ページ

2012年11月16日金曜日

嵩張る夜の荷物を下ろす日記。

哀愁漂う夜は、ただ寄り添い、哀傷を撫で、関すべき意味合いの短所を見抜き、 長所を伸ばす。歓喜に長じる喧騒は、動機だけを重ね、欲望に長けていく。 困ずる時を持たずに、拗れる意識は喧しく、ただ現在に何を示唆すべきかを問い質す。 夜は、理由などは持たずに、離反し、汎用される意識に感性を求めながら、絶えず回転を続ける。 旋回する意識は、単葉に乗り、関した出来事の落ち葉になる、と隣の女が数秒カフェで溜息を 吐いた後を排他する意識は、怜悧なレイシズムを吐き出しながら、内心に悪意を溜め込んだか、と思えば、 理由を持たない笑顔で煌めく事の方が、多いのだから、その意識を利用すれば、 結構、何事も解決に進むべく、快活さを保ち、根拠などは要らずに、自然と執り行う行動のが、 結論に結合され、最も形を産むものだ、とも思うが、弔われない意識は、揉まれる程に、 自己を見失い、見え透いた現在から身を守る為の自己愛は利己的になりさがり、 ぶら下がる意識は、帰る場所を保たないから、代換えの聖母を持ちたがり、もれなくに連なる今が、 拙く辛くなるものだが、この問題は、自己の行いに対し、その結論を生む。 算出される意識は、数学的には解けず、たとい分析されても、その病理を植え付けられるだけに過ぎず、 このつくづくに続く思いは、誰にも会さず、結局は、自己で理解する結論で得る今に結果は伴う。 忽ちは、償い求め、少ない猶予を与える。爛れる意識は、その場に、不躾な意識を返し、 関するはずの今も、大差無い出来事に多大なる意味を保つように、と願い下げる意識は、 願わず、とも今に連なり、遺愛、となり、意志をはぎ取る。 嗅ぎつける餓鬼達は、その弱味を貪る為に、よくきく鼻を用い、嗅ぎ取り、君の使命を奪いたがる。 その違う意識に長じる後先を奪うべく、その場で終わりなのだ、と告げたがる。 弱気を握りたがる愚衆たる意見には、耳を貸さず、情報過多な事こそが、この意識を埋めるようだが、 意識に植えるべく狡猾な狐たちは、ずっと君の意識を飼い慣らすべく、馴れ合う流行を放ち、 薄っぺらい主義を放つ似非ナショナリズムを吐き出し、羽交い締めにしては、その真意の心臓を 掴み取るべく、餌を撒き散らし、おびき寄せる。 乏しく歩く夜は、煌々、と輝くネオンに宣言すれば、肩の荷が下りるのだおるか、と聞いてみるが、 如何せん、忙しく意志がない夜は、答えを持たず、理由すら持たない。 駆けつける意識は、放たれる程に、離れる意識の弊害に隔たるだけだ。 その場に立ち尽くす万世の記憶に記録を結ぶような結論は無く、慣性の法則は、 その機械的な理由付けを行うだけで、感性は持たず、科学的根拠程こそ、 何の答えも持たない、と言い放つニーチェの悩む眉間の皺の彼方にある宇宙を歩く 私は、この世界の渡し船の船首に立ち、両腕を伸ばし、この景色を計る事で精一杯なのかも 知れぬ、と説くが、この尊く散らばる意識は、のさばるだけに翳る。 その翳る意識の影を進む孤舟である現在は、夜に減退しない意識に至難は持たず、 危難を育まず、流転し、連理になり、円環を回る意識の論地を歩まず、 この奇跡的な現在に変容される朝だけを求め、夜の考えには、還元されず、返還される意識は、 朝になれば、愛に監禁されるべく、大差ない出来事の距離は、心で測らず、計る出来事に、 集う意識に対しては距離を保ち、憚る出来事に対処すべき距離感だけは算出し、 散々さ明日も、と起算するよりも、忌憚すべき現在に深慮深い出来事に対してだけ、然り、と告げたく、 叱り付ける雨に打たれながら、北風に乗り、この希代の運命は、あらゆる公式な出来事からは、 引き離し、この陰影に注ぐだけの意識の独房に独唱を続け、全景に届けるだけの行為を行うだけに、 過ぎず、この調律する意識は、効率などは求めず、求め合うように、恥じらわず、 この総てを解放し、この総てに対して、繋がる、という方法論を置き去りに、 功労するだけの命に、効能は無いから、愉しむ事の本質を知り、ただ愉しむだけでは、良くないから、 最も愉しむ為に、物事の本質を総て知り尽くすまでは、考えに過ちを持ち込まず、 トボトボ、と歩きながら、乏しくは無く、たとい、孤独さを感じようが、その差異に持ち込まれる自己に、 矜持が有る限りは、その景色に寂寞は無く、調律する風景に対するべく身心ともに、健康であれば、 この生きる事に関しては、何も求め無い。 感謝。総ては解放され、聯立し幾億の意識を辿り、一つの意識に出逢う。御礼。

0 件のコメント:

コメントを投稿