2014年6月24日火曜日
答えも無く彷徨う毎日
人間は回避を求め、苦悩を長続きさせぬように、脳内に快楽を撒き散らし、つまらぬ事で苦悶する間に迫る苦しみを濾過すべく、浄化すべき心に確かな足枷をはめ込み、小さな世界の憂苦に喘ぎ、暗鬱に至るカタストロフィを迎えるべく、自らを抑圧し、圧縮した苦悩を飲み込み、自らに苦しみたるものを、自らが至らせる事により、大きな苦しみは快楽に変わり、苦しむ事を自らが誘引し、苦しみを永続させる。この未熟な憂苦に憂うよりも、この不安をハウリングさせ、苦しむ事を強固にさせるよりも、温かみを用い、世界を無造作に、無尽蔵に包む事を教える。神などは、薄情に拡散された格差を持ち込み嘯くだけに至る関連性を神の内面に持ち込み、その内部で乱反射しては、繁殖する自らを自らが崇めているだけに過ぎない。時代や時間や、誰かの終焉を着込んだ神は、誰かを模倣し続け、誰かであるべく、その何かに誘引され続ける。その誘惑は、自身を死の内外に押しやり、すべてを麻痺させる。そのカタトニーを抱えた離人する魂はやかましい外部を遮断し、接続される静寂に著しい喪失を滑らせて行く。あるいは偏り、自らのカタトニーに枯渇しては、凝固する。その受け取るべき自身が傾倒しながら、僥倖を受け入れるべく、ただ一つの他者に心を明け渡す事を、儀式化させるべく、毎日から、超脱するべきなのだ。だからこそ、この憂鬱に偏向せずに、自らを開け広げる事で、苦悩を取り払い、自らを超克すべく、苦しみ続ける事を超えた矢先は、何事をも用いず、何かを貼り付け、名前で呼ぶよりも、余分な価値は捨て去り、自分に憂慮を与えるよりも、自分から超脱し、この社会などに、世界は持ち込まずに、テーマパーク化した楽しみを放ち、孕むべき愛を確かに認識し、寝返らぬように、倒錯し続ける自らを褒め称えるべき今に絡まる意図が、あらゆる糸口を生み出し、囀る今に奇跡を生む。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿