2012年11月6日火曜日
夜は銀河を飛び越え遙か無機質な宇宙に達し旋回する日記。
この身はゴーストのようなもんや、と誰か悶絶している。否は自己に対し、自己を卑下し、
悲観的に成り得るから、そんなん考えには及ばんし、泳ぐだけ無駄やから、無視する。
骨折り損を繰り返す骸骨たちは、外交に必死で、邂逅も見つめん、と悔恨ばかり溜め込む、し
至難を知らずに、均衡は保てんから、持ち合わせる是非で、どうとくか、が鍵であり、
この道筋にも、運命は何かを纏いながら、縺れては介し、劈きながら、この身に対しながら、
解消すべき自己を聳立させん限りは、千差万別に捉えられ、権限を用い、誰かを批難する。
忽ちは、自己に帰還するものでは有るが、問題は対象に緩衝し、自己に降り注ぐから、
なるべくは、空っぽにして、楽観的に考える事こそが、この上昇する意識に達する結論でも有るが、
ありのままに対処し過ぎても私議に絡まり、誰かの思惑に潰され、自己の枠内で絡まり、
考えの円環から抜け出せん、と考えに留まるが、そんなんは、結構、簡単に解決する方法が、
ごろごろ、未然に転がってたりもするから、その時に対さず、時などは、無視すれば良し。
稀有な出来事は、類似しない感情に対して降りかかり、凄く生きている事の実感を感じさせてくれたりも、
するから何か生きている、とは奇っ怪な事で、機械的では無いな、と思える。
この夜は憚るだけに募る運命などをひけらかし、君の目先に陥るべき理論などを用い、
危難を加えよう、とするが、焦臭い出来事を持ち込んでいるのは、自分やったりすることのが多い。
もののあわれを知るが、憐れみ溢す事は、殆ど無い街並みは、どれもこれもを感じながら、
砕身してまで情念を溢す事に対して是非は持たず、自己に介して何と成すばかりを思い、
なかなか人の為に、と言う事を行わない。
所詮、元々の価値とは、もたらされ、もたれるだけに重くなる、と考える限りは、
その考えを飛び越える事は出来ない。偽善的ではあるが、毅然、と執り行う事に対して、
感情を持たず、動機も持たぬ行為に対しては、偽善、とは言わず、
思い患いながらも少々の慈悲を溢せば、何かに介し、自己を整頓させ、
横着し困難してた状態を正すような事柄ばかりではある。
忘れるだけに遠ざかる意識は、煩わしいだけだ、と喧騒は告げる。
掻き乱す一瞬は、贋物の神を崇めながら、対象するべき自己を持たずに、
時節を踏み荒らす。
購うべきは自己にあるが、持ちすぎる自意識は、自己愛に転換し、邪魔になるから、
なるべくは、総て捨て去り、用いるべきものが何であるかを知り、
何でも無いときには、持ちすぎる事も、邪魔になるから、
なるべくは、何も求め無い事にする。
悉くは、頓挫するが、座礁せずに、正否はなるべく持たずに、
自然、と執り行う事にこそ、本質も詰まるものだが、
この本能、という奴は、堅持すべきは何であるかに対し、邪魔するから要注意。
訝る思いは、何度も簡素な思いに詰まる。煮詰まる思いは詰まるほどに、
邪魔になり、嫌忌ばかりを積み重ね、権威的であろう、とし、誰かの心に鬩ぎ合う。
形はいろいろあれ、ど世間体などが邪魔し、思い切った行動を起こせぬ事も価値ではあるが、
それでは次なるステージには進めず、荷担すべくは何であるかを解けず、
重荷になるだけに、足並み重く、足並み揃える方が、楽だ、と思い、
その思いに対処すべき理論を用い無い限りは、対すべき対象も持たずに、
自己に帰還する意識は、短絡的な物事に陥落し、勇敢に生きる事を知らず、
考えだけを便りに、感覚で知る事を知らず、
閑散、とした現状に立ち止まり、たじろぎ、戦き、対処すべきを足し引くだけで、
何も見出せない。
ただ考えを超えろ、とだけ言い継げ、
この先々は転移しながら、簡素な情況に冗句などを溢し、
関する出来事に対すべき対処法を用いる事が無い限りは、
消え去る出来事に絡まるだけで、ある。
感謝。完遂する意識は、感銘に蕩け、熱情する意識に達し、大気圏を越え、宇宙に達する。御礼。
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