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2014年5月17日土曜日

私とは私で有るべき為に備わる私に帰依する

理想が形やプライドを生み、その形に収まるから、吐き出されるイコールを補うだけの答えに治まる。眠らない夜を何度数えようが、明日は確かに多彩に近付く。喪失した世代は終焉を完全に迎え切ったか、あるいは、その終わりすらも見切って、大きな闇を抱え、自らの巨大な空虚さを、空っぽの身体に入れ込むような周囲にとどまる退屈を、快楽で晴らす訳でもなく、ただ無力さを保つかのように、自らの落ち度や暗闇の深みにはまるか、他者からのミニマルな足枷にはめこめられ、丸め込まれるかの諦観ばかりが、現生にひしめいている。その悲鳴にも似た、内部からの痛みや、押し広げられ、入れ込む理由すら、はめこむ意味すら見失って、ただ自らの喪失感に酔い痴れるだけに、煽られる不安や、不安定な雇用や、垂れ流しの放射線などが、撒き散らかす重みなどが、より一層に暗いムードに変わり、広がる格差や、あくせく働く意味や、終身雇用すらも、単に生きる為だけに消費される生活などに擦れることに、意味などあるのかと、君も居ないし、ただ、のんびりと過ごしたいが、如何せん、その他大勢の執心や、嫉妬はものすごいものだし、なんか、なにも幸せで無い方が、しわ寄せも無いから、より良いよりも、今で良い的な諦念が、最もなニヒリズムを生み出す。喉仏に運命詰め込み、見つけるままに叫ぶ。冷たい身体を抱え、加工品たるコアや、拡散される様態などを、大陸間で分断し、断裂された肉体を鳥瞰で眺める。その寂寞の彼方に図る出来事が浪費され、算出される後から翻される。存在などは、どこまでも存在などでは無く、収まらず食み出す辺りから満たされもせずに、存在は、存在で有る事すら失い続ける。その懈怠した歯痒さが募り、凌ぐべき意味すら、今に食い込み、存在自体は、存在から離れ、行き渡りし歪を旋回し、自らに帰依し、分散して行く。臨床試験は進む。懺悔と残骸と分離が進む。肉薄し、苦悩を遮るよりも、超越し、越権する辺りから、私は、私から類別されずに、離別し、派閥や組織から抜け出す個人の強固さが、主義や思想を超える私たち望む意味すらいらない。年老いているからといっても、信じるべきではない。彼らは、何も変えられずに、こんな理想の国を作り上げ、朽ち果てた。そこには、浪費された疲れた身体に、卑しさが染み付き、住み着いているだけに過ぎない。襞に行き渡る世界が、まろやかに、和やかに染み込む。恰も、正しいとされている事を怪しむ。どうやって否定を乗り越え、自らの帰路を見出すかが、問題であり、短絡的な否定で思考停止したり、苛立つ事を乗り越え、自らに帰する。嬲られる衝動や、鈍色に傾く空が、月夜を出迎え、暗澹とした感情にデメリットばかりを授ける。ただ私たちに言えるのは、結う事により、より深まる傷を近付け、縫合するのだ。より深く、より曖昧に、だ。

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