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2013年9月17日火曜日

《 超正論・絶えず生きる為の試練 》

《 序章・ストレートエッジな思想を織り交ぜたハードコアパンクな帰路 》  国家に自己を持たせず、社会に存在を用いない。有する自分は民主主義や、民族主義を否定し、 疲弊するだけのレイシズムが産み出す全体主義的な集合体の膿を穿ち、放たれる糸に零れる 宇宙の始まりからのニュートリノが交錯し、現状に始まりの合図だけをなすり付け、実体も無く、 完結的な未来に簡潔な肩書きすらも、学歴も階級も、官僚制すらも用いず、権利や、堅持する権威も無く、 権力に加担する権益守るスプリガンすら居ない。有する慈悲を守る超自然的な夢遊病者も居らず、 無誘導に彷徨う個人崇拝や、偶像崇拝を終えた超人たちが、新たな貴族になるのだ。其処に一切の人種は 与えもせず、短絡的な血族主義の終焉を伝え、輪姦された時代から抜け出し、新たな史跡を、我々で踏むのだ。 このテクストは、理解を超えた人々にだけ分かつ理由を含み、一切に分かつ理由などを求めぬ間柄に備わり、 無意義な空間で配列や管轄や組織を持たぬ関係者にだけ靡き棚向ける。 理解を超え、創造に至るのが共存共栄である。 もっと内面にポリティカルな要素を組み込み、新たな社会を孕み、世界に産み落とすのだ。 或いは表面にタトゥーで彫り込み、消えない思いを形而上的に帰依させ、微睡む今を体現し続けるのだ。 今ある不安を解体し縫い付け新たな生命に変換して行く。 私たちは自分たちの死を描き、その死すらも自ら乗り越える。 どう思われるかでは無く、どう思うかである。 シニシズム的な生き方を歩み、単に俗世の垢を落とし、あらゆる論理を超越する。忽ちは無に帰し、 短絡的な意味を排除するのだ。 権利は主張を繰り返すだけの反復を続け、あらゆる権利を自らに帰依させるべく、操作を続け、扇動を繰り返す。 私たちは、鎬を削り、新たな世界を建設すべく、存在に対象を求めず、自分に居場所などは求め無い。 離別する限りに運命は開け広げられ、絶えずシンクロしていく。置かれた状況に意味は求めず、 新たな意味を今に創造する。 絶対的な正義は存在もせず、存在したところで、重荷と化して、巨大で巨悪な権力になる。 純粋な理想は、良くも悪くも、その人自身を狂わせる。物事や出来事を人質として、 備わる意味に迎え撃つ意味が今に至る状態に戦争を含むような要因に至る意味がつながり、果てる。 人に重ねるべきに自分は無く、元々、自分などは保たぬように、あらゆる場面を彷徨いながら、 逸する不安を超越していく。深夜は轟く世界を強姦しながら、聳える意味に位置を携えるよりも、 要理に孤立するように誇張される狂気を携え、境域を乗り越え、数々のジレンマに囀り慢心を描くよりも、 強度を保ち、もたらされる今を際限無く飛び越え、くまなく長じる意味だけシンクロし、 信仰を掻き消し書き換えるのだ。

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