2012年12月10日月曜日
投じる今に拗れない思考が織りなす思想。
緊要を促す吟遊詩人が裏通りを支配する。秤にかけられた権力の犬が、権利を叫ぶ頃、
磔にされた蛾が、運命を路上に捨て去る。蔓延る意識は配備済みのリアリズムに幻想打ち込み、
空想的な肺葉を突き抜け、新たなものを否定するだけの予見が過ぎ去り、
訝る全貌に終止符を打つ。たとい、今に囚人服を着せられていても、展望する現在に住まう価値は、
変わらず、執心に容易い事実を売り、安易で簡易な事実に、許斐を捨て去り、後悔した頃には、
老い耄れ、追い剥ぎたちに全貌を奪われるような結論だ、と弱者共通語は放ちたがる、集うだけに
蔓延るナルシズムに全労は嘯く。効率を求めるべくカウベルを首にぶら下げ、あらゆる時間になれば、
同じ音をならし、醸し出す雰囲気により、支配される結論に癒えない傷を嫉妬で埋め、
あらゆる昔年に絶えず、責任転換しながら、寡占すべき心の気配を悟りながら、捌かれる餌により、
この気配を掻き消す。総ては隔意を持たぬ悪意を放つ悪寒である、と告げる。嫌疑を用いるが、
この微々たる自己に強大な力は、許斐を覆い尽くし、悔恨犇めくまでに芝居を続ける。
達する今が誇張されるだけで、真実はうやむやな鏡に照らし出され、打算されるほどに
換算する心は、加算すればするほどに、閑散、とする。
慢性的な病理を産み出す堅牢たる意志は、謙虚は忘れ、堅強で有るべく、一律の出来事の答えに、
惑わされず、その枠組みに対する力の緩衝を知れば、その均衡は自ずと保たれる是非を用い、
その四方八方を鬱ぎ、引き裂く程に、悶える意識に助長を与え、絶えずプロセスに理想を促し、
介す程に、戒律を飛び越え、嘯く罪から脱し、安直な理念に迸るだけの規律が、贋物だ、と知るべきである。
或いは、この世は総ての贋物であり、穢い世界だ、と嘯く厭世的受動態たる、ニヒリズムが最もな、
ニヒリストであるべく、自己終焉せずに、自己の緩慢な理念により、この支配から抜け出す、と告げる時、
総ての兌換され、交換されない意識は、快活さを失い、見失い迷うだけに徒労する人間であるべく、
人間を超えず、人間を捨てる。廃れる意識に緩慢なカルマを促すだけでは、この法理は超えられず、
育む事が、何であるかを知らず、知らされる事実を鵜呑みに、し死する生命であるべく、
タナトスに心を売る。
「快諾すべき理由から解脱する。単一に脱し、綻んだ生命は、滅ぶべき是非を自己に問う。専制的であるべく、嫌疑的な出来事から抜けだし、短絡的な繋がりから脱し、総てに距離を置く。実景は絶えず、孤独な呼吸法に介し、緩衝し、総て、と和解しながら、確かな憎悪を蓄える。その孤独の病理から抜け出すべく、孤高に転じ、不羈を歩む。頃日に迸る永遠を知るべく、自然に自然を求めず、市税が駆け巡るだけに加盟したがる権力に荷担せず、陥落しない個人であるべく、単一なリバタリアンを目指さず、超個人であるべく、高尚を辿る。総ては偶像に気配を画し、一帯を支配し、関する出来事の中庸持たず、中核で蠢く悪意の震源地のような場所でマグマを溜め込む。このドグマを用い新たな世代に告げるべくベクトルは、反する威力により、跳ね返す結論に登るべく、快活な現在に親疎な競う価値を拭い、単なる看板が支配する気配を打ち砕くべく、この了承される現状に渾身の起源を打つ。投じ始めた先に躍動する現在が存在を与える。その存在は、せいぜい影であるが、その影は何度も折り重なり、自己を育雛する。数理に基づかず、完治する今に支配する気配にだけ、真相は存在する。せいぜい、択一する現在などは、許斐を保護する託児所のようなものだ。根治する激情に気配を託し、このあらゆる出来事の事物を貫くべく、槍であるべく、尖らせ突き刺す。愛嬌を保ち、哀傷を介し、今に迸る永遠に陰影を連ねる。この瞬間が陰影に千切れながら、幾許かの実働を含み律動すべき現在に縫合されながら、日を追う毎に、度々の傷みを拭う。遺愛を縫い付けながら、この長い現実を歩く。暴かれる現在に陥る先は存在せず、抗う程にくぐり抜ける意志は、陥る事を知らず、止まらずに行軍を続ける。難癖ある者よ。その哀れに存在する同情を脱ぎ捨て、短絡的な罪から抜け出し、あらゆる事柄に呈すべき心を用い、飛び交う続け陰影を突き刺し、自転を止めるほどの、高貴さを含み、絶えず行き交うだけの生命であれ。その命に察する現状こそが、欲深さを脱ぎ捨て、確かさだけを達観し、関する出来事を見下さず、重用されるべき是非だけを用い、緩衝する出来事に反撥しながらも、それに融合されるべきが、何であるかを知るべきだ」
達する意識も、重ねる程に霞む。一度シャットアウトして、シャウトする。寂れる雰囲気は、錆び付くだけに軋む。
霞む程の未明を歩み、渇する程に解ける時代なんてものに、見向きもせず、
見下しもせず、切なる願望だけを定理に理念を打ち出し、理性を保ち、あらゆる出来事の過信を知る。
扇動される者は、戦傷を撫でるだけの弱者である。最もな弱者は、権利を謳い、道楽に比し、
満足の為だけに欲望を欲動させる列車のような者だ。何でも御身に乗せ、己を捨て去り、
走り去るだけの衝動に拗れる。嫉妬し、散じる差異に照合すべき自己を持たず、対照したがるだけに、
従うだけの輩に歯止めは無く、最もな欲望により、クヨクヨする。
最もの権化は、卑俗たる価値を持ち続け、裏切るだけの力の主軸である。
その主軸に惑わされる総ては、効率だけを求め、蹴落とすだけに価値を用いる。
復誦される福祉は、上っ面の出来事に対し、詭弁を投じ、利便性を求めるだけの便宜は、
自己保存の為に屈する。一番の弱者は力の主軸であり、その理念を忘れ、自己を力に媒介する者すらも、
何に対して、寄り添い偏っては、荷担しているのかを忘れる程に、この力は、強力で強大な麻薬であり、
関する出来事を葬る程に、吸い込む人間などに、この力の均衡は保てない。
例え、矜持を用い、理性を保った、としても数秒も持たぬ結論に結合され、総ての理想は泡、と化す。
悴む程に路上で眠る意志が伝える。一矢は報われず、浮腫むだけの朝に気配を残し、夜に介し、
総ては泡、となるだけだ、と。それに対し、滅ぶ位なら、今すぐ散り行く定めに呈し、
許斐を捨て去るだけの事柄に比し、散じる今に投じるべき定理は、諦観せず、関する出来事に、
最もな価値を用いるべく、価値に価値を問わない事だ。
忽ちに折れない自己を保ち、たとい未来が暗くとも、弔うべき自己には照らし続けるべきである。
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