2014年3月7日金曜日
偽善的な時代を超越する夜の日記
人は何ら私に関連しない、と歌うブランコがぎーぎー唸る。絶えず頷く価値や物資や時間を持たぬために、なるべく情報とは、距離を置く事に位置を用いるから、自らの差異に絡まる幼い頃の彼女は、幼いままの様相を保ち、全貌に自らを隠し、拡散して行く。脆弱化した体制は、全体像を混濁させる閉塞感を重ねる事を資本として社会に帰納すべき既得権が永劫を謳う頃の権力が、今頃になってこの身を締め付ける。担うべきはアニマにも作用にも無く、短絡的に粉々になったシスターやブラザーたちは、宙ぶらりんに位置付けられるだけの学歴社会的な権威を見にまとい、堕落した資本主義の中で落胆する未来を恰も取り除くかのように苛烈に加熱するセレブリティや、見せ付けるだけのエンブレムを至る所にぶら下げ、恰も示され供給されるだけの狂気に至る境域に犇き、至る意味に蔓延るニヒリズム跳ね返す為だけに、買わされる出来事と対話する以前に全容に乗っ取られる価値に憑依する限界は、還元され無い、と原理の中の秘密警察がカタルシスに捕物をお送りするような、内心のパーティーの彼方でリリカルなパーツを付けるだけに騒ぐだけの売り言葉が交錯し、落伍者になる手前の依存者や病理が跋扈する世界に与えられる比率などは、名前の中をなぞるだけに過ぎない意味を統治し、理論に弛緩する厳寒が迫る世界に重なるトリックに騙されるだけに離反しない半径に迫る狭い価値に入り浸る事が指針を失う思春期と呼ばれるだけに浸り、おざなりに会話するだけの底辺の会話だ、と蔑む事こそが、姑息な糞であるし、その基礎にはまるだけの枠組みの中のぬかるみにはまり、恰もすべてを統治するだけの出来事に加担し、協調する為だけに従うから、ファシズムの犬や独裁者の宦官として使われるだけの無気力ウイルスにより、隷属し続ける軋轢が革命や改革にも至らないようなマルクスの絶望を捉え、経済に資本を借り続けるアイデンティティが無くなりそうです、と現代社会で迷子のままだし、孤児や窮理に迫る理屈は日銭を求め荒蕪する精神を慰める事では、何も変わらないし、あらゆる新しいものばかりを求めるニヒリズムに食い殺され、飼い殺しのままのルサンチマンが終末論を叫ぶ頃には、世界などは、終わっているし、終わった人間の仲間入りになるだけに巨大化する憎悪たる大国の一部に組み込まれるだけであるし、この退屈さ、と窮屈さ、と空虚さに気付いているはずなのに、従うままで居る意味に快感を覚えるようなマゾヒズムに浸るより、我ら同じ時代に生まれた同志は、至極を目指し、窮境の中でこそ、究極を目指し、世界を押し広げ、休まず続ける事だけが革命に至るのだ!! 因果応報などは、どうでも良いし、どうにでもなるし、何も動じない。或いは、我は凭れず、頼りない翅で七色に輝く曙光を飛び越え、遥か宇宙が弾け、恥ずかしがるように乖離した世界に至る名称を超越し、何度も自らに反復する事だけが、主義思想を飛び越え、何が何であるか以前に、私は、私で有ることを喜び、偶像や、幻想を蹴散らし、現実以前に至る自分を蹴り上げ、自らを超え出る限りに私は私のままではあらず、私は私では、無いのだ。
感謝、要する意味に病むより、この闇に輝く一縷の望み的な君に適任すべき愛は、引き出しの奥で拡散され、確かな場面に意味を吐き出していく。御礼。
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