2014年6月5日木曜日
プログラミングされるだけの現在を唾棄する夜の日記
被害者意識をくすぐるよりも、それを導き、どこまで高尚に物事を運ぶかという事に、関する愛は、名称じみた愛に至らず、解消されるだけの愛に、配される言葉を納期する状態を持たず、この要する身心に配される愛だけが、満ちるとか、満ち足りない、と謳うよりも、このより良い状態に用いぬ形に、要する協業とは、一連すべく、連動する愛だけが加速し、加工された愛に開けず、浸される今だけに満たされず、導かれるだけに流動し、それを流れ作業にせず、答える事により、その強度を増す事を愛と呼ぶ。あるいは、愛した後に訪れる主体に集積される事柄や、言葉がことごとくに届き、咎めず、介する後に理解を含み要する事柄から、超越し、超脱しては、脱する後から配される愛に関して、備わる言葉だけが、その永遠に規則を与えず、そもそもの宇宙とは調和を求めず自由であった事に永遠を引き延ばし、その先に先を持たぬように、広がり続ける事に答えを持たず、それを愛と呼んだ辺りから、この永遠は原理を持たず、現用されるだけの価値に戦争を持ち込まず、行動に陥るよりも、自然である事を革命と呼んだのであり、要する状態に近似する自身を交互させては、交合するだけに、生まれる事が言葉に変わり、それが子と呼ばれる事が個体に付着し、それに名称を与えてから展開される事に転機を生まず、それを利用しようとし始める事に結ばれる事実に資本は生まれる、と謂い放つキャピタリズムを嫌うコミュニストみたいに、ストしながら、卒倒する状態に軋轢を与え、それを抑止すべき権力が嫌疑を放ち、プロパガンダを放ち、引き離す関係に最もなルサンチマンを生み、テロリズムに至る原理だけで拍動してきたのが、そもそもの原因たるキャピタリズムである事だけが、確かであり、経済成長がもたらした死刑台によじ登るか、実験台になり、その台の上で麻酔も打たれずに、解体される心理から生まれた精神分析が文学の中で乖離し、この理解を含まぬ間から欺瞞が生まれ、瀰漫する真実に慢心が生まれ、それが兵器に変わり、人の感情が兵器利用され、契機を用い、継起される後が刑期に変わり、この踏みしめる地に居る事が、一番の自由を失わせる事に生み出される乖離した様態が、この憎悪を想起させ、この呼応するシステムは、破綻せぬように、あたかも保たれているかのように示し、締め付ける限界資本に訪れる限界は無く、ただそこに損なうだけの底も見えずに、もがき苦しむだけに保たれる分だけが、背負わせるという意識が最もな憎悪を生み、この錯綜する現在に、最もな懐疑が生まれ、誰もが誰かを信じぬ辺りから、この状態は破壊や破滅だけに向かうからこそ、この資本の終わりを見つめ、次に進む。啜るべきは人種や人類の血にあらず、この要する状態に滞らずに、流動し、分裂する様態をあらゆる場面で繋げ媒介する愛だけが、この状態から抜け出す手立てや手助けを行い、この超越する意識は、徴候を越え、越え愛する事が何であるかを始める事だけを、始まり、と呼ぶ。
感謝、この関する出来事だけに君は肥大し続け、永遠がなんたるかを知る。変わるとは、そういう意識から変わり展開し続ける影に隠れず、拡散され、沢山を持つよりも、少なく空回り、変わりながらも辿る今に確かに繋がる。御礼。
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