2014年3月26日水曜日
還元されぬ夜を資本に思考をのっとる日記
踏み締め生きて、噛み締める懈怠した世界に簡易な私情を巻き込みながら、妄な感情に至り、排斥される時を発散し、仰ぐシーンに断続する結末に犇きながら、嵩張る月日に離れ合う。抱き合った後の温もりや形が世界に染み込む。応用する意味を真理に組み込み、来たす今に発散され、徒然と続く意味に来たすイメージが錯綜し、世界を断続させては、淡麗な時に加速し、星の周囲を巡り、終末論や、超新星爆発の破片や残り香が、瓦解した感情の外傷を労わり、蔓延る悪意や、結膜炎の眼球背負い、迫真の意味を零す、断続的な支配下に置かれ、当てこする事故を含ませながら、まがい物の地平線を歩き、浸す意味と遊び、君と未来が近接し、あてがう希望にさりげない動機を健気に押し付けながらも、転用する意志に踏み込むだけに堕落しない主体が加算され、人物像を映し出し、活気ある現在に流動し、弄る未来に関係し、飢渇しない今に騒ぎ出す君と未来は凄い速度で間接し、吹き付ける痛みを遮る懐かしさに触れる君は、最たる意味を掴めずに苦しみ、直向きに切実に世界と向き合う。どこから読んでも、何かに繋がるように示す。理はどこにでも繋がり、伝わる今に繁殖して行く問題は、夜に読み解くべきではない。何かを誇張する事に世界は備わらないし、そんなの損得を含んだ虚偽にしか過ぎない。状況とは、ゆっくり読み解かれるべきなのだし、私は私を探した途端に不安で錯綜し、探す私は見当たらないし、真新しいだけを凌ぐ行く末などに、希望すら生まれず、暗鬱に過ぎ去る過去に収納され、自らが出れなく差し向けるだけに留まる。莫迦みたいに吹き溜まりに固まり、凝固する大愚を抱え屯する連中が抱える欲望の焼夷弾が降り注ぐ原野で思考を凝らし、創造に至るのが、哲学である。或いは、限度を持たず限界に至らず善悪を超越し、図るものを持たぬのが、自己である。生き方を捉え感じる真理に至るべく、めくるめく時を流浪し、孤独に訪れる寂寞を知り、儚さに散る。その意味は続々と膨れ上がり、至る意味に来たすより、去り行くままに帰属し、果たすままに離れ合う事が、互いの均衡を保ちながら、カオスに至る清々しさを示唆に消え入る経路に、物事の回路はストーリーを循環し、絶えず自らに軋み、蝕み拒むのだ。
感謝、単に迫る意味を翻し、淡々と迫る今を飛び越え、あらゆる次元を介さず、対話する現在に超越すべき理由だけがあふれる。御礼。
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