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2013年12月5日木曜日

誠実な奇跡を謳う夜通し伝わる神秘を伝える夜の日記

どこで、どう、何を読み取り、取り逃がしながら、何を古いと認識し、自らの意志や知識に篩をかけるのか? 願う限りに叶わぬ意識が対立し、具体性も持たぬままに、持たされる答えの枠内に収まる問題などに統治され、 その管理下や管轄や組織の柵や、枠組みの中で備わる意味などに、何を求め、何を受け取り、吐き出すのか? はたまた資本のマテリアルや傀儡に変わり、今みたものや、認識したものを、本質や真実だ、と背負わされ、 着させられることに、何の意味があるのか、と資本から脱したニヒリズムを超えるべく、超絶と行き、 超人に移行すべく知恵を超えて、与えられない難題に挑み続ける。与えられる紙片上の問題などは、 官僚機械に収まる、協調的な、あまりに協調的な人間を作り、成さない意味に国家を、なすりつけられることに 過ぎない。ただ物事は、簡潔に簡単に言い尽くせないから、確かな考察や、試行錯誤を繰り返し、思考し続け、 追考し、あらゆる角度から答えを集約し紡ぎ、一つになっては、分散し、振動する。正義とは脅迫めいた、 権力を振るいながら、表し得る状態すべてを抑圧し、支配し、従えさせる。それに於かれる問題に遠退く善悪は、 一切の答えも持たずに屈従し、モラルもなく、従いざる負えないことの、従うに正義は一切無いに 等しい、との等しい、という曖昧さを抜き取り、何も、正しくはないのだ、と言い切る値に価値は無い。 自由に対し、権利を主張し、権威や権力を牽引し、行使することに正しさは無い。 マルクスを清算し、ニーチェというシンボルを神格化する前の、絶対的無神論に至り、基督や仏陀が 人間であった時を利用した人間を超越し、超人化するために、一切の資産や価値や概念を用いず、持たず、 持ち込ませず、立場に現れる神や、二律背反する答えに行動や行為を持たず、短絡的な答えを求めず、 必然に行き交う静寂に正常異常を用いない。そこで動かぬ出来事に何の真実味も無い。単に思わされ、 背負わされていることには、とことん疑問に思う。誰に何と思われ、何を謂れようが、私は私であるし、 私は私には存在させず、せいぜい囲われる間や合間にも自らを配置し、はたまた置き換え問題や答えに 従事せず、私は私に従属し、確かに行き交い、食い破られた臓腑から溢れるメタファーが陥落せずに、 群像を形而上的に読み解き、アスファルトがきらめく瞬間や、残念そうに俯く君が混み合う不安の深淵に 羅針盤を設置し、大いなる道標に変わるべく、行き交う。 感謝、行き交う意志は抵抗を続け、交わるよりも、纏まるよりも、自らで蠢く。御礼。

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