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2012年11月15日木曜日

夜の気配を察知する日記。

換算されるだけの夜は数奇な思いを掲げ、 何にも原意は与えず、利己的な価値を促す。 退屈な夜は凌ぐだけに、遠退き、魅惑に果てては、 枠組みの中で育み、対する時を有しはしない。 体制だけを守る面子は、表情も無く彷徨い、標示される出来事だけを見つめ、 その場限りの結論を、得ては反吐を吐く。 この命に一律の思いが加算され加担される至難にもなるが、 たまには休むべく、余り考えたくも無い、余計な事は取り除く。 空白に予見する夜は、疲労困憊しながら、 今回も、愛を見つけられはしなかった、と言い、うな垂れている。 だれた愛は、単なる遺留品だ、と貪り集める愛こそが姑息に思える、と疲れ切った夜は、 慟哭し、呼吸も忘れる程に、むせび泣き、 無数の意識に鎮座しているで、あろう愛には抗する事も出来ぬ、と、ただひたすらに泣き崩れている。 その愛には対象は無いから、泣き続けて、いるのだろうから、 私は泣き疲れるまで、夜に寄り添い、慰めはせず、ただ寄り添う形こそが 、愛なのでは、なかろうか、と思う。 夜は泣き止み、泡沫を照らすべく、悔む事は無い、と言い、 対する明日は重たく靡くが、長く感じる程に、解けず、背負う意味は、 重たくなり、担うべきものも無く、ただその、重みに潰れる。 女は、簡単に褒めるものでもない。端的に愛すもの、と告げる夜は、償いを嫌う。 ヒエラルキーを掻き消す為に、拡げる意識には費やすべき多大な愛が必要だと叫ぶ賢者は、 夜を侮蔑し、心の中で分別し、見下しているだけに過ぎない。欲は孕むべきであり、 短絡的に晴らす事では無く、そこに愛を、本質からの、本心からの愛を持てば、 羨まれる事も無く、また怨まれる事は無いが、裏切られる事は無きにしも非ず。 心の悪意は尽きる事は無い。健全たる魂に、健全さは無く、 敬虔たる者こそ、羨むべきでは無い。慎むように毒する善意は、 心を無駄に、し悩むな、と告げ嘯き続ける。洞察せよ。考えているうちが、 幸せ、と知れ、と語る夜は確かに自分を取り戻し、取り揃える事無く 、この今に対象すべき愛に和んでいるだけに寄り添い今にだけ、意味を感じ、 刹那に轟く夜の構造は、権威的でもありながら、嫌疑を重ねたがるが、 それは互い違うだけに過ぎず、その筋書き通りに掃き溜める命に、 結論は無く、たとい結合された、としてもだ。 その場に溜まる滓を集めるだけで、あらゆる時には対せず、 時の理論を超える事は無く、答える時にだけ、答えを求め、 対価を求めるだけの代償に泣くだけであり、 惰性な真実に超過する意識が、時間を織りなし、考えが与える欠如により、 時間に追われるだけの日々を貪るだけだ。 その翳りに追われたときは、適当にこなし、適度に笑い、適度に関さない事だ。 感謝。追われる日々は、老いを知らぬ。御礼。

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