2014年10月15日水曜日
交互する永遠と癒えるまでの距離
扮装し続ける人間達が雰囲気に血を織り交ぜては、屈折した感情を環境的に愚弄していき、課せる思いに代理母的な母体に高利貸ししていく慣性の法則的に乖離していくコスモから、曖昧なマインドに長じる不幸から、愚行に至るまでの依存心から背離していくのが、私であるし、理解を介した辺りから悔悟が生まれ、断続的に鈍磨な関連性に、懐疑的な乖離性が生まれ、誘導尋問されるだけに、有効利用されるだけの関係性の井蛙者たちが、うるさく帯同し、軋轢する風景に既視感を携え、その横溢する同じ状態をおざなりにしながら、日増しに増え続ける憤懣を瀰漫させ、あらゆる遮断を撥ね除けるべき是非を持たず、是認され、認可される事柄だけに狡猾さを含ませ、硬化していく主体に不具合を携えながら、精錬されずに、敷衍されるだけの執行を他者に背負わせ、自分は楽をするような主体から離れ、この快活な世界をよじ登り踏破する者だけが、人間から抜け出て、認可される前に屈託無く笑う自らを昇華させ、かかずらう境地に配備される愛を受け取り、逍遙し続け、何かを護る為とは、何かを摩耗させ、疲弊させるだけに満たない気持ちを生み出す空疎な空想や、糞しか生み出さない。或いは、生む、と言う事すら厭になるような圧迫を生み出し、無理強いに抑止に至らせるような軋轢を生み出し、憎悪を捻出させ、戦争に至らせる構造に陥る欠陥品たる生産性を凄惨に出迎えるだけの価値などの家畜にならずに、この一歩は、いっぱしのシンパシーから外れる。途端にプラトニックに正義は惰性に外れ、帰宅する原理を持たずに、モラルがなんだ、と促すだけに加工される品位に人為的な愛国心を促し、過疎化する真実に契合されるだけの契約を時代に孕ませていく。或いは用いる事実を利口に伝えれば、変わる真実しか無く、散々な現状を枯渇させるだけの経済や権力に支配されるだけのコード化の嗚咽に溺れず、超資本主義的な衆愚に収まらず、自らの愚意を公用させるだけの行為に陥らず、はためく自由の狂騒に改竄されるだけの原理に理想を歌わず、運命を起訴し続けるだけの悲運を纏わず、自らの力でだけ、物事はしっかり、と作用すべきである事実を含むのだ。
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