2013年10月11日金曜日
たじろぐ永遠に与える悟性を突きつけただけの夜の日記
物事は細分化した自分をシリーズ化し、後続する自身に恰も実存捧げるが、そこに思う限りに思わされ
歪曲した自分自身が乖離しながら、憎悪や罪と罰や卑賤な問題を抱え、快活さを失い、
恰も自分自身などを求め、見失う。束縛すべき個人を入れ込むスペースなど世界の何処にも無く、
入れ込まれる意味の中などに組み込まれ、記号や名前に変わるなどは、もってのほかであり、
そこに補完したがるのがキャピタリズムや現代、恰も現代社会など、と呼ばれる物や者たちの傲慢でしかない。
或いは、そのような事柄だけを信仰し、信心する者たちの怠慢である。
希望すらも乗り越えたからこそ、今が在る。
自らを風景に処置し、配した意味を心身に宿し、移り映る世界を傍観する他者から離れる自己が自我の表面に
浮かび、表現を力の表面で繰り返し同じ意味に反復する。
私たちの間や根幹にある優しさや思いやりには、上下左右は存在しない。そこだけには、隔てるものが、
一切無い。私は資本や金銭の為に死なず、私は私の為にこそ死する。
善悪は大衆に帰依させ無い。
端的な有余を含んだ遊蕩な事務を越え、消失する先々との遠恋を繰り返し、恋バナや、
自作自演な日々の衰退化をモチーフに感情に悲劇を生み出す行為の機械化を含ませる内心に、
錆び付くだけの印象が夜のレジスタンスに変わり、印象付ける雰囲気や運命の気圧などを測り、
凌辱されるような夜中の半折を拭いながら、かまける時代の地脈などから溢れる隷属化した
主体への夥しい血などを溢す夜に心情は投下され、固執する運命に端的に廃されながら、
過剰に平伏し、監房に入れ込まれ遮る運命に叙情を重ね受胎する今に運命を交錯させ続けている。
ただ善悪の行方に苛立たず、高らかに嗤い、解釈に至り、解決を施す事に生き方の重きを置く。
凋落する自身を解体し、快活に切り開き、瞬く間に自身を彩り入れ込む。同じ人間は必要無く、
ただ同じ目標を認識し、進む者だけが、各個人の描く旋律を渡り、至る物語に複製されない起因を含ませ、
同じ方向に向けて逍遥する。君もいつかは私より年を取るから伝えるが、世界は変えるよりも、変わるべく、
そこに備わって佇んでいる。縋り付く時間に反し、引きずり相続し反復する時間に関し、煩わしい重力に反し、
創造に至る。楽しみを見つけなければいけない、という退屈さに生きる、と見つけたり、と騙るよりも、楽しむことに、
退屈極め、単に埋め合わさせるために生きるなどとは、生きるにならず、又単に生きて貪るだけでは家畜なり。
ただ、葉隠読んで、高らかに笑え!! 窮乏するままに与えられず、ただただ疎外される侭に
求める事無く、媚び諂わず、ただただ笑うのだ。
感謝、無益な時に配される愛こそが飢渇する心情に配備され、排斥する印象に朽ち果てぬ前に、
備わる今を悟り、誘う月日の甘美さに陶酔する。御礼。
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