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2012年12月2日日曜日

生きる事に尽きる夜の日記。

誰かの心を受け取り、請け売りせずに、自己の弁証法により、自己で肯定し、否定しながら、 一つの答えを超えるべく論理を積み立てる。それを何度も砕きながら、調和せず、調律させず、 どこまでも続く意識により劈く夜は、似通うものを保たずに、自己に緩衝し、対象物を保たずに、 項垂れている。自己の力に反する意志に対し、対立する喧騒は、恰も権威的で、 大量に怠惰な何かを欲動し、凄惨たる現状を生産し、続ける。それに関するだけの永久機関的な 欲望は、総じて、自己を糾す事に欠如し、傾向し、到底割に合わぬ現状に合わせるだけの現状だ。 昂じる日々に、拗れる意識は、絡まるだけに偏る。凌ぐ夜に広がる意志は、なんぴとたりとも動じず、 昂じず、効率に行為を求める事はしない。清逸な時に配しながら、廃す心を用い、対す日々に値を残す。 この値に卑俗な価値は入らず、品行などは求めもしない。その道楽たる道理に加算すべき事実などは、 感覚を失った利己的な支配の気配だけを与え、関する出来事の中立性を保たず、 徴候に示すだけに欲動する気配だけを与える。 投棄される心が路上で眠る。巧緻な企みが、枠組みの中で騒いでいる。 騒ぎ立てる回りで避難しているものが、一番の卑猥さを保つ。その成敗に善悪は無く、 シオニズムが産み出した太古からの善悪の懸隔に漂うだけの理想を促すだけだ。 悴む季節は起因を残し、蔑ろにした瞬間がファシスト、と化す。 ファシズムは、ナチズムに移行し、ニヒリストから、レイシズムに移動する。 大衆を粛清しよう、と企む権力が猛威を奮い、その権力対する権利が主張を繰り返し、 最もな混沌を生む。この画面上に促される情報により、混濁化する意識は、最上級の猜疑心を生む。 その軋轢を埋めるべき隔てる意味合いが、答えも求めず、その場凌ぎの企みにより、 対価を与える。この代価は、命に突き立てられるだけの折檻であり、この生きるだけに募る拷問である、と 唸る人波は、攫われる意志により、意識を奪われた欠陥品である、と告げる君も、意味が何であるかを知らない。 ヒューマニズムが低下し、虐待に客体を与える。結局はどちらも、奪い奪われながら総和し、一つの 愛に成ることを知らずに、憎悪だけをもたらすだけでは、中庸は保てず、恰もそれが普遍であり、 正解である、と告げる凡庸な価値に嘲笑を下すだけだ。 讃える日々は、与えられた限りの鍵であり、画期的な日々の虚勢に過ぎない今も、 虚勢を募る程に現実化するものだ。体現すべきは、この終わらない行動に対して、 何に忠誠を使い、何に忠実であるかを問う。ただ、君の胸の宇宙で眠れば、 どれもこれも、何もかもは、どうでも良く、この欲動する思念に対して抑制しない愛だけに、 愛すべき瞬間も宿るものだ、という事を知るべきである。 その本質に乾くことが無い現実さえあれば、この存在に対する世界性や、社会性などは、 どうにでもなり、短絡的な道徳などは求め無い。 この互い違う遅配たる景色は同率だ、と告げならが、平等性などは求めても無駄だ、と伝える。 平等さは、この心が産み出す結論であり、その平等に心を用いずに一途に権利を求めるだけでは、 諸々の価値は、価値を持たず、勝ち誇るだけに、荷担するだけの権力に荷担するだけだ。 対価すべき日々は間違いだらけの堕落した迷い道を荒みながら、刻む。 この足下は、いつ崩れ去るかも知れず、知らされた頃には、凍えるだけの地面で眠るだけだ。 ただ、それだけの事の均衡を守る為だけに、摩耗する生命に対して疑問を持つが、 幸福論や信仰が与えた幸せは、嘯くだけで、理由を利用するだけだ。 この道徳を、どう解くかにより、この問題は浅くも深く、不覚な時に突き刺さるべき是非を用い、 何にも寄り添わず、孤独でありながらも、どれほど寄り添い、与えられるかにより解決する結論を保つ。 投じる先に自己を投影し、関する出来事に調和しながら、程良い甘さを残すぐらいのが、 この幸せに皺寄せる不幸に対しても、与えられ理解する為のものだ、と分かる。 猥雑に劈く路上は永遠捕囚のように理想郷を目指す朝の奴隷だ。 このカルマは緩慢さを求め来世の為の罪を今、支払え、と五月蠅く募る。 その借金を抱える今こそが、その肥満するだけの罪と罰を打ち砕くべく、今を売り払い、 何も保たずに歩む事こそが、この輪廻から抜け出す結論に成り得る。 萎えながら、何度も咲き続ける意志は、起源を求め、太古の価値に依存しない。 相対する現在に絡まる糸を引き裂くべく、今ここで介する日々こそが、単一な総ての値である。 この繰り返しの画面から抜け出すべく、与え、与えられ、ただ讃えるべきである。 感謝。理想は高く、目線は低く。喰い散らかし、暴かれた後に残るものを見つめ、 見つける程に、募る。御礼。

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