2012年12月6日木曜日
拘禁されない夜の感性に繋がる日記。
いつも、カラスの戦争を見たり、犬と猫の裁判官として働く私は、
見捨てられた現実に奉るだけに揺らぐ現在に終止符を打ち、執心を捨て去る。
夜の攻防戦が、光芒に照らされ、誰かの愛に亡命する頃、
全ての自堕落な時代性の陰気な私欲は消え去り、
欲そのものに、抑止されるような短絡的な現実がら脱するべき足枷に、
堕落した足は置き去りにして、従う価値に連なり、辛く厳しく生きるだけに、
まとわりつく全てから脱し、その跡形に広がるものなどは、翻し、覆す為に存在し、
為にもならぬ、縺れ、もたつくだけの事務的要素などは、
要らない事を知るべき是非を記すようなものも無いが、よくみれば、其処に存在し、
次々に点在し、この存在に真意を与える。
羽虫よ?私の声が聞こえるか?と夜は誘導し、童謡たる現在をスキップし、
空きっ腹を埋めるべく孤独の隙間風を食し、凡ゆる出来事を紐解く。
発芽する意識が未明に根差し、新たな生命に変わる頃、
このみすぼらしく見える実態を包むだけの彩りに変わり、
この夜こそが、芸術を司る妖精のようだ、と
リアリズムを告げる汎神論が、隔てるだけの神聖を捨て去り、
心のシンセサイザーで、シューゲイザー的な感傷を打ちたて、
夜と鬩ぎ合いながら、訝る心を消散させ、去り行くままに、実景に蕩ける。
交合する意識は、互いの意味を鵜呑みにしながら満腹になるだけに担わず、
重たく冷たい胃から垂れ流れる憤懣を消去しているだけに過ぎず、
このつくづくに点在する意識は、被る形に寄り添い、悲劇的な何かを抱えながら、
激動を進むかのように、荷担すべき事柄などは、何にも対照せず、
自己を退行させ、停滞する意識に渋滞する。
その渋滞ならぶ分裂した自己が、色んな理論を含み、
今を、どう巧みに生きるべき、かだけに問い続ける自己に対する自己が、
弊害を生むならば、いっそ自己などは、一介しない現状に捨て去るべきである。
或いは、この夜は境域を保たず、誰かに媒介するような改革を含め、
進化するような余韻を含み、単一な衝動により、蠢くシナリオに対するプロットを保たず、
倒錯し、乾酪し、自壊した自分の跡形の轍を歩むようなものだ、と総ての問題は告げる。
総ての軋轢が広げる懸隔により、倦怠が、深淵に溜まる。
総じて、明日は明るい、と告げるだけに、行程を踏み躙るだけの情報に倒錯し、
今に統覚を求め無い魂は、喧しく募る遅効の知能により、能動性を失い、
受動態たる自己の形態に過怠する。
忽ちは流動性を持ち、領域に転じ、跡形も無く、千切れるようなものだ。
たとい、緩衝し、合わさる自己に評議を積み重ねても、
賞する現在を保たない限りは、縺れるだけに拗れるだけだ。
感謝。帰巣すべき場所などは求めず、ただ返るような愛に反復する。御礼。
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