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2014年10月11日土曜日

最たる己

迷惑をカバーすんのが、生きる答えやし、とふんぞりかえり、懈怠する生命を解体し、管理下に置かれては、手懐けられる不信感や、不潔感を感じながら、緩和する状態を受胎し、煩わしい答えに呼吸すらできんわ、と厭うだけに、不感症に陥りながら、侵される間からは、愛を用いる事があっても、占有占領し、収奪し、商談に至り、誰かはなにかを買わされ、価値に変わり、物的に成り下がり、自らは、価値の家畜になるんやね、と否定的なんも受け入れんと、要所要所に、締め付ける物資的な猶予に重きを置くから、苦悩に至るんですよ、と仏教的なブッキングを繰り返し、三大欲求をかき消しなされ、と暴威は促し、霞む欲から、一切はもまれ、霞む意思から、一切の意欲は消え去らず、無から何事も転じて行ったんやから、一切は収まらず横溢し、敷衍しては、収斂し、漏れては、モラルを持たん、と突き放して行くんやし、あんまり重く考えん、と物事は平坦で、思えば重みは増すばかりけり、とけったいな問答なんかを尻目に、なにかを変える、とは所詮は暴力的なもんに陥るもんです、と一貫した苦しみは悶絶しながら、統合を重ねたがるし、そんなかの裏切りなんかが、慎ましやかな理論を成熟もさせんと、だれかから、何かを奪おう、とするから悲しみばかりが増幅するんがキャピタリズムたる冷たさたる由縁であるし、もともとの優しさも捨てさるんが、経済的成長などであるからこそ、このドメスティックに止めど無くとどめを刺すみたいな遣り口で弊害ばかりを生み出す場面に最低限の至福なんかを促すコマーシャリズムみたいなもんに騙される訳にもいかんし、絶えず襲う恒常的な射幸心みたいなもんが、空間的遺恨を生み出し、絶えず戦争に陥り、誰かがなにかを奪うだけの欠如に至らせんのが、この世界たる言い訳を含んだ社会たる名称に過ぎへん。

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