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2012年12月9日日曜日

幾許かの彼方に可能性を荷担させるような愛になれ。

打ち付け打ち立てる事実が、存在を証明する、と語る。形跡は、踏み躙る程に澱み、 自己を追従する影、となる。希望を用い、蔓延る現在に進路を与えるような予感だけが、緩和し、 感作する出来事に比例する対象物たる自己が、手繰り寄せるシナリオが、瞬く間に輝く。 信じる先に何も無い、と告げる教育だけが、協調性を目指し、機械的である、とさせる。 支えるべきだ、と嘯きながら、絶えず有るのは、猜疑心に嫉妬心が比例し、膠着するだけの 日々を根絶やしにすべく、総ての自由をもぎ取り、恰も自分が不自由だ、と相手に募らせる。 その膿を出すべく、濃厚な日々は、突き刺すような感動を与える。讃えるべきは自然にも、無いが、 単一に生きる事に関して思い連ねる日々に変えたい、という一心が生まれ、指針を与える。 物事などは、所詮、自己に見え隠れする虚栄の影でしか無く、この仕方なく繋がるような浅瀬で、 溺れるなんて懲り懲りだから、なるべく情報はあっさり頂き、その表面を掬うように、その内面に広がる 内心に与える。受かる為の勉学は、所詮、奪う為の顕示欲、と化し、自己を誇張する。 その故障した回路は、その肩書きによる支配により、権力に荷担する。 賢智を用いず、廃れる主義に主張は繰り返し、権利を求める。その弱者たる弱視は、 何もかもを失った後に、強く生きる、という動向を保たず、堂々、と生きる事を失い、 堅持するだけに誇示する。媚び諂い、今に浸るだけでは、何の変革も無く、 苦楽を共にする元手により、沈むだけだ。その主人公に備わる主軸は、自刃で切り刻むだけの 現在に遍在し、変容する事を知らず、変化を求めない。返還されるべきは尊厳に無く、 その人権に権利は無い。それを盾に、突きつけられる今が簡素な理由により、寄り添い、 中庸を保たず、否、中庸などは、何処にも存在せず、存在すらしたことも無い。 その無謬性を突きつけるだけの知己に備わるのは、誰に荷担し、誰かに付着し、誰から吸い取る、か だけであり、この離床しない風景に警醒を与えたいが、如何せん、あらゆる体系が邪魔し、 肥満化した権力保持者は既得権益を飲み込み、吐き出さずに、儚さを売る始末だ。 生じる先に権限などは無いが、自由を主張し、それを売りたがる連中だけが、蒙る先の事実の 展開を望む覗かせる先は、信仰にあらず、行為にある。 単一に総てを批判しても、疲憊するだけの現実に募るだけの膠漆の交わりが行われ、 転じて、同じ意味の枠組みの中で、解体されるだけの日々に、何の意味があるだろう、と問う君も、 やがて年老いて、孫の手の中で眠るような出逢い、と別れが交錯し、一切は無に帰する。 「その前に飛び交う意味が、背後を突き刺す。この併用される事実は、計測されない事実により、深まり長ける。時世に突きつける普遍性の闇が、民を支配する。民族が壊れながら、一つに繋がり、人道的な倫理などを捨てた後が、善悪の終わりを告げる合図だ。突然変異する世界性は、自分の心を鞍替えした後に存在し、終わり、と思えば、一切は無に帰する。介した事も知らず、確かな愛を受けとる心を用いたはずなのに、その端々に消え入る本心が宿る場所を失い、鬱積する空に消え去る。拝聴する現在に飛び火する理由は多大な領土を含み、荒涼たる現状に悶え交錯する。巧緻に操作するだけに促される大衆の心理は回収済みだ、とメディアが告げる頃、機械的な画面から溢れる批判だけに溺れる。忽ちは、流された悲しみを知らず、その奪われた家族を知らず、また潤うだけに、未だ貪ろう、と我だけが、潤おう、と嘔吐するような日常の汚穢が終わりに降り注ぐようだ。この意味が徴候を示す頃に、誰もが、誰の幸せを願う事無く、自分を投げ売りにし、総てが滅びた後の先に広がる原野に募る意味に感性を売りながら、見料をもぎ取るような時代に入り浸り、近似する出来事が、その差異を見初めず、何かを認め、何かに荷担する頃には、総ての頃合いは、深まりを失い、失う意味すら問わず、悶えるだけだ。拵えた後先に逸するような出来事が倒錯し、または錯綜し、交錯しながら、累積される真実の赤字を突き抜け、その用いた価値などは、所詮、消え去る事を知り得た頃には、総ての初心さを取り戻し、少しは優しくなれるものだ。急ぐ程に、危急の叫びが交差する。忽ちは、我先に、と我が身だけを守るが、誰もハグする意味を知らない。背恩迫り、狭い価値を打ち砕く。勝ち誇るのは、総てが終えた後で行い、関する事実に焦躁するような現在に至福を起伏させるために、紛争している現在に示すような死する自滅者が飛び交い、消え入り、この真実に実景などを残す」 恒常性を保ち、恒久的な今に蔓延る。譲与される現実は、損壊した追記を保つ過去の虚飾だ、と 促す現在も、皮肉に溢れているだけで、味気ない。 いただけない雰囲気に募る愛は、配色を失い、敗亡する景色の肺胞に詰まり、 呼吸を忘れる。倍速に行き交う私は、善悪を問わず、是非を感じない。感作するだけに奸策するように貪り、 どれかに比するように、どれか、と対話し、逸する時に腰掛け、絶えず愚弄するだけの人波を傍観する。 低調な主義は、粛清を生み違う。対する現在は、対照的であるべく、対立するものを照らさず、 退行する自己を照らし、その轍に備わる我が侭を貫く。 明日は我が身、とはよく言ったものだ。その我が身すら、轍に捨て去るだけにしか過ぎず、 この少ない日々にモラルや道徳などを求めても、一銭にもならない、と叫ぶような輩ばかりが、 躍動する。薄情な今朝に欠陥し、欠損しながら、介した後に愛憎犇めくように、喪心する。 目指すは、痩身に与える、太古の栄養であり、この名誉をひけらかす程の衝動である。 紅潮する現在が、創造的で有ればあるほど、暴かれる現在は、肋骨の階段を登り、 暴かれた後に比するような知り得るだけの衝動に記される。 その記録は、ただ捨て去るだけには、存在せず、積み重ねたものを壊す事により、新たな問題が生まれ、 それを自己で解くべく、総てに介し緩衝し、反響していく。

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