2012年11月5日月曜日
超肯定的な夜の流れを流れ行き行き着く先に漂う結果に対する日記。
一年、三百六十五日あるならば、三百六十六日、生きるように、生きたい昨今、否、
もう生きているに価はするとは、自負したい近況。
ただ酔いしれるだけでは、勿体無いから、何かを頂戴したくも有るが、
ふところに有れば有るで、負担になるから、そんなんは、困難にしかならず、
今回は要らず、悔恨は無く、反省もただ過ぎ去れば、感性、となり単一な是非、と変わり、
目眩く潰され、変化するだけの都会の形相は、気持ち悪くも感じるが、
許容すべく、その心こそを潰し、立て直す。
建前って言葉は、建てる前やから、平地にした言葉で語りたいが、
偏る主義は五月蠅く圧制すべく、その術を伸ばし、目先の真実に手先を送る。
関する出来事は、夜にもたつきながら、数々の贋物の慈愛などを配りながら、
代用すべき対象を求めるだけに滾る。
司る思いは、ドル箱にはならないが、どれに対してもは、対照的ではあり、
大した事柄にも成らないが、価する為に、繋ぐ行動に対さない思いのが寂しい思うから、
訝る思いに、とどめを刺す事は、しないでおく。
然れど、どれもこれも至難を加えているように、街並みは忙しそうに、賢智を組み換え、遅疑に生き、
知性を持たずに痴愚を重ねる。
果敢に挑もうなど、すれば、足を引っ張り合い、緩衝する事を知らずに、対象を陥れるだけに、
自分の足を引っ張っている事を知らないから、怖い、とは思う。
その思い患う先には、何も無いから、此処に、置いとく、としても、追い縋る思いは、老い続けるだけに、
有るからして、そこには、視点は置かず、白々しくも、心情は信用を求め、大した価も無い僅差などを
求めながら、求め合う意識ほど、貧相で、残酷な事も無い。
蔑ろにすればするほど、諦観に怠惰な感情に貪られる、し
流離う思いに助長を加えない限りには、総ての弊害に変わる。
併用されるべきは、総ての景色に、纏わり付きながら、的を射るような出来事を見せつけはしない。
危難ばかりが、併合し、数々のジレンマに軋轢を持ち込み、もたらされる出来事は、
絶えず不利やからこそ、燃えたぎるような業火を心が織りなし、それもいつか消火させるような
愛に導かれ、可憐な行く末に転換していきながら、
総ての転換期を迎える。
夜の懸隔は、様々な表情を見せつけるが、見せつけるだけで、総じて何の意味も持たないようには
見える。
見え透いた事柄だけを配る笑顔にも、飽き飽きやけど、なるべくは笑いたく、眉間の皺に、
挟むべき愛も保ち、反すべきは、対処すべき事柄にはあらず、寛容さを忘れた心に存在する事を知る。
愉しむべきは、喜ぶ是非にあるが、短絡的に愉しむだけでは、薄い価値に留まり、滞る。
行為は、妨げにもなるが、数々の出来事の懸隔を埋める為の事柄にも成り得る。
得たものを配るだけでは味気ないから、この思いも、患わずに、積み上げるべく、
静寂に身を寄せ、誠実に生きるなどとは、程遠いが、緩怠しない為に、
この意識の旋律は、全景に残し、狭義と広義の橋を渡り、
どれもこれも、似通ったものでは有るが、殆どの様相は、果てるだけに儚いものだ、と知る。
どれほどやっても消え去る、と五月蠅いニヒリズムは劈くが、
やればやるほど積み上げられ、鞍替えし続ける意識は、尚も、建築的であれ、とだけ告げる。
つくづくは、五月蠅いだけに通り過ぎ、この微々たる永遠に霞みながら、少しの徴候を残し、
ポケットの中のチョコレートか、何かか、ちょこざいな出来事などに変わるが、
総ての起因は孕むほどに、刃向かいながら、混ざり合い、ちょうど良い感じに調剤され、
心の薬なんかになる場合も多々ある。
加算すればするほど、閑散、ともするが、弔われもしないし、そんな事、求めもしないが、
持ち合わせる出来事に対しては、堅実でありたく、なるべく有りがたい、という気持ちは持ちつつ、
持ちつ持たれつであるが、凭れる事は無く、流され促されることは殆ど無い。
等しく愛しく思い価値にだけは、純粋であるべく、なるべくは格別な思いで過ごしたく、
この夜の戸惑いも、いつかの場面を切り裂き、その場面に輝く為に、
今を愛し、今に尽くす。
感謝。単一な思いは哀傷に靡き、哀愁感じながらも、実感漂わせ、近似する愛などに、身を寄せながら、
身滅ぼさず、見果てぬ夢だからこそ、この由縁を探り続ける。御礼。
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