2014年2月9日日曜日
完全性を纏う夜の日記
防犯意識を広範囲に与える。保つ因果に犇めく理由が交差し、蔓延る今が悪意に変わる前に立場は無くなり、空洞化する思念に企みが生まれる以前に愛が放たれる。誰にも権力は与えずに、自然な状態に信じ尽くす事が出来れば、恒久的な支配は終わるだろう。要する価値に弄する者がいなくなれば、痛みも無くなり、何の恨みすら無くなるだろう。要するに、価値は擁護されぬあたりに囁き排出され、愛する事も失い、彷徨うことごとくが、緊急に結ばれ、消失することで、互いに争う事を辞める。近代資本主義が織り成す、恐怖と支配のプロセスから抜け出すべく、超人化し、至る意味から逸脱する覇者であり、分裂的であり、力に意志を加え、生きる意味だけに帰任し、それに生かされ、ていると支払い続ける義務化に、何の正しさも誤りも持たない事が、一番の問題である。革命家は、資本家を打ち砕くべく、自らの意志を力に転じ、多種多様な事柄や物事、人々から力を搾取し、その力をリビドーに扇動し、暴力的に至らせる事は、革命の中に収まり、革命を超越など、しない。その革命の内外に晴らされる力の均衡を保たぬ限り、価値は歪んだものになり、あらゆるシナリオは、捻じ曲がったまま、歪んだ歴史を思考に植え付ける。後にも先にも神は一人であったし、後にも先にも神は存在など、しなかった。ただ、成し遂げた後の痛みに悶え、欲情する本能が、止まらぬ意思を吐き出し、誇大妄想に至り、猜疑心に苦しみ、他人を蔑みだした辺りに備わる普遍性などに、苦しむ。所詮ひとは、狂気を自らの境域に拡散し、互いの境界の平衡などを保とう、などと求めるから苦しむ事に至る結論に滞るニヒリズムこそが、宗教そのものたる由縁を放つ汚穢であるグローバリズムが叫ぶ卑猥さや、卑賤さが、その宗教に与えられた倫理を貪り吐き出し、互いに卑下し続ける。あらゆる悲劇や生死は隣に寄り添い、蹲り、嬉々として自らの自己の深淵で静まる自らを傍観する。あらゆる刺激は内外で乱反射し、絶えず自分を照らし、事象に絶えず、自らが帰納して行く。その納期に課せる税が、現在に圧力を与える。育ってきたものを刈り取り切る者は、育ってきたことを見ずに近くの痛みを遮るべく、無残に切り取る。その意識が、削除し、排除するシステムを作り上げ、絶えず忍び寄る死は、その場で横たわる。ただ、大地のいたわり感じ温もる。アミノ酸と融合し、全ての遺伝子が弾ける深度五万メートルの思想が如実に浮かび上がる。別け隔てる事を始める前に開ける。確かな世界を見越して、あらゆる成因に繋がる因子に関する災いだけをは排除する。偶像崇拝が時を経て、確かな信仰に変わり史跡に組み込まれた概念が、外観に圧力を加え、無意味に意味を授け、対象に、神と名付けた。
感謝、こんな所で、終わる位なら、初めからやりもせず、流行もしない。御礼。
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