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2013年9月12日木曜日

無垢な夜に飛び交う童心を授ける日記。

絶えずドラマみたいなドラッギーな独り言がクラックする。改悪される現実が何処か不可思議な時代に 包まれ、転換される時代への価値が社会などの貢献や、福祉などに表面上は彩られる世界にこそ、危険を告げる。 つくづくは殆ど刃毀れしている状態を磨ぎ、誰かの寝首を掻くか、寡占されない世に蔓延る悪を斬るつもりで、 本当の正義を切り取り、立ち上がれぬまでに苛め尽くすかだけの卑賎な価値が跋扈する。 強欲だけが真偽を司り、シンドロームのように求めるだけの価値に寄り添う餓鬼たちが鎧戸壊し、 内部にまで浸透し、管理下に置きながら資産価値を見出す限りの懐疑的な自身の価値に、過程を積ませ、 加減を知らず、他人に依存し、関係に孕んだ管轄に自身をアイランドを無理矢理建設するだけの メディアや情報の飢渇しているだけに騒ぎ立てるワイドショーの中で焦熱するだけの感情が惰性で、 退屈な理論を挟むから、価値は最も流動し、どこまでも流動する限りに、循環はせず、 一部や位置づける意味に溜まり、決壊する頃には取り返しがつかない意味を微睡ませるだけで、 纏まりばかり求めるから退屈は最も極まる。 在りもせぬ不安を滾らせ、煮え繰り返す腹の中で、反駁する価値も、判定される日々に反抗心を廃らせ、 疲れさせるだけに教育される日々の検疫から抜け出し、自身のウィルスを他者にばらまく前に、 兌換されるだけのペシミズムから抜け出す。革命とは、単に怒りの権化である。 惰性な感情は打算されるまでに自身のルサンチマンにより、テロリズムに陥る。憎悪では無く、 単一な怒りは理解を用い、痛みが分かる。痛みが分からぬまでに膨らます憎悪こそが、超脱し、 自身の圧力に屈し、反射する精神が最もな痛みをぶつける限りの対象に嫌疑を植え込み植え込まれ、 自身の憎悪に好悪せぬように、偏る価値がファシズムやニヒリズムやレイシズムに陥る。 否定すべきは個人にあるが、対象には無い。悲観すべきは時代にも無いが、社会などは始めから無い。 始めすらも無いし、社会などは、始まるまでも無い。無いと促すが、終わりすらも無いし、 続く限りや届く限りに備わる永遠などは、その場の退屈を埋めるだけの欠けた理論だ。 交互すべきは、今に至る君を貪らない動機にくたばらないように、草臥れた今を脱ぎ捨て、 直ぐ様司る今に生涯を突きつけながら、倦怠せずに歪ながらもひたすらに進む。 人の事だけを否定するよりも、諦めずに続ける勉学を自身に施すべきである。或いは、誰かの理解を 嘲笑するよりも、自身の理解力を高めず、無理だ、と諦めるな、とだけ告げる。 感謝、開ける意識の構造は無数の思念を用い、分裂しながら、決して統合させない。御礼。

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