2013年10月12日土曜日
我々はエクソダスせず絵空事や空想を乗り越える
追うことも追われることも求めることもなく、単に浴する。人は私のことを考えないから、自分に集中する。
追いすがる価値に興味は無く、思う権威に力は無い。内服すべき確かな愛は森羅万象を基軸に物事を、
閉鎖的に囲い、何事にも近付かない。弁証法に至り、啓蒙し続け、批判的に時代を乗りこなし、
過去から続く意味を綴り、紡ぎ、綿密に彩り違う自己を責めず、否定には至らせ続け無い事により、
確かな自分は正しさを踏まえ、賞賛し続けるべきだ。その正しさを求める行為にだけは注意が必要であり、
注意喚起を繰り返し、何を信じ至るかを知る必要がある。
その何かを信じるべく、自分の器を磨き、入れる事柄にも細心の注意をはらい、理屈を飛び越え、
幾許かの時に掴まり、憂愁を帯び迫る行方に迫るのだ。その受精した叙情や刹那にこそ、確かな子を孕み、
産み落とす意味に共存共栄が宿り、共栄圏に栄える気持ちが間主体を労わり、互いに均衡を保ち、育成し続ける。
私は私にしか勝利し得ない。理解の場所と位置を合わし、解釈に至る。象徴的な瞬間が自立しながら、私を襲う。
一見して空虚な世界や世代や時代の等差などを倒錯させ、革命や破壊や暴利が深淵を打ち砕き、
惰性な事実を乱立させ、実情にふやける理論を破綻に追いやり、怠慢な理想を粉々に粉砕し、自己はおろか、
短絡的な自身すらも機械に組み込まれ、記号化され、名前を奪われ、量産化され、
数量化し数理や法理内の暴力に打ち砕かれ、ひしゃげる被写体を抱える主体は対象を失い、
退屈に退廃し、貪る動機を貪婪に食い散らかす自分が溜め込む憎悪が怪物化し、
閑散とした感染源に陥落しながら内面性に飢渇する気持ちの気圧を操作し、曇らせ雨降し、
氾濫する気持ちの配分が狂い、濫觴する感情が緩和せず、横溢し、反抗期を加えた思春期の様相に
悲恋を突き刺した歪みのような場面に罵声を浴びせる世代的な敵意を企てさせる解離性の大人や
社会に対する憎悪が、無作為な破壊を叫び内外構わず破壊に追いやる月日は、永遠性を失い、
均一な成因を制圧するだけの機動隊が押し入り、押し倒し嬲りながら、内心に外圧を加え、
害悪たる意味に染まる前に追いやる意味に止め、二度と帰って来られない様に、終わりや始まりを操作し、
あたかも与えられた餌で満足する豚や餓鬼であるべく、与えられ続ける様相や情報は所詮、
プロパガンダ的な安楽死を生きながらに与え、絶えず麻痺する様に、満腹中枢を狂わせ、
車線変更させぬように動機を狂わせ、食欲を操作し、欲そのものを操作するのが、
権力の象徴たる自己の怠慢を世界や世間に同一化するしか無くしてしまった物事の重さや
軽さに携わる主義や思想の混濁きわまり、こわばる今の難しさである。それを軽々かわし、
軽く踊ってやるのだ。
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