2013年9月3日火曜日
翻す時折。
変わったでは無く、絶えず変化するのが人間である。変わらぬ君たちは、あたかもそのままで、
それが永続するかのように思い込む。それが愚の始まりであり、それこそが、奴隷化に至る。
止まらぬのが進歩では無く、深い理解を含み解釈に至り進むのが、進歩である。
自分の力を過信すると動きは止まる。物事は垂直に衰亡し、
バロキズムな内心に改心を挟み込んで場面を混濁させる。自分こそが正しい、と姑息な支払いを続ける輩に
正しさを決めさせられるな。当ても無く弄り跡形に投函され、司る間も無く、通り過ぎる。
あなたからしているのならば、一切不満は漏らすな、一切文句も言わず、語るな、語れ。
純粋に精読すべき道筋、肯定すべき単一な命を抱え、世界を愛し始める。
肯定すべきは、超えるべき今を絶えず想定し、装置する運命に因果が靡きながら切実な今を捉え弄ぶ理由に
発見される原因を纏い歪に結ばれる。束縛し孕む寂寞に生える意味だけに命が宿り、
静寂を彩り普遍的な理由を飛び越え、至る意味にぶつかりながら、際限無く隈なく進む。
先々は行き止まりだが、その息遣いを感じ、心遣いなどで癒しの極地に配され、償う意思などに意味は持たせず、
呈する運命に意志だけが突き進んで行く。思う限りにお目当ての正義は無いし、善悪は対立せず、
大半の意味に犠牲を突きつけながら、大体の長い意味が生き方を染めるような支配に
前習えしている合間に左右は戸惑い自分たちのイデオロギーに閉じられ倒錯する精神に移行し依存し、
損得で考え、相当する意味を、其れ相応に背負うだけに保身が生まれる。
格差はリベラルな思考に最もな価値を崩壊に追いやった。
行きすぎた価値が家畜化した群衆の干し草たる噂話や、団欒的な批判やこびりつき粘つく恥を恥らわず、
たじろぐ今に体たらくなめまぐるしい感じに、端的な普遍や普通を売るだけの、
楽園至上主義の傀儡のキャピタリストたる民主主義の道具の偶像の神が偶然や必然を操作し、
価値そのものを奪うのが、宗教の愚行である、と破壊者に墓石は要らず、
死して物質や物体になる名残惜しさこそが最もなルサンチマンを生むのだ。
この雲霧に散り行く盗まれ召されるだけに打算する意味が計算的な縁取りを終え、
理由に幾つもの場面を装置しても、自ら病んだ者には届かない。気付いた、てしても気付かない、
としても傷付いたままだし、出し抜けよう、と暴かれた日々のバビロン渡り歩き、首輪を撫で、
ナンバリングされた競争社会の強制労働は、未だ不透明な自身の不当を埋めるべくに果たすのだ、と恰も
道徳や足りない倫理観がプロパガンダを続ける。ただ、頑張れ、と。
他人事のように敗者の流儀や獣が排泄した資本などを貪るように、と。
セメダインでくっつけたセンチメントな想いのセグメントに接近する苦しみや悲しみなどにそっぽ向き、
知らぬフリしても襲いかかるのが弱さってものだ。
物語は途端にガタガタになるし、この先なんて分かったらみんなが皆、屋上からジャンプするだろうし、
労しても肥やしにならない日々に届かないから、オーバーな表現繰り返し、今に至る意味すらも、
意志だけで何とか乗り越えているだけに過ぎない。
苦痛は思えば思う程に痛みは増すし、耐えがたい日々にありがたい意味が降っても、
其れを受け入れる心が無ければ何にもならず萎えるだけにならず者な感情が彷徨うだけに過ぎ去るのが人生だ。
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