2014年10月6日月曜日
アナーキーな身体
人間はもっと鈍感で良いのだ、と自然は静寂を持ってして、伝える。動くものは、すぐさま欠如を孕ませ、その欠けた部分を埋めよう、と侮蔑し、さまよい憤怒する。たちまちは、争いを含んだ戦争状態に至り、内紛や、内戦が激化し、無気力化した政府がアナーキーを叫び、自らを蔑み、用済みに至らせる用途に反乱を繰り返し、反旗を翻し、謀反に至る結実さにだけ、世界は、人間と結ばれるような、原初状態から生み出された暴力的な支配の気配に服従し、誰かの権利に牽引され、持たされたに過ぎない満たない力を、権力と呼び、勘違いに至らせ、価値観を屠るだけに至らせる。その目的に利用される事だけを、あたかも生きているかのように示させられ、自らを自らが、締め出す。その疎外を受け取るマルクスは、平等を打ちたて、あるいは、自らが、平等たる名称的なウィルスに感染し、治らない病気に咳き込む気配から、自由とは、憶測に過ぎず、断罪したとて、自らが、自らの罪をかぶさり、他者たる自我を受け入れ、信仰に傾倒して行くだけに、自体は転倒する、そのもの自体を拭い去るべく、自らにかかずらうだけに縫い付けられる規律にあられもない姿を倒錯させては、錯綜する脳内の恋路が、ノイズに変わり、互いを傷つけるべく装置化し、機械的な人間に至らせるだけの欠如に至る。その距離は、願いを孕んだだけに満たない気持ちに自らの汚穢を投げ込み、自らの穢れで、延々と汚されて行き、射幸心を煽られる人間などは、欲動するだけに孕む欲を自ら貪るカニバリズムに陥り、同種嫌悪に陥り、満ち足りない欲そのものを、食し続ける獣と化する。意識する痛みは、永遠に取り払えず、自らが痛みに満たされるだけの理由に自らを濾過し、自らから、逸脱して行く。存在とは、痛みの過程に消え去り、自らは、単なる痛みの部位だけ、と化する。そこから生まれる不安感が自らを占領しては、自らの地平や平衡を無くして、対立する部位と存在は、めくるめく闘争に陥る。患う傷痕は、痕跡を携え、単なる痛みを培養させ、要する痛みに自らを食い込ませ、抑止され、抑圧感を抱え揺動するだけに浸透する痛みが透徹し、何にも反さぬ痛みに自らが麻痺して行く。目に見える均等さは微量ながら動き、数々の試練を背負い躍動し続ける。画期的な自由化が、文化を滅ぼす、とホロコーストする保守的な圧力が、人間そのものを破壊する。介する理解に磔にされ、人間は、最もな退廃を出迎え、排撃される。
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