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2014年2月12日水曜日

テクノロジーを打ち砕く夜の日記

既存の事以上の事を考えない限り、考えた事にはならない。遡及される感情は、先々で染み渡り、あらゆる理論を超え、理想を紡ぎ、永遠にだけ、基礎を与える。物とは、単に売れれば良く、売れる事が単なる価値に変わるだけに過ぎない変化を止め、その場で硬直する。考えを自らの内外に圧縮した後に排斥されるのが世界である、と宣言する自らの殻の中で傍観する世界が、恰も世界と名称され、位置付けられる事に疑問を持つ事が考えであるし、やがてこの身体もカチカチに硬直し、合致しないままに分離し、這い出る矢先に雲隠れする。影は一律に分離し、あらゆる分岐点に違う自分を他者として置き換え、至る意味から離れていく。ある一つの出会いや別れが倒錯し、ある一つの日々に、あらゆる起源を植え付け、ある一つの物語に芽生える軌跡が乱立し、ある一つの新しい季節が意味に重なり、心身を労わり、健やかに軽やかに行き交うのが、生きる、と定めるべき定位置に生きる事を置かない事に終わりや始まりを持たない生き方から、へのエクソダスである。あるいは、搬出され、滞る精神の聖域たる超自我に映し出されるハーモニーが反響し、その波及を受け取る自らの反響が受け取る事に自我が備わる事に打ち出されることごとくから脱け出す事に重きを置き、自らを超え続ける事だけが行為と呼ばれる辺りに自らは存在しない事に赴き続け、消えゆく。売るために誤り、売るたびに殺めるのが、キャピタリズムである。そのサイクルに消費されるに回帰は訪れない。もっと世界を知るためには、世界から離れなければ行けない。世界から離れるために、存在や実体は要らず、如実に示される事を受け入れる。それは、遠くに自らを持たず、受け入れる自己に備わる過去に引き摺られ無い事により、新しくもない自分が内外に溢れ、共通する意味に点と線を結び、末広がる今に協調して行く事である。俗世化しない真理こそが、森羅万象を流転させる。思い描く境地はここにあり、永遠は、そこかしこにあり、私の声だけが統合する世界こそが、私であら続けて行き、私の熱量は、私に帰し、私が如実に示されるためにだけに自らの世界は強固になる。環境や場所を思うから、存在が生まれ、迷いが生じる。 感謝、訪れる夜との何度目の邂逅を経ては、配備される意味を悟るよりも、越える事に喜び無知売るよりも、這いずるままに、辿り着いた今に訪れる今を食し続ける。御礼。

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