2013年10月9日水曜日
長じる運命と主体
深く積もる世界は静寂だけを伝え、聯想する試練や対面する自身の身心のたいまつの灯りを支えに、
孤独に打ちのめされず、単に自身を知るべく孤独に癒やされる。
整地される世界が理論を潜り抜け、制限内に収まらぬ自身を開け、数々の慢心を削ぎ、
永劫を携え、淡々と進む今の淡い記憶などに引き摺られず、多目的な現用に蔓延る事実を排除し、
排斥される草臥れた自分を疎外しながら、社会性などに現実は宿らず、現状に配備されるだけの
退屈ばかりを貪る快楽を喰い散らかすだけに、蔓延る意識を配備するだけの打算するだけの、
断続的な世界から離れ、内心に注がれる感情の泉に落ちる一滴に身体を促し、器官を循環し、
世界の樹幹に入れ込む正しい身体を仮想しながら、それをサクリファイスにしたがり、従える本能は、
バビロンに従い、排斥されるだけの心象を資本に促し、自身に満足を与えるだけの満足を貪欲に、
貪婪に貪るだけの餓鬼たる自己が画期的な理想を失い、利息ばかりを支払うから、喜劇的に生きず、
悲劇的に生きて、遺棄されるだけの世界の一部に収まり、解けぬままに、そこに施される。
先は未だ未だ長い、と言われる 「先」 とは誰も立ち入っておらず、誰も見てもいない。
その言葉に内服される名前や便宜上な台詞を聞くために自身の政府の外交を繰り返し、
間接的に受けとる資本や税で贅の限りを尽くし、短絡的な不安で不安定な精神を抱え、
その精神を操作すべく精神論で扇動し、其処に恰も正道が在るかのように示され、
有識し、そこに実存がある、と唱える全貌に秤をかけるだけに欠けていく感情の月に訪れる
何時かの満月も、時間に重なる円で終わり、退屈さから立ち退きし、瞬く間に屈折する自己の円環を
光速を越えて、バビロンからの拘束をふりほどき、永遠に迸る自己から充溢する出来事が収斂し、
静定する事態の困窮から離別する精神が、正式な肉体を捨て、朽ち果てるだけのエゴに縁談を即し、
物事との、融合を測り、このどこから秩序や培う規律が溢れる。
惰性な補正は行わず、私は私のままであるし、ありのままのが良いでは無いか、と容易に暗示し、
呈する意味に凭れ、その空虚な意図を掴み、飢えを凌ぐために四の五の尽きるよりも、
この尽きる侭に生い茂る意味を択一し、退屈を貪り喰い散らかすよりも、
朽ち果てる侭の自分をもう一度立ち上がらせ、遙かなるお膳立てを加え、永劫に悟らず、
蔓延る意志を乗り越え続ける意志で、朽ち果てる御身や、そのままの角度に果てる要因を蹴散らし、
細動する意志に意味を与え、主体を輝かせる。
褪せるままに這いずるし、偶像を飛び越え立件する意志に反さず、頽廃せずに関する意味に超脱し、
脱する意味そのものに関し、開削される遠因から離れ、自身に帰依する。
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