2014年4月30日水曜日
微笑みと抱擁と縫合
発見されただけの世界に今朝が上り下りし、自らの落ち度を認める辺りから君は産まれたままの有する形から掻き乱され、邂逅する以前から、浸食し、制限無く捉える今からはじまりまして、と況してや最後通告を受ける辺りから、嵩張る時を有する投棄にかかわり、投じられる後から代わる代わる偶像の偶感に迫る時折の幻覚や、心音や、最たる意味と君の結ばれる帰路と、投影される事情に創設される事柄が央軌するビルや、感染する状態に実勢を残すような有形の横溢や、愁然とした瞬間から離れる安心感などが、君を雇用する事で、終わりなき今に肥大化する悠遠さを吐き出し、悠久の時からはみ出し、捉える矢先に途絶えぬように、要する気持ちを胎内に隠し、我は何を産むのか、と寂寞に携える感応する自身に、加担させる意味すらも無ければ、関係性に形成されるカインとアベルの簡易の愛憎を締め付けるような母性や、枯渇や、窮理に増幅する憎悪がルサンチマンを育て形成する事が母胎の中で人間の形を生み出すものだね、と物語に損なう原理によそよそしい思惟や、安易な構造に家畜化する人込みや、誘導されるままに引き摺られ偏らず、並べられるままに、選ぶ事も知らずに、選ばされ、屠殺されるか、太らされ、いつか食われるかの差異に訪れる意味は、どっちも鋭利な死を出迎え、営利目的な死を起因に、全てを曇らせる欠如に奮え、増える憎悪だけが、代償を求め、下す結論に草臥れているに過ぎない私議を繰り返し頒布させる辺りから貧相な価値は鍵を失う冷酷さに国土や、光景や、履歴が消耗され、証跡を辿る以前に消え去る足跡と共に肥大する苦悩に転じる悠遠さに、拗れる自己は末梢され続ける事で震える梢に編み込まれる景色などに、措置される愛に省かれ、本質に帰依する私は世界を取り戻すよりも、虜になる君の善政に加担し、推考する辺りから産まれる崇高さに住まいを移し、運命が儚く散りばめられる辺りから精錬される余韻に掻き乱されぬように、兌換される辺りから、私は整容される月日に出戻るよりも、出来合いの真実に埋まるよりも、この要因に蔓延る安易な出来事を超克し、凄絶な時を越え、或いは時すら持たぬように、飛び交う羽虫のような短命さを抱えながら、端的な悠遠さ、と歩きながら、途端に蔓延る愛に綺麗な起源を用いるよりも、この記念を飛び越える辺りから、私たちは超越し、確かなものは物質に無く、端的な価値を用い、生きるよりも、浩然と進み、淡々と愛する矢先から、誘われる確かさだけに、謀るように自然である。
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