2014年5月13日火曜日
紆余曲折する凄然
なにが退廃を生むのかを、深く洞察する。それは、自らの影なのか? はたまた、既存の価値が促す、既得権益に塗れた組織的偶像を促す即席の答えであるのか? あるいは、搾取を謳う童謡的なコミュニストが生み出す革命家が織りなす、端的なホロコーストや、無知な政策が描く、馬鹿げたシナリオか? あらゆる資本家が零す欺瞞や疑念が生み出す、怠慢な産業なのか、単に、自らの怠惰が膠着状態を生み出し、時間軸にとどまり、自らを責めるだけに時間を費やし、誰彼構わず扇動され、身動きも取れずに陥るニヒリズムで朽ち果てるのか? このからくりは、どこから、どこまでが正解なのか? あらゆる答えは枯渇し、その場で飢渇するだけに過ぎないのか? その程なくやり過ごす合間に、相対する世界は対象を生み出し、写実性に纏まる。求め合う意識間を漂う、愛と革命の最中にロジックを落とす。遮る由縁を屠りながら、実体は、互い違いに交錯し、同じ月日に罪を重ね、今に一体感を求め、寂寞に疎外される。未熟な実体は、ミニマルな思春期の経路や、厭うだけの社会性を基礎に、人間性を失い、行動的な機械化になり、人間性とは、代償を支払うだけに分離する世界の端々に結ばれながら、自身の内外から、歯がゆく離れる。存在とは、永遠に収まらぬ悲しみであるとペシミストが語る原理的な指針が促す信仰がしわ寄せする未来に悲劇が組み込まれ、あらゆる悲劇を内心に断続させる。不感症な情報に淘汰され、この人間の内側は腫れぼったい脂質や、皮質などに変わり、人間的な囲いを作り上げる。その壁は画期的な防御壁にはならず、単に自らを囲い、蹲り、世界から掛け離れるだけに過ぎない。堅持する現実や、けしかける今などの仕掛けを愛しながら、纏まる先々に躓きながら、負担すべき税も無く、蓄える資産や資本は、誰にでも備わるものだ。端的に言えば、ものとは、形ある素材に粗雑な価値をあてこすったたけに過ぎない時間軸を織り込み色目を使うのが、この世界のマシーン的な細動である為に離間に吐き出される打算を終える辺りから、静謐な流動性や、流行色などを飛び越える。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿