2012年11月18日日曜日
命の位置。
赤いルージュのような太陽が堕胎を繰り返す。日は逆心に昇り、逆算される秒針は病理に旋回を続け、
この意味合いの毒素が滾りながら、裏切りが続く裏通りは、支配者の名の下に、気配を消す事が道理だ、と告げる
サイレンが唸り、過疎化している精神に起爆剤が落ちる頃には、心無い現実にも、彷徨える価値などが、
五月蠅く包み、謹む事により、弱気になる夜明けが、慟哭し、刻々、と連なり果てる頃には、
冬も一層深まり、一見の価値を引き合いに、連なる擬似恋愛の並木道にも、イルミネーションなどが、
飾られ、翳される傷みなどには、何も感じず、まざまざ、と過ぎ去る日々には、異様な雰囲気だけを感じる。
嵩張る思いは、高ぶるだけに見下す、と歌う街並みは、嘲笑仕切るだけに、生きている価値の本質に、
本心持ち込まず、持ちつ持たれつではあるが、奏でる気配は、掲揚すべき今に国家を持たず、
また共用する事実に言葉も持たない。裁かれる日々は、暴かれる程に、尊く鎮座し、沈積する思いは、
萎靡沈滞し、改革の名の下に対価を求める世界の表裏は同じだ、と言う人込みも、いつかの悲しみは
捨て去り、いつでも加害者で有るべく知らない被害者を責め立てる。
この市街戦は最もな武器は用いず、最もな卑俗さにより、破壊し尽くす論理を保つ、
このロジックをマジックで黒く塗り潰すが、不躾な思いは、歪に介し、この心にも卑賎な心を与える。
抗うべきは、この情況に存在するが、蟬蛻し、背く私に、背中は無く、総ての攻撃を受け止める為の
腹は存在する。曖昧な主義により、私議を重ねるだけでは、経済成長も整腸剤欲しがり、下す思いを
治したいだろうが、怒濤に過ぎ去る季節に降り注ぐ、プロパガンダも、プロトニウムになるだろうが、
担うべくは掬う価値にもあらず、と告げる金魚たちは、自分が掬われないように、見え透いた事実を
繰り返し、恰も生きてるだけに打算される価値に価値を用いる。
何が本質で何が真実かを知らずに、白々しく続く日々だ。巧拙を論じない限りは、この機関は
打ち砕けない、と宣言する者たちが闊歩し、どうだ欲しいだろう、と告げる道楽が、
この身を掻き消す。この夜の星空は巨大な乳房だ、と嘆くカラスたちは、乾いた心を潤わすような
目を用い、この意識に割っては入り込もう、とする。倒錯する意識に分散される景色は、
重用されずに、目眩く変化し、車のクラクションが雷鳴のように聞こえた時に我に気付き、
我思う故に我は無い事を知り、拵えるだけの出来事のデコレーションの尾鰭を掴みながら、
必死に藻掻くだけのようにも思えたりもするが、この意識に縋る程に、低下し、体たらくな現状に
大破するだけの感情などを頑丈にすべく、雁字搦めの日々にラメを降り、
不利な現状を少しでも輝かせよう、とするがために、縋る事ほど残酷に陥れるだけの権力者が
独占したがるような季節に刃向かうべく、この意志に堅持すべき権威は無い、と宣言する聖者こそが、
姑息なようにも思えるし、やがて切実な摂理などは、不必要の異物になり、総ての書物は、
燃やされ破られ、語るものは魔女狩りにより、その我利に咎める意識を自分たちの価値により、
その価値を讃える為に評議を繰り返すだけに執行される日々などは、結局自分の保身であり、
それを守る限りは、下の者は従わず、下の者は卑俗になるばかりだ。
何を担い似合う服を着せるのか、と迷う親たちが、ドメスティックに叫ぶ。
その叫声を聞き、正す結論を持たずに、多事の道徳を突きつける動労者たちが、功労を値切らず、
強請る頃には、総ての価値は、崩壊している、と知る。
「流離う意識は、阻まれる程に、燃えたぎる。嗅ぎつける意識は鍵を破壊し、餓死しない意識は、例え、その場で行き連れの病魔をもっていても、負ける事は無く、かまけるだけに昇華されるだけに過ぎぬ。この命に何の原理も無く、理由すらも無い。導かれる程に枯れていく景色には目もくれず、咲き誇る花々には、この命に答えなどは無いのだ、と教えられる。時折は、徒労を重ね、紅葉し、いつかは枯れ果てる事実を重ね、またいつか誰かの心で開花するようになどとは、願わず、そっと与え、さっと消え去るのみだ。この行いにこそ、永遠は詰まり、永遠は陰影になり、いつかに介し、治した日々に永劫を重ねる。感冒に存在する暴徒は、限りない信仰を連ね、拙い思いを進行させる。投棄した思いは、好機を探し、茎をよじ登り、誰も蹴落とす事無く、慧眼し、どれもこれも同じものだ、と告げている。続くようで後が無いのだ。この命は。解決する事も無く、快活に生きるほどに、程良く言い切れることこそが、この今に連なり、未然に長けては静聴し、心許ない現状に何かを与える為に、ただ有りがたく抗うようなものだ。対立しても、守るだけでは補えず、蔑ろにしながら、身体を加速させ、分離する主義に思考などを用い、思想はなるべく持たずに、進む事こそが、難癖ある、現代の生き方のように思える」
呟く夜は朝を睨んでいる。忽ちは、共同を求めるが、同意すべき価値は持たず、その場に主観を置かず、
関すべき答えも持たず、その場に流される。
怠惰な意識は照明すべき物質に値札を付け、自分の名札を捨てたがる。
違う命は、関する事実を捨て去り、自己にに鏡像を持たず、誰か、と照らし合わせ自己を満足させる。
その欺瞞にすら、何も思わず、思惑だけが通り過ぎる現在に永劫を授ける。
この喧騒に権利は無いからこそ、権威は不必要だ。建築的に積み上げる今に罪は無く、
支払う義務すらない。ただ生まれ住まうだけの者だ。
この今に廃れる価値だけが、補う事により、物事のよりけりは似通いながら、同意される使命だけを
泳ぎたがる。集うべきに自由は無いが、一人だけでは、自由にも思えず、
独りよがりに笑うだけでは、何の至福も得られぬ。
この息吹き返す街並みにも、五月蠅く付きまとう事務的要素が満載だ。
緩慢なその要素は中核を持たず、浮遊し、脳裏にこびりつくから注意が必要だ。
聳える意識だけには、自壊する事もあるだろうし、乗り越えれば、なんてことの無い事実であった、と
笑う日もあれば、泣く日々もあるものだ。
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