2014年3月23日日曜日
くまなく入り浸る時に這い出る君
互い違いに入り交じり離叛する半径に生じる理論に理想はことごとくを打ち砕き唾棄しながら、整えるよりも、壊れたままで、どこまでも自分を引き摺り飛び越える方が強度を保ち、ほとんどに解れる出来事に介するよりも、この強度を鍛える事で息絶えた後でも続く意味を綴り続ける力への流浪を施し、ほとんどに解れた後にも先にも、この私以外に欲しがる私は存在せず、この融資すべき肉体に蔓延る意味だけが硬質な理由に変わり、自分の筋肉に変わるように、知恵を貼り付けにすべき脳の表面に注がれる物質的な猶予を現在に捧げる余韻に与えるだけの物質に変わるような愛に曖昧なマインドを捧げるよりも、この鍛え続けるだけに構造を超越し、逸脱し、超脱する先に世界を持つ理由すら必要も無くなる矢先に凌ぐ思いこそが、この思いを思う以前に損ない、生じる理由から消え去る状況に真理を打ち出す前に統合される以前をデザインするように示すから、この人間とは、離れるべき理由だけに存在を求めるだけに迷い不安に至るなら、そこから超出される自己を組み込む前に、この世界とは決別し、万物流転から離れ、怪物的自己たるニヒルズムやルサンチマンを打ち倒し、世界性に訪れる報復のムードから離れ、この固執せず、執着の一切無い私に涅槃すら存在しなく、果たす意味や晴らす意味すらも持たず、満足や幸福なども無く、この克服すべき虚無に訪れる空腹感を埋める理由すらも要らず、単に脳内を循環させるべき物質だけが登記すべき理由を綴り続ける海馬の中でリバイバルされる物事が復興すべきだ、と妨げる物事を持つなと仏教は謂うが、持つよりも、持つ、と思う以前に始まる宇宙から現れた私は一切の物質であり、一切の物事を含んだエゴイズムを讃えるべきだ、と歪曲した感情が叱咤激励する、そのエゴイズムを取り除き、共存よりも、融合よりも、このことごとくに備わる我を讃える緯線に踏み込む理由に斡旋される物事のハーモニーを聞き、派生する物事に食い込む自己を切り取り、記録になる前に栄華を行き交い、閑散と生じる物事の因子に触れ揺れ動き、行為に長じる以前に初々しく入り交じる物語に複製される孤独な自我に妨げるまでのモラルを律動に変え、良俗な風景などに、一切の良俗さなどは運ばれず、単に抑制するだけの欲に含まれる抑圧が、最もな軋轢を運び、曖昧な成因に生じる行為を牛耳り、擯斥されるだけの物事に統制を求めるだけの権力が最もな支配を進め統治するだけに至るだけの物事が生まれるだけに廃れる社会に現代などは存在せず、単に歩いた軌跡を踏み躙るだけの関連性に連動する主体に集積されることごとくを生じるだけに摩擦することごとくに己が擦れるだけに過ぎない軋轢こそが、最もな頽廃を生むのだ。
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