2014年11月10日月曜日
統制されぬ間から生まれる己
行為そのものに拘引されず、浩然と突き抜ける辺りから不羈な自らは有する事に用いる価値に欲をぶつけず、物象を引き離し、この存在から精神を乖離させ、状態に次元や資源を用いず、乗じる時間から離れ、殆どの影から解れ、宇宙そのものに浸透していく正体すらも、不可欠な様態に不潔と散るだけに、満たない存在を求めるよりも、この離れるままの無から生み出された主観と瞬間の溶液に浸り、有益な時代を信用せずに、逍遙し続ける状態から俯瞰で見る自らに生じて行く現象も、思うよりも早く超越する状態に兆しを授け、預かった身体を引き離し、この思いだけが、統合されずに、徐に浸透し、除外されては、提要する事実に混同されずに、無機質に無神経に、無心で、無我の境地に悟りなどは要らず、この嵩張る身体から離れた後に連動する景色に連綿たる余韻が引き延ばされては、情感に比する感情などは要らず、ただ浮遊する辺りに不安などは無く、不感症ながら、宛らに用いる快楽も要らず、自らを傀儡にするだけの理由に利用されず、良俗も無ければ、倫理も要らず、うるさく泣き叫ぶ風景も風情も無く、淡々と羽化する瞬間に連動しながら、フワフワと俯瞰をさ迷い、超越する辺りから、この無は照合されずに、少々の抵抗を加え、自らの始まりたる、宇宙の極みに配される力に処遇を移し、艶麗な差異に迸る空間的虚無に直訴するニヒリズムから追考し続けるだけに能動する意識が汎用されるから、君は苦しみを空間に用い、昏倒するだけに至るのであり、この抵抗とは、煩わしい物事を排除した今から始まりも終わりも持ち込ませずに、自らの効力により、より良い浮遊を繰り返し、反復させるだけに頒布する事柄に示されるだけに、閉め出される関係から離れ、用いる事に攻め入る関係にセンチメンタルになるよりも、この孤独でも無い状態からエクソダスし、この観念とは、孤高であるのであり、この高貴な瞬間に広域は無く、単に狭まる自己に収まるだけの空間を自らに収め続けるだけに至る物語に自分は居るのだ。
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