2013年10月9日水曜日
厭わぬ精神に降り注ぐ夜の日記
熱っぽい身体を抱え、読書と睡眠の合間に耽る。資本論の母体に包まれ、実存主義の羊水に絡まり、
慟哭の水溜りの中をくぐり抜け、仲違いして行く悲恋の膜を突き抜け、生命と重なり、ガゼルの角を煎じて飲み干し超現実主義的に身滅ぶ月夜に懺悔し、
断続的なシーンにシュテイルナーの主体性が冷厳な身体に忍び込み、
強固な思いに冷徹な個人主義を与え、ラディカルな思考に妨げる不安は無い代わりに、
短絡的で体裁ばかりを護る為の雨の中を単細胞的な暴力で媒介しつながり汚い意味で、生成変化し、
愚昧な関係性を作り上げ機械的な構造のインターフェイスに機械的な答えだけを求め、
退廃的な結果を繰り返し、欠陥するのが人間であるし、欠如するからこそ豊かを求め、
大量生産を促し安値で売買されながら、快活な動機を忘れ、根拠も無く彷徨う亡霊のように
彷徨い妨げる関連に連動しては落ち込み悶えている。
棚引く瞬間に退廃せず、耽美に囁く声が煩わしく鼓膜をくすぐり、例えようもない季節の変わり目に
サキュバスが歌う動機に惑乱し、遊蕩に耽り、求めれば求めるほどに止まらず迸り火照り、
夜に飢渇して行く。草のカーペットで眠る秋の虫や、飲む打つ買うばかりの資本的な街並みには吐き気ばかりが
彷徨い枯渇する嗚咽などが乱反射する。現代的な小宇宙を形成しながら、囀るひと時が激しく悶えている。
剪定される意識の花々をあらゆる場面に突き刺し、凡庸で普遍的な物事を美麗に飾り付ける。
尖るのは内心だけでじゅうぶんであるし、外的には優しく微睡み、たとい外敵であっても圧巻されず、
斡旋させず、センセーショナルに巻き込む。
孵化する季節は動機を失い、喪失感の哀感を漂い、悲哀に打ちのめされ、召される限りに、
遠退く理想に消え入る本質の影に隠れ、拡散される思いは偏執しながら、損なう限りに翳る自身を傍観し、
聳える意味に諦観ばかりが場面を包み、拙い季節の穢さや、奇譚な生産で埋めるだけの社会や、
現代と呼ばれるだけの名前から抜けだし、情報や機関に残らず、管轄から離れ分裂的に生きる。
逃げるよりも、離れる行為は、対象を確かに眺め、単に逃げる事よりも確かで、形而上的に眺める先々に、
低劣な締結を行うだけの現状から脱し、昇華に至り、互いを参照し、共同体であるべく、
確かな融合を含む時のみ、他者に寄り添い、互いを支え、対象に照合を求め、統合に達し、
夜に帰属すべき訪問着に着替え、艶麗な星屑の歌を聴き、夜の起因に帰依する。
感謝、依然として物事に同じ意味は無い。御礼。
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