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2015年2月8日日曜日

流すということ

改変される過去から越え出る動機が端的ないのりを重ね、開梱される動機に囲われながら、過去はないがしろにされるだけに唾棄される物事の中で猜疑心を溜め込み、誰も信じれなくなるまでにバラバラになる主観に存在や観念を重ねるから、反抗に至らず、対抗せずに、孤立し、偏るだけに膠着する時間や次元を用いるから、その場を用い、孤立するだけに至らせるだけの内面的な四面楚歌に、相乗効果を求める孤独というなりあいから、ナルシシズムや、自己顕示欲が肥満化し、肥大化しては、被害妄想に至らせる執拗な悪意がストーキングするから、衰退化し、数理的な問答に固結するだけの硬直に至らせるカタトニーに露骨な支配を受け入れるだけの家畜的なものを縫合するホルンの音がなびくから、と囲いの中に帰結するだけの人間性に現時点などは無く、ただ流されるだけの問題に疑問視を持たないから、ただ乾くだけの人間性に閉じこもり、その場に引きこもるだけに悲喜交交としては、総和せずに、内面的な支配に閉じられた境界を用い、共感性を否定し、腐敗するだけにハウリングする今に長じる状態に露見される動機から、意見は膠着する自らに共鳴し、反響し続けることで、その鬱積していく暗鬱さに狭量な悩みを巻き起こしては、偶像的な自らに暗示される事柄に欠けていく状況から更迭されずに、膠着するだけに収監される自らを傍観する離人的なシステムの彼方で挫折させるべきシステムの中に収まるだけに後端に省く自らがなびく後ろを傍観しながら、沈むこと無く、ただ仇討ちに生きず、ただ屈さずに、くだまき、ただひたすら砕くべくに育む。

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