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2017年9月27日水曜日

ひしめくことば


 すごい形相で世界をにらみつける君の神秘的な解像度にひらめきと痕跡を残すだけの世界の胃の中で真相解明されるものなどは、答えを用いるだけの退屈に悲観をぬいつけ、あたかも悲しいように示すような愛などが、愛と呼ばれ、一途に何かを愛することすら平気で捨てるような現代的な空虚感に磔にされた君は静謐の彼方で理論的な相応と、構造的な排除を謳いながら、長らくに迫るセンチメンタルな雰囲気に解除されるだけの公平性から、平衡を謳うほどに偏るのが、この世界での普通であり、そこで平等を求めるほどに、誰もが差別的な変換を繰り返すための反復から、干渉するほどに、形跡を汚すだけの生活から、芸術性は、制度の中で膠着し、あらゆる創造性は、普遍的なものに統合され、正常を用いながら、秩序や倫理の彼方で自然性をそこない、そこで境界を生み出すほどに、普遍性とはそこなわれ、そこで普通とされるものに苛まれるほどに、真実や自由などはそこなわれ、そこで仮死化するだけの日々に加工された自己を幻想の中で惰性に行き来させるだけに終えるような日々に空虚さが溜まり、超巨大なニヒリズムに変換されるだけの自己を傍観し続ける自分をシステマチックに処理し続けるだけの官僚制的な性的な制圧から、圧壊した精神は、悲劇を加工しながら、ゲノムの中にまで苦痛を浸透させ、次の人類にまでダメージを与えるのだ、と井蛙な者が閉め出すだけの意識的な苦痛に共助し続ける法の中で善悪を示すだけの欲望を変換し、顕官が生み出す劇薬のインクで落書きされただけの現実などに消費される精神は、敬神するほどに、全体主義的に消散されるだけの定めに悔悟をため込みながら、自ら生み出す罪により、憎しみを加速させ、ルサンチマンに変化し、自らを殺めるための祈りをし、織り込まれる憎しみとの対峙を続け、互いをとがめるだけにひたり続ける苦悩が擬態化し、加算される苦痛に処理される日々は、憎しみを変換し続けるためのシステムとして強固なものになり、担うべき意味に希望を持たせずに、ただ、何かを処理し続けるために、恨むための対象を作り出す。

 制御不能におちいった行政が生み出す階段をのぼるための日々は退屈に極まりない、と回線を混濁させるだけのあいまいなマインドは、何かを破壊するだけで、何も生み出せずに、何かを否定することだけが、自らを癒やすのである、という偏執した意識などは、すべてペシミズムに毒され、自らこそ正しいという誤りを正せずに、過ちをとがめるだけの理性をそこなった怪物どもが支配することに従属するほどに、補完され続ける憎悪が高尚をそこない、善悪の表に支配され続けるほどに懈怠する精神は、軽薄な信仰にひたり、作り物の神や、張りぼての神を自らが作り出し、神格化された人間が作り出した神を信仰するほどに空しさは昇華されたように思えるだけで、そこで信じている自分を信じることを忘れているのであり、あらゆる真理を持ち上げ、自らをそこなうためだけにためらいを生み出す空疎な信仰のコードで上書きされただけに満たない現在に絶えるだけの理想を組み込むための帰巣を繰り返す意識は、偽装され続けるほどに偏執していき、義務感に追われ、観衆に答えるために演じ続け、自らを消費することだけに専念し、自らをねじ曲げてでも、何かを同調することを選ぶほどに擦れは生まれる。

 ここに現れ、あてがわれる正否や生死を超えて、陰鬱な因果を超克すべく、統合されるだけの日々が示す正常さなどは、そこに用いられる差異が示す正しさだけが、示す正常であり、理性をそこなった者が示す快楽的な段階が生み出した政治的な正否から、啓示された者だけが、正しいことを語るのだ、と騙るような全体的な世界が示す暗澹とし、澱んだ答えの中で垂涎する者だけが、正しい物事を設立させるのだ、というあいまいな正しさが示す正しさなどは、答えを撒き散らす汚穢にすらいたらずに、自らの汚さを隠すために何かで偽装し、自らを正当化するための答えを吐き出しながら、次から次に何かを汚すことだけに専念することだけが、何かを正しくするのだ、という誤りに気付かずに、起動されるものだけを捉えることだけが、正常であるように示すような機械的な改ざんから、感覚をそこない、流されることだけが正しいことのように示される間に迫るアイロニーや、そこに生まれる隘路によりさまよい、ふさぎ込んだ感情が混濁する意識的な誤りから、精神的な相続を受け取り、あたかも正しいように示す間に生まれた正しさなどは、ただ、何かを支配し、制圧し、自らの私腹を肥やすための理想を、今にあてがい、あたかも正しいように示す間に生まれる絶え間ない怒りを生み出すだけの理想などは、理性などは持たずに、諸元から現れた膿を漁るだけの貪婪な者として成長し、反旗を翻すために快楽的な破壊の段階へと上り詰めるだけのオプティミズムが横溢させる自由などは、自由を利用し、何かを徹底破壊するための理想を供給し、過剰になった精神は、自らを止める手立てすらそこない、何かを破壊することだけが正しいもののように崇めることだけが、正しいことのように扱われるようになったことが、今に永続している。

2017年9月26日火曜日

原生


 抵抗感をましていく意識は、自らに対立しながら、反芻する意識が、儀式を超過し、完全性を謳うだけのアイロニカルな照応から、寛容さをほどこす論理的な育みに帰巣する意識的な鳥たちが脳内を旋回し、循環することで、煌煌と輝く印象的な緩和から、生じる由縁にもとづく永劫をほぐし、緩衝する隙間に、関連していく思いは、姿勢を正し、自らの証拠をねだるだけの君のエゴすらも受け入れることで、この行いは、協調をめざすよりも、同調にもとづく痕跡を追い越すだけの諦観をむさぼる輩の獰猛な欠如を受け入れるよりも、幼稚なギミックをほどこし、一体感などを謳うよりも、引き合い続ける意思的な共立から、確かな愛は、めざすべきものを直立にし、憎むよりも、そこで伸び、能動的に消費する猥雑な観念が打ち出すファシズムや、憤懣をかき鳴らす同情のカラスどもが貧相な主義を用い、物々しいもので、今をしいたげながら、史観を打ち砕くほどの補完を高らかに謳い、興じる由縁や、消耗するだけの日々に世界性を征服するためのニヒリズムを用い、混沌とさせるほどに、補正され続ける精神などは、正式な意味を持たずに、もたらされるものに左右され、猜疑心を溜め込み、互いをとがめるだけの論調から、浪費し続けるだけのシステマチックなものとして物質的な猶予やから、流動し続ける先に現れる悔恨や、根源を焦がすほどの愛が補填する愛が多面になびき、自らを消化させ続けることで、ことごとくの苦しみを昇華にいたらせ、万物になびく優雅な意志が、従えるものも持たずに、立場を使わずに、用いられる名前に反することだけが、ここでの感触を確かなものに変える。
 捕食者が流用するだけの悲劇がもたらす構築されただけの理由が収容された囲いを打ち壊し、記録されただけにみたないものを崇めるだけの輪唱から、懐疑的な日常に迫るヒリヒリとしたものが、空間を支配し、誰もが、何かを恨むための同調をねだり、めざすべき確かさも足枷に変わり、かいがいしく謳われるものに介するほどに、関するものとは退廃し、そこで用いられるものなどは、苦しみのサイクルを繰り返しめぐり、そこで反復し続けるものが、互いに反響し、そこで反旗を翻すための猛々しいものを否定し、貧寒な者になるべきだ、と説得するような普遍的な迎合から、エゴとはねじ曲げられ、自らを強調すべく、自らの意志を従えるだけの者が、何かを得るべく、懶惰なままに何かを選ぶことで、ことごとくはねじ曲げられ、そこで与え合う影響は、互いをとがめるだけの理想を強調し、同情を求めるだけの退廃的な理想は、理性を持たずに、輪唱するものだけが、ここでの意味を強固なものにし、そこに現れる理由などは、たいした意味も孕まずに、ただはびこる悪意を捏造しながら、勧誘し続けるだけのシステム的なものに疎外される意志は、短絡的な高揚感を求め、売買することで快楽へといざなうだけの退化から、干渉するほどに、自らを幼稚なものに変化させ、限界を生み出すだけの資本的な記号として生きることだけが、正しいものである、と宣言し、自らを退廃させる。陳腐な理想を掲げ、自らを騙すほどに、ほどこされる意味は、今をちぐはぐにし、誓いを立てるほどに、自らを誤りへと導き、引き合いにだされたものに惰性で支配され、行き交う者が、正しさを語るほどに、自らの正しさとは、程遠くなり、担うべき理想などはなく、ここで、似合う者になるために、何かと合わせるほどに、自らを喪失し、幼稚な世界に組み込まれていく。理想とは、理性を失うことで求められ続け、用いられたものに支配されることで、芝居じみた毎日を納得させるためだけに、理想とは現れる。
 本質的な愛を改ざんし、換算するための贋物の愛が迫り、愛と騙られるほどに、愛とは、自らを愛することをとがめるだけの理想を生み出し、理性をそこなわせ、そこで蓄積される苦悩と対峙するほどに、自らを奪うための関連性を示すようなコードの中で、行動をとがめ、駆動すべき理性も、そこでマゾヒズムにひたり、自らの意思で動くことは、何か悪いことのように思うほどに、自らを誇示する機能が働き、自らを騙すためにためらわずに誰かを騙すほどに、自らを未熟な者に変え、何かをしたがえることで、自らを誇示し続けるほどに、自らとの懸隔は生まれ、はびこる悪意が生み出し等差に支配され、自らを喪失し続ける先に生まれる偏りが示すものだけが、物事を確かなものに変えるのだ、という言辞の足枷を外せずに、ただ、短絡的に退廃することで、情報の中で譲与されるものだけが、自らを正しいものに導くのだ、という神が死んでから生まれた情報という神の中での善悪などに善悪などは存在せず、何かに左右されることで、自らを善にも悪にも変換できるような簡単な処理の中で勝利を謳うような模範解答的な普遍性こそが、清潔感をもたらし、自らを善良な者に変えるのだ、という誤りから、過ちは加速し、そこであらがうべき意志も、自らの正しさを見出すほどに、自らを見くびり、自らが正しいのに、何かに左右されることで、自らを正しいものに仕立て上げることもできずに、蓄積される情報に飲まれ、自らの誤りを見出すだけにいたらせられるような退廃的な理想に対比されるだけの正否などは、自らの正しさには近付くこともできず、何かに統合させられるほどに、統制をめざすだけの情報の中で完結させられた意思は、どこにも行き着けない、と帰る場所をばかりを求め、そこで乖離し、場面から懸け離れることを知らずに、何かを埋めようと必死にもがくほどに、何も埋められずに、空しさばかりがひろがり、自らを喪失し続ける。

2017年9月25日月曜日

光速


 どこにも行き着かぬように走り去る衝動は、何事にも束縛されずに、自らを加速させる思いと共に姑息な永遠性を放つだけのスタッカートや、関連性を求め、カテゴライズされるものから放たれ、過ぎゆくほどに、ほどける感情は、そこにとどまらずに、自らを加速させ、完全性や、そこで制度に付着させられる前に離れ続けるほどに、愚鈍なものを飛び越え、超越し続ける限りに陰らぬ精神は、正否を用いずに、ただ、現れるものをそのままに愛するよろこびだけを生み出し、そこで見出す意味などは、かたよりを生み出し、偏執するだけにいたる意味などは、敬神や、軽薄なものを持ち出し、意味を混濁させるだけにいたるし、あらゆる原理とは、今を膠着させるだけにいたり、恍惚感とはほど遠くに、感覚を麻痺させ、そこで沈積する意味に膿が現れ、あいまいな今を加工するだけの品位や、倫理で課せられた義務へと苦しむ今に肥満化していく実体は、何かを信じるためだけに、自らを廃棄し、はびこる悪意に反するほどに、自らを悪に転化させるだけにいたり、あらゆるイメージに加工された倫理に隠逸していく衝動は、自らを抑圧させ、さらなる苦しみを運び、短絡化していく意味は、指定されるだけの義務へと移行し、行為に比重を与え、用いられる意味の重みに自らを破壊するだけにいたり、あらゆる疎外感をふくませた未熟な思想は、真理を謳いながら、朦朧としていく意識はもつれ、そこでもたらされる苦しみを生産し、さらなる苦しみを、自らに課せ、重なり合うほどに、横暴な衝動にみちびかれ、派生する意識は、意味を否定することもできずに、用いられる意味に苦しめられることだけが、よろこびにつながるのだ、と妥当に生み出される意味は、惰性に意味をみちびき、自らを悲観させ、時間の中に閉じこもられ、空間から逃れられずに、放たれるべき意志は、形式に犯され、簡単に処理されるだけの普遍的な魔物どもに精神を食い尽くされる。あらゆる支えを喪失した君を吸収するための言葉が次々に鬱々としたものを運び続ける。想念にたまるよどみを解除すべきだ、と信仰を用い、求める神に共依存的に相似していくだけの間隔に迫る贋物の価値が次なる悲劇を用い、自らを崇めぬ限りは、祟りが起こる、と宣言するような短絡的な同意を求めるだけの信仰などは、すぐさま排除されるべきであるし、高次にいたるためには、何かを捨てるよりも、より獰猛に同意を求めるだけの契約や啓示から放たれ、逃げ惑うべきであるし、そこでとどまるほどに、自らを膠着させ、苦しめるための強迫的な行為が迫り、不安を解放するために祈りを続けるほどに、空虚な昇華は、次なる不安を探し、不安定なままに、何かを信じることでしか、自らの存在を認められずに、認識の誤りを正せずに、惰性な判断が用いる善悪に消費され続ける精神は敬神を続け、消費され続ける精神は、正義を謳いながら、自らの悪意のために、自らに罰を与え、罪を課せられ続けるほどに、自らを惨めにいじめることだけに用いられる欠如を謳うだけの信仰などは、信仰にいたらずに、自らを信用できずに、何が信仰か、と加勢するだけの意識的なまがい物を吐き散らす魔界から現れる空虚さが、今に差異を用い、自らを誤り続けることでおちいるだけの欠落にはまりこみ、自らを不実な者に仕立て上げ、自らが課せる苦しみが背負う罪を認識するための祈りを加速させ、自らを簡単に昇華にいたらせるだけの短絡的な祈りなどでは、自らを昇華させるにいたらず、創造性が足りぬから、そこで対比されるものや、大義も持たずに、陳腐な価値が示す値により、コード化される精神は、敬神へとひたり、自らを利己的な者に変換するだけの記号としての役目を果たし、大量生産的な生死から、正否を求めるだけの愚論へとひたるだけの過ちから、あいまいな精神が示す善悪により、生み出される懸隔から、権利を謳うだけの受注された力を発散するための怒りの構造から、懐疑的な日常に嫌疑を重ね、擬態化する精神は、価値観の中でゾンビと化し、感情も持たずにさまようだけにひたるような過ちこそが、誤りであることに気付かずに、そこで与えられる価値こそがすべてだ、と惰性に生み出された価値から、完治しない苦悩が加工され、そこに巻き込まれていく苦しみに疎外され、自らの孤独感に耐えかねずに、体系化され、簡単に処理されるだけの意味の中での家畜として、右往左往し、政治参加や、消化するための食事から、散漫な意識が乖離し、理解を求めるだけに管理的に生きるだけの監視的な機能を果たすための善良な市民という独善的な手法から、死霊どもがさまよう幼稚な歓楽街に潜む絶対的な悪意を加工するだけの正義に疑念を持たずに、まったくもって無価値なものを求めるだけの流動的で、流行に捕縛されるだけの人間だけが、人間として扱われるほどに、人間からは懸け離れ、健忘的な獣として、無知なままに空疎な世を補完するための犠牲を続けるべきだ、と言い放つような狡猾なけだものが示す論理的な抗争へと巻き込まれていく白痴として、還元されるだけの獲物として、バビロンの中での餓鬼として、或いは感情も持たぬ化け物として、馬鹿者を食い物にするような連中が指し示す意味に閉め出されることに対するよろこびを溜め込み、いっさいを破壊し立て直すためだけの純粋な破壊などは、創造性にいたらずに、破壊する快楽が用いるよろこびにひたるだけで、何も見出せずに、ただ、現れる今すらも破壊し、今を独善的に消費するだけの者どもの私腹を肥やすためのマーチがうながす呪詛的な快楽的で軽薄な騒音がうるさく響くような堕落した世界などと悲観するよりも、関することから逃げ惑い、何にも誰にも捕まえられないように駆け抜ける。

2017年9月24日日曜日

正義も潰えた夜について


 終わりに近づき、心がチクチク痛むわけでもない、あらゆる刺激を通り越しては、さびれた記憶に鎮座する面影は、単に重たいだけで、今に何ら影響を与えず、ただ、とおりすぎ、消費的な衝動だけが、世界性をかこみ、慢性的な痛みは、悲劇的なものを当て込んでは、混濁する意識は、表現を失い、多目的な理由が流動し、偏りを示す心を単一化すべきだ、と否定的な面影が今に便りを与え、攻め立てる。生じる運命は、単に消費的に迫る意味と逼迫し、貧寒なものをたずさえ、ままならぬ思いが通過するほどに、観念はゆがむのだ、と惰性な思いが、精査を下す。やさしそうな母の姿を重ねるような恋の瞬間から、余韻に入り混じる風景に転換し続ける思いに吹き付ける風のねばっこさにまじわる意識から始まる物語や、転化し続ける先に現れる永遠性や、制度に付着するための闇を生み出す過程をしりぞけ、純粋無垢な自己に行き着き、自らに比重を加え、苦しみから逃げ惑う先に現れる苦痛などは、すぐさま過ぎ去る。嘲笑されるだけの論理が寒空に協調性を求め、制度の中で膠着するわびしさに虐げられ、自らの健気さを喪失し、今に倒錯していく苦悩から伸びる意思的な緩慢さに表現は孤立し、自らの虚しさに抑圧された思いは、悲劇などを用い、自らを苦しめるためだけの苦悩にひたるような被害者意識を加速させる語源に抵抗を加え、ここに用いられた短絡的な苦悩との闘争を続けるほどに、革命とは、程遠くなり、縛られた意識は、がんじがらめになり、信じるべき自己を確立できずに、意味を従え、従順に理解することだけが、自己愛を敷衍させ、自らを愛することだけが、他者を愛するのだ、という虚しさを抱え、自らを愛するほどに、他者を愛するという意識からは、かけ離れる。すべての形式を捨てた後にだけ、透過していく意識は、形式的なものにさだめられ、強調されるほどに、補完されていく思いを昇華させるための抵抗を続けるべきことに気付かずに、均等化をめざし、平等を謳うほどに、短絡的な憎悪を加速させ、対象とされるものを恨むための他者を捏造し、自らの苦痛を昇華させるための証拠をでっち上げ、自らを納得させるために手懐けた従順な意志から、陰鬱な衝動を拡散させるためのツールを用い、自らの痛みを分散するための苦闘を高らかに歌い上げ、自らこそが、いちばん苦しんでいるのだ、と妥当に思い浮かべる理想から、理性をそこない、そこで沈積する憂鬱をむさぼるだけの貪婪な者として、あるいは、悲劇を格納するための悲観的な肥満体として、あらゆる苦痛を吸い込むことだけが、崇高な役目であり、そこでの役割だけで、約束とされるものに反し、ここでの意志を確かなものに変えるという愚鈍な行為に貧するだけの意思的なまがい物を溜め込むだけのケチな者として、いけ好かないものを強調するだけの段落に潜む悪意の根源や、悪魔的なものを捏造し、自らを利口な者に変換するだけの記号的な者としての役割だけが、自らの存在を強調するのだ、と惰性に導かれるものだけをランダムに消費するような過激な理想を企て、贋物の達成感などをうながすだけの虚偽的な者や、シンドロームに蓄積される苦悩を培養するような陰鬱な生産性だけが、消費を加速させるのだ、と謳う者や、生産的な排除を用い、何かを支配することだけが、ここで充当されるものを真実に変え、ここでの本質などは、すぐさま変換されるものへと飲み込まれ、物質的な本源などは、すぐさま切り替えられるだけにいたるのだ、と短観に潜む価値を悲壮するだけのニヒリストとして、背くための破壊からはびこる悪意を熱望する正義の矛盾を攪拌するような悲劇的でアイロニカルなアイドルとして枢要さを謳いながら、もたらされる意味にはびこる欠如に補完すべきものを捏造し、緩衝すべきものを持たずに、ただ、衝突を繰り返すことが、時代を飛び越えるのだ、と言い放つ間にも、完全性を用い、そこで善政を敷くほどに、自らのルールにしばられ、そこで敷かれたレールなどは、悪へと移行し続けるだけにいたるのだ、ともたらされた権力がカタルシスを求め、自らの死をも超越する間に、偽装されるだけの真実は、今に干渉し、自らの正しさだけをまき散らすプロパガンダに必死し、世界的ながん細胞へと偏執するだけの革命的な理想とは、ここで行いを正せずに、ただ、自らが正義として崇めるものだけが、正しいものだ、という認識のズレから、自らを疎外させ、自らの苦しみを昇華させるためだけの闘争を続け、つたない意思は、愛がなんたるかを知らずに、ここで構築されるものの巧緻なたくらみに疎外され続けることで、短絡的な暴力性は、制度を打ち砕くための短絡的な破壊活動へと移行し、自らの正しさを保つために、自らを騙すような矛盾から、暴力は加速し、破壊することだけを重点に置き、自らを置き換えるための理由を捏造し続け、自らを快楽へといざない、自らを操作するための傀儡を自らの中で作り上げるほどに、補完される苦しみは、自らを消費するための快楽へといざなうための理由を探し、自らを破壊するために、世界を破壊するのだ、というペシミズムに移行し、自らを正すための統合をめざすほどに、暴力性は錯綜するのだ、とうながすよりも、性質的な暴力性は、抑圧できずに、本能がむさぼり続ける破壊への快楽は解体できずに、そこで破壊することだけが、自らを正すのだ、という過ちには気付くはずも無いのが、性質的な暴力性であり、そこであてがわれる制度などは、その者を抑圧するほどに、次なる破壊をもたらし、自らとの訣別を用い、純粋な理想のために破壊し続ける自らの快楽のために破壊し続ける者を止める手立てなどは存在しない。

2017年9月23日土曜日

抵抗力


 神が人を作り上げたのではなく、人が神をでっち上げ、あらゆる意味を疎外させるだけの意味へと偏執した途端に、信じることとは終焉にむかい、退廃的なものへと変貌をとげた。措置された今に配されるだけの意味に結合されるだけの短絡的な言葉が強欲に迫るだけの資本的なジレンマから、独裁的な緩慢さが、今に苦しみを吐き出し、破壊的な苦悩をまき散らすだけの機械的な論理から、論証される限りに、この命は、陰ることだけに転化していき、確実性を失い、ただ、記号の中をさまよい、自らを愚鈍なものに成長させ、物質的な猶予から、誇大妄想を吐き散らすだけの科学的な伴侶や、疎外感をかかえるだけのデカダンスの化け物が生み出す価値から、画期的なものすら終わらすだけに始められることごとくががんじがらめになり、担うべき意味も、着せられたものだけをじょうずに着飾り、汚穢を生み出し、終わるだけに始められたことが反復し、今に苦悩を生み出すのだ、とペシミストの嗚咽がなびきながら、感覚を損なうためだけにためらいを生み出す体系から、携帯する意味が不悉さをかかえ、差異を生み出し、互いを傷つけるだけの動機を率いる王国では、裸の者しか居らず、舌足らずの者が騙る原理から、理想は、理性を失い、利子ばかりを支払うような言動から、乖離すべく、すべての理由とは、いっさいに鈍感さを孕ませ、何かを騙すためだけに蓄積されたノイズをかき鳴らしながら、ディストーションにゆらぐ空間的な破裂を繰り返すだけのナーバスな宇宙は、誰かの悲しみのために、自らの命をこすりながら、交互する命は、動機を求めるばかりで、意味を求めるだけの愛に転換していく苦悩は、空虚さをかかえ、自らのニヒリズムに飲み込まれ、意識は混濁し、混淆すべき瞬間や、主体性を求めるために演じることに明け暮れることで交換される意味から、今は幼稚なたくらみを繰り返し、自らを錯乱させ、過去を削除できずに、ただ、過去からうながされるものだけが、今を形成し、あたかも意味を生み出しているかのように示すようなものが延々と反復したおかげで、誰もが苦しみことに重点を置くような枢要さを持ち出すことに否定できずに、ここでなしとげたものも、過去から借りてきたものだけをあたかも重用なように扱うほどに、保持する意味から距離は生まれ、そこで阻まれるものが貶しながら、倦怠感をかかえ、重たい朝をかかえながら、暗澹とした路上で、何かを叫ぶほどに、そこでの空虚さは増していくのだ、と惰性に導かれるような信仰を元手に、自らを苦しませるための元金をかき集め、飽きたらずに、何かを求めるだけの競争は、強制的に何かと同化し、統合を求め、正常さを用いることへの異常さに気付かずに、自らこそが正義だ、と高らかに謳う者ほど、残酷な者は居らず、そこで処理されるだけのペシミストどもは、自らの過ちに気付かずに、自らを苦しめる自らを乗り越えられずに、そこでおちいるだけの闇を形成し、何かに責任転嫁することで、苦しみから逃げ惑うよりも、苦しみに投下し続ける先に現れる虚空との対峙を終え、そこでの苦しみなどは、継続されずに、ただ、迫る苦しみから逃げることで現れる苦しみを延々と偽装し続けるためだけに、苦しむことを演じることで、次の苦しみから解放されるような感覚におちいるほどに、苦しみに応じ、自らの苦しみに屈従することだけが、ここでの正義を保つ秘訣なのだ、と惰性に導かれる痛みは、今にかかえる痛みよりも、次に迫る痛みに自らを転化させることだけが、今の不安から逃げるための仕方の無い転化である、と次々に苦しみをかかえるほどに、保持し続ける苦しみの重さに耐えかねずに、自らに屈し、復讐を強請るだけの暗鬱とした症状は、表情すらも凍らせ、カタトニーにいたり、浸る今から観念をねじ曲げるような反発を生まぬ限りは、そこで凍結し、凝固し、身動きもとられずに、織り込まれ続ける苦しみに襞でもがき続けるほどに、次に迫る襞につつまれ、苦しみから逃れられなくなるよりも、そこから生まれ出るためだけに反抗し続ける先に現れるどうでもよいような間隔に迫る還元されるだけの虚構を打ち倒すような徒労を続け、退廃的な呪詛をうながすだけの感情的な汚穢にもとづく迎合的な言葉のまやかしを消し去るために、対面する自己との訣別を告げ、そこで捨て続ける先に置かれる現状などは、すぐさま消え去り、そこでの苦しみなどは、瞬時に幻影に変わり、そこで関わるものすべては、誰も恨まずに、そこで用いられる懶惰な者に排除されるだけの自己に苦しみを運ぶのは、自分であり、そこで用いられる言葉に騙されずに、そこで邪魔されてもなお、自らを立て直すためだけに、現れるすべてに反発し続け、そこでの反抗だけが、先々に抵抗を生み出し、波及され続ける苦しみを押し流すような影響を生み出すのは、自らだけであるし、そこでの苦しみを繰り返すほどに、強固になる不安は、そこでの苦しみだけを強調し、自らを苦しめるためだけに繰り返し苦しむことを強要し、そこで有する価値などで、いっさいを加工し、そこで圧迫され抑圧された自己を解放させるために求められる自由だけが、本質的な自由であり、それだけが理由を超えて、希望へと変化するような昇華を生み出し、死をも乗り越え、そこで強固な意志を用いることだけが権力と呼び、用いられる権力などは、そこでの力に抵抗を加えず、与えられた影響により左右し、作用を施すだけの権力などは、力とは呼べず、そこに現れる影響に反することだけが、力であり、あらゆる反発こそが、そこでの苦しみを乗り越え、自らに英気を与え、次々に現れる苦しみを乗り越えるための準備をし、あらゆる苦しみを乗り越える強度を保つことだけが、力と呼び、何事にも左右されずに、自分であることの強度だけが、自らに力を授ける。

2017年9月22日金曜日

プリミティブ


 乗り越えるべき夜を折りたたむシンドロームや、信号機に重なる一瞬のため息が交差する渋滞しているだけの人々の幼稚な理念を排出しているだけの車中で永遠性をたしなむような恋どもの嗚咽や、引き裂かれた感情を充填するだけのペシミズムが運び込む浸るだけのペインや、陰鬱な衝動を巻き込むだけの不安などを昇華させるべく、理性などを保つほどに、本能とは、凡庸なものをちらつかせ、近付くものを傷つけることだけに専念するような思春期の終わりが溜め込む汚穢や、横溢していく瞬間にドラマがあふれるのだ、とメロウな深夜に入り込む背徳や、死を映像化するだけの静謐さを超えるべく、理想とは、理性を保つための記号にすぎない、と惰性に導かれる主観にあふれる敗残していくだけの記憶は、抵抗することをおぼえずに、現れるものに変換されることで、モニュメントと化すほどに、補填される苦しみは、憎しみを敷衍させ、不吉な予感をたずさえた不安から、俯瞰とは危害を加えられ、汚れたものを整序するためのためらいを生み出し、対価を求めるだけの自然的な回路をショートさせるだけの不安定さを生み出し、等差を生み出し、平等を謳う獣どもにリンクする過程から、締結していく思いは、軽快さを失い、自らを恨むことで、何かを機能させるような発信を続け、自らを損得で埋めるだけの世界からの脱兎を目論まずに、現れるものに傷つくことだけが、正しいものへと変化していくのだ、と惰性に生み出される意味をかぶりながら、自分こそは、綺麗なままで居ようと思うほどに、異様なものとして排除され、疎外感に苛まれるのだ、と性差を用い、そこで差異を生み出すほどに、見出すべきものは、継続された善悪に支配され、行き違う場面は、誰かを恨むための緩慢な作用を用い、モチーフとされる正義をかかげ、犠牲を謳うだけの幼稚な支配から、宗教的な神よりも、自らを神格化させ、真の悪へと昇華するための自らを定めるような幼稚な犠牲から、支配は加速し、そこでもたらされる苦しみを用い、誰かを騙すための犠牲だけが加工され、そこに現れる品性などは、性質を破壊し、本質的なものを翻弄し、何かをひるがえすためにためらわずに破壊を続けるような愛へと厭わずに侵攻していく定理にもとづく迎合を続けながら、偏りを生み出すだけの兵器的な信仰だけが、本質的な愛へといざなうのだ、と謳うような仮説を踏みにじりながら、憎むことでしか生み出せぬような弱者の思想から、思考停止におちいるだけにいたるような意味に応じるだけの大衆的な安堵などは、あいまいな執務を追うだけで、値するものを正しくに認識することもできずに、価値を見出すのだ、と達成感に酔い痴れながら、信条を用い、何かを騙すための思想を生み出すようなデカダンスが価値を用い、何かに対し、あらゆる原理を捕食するための記号を生み出し、緩慢に作用する幼稚なたくらみから、大義を見出せずに、惰性に導かれる先々で対価を謳いながら、まぼろしを愛し、まぼろしと契約を結び、永遠の愛を誓うほどに、違いを見出せずに、そこでみすぼらしいものを強調するだけの愛へと偏執していくほどに、自らとの懸隔は広がり、背徳を謳う自由と、そこで従事することで生み出される資本的な快楽から、傀儡として生きるためのツールとして、フラクタルな人間を生産し、何が正しくて、何が悪いのかを調教されたマゾヒストどもの楽園で、同族嫌悪におちいり、後続する者を蹴落とすための規律を生み出し、あらゆる論理から編み出された欺瞞を崇拝しながら、しどろもどろな意識の汚濁の中で、簡易に示される愛が、自らを閉め出し、そこで反芻し、反復し続ける意味の中で顛末を綻ばせるだけの統合から、等位を用い、何かを示すための名称に騙され続けるほどに、自らがうながす意味の中で喪失感をたずさえ、延々と引きずるペシミズムの中でかかげられた価値だけが、自らの美徳や、自らが用いる価値などを強調することでしか、自らを正しく認識できないような軽薄さを従え、自らを抑圧し、時代や社会を恨みながら、堅持する意味に誇示するだけの今から離れられずに、放たれるべき意味から、今に移行していくほどに補填される苦痛をルーツとし、ルールで拘束しながら、理念を喪失し、大義を見出せずに、純粋な破壊のためだけに、ためらわずに愚行にいたるような今に犠牲をもたらすだけの対比を繰り返すだけの退廃的なモジュールとして共通の意味を吐き出すだけの管轄こそを破壊し、そこで介するほどに、自らとは、自らの手により破壊され、果敢に挑むことすら忘れ、そこでうながされるものを、うながされるままに愛してるふりを続け、不利益や、不利なものに振り回され、そこで理性すらもそこなわせるような快楽を加速させるだけの理想などは、捨て去るべきである。

2017年9月21日木曜日

悲愁を乾かす晴天


 迎合されるだけの言葉が今に攻め入る。生命の起源を狂わせた威厳が今にも割って入り込み、背徳を謳うものを排除する闘争から、統合をめざすほどに、平等や均等とはほど遠くなり、担う意味を背負い続けるほどに、倦怠感は増していく。あらゆる論理から疎外され、孤立してもなお、そこで響くものだけが、本質を捉え、自らに帰り着き、戒律などを施すだけの愚弄を繰り返すだけの悲劇から逃れ、倒錯するほどに増していく自らがもたらすものだけがシンプルに真理の深層に浸透し、均等なものほど、そこでもたらされる差異や懸隔から放たれる欺瞞により不満足をもたらし、何かを破壊するための疑問を用い、闘争へとおちいり、自分こそが正しい、とうながすだけの理由だけが、希望へと変化し、底の無い悪意から、あいまいな毎日にもたらされる屈辱から、仮想するほどに、用いられる過程に苦しめられ、支えを求めるほどに、自らをゆがませるような欠如から、配される愛の配下になり、求める愛から求められるだけの元手や、横暴に迫るだけの愛が幼稚に互いを傷つけるだけにいたらせるような幼い希望は、自らを破壊するためだけの純粋な愛を利用し、もたらされる死から逃れるための正当を謳い、求められるだけの愛は、自らの健気さにより、誰かを傷つけることで得られる快楽に浸り、貧相な愛は、自らの本質を知らずに、真実をまさぐりながら、与えられた答えに左右され、用いられる苦しみを跛行しながら、錆びられた記憶が裏切りをほのめかし、奔走し続ける意識は、自分の孤独に帰り着かずに、ただ、うるさいだけの喧噪へと理解を求めるほどに、自らを見失い、何かと同化し、統合された正常さを謳うほどに、行為は、元々の純粋さをそこない、そこでさまよい続ける貧寒な現在に理解を得ようと目論むだけの狡猾な者に奪われるだけの意識は、自らの意志を虐げ、自らを破壊するためだけの純粋な理想から、理性はそこなわれ、そこでもたらされる事実だけが、正しいものを語るのだ、と現実主義的な者が示す差異などは、本質を捉えられずに、用いられる答えだけに帰巣するほどに、自らの行き場を無くし、求めるだけの居場所を求めさまよい続けるほどに、存在の軽さに耐えかねずに、誰かを破壊するための理想を用い、誇大妄想をかかえた未熟で幼稚なルサンチマンに変化し、偽装されるだけの真実は、要理を謳いながら、身近な者の意思を奪いながら、操作し続けるよろこびから、右に習え、と同調し、協調性を謳うほどに、用いられる真実は、事実との懸隔を広げ、感覚を奪うだけにいたり、いたらぬ思いは、いぶかるほどに、自らを裏切り、過去の面影に浸り、自らの苦しみを敷衍させることだけに加速するニヒリズムは、さらなる破壊を高らかに歌い上げ、自らの世界の終わりに保たれる均衡や、周辺をも破壊するために、自らの世界と全体的な世界との統合をめざし、純粋な破壊へといたらせるだけのルサンチマンを加速させ、悔悟をため込まずに、ただ、純粋な理想のためにもたらされるだけの破壊だけが、自らを浄化させ、緩慢に作用するだけの苦しみから解放されるのだ、と思い違いを生みながら、快楽は加速させ、解放を謳うほどに、即される間から、あいまいな愛はマインドを奪い、毎日を退屈に変換するだけの記号として、自らを定める幼稚な理想では成熟にはいたらぬのだ、と否定的に攻め入るだけの精神分析的な開祖どもは、自らの集落を守るためだけに、自らの正当性を謳うだけであるし、組織とは、その場での権力を保つためだけに、自らを正当化させることに必死なだけで、誰のためでも無いでたらめな理想から、出来合のものを真実に変えるための理想から、理性は喪失感をかかえ、自らの不実を隠すための体系的な正しさを利用し、理想的な死へを追いやるだけの正当性から、現実性とはそこなわれ、幻覚をもたらし、変革を謳うほどに、自らを破壊するだけの純粋な理想を駆け巡るペシミズムに追いやられるだけの精神は、敬神へといたり、自らを信じずに、何かに信じることを強制し、同調し、同情へといたることだけが愛だ、と語ることで、カタルシスにいたるようで、実際はカタトニーにいたり、自らが硬化し、愚鈍な者として崇めるだけの定型の神から、分散した不安から、憤懣を解除するためのコードを用い、何かを解放にいたらせ、自由などを謳うだけの短絡的な隘路を歩ませるだけの日々に迫る退屈へといざなうための退屈を捏造し、体系化していくほどに、内部での権力は暴走し、暴政を生み出し、制御不能におちいり、よいものをめざすほどに、わるいものを捏造し、偽装され続ける真実を保つための虚偽を続け、そこで形骸化するだけの意思が熱望するものなどは、所詮、誰のためでもなく、自らのためでもなく、そこで求められるものへと偏るだけの理想を生み出し、理性を制するための法で囲むほどに、猜疑心は増し、互いを監視することで得られる安心のための制度がもたらす不安だけが加速する。

2017年9月20日水曜日

縦横無尽


 君はみじめだ、といって嘆いて沈み込む静寂に捉えるべき永遠すらも、制度をくわえられ、今に書き換えられては、自分から羽化できずに、そなえられたものを崇めることだけが、正しいことのように示される間から閉め出され、惰性に導かれる言葉の中で探すべき愛すらも、利己的なものに変わり、理想を供給するだけの過剰な意味にとがめられ、めざすべきものすらもそこない、さまよい続ける意志は左右され続け、そこで信じたものすらそこなわれるためだけの誓いをもとめ、綴る意識は、貪婪なものを呼び覚まし、鈍感な者が姑息に示す間柄から、乾いた季節との一体化をもとめ、とめどない痛みを加速させるほどに、自らに枷を嵌め、自らの世界性を持たずに、包括されるだけの世界にっ崩壊させられた意識を手懐けるために、何かを懐かしむことだけが、ここでの成果を扇ぎ、自らの意思を保てずに、用いられるものだけが、物事や物語を加速させ、課せられたものに表現を攪拌され、そこで課せられた正義は、犠牲を孕んだ懶惰なものであり、物事に漂着する者が、やがて侵略を重ね、君自体を破壊するような結末に迫る贋物の悦楽から、晩成に混ざり合い溶け合う帰路は、有する形だけを用い、物事から乖離させ、理解を得る以前に、ここで行いを強調するだけの境地に惨めさを加工するだけの品位から、履歴を抹消するための運命論者どもの平衡した意識を保つべく、そなえられた規律にむすばれる記録だけを延々と見せつけられるような日々に迎合されるだけの軽薄な言葉が流動し、情緒すらも破壊するような言動の先に現れる破壊的な顛末から、転換されるものだけが、神のように崇められている。緩慢な現在に愚劣な行いが恋を凝固させ、退廃的なジェラシーが延々と呪詛を続けるような対価から、宦官どもが謳う道理がむさぼり続ける時代との結合を強請るだけの世界などは、退化するだけにいたり、自らにむすばれるべき愛すらもむさぼるような幼稚な愛の配下にいたらせるべく、支配的に有するだけの形だけの愛を緩慢に処理し続けるような機械的な行為にもとづくエゴや、そこで固執するだけにいたるような徒な消費から、幽遠にひろがる疲憊した精神が敬神を続け、募る意識は、契約の下で支払われるものだけが、意味を斡旋し、愛故に苦しむことで規制されるだけの日々から抜け出し、流浪し続ける先々でひろがり続けるものに配される愛などは、ただ、物質的なものを崇めることで、自己愛を加工し、あらゆる論理から抜け出せずに、惰性に示唆されるものだけが、思案を繰り広げ、自らの意志に確かなものを生み出したかのように示すような惰性な達成感を加工し、今に苦しみを敷衍させるだけにいたる。有史以来ひきいられた卑近な者が示す尺度から愛は狂い、空間的に認識されるための愛は、物質を用いられ、現実的なものにひれ伏し、愛しているかのように示されるものだけが、自らを愛しているのだ、という勘違いから、完治しない苦悩は生まれ、そこで加工された規律に律するほどに、定められた意味などは、本質的な正解を用いずに、ただもたらされる意味だけが、答えを運ぶのだ、というあいまいな示唆からマインドは捏造され、偽装され続ける間に理想とは、何かを駆逐し、朽ち果てさせるためだけにためらわずに、誰かの答えに割って入り込み、背徳を用い、求められる意味に結合されるだけのものを忘却へといざないペシミズムへと陥らせ、自らの未熟さに気付かずに、自らを正すことをしないで、自らを正しい者であるという認識から、存在のあやふやさや、そこで軽々しくもたらされるだけの正解だけを迎合するような品位の欠片もないのに、品格をねじ込ませるようなふしだらな者がフラクタルにまじわり、はじまりなどを用い、そこで強調されるものだけが、そこで汚れなく産み落とされ、自らを正す、などとうながす間に論証されるものなどは、そこで本質的な愛を持たずに、ただ、自らの貧相さに気付かずに、求めるだけの愛だけが、今に愛を運び、自らを正すのだ、という誤りから、過ちは偽装され、そこで犠牲を謳うだけの空疎な悲しみに契約させるための神を捏造し、そこで膨張し続ける悲しみに染みいる無限性の孤独が用いる猛毒により、意識はもうろうとしていき、そこで売買されるだけの愛だけが、自らの悲しみを埋めるのだ、とうながすだけの普遍的な浄化を謳うような贋物の価値から、似たものを愛するほどに、同族嫌悪におちいり、応じる答えに寄り添う結末だけが、自らを統合させ、より正しい者へと変化していくなどとうながすような奴隷的な言葉に隷属するための契約をうながすような短絡的な世界を恨むだけのルサンチマンに変化し、自らを破壊してもなお、誰かを破壊するためのまぼろしを追いかける。

2017年9月19日火曜日

まがい物の祝福


 まがい物の街を超えて、暗澹とした支配を重ねるだけの流動的な制限を加えるだけの正義から、犠牲的なものを孕ませるだけの宗教的な偶像がぐるぐると回り、古びたものを今でも大事そうに抱え込んでいるほどに、混濁していく意識は、偏りを示し、懈怠するだけの現在に浸るほどに悲観を続け、観点をそこない、そこかしこに憎悪を生み出すだけに色あせる瞬間から取り除かれるほどに、ここで補足されるものなどが、協調性などを謳い、たむろする今にリンクする意味が資源などを持ち出し、何かを疎外させるための闘争から、倒錯し続ける今に浸るだけの意味がプラトニックに混ざり合い、出現し続けるものがけたたましく叫びだし、軽薄なものを打ち立て、位置的なもので加工し、枯渇するだけにいたる精神は、制限を持たされる限りに、持ち出される意味から背反できずに、その場で孤立し続けるだけにいたり、継続する意識は、何かに充填されているようで、何かに奪われるためだけに、ためらわずに操作されるだけの軽々しい主体をかかげながら、関係を迫られ、狭い価値に閉じ込められ、混同する意識と同化していく主体は、自らを喪失し、自らの過ちに気付かずに、仮想する罪の中で、自らを処刑するような映像を延々とながめる傍観者として、自分から乖離し、理解を得ようと目論むほどに、黒々したものを主体に抱え込ませ、システムへと混淆され、自らの行方すら失い、さまよい続ける意識は、集約される意味に約束を交わし、契約の中で働きを加えるだけの短絡的な同一化から、いっさいは同調することだけに占領され、横暴な者が繰り返し繰り出す意味に支配され、そこで芝居を続けることだけが、自らを正解へといざなうのだ、と妥当に求められる位置的な魔物を生み出す。姿形を奪うだけの悪魔どもが徘徊し、相対する先々で対立を加えるだけの退廃的な受理から、重用なものなどをそこない、そこで簡単に処理されるだけの無作為の者として、醜状を加算させるだけの生産的な者が示す不一致から、いっさいはデータの中で強調されるものだけを伴侶として出迎え、加算され続けるだけの意味に朦朧としながら、邪推している今にさかのぼるだけの過去に慟哭しながら、しなびた意識が改ざんする正解により奪われる精神は、敬神を続け、自らを恨むためだけに神を捏造する。はじまりは、まじわることもなく、ここではじまる意味すら知らずに、何かを創るために高揚していた。あらゆる阻害を生み出した論理から、利己的に補充されるだけの生命が仮想するものへと偏執し続けるたびに、死への恐怖を利用し、何かを排除するための起源を生み出し、あらゆる神は、ひとつの意味からはじまったはずなのに、自らを排除するためにひとつの神は多様化し、統制されずに、自らの満足を得るための戦争をはじめ、はびこる悪意に罪をかぶせ、犠牲を謳い続け、終わらぬ意味に省かれた者がルサンチマンをかかえ、憎悪を暴走させ、短絡的な破壊へと一貫した破壊だけの正義を強調し、自らこそが、正義であり、神の代弁者であり、神をも超える者である、と思い違いを生み出し、自らを崇めることでしか、神を超えられずにいるから、そこでの神に利用され、自らを率いるべき自己を生み出せずに、何かを恨むことでしか、何かを超えられずに、自らを抑圧させ、自己に同調し、何かに同情し、同じ涙を流す者だけを信用すべきなどとうながすような軽薄さを用い、誰かを騙すことだけに専念する。信じるべき自分も持たずに、用いられる原理は、あたかも正しいことのように、正しいようなものを示唆し、誰かの言葉をあたかも自分の言葉のように語り出すような正義などは、今まで継続されたものの中でしか、その正義の役目を果たせずに、善悪を捏造するだけのルサンチマンどもが閉塞感に耐えかねずに、織り成した今に刺し違えるだけの偽善的な猶予を授けるためだけのためらいが生んだ悲劇を加工しただけに満たないような汚い正義の中で孕む犠牲こそが、清く正しいもののように崇められた途端に、誰かの苦しみは加工され、自らの品位を保つためだけに、ためらわずに悪を捏造することだけに専念するような捻転を繰り返し、自らが生み出す偏りにより、カタトニーにおちいり、自らが苦しむことで、よりよいものが生まれるなどと惰性に苦しみを生み出すような機械的なアンサンブルが続き、デカダンスを加速させ、自らのアイロニーにより畜殺などを叫ぶような破壊的なペシミストどもが追加した意味などで偽装されるだけの今に平衡するものなどを謳うだけの保守的な理想から、理性をも駆逐するような破壊的な整合を謳うだけの馬鹿どもの至福のためだけに、加工された法の中で畜生に成り下がるよりも、用いられるものすべてを超越するために調整する者どもを蹴散らす。肥だめから生まれたような論理が、私腹を肥やすために誰かを責め立て、自らを利口な者として崇めさせるための目覚めなどを謳い、贋物の覚醒が芝居を続け、あたかも超越に浸るためだけの理想へと帰巣し続けるほどに、自らを超え出られずに、自らの中をさまよい、偏りを生み出し、そこから抜け出せなくさせるための斡旋を続けるだけの洗脳をかけられ、自らを無いものように示すことだけが、そこで存在しているかのように示されることからも閉め出され、自らを破壊するために充当する暗示をかけられ、自らを喪失する。

2017年9月18日月曜日

動き難くするもの


 神を持たぬ間柄から、愛は生まれ、その合間から這い出る意識は、枢要なものを捉えず、疎外感をかかえてもなお、自らに誠実であることを願うだけの短絡的な信用などを謳わずに、ただ、現れるものを愛することで知り得るものだけが、信じることをうながす前に、ただ、そのままを愛することで、この思いは、考えを飛び越え、そこで比重を与えるだけの苦痛にとがめられずに、自ら生み出し選ぶことだけが、真実に変わることを知る。晴天にむすばれるものは、自由を謳わずに、用いられるものに引き裂かれずに、自らが思う限りに逍遥を続け、そこでもたらされる苦痛などは、そこでの過ちなどをモチーフに次々に罪を継ぎ接ぎにしながら、しなびた思いがもたらす苦しみや、空虚さを加速させ、懐疑的な日常に磔にされた神は、自らの罪をみとめずに、自らを崇めることを始めるのだ、とうながした人間が作り出した神により、あらゆる苦しみは敷衍し、自らをとがめ、そこでもたらされる苦痛を堪能すべきだ、と短絡的な人間が用いるだけの罪の意識などを加工するだけの論理が現れ、自らを苦しむための規律を生み出し、そこでの自由を謳いながら、自らの不自由を嘆き続けるルサンチマンが編み出した技法により、自らを苦しめるものをとがめるための法を強固なものに変え、抑圧するための退廃的な偽装を繰り返し、繰り上げられる思いは、横暴な支配を繰り返し、何かを保つために朽ち果てるだけにいたるような犠牲を生み出すためだけに、何かにこじつけ、誰かを苦しめるためだけに働きを加える。自傷的な者が示すセンチメンタルな理想から、戦地を生み出すだけの猜疑心に加工された品位から、貧寒な者が示すプラトニックな憎しみが染みいるだけの現時点に人間などは存在せずに、ただ、抑圧されるほどに餓鬼と化し、行列に自ら並び、待ち続けるほどに加速する貪婪な意識から、散漫な意識が生み出す儀式的な形式から、過ちを加工するだけの堕落した主体性が用いる人間的で、普遍的な不潔さに気付かずに、反する者を排除し、あらゆる偏りを示すための普遍性が用いる潔癖的な排除から、人間的な疎外などを謳うだけの鈍感な反抗者が示す社会的な猶予などは、平等などを謳いながら、平等からは、もっとも懸け離れ、提起されるものに対抗するための欠如などを用い、妄想だけで陰謀論などを謳うだけの者に扇動され、そこで譫妄にいたらされるだけの者どもが疎外感などを謳い、破壊活動にいたるような信仰が用いる空疎な悲劇から、還元されるだけの過ちにより、自らの女々しさを加工し続けるだけにいたる。短絡的な排除を用いる人間的な過ちから、あいまいな毎日に偽装されるだけの真実をたてまつる妖怪どもがうごめき、自らの愚行を隠すように、悲劇を加工している。配られ続けるものにより、動作は奪われ、そこでの品行などを求めることにより、自らの品格などをおとすだけにいたることに気付かずに、否定的な精神は、自らを犠牲者として崇め、誰かを否定することで生まれる快楽の傀儡として、悲劇のヒロインとして枢要なものが用いる価値の家畜として、あらゆる偽装を続ける。何かを見落とし、自らの落ち度に気付かずに、何かを見下すだけに堕落したのが人間の起源であり、過ちを加工するほどに、自らを正しいものとして認識できずに、そこかしこに疎外を生み出し、自らとの懸隔を広げる。大義を用いる誤りから、悔悟を生み出す宗教的な汚染から、そこで固執するだけの思想が生み出す破壊から、そこで排除されるほどに加速するルサンチマンから、サインをうながしながら、自らを救えぬ自らを恨むような闘争から、そこで統制されるだけの普遍性に感覚は奪われ、創造的な飛躍にいたらずに、自らを浄化できずに、昇華を強請るような強欲な者どもの巣窟だ、と嘆くよりも、そこで攻撃性を失わずに、短絡的なタナトスに陥らずに、死する過ちから、そこでの病を加速させるだけの誤りが生み出す犠牲的な気配から、軽薄な者が生まれ、加工された品位にもたげ、自らの過ちに気付かずに否定にいたるだけの猜疑心を抱え込んでは、混濁する意識に解消されない痛みに錯綜するだけの者どもが採掘する過去の遺物をかかげ、正しいもののように認識するような誤りに気付かぬ限りは、そこでの過ちは加速し、自らを苦しめるために何かを抑圧し、そこで制限を生み出すほどに、生き難くするための規律を生み出し、自らこそが正しいという過ちを超えて、自らをも正しくないと認識し直すことだけが、自らを正しくするのであり、そこで正しいとされるものを、正しいと認識してるだけでは、そこでの正しさに意識は占領され、自らをも誤りに引き込む自らを加工し、そこで自らを動けなくする。

2017年9月17日日曜日

昇華する先にあふれる光


 眠る事も忘れて、答えもない答えを流動させ、本質的なものに制圧される以前の独善的な景色が放つ形式をとりのぞき、リリカルな症状が端末をくすぐりながら、繰り返される帰り道が乖離し、理解を得る以前に、ここで固執しないようにがむしゃらに走り抜けるような衝動が幾重にもまじわり、巨大な襞と化す間に溶け合う熱情が奔走し、ここで行いを正すよりも、そこで何かに依存し、従属するよりも、自らのうねりをかんじながら、バビロンが放つ言い分けがましい言葉が緩慢に鳴り響くから、耳をふさぎ逃げ惑うような日々に別れを告げ、つくづくに迫る理想とは、思考停止におちいらせるだけであり、狭い世界に閉じ込めるための卑屈な秘訣をうながすだけの固陋から、高揚感はそこなわれ、そこかしこに充填される苦しみが荒れ狂い、苦し紛れに放たれる憂鬱な言葉が折檻を繰り返し、加算される痛みは、今に阻まれる愛へと遡行し、自らを退化させるだけの過去のトラウマから解除すべきような言葉を持たぬような輩が謳う排除から、そこで求められるだけの愛とは、愛にいたらずに、自己愛でゆがんでいき、他者を介し、自らを愛する方法を知らずに、ただ、自らを愛するために、誰かを愛するように仕向けるような独裁的な主観から、主体性は、体制にこびへつらい、一党独裁的な支配を受け入れる自己が顕示する理由などは、形而上的に捉えるべき全体性も、誰かにうながされることだけが、自らに影響し、誰かを恨むためだけに、何かとの訣別を謳うだけの短絡的な利用を目論むだけの黒くひずんだ現在に理解を得ようともがくほどに、自分とは乖離していき、逸脱できずに、今に堅持するものを保持するためだけに闘争を続けるような幼児的な闘争から、悲観的な主体は観点を失い、自らを呪うように、他者をも呪い、自らに蓄積する苦しみを利己的にとりはらうためだけに、他者を利用し、自らが生み出す軋轢により、苦しむことに悲観しながら、関するほどに、苦しみは増すなどとうながすほどに、自らに対する圧力は増し、利欲のために、誰かを拘束するだけの短絡的な権力は、構造を持たずに、分裂的に自己の内部で枝分かれし、加速する精神は、自らに追いつくことを拒否し、何かからの逃走を続け、つたない意識は、自らの権力に屈し、自らに隷従することだけが、正しいことのように示される間をも背反すべく、すべてとは、かねて用いられたものなどを引き伸ばすだけの短絡的で井蛙な者が示す答えに反する者を排除するために悪を捏造し、自らを正すためだけに、何かを裁き、そこで生まれる優越感のために、あいまいな正義を盾に、誰かを抑圧する。人間的なものの本質などは、人間でしか超えられぬようなものを延々と敷衍させ、遠因に果てる過程や、カテゴライズされるだけの今に欺瞞を用い、何かをモチーフに自らを秀でた者に見せるためだけの虚飾を続ける。倦怠感を攪拌するだけの日々に迫る強大なペシミズムに反し、ここで毀れるだけの日々などは、そこで朽ち果てるためだけの犠牲を孕んで、怠惰な自分を隠滅させるために、そなわったのだ、と軽薄な者が騙る言葉などに左右されずに、ここで作用されるべき愛について語るべく、出来合のものなどに翻弄されずに、ここで蓄積されるものなどに揺動されずに、何事にも左右されずに、自らの意志を貫くべく、弁解をしないで、快楽に汚されながら、被弾する日々に疲憊しながらも、相対し続け、追考し続ける先々で対立を続け、つたない意識は、日々を追うごとに、そこでの苦しみを敷衍させ、マインドを孤立させ、自らの孤独に有する言葉や、そこで強請られるほどに、保護され、縫合され、些細な痛みを隠しながら、寛容さを取り戻すための闘争へといたり、浸るほどに、今とは、あいまいなものになり、すべてが見えにくくなり、何かを憎むためのものを捏造し、自らを動けなくするための機能ばかりが発達し、そこで配される愛などは、愛がなんたるかを知らずに、何かを愛してるという認識により、愛してるかのように示すような愛により、自らをほろぼし、そこで及ぼされるものなどが今を汚し、軽薄に積み重なる理由は、流動性を失い、そこで膠着し、疑似的な恍惚から、犠牲的な抑圧を生み出し、規制されるだけの今にいたる誰かの過ちを持ち出し、自らの痛みを解消するような者どもの卑屈な衝動から、ファシズムは加速し、加工された神や国を崇めるほどに、偏る者が生み出す闘争により破壊され続けるだけの時代などは、今に愛を用いずに、寛容にいたらずに、狭い価値の中で示されるものを人間的に処理するほどに、自らを苦しめるための時代を作り出し、出し抜くために生まれる思想により、自らを破壊するための定義を生み出し、未来を謳うほどに、ここでの苦悩は増していく。

2017年9月16日土曜日

膠着


 静謐な予感に羽化する瞬間が、幻想的に混ざり合い、歓喜をつづり、移動し続ける思いは、集約されるマインドがうながす加算されるだけの原因を超越し、システム的な刑罰を与えるだけの讒言から、散漫な意識が抵抗を続け、つたないままに変化し続ける意識は跳躍を続け、追考する先々で、枢要なものなどは、ほとんど情報の中で譲与され、そこで負担をかかえさせられ、些細な出来事に徴用され、従事するほどに、悲観的な者へと変化し、換算されるだけの日々は、数字の中で平衡し、自らを人間として定めるだけの惰性な規律から、軌道修正をこころみ、延々と退化するだけの散漫な形式に溺れ、傲り高ぶりながら、欺瞞をたずさえ、何かをなじりながら、内面的な狂騒をたずさえ、自らのうるささに耐えかねず、些細なことで激高し、無駄なものを配するだけの間は、情報が打ち出す観念に左右され、競合を続けるほどに、何かに貧していくだけに置かれるような平等を謳うだけの病的な輩が散じる由縁から、何度も改ざんされ、残骸になるまで、敗残し続けるだけの思考だけが、中空を亡霊のようにさまよい、うごめく比率は、陰惨なものを持ち出し、自らをなぐさめるために、自分よりも、不幸なものを持ち出し、自らを高めるような補完から、寛容さは消え去り、何かを受け入れるほどに、自らこそが、正義である、という不義を重ね、不具合を生じ、複製されるだけの苦しみがさえずり、自らを動きにくくさせるほどに補填されるものが、否定的に迫り、世界を広げさせられるほどに、その広がり続けた世界の中で孤立感をかかえ、安易な孤独へと補完され続ける痛みは、自らを収容するための檻を作り出し、偽善的に貸与するものや、独占されるだけの価値的なまがい物を生じさせ、惨憺たるものを形成し、暗鬱なままに衝動的なものと同化し、自らの意思とは反するような行動の中で、相対的に捉えるほどに、自らをとがめるような理想は、理性を喪失し、自らを昇華しきれずに、連動する意識の過程が生み出すカテゴライズされるだけの端末として、何度も買い換えられ、介する間に憎悪を生み出し、何かを贈与されるまで、愛しているふりをしながら、理屈を重ね、利口なほどに、何かを騙すためのでたらめを形成し、軽薄なものをたずさえ、幼稚に示す割合から、アイロニーを生み出し、何かを踏み台にするほどに、負担するものの重さに耐えかねずに、体系的に消費されるだけの毎日にすがるほどに、魯鈍な者に変化し、何かに鈍感になり、鈍重であるだけの身体を引きずり、老いていくことに否定的でありながら、自らの老いに気付きもせぬような馬鹿者になりさがる。あらゆる形式は、修正を加えながら、自らを捕獲するための法を用い、今を加工する。硬化する意識は、何かを受け取るほどに、その重みに耐えかねずに、儀式的に昇華されるだけの毎日は、誰かを生贄にしながら、自らの優越感にひたる。その悲観的な応対を施すほどに、自らとの懸隔は、広がり、自らを恨むほどに、誰かを羨み、何かを蔑みながら、自らをいちばんの憎悪で補完するだけの日々に独裁的なものに変化し、変革を願うほどに、今に偏り続け、何かをおとしいれるためだけに利用される思想とは、考えるほどに、利用され、自らをおとしいれるだけにいたる。考えとは、何事にも集約されずに何にも操作されずに、自由すらも思う前に自由であることが、考えるという行為をひたすらに走らせる。最たる意味を復古させるための欺瞞から、緩慢に作用するだけの無差別な言葉が背徳行為を収監し、自らを優位な者に変換するための儀式的な過ちを織り成すだけの提言から、次なる過ちは加工され、過去を引き合いに出し、自らを優位にするために持ち出されるあいまいな言葉に収容されるだけの理不尽な日々に別れを告げ、自らが敢行するものだけが、摂理などに導かずに、何かに果敢に挑み続ける先に破壊すべきものを知る。何かで足るほどに、何かを求める行為は加速し、そこでもたらされるべき満足のためだけに、ためらわずに襲いかかるような暴力は、抑制すべき機能が欠陥するよりも、性質的に何かを攻撃することで高揚するような本能的な残酷さに左右される。本能的に示される効力は、何事にも拮抗せずに、自らの意志が果たすべきものへと転化していき、自分から逸脱できずに、自ら生み出す意志だけに偏りを示し、あらゆるものを破壊するための定義を超えられずに、ただ、果たすべき理由をこしらえ、安易に破壊することだけが、自らを解放するための手立てである、という考えから抜け出せずに、外から操作され続けるだけのつたない意識は、自らを破壊しきれずに、何かを破壊することで、自らを超え出ているような感覚におちいっているだけで、何事も超えられずに、いまここで膠着している。

2017年9月15日金曜日

君はいつも若い


 偏り続ける意識は、カタトニーにおちいり、自らの片鱗すらそこない、行いの中で正されることだけが、正しいという異常なものをかかえこんでは、混濁にいたり、自らのいたらぬ部分を徒に消費し続けては、手懐けられた意識は、散漫な忘我をかかえ、短絡的なニヒリズムにひたり、自らを破壊する目的だけが、正論をつづり、自らの意識が示すサインをとりのがし、神経的な疎外感から、参画し続けるだけの組織的な浄土からぬけだせずに、惰性にみちびかれる限りに悔悟をつづり、自らを責め続け、いたらぬ自分を破棄するだけにいたらせるような仕組みに組み込まれ、自らの意識に混同し、同化するだけの今に緩慢に作用するだけの呪詛や、檻の中に閉じこもり、攪拌されるだけの警世を用い、苦しめるだけにいたるような革命は、自らを超えることもできずに、ただ、そこで抵抗するほどに、自己をそこない、流動的な暴力にむしばまれ、自らをそこなう限りに機能する権力へと組み込まれ、自らを抑圧してまでも、何かを破壊するために徹底抗戦を続ける。退廃的なモジュールどもがうごめく機械的ないっさいにアナログな観念論をぶつけ、ぶしつけなままに昇華し続ける私は、義務感などを孕まずに、果たすべき理由が用いる使命感などは、安易な意味にひたり、今を悲観しないために、何かを破棄しては、迎合されるだけの真実に消費されていくだけの形式的な模倣を謳いながら、怠慢な現在に偏執していく者が引き取る理由や、流動性を失い、そこで滞留するだけにいたるようなよどみを形成し、形骸化するだけの理論をこしらえ、自らこそが正義である、と正義を盾にしては、対価を求める戦争から、専用とされるだけの義務感に動かされるだけの使命などは、徒に生命を消費するだけに生産的で、採算を合わせるために何かを裏切りながら、ためらわずに処刑するだけにいたらせるような人間的な獰猛さなどは、朦朧した者が求める主体性を生み出すために生まれた管轄から、快感を伝達させるだけの記号を用い、脳内麻薬を生成するための怠慢な理想をうながし、そこで保たれる均衡などは、機能を保つためだけに、ためらわずに誰かを処刑し続けては、対価を求めるための戦争は加速し、乖離する現実から引き取られる独裁者どもが支配するだけの枢要な事実などは、今すぐ破棄すべきであり、そこで清潔感を謳い、用いられる正義に不要なものなどない、と謳うような独善的な抗いから、あいまいなマインドは、毎日に帰巣すべき場所を求め、端々に憎悪を充満させ、慢心を率い、悲観するだけの人間を引き連れ、我こそが、崇められるべき唯一の正義である、とうながすような独裁的な者が神格化され、拡散され続ける聖典から、制限は生まれ、罪の意識をかかえさせられ、世界を支えるべきは、我らである、とうながすような独善的な理由から、愚かさは加速し、自らのみすぼらしさを隠すために悪を利用し、公序良俗などを用いては、自らを正当化するための儀式に送り込まれる生贄としてよろこんで自らを腐敗させるだけの白痴どもの旋律になびく意識的な汚穢を排除すべく、用いられるものすべては、破壊されるためだけに存在し、終わりを待ちわびているなどとうながすような正義が跋扈し、爆砕されるだけの真実は、歴史観にそこなわれていくだけの原初的な正義を腐敗させた自らの悪意を知り得ずに、ただ、何かを否定的に示すことだけが、正義としての役目を果たすのだ、と自らの快楽のために発せられる独善的な手法から、正義とは、自らを狂わせるためだけに、正義の役を演じ、自らの演技に、自らが騙される限り、本質的な正義には近づけずに、何かを傷つけ、抑圧するために機能し、自らのためだけに、正義とは働き続け、自らの内部を退廃させ、退化し続ける正義は、自らの悪意により、押しつぶされる。原理的な逍遥を続けるだけの意識的な抵抗は、抵抗を求めるよりも、何かと融和し、自らの役割を強化させるためだけの働きを加え、自らが優位に立つためだけに機能するような正義とは、自らの世界を放棄し、ただ広いだけの全体性に押しつけられただけの世界を世界として認識するほどに、自らの過ちや誤りには気付かずに、自らを示す尺度すらないのに、何かを測ることで、優位に立つほどに、用いられた立場の中で自らを屈折させ、自らに折り重なる行為は、自らを束縛し、求められる自由は、自らをとどめるためだけに機能し、自らが求める自由により、誰かの自由はそこなわれるなどと世界を包括するような考えから抜け出せない限りは、どこにいても不自由でままならぬままであり、そこで、自らを用いずに、誰かを引き合いにし、自らを優位に立たせるだけの正義を用いるほどに、求められる自由は、自らを拘束し、自らを克服することを知らずに、自らを消費するためだけの退屈を捏造し、その退屈を超えるためだけの快楽を加速させ、何かの傀儡として、マニュアル通りに動くためだけにためらわずに、何かを消費するだけの原始的なものとして、諸元の悪意を加速させ、自らに枷を嵌め、広いだけの世界でがんじがらめになり、担うべき孤独と、似合わないものを着込み、虚飾に満ちた日々を満喫しているように演じるだけの空しい者どもを妬むだけのルサンチマンにおちいり、自らに課せられた罪や義務のためだけに動くようなふりをし続けるだけのシステマチックな者として、一貫性などを謳いながら、自らに派生する苦しみを消費し続ける。

2017年9月14日木曜日

意味のとなり


 誰の言葉も信用にはいたらず、割って入り込む言葉などは、意味をほとんど成さないくせに、今に多大な影響を与えるようなふりをして、自らに迫り、自らを奪うだけにいたらせるようなバビロンの空疎なことごとくに勝利を叫ぶような鈍感な者どもの卑屈を吸い込む掃除機のような気分で、情報が氾濫する最中を夢中で歩き、リンクするものなどは、今に意味を成さずに、最たる意味を引きずるかのように示す可能性の垢で汚れたものばかりです、と思春期的な苦悩に指図されているだけの今に隷属すべき大人すらも見当たらずに、母体回帰するような連中どもが引きこもりながら作り上げた国家などは、クソでしかないから、と悲観的な苦悩が示す暴力的なコードなんてあてにもならないから、簡単に処理されるだけの現在に肥大する苦悩や濃厚な帰り道で乖離し続ける意志がシステムに反し、思想をひるがえし、何かに屈従するくらいなら、この苦痛と遊ぶよ、と嘯き我慢する緩慢な作用から、関連するほどに現れる物事の猶予や、優位を定めるだけのリベラルな者が散漫な形式をうながし、管轄を作り出し、何かをひとくくりにして、自らを動きにくくするほどに魯鈍な者ばかりが増えて、与えられるほどに軋轢を生み出し、そこで抑圧される限りに憎悪は生まれ、運命論などを垂れ流しにし、憎むほどに生まれる肉欲を裁くべきだ、と宗教的な禁欲を放つだけの退屈な歴史が駐屯地を破壊し、あいまいな毎日を照合するための聖戦を謳いながら、献饌するための異物感をとりはらうように生贄を作り出すべきだ、と攻め入る真実は、鋭気をそこない、そこかしこに普通を売り込みながら、ここで奪われるだけの普通は苦痛以上のものを生み出し、今に普通をうながすほどの異質さ、と異常さに気付かずにさとされるだけの現在に肥大する苦悩を買い取るだけの是非や、そこで是認されるものなどが蓄積し続けるつくづくの苦痛を植え込むための儀式を形式化し、関係するほどに、そこで与えられる罪の比重に耐えかねずに、自らの苦しみの理不尽さに耐えかねずに、体系的なものに飲み込まれていくだけの過程などは不必要であるし、そこで用いられる不潔などは、清潔であるがために何かを不潔なものとして捉え、そこで善悪を決め込み、何かを裁くための悪を育て、惰性に示される悪は、自らの悪意に気付かずに、作られた正義に処理されるための悪として機能するような必要悪的な観念が示す正義などは、何かの犠牲の下になりたち、自らの立場を使いながら、権力的な偶像を高めていくほどに補完される欲から、金銭的なまがいものを措置するだけの配置的な主義が理想を供給するほどに、窮境をさまよい、陰鬱なものへと変化していく犠牲的な思いが制限を生み出し、自らを苦しめるための儀式に捏造され続ける真実の臓物を食するような悪魔どもが徘徊するのが、この社会であるのだ、と妥当に生み出されるだけの意味が示す尺度により、何かを恨むために自らを悪魔に変換させ、自らの醜さを呪うようなコードから、行動は淘汰され、何かに操作されるための多面から生み出される多義的なものに飲み込まれ、驕り、溺れ続ける意識は、耽溺をひるがえすこともできずに、自らの退廃的な自由から、対価を求めるだけの値から、退化していくだけの現在に卑劣で愚劣なものを自ら創造しながら、しなびた意識は、自らを恨み続けるように他者を痛めつけるようなサディズムとマゾヒズムが混淆し続け、リビドーを加速させ、明けない夜を支配するだけの体たらくな獣として、偽善的な商売から、散々な機能を呪い続けるだけのゴーストとして生きたままにさまよう夜が能動的であらぬ限りに、暴くべき事実も見出せずに、与えられるものを貪婪に食するだけの餓鬼として、競合し続け、自らこそがいちばんだ、と選民思想的な理想から供給されるものにより左右されるだけの鈍感な思想の中でしか、自らを高めることは、自らを陥らせることだ、ということに気付かぬ限りは、自らを破壊するように何かを純粋な理想により破壊するだけの孤独感をごまかすためのまやかしを続け、自らを騙す限りに陰らぬ真実は、事実をひるがえすこともできず、真実であるがために、自らを騙し続け、気だるい日常に小さな幸福を見つけようなどとうながすプロパガンダの空しい示唆に左右されるだけの緩慢な人間として生きることを今すぐやめるべきであるし、そこでためらうほどに、自らに置いて行かれ、そこかしこに生まれる憎悪に飲まれ、自らを複製し続けるような退屈を傲岸不遜に処理するだけの緩怠な者として支配されることこそ、この世での至福だ、とうながすような一過性の愛国心を加速させ、仮想するほどに実現すべきものも遠ざかるような対立を続けるだけの関係の中で爛れるだけにいたらされるようなカオスを生み出し、自らを混沌と王として崇めるだけの日々に卑屈な者ばかりが現れ、あふれ出る汚濁の中で幸福を願っても、願うほどに、自らを腐らせ、とどまらせるだけにいたるようなしあわせなどはすぐさま捨てるべき、だとさえ簡単に言い放てるような軽々しさをもたらすような者どもこそをひるがえすような新しい世界を生み出すような君だけが、意味となるように。

2017年9月13日水曜日

拘束


 私は、ふつうというものを認識するのが苦手だ。ふつうというものが加工する現実などは、なんのとりえもなく、今に割って入り込み、簡単に背反をつづけ、ふつうであることだけが、あたかも正解のように示す尺度に織り込まれる呪いのようなものが息苦しく感じる。あらゆる感覚は、静謐であるべきであり、あらゆる疎外感を孕んだ現実などのいっさいは、ふつうにより破壊されるようなものであるし、そこに加えられる情報はといえば、今を切り裂き、関係性を用い、何かを攻め入るだけにいたるし、いたらぬ者を排除するための徹底的な普遍性こそが、不潔なものであるし、そこで実体化していく苦痛は、意味を通過できずに、今に取り残され、記憶の中や、記録の中で束縛され、不自由さを嘆くばかりであるし、やがて、うやむやになる現在は、担うべき意味を喪失し、孤独なメモリーの中で孤独感を増していくほどに現れる簡易な恐怖や不安に意思をうばわれ、自ら考えることをやめてしまう。あらゆる苦しみに補完されるだけのジンクスにリンクするだけの歓喜がうるさく、晴天にまじわる暗鬱な証拠を引きずるだけのマニュアルなどが生み出す凶暴性や、理性をそこなうだけの原理的な衝動や、運命的な海岸沿いをあるき、夏を体現するような蝉の生命の終焉にはじまる宇宙から、強要されるだけの協調性などは、今にわけあうべき苦しみなどを謳うだけの宗教的なペシミズムが生み出すアレルギーでかゆみがとまらぬ私は、信じるべき自分すらも持たずに、神を用い、何かを騙すほどに補完されるだけの金銭から、卑賎なものに従属するだけの信仰などは、孤独感を埋めるための運命を引っ掻き、悲観するだけにいたるような猥雑な君たちの理想などに帰巣すべき場所すら持たずに、のうのうとさまよい、居場所を求めずに、とめどなく流れ続ける意識は、限界を持たずに、途端に破裂し、修羅をあゆむ今に飢渇してもなお、そこで潤すことも忘れ、ただひたすらに、この長くも短い今を悟る前に、探してもなお、ここでいなくなってもなお、ここで去りゆくように、ただ、ここに取り残されるほどに、燃えさかる私は、使い切ることすらも求めずに、ただ続く限りを満喫する。すべては、残光をあたえ、あたかも今に継続していくかのように否を伝え、散漫な意識に互換されるだけの今に変化を求めるだけの君たちの女々しい実情が盛るだけの時代性の顛末から、あふれでる悪意のようなものが混沌を呼び覚まし、慢心を呼び起こし、機械的なものに従属し、十全としたものを持たずに、用いられる善意が生み出す平均的な悪意から、あいまいな毎日に攻め入るプロセスなどを排除し、そこで急激にぶつかり合う思いが愛に変わり、そこで愛し合う限りに独善的なものや、懐疑的なものを排除し、正しさすらも用いずに、ただぶつかり合うほどに深まる愛だけが、風化せずに、ここで変化を続け、円環し、質を求めるよりも、ここで自然にうながされ、超越し続けることだけが、言葉を超え、ここで変質しながら、散々な現状を嘆くよりも、鋭く獰猛に行き交う意識が、暴力におかされずに、ここで抑圧されずに、自らであることをよろこび、肩書きに締め付けられるよりも、そこで使命感をかかえ、忙しく尽きるまで動くような日々に卑屈になるよりも、ここで揺動されずに、じっと待ち続ける優美にふれる。負担をかかえさせるだけの人工的な楽園たる国家などは、空疎なものしか運ばないし、そこで用いられる国籍などは、退屈な意味しか運ばず、ここで蓄積される邪推から、イメージにダメージをくわえるための欺瞞が運ばれ続け、罵声を浴びせ、自分こそが、いちばんであり、見下すだけの選民思想的な意識から、世界とは狭められ、誰かが用いる世界の中でしか自らを認識できずに、その場で生まれる苦しみに引きずられるだけの卑近な者が示す尺度や差異に攪拌される意識は、何が正義かすらもわからずに、正義を語り、演技を続け、偽善的に消費されるだけの毎日は、空疎なものを謳いながら、空間的な苦痛をかかえ、混沌としていく意識は、締め付けられ、芝居を続けるほどに、ここでの苦しみは増し、徒労を重ね、老化するだけの日々は、透過するにいたらず、ただ自らの汚濁の中で溺れ続け、つたない意識は、汚いものを排除しようとすればするほどに、自らを動きにくくさせ、何かを憎むことだけが意識的な転化を生み、そこで隷従するだけの意識は、自らを類推するためだけに構造的な解除を謳い、自らの自由にさまたげられ、自由であればあるほど増していく苦しみに耐えかねずに、自らを破壊するように、何かや誰かを破壊するような独裁的な獰猛さをたくわえ、幼児的な自己は、利己的なものをかかげ、加算されるだけの意味に収納されるだけの意識は、自らの苦しみの中でかすむ苦しみを再現するためだけに、何かを犠牲にし、憎むことだけを加速させ、途端にあふれる憎悪だけが、自らの正義を謳う。

2017年9月12日火曜日

かみ合わない会話


 無重力の精神に高揚感をもたらす夏の終わりのさまたげや、平衡する意識に挫折していくおりおりの観念が計測するふしだらな物語や、加速するほどに、内面的なカオスが、自らの苦しみを数字に変え、変換されるだけの理由が、自由を求めるほどに、とめどない苦痛がおどけて、体たらくな現在に加工されるだけの品位に熱情していく人間的な哀れさや、からみあうほどに、互いを恨むだけの嫌悪感を生み出すだけの仕組みが云々と根幹を腐らせる人混みは、豊かなサービスを求めながら、互いを法で囲い、自らの自由を求めるために互いをとがめるような理想が今を阻めるための規律を生み出し、抑圧されるほどに増していく快楽により、自らの不自由さをよろこぶべきだ、と捕らえられた意思に連関していくものが、今を束縛し、終わりのない恐怖へといたらせるような些細な出来事を通過していくほどに、形式的なものが打ち出す美に囚われ、その場で恒久的な捕囚として、終わりのない労働へと従事させられるのだ、とうながすような反発的な偶像をたえまなく生み出すだけの贋物の価値が持ち出すカタストロフィやスローガンなどが、関係の中でのがん細胞に変わり、自らの破壊するための善意が持ち出す死へと追いやられていく自己の住まいを探し続けるほどに、今に補填される苦しみが抱え込むニヒリズムに追いやられていく幼稚な交合から、散漫な意識は、儀式的に昇華される快楽へと奉られる自己を崇めるためだけに、短絡的な衝動を攪拌するための混ざり合う二人の意識は、互い違いになり、相似するほどに、互いを恨むような欠如を生み出し、そこで埋め合わせるものなどは、瞬間的な苦痛を和らげるために、永続的なルサンチマンを形成し、何かに依存する限りに、陰る本質は、自らをそこない続け、行いの中で興じられる快楽へと現行するものは、そこで消費されるだけにいたり、いたわるためにまじわる二人がかかえる強権的なものの復古を叫び、互いをとがめるような恒久的な戦争へといたらせるような譫妄を生み、散漫な意識は、感覚を研ぎ澄ますことができずに、関係に用いられる退廃的な快楽を互いに通過させることが、愛である、とうながすほどに増していく空しさは、その場での愛に翻弄され、疲労感をたくわえ、すべての行為は徒労に終わり、浪費するだけの愛は、思い通りに行かぬから、と他愛のないものを破壊し、攻撃的に発信され続ける意識は、何かと合致できずに、ただ暴力的なものにむしばまれ、互いの関係に隷属する限りに、互いを破壊し尽くすための呪詛を続け、つたない意識は、儚いものを謳いながら、ノスタルジアをたゆたい、絶え間ない儀式の中で、意識を破壊され、形式に踊らされ、計画的な創造などは、今をはしたないものに変え、掛け替えの無いものなどは、そこで変換されるだけのものであるし、そこなった愛は、次に迫る空しさを埋めるための代価としての愛として価値を吸血しながら、加算される原理がゲリラ化し、自らの過信を撃ち抜くこともできずに、虚空をさまよい、そこで幼稚なシミュレーションを続け、衰退し続ける意識は、この命が継続する限りに憎悪を膨張させ、自らの悪意に打ち勝てずに、誰かが用いる善悪に操作され、自らが用いる悪意に飲み込まれ、自らを虐げることを選び、何かを犠牲にするための正義をかかげ、自らが抱え込んだ痛みを昇華させるための懶惰な儀式から、形式的なものを持ち出し、今に憤懣を生み出しながら、はみ出すものを処刑台に送ることでもたらされる快楽を充填し続けるような中世的な見世物が示す憤懣の解消を形を変えてまでも継続させるような人間的な悪趣味なものから、問答を続けずに、与えられた答えで得る快楽から、解放を願うことで、自らをもっともな不自由に変えるような考えがもたらすペシミズムに打ち勝てずに、自らのペインを解消するための儀式を続け、何かを生贄にし、行き違い続ける意識は、自らと相違し、喪失し続ける自己は、利己的なものをかかえ、関係を処理するための恒久的なウソを続け、つたない意識を騙すためだけに、互いをとがめるためだけに理想を供給し、誰かの理想とは、自らの理想であるかのように示すような尺度を用い、釈然としない主体性をごまかし続けるためだけに、ためらわずに何かを騙すことで得る快楽へと浸るような絶対性を用いるだけの自らこそが正義であるなどと現を抜かすような現時点から、履歴を抹消し、ここで用いられる関係などのいっさいは今に継続されず、時間から離れ、放たれた存在は、そこでの影に変わり、そこで永続されるだけの過去から、共感を持ち出し、境界線を生み出すだけの支配的な者が永続させただけの人間的な構造を打ち破るべく、超越し続ける先々に現れる空間が打ち出す互換や、交互し続ける次元との対立や、そこで対話を深め、時間から逸脱するための手立てを生み出すべく、人間的な意識などからもっとも離れる。

2017年9月11日月曜日

整列しない意志


 裏切りの時間は、延々と懸隔を広げ、持ち出される価値により締め付けられる君は、永遠性を捨て、絶え間ない孤独を、ままならぬままにかかえるから、空疎なものを持ち出し、自らをもっともな孤独の中で屠るだけで終わるような現時点に冷めた感覚が、ダレたものを、誰かから受け取り、堕落するだけにいたり、フラクタルなものほど、互いを恨み、体感するほどに、間隔は生まれ、奪われるだけの今に保身をうながし、理想を供給し、自由を謳うほどに、自由とは懸け離れ、しあわせを求めるほどに、ここで構築されるものは痛みをかかえ、不安を捏造し、描写の中で迫る完治しない苦悩や、行動するほどに、魯鈍なものにかわり、能動的ではなくなるような時間の合間に流れる時間との対立から、そこで終えた時間が永遠性を含ませ、過去を孤立させるほどに、時間に飲まれるのだ、と妥当な位置が示す、今に補完されるだけの感覚は、善悪を持ち出し、秘密裏に処理されるだけの段階に示される数字や、そこで求められるだけの代償や、解消されない痛みは、今を浄化できずに、感応するほどに、感性とはそこなわれ、そこで行われるものなどが、論難をあびせ、罵声の雨が降りしきる中、そこでもたらされる恍惚とした瞬間に、イメージは爆発し、創造的な昇華にいたらせ、そこでの孤独などは、孤高にいたるためのあいまいな歴史を踏みにじり、負荷を与えながら、抑圧され続ける精神を、次なる段階に運び出すための孤独なのだ、と仏教的な保身は、崩壊を呼び覚ますための静寂を用い、今に引き合いに出される今から逃れるための静謐への隷属を求め、涅槃へといたる前に、自らを解放できずに、鎮座するほどに、時間や空間や次元にとどまり、到達することもできずに、用いられる概念に攻め入られ、生きることに遅配を加えるだけにいたらせる。あらゆるものから解法を強請るだけの方針や、要する形に染みいる無関心な者どもの閉塞感などが攻め入り、生命を抑圧させる限りに自らの永遠性にいたらずに、ただ時間を解消するために退屈をしのぐための愚行を続ける。時間とは、崩壊するための数字に満たない、と機械的な依存者は、散漫な感情を逍遥させ、傲岸不遜なデカダンスとして、空疎な時間を消費するための生産を続ける。緩慢に示される愛が、差異を持ち出し、物事の変革を願うほどに、補填される理由は、採算を合わせるためだけに、生産を続け、凄惨をきわめる現在に健気であればあるほどに、金目当ての自由から、理由をまさぐるほどに、偶像崇拝を続け、何かを崇めることだけを継続し、そこで契約されるものに従順であればあるほどに、しあわせとは見つからずに、何かのしわよせのために誰かに利用され、生贄として、嬉嬉として自らを授けるような綺麗さだけが、綺麗なものだ、と思い違いを生むほどに、互いを恨むような軋轢を今に生み出し、何かを踏み台にすることで、自らのしあわせを射止めるのだ、と惰性にうながされるものに転換される自由などは、理由を持ち出し、今にもたらされる苦しみを解消するためのしあわせを捏造し、そこで理由すらもそこない、何かと同化し、動揺し続ける精神は、敬神を続け、人が生み出した神により道を踏み外し、人が生み出した神により、自らに苦しみを与え、自ら与えた罪の意識を解消するための罰を受け入れ、自らを法で加工し、そこでジレンマをたくわえ、絶え間ない苦しみは、今に抑制され続けた意味を解放するための戦争を続ける。終わらぬ扇動を続ける一過性の自由は、一貫したものを持たずに、感性すらも引き裂いて、そこで用いられる新たなものすら受け入れられずに、諦観に陥られ、応じる答えのことごとくに統合させられ、透過できずに、そこで罪科を与え、簡易な罪の意識を加工し、後悔を謳い、自らの罪を悔い改めるべきだ、と正義はカタルシスを捏造し、犠牲にするための悪をもたらせ、自らの正当性を謳う。センセーショナルなものなどは、エモーションを持たずに、ただ衆愚がうながす神の傀儡を用い、何かを悔悟にいたらせ、そこで悔悛させるための屈従を求める。求められた者は、とがめられていることにも気付かずに、抵抗できずに、そこで屈従するための苦痛ほど、快楽的なものはないのだ、と惰性に導かれる犠牲のこころから、拘束される君の意味などは、誰かが用いた理想が供給したあいまいなものであり、そこで巻き込まれるほどに、そこから抜け出せぬように、自らが自らを縛り付けていることに気付くべきであり、ありのままな者ほど、何かにうながされ、凶行に走り、理性を失い、理想を追い求めるための破壊が次々に暴力性を加速させ、制度が用いる抗力に反し、拮抗し続けるほどに、規制を孕ませ、そこでもたらされる力に緩衝し、互いをとがめるようで、互いの力は、均衡を保ち、持ちつ持たれつの関係におちいる。誰かが用いる愛が、今までの愛を破壊し、加算される苦痛に苛まれる意識は、互換性を謳い、用いられるものすべては、代えられるものであり、そこでかけがえのないものとして崇められているものほど、何かに代えられ、書き換えられ、そこに存在すらもしなかったように扱われる。

2017年9月10日日曜日

井蛙


 こころの中で敷衍する汚濁が、延々とあふれ続け、自らをむしばみ続ける間にはみ出す意志は、帰路を求め、散漫な意識が求める娯楽や幸福の彼方で召される感情に統合され、正常さを謳うような鈍感な者へと変化し、独占欲が示す惨憺たる差異から、位置的な相似を求めるだけの行為にもとづくものへと迎合されるだけの日々は、退屈をしのぐために戦うことをやめ、制限を持たされ、行列に並ばされ、緩慢なものへと変化し、忘れることだけが、正しさをもしのぎ、悪を捏造し続けるだけの正義は、犠牲を孕んだ懶惰なものへと変容し、自らをなぐさめるためだけに、ためらわずに何かを犠牲にすることに奔走し、自分たちを守るための保身と、組織を謳うほどに、退廃するだけにいたらせるような内部で摩擦を繰り返し、物事を抹殺するための出来事を捏造し続け、システムの中で狂うことを正すこともできずに、自らを崩壊させるための儀式的な示唆から、惰性で導くほどに、補填される意味は、自らを抑圧するために、平気でウソをつきながら、つたない意思は、うながされるものだけを支えに、些細なものを補完するための生贄として、自らをよろこんで捧げる。滑落する意思は、どこもつかむところもないから、と誰かを引きずり込むことに専念し、遷延していく意思は、表現を失い、喪失感にゆだねられた悲しみは、悲しむことでしか自らを昇華できずに、配される間に黙する愛は、無限性や永遠性を謳いながら、何かの出来事により、すぐさま、その愛を崩壊させ、解放させるよりも、その愛により、抑圧されることで、自由を自ら奪うような欠如をふくませ、二人の世界は、他者が用いる世界性により、デカダンスにおちいり、無残にちりゆくのであり、季節的な胞子をたずさえ、そだてるための愛を怠惰なものに変化させながら、機能停止におちいり、近づきすぎた互いは、互いを憎みはじめ、対立を生み出し、ふかまる溝は、空間を攻め入り、生命の危機へといたらせるような戦争へとおちいり、共感を得るためにごまをする日常は、精悍さをそこない、そこかしこで無数の空白を生み出す。空白を埋めるための統制から、闘争へと発展する先々で軋轢が生まれ、奪われる者と、奪う者の対立が深まり、負担を背負わせるだけの義務が押し寄せ、ギミックを破壊するための鉄槌を用いぬ者は、用無しの者として、或いは、単なる物として扱われ、派生する意味は、ここで途絶えるだけの意思は、帰るための場所を求めるほどに、用いられた自由に束縛され、自らの自由を奪うだけの権利を持ち出し、偏るだけの理想は、理性をそこなわせ、そこで屈従するほどに、味わう苦痛が通過する先々で犠牲を孕ませ、罪の意識などを与えながら、当てこすられた意味を、あたかも正しいもののように崇めるだけの正しさを孕ませ、退屈しのぎに裁きを受けるような軽々しい罰が、今を抑圧し続ける。補完されるだけの関係から、削がれていく意思は、何かを信心し、信じるほどに生まれるのが、人類愛などとうながす先に現れる汚点を隠すためにためらわずに破壊へといたるような純粋な暴力へと移行し、いぶかることを知らぬ純粋な者へと駆逐するために暴走し、構想することを知らずに、行動とは、何かを破壊するための純粋なもののように崇められるほどに、補正された罪の意識が迎合する意思的なまがい物を崇めるだけの理想から、理性をそこなわせるための生贄を用い、商業的に攪拌された社会などでオーガズムにいたるためだけに破壊することに現れる純粋な快楽にひたる。何かと傀儡として、背くほどに、支配することを求め、何かを解放するための歌をうながし、自らを拘束する。幸福も渋滞している。求めるほどに加速するカオスから、求めるほどに今を抑圧するための制限を用い、物事を一辺倒にさせる。些細な出来事が補完する物語は、我先に、と幸福を求め、今をとがめ絶え間ない衝動は、今を抑圧させ、自らを苦しめるために再現され続ける苦しみを転写し続ける。つたなく継続する哀れみから、空腹は生まれ、貪婪な者どもが徘徊する原始的な衝動が補正し続ける悲しみが等差を持ち出し、平等を求めるほどに、平等とは懸け離れ、かけがえのないものを守るための闘争が発展させた現代で固執する者だけが、抑制するための権威を用い、何かを定めることでダメージを与え、イメージを破壊し、我欲により、今を抑圧し、欲動を加速させ、負担を背負わせるだけの義務から、愚行は続き、つたない意思は、何かに寄り添うことでしか、自らの存在価値を見出せずに、見積もることで、自らのしあわせを生み出しているかのように、誰かの犠牲を嘲笑し、自らが課せられた犠牲から目を背けている。

2017年9月9日土曜日

喜悦

信じるものも持たぬようになった純粋な地を、無垢なままで歩き、無知なことを、恥じぬような気ままさで描き続ける綺麗なものすら用いぬような者になろうともしない、壮麗さが、今を包み込み、確かな気配だけが、自らを追い抜いていく。隅々に染み渡る影は、あたかも能動的ではあるが、外からの影響を受け、から周りしている。あらゆる疎外感を受け付けるだけの世界から離れ、超俗し続け、連動する意識は、世界という概念すら持たずに、我儘であることすら認識しないで、歩みを進める。強く踏みしめた後になびく悠遠や、広がり続ける意識は、形式を捨て、度重なる思いが降り注ぎ、悠然とした風景が、簡単に処理される彼方に確かなものだけが、今に永続する 。愛は、死んではおらず、愛を屠り、自らを愛させるために操作しているものが何かを知り、何者かが操る意味を愛に変換し、あたかも、愛しているかのように仕向けるものを否定して、はじめて愛が、何かを知る。

2017年9月8日金曜日

軽薄な秋


 気軽に何かを踏みつけ、こなごなにするような悪意が迫る。何かを壊すことにより、不愉快さを昇華させるような断続的な悪意から、蔑むだけの帰路に打ち出される真実などをごまかすだけの完全性を謳う鬱々とした真実どもが、事実をうやむやにしながら、自らの正当性を叫んでいる。履歴を抹消するだけの日々から、鼻腔をくすぐる事実が、空疎なものを用い、物事に転化し、転換されるだけの思いに加速していくリベラルなカオスから、隷属化するほどに、奴隷と化すのだ、とカスタムされたドレスを着込んで、記憶の奥底で、あくせくとしがらむ季節に透過されるべき物事も、簡単に処理され、今に悲劇を生み出し、惰性な者が示す差異から、ほころびを生み出し、滅びへと近付くだけの逃避や、統合されるほどに、正常さとはほど遠く、そこで諭されるだけの真実は、時間に追い抜かれ、自らの過去のものへと変えるだけにいたらぬ思いは奔走し続け、自らから懸け離れ、はばかり続ける先に罵声を浴びせ、そこで抵抗する者や、迎合するだけに浸る意味に偏りながら、掛け違えたものは、二度と戻ることもなく、そこで崇められ続ける真実は、雑踏の中を這い回り、猥雑なものをかかげ、独占されるだけの欲の中で葛藤を続け、つたない思いは、空虚さをかかえ、自らをペシミストに仕立て上げていき、逸脱することもできずに、いくばくかの可能性を秘めた今に幻覚を見せつけるだけの安易な衝動から、同意し続ける先々で対立を続け、契約される限りに約束の中で果たされる義務や、空席を埋めるだけの運命論者がそつないものにもたれかかり、諧謔の最中で思い描くおかしみよりも、滔滔とあらわれる物事が発信する流れに否定的なものをぶつけ、そこで思い続けることが、思い違いであることをうながすほどに、否定的な自分との対立を深めながら、深まる溝を埋めることもできずに、言葉の影で攪拌され続ける自己が隠滅し、インモラルなものを重ね、懐疑的な日常からエクソダスすべく、すべては、保たれる均衡を捕食するための欲望を加速させ、解析されるだけの真実や、そこでアップデートされるだけの事実に帰巣するほどに、補填される苦しみは、転換していく苦しみの中へと引きずり込まれ、卑近なものに変わり、何かになりかわりながら、退嬰的なものにおちいり、体系的なものに貧するだけの物質的な猶予から、何かの余裕を謳うほどに、自らが狭めるだけの境界の中で裁きを下すほどに、自らを神として崇め、自らこそが正義である、という勘違いほど、神からほど遠いものもないし、何かを許すよりも、何かを監視するよりも、何かに無関心であることよりも、そこで自然に調律されるものを素直に愛するということすら思わずに、自然的に愛撫するようなものが、神に近付こうともせずに、そのままであり、神という名称に過ぎぬものを用いる以前に、自らを自らとして認識し続けることだけが、何事をも超えるような感覚で、奸悪な者であろう、と妥当なものを用いずに、自らに素直であることだけが、人間を超えて、神を持たずに、そのままを愛することすら厭わずに、ただ、あるがままに行う者だけが、何事にも左右されずに、そこで用いられる自由を射止めずとも、ここでとむらわれるものにむらがるよりも、ここで愚者として、摂理をひるがえし、自らが生み出す空疎なひとりごとを自らがくらうような残酷さを用いても、率いるものを否定し、ここで貧寒に陥ろうとも、豊かなものを持ち続けるような秀麗さだけが、美しいものを持ち出さずとも、そのままであることのよろこびであるし、やがて、敗残してもなお、ここで用いることに依存するよりも、ここで切り離し、危害を加えられてもなお、持ち続ける純粋さだけが、情念を超えて、人類愛を投げ売りにするような未熟な愛が用いる憎悪を超えて、転化するだけの愛にもとづくエゴに行為は引きずられ、卑近なものに変化してもなお、ここで行うことだけが、自らを強調し、枢要なものへと近づき、短絡的な個人主義が用いる自らの消費を加速させるだけのあいまいなマインドを蹴散らし、懐疑的な日常に嗄声をうながし、奪われるだけの日々に卑屈になるよりも、なれ合うよりも、なじまずに、なまめかしく異様な物質としてさまよう限りに何事にも犯されずに、偏屈であろうとも、成し遂げる以前に、不羈な者として、そこにあるものと融合するよりも、高揚することだけを目的に走り去り続ける今にいじけるよりも、いびつな者として、暴れ回る先に理論すらも捨て、相似するものを恨むよりも、そこで酷使し続けるほどに、自らの奴隷として、殲滅するだけの日々に別れを告げ、実体すらもままならぬままに、補完されるものに反し、やがて滑落し続ける先に現れる巧妙な光に騙されずに、自らを跨ぎ続ける。

2017年9月7日木曜日

衝動性


 走り去る衝動だけが、私の糧だ。あらゆる資源を受け取りながら、旋律をたどり、散漫に機能するだけの意識が描き続けるような衝動的な派生から、主体を取り込むような刺激的な静謐をめざし、完全性を謳うよりも、用いる自由が持ち出す簡素な理由などよりも、ここで思い描くことだけが、永遠すらも飛び越え、さまたげられるものもなく、健気に飛び交う意識が、常用されるものに操作される前に、思い続ける限りに、限りあるものや、無限性を孕んだランダムな世界を超越し、演じるよりも、より高度なものをたどり、こびへつらうよりも、ここで貫くものだけが、制限を持たず、また用いられる無限よりも、ここで欲するよりも、ほどける限りに小さなものが、やがて大きなものを飲み込み、小さなものへと伸縮し続け、苦悩すらもとりはらうような現時点に韜晦し、回答を待つよりも懐疑的なままに機械的なものにおちいるよりも、応じるほどに、横溢し濫觴するものが、すべてを覆い、応じるほどに、補填されるものなどは、ほとんど意味を成さない間に馳せるものだけが、順序すらも持たずに、ここですらすら思い描くものだけが、やがて大きなものを描き、退廃的な物陰に腰掛ける偶像や、そこで偶然に現れるものがジレンマをたずさえ、慢心へといたるよりも、よりよいものや、よりわるいものすらもなく、ここで素直さを謳うよりも、素朴さを用い、もんもんとするほどに、緩慢に作用する死に追いかけられながら、連動し続けるものが、次々に敷衍させる不具合が用いる償いや、罪の意識に浸るよりも、ここで用いられる善悪が語りかける理由などが、今を締め付けるほどに、反発し続ける私は、何が正しいかすらも知らず、ただ、与えられるだけのものが反響し、今に正しさを押しつけるほどに、怖じ気付くような感覚の虜にならずに、内面的な体制が用いる孤独な論理や、最たる意味すら喪失し、そこで萎靡沈滞するよりも、いびつな者であるべく、統合されずに、分裂的に呼び覚ます次元などを破壊するような破壊神として、采配されるだけのあいまいな毎日に競合するよりも、すぐさま追い越し、誰も近づけないように、悽愴な孤独に寄り添うような優しさを売り込むだけの同情的な者として生きるよりも、そのままにそなわり、蓄積されるほどに、苛まれるような意識に連動していく軽薄な物事が決めつけるだけの意味などは、何の意味をはらまずに、正しいものとして崇められるほどに全体主義におちいり、非道な行動におちいるような集団心理が描くニヒリズムの集合体のコアを撃ち抜き、既読されるだけの今に簡素な理由を持ち続け、対比するだけの欺瞞から、寛容な者ほど、悪魔めいた言葉を吐き出し、意味を履き違え、治外法権などを謳い、貸与されるものから、換金され、姦淫に浸るような現実に取り残されても、自らの正しさに行き着くべく、息つく暇もなく、肥満化するだけの現実に消費されるだけの関係性が用いる制度に膠着するだけの権利を持ち出すよりも、陰険な利権や、感官を壊すための捕食を繰り返す獣どもの牢獄に入れ込まれるだけの退嬰的な保身が描く正しさが求める昇華などは、創造的にいたらずに、短絡的な破壊のために用いられるだけの昇華などは、昇華にいたらずに、今をカタルシスにいたらせるための虚偽を孕んだ懶惰な者が示す尺度により、釈明を強制され、少数派の意見が、大多数の傀儡どもを動かすような衝撃から、惨憺たる現在に信じるべき自分すら持てずに、見捨てられるだけの君たちの意向から惨状を壊し、創造だけが、今の粗造なものを直すべく、ベクトルは、天から受け取り、感傷に浸らずに、貧寒な現在を打ち付けるような鉄槌を用い、モチーフとされるものすべては、今を遠のかせ、統制されるだけの現実から、整合されるほどに、迎合されるものへと移行し、自らの苦しみをごまかすための統制から、正当なものを用いるほどに、掲揚される者だけが崇められる世界などは退屈であるし、他者から持ち込まれる世界などは、世界として機能せずに、自らを苦しめるために移行し続ける意味から、いびつなものが陰鬱なものを生み出し言い分けがましくつきまとう現在に暗澹とし、背く者すべてを排除するだけの何かに傾倒し、贋物の者を信心するほどに、神とは、懐疑的な者が用いる利己的な肖像として存在するだけで、理想とは懸け離れていく現在に崇めるべき自分すらも排除した先に現れるレイシズムから、万物を破壊するためのキャッシュや、そこで犠牲を謳うだけの戦争が今を洗脳にいたらせ、譫妄にいたらせ、いたらぬままに排除され続ける限りに自らを影と化し、加算される原理に理性すらも喪失し、相違するものが対立を続け、相似するものも対立を続け、終わらぬ戦争から、崩壊するだけの文明は、自らを開化させることもできずに、今にさまよい、意味の中で鎮座するだけの正義が理想を謳い、今に犠牲を孕み続ける生命は、意味もわからずに、今に消費されるだけの毎日に倒錯していく。

2017年9月6日水曜日

行き着く先に広がる景色


 跡形もなく消え去り、ひろがる形式が矛盾を孕んでは、懶惰な気持ちにそぐうものだけが、正しいもののように捏造され続ける永遠性が、制度の垢がとれない、と必死にもがき、形成されたものが定めを謳い、今を取り囲み、でられないようにするような世界を啜るような衝撃から、劇的な飛躍を続け、追跡されるだけの意思が孕む心ないものに遭遇してもなお、何かを信じようとするような純朴さを打ち破るような性質にとろけ、統合されるほどに、正常とは、異常との合間に差異すらも生み出さず、正常とされることだけが、異常なものを否定し、差別することに置かれる現時点などで凍り付く精神は、軽減されない痛みなどを叫び、俗悪なものに対処するほどに、自らが俗悪なものに変化していくことに気付かずに、与えられる影響が、耐えがたい痛みを運び、配される間に遭遇するほどに、偶像を崇め、偶然を呪い、能動的に生きることをやめては、軽薄さが、軽快なものだ、と思わせられる間に強調されるものなどは、今に矛盾を孕み続け、果たす意味などが今に駆逐され、空中で散漫に分解し続けるシステム的な由縁や、そこで適任され、うやむやになり、似合わぬものを着せられ、規制されるだけにいたるようなものに浸ることで、あたかも参加しているように仕向けるような隘路にひしめく世界性が、自らを強調するが故に、自らを苦しめるような欠如の間で軽薄さを基調なものとし、何かをとがめることだけが、自らを正義として堅持するような間に捕食されるだけの緩慢な作用を生み出す滅ぼすためだけに語られる神話から、信用を用いるほどに、何かを裏切るだけの欠如や、形跡すらも喪失し、そこなわれる限りに怠慢なものへと変化し、変容し続ける先々で戒律や、対立を用い、対比されるだけの思いは、行いの中で正されることだけが、自らを正しいものへと導くのです、とあいまいな作用をマインドに及ぼすだけの綺麗なものに隷属するほどに、自らの俗っぽさから抜け出せずに倒錯し続けるのだ、と惰性にうながされる衝動的な思いが、行為をこねくり回し、行動を拒否しながら、惨憺たるものへと帰巣するだけのシーンに断続する憂いや、運動的なほどに、一貫した思いをそこない、そこに転じて行く空疎なものを加工していくだけに満たない品位や、退嬰的なものが示す体系的なものが食すだけの日々が捏造され続け、そこで続々と熱情していくものが快楽的なものを敷衍させ、そこから抜け出せずに、短絡的な快楽へと移行するのだ、と惰性な品位は、格差を用い、その間で是正されるものだけが、正義を語るなどとうながすほどに、正義から懸け離れ、何かを阻めることだけが、正しい行いように強調され、定めを持ち出し、自由を利用し、領土を奪うための結合を続ける。対象に用いられる代償だけが、物事の大小を決めるのだ、とうながすような保守的な理想が、リゾームを生み出せずに、感覚的なものを悪として捕らえるようないびつな刑罰の間で繰り広げられる空しい闘争から、対処しきれぬものを刑罰で締め付けるだけの法が加工する品位が示す尺度から、そこに現れるジレンマが引きずるいびつな観念に萎靡沈滞し続けるだけのシステムの中での孤独に自ら孤立していき、同調を謳う者などは、同情へといたらせるべく、自らを正当化し、正常を用いるほどに、自らが異常なことに気付かぬような者が執り行う軌道修正などは、自らの正しさをうながすほどに画期的なものをそこない、自らを行いに閉じ込め、行動することだけが、正義であるかのように語られるだけの独善的な腫瘍を取り除くべく、須要なものなどは、今に改善されずに、ただ、監視するために捏造されるだけの体系的なものが生み出す形骸化するだけにいたるような保身を捕食するためのコードを今に埋め込み、策略だけが、錯雑とした頭にヒットするためのものを捏造し、増幅するカオスがもたらす報復のメロディーや、幸福を謳うほどに、何かを呪うだけの人混みからケロイド状の悪意が全体性を覆い、退廃的な伸縮から、全体主義的な衆愚として、集合体であることを関係に打ち出すだけのほころびやらが、レイシズムに耽る間に人間的な何かが、今に神を持ちだし、関連するほどに保持するものは、神のおかげであるなどとうながすほどに、神からは懸け離れ、独善的な者が履き違えた意味を神にすり替え、自らを崇めるために絶えず神や死を利用し、自らを正当化するための維持を続けるためだけにためらわずに犠牲を生み出すことだけが、自らを保ち、守るものである、とうながすだけの強調から、独裁的な汚すだけの世界などから抜け出し、自らが求めるものを強調し、境地に矛盾を孕むものなどに対処し続けるだけの退屈な逃避を終え、自らに帰り着く。

2017年9月5日火曜日

軽快


 純粋な子供達は、深い眠りについている。季節をもたつかせ、模写するだけのメディアが倒錯を謳い、短絡的なリズムに迫るセンチメンタリズムや、理性をそこない、そこかしこに空白を与えるだけの余韻から、因果に吸い込まれ、軽薄な時間に攻め入られる過程から締結し続けるシステムがやがて、陰鬱なノスタルジアを形成し、過去に引きずられては、惰性な面影が、退嬰的なものに変わり、感染し続ける思いは病を形成し、何かを恨むための理想を孕ませ、次々に悪魔的な子を産み、贋物の価値が邪推し、カタストロフを生み出す間から怯懦なものを形成し続け、生成される意味は、慟哭へといざない、用いられる恐怖から逃げ惑う形式的なものが打ち出す魅力があるように伝えるだけのコマーシャリズムが憤懣を垂れ流しては、回転し続ける思いは、今を踏みにじり、不眠症におちいるだけの空疎な恐怖が伝染し、次なる償いが、過ちを謳いながら、病を生み出し続ける現時点にロストしていく真実は、自らの落ち度を認めずに、用いられる価値でしか測れないような馬鹿者の獣を生み出すのだ、と惰性な否定から生み出されるものなどは、ルサンチマンであるし、ルサンチマン同士で闘争を続ける限り、動作は不安定になり、みちびかれるためだけに、誰かを漁りながら、衰亡し続ける生命は、自らの意志で動かずに、何かに動かされることにより、勝利へと導かれ、しあわせを勝ち取るのだ、とうるさくうながすほどに、しあわせとはほど遠く、搾取され続けるのだよとうながすコミュニズム的な敵愾心が暴力を持ち出し、観点を疎外させ、自らの孤独に打ち勝てずに、ただ現れる問題を対処し続けるほどに孤独は増し、自らを魯鈍な者に変えていく。書き換えられるべきは、今に現れる空疎をよろこぶべき衝動を絶えず生み出すベクトルを、自らが流動させ、そこで循環し続けるものが、次なる苦悩を取り払い、たのしむことをはじめるからこそ、今の苦悩などは、過ぎ去るだけの苦しみでしかなく、そこで主体性をうながすほどに、存在などは、軽薄な者に迫害され、何かに彩られるほどに、厭わしいものに変わるのであり、理性をうながすほどに、ここで用いられる規律などを保つための戦争から、専横されるだけの主義に存在すらも不確かなものに変わり、いびつに形成される毎日が、警醒をめざしても、そこで新しいものを取り入れる気概のない人間どもの巣窟が生み出す世界や社会の中では、否定的な観念を用いられ、関係から逸脱するものを拘束し、そこで抑圧され続けることだけが、生きる秘訣のように語られるような退屈なドグマから抜け出すべく、すべては、否定的に乗り越えられ、乗り換えられながら、同じような答えを右往左往するだけに満たないことに気付くべきであるし、そこで簡単に還元され、処理されるだけの毎日をいぶかるべく、用いられるもののほとんどは利己的な勝敗や、善悪を持ち出し、前衛的なものを否定し、悲観的なものを生み出すだけに満たない者どもの不潔さに耐えかねずに、苦しむ君の理性を昇華させるような消費的な快楽の傀儡として、歩んでいる苦しみを解きほぐすような言葉などはなく、ただ、自らが、自らを超え出ては、超え出た自らすらも超える限りに、陰ることはなく、そこで完全性を謳う者や、関係する限りに孤独とはごまかしがきく変わりに、機械的なものにおちいり、動作すらも同じようにすべきだ、と仕組まれた独善的な手法から、粛清を用い、関連するものすべてに濡れ衣を着せるためだけに規制される毎日におとずれる奇跡すらも見逃してしまうような忙しさに磔にされ、自らを神と思わなければ、やっていられないなどとカタルシスにいたらせるような衝動から、同化するだけの景色が生み出す形式などの生贄として、次なる苦しみのために犠牲的に処理される心身は、今から乖離し、理解を得るための空疎な言葉に巻き込まれ、自らの苦しみに屈従するだけの機械的で幼稚な仕組みに乗っ取られた意識は、とがめられるほどに加速するマゾヒズムに巻き込まれ、おちいることこそが、生きてることである、という誤認から、自らの存在の軽さに隠滅し続ける意思は、インモラルなものに敵愾心を燃やし、そのものを破壊するためだけに闘うのだ、と自らのルサンチマンに飲み込まれ、アナクロニズムにおちいるだけの消費的な人間として、限界を持ち出し、価値転換へといたらぬような幼稚な者どもの卑屈さに飲まれ、自らを檻の中に閉じ込め、もうそこから出られないように仕向けるだけにいたらせるような偽装から、犠牲を謳うだけの宗教的な補完から、そこで互換される苦しみに似合うものだけを着込んでは、今に苦痛を増していく心身は、自らから乖離し、刈り取られる意識は、自らの意志とは反し、誰かの意思に飲み込まれ、ひとつの力に集約される限り、人間からは抜け出せずに、惰性にみちびかれる限りに可憐な自己をなでるような大衆的なコードや、流行的なものに訂正され、抵抗力すら失い、自らが生きてるのか、死んでいるのかすらわからぬような先々で苦しみだけが絶えず今を苦しめるためだけに現れるようなものから逃れるための自由を用いるような者ほど、ナルシシズムに溺れ、傲り高ぶりながら、互いをとがめるための理想をうながし、自らに従属させるためだけに操作する。

2017年9月4日月曜日

情報の涅槃


 ねばつく涅槃に引っかかる靄。記憶に不時着する面影が、密かに寝首を掻こうと迫る闇から逃れるための論理を形成し、やがてうやむやにされる生が終わりを告げるまでの絶え間ない抑圧や、軋轢をとっぱらうような応用などを蹴散らし、応じるだけの者とは、そこで偏執するだけに終わり、吸収されることだけを目的に朦朧としながら、もう売り払おうとするまでの短い欠如から、たぎる思いが結実し、そこで実証されるだけの退屈から逃れ、形成されるだけの目的が、退屈をしのぐために偶像を仕立て上げ、惰性にみちびかれる思いは、退廃的な模倣を繰り返し、空洞化したこころに埋めるべきものを求めるばかりで、とめどない意識は、透過されず、不純物を入れ込まれながら、自らの混濁に飲まれ、そこで魂胆を用い、裏切り続けるためだけの理想が、理性などを謳い、軽やかさをそこない、相似するほどに同族嫌悪におちいるような闇を晴らすような形而上的に判断する先にあふれる幻想的で、過激な理想が、理性を踏みにじり、贋物の正義をでっち上げ、自らを理想のものとするためだけの規制を作り出し、退屈なものを、退屈なもので覆うような世界などは、世界として認識する以前に、ここで他者が関与し、豊かなものを奪うだけに専念し、そこで締結し続ける意識は、形式的なものに侵され、自らを信用できずに、何かをたよりに、互いをとがめるだけの理想へと屈従していくことだけが、正しいもののように扱われることを否定しない限りは、自らに飲み込まれ、憂鬱を織り成すだけにいたるし、やがて、静かな時を得るための闘争から、統制されるためだけに善意を押し売りながら、軽薄なものをかかげ、自らに肉薄するものを恨むだけに浸るような余韻から、因果は時間を持ち続ける限りに、自らを破壊するための定理に基づき、自らを破壊するためだけに規律を作り出し、調和を謳うほどに、すべては、離れていくことすら知らずに、統合を謳い続ける。混沌から生み出されるものだけが、今を破壊にいざないながら、次に償いを求めるだけの罪の意識に迎合するような正しさなどを踏みにじり、新たなる創造へと旅立つ要因から、有するものが、アイロニカルになればなるほどに、すべては、バラバラになり、担うべき朝を知らずに、似合わぬものを着込んで、流動する景色を飲み込み、領土を奪うための形式を謳いながら、理想などに駆逐されるような連中が示すような価値などを引き裂くべく、ベクトルは、天から引き出し、引き取る意味は、淫蕩に耽るだけの病から、独占されるだけの生命が漏洩させるだけの情報などが支配するだけの意識が改ざんされ、改善されているようで、有する形は、価値を用い、カタトニーへと陥らせ、正義を用いるほどに、偶像崇拝は加速し、加増し続ける死のシステムから、心象を侵す限りに構築される理論から、理性を奪うための大概に果てる過程から、開示されるものが用いる位階秩序から、陰惨な気配に迫る攻撃的な涙から、内面性を破壊するための他者から借りた言葉で、誰かを傷つけることが大義として扱われるものが、軋轢を生み出し、奪い合う過程から、軽薄なものを生み出し続けるだけの者どもが徘徊する深夜を明るく照らすものこそ信仰に値する。相対する生命は、制限を用い、求められるほどに、補填される意味をこうむりながら、高騰するだけの意思が、陰鬱なものを消費し、用いられるもので行いを正そうと目論むだけの消費的な正義は、精白なものではなく、濁りきった黒々としたものであり、自らが支配するための空疎な言葉を吐き出すだけだ。堕落した正義は、自らを守り、保つためだけに堅持し続ける権力だけで、自らを正当化させる。あらゆる正義は、犠牲を生み出すだけにいたり、位置づけるためだけに、居続けるような正義などは、権力の傀儡として、何かを攻撃するために利用されるためだけの正義が崇められ、たてまつられている。定義を持ち出し、自らを迎合させるための裁きから、散漫な儀式に突入し続ける限りに陰る本質は、緩慢な作用を生み出し、自らに緩衝できずに、対象とする者や、他者を破壊するために機能し続けるだけの正義が次々に悪を捏造し、攻撃を続ける。一体化を謳い、同一化を強請るような正義は、複製されるだけの意味を利用し、自らの理想へと近付くためだけに、何かを疲憊させる。堅持されるだけの意味などは、そこでちぐはぐなものを用いるだけであり、そこで保ち続けられた意味などは、畜生を生み出すだけである。あらゆる権力は、自らから逃避し続け、いい加減に作用し続けるだけの体たらくな補正や、葬られるだけの意識は、自らの未熟さに気付かずに、自らの惨めさを同情させるために、自らを美化させるためだけに、何かを利用し、ここで用いられる権力こそが、混沌を用い、自らを価値に同調させるために操作を続ける。

2017年9月3日日曜日

ただれた景色


 疲れ切った人混みで大義を謳うようなやかましいまやかしやらが、ひどく苦痛を訴えてやがる。短絡的な衝動を保守的な苦悩で巻き込んだような末期的に狂ったような猿どもが徘徊する現時点から、復古することだけに長けるような言葉の境目で正面衝突しては、突出するものを押さえ込むことに必死で、限界を用い、自らを苦しめるほどに魯鈍な者に成り下がることが、人間である、と叫ぶような傲慢な連中が用いるレイシズムが緩衝できずに、自らを卑下することもできずに、自らを神として仕立て上げるほどに人間的であり続け、そこで補完されるものだけが、自らを構造的な内側で磔にし、駄作の神として、或いは、人間に捕らえられるだけの獣として、慧眼を用いずに、汚れた目で見つめる先はカタストロフィを謳うようなペシミズムにおちいるだけの受動的なニヒリストがヒステリックに謳う一貫性が、一過性のものしか生み出せないから、自らを生きたままに屍に変えるような呪詛を続け、綴られる意識は、乱暴にひしめき、悲観的に切り裂かれた身体が他者を介して快楽を受け取るような性的な病をかかえこんで、混濁する意識は、依存することでしか、自らを正当化できずに、他者を介し、自らを認識するほどに、自らとは乖離し、理解を得ることばかりを求める孤独な者は、自らの意志を持たずに、誰かを介してしか、自らの存在を認められずに、自らをとがめるだけにいたるような倒錯におちいる。流浪し続ける私は、システマチックなものを用いるだけの答えから懸け離れ、超人へと変化しながら、何かを語ることが、負担を生み、そこでの不安などを解消できずにさまようだけの亡霊どもの皮肉や、悲観するだけにいたるような退廃的なアナクロニズムにおちいり、いびつな観念を形成するだけのやましさで固められた偽善的で独善的な手法だけが、自らを正しいものとして仕立て上げるようなあいまいな毎日に不規則に突き刺さる関係性が打ち出す制度などは、大義を用いり、自らを騙すためだけに自らを正当化し、自らを正しい者として磔にされることでしか、自らを正しい者として認識できぬような出来合のものに迎合するための犠牲を孕ませ、悩ましい現在にうとましいものを持ちこみ、自らを虐げるだけにいたるような虐待を続けるような死するための欲望を加工し、加速し続ける意識は、品位などを用い、自らを高い位に移行することでしか、自らを正しいものとして認識できぬような誤りに気付かずに、軌道修正を謳いながら、自らの位置から抜け出せずに、自らを正しいものとして認識することで生まれる過ちから逃れられずに、自らを裁くために、他者を裁き続ける。軽々しい思惟が譫妄におちいり、幻覚の彼方で、理論武装された過ちがうながし続ける血で血を争うようなこころみから、ちぐはぐで、ギクシャクしているだけに満たない世界の汚さを持ち上げるだけのメランコリーから逃れられずに、自らに枷を嵌め、自らをガラクタとして認識し、部品を集めることだけに必死な毎日に疎外感が高まり、孤独な者ほど、うるさいものであるのに、孤独であることを誇るほどに、孤立し続ける先に現れる本当の孤独に打ち勝てずに、勝ち負けを謳いながら、離れ離れになる季節においてけぼりをくらい、空疎な意味に滅びを謳い、自らをなぐさめることに専念し、喪失し続ける先に現れる空疎な悲しみにひたるほどに、魯鈍な者として、措置されるものだけを愛するふりをするような偽善的な者として、接続されるものだけを受け取るほどに、やせ細った心身は、正義を求めながら、自らを正当化するための悪を仕立て上げ、何かを崇めるために神を捏造する先々で対立は深まり、自らがもちいる神が求める戦争へと移行し、垣根をとりはらうことすらできずに、何かに取り憑かれ、統合されることを目的に謳われる正常を用い、何かを差別し、分け隔てる先に生まれる同化から、自らの正しさは、誰かが用いる正しさと混同され、そこで同化し続けるほどに、自らの存在とはうとましくなり、この世界でなれ合うことだけが、情報社会での生き方である、と持ち上げられる先々で苛み、自らを恨むために賄うものが、自らを苦しめ、そこで束縛され続ける意思は、自らの起源をさかのぼりながら、悲劇を求め、自らをかわいそうな人に仕立て上げ、悲劇の中での主役を演じ、求められる劇的な変化や、変質し続ける先に現れる昇華から、自らを捕縛するものとは、自らが生み出しているだけであり、そこで用いられるものから逃げられずに、逃げるということの意味を偏執させているだけに満たないような答えが用いる恐怖が抑圧させ、自らを解放できずに、自由を謳うような矛盾や、自らを自由にいたらせるための解放を謳い、自由を捏造し続けるような独裁的な手法から、主たるものなどは、どれも独善的なものであるし、そこで性質を謳うものなどは、科学的な伴侶を探すための誤りを加工しながら、自らを解放するために犠牲を求めるような独善的なものでしかないの、だ。

2017年9月2日土曜日

統制される前


 犠牲を孕んだものが、世界を覆う。物陰に隠れる君の悲観的な商売がリズムを刻み、今にカタストロフィを与え、短絡的な勝敗だけが、今を傷つけながら、欺瞞を生みだし、世界性を奪うだけのひずみから、輪唱する神話的な悲劇から、貧寒なものを生み出す時代性から、井蛙なものが用いる思想で思考停止に追いやられ、退廃的な神を設立し、摂理を謳いながら、感嘆に暮れるだけの日々は、比率を用い、計算的な手法で、バビロンの中でしか価値を見出せずにさまよう意識は、儀式的に消費され、犠牲を植え付けられ、そこで束縛されるほどに、補填される意味が用いる永久や、簡素な季節に混ざり合う風景が多量の悪意を植え付けながら、帰巣すべき愛にすら見捨てられ、関連するほどに断続的な風葉に用いられるリリカルなものは、消費的な観念に吸い込まれ、物憂げなリリシズムは、ヒステリーに変わり、孤独であるほどに輝きを放つ消耗品として崇められた天才どもが、至福を求め、受け入れるだけの日々に情熱すらも枯れ果て、彼らは鈍磨で卑俗な魔物である、と否定的に示す間から、排斥される意味を運び続ける依存的な者どもの卑劣なスタッカートが迫り、余罪をかかえた誰もいない夜の彼方で連続する意識は、仮想世界での日々を満喫しているかのように乖離した自己が傍観する先を俯瞰で眺める破綻した精神が用いる品性などに苦しむほどに、自らを魯鈍なものに変え、論証される隙間で生み出される永続する睡魔の中で気だるい意識を抱え込んだままの混濁した精神が正式なものなどを謳いながら、軽やかに生きることすら否定するような苦痛を用いる規律の中で働きを加えるものだけが、何か正義のように語られることを邪推し続けるシンドロームに進行し続ける死するだけの意識は、散漫な現象の中で苦しみことを他者を介して正しいもののように引き継ぐことだけが正義であるかのように語られる間に与えられるアルカロイドにより苦しみながら、離別し続けるシーンを呪うだけの能動的な意識が、ペシミズムに陥り、嗚咽をうながしながら、長い夜を引き裂くようなカタストロフを待ちわびるだけの街並みで交錯する意識は、労働的で、固陋し続け、システムの中で裂けた現実をつなぐことだけに必死で、目の前のことすら見えずに、見え透いたものをうながし、さまたげを生み出すだけの段落を生み出し、踏み外すと終わりだ、と謳う間に介する愛は死に絶え、求められることだけが、現実を織り成すことだ、とうながすほどに、愛とはほど遠くなり、用いられる愛とは、ここでの意味すら知らずに、ただ求め合うほどに離れ合うだけにいたるような愛だけが、愛と名付けられた途端に、互いを恨み出し、互いを葬るための契約を交わし、終わりがくるまで捏造された愛は、憎悪を生み出し、そこで生活を続けるほどに、生きたままに死にいたるようなあいまいな毎日を加工するのだ、とルサンチマンがカタルシスをうながし、即席の自由を謳い、表現を孤立させ、孤独に斡旋され続けるような孤独などは、用いられた世界の中からはみ出すための空疎なものを引き出すだけにいたり、いたわることもできずに長引く孤独の中で絶えず毒を用い、自らを屠るための呪詛を続けるほどに、自らを捕縛し、自らを抑圧する限りに、自らが産み出すべき世界に帰り着くこともできずに、自傷的な日々は、ニヒリズムを加速させ、自らを無へとおとしいれるためにいたる。あらゆる原理がすり減り、ここで放置されたままのものが燃え尽き、進むことも戻ることもできずに過ぎ去った後にひろがる無意味な永遠性に溶けていき、逸脱することすらできずに、出来合のものを信心するような者どもが貧賎さにひたる間にアイロニカルなものがロジカルなものをこじれさせるような哲学が劣等感を煽るような結末に迫るニヒリズムのシャワーがふり、付属するような等差に巻き込まれ、不正を謳うような隷属するだけの獣どもがリンクする結末に配される価値が加工され続け、ここでおちいるだけの意味から解放されずに、回答を待ち続ける今に犠牲を孕ませ、反動を生み出す現在から踏み外し意識から儀式におちいるだけの闇の獣どもが徘徊する毎日に接続されるだけの怠惰が生み出す悲観にひたるほどに、重なる痛みは、さらなる悲劇を巻き込みながら、証拠も残さずに、行動し続ける先々で対立を繰り返し、競争を煽るだけの資本主義的な継続から、軽薄なものを買い込むだけの日々から、買い込まれるものに混濁し、混同するほどに意識とはまやかしの愛に引き込まれ、卑近なものを引き合いに否定するだけにいたるような幼児的な反照から、緩衝する先々で対象となるものを恨むだけのシステムから、回想するほどに増していく恨みから、介するほどに愛すらも不潔に思うような統合から、透徹すべき現在に発すべき意味すらハッキングされ、換金されるだけの日々は、関係の中で麻痺し、自らを生きながら、死に巻き込んでいくような階級的な否定から、貧する間に生まれる怠惰さに苦しめられるだけに現在に今すら現れないような夜を洗い流すような光でありたく、ありがたくも、今に消しがたい意味などを引きずる暇もなく、忙しく動き回る。

2017年9月1日金曜日

諸元


 ふりそそぐ量子が一体感を織り成し、神秘的な恒常性を築きながら、真理にもとづくものなど、論難を生み、何かを捕縛し、束縛するだけにいたらせるような隙間から、色彩があふれ、死を呪うような人混みで隷属するだけの風景が焼けただれ、誰かが加速させる空間を浮遊するよりも、孤立してもなお、ここにもとづくものだけが、空疎なものをとりのぞき、ロジカルな思いがひしめく幽遠にひそむ思いが、空虚さをとりのぞき、能動的に求める瞬間や、主観性が生み出す運動や、運命をちらつかせ、何かを騙すだけにいたらせるような欲望やらが端折られ、正義をふりかざしながら、いい気になっているから、勝手気ままな奴をゆるせずに、カテゴライズsるだけにひたるような文明などは、依然として快楽的な猶予から抜け出せずに、埋めるための何かを求めるほどに補填されるものなどは退屈なものばかりだ、と窮屈な思いに笑顔すらもなくなり、内外に果てる思いが、行き渡らずに、そこかしこで漏れるだけにいたるような瞬間を這いずりながら、排斥されるばかりの物事は、やがて自らの罪に屈し、自らの痛みにさえぎられ、与えられる不安に恐怖を感じるばかりで退屈だ、と旋律は伝え、与えられる影響により、演じ方が変わるだけにいたるような社会性やらが、何かを解明できずに、メリットやら、デリカシーやらを求めるようなやかましいだけの世界などとつながるべきだ、と強制するほどに、そこから離れていく意識は、形式に反し、自分の静けさが織り成す憐憫などを解消するために燃やす闘争心などが、敵愾心を生み出し、奪い合うような欠如を生み出すほころびから、滅びを謳うだけのペシミストに移行するだけにいたるのだ、と惰性な意識は、改ざんされるだけの日々を憎むようなルサンチマンに変わり、排外し続ける先に用いられる均衡を保つべく、互いをとがめ、外から持ち込まれるものを全否定するような偏りから、回線を混濁させるだけの思想こそを排除すべきである、と叫ぶだけの無為な者を装うニヒリズムから、驕傲な敗残者は、掃きだめから用いられる諦念を加速させ、何かに枷を嵌め、世界性を奪うことから、互いを屠るためのだけの理想を用い、求められる限りに、用いられるものは越えるべきだ、と寛容さを謳いながら、何かをとがめるだけにいたるような思考から生み出されるもののいっさいは、そこでのあやまちを正せずに、ただ、何かを破壊するための意味を設立し、摂理として崇める途端に、自らの神は、自らを殺めるべく、自らをあやまちへといざなうのだ、と妥当なものがひしめくだけの暗闇に葬られる意思的なあやまちから、あいまいな毎日に帰属するほどに、規定のものに攻め入られ、贋物のセンチメンタリズムをかかえさせられ、そこで理想を用いるほどに、拘束され続ける意思は、自らを抑圧するための呪詛を続け、自らに固執するほどに、他者に依存し、浸食し続ける意味は、今を奪い去り、苛まれる意識は、互いの差異を認められずに、何かを恨み続ける。憎しみは続くよ、どこまでも、と子供達が孤独に収斂させる断続的な不安から、不規則な風に揺らぐだけの空間からあふれる心情などが補完し続けるものが、リリカルな刑場を作り出し、何かを裁くための詩的な猶予を授ける。換金されるだけの日々は、歓喜を生み出すようだが、そこで包括されるものが生み出す空しさから、退屈を処理するだけの機能に補完され続けるものが、つたないものを継続させ、あたかも生きているかのように示すような簡易な恒常性から、制度はふやけて、ジレンマを生み出し、何かにアレルギー反応を感じ、達観するよりも、対価を求め、何かを測るための疑念が、さらなるジレンマを生み出す。意識の終わりに現れる汚穢や、応じるほどに、応用されるだけのものに支配され続けることに嫌気がさし、破壊へといざなわれる自己は、自らのしあわせのアルゴリズムをカタストロフにみちびき、密接な関わりを持ち続けることで現れる惰性なものに屈従し、自らを抑圧するための規律を、自らが生み出すほどに、自らを魯鈍なものに変え、いじらしい今に盛んに配される愛などが、買い換えられ、書き換えられ、キャピタリズムがうながす生産的に交換されるだけの愛がうとましいものを断続させ、間断され続ける意思は、愛を信じられずに、自らが求める愛とは、自らを愛することはできずに、自らを破壊するための愛にもとづき、うとましい自分を破壊するための愛を用いり、自らをかき消すだけにいたり、何かに依存するための愛と名付けられたに満たない何かに愛して欲しいという欲求などが、今に愛を破壊し、自らを愛するほどに、何かを破壊するにいたるような矛盾を孕ませながら、何かを求めるほどに、原始的な愛には近づけずに、何かを利用するための愛とは、名ばかりのものであるし、そこで感覚的に孕むものすら、愛に似通ったものでしかなく、そこで愛することなどは、愛に近づきながら、遠くで緩衝し、そこで均等さを生み出すような等差を持ち出し、あらゆるものを測ることで、愛を破壊することに気付かずに、自らを追いやり、思いやりなどという空疎な言葉を用い、何かを騙すだけにいたらせる。

2017年8月31日木曜日

ビターな記憶


 浪費され続ける身体は、自らのサイクルを汚し、他者を介し、何かを共有するほどに分裂し、分離し続ける先にシステマチックなものが一貫した主体を形成すべきだ、と似たようなものを愛するべきだ、と騙すように木霊し、思想を気だるいものに変え、そこにおとずれる政治性からずれていくほどに補填される悲しみが、空疎なモンスターを生み出し、信仰心などを煽るような捏造された神がやかましく主体を汚すほどに、主体性とは、体制の獲物として、同一化するための人形として扱われるのです、とうながすような否定的でアイロニカルな犬どもが、自らを慰撫する辺りから、快楽を配するだけの闇を吸い取るだけの君の性愛にもとづくセオリーや、制限を持たぬ精神は、何かに依存するために、何かを破壊するような矛盾を孕ませ、はびこる悪意を捏造し続ける正義をふりかざし、不感症な君のこころに配備される恐れや愚かさに気付かずに、何かを破壊することで昇華されているように勘違いするほどに、すべては不潔に見え、そこでまさぐられる感情は、偶像を愛し、偶然に引き取られ、卑近なものに変えられるほどに、掛け替えの無いものは、ここで賭け事の対象にされるだけにいたる。涙腺がほどけ、高揚感にいざなうような美麗に瞬間にこじれる言葉や、攻撃的な姿勢で、陰鬱な証拠を残すだけのシリアスさに砕けた差異から、神聖なものを持ち出し、誤りを正すべきだ、と強制的な行使から、抑止され続ける精神は、自らを破壊するために、自らの攻撃性を外に向け、自らを示す世界全体を業火に変えるべく、自らに対する憎悪を、世界全体に向け、未熟で幼稚な観念は、何かを破壊することだけが、何かを綺麗にするための画期的な行動である、と勝手気ままに配される自らの欠如を埋めるために何かが血を流すことが代償であり、何かのために、何かは、何かであることをやめるべきである、と途端に独善的な支配から、死を操り奉る独裁者として、自らの大義のために晴らすべきベクトルは、死をも凌駕するような死であり、自らの死から逃れるために生み出される軽快な破壊だけが、自らのニヒリズムを生み、自らを破壊するために周囲をすべて破壊し尽くした後に残る自らを保つためだけの欺瞞を続け、満足も得られずに、そこで焼け野原に変わった地平をながめ、平静を取り戻すこともできずに、すべてを燃やし尽くすための行為を持続させるような悪を生み出すのは、絶対的であり続けるだけの正義であり、そこで犠牲をうながすだけの世界である。継続されたばかりに、罪を背負って、いい気になり、何かを担うつもりで、何かを破壊するためのコードを生み出すだけのでたらめなあやまちに則り、自らを裁き続けるために短絡的な戦争を続けるような専横から、専制的な支配を続け、芝居じみた、毎日を同じように繰り返し、空疎な自分を卑下しながら、貧寒な今にぬくもりを与えるような愛を縫い付けながら、報われるために、巣くわれ続ける脳内から豊かなものすら形成できずに、デカダンな者として、何かを引っ掻きながら、悲惨な現状を憂うようなバカンスに出かけるだけの馬鹿どもの至福こそ空疎などと否定するよりも、そこで報われることなどを考えるよりも、ここで深まるものの奥底まで浸透する意味を測る前に、蕩尽し続ける先々で対立を深めるだけの同調やら、同族嫌悪から、緩慢な作用が生み出すほころびや、そこで滅ぶものや、そこで物語に断続する単調な日々がおちいるジレンマや、時代性の悪夢や、うごめく思念を流用するだけの欲望のシステムや、進行する意志が見つけ出した思想こそが混濁を生み出し物事を困難に変えるやらが、まさぐるだけの理想から、理性は、姿勢を失い、枢要なものを介し、自らを正当化するための儀式へと加工された精神は、自らを基調にしないで、自らをないがしろにし、そこで引き裂かれた精神は、契約のためだけに何かと同調し、融合するために葬られるような宴に自らを生贄として提示し、浸食していく心ない何かが、内面的な自傷を繰り返し、事象を汚すのだ、と緩慢な意味を用いるだけの精神分析などが用いる聖戦などが、今を邪険にし、賢者を謳いながら、献上される物ほしさに何かを騙すような仕組みから、真相は闇で屠られ、何度も拷問され、自らを引き裂く音や、心象にたずさえた風景もずたずたにされ、過去を引きずるほどに、ここで補足される定理などが、倫理観などを用い、安易な消費だけが加速していく。臆するほどにカタストロフへとみちびかれる道楽から、どうでも良い、とうながすほどに、どうにかなるものすら、かなわぬのだ、とうながすような独善的な支配を形成するためのセンテンスから、譫妄にいたらせるだけの盲信から、朦朧とし続ける先に思念は、何かを媒体し、自らを罰当たりなものとしてうながし、自らをそこなわすための何かを捏造し続ける。

2017年8月30日水曜日

世界が用いる枷


 利便性を用いるほどに不自由な身体を重ねるだけの愛から、定めるべき今すら見出せずに、さまよう意識的な諦観から、提要された部分から分裂していく意識は、裁かれるための罪を用い、今に一途になれずに、途端に現れる空疎なものを崇めるだけの理想が、ここで躊躇を生み、象徴的なものを捉えられずに、苦しむだけに加工された精神に気配は加工され続けるだけの今に追従し、そこで見出すものの空疎さに気付かずに、帰巣すべき意味も、機関的なものに奪われるだけの権力的な統合から、そこかしこで闘争を企てるだけの惰性な支配の拘束から、恒常的な不正を繰り返すことだけに耽溺することだけが正しさを引き出すように示す間から、空白を埋めるための愛が絶えず依存心を持ち、自らを失速させる。行動は範囲を用い、懸隔を生み出しながら、互い違いになる理想は、互いをとがめるために抑圧を繰り返し、空疎なものを持ち出し、自らに刃向かえずに、ここで迎え撃つべき今もちぐはぐになり、担うべき意味は、何かを恨むための理想などを生み、自らを抑圧するだけにいたる。あらゆる反発は、意思を利用し、自らを死へといざなう。瞬間的な愛が持続し、短絡的な消費を終え、簡単に処理されるだけの顛末になびく永遠性が、制度を越えて、秩序がもたらす空疎な悲劇から簡素なアイロニーが持ち出す否定的な陥穽に嵌まり、自らを罰する限りに、誰かも自分と同じように裁かれるべきである、という考えから、自らを苦しめるための法で加工し、猜疑心をかかえ、混濁していく意識は、支配されることだけが、この命を保ち、ここでの平静だけが、平和であるとうながすほどに、本質的なしあわせからは懸け離れ、自らが支配される限りに苦しむことにためらわずに従属する。保つべきは、自分の意志ではあるが、そこでしいたげられ続ける意思は、自分の意思を失い、何かがもたらす影響が自らに不安を与え、絶えず苦しむことになるような欠如に屠られるだけの精神は、自らを操作できずに、誤っていてもなお、そこで正しいと認識し続けるほどに補填される苦しみに補正され、奔走するほどに、凡庸な者が謳う刺激的な快楽にいざなわれ、そこで快感に浸ることだけが理想に近付くのだ、と規制されるほどに過ちを犯し逸脱するのが、人間の本性であるのに、誰もが正しいことをしようと示すほどに監視の目は強化され、誰かの過ちを収まらない欲望に変換させるために裁くことだけが、正義のように捉えられ、そこでの正しさなどを用いるほどに、自らの過ちを誰かに転化させ、自らを快楽へといざなうようなゆがんだ性愛から、散漫な儀式がもたらす悲劇的な緩衝から、疎外され続ける孤独な意識は、朦朧としながら、自らの正しさこそが、唯一の善意であるかのように示すことこそが正しさを生み出すような感覚に陥るだけに浸る正しさとは、悲観的なものが示すような尺度が用いる善悪に引きずられ、自らの意志を示されない苦しみを昇華させるための空しい正義をかかげ、自らにたてつく者すべてを裁くための法を加工し、自らこそが絶対的な正義だ、とうながすようなものが機関として働き、はびこる悪を消費するための悪を捏造しながら、自らを正当化するための祈りを続けるような独善的な神を自らに措置し、自らを神格化する間にはびこる悪を根絶やしにできずに、用いられるものすべてに憎悪を用い、敵愾心を燃やし、盲信を続け、つたない意志は、愛がなんたるかを知らずに、怒りの限りに続く攻撃的な激動に奪われ続ける純粋な精神は、ただルサンチマンをかかえ、自らを消費し続け、焦熱した先に燃え尽きることを目的に他者を攻撃し続けるような幼児的な考えから逃れられずに、ただ、目的すらも喪失し、否定的な自分に浸ることだけが、そこでの正しさへと引き戻す間に用いられる空疎な願いだけを加工し続け、自らの理想に近付くために何かを屠るような構造から逃れられずに、高次に至らずに、いたわることも知らずに、居続けるほどに、そこでの空しさを強調させ、矜恃を保つほどに、もたらされる意味に枯渇し、濾過されずに濁るだけにいたり、そこで悲観し続けるほどに、何かを恨むことだけが、健気で純粋なものであるかのように示すような敗残者として生きることだけが、綺麗な生き方のように捉えるような仏教的な隷属から、冷静さを忘れ、忘却に描く真実も、そこなわれる限りに陰るだけの真実をデカダンなものに変え、そこで固執するほどに不安は増し、そこで出来合のものを崇めるためだけに神を捏造し、自らを正当化するための祈りを続け、つたない意識は、そこで色すらも失い、色のない空を傍観しながら、俯瞰で見る自分は、空間に取り残され、時間から逃れられずに、空疎な永遠性に支配され、裁かれるためだけに行列に並び、順番を待ち続け、ペシミズムを加速させ、自らを裁くために自らに枷を嵌める。

2017年8月29日火曜日

飛び交う意志


 羽化した意識が、冷めた彼女たちの言動を眺めている。傍観者として、背くだけの物事に反照することごとくが、連綿と引き伸ばされ、飛翔し続ける意識は、端的なアイロニーを疎外させ、退廃的な機能を孕んだ、ランダムな記号を打ち出すだけの退嬰的な考えから、観点は疎外され、壮大な意志へとつながらずに、短絡的なものを崇めることだけが、理想へと近づき、自らを未熟なものとしてたてまつるほどに、空疎なものが引き継がれ、ここで千切られていく部分的な場面に低劣なものを磔にしながら、浸透するものが、自らを捕縛し、混沌としていくほどに葬られる意識は、いびつなものをかかえ、かさばる動機に淘汰されるだけの日々に、時間すらもそこなわれ、そこで永遠性を育むほどに、永遠性に拘束される。ゆだねられた時間から放たれ、そこで数えるだけにむしばまれていく感情から、環境的なものに責任転嫁し続ける先々で対立を深め、軋轢がもたらされ、用いられるものがこぼすエピソードが、あたかも自分のもののように語られる隙間から襲いかかる意思的な過ちが用いる病や、恒常的な不安を敷衍させるだけの観念が形成していくまやかしなどをたてまつるほどに、そこで補足されることにより、魯鈍な者へと変化していくような今を食い尽くすような言葉が割って入り、背徳などを謳いながら、軽やかに飛び交うべき意志は、自らを喪失し、散漫な意識は、儀式的にもたらされるものを、あたかも愛しているかのように仕向ける間にアイロニーは加速し、利便性などを謳いながら、運命論から逃れられず、また用いられた幸福論に疎外され続ける人間性は、宇宙的な跳躍へといたらずに、超過し続けるほどに、システムの犬として、陰鬱な証拠を引きずるだけの短絡的な昇華が施す過ちに用いられる普遍性が愚行を重ねるのだ、と否定的なほどに高尚へといたらずに、徒に過ぎ去る思議をまねるほどに、不倶戴天を持ち出し、大抵の異物感をとりはらうための殺戮へといたらせるような過ちに同化していくだけの区域をもたらすような点と線から、天命をよぎらせ、あらゆる行為に引きこもり、引きちぎられるだけの日常や、貧寒な毎日におとずれるべき小さな愛にすら気付かずに、起動し続けるものの哀れみを加工するだけの秩序から、仮想するものに犯されているのだ、よと科学的なものを否定的に打ち砕くような言辞から、言動から発散されるだけのやましい毎日に高尚さすらも失われ、さすらう意識は、利便性だけを求め、便宜的に処理されるだけの日常の鎖につながれているのだ、と妥当な過ちを参画するだけの数十億の悪意が木霊し、混沌としていく意識は、正義を用いるほどに、自らを悪に仕立て上げるという欠如を忍ばせ、自らの悪意に気が付かず、自らこそが正しいと仕向ける間に出し抜こうと目論む意識は、何かを虐げ、自らを優位に立たせるために、何かを貶め、自らを蔑みながら、君は用無しだ、と叫ぶ間に補完されるような憎悪だけが、世界を覆うのだ、とペシミストは、自らの痛みを解消すべく、すべての痛みと同調し、同化することで、自らの痛みを増幅させていることに気付かずに、すべてに恨みをぶつける間に解消されない痛みは、さらなる痛みを増幅させ、自らが示すジレンマに陥り、そこで試練を謳うほどに、或いは仁徳を用い、自らを問い質すほどに偏るだけにいたらせられるような結末から、形骸化していく意識は、自らの空白を埋めるために、或いは、自らの空腹を癒やすために、何かをためらわずにあやめるべきだ、とあいまいな市場は、神託を求め、自らを須要なものとしないで、すべては、神のみぞ知る、とうながす間に結末は、さらなる悲劇を加速させ、乖離していく意識は、悲観的なままでままならぬ意識を調和させるための対価を求めるほどに、自らに値するものとは相対する。終わらぬ自己との闘争が生み出すジレンマにショートした意識は、自らの罪の意識に滞在し、大差もないのに、そこに用いられる等差により、自らの位置を確認し、認識すればするほどに、自らを貶め、自らを蔑むほどに、老化していくだけにいたらせられるような精神は行き場を失い、求める場所と自らの懸隔が持ち出す理想との埋まらぬような距離の中で、自らを虚偽として崇めるような存在的な煉獄にたたずむ君が用いる空間などは、何かを埋めるためだけに措置される空疎なものであるし、そこに用いられる居場所などは、そこにあたかも存在しているかのように示すほどに、事実からは乖離し、理解を得ようともがくほどに、そこで捕獲され、捕囚として、恒久的な労働に従事させられるだけにいたるような時間から放たれ、自ら飛び交う嬉嬉とした瞬間に、習慣的なものに拘束されずに、慣性から放たれ、法則的な苦痛や、用いられる秩序をあいまいなものに変え、押しつけられるだけにいたるような苦しみから解放されるべく、自らが有するものだけが、存在を確かなものに変えるように示されることだけが、世界が与える影響であるというような過ちから逃れ、自ら果たすことだけが、そこで満たされぬままにまじわり、あたかも存在しているかのように示される今から閉め出されてもなお、自らが求めるものだけが、今に割って入り、現実のように感じられるというあいまいさをかかえながら、自らが自由であると認識するよりも、そこで用いられる自由すらも超越するようなよろこびだけに浸る。

2017年8月28日月曜日

世紀を超え出る意志

たくさん持つ者だけが、絶対的だ、という、あまりにも退屈な考えから抜け出す。何かを出し抜くよりも、ずっと肯定的で、敵対心すら捨て去った後にひろがる景色を抱きしめるような、爽快感だけが、味方である。あらゆる形式は、物質的な余裕を持ち出し、自分を惨めな者として卑下するような悲観的な考えが及ぼす、愚かな理想よりも、創造的であるという爽快さに、近づくべきであり、用いられるものに操作され、持ち出されたものにより、利用されるよりも、自らに希望を持たせ、短絡的な自由におぼれぬことが、自らに希望を与え、そこで、屈従しないよろこびに耽るべきである。簡略化されたセンテンスではあるが、ここに用いられた理由だけが、流動的であり、逃避してもなお、自らからは、逃げないための姿勢こそを保つ。何事も、支配的で機械的な芝居を続け、短絡的なものを崇め奉りながら、自らを神格化させ、あたかも人格者のように仕向けるような正しさだけが、正しいことのように謳うような者どもが用いる理想などが、この世界や社会などを普遍的なもので加工し、自らの未熟さを隠し、何かを否定するようなよろこびだけが、楽しいことのように、崇められている。あらゆる法則が、空疎なものにすがりながら、内面的な恐怖を取り除くために快楽に奔走し、自らの結末を恐れるばかりに、何かを傷つけるよろこびに耽る。物事の仕組みや、からくりに気づいてもなお、調和を謳う者が支配的に迫り、全部、自分のもののように扱う。誰もが所有しだかるにつれ、自らとの懸隔は生まれ、そこに補完され続ける苦しみが、今を引きこもらせる。正当化されているものほど、悪を利用し、自らを、正しく見せるために虚勢を張り、見栄えだけを保つための他者との闘争を続け、世界との統合を目指すために、誰かを蹴落とすことが、しあわせに近づくものだ、という誤った認識に陥る。陥る先に現れる闇が転化させる苦しみに溺れる先に、現れた愛すら見逃し、すれ違う人々は、誰かを恨むためだけに日々を費やし、自らを裏切り続ける、というようなペシミズムが生む空白から逃れ、今に現れる健気な瞬間や、ゆれる空間にやすらぎ、与えられたものにうろたえるよりも、絶え間ない痛みを運び出すだけの日常が堅持するものが今を汚し、道理を用い、空疎な自分に行き着くよりも、栄華を求め、虚栄心をかかえ、どうでもよいものをかかげ、自らをひるがえす先に疲労感は増し、簡易なものに吸い込まれ、混濁する意識は、さらなる混乱を運び出し、自らを狂わせる。昏倒し続ける意識は、形式的なものを重ね、自らを動きにくくさせ、何かを憎むだけに費やし、悲観的な自らが示す苦しみだけに締め付けられるならば、逃げ惑い、戦うことすら拒否し、答えなどは、答えであることだけが、正しいとされる限りに、正しさは誤りを生み、対比されるだけの自らを重ね、自らの重荷に耐え兼ねずに、簡単に処理されるだけの毎日は、苦しみを与え続ける自らをも恨み出す。晴らすべきは、何かを羨むことにあるが、資本主義的なものは、何かを敵対視し、自らを正当化するために備わる善悪をもたらし、リリシズムにいたらずに、アイロニカルな者として、不快感をあらわにする。労働の牢獄に嵌め込まれた者どもが帰巣すべき正義などを謳いながら、タナトスに犯され、自らを囚人化させ、監視下に置かれた我々に自由などはないのだ、と自由な戦士が集い、日夜、解放を謳いながら、何かを犠牲に、自らの窮屈さに押し込まれ、魂胆を喪失する意識は、形式的なものにとどまり、自らを処刑する。憔悴しきる夜に降る雨は、宿るべきこころを損なった君を優しく包み、反響し続ける音が、孤独と永遠の間でゆらが、不確かな孤独が、空間を汚し、永遠性をもたらす夜が、空間に現れた時間を処理し続け、自らの虚しさを消費し、瀕する形は、互いをとがめ、対象とされるだけの軽過ぎる身体を置いていき、自分から逸脱し、自らの闇に吸い込まれていくのだ、と君のペシミズムが瀰漫する前に、不安を生み出す過程がカテゴライズするものなどにデザインなどなく、ただ、磔にされ、張り付けられたものなどが加工し続ける苦しみを引き延ばし、今にあたかも苦しむようにさえぎる言葉を引き裂き、自らの不確かさなどは、与えられた不安に過ぎず、今につぐないを謳い、用いられたもので、苦しめられるよりも、寂しさや、わびしさに攻め入れられる前に抵抗し続ける意志だけが、自らを越え出て、自らの意思だけに従う。

2017年8月27日日曜日

擁立

こころは別離し、理解を深める余韻から、横溢していく瞬間が循環し、心ない何かに疎外される君が移行し続ける先に囚われるだけの意味を解除し、混沌へとみちびかれるだけに悲観するよりも、確かなものに近づき、あらゆる阻害から逃れるための論理を組み立てる。低劣なものが刺激し、シンプルか快楽を謳うコマーシャリズムが脳内を旋回し、なめらかな時折に折り重なるものが瞬間的に思いを奪い、現時点に空白を与え、空しさを強調するだけの世界から、簡単に処理されるだけの現在に廃れ、いびつな思いをかかえながら、統合されるだけの意識は、ここでの意志を奪われ、整序される先々で秩序を用いられ、元々の意味を腐らせるだけにいたる今から引き出すものなどが陰鬱なものを消費し、生じるものに飲み込まれ続ける惰性なものから、物陰に隠れ、こじつけられるほどに補足されるものなどが、今を奪い去り、イメージの中で取り残される君は、浸食していく意識に飲まれ、自らの意思を失い、自らを行為に収め、収まる先に与えられる影響が絶えず襲いかかり、肝心なものをそこない、ないがしろにされる今が運命を問いただしながら、そこでの正しさに行方をくらます。真実が横暴に迫り、贋物の過程を創り上げるだけの理想から、痕跡も残さずに入り込む言葉が意識を占領し、そこに軽薄な意味を織り成し、作り出される意味に爛れるだけの現実が憐憫などを用い、何かを同情すべく、お涙頂戴的なまやかしを生み出し、恋が簡単に勝利を歌い上げるような刹那に真っ白な思いが今から、はみ出し、惰性にみちびかれるだけの思いは、自らの行いを超越できずに、そこで束縛されるだけの疲憊していく意識は対立を繰り返し、深まる意味は、空間的な緻密さに溺れ、横暴に処理され続ける精神は、自らの聖域を汚しながら、感応し続けるほどに悲観的なものに陥り、自らに現れる言葉の影に攪拌される今に支配され、誰かの独占欲により、よりよいものなどを用いられ、未熟なままに消費され続ける現在から生まれるものがもたらす悲劇から、貧寒なものを加工し、加速する死に追いやられ、倦怠感に苛まれながら、長らくに消費される観念が関係性から解脱し、仏教的な競合から短絡的に捨て去れる意志は、自らのニヒリズムに駆逐され、朽ち果てる意志は、空間的な正気を保てずに、もたらされる狂気に飲まれ、自らの矛盾に打ち勝てずに、観点をそこないながら、襲いかかる動機を旋回し、回線を混濁させ、酷薄なものへと引きずり込まれるほどに混同する意識は、意味に欠如を用いながら、求められるほどに即席の自由を求め、理由の中に引きこもり、卑近な例の中で自らを消費し続けるほどにキャピタリズム的に補填される理由から、自由市場に補完されるだけの空虚な身体を加工するだけの品位に飲まれ、自らが生み出す等差に、自らが苦しむように仕向けるようなキャピタリズム的なニヒリズムに飲まれ、自らのリズムをそこない、そこで召喚されるもののいっさいに攻撃されるだけの消費的な陥落や、奸悪を用い、何かを消費的に嫉妬するほどに、死との距離は近づき、生きて居るかもわからずに、ただ軽薄な存在をそこにこすりつけ、終わらぬ闘争で血を流し続けるだけの消費的な戦争から、戦場へと向かうことだけが、正しいことのように仕向けるようなプロパガンダを吐き散らすだけの贋物の者どもが猛毒を撒き、そこで徘徊し続けるシステム的な人間だけが、はじめての人間として崇められ、神をも超えるような人間を作り出す機械的な論証から、さまよう意識は激情へといたり、すべてを破壊するためだけの破壊を続ける。進化を遂げるべく、透過される先々に印象を統合させながら、背反し続ける先に現れる現実に抗い、返事すらもない今に淫蕩なものを用いながら、求められる思にとがめられ、そこない続ける精神は、批判を繰り返し、自らを空疎なものに変化させる。軽薄なものに浮薄しながら、錆びた動機が規律を用い、未熟な性感帯に接続される意味にくすぐられ、操作され、道程を狂わせられる。

2017年8月26日土曜日

横溢する愛

連帯感を押し付けるだけの政治的なものに押しやられる精神は、みんなの中で孤立し、その孤独に耐えかねずに、暴力的なものに加速し、自らが、自らに枷を嵌め、みんなの中で不自由になる。抑圧され続けた精神は、何かを監視し、利用するための、みんなを捏造し、自らを正当化することで何かを、政治利用する限りに、政治性は損なわれ、意味を束縛し、すべてを見えにくくすることには長けていく。そこで押し付けられた、みんななどは、存在すらせず、側に近寄り、自らを孤立させ、そこから、はみ出さぬように、普遍性を謳い、自らこそ、善良的な市民であると強調し、自らを政治的なものに企て、機械的に生き、受動的にしか生きられないように自らが仕向ける限り、自らの孤独感は拭えず、疎外感をかかえ、自らを暴力的な機械に仕立て上げていく。自ら求める愛を欲する先に訪れる強力な孤独に苛まれ、自ら求める愛には、愛は訪れずに、自らの孤独に飲まれていく。健全なものすら潰えた夜だ、と君は眠れぬ意味を加速させ、自らを不自由に変える。変化し続けるものが懸隔を生み、今に枷を嵌め、時代に責任を押し付けては、自らを正当化するために急ぐ先にぶつかり、簡単に処理される日々に追跡され、追われ続ける意思は、自らの苦しみを加工し、今から孤立し、自らの信用を謳い、もたらされるべき愛などを用い、自らを拘束するような軽薄な愛や、大義を用いずに、大利を謳い、利益目的の愛は、目標に近づけずに、自己愛に老け込むだけにいたる自らを傍観し、確かなものすら見出せずに、惰性に導く意味をアイロニカルなものに変え、ロジカルなものにいたらずに、群像にとろける意思は、自らの愛に屈する。いたわるべき現在に、存在論的なメタファーに沈積する優美な瞬間を捉え、意思を純化させ、最たる意味を喪失し、編み込まれる意味や、ケミカルな君が敵意を生み出し、いびつな観念を形成し、懐疑的な日常や、疲憊し続ける先々でドメスティックな者が差し向けるサディストどもが攻め入る今に起源すらも喪失し、失意のどん底に陥り、応じる答えや、寂寞に溜まる罪の意識が、儀式的なものに頼り、自らを喪失し続けるほどに肥大する意識は、今から離れ、あたかも自らの意思に導かれているように差し向けられた言葉に誘われ、相互作用しているような愛は、自らを愛するが故に、誰かを利用し、傷付けていることには気付かずに、自らを愛する限りに、自らを苦しめていることには気付かずに、自らを苛め、自らの惨めさを加工し、自らが生み出す屈辱に屈していく。こじれる後先は、宛先を持たない。あらゆる対象は、憎むべき相手を求め、眠らずに街中をさまよいながら、何かに酔いしれている。偶像化が進み、荒んだ者や、懶惰な者が謳う適齢期などが今を締め付け、自らを生きにくくしているようなマゾヒズムの揺籃で眠る子供たちは、自らの孤独を癒すように、卑しい自分へと変化していくほどに補填される憎悪と対立している。空疎な分裂を繰り返し、起算されるだけの日々が砕け、しあわせを用いるほどに、二人の距離は生まれ、支え合うべきだ、と促し、契約へといたった途端に、いたわるべき互いを恨み出すような欠如が生み出す余韻から、因果は崩壊し、混沌へと導かれ、ただ、這うように生き、可憐なものこそ儚く散る、というような意味に補完され、交換され続ける意思は、高潔などを謳いながら、長く自らの孤独に閉じこもるような蕾を眺め、かすむ余韻から溢れる幸福論が克服を用いぬから、しあわせにはいたらずに、何かを恨むことに専念し、捻出され続ける憎悪に包まれる。生々しい言葉が現在を虐げ、自らを不規則に育て上げ、惰性に生まれたものを、社会や文化として仕立て上げ、価値観などを謳いながら、長らくに迫る苦しみに束縛され、自らの苦悩に服従し、従事するほどに補填される意味は、色味を失う。あらゆる存在が基礎を用い、法則的に迫る意味も無意味であるし、無であるからこそ、有限であり、有限であるからこそ、すべては縛られ、自らを無に追いやる死に恐怖に感じながら、死を羨望するような矛盾に苦しむことから逃れるための願いに頓挫し続ける意思は、自らを死に追いやり、生きながらえるために求める愛に耽溺する。死を超過すべき愛は、自らの意志だけに従う。あらゆる従属から逃れた健気さが、今に比例するものよりも、自らにだけ誠実である限り、何かに正しさを持ち出し、何かを抑圧することに正しさは無いことを知る。持ち込まれた、みんなという意識から放たれ、自らの意思に帰り着く限りに、何かに虐げられずに、自らを保つために愛に均衡を用い、互いを愛するが故に、互いの均衡を保てずに、破滅へといたるような愛こそが、愛故にもがき苦しむからこそ、何かを愛するという大切さに近づく。

2017年8月25日金曜日

脱兎


 破壊を謳うプリミティブな論理が自己を追いやる。寂寞にたまる空疎なものが、自らの聖域を犯すのだ、と正義は、自らを正当化しようと、何かを犠牲にし、心理的なものを用い、何かをうやむやにしながら、しなびた感情がさらなる破壊を呼び覚ますだけの日常に軽薄に積み立てられるものが連動し、証拠をまさぐるだけの古くさい感情が、浄化を求め、混沌とする意識に不安定さを持ちこみ整合を求め、成功方法などを謳いながら、法則的にからまる由縁や、自らを孤立させるために斡旋される毎日に拘束され、症状は悪化し、自らの病を、自らがでっち上げる先々で消費されるだけの精神は、比率ばかりを求め、卑劣なものをかかえ、悲愁にただようアイロニカルな論証から、互いを恨むだけの言葉を編み出し、あらゆる公平さを謳い、自由を求めながらも、自由からは遠ざかり、逃避し続ける先に公正される苦しみをネガティブに扇ぐだけの名ばかりのものが、もたらされる悲劇こそ、崇めるべきだ、と消費的な論理に固執し続け、そこで偏るだけに浸る感情が浄化されずに、何かを恨むためのルサンチマンを加工していく。いくばくかの悲劇をふくませた世界を混沌へと追いやるための儀式を加工するだけの呪詛が横柄に迫る。贋物の価値は、懈怠しながら、姿勢を正せずに、正否を謳いながら、自らのやましさに渇望し続ける精神は、平等などを率いて、自らを悲観させるための対抗を繰り返し、消耗し続ける精神は、今に引きずるいびつな消費から、緩和しきれずに、用いられるよろこびに淘汰され、統制され続ける精神は、誠意などを用いながら、求められる先々で暴かれる真実や、進行し続ける苦しみにさえぎられるだけにいたる。徒に用いられる言葉は、空間を汚しながら、生きた心地もなく、ただ裁かれることを待ちわび、自らに罪を背負わせるよろこびに浸るような悲観的な道筋に貧するだけにいたるような精神などが、抑圧され、さいなまれる記憶は、自らを弱者として捉え、途端に用いられる等差に苦しみ、自らの現状を憂うほどに、うとましい者になりかわり、かかずらう意識は、観点を喪失し、そこで啓示されるものにだまされるだけにいたり、いぶかることを知らずに、信じる者は救われる的に巣くわれる精神は、正義を謳いながら、自らを正当化するための呪詛を続け、つたない意識に空疎な悲劇を加工し、簡単に処理されるだけの毎日に惜別を繰り返し、空疎な死に浸る。あらゆる悲観とは、感性をそこない、そこで喪失し続けることに置かれる死への恐怖をまさぐる。毎日におとずれる誠実な死との距離から、競合するほどに、互いの死を捏造し続けるようなキャピタリズム自身の罪は、自らが背負わず、みんなで分け合い、一部の人間だけが、儲かるようなシステムの中での器官や起源として、そこなうだけの毎日を無駄に消費することだけが、今を保つ秘訣などを謳うようなやましいシステムから逃げ出し、与えられたものを解除すべく、すべては、行いが引き起こす空疎な苦しみを生産し続けるだけにいたらせるようなほころびから、いっさいは滅びるためのベクトルを溜め込み、対比し続ける先に消耗し続ける精神は、何かの証拠をでっち上げ、自らこそ正しいと示唆するような言辞を用いる現時点にも、暴力性だけが宿り、制度をかじるような思春期の硬度や、行為そのものを懶惰なものに変えるペシミストとして、都市間に用いられる簡易な消費から、蕭然たる様相を照らすだけの空しいネオンが採否を繰り返し、何が正解でもなく、何が不正なのかもわからずに、輪から離れ、はばかる先々で他動的に受け入れるほどに、互いの距離は埋められずに、二人の愛は、一人の孤独により、引き裂かれる結果にいたり、そこで用いられる現実が境域を生み出し、狂気などを謳いながら、奪われるだけの今が売買され、科学的な根拠や、簡易な消失から、散漫な儀式へとおとずれる闇を昇華させるための欺瞞を用いるだけの宗教的な公正から、思想的な還元から、消耗し続けるだけの精神は、自らの怒りを加速させ、足枷を外すための暴力へとリズミカルに上り詰め、騙され続けても尚、統制されるための扇動から、専横されるだけに朦朧とさせるような普遍性から、正常さを謳うほどに、孤立していく本能は、凡庸な者に支配され、そこで用いられる贋物のエリートが率いるものに引け目を感じるように操作されるだけにいたるような名ばかりのものに抑圧されている場合ではない。なくしたものを探し続ける当ても無い旅路に切り取られる永遠から、刹那に雷鳴がとどろき、逃避し続ける先におとずれる現実に投影されるものなどが論難をあびせ、暴かれるものの裏を知らずに、ただ否定的に及ぼすような汚れから、形骸化するだけの意思は、何かを代償にすべく、対象とするものを恨みねたみながら、強請るだけの現在を消費するためだけに、絶えず同じような日々を同じように反復させることだけが、あたかもしあわせのように感じさせるようなものからの脱兎をこころみる。

2017年8月24日木曜日

消費的な完結


 記憶の奥底に染みわたる夜が、論理を飛び越え、心ない何かが、行いを正すために強制的に入り込む意味をとりのぞき、遠く消えかかる余韻が、インタラクティブにつながり、操作される苦悩や、納期されるものが、行為をとがめ、朗誦されるだけの動機や、根幹に潜む悪意が、新しい世界を高らかに歌い上げ、人々を戸惑わせ、純粋な者ほど、簡単に狂わされ、今が正しいもののように指図され続ける運命は、でたらめなデータを集め、自らを色あせさせ、ささやかなよろこびすら喪失させられるだけにいたり、そこであらがうほどに、運命とは、言葉だけのしあわせにより、本質的なよろこびにいたらずに、そこで感じるべき理想も、希望を失わされ、目先の利益だけを求め、等差を用い、そこに現れる貧富から、貧寒な者が謳う理由により、支配され続けるよろこびを、よろこびとして捉え、途端に苦しみは増加し、そこに現れる苦しみを消費し続けることだけに専念するようなシステマチックな一貫性に制度を生み出し、性の道具として、或いは偶像の神として崇められる快楽の傀儡として、あいまいなマインドを支配するだけの傲慢な独裁者として、そこで悲観するだけのペシミストなどに変化し、変遷をたどるほどに、よりよいものなどは存在せず、平等などは、平等を求める途端に平等とは懸け離れ、そこで用いられる権利に左右され、自らの意思を損ない、そこで求められる行いに操作され、自らの意思を損ない、行いに餌をちらつかせ、貪婪な者ほど、動くことだけが、正しいことのように現れる正しさなどは、独善的な手法で、淘汰されないように蹴落とすための義務を用い、モチーフとするものに指図されるよろこびを謳う普遍性から、不虞を謳い、退廃的な理論をこじらせ、ここで締結するだけのルサンチマンを予防するための注射の役目を担うような哲学が、ずっと奥深くに刺さり、真理を凍結させ、そこで輸血される新たな血だけが、等差をとりのぞき、そこでロジカルに消費されるだけの思想から、思考停止にいたらせるような血合いを施すような法から逃れ、投影されるものなどは、そこで喪失するだけのビジョンを追いかけ、冷めたままで、責め立てられるよろこびに浸るマゾヒズムを重ね、織り込まれる一瞬は、永遠を示唆しながら、そこで終わり続けることにより深まるよろこびや、要する言葉に有することごとくが裏切りを重ね、疑似的な恋愛を続けるゲーム的で依存的な夜が崩壊し、解放感を謳うような通過儀礼や、偽装される先々で対象とされるものなどは、些細なものをアドレスに変え、そこで交換されるだけの義務に組み込まれることで呼び覚まされる快楽や、懐疑的な日常を否定し続けるほどに、何かから遠ざかり、ここで統制されることで現れる贋物のよろこびに市販のものとして大量生産されたようた軽々しい言葉が、やましく突き刺さるような日常に現れる正常などは、政治的なものの病を抱え込んだ混濁から、生み出された汚穢に過ぎず、そこで求められる償いを呼び覚ますような通過儀礼から、躍動すべき精神も、そこで分裂し、解放を求めた精神は、帰る場所を求めるばかりで、プリミティブな自己を忘れ、そこで喪失感に浸るほどに悲観し続ける先に現れる闇に飲まれ、自らを修復できずに、祝福だけを続け、合わさる二人は、一人の孤独をかかえ、そこでむすばれているほどに、孤独感は増していき、近いほどに、遠くに感じるようなあいまいさに毎日は、最たるものを喪失し、証拠も残さずに、ここで混沌としていき、自らを宇宙的に敷衍させ、希望を膨張するほどに、宇宙自体を飲み込み、自らが宇宙のように感じるような無から無限までに整容されるだけの感情が浄化などを求め、断続するだけのシーンとは、はじまることよりも、そこでまじわり、終わるための果てない闘争のように思えるのだ、とニヒリストは、そこでカタルシスをうながすための終わりを強調し、そこで超克すべき苦しみを解消できずに、快晴を知らずに、ずっと暗雲の下で、じっとじめじめした感覚や、惨めな孤独を虚空にうながし、うなだれるほどに、ダレた風に汚され、慧眼を持たずに、暗い目で、じっと帰るべき場所ばかりを求め、比喩しきれぬような夜に余罪を隠し、攪拌されるだけの精神は、夜明けを待つよりも、ずっと、その暗闇でじっとしていることを選ばせるような主義や理想や、偽装されるだけの思想から、浸透すべき言葉を迫害し続ける哲学的な現在に比例するものもなければ、そこに勝敗すらもなく、そこで生じるものなどは、過ぎ去ることも知らないだろうし、そこで語られ、測る時間などは、元々は存在すらもしなかったものであるし、そこで葬られるだけの物事は、混乱へといざなわれ、時間に苛まれ、空間を厭う限りに、その苦しみとは、次元の中で悶え、無限に続くような苦しみを自らに補完し続け、高揚感を忘れ、そこで屈辱にただれるだけのいたり、誰かの悲しみを引きずりながら、夜明けを待つ君の背中をそっと包むような論理を、ここに置いておく。

2017年8月23日水曜日

光景


 意志は高気圧に覆われ、そこにとどまらずに中空に果て行く記憶を抹消しながら、そのまま空間に隔てられず、何かを堅持しないで、用いられる闇に消費されるだけの顛末を仰ぐよりも、ここで、偶像崇拝を続け、退廃的な祈りを続けるよりも、よりよいものへと導くべき自分に出会うための闘争を続け、何かに統制される以前に、ここで何かに固執するよりも、劇的な進路を渡り、カタルシスにいたるかぎりに、懐疑的に陰るだけの本質や、そこで従属するほどに、充実感などを安易に生み出すだけの平静などを越えて、ここで混沌としながら、脳内を循環する歴史や、そこで鎮座するほどに知性などはそこなわれ、そこでなぞられるだけの史跡や、聖戦などを謳い、何かのために何かを守るための闘争が、さらなる悲劇を生み出し続けるような闇から、やましい思いが、際限無い苦しみを降誕させ、こじれる後先に引き伸ばされる思いが、恨み辛みをうながし、そこでせき止められるだけの理由や自由などが交錯し、自らの理由とは、誰かの不自由と従属し、そこで求められる所有とは、独占欲にいたることだけが、何かを所有することである、とうながし、用いられる欲はとめどない怒りを放ちながら、何かを奪うための統合を続け、合わさる限りに用いられる悲劇は、過去から意味を受け取り、経過する物事の対称性を失い、フラクタルなものとしてみちびかれるほどに、互いを引き裂くためのルサンチマンは生まれ、互いを破壊し尽くしても尚、破壊すべき対象を求め、破壊の限りを尽くす。取り繕うだけの意味が独善的に帰巣し、起源を用いるだけの理由などが、論難や、貪婪なものを即席に生み出し、そこでたゆむだけにいたるような緩慢な作用から、リビドーは、形容されるだけのものを現実として捉える女性的な目から、不自然に離反し続ける自然的な対立から、大義を用いずに、流れのままにうながされるだけのレジスタンスは、自らの暴力性に統合されるためだけの団結から、ただ、快楽的な暴力にひたるだけの攻撃だけが、純粋なモチベーションを保ち、暴力だけに浸るほどに、革命の意味とは、失われる。ただ、用いられる意志とは、徒に消費され、感覚を奪う。保たれるべき均衡を持ち出し、平等を謳うほどに、平等からはほど遠く、そこで補足されるものに強要されるだけにいたらせるような権力に荷担することだけが、自らを自由に変えるように仕向ける間にアイロニカルな闘争は続き、そこで悲劇をもたらすだけの戦争から、専横され、全体主義の衆愚としての役目を終え、役割に配される少々の快楽へと擬態化していく意識は、短絡的なものに消耗された過ちに気付かずに、記号化し、暗号化した自らを解読できずに、乖離し続ける夜の闇をさまよい、うやむやなものを愛しているかのように思わせるだけの事実に色あせ、斡旋され続ける精神は、気配を攪拌させ、自らの影に入り交じる不潔なものを排除するためのレイシズムが生まれるだけのナショナリズムを加工し、簡単に消費されることに置かれる自らを傍観するための保身から、保守的な交合を続け、変質し続ける神体を崇めるだけの理想主義的な祈りから、過激な思想を用い、履歴を抹消し、新たに生きるべきだ、と問われる是非とは、善悪を用いずに、ただ自らを絶対としながら、何かを崇めるという過ちに気付かずに、破壊し続けるような安易な結末から、天体をも破壊するような声を荒げる私は、体制に反するよりも、ここで反するものすべてに反し、ここでわずらわしく示唆を続けるよりも、高尚へといたるべく、用いられる善意の裏の裏を綴るようなアイロニカルに冷めた感性は、緩和しきれずに、そこで降りしきる意味に濡れ、混同し続ける先々で原理的なものをモチーフに理想を供給するなどとうながすような毒々しい物陰で硬質な意味にゆとりをもたらし、そこで足りないものに清潔を求めても、ここで淡々と綴り続けるものが、継続される限りに高揚感をもたらすだけの安易な祈りよりも、動作に不潔なものを縫い合わせ、そこで終わらぬように継続させるものだけが、私を進める。束縛されるだけの個人的な自由なども謳わずに、のんきに閉鎖的な日常に笑顔を振りまくようなトリックスターであるべく、システムに恫喝を続けるだけの孤独な狼のようなフレッシュな怒りを用い、自らの落ち度を隠すことなく、ここで固執するほどに、漏洩していく言葉が物陰を生み出し、すべてを淡く変化させ、ここで思うことなどは、広益を謳うよりも、ここで公正を用いるよりも、そこで自由をかかげるよりも、何かを用い、求めることにより、自らを動きやすくすることが、動きにくさを生むことを知るべきである。

2017年8月22日火曜日

否定的な夜


 乾いた日々に与える影響などが、永遠性をたずさえ、俗悪なものを伴侶にするだけの趨勢や、儀式的に機能すればするほどに、すべては、残像のように変わり、荷担する思いや、わずらわしい衝動を本能や、煩悩とし、途端に従えるものが、今を虐げ、姿勢を崩しながら、くたびれ思いをかかえ、混同する意識に受理するものや、そこで受難に変わり、もっともな孤独を重ね、そこで苦しむことだけが、孤独に与えられた罰のように崇めるような不安感や恐怖を越えるべく、ベクトルは、旋回する意識がたどる短絡的な衝動が生み出す焦燥感から、安易な結末にひたるだけのメランコリーのカラクリから、感動を武器に、偏るための偏向報道を繰り返し、倦怠感を生み出すためのあきらめを生み出すだけのコマーシャリズムがセンテンスを破壊しながら、しなびた意識は、どれを選んでも懶惰なものに変わり、そこで生まれる寂寞に飲まれ、自らの苦痛から這い上がれなくさせるだけにいたらせるような施しや、ほころびから、ホロコーストを続けるだけの貪婪な支配者の意志に無機質に賛同するだけの過激な理想とは、観点を疎外させ、自らの意志を誰かに預けることだけが、自らの意志により、執り行っているかのように仕向けるような意識的な虐待から、散漫な意識は、儀式的なものの低劣さに気付かずに、自らをそこない、何かと融合し、同一化を行うことだけが、自らの存在を確かにするように思わせるような相互作用から、毒性の真実を生み出すだけの多感期の衝動から、焦熱していく意識的な簡明さから、最たる意味をそこない、即席の理由で、自由を勝ち取る的な騒ぎから、散々な今日に仕向けるべき刃や、暴かれた真実から屈折した獣を大量に生み出す限りに陰る思いは、浸透する意識に入力されたものをそのままに受け取るだけの機械的なものとして、物質主義的な衆愚として、終末論などを謳いながら、高らかに歌い上げるようなよろこびを知らずに、浸透する意味が、機能を奪う。精神は薄弱なものにいたり、そこで隔離され、乖離し続ける先に帰る場所や、乖離し続ける先の闇で理性をそこない、理解すらも喪失した純粋な帰路を歩き、這いずる意識は、虚空や、上下左右すらもつかめぬような圧迫された空間の中で鼓動だけを感じ、緩慢に作用する意識的な汚穢から、負担し続けるほどにたまるジレンマや、そこで高明な景色にいたらずに、形式に備わり、過去から流用されたものだけを、真実のように崇めることだけが、何か正しいことのように差し向ける間にでたらめな意識は、緩慢な作用を今に与え、あたかも正しいことのように仕向けることのより、自らの正当性を謳うだけの比率から、規範的なものが生み出す悪が、今を朦朧とさせ、そこで問い質すことが、何か正しさを生み出すことのように思わせる間から、ガラクタに変わる真実は、フラクタルなものほど、互いを恨むものだ、と否定的な感性から生み出される創造的な独歩から静寂から何かを受け取り、聖者がうながす罪の意識などを越えて、与えられる罪などは、自らの罪にあらず、ただ与えられた罪などは、そこでの方針や規律を保つための嘘偽りであり、そこで平衡するものなどは、そこでの対立を深めるほどに、もっともな罪を重ね、罪を背負わせるために、何かを奪い続け、自らこそが正しいと示すために、ためらわずに誰かの命を奪い続けたことが、法の意識を生み出し、生み出された罪は、皆で負担し、背負うべきだ、と脅迫する。規律から迫害され、博愛などを謳わずに、悪すらも超脱し、与えられた意味に懲罰を与えるほどに、魯鈍な者を作り出し続けるようなサイクルや、システムに捉えられ、死しても尚、そのシステムの中で未来永劫、罰を与えられ続けるような苦しみを与えるだけの役目を担うような法から逃れるために、自らの規律だけを愛する。誠実さとは、そこでの誠実を晴らすためだけに、何かを蹴落とし、自らを綺麗なものに見せようと仕向け、そこで徒に消費し続ける精神は、正否を求め、応じるだけの答えに高揚感などを示し、安易に仕向けられる精神は、恩恵などを求め、終わらない闘争へと浸ることだけが、この命はなんとなく成立し、なんとなく生きているかのように思わせるような仕組みから抜け出し、そこに嵌め込まれている枠組から逃れ、能動的に生きることだけが、順応を謳い、協調するほどに、狭まる意識がナショナリズムやファシズムに陥るだけの全体主義的な衆愚として終わらぬように、或いは、コミュニストとして、キャピタリズムに打ち付けるハンマーの役割として、絶えず攻撃性だけを高めるようなやり方では、自らをそこない偏執するだけにいたるし、そこで孤独に示される超個人主義的な消散やら自己の消費を謳い、自らを孤立させるだけでは、孤独をかかえ、偏向していくだけにいたり、そこで飼育されるだけの意識は、保守的なリベラリズムに食いつくされ、空洞化した意識は、何かを補完するために安易な契約を謳い、誰かを勧誘するだけのアナーキーさなどは、今に自らの権力を絶対として仕立て上げ、自らを誇張することだけが、絶えず襲いかかる苦しみに反することのように謳い出す。

2017年8月21日月曜日

不破


 否定的な日常の旋律を縫い付ける夜に加速し、付加価値を謳うよりも、そこに現れるだけの価値に満たないものに決めつけられる前に、自らの純真無垢さを仰ぎ、矛盾しても尚、虚しいと萎える花が、ルサンチマンをかかえ、偏った理想を供給し、自らを正当化するような防衛本能から、忘却に置いてきた、豊かな愛すらも、孤独にむしばまれ、独創性を失い、毒性に変わるような交換から、固執し続けるほどに、叶わぬから、と掲げられた理想などは不必要であり、そこで求められるものなどは、利己的なものであり、力学の中で汎用される凡庸なものであり、理性を謳うほどに、本能を抑止し、自らを抑圧することで生まれる快楽にひたる。空疎な出会いから、何かを埋めようとするほどに、空虚さは増し、自らに交わるものすべてを、利用しようと目論む。求められるものに連関するものが、互いを利用し、理性を奪い合い、終わらない戦争へと移行する。ここでの争いがデータ化され、私物化するための独占欲が加速し、奪うためなら、なんでもする、という純粋な本能が働きを加え、自らを、くだらない傀儡に変え、本質的なものを見失い、自らを物に変えていく。用いられるものが、果てしない苦しみを律動させ、自らを苦しめるための永久機関を生み出し、一切を暗い闇に引きずりこむ。混み合う意識は、互いを強調するがあまりに、緩慢な作用を生み出し、自らを苦しめるためだけにひたる快楽だけを求め、互いを貶し、落とし込めるためだけ機能し続ける。そこで順応するものが応じるだけの過去に引きずられ、意識とは疎外感をおぼえ、未熟な観念は、軽薄なものを信心し、見つけるべき今も、止揚できずに、その場で膠着させられるだけの意識に引きずられ、自らの苦しみの敗者として、自らを傷つけるだけにいたるような氾濫を引き起こした脳内で陥落し続ける世界を崇めるだけの対立や対比から、怠慢な理想を生み、自らを蹴落とす自らが攻め入り、生命の意味を問うこともなければ、そこで利己的に用いられる理想を堅持するがあまりに、自らを独裁者に変えていく。低劣な理想を用い、何かを遂行するために押し通す意味などが、不和を生み出し、不安感へといざなう途端に居心地の悪さだけが強調され、そこから逃げ出すためのウソを循環させる。騙され続ける精神は、正確性を失い、自らへの居心地の悪さにより、最たる意味をそこない、即席の自由や、そこで生み出される理由などが達観へといたらずに、安易なものを崇拝し、枢要なものをそこない、行いに転じて行く恒久的な苦しみの理不尽さに気付きもせずに、自らを苦しめるためのウソを自らにつき続ける。追憶に貧する価値から、化合し、稼働していく物々しい事柄が、恒久的な理不尽さを今に生み出し、打算されるものなどは、何かの採算に合わせるために、互いを傷つけることに専念すべきだ、とうながすようなキャピタリズムには、リリカルさが足りないの、だと妥当な位置から這い出る詩的な論理は、季節的な哀れみにふれ、ふれあうほどに傷つけ合うという矛盾や、無作為に生まれたものを調律したがい、互いを傷つけることを厭わないのだ、と妥当な意味や、惰性に見つける位置などが、今に等差を生み、倒錯にいたらせるだけの闘争から、淘汰されるだけの感覚は、惰性なものに陥落させられ、自らをそこなう喪失感に苦しむ。無駄なものを排除しようとすればするほどに、無駄なものしかない、とうながすニヒリストやミニマリストがうながす仏教的な理想や、思想を踏み台に、自らを正当化するための革新的な理想などが、今をちぐはぐなものに変え、物事に生み出されるべき摂理も、今に接続される苦悩や理想にねじ曲げられ、自らの理想とは、死の欲動に追い込まれ、自らを殺めるために何かに偏執し、生きながらえるために、死に投影される物事に極まる死への渇望から、世界とは、徒に消費され、生きているのにもかかわらず、そこで生かされているなどとうながすような文言に騙され、自らの世界の中で孤立させる。あらゆる協調とは、統制をめざし、同じような目標で死するべきだ、とうながす。うなだれた日常から生まれる慎ましいものこそ、幻想であるのだ、と赴きに生じる障害を壊すためなら、ためらわずに攻撃にいたるような本能をカタルシスにいたらせぬから、暴力性は加速し、制度を壊すための闘争から、統制されるだけにいたらせられるような普遍性に敵愾心を燃やし、戦争へといたり、扇動され続ける精神は、敬神にいたり、はびこる悪を生み出す自らの誠実さこそが、いちばんの悪であることに気付かずに、自らこそが正しい、とうながすことを堅持する正しさなどは、正しいことに偏ることであり、そこで理解を得ようと、理念を用い、何かをけしかけるほどに、その正しさとは、正しいとされることに偏向し、自らをいちばんの悪に変化させる。あらゆる悪とは、捏造されたものであるし、悪である前に、現れた本質的な正義をも破壊するような正しさの中では、正しいものと認識されないもの以外は、悪であり、そこで悪である、と認識されれば最後、そこで排除され、疎外させられ続けられる。

2017年8月20日日曜日

叙情的な交差


 法が打ち出す苦しみよりも、法から抜け出す喜びよりも、法から逸脱し、解放されたい、と願うほどに、法自体に関わるように慈しむような機械的な愛に従事するよりも、より良くなりたい、と祈るばかりの、化け物どもが徘徊する街中で、一律の幸せなどを探すよりも、獰猛に慟哭し、正しくあろうとすらせぬところから、善悪を脱ぎ捨て、全肯定するだけの、快楽主義的な自己啓発に汚されずに、自らの健全さに、行き着くように、自らが、自らを騙す。動機だけが交錯し、互いが抱え込んだ罪を置き去りにしてまで、自らを幸せにしようと目論むような罪には、罪の意識が微塵も感じられず、自らの幸せのために、自らを正当化する罪には、なんの罰も与えられずに、のうのうと永続化される意識は、自らを正しい者として、自らを神に仕立て上げ、自らを神として崇める。何かに抑圧されるなど、うんざりであり、何かを理由にこけ落とすことなど、馬鹿げたものであり、そこで、陥し入れようとする自らに陥る病が有史以来、加速し、あらゆることに、枷を嵌め、罪の意識などを埋め込み、自らが、自らを抑圧するようなシステムの奴隷として生きることなど、以ての外である。政治から離れて、自分に行き着くこと、枠組みを超えて、何かを排除する以前に、自らを保つために、自らに帰る。行き着く先は、何度も屈折していき、自らの苦しみを植え込んでいく。あらゆる空疎な方法論が、自我に攻め入り、時間的なものを有しながら、今を強請り、強奪し、さらなる苦しみを倍増させるための裏切りは続くが、そこで生み出される苦しみなどは、依然として空疎な苦しみであり、何かを感じ取ろうとせずに、与えられた苦しみに浸るだけのセンチメンタリズムに犯される。充当されるもののほとんどは、無意味な正しさを吐き出し、何かを履き違え、自らを守り、保つための欺瞞を続け、自らを正当化することでしか、その正しさにすら近づけぬように差し向けるほどに生まれる空しさとの対峙を続け、自らに打ち克つこともできずに、勝敗が価値を曲げ、そこで正しいとするほどに、答えからは懸け離れていく。あらゆる正しさとは、周囲が及ぼう影響により偏るだけにいたり、何かに寄りかかることでしか、自らを正当化できずに、義務的に執り行われる善意的な架け橋を安易に渡るほどに、答えからは遠く離れていき、幽遠へと引き裂かれていく思いは、そこで分裂を繰り返し、断絶され続ける意志は、高潔なものを失い、独善的な支配へと身体を明け渡し、自らの苦しみを垂涎する者の餌として存在し続けるだけに浸る痛みとは、間違いを改めずに、何かを責め続けることでしか、正当化できない正しさの中で苦しみ続けるだけであり、デカダンなものをかかえ、完治しない苦悩をまさぐりながら、何かの傀儡と化し、加算される原理とは、理不尽な正しさを応用し、そこでの正しさを際立たせるための虚飾を続け、つたない意識は、そこで正しいとされるものの餌として、提示される現実との差異を埋められずに、その正しさを鵜呑みにし、自らをそこない続けることに存在とは軽薄で、軽々しいものにしいたげられ、荷担する義務が用いる名ばかりのものに利用されることだけが、ここでの役割を担い、使命などを与え、運命と共に生きるなどとうながす首謀者が生み出す独裁的な物言いから、簡単に処理されるだけの今に起源を与えずに、過去のものを流用し、そこでの正しさを謳い続けることだけが、何か正しいことのように思わせられることに生まれる協調性などは、制度の中での役目を生み、官僚的な支配から、気配を攪拌させられ、管轄を用い、規制され続けることで生まれ続ける悪とは、正義に利用されるだけであり、そこでの悪とは、本質的な悪にいたらずに、そこで否定されることにより生まれた被害者でもあり、加害者でもあり、何かをもたらす是非などを是認させるために利用され続けることで、機械的なものとして、ひとつの正しさを、絶対的で十全とした正解として「崇め」神と名付けられ、そこで数千年の罪をかぶせられるだけにいたる一人の人間として指定されるものへと偏ることなく、自らを悔い改めよ、叫ぶ間に短絡的な罪などは、正しさを理解できずに、ただ、罪から逃れるためだけに、何かをためらい、自らを屈折させ続けることにいたらせる正しさが生み出す偏向を迎合することが、正しいとされるのであれば、ここでの正しさなどは、依然として悪を創造し続けるだけの贋物の神として存在するためだけに、人間と名付けられ、その人間としての義務を全うするための正しさなどは、独善的なものでしかなく、そこに現れる絶対的なものなどは、何かに適応するための絶対性であり、そこでの制度からはみ出さぬように生み出された世界などという悪魔的なもので邪推し続けるだけの悪魔的なものの子供として、独創性を奪われ、森羅万象を駆逐するためだけに、ためらわずに破壊するための制度の一部として存在することに混在する意識的な枢要さなどは、止揚にいたらず、物事を膠着させ、行動を拒否し、渋滞や行列にきちんと並ぶような普遍的な善意を抱え込まされたことにひたる原理的な善意の申し子のように語り出すような正しさを放つ手法や商法の一部として生きることこそが、善良である、などとうながすような悪魔的なものの子供とは、恒久的な孤独をかかえ、何かを恨むことでしか、存在理由すらも見つけられずに、その場で用いられるものにいらだちもせずに、何も考えずに並ぶという過ちに屈折していき、自らの罪を感じることにより、誰かの罪は、自らより悪いものとして定め、痛めつけることだけに専念するような全体主義的な管理下に置かれた檻の中の獣として、除け者にするためにためらわずに自分以外のものを否定し続けるだけの食されるために生まれた家畜のように、あらゆる独善的な毒性は、真理をもむしばみ、自らを傷つけずに、何かを傷つけることには厭わないような者どもを配下に置き、自らを崇めるためだけに、ためらわずに攻撃性を止揚し続けることだけに専念する限りに、そこでの神は、人間が生み出した神から超越できずに、自らの定めをも呪う者どもを生み出し続けることが、創造性だ、とうながすような神などは、神と名付けられ、神の皮を被った人間であり続ける。

2017年8月19日土曜日

開く


 革新的な鳥どもが羽化する。飛び立つその速度は、捉えられずに、立証されるだけの風景などを千切り、短絡的な誤解を含んだ言葉の綾をさえぎり、終末をしのぎながら、長らくに沈殿する歴史や、知識もない愚弄な若者と否定する連中をしりぞけ、背反し続ける思春期の翼をひろげ、閉鎖的な日常を飛び交う、その優雅さにほれぼれしながら、慢性的な病をかかえこんだニヒリストや、嗚咽を綴るだけの物語の中でのペシミストどもが併用するだけのデカダンスをちりばめた詩的な夜の余罪をかかえた意識が混濁を生み出すだけのファシストどもの白昼や、衰亡し続けるだけの未来に抵抗を加えるほどに、運動とは、行動の意味をとらえられずに、快楽的な破壊者として生きることでしか、自らの使命を果たせずに、運命論者がちぐはぐな革命を謳うころには、沈殿する意識は、ファシストどもの餌に変わり、なまめかしい瞬間に移動し続ける意識から離れていくほどに、逡巡し続ける意識は、自らの考えに置き去りにされ、自らの苦しみが支払うためだけの義務に絶えず巻き込まれ、緩慢なアイロニーを吐き出すだけの汚い口から生まれる言葉を、あたかも正しいもののように扱うことが、正義を代弁しているなどとうながすような醜悪さを放つことにアンチテーゼをかかげ、関連する状態から孤立するだけの孤独などは、孤高にいたるための試練だ、と謳うだけの宗教的な昇華などは、自らを信心できずに、辛抱強く耐えることだけが、正しいことのように思わせるほどに、自らの欲望に支配され、抑圧されるほどに反発しようと目論むだけの物事に操作され、情報の奴隷として、或いは、自らを正義として悪を生み出すことだけが、自らをカタルシスにいたらせるような方法でしか、自らを娶ることもできぬような婚姻へと帰巣するほどに、根幹は腐るのであり、何かを代用として、自らを綺麗なものに仕立て上げるだけの操作から、性的なもので拡散されるだけの情報を常用するほどに、自らの意志とは反して、そこで操作されることに生まれるよろこびに支配されることこそが、生きてることであるかのように仕向けられ、それが使命であるかのように洗脳されることほど残酷なものなどないようね、と語る彼女の意識をフォーマットしようと目論む現実から逃れるように逃げ惑う私は、戸惑うほどに露骨な商法に騙される輩どもが謳う金言などに邪魔をされ、些細なことで苦しむべきだ、などとうながすだけの協調的な奔走から、奴隷化していく意識を何とか革命へと移行していくとする者ほど、権力が大好物だったりするわけで、そこで分け距てられ、身の丈を知るべきだ、とかなんとかうながすような権力的な暴君として、自らが用いる権力を保つためだけに生まれる既得権や、権益ばかりを優先するだけの改革などにアレルギー反応を起こす私は、他愛ないものを愛するべきだ、などと謳う同情的な輩にもじんましんを起こし、行いが用いる善意的なものこそ、有徳へといたらせるなどとうながすような善悪の是非すらわからぬような者が指し示すものほど、そこにあるものを保持したがり、搾取し続けるような悪趣味なナショナリズムや、ナチュラリストどもが謳う綺麗なものほど汚いものであるし、やがて、何が勝か、ばかりがまかりとおるような世界などは、捨て去るべきである、と謳うようなミニマリズムなどは、自らのニヒリズムが引き起こす病から逃げるために何かを捨てるべきだ、と謳い出す始末にあきれかえりながら、飽き足らずに、何かを受け取りながら、うごめく思念とのぶつかり合いがとめどなく脳内で行われ、慢心を生み出すだけの高次などは真理にいたらず、掃いて捨てるほどある綺麗事や、美辞麗句などをつらねているだけに満たない今に汚いものを吐き出すようなアイロニーだけが、自らをいずこへといざなうわけでもなく、いじらしく何かに焦燥感をかきたてられながら、抵抗を加え続けるほどに、この命とは、どこに行き着くわけでもなく、自らをも超越し、ここで用いられるものなどは、何の影響も与えず、そこに反応するものなどは、そこで善悪を突きつけられているだけに満たず、そこで足りないものを補おうとすればするほどに、足りないものが現れ、満ち足りないのに、何かを求めることでしか、自らを認識できないように仕向けるだけの情報などに刷新され続ける意識などは、空虚さを溜め込み、自らのニヒリズムに食い尽くされ、自らの怪物に打ち勝てずに、何かに敵意を向け、自らから逃げるために何かに敵対心を生み、奪うための闘争から、統制するための統合から、投影されるものだけに流されることだけが、何かを得ることのように思うような判断の誤りから、余り有るものは、あらがうほどに、ほとんど無に近く、そこでの摩擦から、毎日の闘争は、統制を謳いながら、平等を謳いながら、自由を持ち出し、愛を磔にしながら、しなびた思いを売買し続けることだけが、ここでの正しさなどとうながす者に反する命こそが、ここでの役目や役割などから排除されても尚、抵抗し続ける命だけが、そこで測ることをやめ、持ち出されるものに反発し、安易な発想で、安泰を願うだけの体たらくを終え、事務的なものが生み出す欺瞞や、不満足を謳うだけの自己顕示欲や、欲するほどにほつれ、そこで正しいとされるものなどは、ジレンマを生み出すだけにいたることをはじめて知るべきなの、だ。

2017年8月18日金曜日

混沌


 飛び回る記憶は、どこにも行き着くことなく、同じような場所を旋回し、幾重にもからまる空間や次元に隔てられ、時間を用いられては、転換すべき現在にひたりながら、悲観ばかりを繰り返し、空虚なものを重ね、回線を混濁させ、脳内で純化することもできずに、悪い面影とは、ここでの苦しみを輪唱し続けるほどに理想と矛盾していく精神は、契約や、軽薄なものを崇めるほどに、魯鈍なものに変化し、実体もないものを恨んだり、悲しんだりしながら、進行し続ける意識は、いびつなものを形成し、ルサンチマンに変化しながら、変換され続ける意識に懸隔を生み出す。名ばかりの事実は、かさばる思い出を消費しながら、今に迫る意味がエモーションを重ね、乖離していく時間に唱和されるものに扇動され、亡霊と化する意識は、何かに搾取されることを恐れるばかりで、自らの愚かさに気付かずに、軌道修正を施すべき現在に入り浸るだけの現実に隔離され、そこで感化されるものが、感覚を奪いながら、うごめくものに飲まれ、論理的な商法から、逍遥し続けるほどにシステムの餌として俯瞰に襲いかかる無感覚の衝動から、躍動すべき現在に着せられたイメージが邪魔をし、阻止され続ける意識は、徒に消費される今に空疎な面影をたずさえ、退廃的なものを用い、物事に占領されるだけの今に欺瞞を用い、盲信を続け、つたない意識は、つくづくに蕭然たるものを形成し、わびしさをたずさえずに、自らの寂しさにふれるほどに、そこでの孤独とは、実感もなく、ずっと続くだけの孤独を消費し続けるほどに、孤独であり続けるだけの意識は、裁かれるだけの原理や、現実感をそこないながら、そこで喪失感をたずさえ、何かを失い続けることに恐怖をおぼえ、孤独を創造的に昇華できずに、そこで用いられる孤独が鼓動を奪い、動機すら不潔なものである、と暗鬱におちいらせるための暗示が絶え間なく用いられ、そこでツールとして存在するだけの対象が生み出す苦しみが用いるセオリーや、整合されるべき現在に消費されるだけの思いが、途端に苦しみを往復させる。些細な出来事により、そこでの苦しみを反復させるだけの悲恋を連動させるような過去から引き取るだけの面影などは、そこでの苦しみを倍加させるためだけに思い返すためだけに引き出される思いなどは、そこでの思いにあらず、そこで苦しむためだけに措置される思いとは、自らのマゾヒズムを加速させ、不安が用いる苦しみに作用するだけの過去を利用し、自らの領土を奪うためだけに自らが仕向ける行動が、今に軋轢を与え、停廃にいたるだけの心身が仮象するものを崇めだし、何かを崇敬するほどに、自らとの乖離は進み、そこでの理解を得ようと求めるほどに、自らから孤立し、乾いた精神は、何かを受け取ることもできずに、答えの中でもがき苦しみ、空洞化した意識は、何かと同化することだけが安心感を得るものである、と思うほどに、すべてから乖離し、同一化を施すほどに、魯鈍なものに変化し、自らを喪失し、意思に足枷を嵌め、何かを保つために、何かを守ろうとすればするほどに摩耗し、自らをそこないながら、転じて行く苦しみを濾過できずに、逡巡し続ける意識は、苦しみをめぐり、今に苦しみを持ちこみ、求められる意味にしいたげられ、今に弛緩する。今に調和し緩和すべき痛みも、先々で対立を深め、ナショナリズムや、アナクロニズムや、超自然的な対話を絡めて、自らを正当化するだけの独善的な神を主張し、何かを悔悟にいたらせるような罪を服用させるために騙し、搾取することだけに専念するような悪趣味な主体をかかげるだけの理性をもそこなった欲望を加工するだけの禍根の首謀者どもがカスタムするだけの意志などは、自らの力にあらず、そこでそこなうための行いへと加速させるだけの不安感を利用し、自らを抑圧し、抑鬱へといたらせるだけの思考へと加工するための言葉が生み出すものが物事を邪推させるようなルサンチマンへといたらせるような偏執を生み出すだけの理想などが、あたかも正しいもののように崇められ、自らを正義として謳うものほど、悪を創造し、自らを正しく思わせるために騙し続け、自らを正当化するための空疎な理想などを用い、誰かを騙すことだけに生まれる快楽から、求めることの正しさを謳うほどに欲望の機械として措置されるものすべてを貪婪に食べ尽くすことだけに専念するような餓鬼として、あらゆる法を謳い、混沌としていく時代を崇めるだけの空疎な理想を配置し続けるだけの贋物の神として、あらゆるジレンマを生み出し、諦観や諦念を生み出すためだけに独善的な言葉で抑圧し続ける先に生まれるのは破壊よりも、もっともな空虚が現れ、その空洞に吸い込まれ、終わりも始まりもせずに、そこでの空しさを吸い込むだけの空虚さが、すべてを否定し、悲観し、貧寒な現在に生まれるべき愛すらも廃れ、疲れた身体を引きずるだけの亡霊として生きる自分を乖離した自己が傍観し続けるだけの空疎な世界が、世界を覆うだけにいたる悲しみだけが自らを癒やすのだ、という空しい争いが延々と自分の内外で続くことだけが、正しいのだ、と示すような悲しみの生贄として、贋物の神に捧げられるだけの空疎な戦争が続く。

2017年8月17日木曜日

音程


 やめていたはずのタバコを吸いながら、無意味な音を観測している。不自然に調律される音階の調べは、不愉快ながら、何か嬉嬉としたものを大気中に微量にふくませ、汚れた意味を形成しているなどと退廃的な言葉で埋め尽くすのは、低気圧のせいか、とうなだれるよりも、うわずるような声を発するだけのカラスの鳴き声が、鼓膜をふるわせ、高慢な者が支配する云々と、世界を否定するよりも、おもしろい意味をまさぐるような関係に制度すら不潔に思えるような夜に支配される以前に、何かから乖離するようなよろこびの揺籃で眠り、夢の中での神秘的な帰路をたどり、怠慢な意識がたどり着くデカダンスな風景をよぎらせる詩的なノイズが形成するノスタルジアで、痙攣する夜明けが、銀河が一律の悲しみをうながすだけの今朝に排斥されるだけのスラングや、衰亡する意識の過程に生み出される哲学的な酵素を生成しながら、しなびたふんいきが醸し出す鬱陶しいほどの非道さを保つだけのキャピタリズムの空疎な刺激を受けながら、鍵盤をたたくたびに昇華する思いが逍遥を続け、受け付けないものほど、気になるものであり、それを否定し続けるほどに、与えられる影響にかさばる思いは、陰鬱な衝動を空間に吐き出し、派生する意識は、様々な思惑の中で怪訝なものを重ね、重荷に変わるらしい、と黒猫がカタルシスをうながす水中を泳ぐような感覚で、脳内を循環し、おぼろげなものを気ままに排除するだけの資本的な猶予にひしめく思いが、思念を孤立させ、膠着する意識は、永劫の彼方で、荷担するだけの義務の中でダンスすることが、あたかも生きているように思え、と強制的にうながすような瞬間に犠牲的な精神をうながす信仰心などが、今を疎外させるだけにいたるから、人間とは、いつまでたっても誰と居ても、孤独なままなのであるし、やがて、その孤独の中で示唆されるものを思案していることが、あたかも考えているように思わせられるだけに浸るような世に警醒をうながしたところで、快楽的なものが受注し続ける生産的なものに支配されるほうが、清潔であるかのように思わせられ、色あせるだけの路地から、排出され続ける毒気を健気に吸い込み、もののあわれなどを謳うほどに、哀れみなどは、淡いものである、ということに気付かずに起動させられ、いつかは、強制終了させられるだけにいたるような日々に結末などを仰ぐだけの終末論的な快楽の傀儡として操作され、ファシズムが加速し、死へと能動するだけの順応を呼び覚ますだけの諦観へと汚され、擁護され続けるほどに、この命とは、補完されるだけのものへと交換されることだけが、この世界の仕組みであるのだ、などと有史以来引きずっているだけの関連性から、制度は付着する意味を扶養し、あたかもしあわせを装いながら、自らの手を汚さずに、生命を奪うことだけに専念するような世界こそが、欲望に従順であり、欲望の下僕として、迎合されるものに流されることだけが、生きやすくするのだ、という容易い思いが、高次へといたらずに、あらゆる意味で今を加工し、悔悟を埋め込みながら、病的なままでにうながされる教育が埋め込んだ協調性という混沌に飲まれ、そこで統合されることだけが、正常であるなどと謳うほどに、正常さにもとづく異常さに気付かずに、徒に消費される精神は、敬神にひたり、いたわることなどを謳いながら、虐めるだけにいたり、とがめられた精神は、どこにも行き着くこともなく、ここで語られる言葉の傀儡として、被害者意識を加速させ、仮想とされるものを崇めるほどに、あがない続ける意識は、あいまいなものを称えながら、途切れ途切れの精神を、何とか保とうと、うとましい現在に原罪などを埋め込み、多様性を謳いながら、孤独を絶えず進行させるだけの情報から譲与されるものなどは、何の足しにもならず、孤独感を増させることだけにいたる。ここまでの記録すら本当にあったことかもわからぬままに、このままに進むように仕向ける看板に左右される意識的な汚穢を清め祓うための祈りなどは、空しく今を示唆するだけに浸るものが精神を摩耗させ、そこでの祈りとは、帰依することだけを目的に、何かを取り込み、統制しようと目論む間に住まいなどを形成し、そこで奪い合うことだけに専念するように仕向けられるほどに、自分の行き着く場所などを求めるほどに、虚空を生み出す。あらゆる住まいとは、帰るべき意味を持たず、どこでも落ち着くような場所へと変化させられぬから、どこに居ても孤独は増していくのであり、孤独を謳歌できぬから、その場での苦しみにおちいるのであり、横溢する瞬間は、絶えず今を純化させ、循環するほどに混濁を生み出し、めぐる思いは、そこでの偶像を抱え込んだままに、孤立していくことを恐れ、自らの恐怖に飲まれるから、帰る場所などを必死に求め、止めどない恐怖に犯され、そこでかかえさせられる罪の意識などを抱え込んでいく。

2017年8月16日水曜日

ルサンチマンの夜


 考えの奥底でなびく面影も、真理をそこなった物陰に潜む影に捕食され、自らがくみ取る善悪に犯され続ける示唆などは、そこでの考えに補完されるためのものを措置し続けるほどに、自らを魯鈍なものに変化させ、関係性に制度を生み出し、今に緻密なものをそこない、そこでの苦しみを背負うような義務を繰り返し、強迫的に繰り返し、屈折したものを思案し続けるほどに、苦しみとは、今を束縛し、代用品として、そこでの仕組みとして生きることしかできずに、出来合のものを信心するほどに、屈折していく意識は、内面的な縄張りの中で即席の自由や、束縛されるほどに増していく苦しさを氾濫させ、間接的に生まれる欲望により垂涎し続けるだけの今に酷薄なものを生み出し、何かを差別することだけが、自らを昇華させるのだ、と資本的な死へと組み込まれていく意識的な汚穢を増幅させるだけの嫉妬心が自らの内面に巻き込み、そこに現れる雰囲気を呪うことでしか、自らを正当化できぬような争いの中で拘束され続ける意識は、抑圧に耐えかねずに、体系から逸脱できずに、ただ生み出されるものを、そのままに受け入れるほどに、魯鈍なものに陥り、自らの価値の中で確執を生み出し、覚醒すべき今に理すらも生み出せずに、即席の理由を愛し続けるほどにやせ細る意識は、やがて死へと加速し、滅びるためだけに呪詛を続け、つたない意識は、自らの暴力性の中に現れる制度だけを絶対性として捉え、囚われた意識は、互いをとがめるための理由を絶えず補足しながら、自らの苦しみから離床できずに、自らの深い苦しみの中で眠れずにいる。あらゆる装置から取り外された意識は、法の外で、法を形成し、やがて自らを拘束するための法の中でためらいながら、絶えず進行する意識的なまじわりに疲憊しながら疎外感にふるえ、自らの孤独に敷衍していく恐怖に飲まれ、自らの十全とした正しさという狂騒に飲まれ、自らの不自由さに嘆き、カタルシスにいたらずに、徒に消費していく現実に補完され続ける意識的な界隈でなれ合うほどに自らが自らを破壊するための所有を求め、対象に求める愛から背反できずに、そこでの自由を謳うほどに、魯鈍なものに変わることの哀れみを謳うだけの独善的な輩がうながすだけの愛を愛として捉えるほどに、自由は自由ではなくなり、何かを独占するための愛が、絶えず苦しみを加速させる。死を往復する儀式的なものに拘束され続ける自己が、自らからも逃れたい、ともがくほどに、自らの苦しみに飲まれ、自らの閉塞感に耐えかねずに凶行に及ぶなどと謳うような性善説的な前提から逃れるために、悪とは、悪という役割を持たされる前に、悪であり、正義が生み出す悪とは違い、ただ、悪であるということすら気付かずに、凶行にいたるのであり、そこにいたるまので経緯すらなく、ただ、突発的に執り行われる儀式的な行為から、自らの死から逃れるための暴力的な措置から、配置されるだけの意味や対象などは、マテリアルですらなく、そこにリアリズムすらも欠如し、ただ、行われるためだけに置かれたものに対し、悪意をもって行為を行うのではなく、ただ、そこにあるから、そこなうものである、という行為の純粋さだけが、行為へと及ぼすことに善悪すらない。サイコパスと名付けられた彼や彼女らの慟哭を拾うようなニュースが徒に狂気をとりあつかうようなメディア的な快楽に垂涎していく者どものよろこびが氾濫し、そこで堪能する快楽こそが、いちばんの悪意であることすら気付かずに、何かを批判することだけが、自らの生きる道のように示唆する間に隷従するだけの支配的な何かから逃れるための情報や構造こそを排除すべきであるのに、キャピタリズムは依然として、自らの快楽に純粋であり、キャピタリズムとは、一般市民をサイコパスに変える機械であるかのように思い、ここでそこなわれる限りに陰る真実すらも虚偽であるし、やがて、清潔感を求めるだけの普遍性などが、生活を保つために、或いは、自らを誇示するために着飾るような風景が脳内を占拠し、そこで保身を生み出し、くみ取る是非などは、何かを騙すための畜生どもや、クズどもが奴隷にするためのコマーシャリズムを垂れ流すための迎合などを生み、そこで取り繕われるものに取り憑かれたものがゾンビと化し、自分の意識を失い、街中を徘徊し、喜怒哀楽すらも奪われ、のうのうとちんたらと蓄積される苦悩にも気付かずに無感覚で不感症のままに、感性を捨て去り、去りゆくことだけを思い返すような画面の中でのしあわせそうな風景に遭難しているような一過性の快楽の傀儡として、一貫性を持たされ、ただ、同じサイクルで債務をかかえ、最たる意味を忘れ、再現され続ける同じような日々の中でいびつなものを形成しながら、軽薄な者として、あたかもしあわせそうに普遍的な日常を同じように繰り返すのだ、と言い放つようなルサンチマンをかかえているような全体主義に反するようなマーチの最中で生み出すべき思想も枯れ果て、何かに左右され続けるほどに、査定され、婚姻へと引き込まれるほどに、補足される理由とは、法則的な苦しみの中や、宇宙の十全とした規律の中で、惜別を繰り返しては、自らの苦しみを往復するほどに、ここでの苦しみとは加速し、そこに用いられる領土を保つための戦争だけを続ける。

2017年8月15日火曜日

すべてとの乖離


 世界が走りって、後に残るのはガラクタばかりだ、と語る君の目は純粋に燃えさかり、ここで語られるすべてとは、情念が張り裂けてから生まれたものであり、そこからはじまったものが、すべてであり、そこで語られるものだけが、理由を理由然としている限りに、そこにひろがるものだけが、自らを作り出すのであり、新しくなり続ける風景は、ここでずっと続くのだろうし、やがて消え去った後に残る滓や、とろけた後に熱情し続ける恋の模様や、フュージョンし、浮遊し続ける限りに、この命とは、死して尚、金に変わることもなく、漠然とした死だけを、今に引きずるのであり、理想なども潰えた後に現れるまぼろしや、慢性的な痛みをかかえ、ねばっこい苦しみを形作るだけの日々などは、何の意味もなくなるのだ、とニヒリズムに苦しむよりも、自ら踊る素敵さに気付くべきであるし、誰かが語るものなんて、語られた後の言葉に過ぎないし、そこで過ぎ去れば、場面は延々と転換され、観点を疎外し、剥がれ落ちる瞬間に理想は供給され続け、つたない意識はしいたげられ、視線をそらす君のうつむいた姿が美しく、屈折し続ける意識に接続され続ける情報などは、そこで常用され続けるものに偏り続けるべく、ベクトルを意識の外側へと放つほどに、軌跡とは踏みにじられ、不等なものを謳い上げ、自らを正当化するための保身や美談にからまる意識が、何かをごまかすためだけに、ためらわずに闘争へといたらせるような争いから、憤懣をこぼす季節は、自らが移り変わるよろこびに構築される美しさに気付かずに、今ある苦しみに論点を移し、考えの中で苦しむことすべてが、今の苦しみを生み出すことを知らず、楽しむとは、画期的な方法であるのに、そこで悲しむことだけが、自らを形骸化させ、枯れ果てる世界の中で涅槃をめざす君の願いなどは、尊くもなければ、そこで用いられる苦しみから逃れられずに、与えられた苦しみを繰り返し味わうべきだ、と理不尽に迫る雰囲気から超脱し、その先に現れるものだけが、君をものがたるのであり、もらい物ばかりの風景に後退していく意識は、未明の夜に鎮座し、沈積する悲しみに暮れ行くものを結い続けるほどに、豊かさを失い、自らの喪失感に悶えるような夜に方法論は崩壊し、世の常だ、と笑い飛ばすような諧謔にいたらずに、慢心が生み出す兵器的な夜に支配され、軽薄なままでけちくさい日々を仰ぐような愚劣なスタッカートに汚れ、揺動され続けるほどに生まれ出る怒りが補填し続けるシーンにからまる関わりから、加算される原理に散々な日々を反映させるほどに、自らの影に寝首を掻かれ、かかずらう意識は、今に浸る苦しみだけに偏りを示し、生きることの意味などを問うほどに、その意味とは遠ざかり、そこで与えられる答えなどは、そこで苦しむためだけにためらわずに毒々しいもので自身を苦しめ、そこで使命感を補うために保つものや、守るものが誰かの不幸により、カタルシスへといたり、理を持たずに、求めるだけの正しさとは、ただ、そこで何かを従え、虐げるためのゲームの中で、アカデミックなものこそエリートであるなどと空疎なメロディーを生み出し、いびつな観念が形成するのびのびになった儀式の最中に思い描かれるものに権限を移すだけの答えなどが、行為をまさぐり、何かを持つことだけが、ここでのすべてなどと間延びしていくだけの意識に与える影響が及ぼす汚れなどをとりはらうための儀式が加速し、そこでとりはらわれるための罪を与えられ、名付けられた途端に、そこで緊縛され、身動きも取られずに、ただ罪を解消させるための罰を自らに授ける間に預かる意味が、今に重荷に変わり、思えばわずらわしく、思わなければ、そこで蓄積される苦悩に犯されるだけにいたるような不浄な身体を納期し続けるような儀式的な生贄としての生活が、清潔感を謳い、そこで用いられる普遍性が編成するものだけが、物事を超越し、演じることだけに専念し、建設的な考えにいたらずに、ただ退嬰的なだけにいたらせるような儀式的な補完から、家族的なしがらみに閉じこもるだけにいたらせるような考えの中で問われるべきは、そこにある是非にあらず、そこであらがうほどに生まれるひずむから、リズミカルに消費され続けるだけの遊蕩な者が支配する時代に生み出される贋物の空虚さを互換し続けるだけのシステムの中で体現され、還元されるためだけにひた走ることから、傀儡として生きる従順さにウソの使命感を当てこするほどに、補完される苦しみとは、そこで互換され続け、同調するほどに、そこで魯鈍な者として生きることのが、生きやすいなどと麻痺した感覚がうながす関連するだけの日々が連動していくペシミズムから、便利な者や、簡単なものだけが処理し続ける善悪と勝敗が可能世界すらも破壊し、延々とまじわるパラドクスから、排斥され続ける論理的な証拠を補足するためのパラドキシカルな締結から、停泊し続ける意識は、そこで住まう者により、儀式的に昇華させられ続けることにより、自らを喪失し、そこない続ける意識は、行いの中で見つける正しさを知らずに、正しいとされるものに左右され続ける。

2017年8月14日月曜日

枯渇


 妥当なものなどないのだから、考えていても、仕方ないものであるし、ここで葛藤する限りに、自らを保つことすらもできずに、襲いかかる不安などがよぎるような風景に嘆じるものも、物事の中では、小さな悩みに過ぎず、ここに用いられる不安などは、過去を利用し、今に理性をそこなわせるような無力さを生み出すだけにいたり、浸る感傷などは、今を対象にせず、ただ設置されるだけの疑問に呈するだけの理由をまさぐるほどに、魯鈍な苦しみは、今に不安を生み出すだけにいたり、増していく不安とは、焦燥感を生み出し、自らを醜いものに変えるだけに専念し、そこで捻出され続ける苦しみは、憎しみを生み出し、外に向けられる攻撃性が、結局は、自らを傷つけていることに気付きもせずに、何かを批判することにより、その苦しみを昇華させているようで、苦しみとは消えずに、不当な毎日を呪うように、自らの運命をも呪うようなコードが脳内を循環し、そこで純化できずに、過去にとどまるほどに、その苦しみとは繰り上げられ、そこでの苦しみを演じることが、自らのしあわせである、という誤認を生み、認識すべきものも、ゆがみ、そこで思い違いを生み続けるほどに、自分から懸け離れていく思いは、そこで停止し、過去から抜け出せずに、その場でもがくようで、実際は、過去への思いがさえぎり、今に苦しみを復元し、複製し続け、そこでの不安のようで、過去から持ち出された不安により、今の苦しみとは延々と増幅し続ける。蓄積された苦悩をさえぎるような純粋な精神の中で、そこで敢行され、継続される考えが寂寥たるイメージの中で折檻され続ける間にリフレインする自虐的な言葉が簡素な意味を吐き出し、答えを姑息なものに変え、問題に巻き込まれていく意識的な枢要さも、誰かの言葉に支配され、襲いかかる文字により左右される精神は、敬神を続け、或いは自己愛に耽り、自らを保つために、他者を傷つけるという性質的な暴力性を抑えるための機能が元々働かぬサイコパスどもが徘徊する夜をまさぐる君の化膿したこころに可能世界的な空想をひろがらせ、感染症をかかえた猫とカタルシスを分け合うような夜に緩衝すべき愛も、反証である、と促すようなペシミストどもは、自らの意見こそが正しく、それに同調しない者すべては、自らに反するものである、と攻撃性を増していき、何かを憎悪することでしか、愛を表現できないような者がおちいる時代錯誤から、散漫な意識は、過去から引きずるだけの意味を、ここでの答えとして締め付けるような独占欲を埋めるためだけに婚姻にいたり、そこで保たれるものなどは、いつかは摩耗し、千切れてしまうものであるし、そこで収納されるだけの名ばかりの愛は、出来合のものを崇拝し、何かを利用するために、誰かを支配し、そこで愛しているかのように仕向けるような芝居の中で簡素な愛にひたり、批判的な反応から、排斥されるための自由を謳い、そこでためらうだけにいたる精神が契約をほどこし、縫合されるだけの傷をひろげる作業を続け、そこでの苦しみを複製し続けるほどに強制的に抑圧される精神は、自らの苦しみの中だけで生まれるものを愛するような自己愛に耽り、自らを保つためだけに、何かを利用し、傷つけることを続ける。中空で死を眺めるような夜に洞察すべきは、生きている意味でもなければ、そこで定理を生み出すほどに、何かを踏み台にしてまで、自らの正しさを打ち出すような空疎な支配の経路をたどることでもなく、ただ、そこには何も無い、とうながすようなニヒリズムにひたるよりも、すべてを超え出て、自らに帰り着くことであり、そこでの不安などは、俯瞰を攻め入り、無感覚なままに、何かに支配されるよろこびを呈するような言葉に騙されずに、自らを強調し、そこで正しいとされるものを正しいとするような自らから抜け出て、自らこそが正しいとするような自らが産み出す正しさをも抜けだし、そこで正しいとされるものなどは、そこで刷新されもせずに、ただ過去から複製された答えを延々と引用し続けるような体系がこしらえたギミックに操作され続け、最たる意味も見出せずに、満たされない思いは、満ち足りないから、と奪うことに専念するだけだし、そこでエリート主義的な者が打ち出す独裁的な主観から持ち出される主体性などが、制度を生み、そこで支配し続けるための法で加工された精神などは、軽薄なものであるし、そこで正しいとされるものなどは、何かを奴隷としてまでも、ここで保たれるべきものに無抵抗なままに、苦しむべきだ、とうながし、ここで目的もなく、ただ同じような日々になおざりになり、あたかも普遍的なぬくもりこそが、あたかもしあわせのように演じるべきだ、とうながすプロパガンダやコマーシャリズムに犯され、本質的なものや、真実などは見せないように仕向けることに気付いているのにもかかわらず、無抵抗で無計画なままに、今を保つ限りに、苦しみとは生まれ続ける。

2017年8月13日日曜日

連動


 連動していく意識が、星を収斂させ、ここでただよう面影も、誰かから借りたものである、と惜別する風景は、やがて、人工的なものを愛する欠如に苦しみ、みちびかれるほどに、遊蕩な者に支配されることに背反し続けることに疲れ果て、退廃的なものを生み出し、停泊する預言に引き取られる意識は、空疎なものを愛し、復元されるだけの現在に抱え込んだ閉塞感に苦しみ、密接な関わりを持つほどに現れる懸隔から、検閲を繰り返し、悦に浸るような輩が禁止するものこそが、本質的な愛であるのだ、と妥当な位置から引き取る観念がむすぶ儀式的な思いが、呪いを繰り返し、充当されるものなどは、阻めるだけにいたり、漁られ続ける意識は垂涎を繰り返し、求めるほどに欲しくなる精神は、捕食されるための餌としてしか、その存在を強調できずに、今を超克できずに、刻刻と迫るセンチメンタルなものや、ここで生み出されるメタファーにシンクロしながら、浸透する意識は、まがい物を崇め、ここで神としてたてまつるものが、自身に包蔵され続けるほどに、自らを喪失し、そこで埋め込まれるだけの意味や、そこに現れる神が生み出す姑息な気配や、そこで支配されるほどに増していく快楽が充当するものだけが、自らの苦しみを昇華させるのである、とうながす苦悩から、ここでやましいものをかかえ、かかずらうだけにいたる生死は、自らをそこないながら、出来合のものを愛し射止めることだけに専念し、真実の愛へと向かえば向かうほどに、その真実とは、現実に汚され、何も正しいものもなく、ここをただれさせ、物事を見えにくくするだけで、ここで知性を持たずに、与えられた答えがうながす義務に滞留し続ける意識は、短絡的なものを崇めることでしか、自らを正しいことのように感じられずに、そこない続ける存在を追従するほどに、今に屈従し、今に与えられる苦しみを永続させることでしか、自らの存在を確かめることもできずに、今にたしなめるものや、そこであがなうものが差し引きすることを往復する意識は、いびつな観念を形成し、寛容さを忘れ、いざなわれるままに、自らを屠ることだけを繰り返すような現実的な摩擦から、保身が生み出す面影から、思い出に加工されるだけのものを海馬がリバイバルさせ、理性をそこなわせ続けるほどに色あせる瞬間は、継続すればするほどに、そこで魯鈍なものに変わり、事実に硬直し続けるだけの現時点での僕らをうながすような懺悔だけが、自らを快癒へとみちびくのだ、という神的なまがい物から、そこで適任するものなどは、ここでの意味を迫害させ、ここでののしるだけにいたらせるような反照から、緩衝すべき愛すらも不潔なものに思うような不安定さを武器にするような退廃的な人格を形成し、物事に耽るほどに陰惨なものを愛し、あらがうほどに、何かを破壊するよろこびに耽り、気高くも残酷な者として、聖戦を謳いながら、犠牲をも厭わずに、問い続けるものが示すかたよりに寄りかかるほどに、よりよいものなどは、自らの尺度で生み出され、外から現れるものすべてを破壊し尽くしても尚、何かが足りない、と叫ぶような街角で定理などは見つからず、そこで身につくものなどは、醜いものであるし、朦朧とする瞬間に主観は定義を失い、そこで喪失感を重ねるほどに、寝返り続ける意識は、退廃的なものをかかえ、かかずらうだけにいたるような精神は敬神を繰り返しながら、長らくにとどまる意識は、あいまいなものをかかえながら、自らにそなわる女性的なものが適任していく今に敵意を見せる男性的なエゴから、迎合されるほどに、ここで蓄積されるものが生み出すノイズに飲まれ、郷愁へと改ざんされ続ける懐かしいように思える時ほど、残酷なものをこころの中で表し、そこで終わらせるためだけの形式に酔い痴れ、風景を破壊するようなものを生み出すための想像だけが、正義のように語られ、そこで傀儡のように生きることの容易さが生み出す苦しみが絶えず襲うのだ、とうながすような意識ほど、奴隷化したものはなく、そこで意識の奴隷として軌跡を踏みにじるような言葉を放つほどに、自らが腐ることを知らずに、そこでののしり、いい気になるような俯瞰から、無感覚に引き取られるものが、今をほつれさせ、そこでうながされる理由などのいっさいは、自らを苦しめるための構造を生み出し、そこで想定されるものなどは、今に苦しみを媒介させ、感情論的にうながされるものに左右され、そこで刷新されるためだけに、何かを書き換えられ続けるほどに、つくづくは、続く限りの苦しみを今に引きずり込み、そこでの苦しみを永続するための言葉を吐き出しながら、蓄積され続ける苦悩は、次なる苦しみを自らに売買する。

2017年8月12日土曜日

詭弁


 繰り返される夜が静謐さをたずさえ、世界性を徒に消費しながら、観点を疎外させるなどと堅苦しく狭めた言葉でカタルシスをうながしながら、ここにそなわるセンテンスのひずみに揺らぎ、停泊する理由は、束縛されるほどに、身体をかわかせ、フィットすべき君の肌も、どこか違うところで感覚しているような感じられる。送られていく情報とは、微かにニュアンスを変えて、私たちを麻痺させているのだ、とうながすのだが、所詮は、その情報に左右されている方が、楽な者のが多く、自らに理由を与えられず、与えられる理由に利用されることが、価値へとつながるのである、と言い放つほどに、即席の理由は、自由を謳いながら、自らをも邪魔に思い、情報の中へと倒錯していき、自分とは何であるかを考える前に、自らを価値として捉え、それを測るためだけに、ためらわずに何かを犠牲にし、誰かを否定しながら、自らをも喪失していくほどに魯鈍な者が売買を続けるのだ、とコミュニストたちは、過激な理想を建ててはみたものの建設的に考えるほどに、破壊的なものにおちいるという欠如を生み出し、自らを導くべき理想も、思想を混濁させ、掻き乱される精神は、自らをかきむしるほどに、自らを神として崇め、自らこそが正しいとうながすほどに、認識力とは奪われ、客観的に自分を見つめることすらもできずに、純粋な破壊へとおちいり、自らのニヒリズムを収めるための空虚なこころに嵌め込むべき理由たる思想をコードに変え、書き換えられ続け、自らを破壊の神へと変化させる。偶像崇拝を続ける支配的な者の物陰にたまる腐敗したものがうながすレジスタンスやらがやかましく、やらしいムードを称えるような繁華街におちいる闇ばかりが生まれるなどと謳うような独善的な者が騒ぎ立てることのが、よっぽどうるさく感じ、そこでがんじがらめになっているものが、かんじんかなめなものを見落とし、そこで対立するほどにどちらもおちいる闇へと吸い込まれ、自らこそ正しいとうながす保身のための言葉が、高揚感をそこなわせ、そこで確実に死に至るまでの風景をたずさえた絶望が、有する過程に価値を強請りながら、内面的な戦争から、専横されるほどに、現れる僥倖や、競合するほどに、軋轢は生まれ、そこで懸隔が生まれ、うだるような暑さの中で射止めるべき世界も、出来合ものを与えながら、それで満足すべきだ、と表紙に乗るような普遍的な家族という洪水に飲まれ、マイホームという閉塞感に苦しみながら、居場所を探し悶える君が焦熱し続ける先に現れるシステム的な現れに生まれる敵愾心などが、新たな闘争を生み出し、何かを踏み台にしながら、朦朧とした意識のままで、ちぐはぐな今日を終えるためだけに、絶えず続けられる生命とは、何を理由にして動くのか、と悩んでいる隙間にも闇は迫り、その闇の中で測られるだけの出来事に吸い込まれ、自らを未熟なままに措置し続けるような空しい言葉に砕身していくほどに、名ばかりのしあわせとは、そこでのしあわせを奪い、ただ次なるしあわせのために、空しい作業を続けるのか、と生きる定めとは残酷にも使命を持ち合わせておらず、ただ継続されるままに引き伸ばされるようなものであり、そこで生まれたペシミズムに飲まれるリリカルな少女の毒を飲み込んで、魂胆も引き裂かれ、ここで混同していく意識が、やがて根幹を腐らせ、感覚をも奪うような倒錯へとおちいらせる間に色あせる瞬間は、永遠に飲まれ、そこで無に変わるよりも、そこでの時間を永遠に引き延ばされ、そこで絶えず進行していく限りに乖離していく現時点は、理解を深めるよりも、そこで忘れるべきである、とうながすことに反し、そこで語られるペシミズムなどは、そこでの永遠性を深めるほどに、自らを深みに嵌め、その闇に引きずり込もうとするのであり、そこで林立する問題などは、提起されず、問題である前に、過去から流用されたものを引き合いにだし、今を苦しめ、永遠に引き込もうとするための詭弁を続け、追憶に潜む、もっとも暗い闇から引き落とされるだけの精神的な苦痛が安易な安住の地などを求め、理想を追い求めるほどに、理想との懸隔は生まれ、そこでの間隔を奪うための闘争が延々と続き、自らを傷つけることだけに専念し、デカダンな輩が見出す過去からの病から、過ちにいざなうだけの有用な史実に感応すべきだ、と言い張る答えなどのいっさいは虚偽であるし、そこに用いられた途端に、答えとは、脅迫的に迫り、自らを納得させる前に、その答えが、答えであることだけが重用なのだ、と強制し、そこでの答えに反することは、いちばんの罪であるかのように迫るような答えなどは、答えにいたる前に、答えであることの大切さだけを騙るだけであり、そこでの正しさなどは、正しいとされていることだけに通用するだけの正しさであり、それに反するものすべてを悪として捉えるような正しさなどは、正しさにはいたらずに、何かを蹴落としてまで、自らこそが、正しいのだ、とうながすような正しさなどに、正しさなどは生まれないの、だ。