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2014年4月8日火曜日

誰も居なくなって誰も見なくなる事から始まる夜の日記

隆起するシンドロームに狡猾なサバイバルを組み込んで、自らにアニミズムを編み込むような宗教的な故郷に神を措置する以前に動向に道徳を打ち込む以前の判断の弾丸が飛び交う最終戦争のネオン街の家畜化しない戦士達に訪れる戦域に交互する一生涯にふやける事に恐れをいなし、居ない事柄に感染するだけの短絡的な莫迦どもや、獣どもから離れ、闘う為だけに執り行う占領を繰り返すだけの権力を一度、こちらに取り戻すよりも、解き放ち、力を錯綜させ、破壊するよりも、創造的に使われるフォースに光り輝き、この淘汰されない一生に不羈な自己を羽ばたかせ、課せる意味よりも、画期的な理由に補食されながら、取り戻すべき今に食い込む自体にリミッター解錠した今に真理が宿るよりも、真偽を重ね、批判的に乗り越える印象に心象が統合されずに、錯綜し続け分裂的に自己を消費する事こそが、本当のキャピタリズムと言え、誰かを陥れるよりも、突き上げ超克し、昇華に至らせるべく幸せなどを求めず、幸せ事態を乗り越えるのだ!! ただあふれる事柄に氾濫しながら、判然と示され誘引される意味に誇張されずに、構築される現在をよじ登り、合否に至るより、認否を終えては、訂正されずに、認識され、構造に反し、反する辺りに、自己すらも消え去り、超協調に至る。超協調とは、融和し、総和しながら、真相に捌ける理由を思う以前に思惟する自己に充溢する自分を自由に切り取り繋げ、遊戯しながら、偽善的な認証を終えるだけの善悪を無知的に飛び越え、あらゆる軋轢に反し、敵意を喪失させ、措置される以前に諦観しない自己を紅潮に向かわせる夜を寄せ集め、肥大化する理由を小出しにするよりも、要因に誘引され、余韻に犇めき因果に蕩けながら、下す理由を超克し、動機に至るよりも錯綜する今に生息地を求めず、この世紀に浸り、粗造な現在を軽快に飛び越え、憶えも無く等位にひっさかれるだけに悲観視する事柄から抜け出し、この永遠に錯綜する夜に正否を持たずに、君がおざなりに誘い梳かす夜に貧する余韻などに乗り、ひたすらにパドリングし、離散する風景に資産や、用いる是非も、投函されるだけの愚生に欲望をまさぐるだけの貪婪さに停泊するよりも、留まる事も知らずに、陋巷な街並みを飛び越え、杜撰な心象に捌けるだけの世界に投影される今すらも錯綜させ、力を用いるべきは、この自身に備わるだけの横溢し、留まらぬままに旋回する今に裂けるだけに訪れる行為に比さない行為に続く意味だけが自分を押す。 感謝、欣然に迫る余韻に与えられる価値に浸るよりも、この誘い誘引するだけの硬質なイメージに猛る自己に言葉も無く迫る世界に使い尽くす力だけが、静かに備わる。御礼。

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