2013年10月17日木曜日
見透かす世界を飛び越える夜の捏造を重ねる日記
君たちに何の罪も無く、私にも何ら罪は無い。私に間違えは無く、君たちに間違えは無い。当たり前などは無く、
私に間違えはあるが、君たちこそ、間違いである。ただ何よりも正義であることに何のエゴイズムも無く、
単にニヒリズムや虚偽を乗り越えるために積み上げ突き上げ昇り詰めるために刻み続ける意志のことである。
世界とは、何かたり得るために存在せず、同じ場所や同じ位置を用い、それを保とう、とすることで訪れる軋轢が、
争いに変わり、戦争が訪れる。この端的な考えが大抵の偏向や偏執を生み、固執する思いが、
ルサンチマンになり、担う憎悪が比重を抱え、最も偏る頃には過度に極まる自分自身が真なる意味を忘れ、
穿たれ草臥れるからこそ、縋り寄った証たる疲労困憊に混淆した後に浸り切り、扇動され、
満たされない欲を原理化させ、斡旋や搾取を騙る頃には、自己実現を謳い文句にひたすら強請る自分自身が
貪婪な大衆の一部に組み込まれる。陥り堕ちるから人間なのだ、と宗教はカタルシスの排出や、排斥を求める。
迎え撃つべきを撃ち落とす是非に変え、是認させるべく是正を促す意志は二律背反する現在に
原罪や呪詛を持ち込み、悪いのは、たった一人、と一つの答えだ、と説き伏せる。塞ぎ込む感情は静寂を迎え、
手向ける意志を持つべきならば、座標や緯度を求めずに降り立ち、立場を持たずに互いを持ち上げず、
上がる意味を識るべきである、と自らが指し示すよりも、上がる意味を教え、教わるよりも、昇り上がる意味を、
そっと見守り、見つけ、見つめる意味を自ら識ることであり、盤上に行き交う奴隷的な感情から抜け出し、
何が何のために、そこに備わり、その問題から離別せず、単に逃げ惑うことに、労いや安心安全を求め、
訪れもしない安定を求め、ひたすら埋まらない欲そのものを拵え続け、あたかも備わることに否定を告げるのか? この命に数奇な数理が数値化し、何故支払わされる税を是正させ、
それが義務だ、と言い放ち納得することが正しいのだ、と一人一人に宣言するのか?
何故なのかも知らずに訪れる欲望を循環させ、純化させることに訪れるシリアスなムードに、
ナンバリングされる現在に、ザッピングし続け、コマーシャリズムに犯され扇動され、貪り食うことに訪れる、
学歴カーストのステレオから吐き出されるカビ臭い言葉に、数だけが舞い込む。
暗澹たる所以が秀逸な時に従属し、過去から捉える罪の意識に絶えず収束しろ、と寄せ付ける。
他者は他者だ、と言う事で安心させる感情は、絶えず鈍麻な希望に最もな貪欲さを生み、
その思いこそを貪り食い、姑息さばかりを生み出し、細く長く生きるべきだ、と痩せ細り痩けるだけの自己に蔑み、
最もな価値を押し付けるに至る。この闘争は数年単位に寄らず、数千年単位、或いは続くことで永遠性を蓄え、
永続させることごとくを紡ぎ続けるのだ。悔悟も誤解も脱ぎ捨て、解釈に至り、端的な快楽主義を終え、
何が何のために気付かぬフリをして、楽しむ道化であり、楽しませる道化には至らず、自己満足で終えるのか?
満足は瞞着を生み、単に慢心に変わり、物事を批准や尺度を用い、
それで占有したがり独占欲で支離滅裂な私欲を埋め続けることに専念するだけに終える、と終わった人間が
語り継いで来た証が、保守的なモラルや動機が氾濫する周囲の臭気が鼻につく。
感謝、埋めるだけの等差に関係は関連せず、間隔に備わる粗末な関連性を加えず試みる限りに
与えられる今が清潔感を保ち、鈍磨な夜の質感に絶えず潤いを授ける。御礼。
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