2014年4月20日日曜日
むかつく胃の底をくすぐるような夜の日記
治療する感覚が、自分の内外に広がり、確かな分析を、心身の外延へ、と引き伸ばし、世界へ、と従属しては、唱える矢先の切片に向けての自らが浮腫み、氾濫する行間へ、と弾けて消えては、時系列に凝固し、締結しては、僥倖や、曙光に包まれ、端的な世紀を隔てずに、平均的をあたかも生み出したようなアカデミズムを打ち倒し、服従させるだけの無気力さを生み出す普遍性こそを打ち倒し、世界こそを、踏み台にするのが、我々、数人の超人の役目である。擦り付ける罪も、何時かに極まりほどけて溶けるし、間接的に入り交じる、感極まる状態に仮説を促すだけの内容的雇用をくり替えし、内心に配信される背徳などを誇張しながら、ディスカッションされる意味が庇い合う理解を協調する頃には、この動向に陥るだけの穴だけが生まれる。
瞬間とは、言葉も持たずに結ぼれ消え去る。ただ、誰も悪くない所から、悪さは、あふれて来る。すごい執着でもって笑い出す世界に、視界的な本質は無く、見つめる目線も、確かめる以前に、確かな表面すら見えていない。
惰性な制度や、改竄するだけの関係を切り開き、網羅すべき時代からの迫害や、追求を受け、ただひたすらに開く、とは浸すでは無く、位置付ける前に、開き切る今を対処し、永遠を掴むように行き交う。
鳥の声や虫の音、工事の音などが、刹那に極まり、何かを強調する。血で汚された書物の上を歩いて、エンディングを待つような軌跡の最中を舞う。行為とは、そもそも自由であり、自らの純粋さに、自らが帰属し、どこにも隷属させるべきでは、無い。単に、拝金主義的な奴隷が騙す為だけに繰り返す莫迦な事柄が現在を闊歩する事たけが、現代を横領し続ける。資本主義=不安なのであるタナトスがひきずる手紙を、引きちぎる。
この締結されては、漁り購う瞬間に拗れるだけの意図が引き潮で引っ張られ、思われる矢先を失い、統制されるだけの掃き溜めに戻り、派生を生み出すだけの結実に顕示するだけの欠如を加え、自己の内外から引き離され、馴れ合うだけの場面に罵声を重ねる事をクリックするだけの画面に心象を映し、あたかもそこに自分が備わっているかのように示すバーチャルな関係から抜け出し、この身体を加速させる痛みを共通させる事だけが、生きている、と示すかのように指し示す辺りから、使命は生まれ、世紀に隔てられず、時間を思わず、このおざなりな主観から離れ、内積される事実の苦悩を超克すべき全容の絶望を背負うよりも、昇華させ、堅実な意味よりも、生き心地よりも、感じ方でも無く、過多な状態に陥るだけの権利を主張しない辺りから、私は、私で有る事を以上に有する思いを交錯させ、等差を持たずに、この牽引されなからこそ、輝く身体を発散させる。
感謝、正否を突き抜け、自身が自分で無い所から、主張される出来事に力を持たせぬ。御礼。
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