくづくに迫る生命の語源や、悟性を失い、ないがしろにしていた主体性から、集光し続ける先にバビロンの憂鬱や、吐き出される先に疎外され、境目も持たずに、用いられるものに疎外されるほどに、よろこびは俯瞰を覆い、何かを見つめるほどに、そこで現れる苦しみにあらわされるものを昇華させ、死は、なりあいを潜め、そこかしこに結ばれ、弔われる。形を用い、誓いを生み出し、制約され、規律を生み出し、そこで強調される罪の意識を生み出し、用いられる意味に浪費されるだけの観念を計測するだけの見知から、勘違いを生み出し、補足されるだけの関係から、経過するだけの意識に護送される囚人として、生きている限りに罪は増え続けるのだ、と傲慢な者が示す領域から増幅する罪の意識に拘束され、強制的に従事させられる罪の意識の中で苛まれ続ける事により、従う事だけが、楽な方法であり、そこで課せられる方法論などに相姦させられるだけの他者の身体を介さぬ同じ血の中での交わりに促されるようなデリカシーから、過信するほどに生まれる魯鈍な決別から、空疎な領域から現れる忿怒に飲まれ、分泌し続ける憎悪に修復される最低な日々を補足するだけの浪費される観念は、還元される苦しみをめくり続け、集う意識に排斥されるだけの痛みに分裂していくだけの意識的な汚穢に加工されるだけの品位を即し、疎外感を促し、観点に疎外され、置いて行かれる身体のいちばんの理解者として、懐疑的な日常に派生する真実の進路を妨害し、忘我の境に至り、何かを忘れ去る事だけが、痛みを取り払う義務的なギミックに変わり、絶え間ない痛みを疎外させるほどに、痛みは舞い込み、何度も苦しみを再利用し、そこに現れる苦しみだけを正義であり、そこで備えられる苦しみこそが、よろこびである、と告げる先に現れる苦しみなどに鬱積する状態に移行し続ける先に現れる非現実的な昇華から、逍遥する意識は、時折に歪み、ここに時間的な猶予を用い、戻されるだけの距離から、嚮導する者が犯した罪を課せられるだけの他者に移行させるための罪を体感させようと強要し、そこに現れる痛みを同調しようとするだけの感情の互換から、全体主義的に移行するだけの精神性から、制圧されるだけの精神に浸るだけの起源から、機関的なまやかしから、あいまいな現在に点在する意識的な合成から、生後から抱える罪の意識を背負った分だけ、退廃せずに、昇華へと至るような創造性が表れ、そこかしこに備わるだけの意味を乗り越え、その場で超える事だけを目的に答えを持たずにさまよう先に現れる迷いすらも、ここに現れる答えを弔い、後退せずに、ただ進み続ける先に産み続ける意味がたゆまずに、この場で伸び続ける事だけが目的であるし、あらゆる意味を飛び越え、怯えても進む事だけが答えを乗り越え、ここでこしらえられるだけの問題を提起されるものに反し、現れるものだけが真実では無く、そこに現れるからこそ虚偽であるし、ここに連ねられるものなどに法則的なものすら無く、そこですがるだけの宇宙との協調など無く、そこで外れるだけに至る個人的な郵送から、憂鬱へと返事を続ける不安の神との対話を終え、そこに現れる苦痛すらよろこびに変えるような創造性だけが抵抗を加え、そこで苦しむ限りに下される意味に欠乏していく意識的な諦観を呼び覚ますだけの他者から借りた意識にカスタムされ、課せられる罪をかぶるだけの代償の対象として、今に苦しみを帯びるだけの低劣な主義から、思想を借りるだけに軽薄なものや、経過するほどに保持する重圧に押しつぶされ、偏るだけに至るような共通の意識に儀式的なものを生み出し、意味からはみ出す事もできずに、自分の空疎をねぎらうように、何かに依存する事だけが、答えを捏造し、今に現れる苦しみを同じように苦しみように、と自らを強制的に抑圧させる事から逃げられずに、同じような過ちを何度も繰り返す事が儀式的に執り行われる事だけを、答えのように扱う事に現れる憂鬱に従っているだけなのである。
2017年3月2日木曜日
アンチテーゼ
郷愁になびく思いが、赤裸々な文明を伝え、黙示録にたずさえた、恋心を拾い上げ、斡旋されるだけの身体を傍観し、他者からの災いを引き受け、簡単に処理されるだけの論理へと引き伸ばされていく過去を追いかけるのが、今を生きているということであるのだ、などと促すだけの論理的な彼女の足跡をたどり、カルマが分散しても尚、因果律にとどまるだけの惰性な時間の敷衍に飲まれ、記号化されるだけの論証に心ない何かを枷にし、にじむ血から引き取る普遍的な構図から、トランス状態に至るまでの形跡を踏みにじり、夜が明けるまでに、課せられた罪に着替え、誰もが謳われるだけの行為にもとづく快楽へと手なずけられ、懐かしむほどに、魯鈍なものに変わるだけに至るような魂の交わりも、いたわるほどに、互いを痛めつけるような行為に引き落とされるだけの金銭だけが目的の儀式から逃れ、孤独であろうとも、伴う痛みが、最大限の孤独を促しても尚、ここで用いる事だけが絶対へと変わり、希望なども瞬時に乗り越え、ここにある孤立こそが、ここで備わるすべてを前衛的なものに変え、とがるほどに、誰かに突き刺されば、ささくれた儚さや、悲しみを備えるだけのエレジーから裂けて、最高の瞬間へと昇華する事に置かれる快楽から逃れ、ここに用いられる苦しみこそが、私が演じるすべてであるのだ、とカタストロフを促すだけのペシミストどもが忌む瞬間から、闇夜は生まれる訳であるし、ここで履き違える意味から、空虚感を生み出すだけのニヒリストどもの対話から、悲観的で、感傷的な夜空は、余罪を求め、誰かを否定するように、自分を否定するのであるし、そこに生まれる不安に誘われ、陰鬱な焦土をのぼる次々に剥がれ落ちる肌をながめ、長い夜にほどこされる苦しみを散文に変え、分裂する衝動に塗り替えられていく寂寞から、緩慢に作用するだけの理性的な夜がほどこす罪の意識が罰する主観にはびこる善悪も、神を持たぬから、ここで爛れる訳であるし、そこに憐憫を持たぬから、紊乱なものに犯され、高次に至らずに、自らを神に変換し、懐疑的な何かを神で加工するだけに堕落する訳であるし、そこで落胆しても尚、攻め入る過程に逃れるためだけに、誰かを犠牲にするだけの主義や思想が、理想をリロードし続け、スキームに飲まれ、効率良く済ます性的な処理から、律動する欲望のダンスにさんざめく昨日から、加速する自由は雨に濡れ、あいまいな原理に引き裂かれ、自らの普遍的なもので加工し、懇意なものへと引きずられ、卑近なものに陥る。襤褸な過去から引き出す購いなどが、リリカルなものを引き出し、悲観するだけの彼女の蛇行する予感から、幼児退行していく可燃物どものセレナーデや、離間にはびこる悪魔崇拝的な夜空から生み出される黒い月のアクメや、懐疑的な思考から生み出される多幸感などが、襤褸に変化し、平行宇宙を汚すのであるし、そこで用いられる破壊的な真理から、私とは産まれたのだ、と妥当な位置から引き出す悲観などは、不安に覆われるだけに傷む心と引き替えに、身体を交換し続ける先々で、介在する意識を捨て、苛むだけの記憶に受理されるものへとコード化される。苛む記憶は、過去から根幹を腐らせ、困難を用いるほどに、一途な意味を見出せずに、腐乱する意思は、一切に崩れ去る。境涯に耽るだけの意図から、緻密な苦悩が巻き込み、言葉が、理を捨て去り、苛むだけの場面で孤立し、拗れる先に生まれるゆがみから、一切は、破壊的な集光を続け、まばゆい光で包み、何かを見えにくくするような正義から、成敗は生まれ、今に排除される苦しみへと引きずられるだけの過去からの嫌悪感が、今を引き合いに出し、兌換されるだけの苦しみに住まいを移し、つくづくに攻め入るセンチメンタリズムに意思を奪われ、抵抗力を失わせたところで、死に追いやるような卑怯な手口が迫り、分担された死に追いやった罪は、対象を見失い、他者が与える死の苦しみから逃れられずに、そこで苦悩は膨脹し、一切に罪の意識を持ちこみ、そこで孤立する絶望へと追いやられるような苦しみなどは、他者から与えられたようで、自らが生み出した苦しみこそが、いちばんのゆがみを授け、他者から預かる影響などは、ほとんど影響も与えずに、絶えず自らが与える影響だけが、苦しみを倍増させる。他者から与えられる痛みばかりが、表立つように思うほどに、自らに与える苦しみは倍加し、思うほどに、苦しみとは、今に影響を与え続け、急かす苦しみに追われるだけの自己を誇張し続け、強調される痛みは、どこか遠くでなびき、意味を嬲るような連中が用いる苦しみが聯立しても尚、自らに反響する思いの強さだけが、今の苦しみを拘束しながら、苦しみ事だけに意識は集中していく。いくばくかの解放を促すための鐘を鳴らすべく、苦しみに厭うほどに、浪費する観念を取り除き、そこで孤立するほどによろこびを示すべく、ベクトルは、正解を持たずに、世界などは、すぐさま裏切り、自らを超越させるべく、自らを超えるなどと簡単に吐き出すほどに、平衡を失い、偏るだけに至るか、或いは、そこで苦しみを増していき、慢性的な痛みを受注する事に置かれる資本的なものに拘泥するほどに、論理的な何かをこしらえ、自らを膠着させるだけに至る。その経緯や、過程に虜になるほどに、儀式的な慰みから、苛むだけの婚姻から、猥雑な観念を捕食するためだけの闘争を生み出し、何かを踏み台にするだけの理想から、供給される苦しみは、革命を用い、何かを破壊する事で、もっともな快楽に邁進し、そこで止まらぬ快楽は、破壊するためだけに、破壊を続け、破壊に至る事だけが、いちばんの快楽を用い、市場を癒やすのであり、そこで疲れたギミックが用いる疑似的な模倣から、奉納されるだけの身体を処理するだけの快楽をこしらえる先に与えられる影響は、愛を謳い、何かを騙す事だけが、成功への鍵である、と宣言し、遷延するだけの考えは、懐疑的なものを用い、独りよがりになり、担う意味を騙すためだけに対抗し続ける事だけが、世界を救うのだ、とうそぶき、ことごとくに中指を立て続ける少年期的な捻転から、剥離していく過程にモラルが速度計を振り切り、自らの用いたスピードにより、大破するような自由が炸裂する夜に不在である私のアンチテーゼ。
2017年3月1日水曜日
昇華する神経
押し込まれ、居場所を失った意思は、進行を妨げられた恨みを晴らすためだけに生きる。平衡しようと捕らえて離さぬ私の意識から、儀式化され、今に慣らされ、平均的なものとして、誰かを崇めたり、恨んだり、憎んだりする。下るだけの意識は、歪んだ感覚を携え、自分こそが正しいとして、正義の鉄槌を下す。破綻した会話の中に滑り込んで行く高慢なものが、関係を破綻へと追いやられ、抑圧される精神は、制限を用いられるほどに反発し、配備される理由や、集団心理に巻き込まれ、確かな判断を失い、自分こそが正しいのである、と認識させられているだけに満たない認知から、人間とは、傀儡と化し、全体主義的なものに陥り、自らに酷似した者を蔑み、終わらない闘争を生み出す。秩序を持たぬ精神は、正否を超え、自らが生み出す抵抗だけで、成長を遂げ、惰性なものを排除し、積み上げられた憎しみや、分裂するだけの過程や、カテゴライズされるだけの軽々しい秩序や、一体感を求め、退化へと至るだけの道筋を歩き、緻密なものを排除し、同じようなものを恨むためだけに、多元に放つ記憶の微かな災いや、猥雑な思いに降り注ぐ惰性なものから、達成感を排除し、離間へと至らせるだけの対策から、大義は失われ、互いをとがめる理想から、高めるほどに、内観に現れるジレンマが、倒錯へと至り、自らの戦士としての記憶を排除させ、配備される間にむしばむだけの憎悪が育まれ、猥雑な記憶に廉恥を埋め込み、そこで拘泥させるためだけに、後悔などを交換するだけに、そこで膠着するだけの意識は、惰性な真理をまとい、体感する以前に、寛容さを損ない、そこかしこで配膳される記憶に阻まれ、慢心に至り、浸る意味から、利己的なものを邁進させ、慢性的な妬身へと至り、蔑視する事で、満足感を生み出すだけの簡易な購いから、あいまいな毎日を崇めるほどに、魯鈍なものへと至り、誰かを恨む事で、今に現れる苦しみを消費し、昇華する思いは、藝術的なカタストロフに行き着き、果てるだけの精神は、犠牲的な意味を加速させ、拗れる後先に時間的な信仰をまとい、端的な悔悟から、短絡的な履歴を追い続けるほどに逡巡する意識が、純化するまでの軌跡をたどり、退廃的なロマンから、問診を繰り返し、精神的に懐疑を溜め込むだけの行為にもとづくエゴを引き取るだけの永遠性に唾棄されるだけの鬱々とした観念を誤解へと導くだけの答えで捏造するだけの関係から、改善されない痛みは、今にいぶかる事だけにイメージを補完し、執念だけをまとい、意味に意思を授けずに、死を当てこすり、与えられる苦しみだけに散漫な代償を求め、解消されない痛みは、体外に果てるだけのジレンマを加工するだけの呼吸を重ね、宇宙が広がり始めたころから、この苦しみは受注され続け、誰かに無慈悲に送り届けられ、滞る事だけを目的に、互いをとがめるだけの理想は、矜恃を保つべき基礎も、記号化され、安易に暗号に変えられ、疑心暗鬼を生じ、証拠も残さずに、傷痕ばかりを増やし、インタラクティブに操作されるものから、問答を続け、つたない意識が綴る儀式的な伴侶へと基礎を移し替え、運動的な忿怒から、媒体に戻る記憶の数々が、誰かの意思を買い取り、懐疑的な日常を名付ける事で、安易な安心感を引き出し、悲観するだけの精神のモデルケースをいくつも作り出し、そこで精神分析を続け、綴る意思的なまやかしから、散漫な意識に求められるカタルシスや、襤褸なものをかぶり、分断されるだけの幼稚な仕組みや、くみ取るべき意味も、育むべき今に愚行を重ね、欺瞞へと浸り、悲観する者を宗教的に騙す事だけで、観念をこしらえ、そこで信じるべき理想を追求するほどに、魯鈍な法則を生み出し、ちぐはぐな意識は、破壊され、原生のものを損ない、そこかしこに不安をまき散らす鴉として泣き腫らす現在に起動されるだけの意味が蓄積するだけの苦悩のボタンを押し続けるほどに、快楽は増して行く限りに現れる苦悩から、能動せずに、檻に入れられ、そこで処理されるだけの快楽へと厭う事無く、没頭する事だけに、根源は損なわれ、そこで擯斥されるだけの孤独感を増し、慢性的な痛みは、今に処理される事を待ちわびるほどに寂しさを増し、制圧されるだけの痛みによろこびを攪拌させ、懐疑的な日常に開示される乖離し続けるだけの自己を傍観する利己的な自分を消費するだけに陰る本質は、誰かを取り込む事だけが、自らの存在を強調し、そこに現れる不安を消耗していく鍵である、と影である自分が現れ、そこにあたかも立っているかのように見える自分も、まやかしのように見えるような段階から、断裂していく意識が、位置的な苦しみを抱え、空疎な分離を続け、分断され続ける先々で対立を深め、解体されるだけの身体を、多目的に傍観するような自己を従え、何度も往復する他者を介した存在の歯がゆさに対立を深め、俯瞰に攻め込む正義も、傍観者として派生する他者を介した違う自分を何度も縫い付け、そこにとどまる事だけが、記憶をそこで生産し続け、あったはずの苦しみもよろこびも、どこか、他人の事のように感じるように感化させるような幻想から、原理的な理想を育むべきだ、と敵愾心を生み出し、短絡的な憎悪を生み出すような演技を続け、大人になるための矯正から、担うべき意味に違いを見出すだけの先々で乖離するほどに、対立は生まれ、論難をあびせ、そこで達せられるものなどは、そこへと近付こうとするほどに離れる事ばかりであるし、そこで阻まれるほどに、悶える憎悪は燃えさかり、誰彼かまわず燃やし尽くす事だけに専念し、遷延するものに巻き込まれ、自らを堕落させるだけに専念するような快楽的な何かを反故する者や、抱合される先に生まれる差異から、惨憺たるものを生み出すだけの性悪説にアクセスするほどに、魯鈍なものへと落ち込み、応じるほどに、偏向する意識は、誰かを裁く事でしか、自らの不安を解消できずに、対象を虐める事でしか、自らの恨みを晴らす事もできずに、そこで解消され、昇華へと至るような創造性を持たぬから、そこでこしらえられるものに、誂えられた理想を信心する事でしか、存在を確かめる事ができない。
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