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2015年2月11日水曜日

空間的排除

想起する自由すら、そこから自由は損なわれ、従属していく幼稚なシステムに色彩を失い、互い違いになる疎外感から、重なる時に自らを倒錯させ、隠遁していく状態から夜を持たず、ただ告げられる朝に和える予感に行間を持たず、ただ空間的な空白や、空腹に現れる欲望に流されず、自ら選んだ事柄だけを支えに、些細な出来事に惑わされず、ただあるがままに注がれる感応に触れ合うだけの動機が同調せずに、協調性などは求めずに、自ら選ぶことだけを行為基づき、本質から偏執しては、固執するだけの負い目に至らず、ただ粗相な今から性差も無く、もれなく自由は思うだけに奪われるだけの価値に歪むから、その場に思う自由などは、利用されるだけの自由に満たず、密接していくシステムの情緒に利己的に孤立していくだけの自己から兼用されるだけの自我に論理を与えるだけに損なわれる先々に無意識などは無く、適度な俯瞰から、不潔な理由が要する状態に固結し、均等な価値すら見当たらず、平衡に携わる位置から、人間的な次元に汚され、擁護すべきは、この実体を阻むだけにますます幼稚な適応を下す者の幼稚さや、アカデミックな理由から離床する者だけを受け入れるだけの権力に牽引される内部に収まる事柄をスクロールさせては、その内部に備わるだけの者を隔離し、屠殺するか、収監し、監視下に置いては、死するまで閉じ込め、観察し続けるかの合間に意味合いはこじれるだけの代理的な意志を今に挟み込み、従うだけを情緒と呼び、従わぬ者を隔離せず、収監せずに、排除し折檻するだけの今の雑感だけが、ざわざわとくすぐり苦しめるに至る。

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