2012年11月19日月曜日
単一な生命の歌。
掘削される夜は、程良く未来に介し、未開の意味を辿り、誠実な時に平伏す。
歯止めも無く、陥落しない今が折り重なり、この勇躍する今にこそ、比する日も昇る。
下す頃には、悉くは沈積し、最たる威厳に持ち合わせる意味などに完全性を持つ頃には、
総ては重荷だ、と知る。寂れる季節に飛び交う冷たい風が瞬き、この事実、と絡み合いながら、
豊かな思考が思想に変わる頃には、総ては邪険で有る事を知るだけであり、この愛惜を辿るだけに、
繋がる季節だけに打算され、軋みながら、支え合う事を知らずに、自然、と分かち合いながら、
愛するだけに処方される無為な薬も受けとらずに、膿んだ傷口のままで、産み落とす日々は、
完成されず、感化されず、際限無い欲望、と横並び、抑止しない意識は、その自己の力学を見失い、
嘯く程に絡まる現在に失錯する限りに倒錯し、権限、とは何であるか、と抗うだけでは、
その意志に拗れるだけに、拵えるだけの聖域には辿り着かず、短絡的な勢威にふるい落とされ、
古傷貪るだけに、貪欲に蠢くだけの意識に食い尽くされ、朽ち果てる。
「淡麗な夜は、炭酸のような気泡を上げながら、夜の記憶に霞む。総ては孕んだ後の奇蹟だ、と宇宙の母が語る頃には、このパーソナルスペースは自己の立憲を既存の価値で、定め、利己的な自己の支配により、気配を消すだけに彷徨う意識は、囲うだけの質疑応答に誘われ弁証法を持たず、ただ打ち砕かれるだけの意志に意識を奪われる。忽ちに答えは要らず、答える程に、応答しない現在は遍在な意識を保ち、兼用されるべきは、意志になく、単一な愛に存在する事を知り、永遠克己する為に、この今に貸し付ける事柄などに代償は要らぬ、と宣言する。奪われるものも無ければ、与えるものも無く、持ち合わせる是非も無い。解答すべき事実に答えは打ち寄せるが、押し寄せる程に、零れるだけだ。打ち付ける鉄槌が降り注ぐ真夜中の動詞を重ね、この飛び越える乏しい事実に均一性も無く、緩衝すべき事実に対する事実も自己に帰するだけであり、あらゆる出来事は、この身に運ばれ、大した出来事も無い事を知る。ただ、この鼓動が続く限りに動作する、とニヒリストは語るが、この世界の殆どがアニマルである限り、あらゆる出来事は、人間性を持たずに、自己の権利だけを押しつける。高みを目指さず、高貴であるべきだ、と告げる。許し合うよりも、許す事を告げれば、宗教すらも無くなるだろうし、短絡的な道理すらも無くなる。この夜はあらゆる生死を境目の起源を彷徨い、新たに抗い、過去に対しては、心を持たない。持ち合わせる現在は、持たされているだけであり、持たない限りは、凭れるだけに項垂れる。駄作の夜に佳作を求めても、持つべき傘を持たない限りは、雨に濡れるだけだ。だが、濡れた感情は揺らぎ、その意識に滞留せず、濡れれば濡れる程に、流される意識は、滞留せず、自我に氾濫し、溢れた感情により、昇華され、去り行く夜は、単なるジオラマの中でドラマを繰り返しながら、霞むような思いに欲念を孕み、あらゆる出来事の踪跡を踏み荒らしながらも、整える事により、より良い結論が結合され、この夜に答えは無いから、と堪える身体を眠らせ、去り行くままに遠ざかる記憶を宇宙の果てに捨て、廃れる意識は互い違いに交差し、動作しながら、至難を加えるが、危難にはならず、たとい、金満になった、としても満腹になることは無く、ただ欲望に陥落するだけの事だ、と知る」
錆び付く今に愛の潤滑油が落ちる。ざわめく感情は静寂を求め、あらゆる嫌悪を溜め込むだけの
喧騒を泳ぎたがる。違う意識は孤独を求め、静謐感漂う閑静な情況に意識を霞ませる。
忽ちは、正否を求め生涯を埋めながら、理解を超えた理解の最中をふところに置き、
懐かしむ意識も霞む頃には、未来もどんどん長けるものであるし、
この憐れみ引き返し、誘う意識は囁く程に、魅惑に尽きるだけであるし、
考えを変えれば、この開花するだけの日々に代価は要らず、訝る今に着飾る衣装も要らず、
指針も要らず、標識無いからこそ、この運命は、めり込む程に、こじつけるだけの意味合いを撥ねのけ、
だんだん遠ざかるだけの身心に、季節は加増しながら、この因子だけに絡まり、
因果など、と謳いながら、動静し、裁かれる程に暴かれる事も無く、あらゆる出来事の功績を歩んだ事にだけを、
誇りに思い、兌換すべき今が、果敢な理由を持たずに、無知で居て、聳える理由に利用されず、
離心しながら、宛らの動機などに、見向きもせず、阻めるだけの意識に打算すべき理屈も無いから、
拵える程に、超えるだけの日々にこそ、奇蹟は何度も生まれ、初心でいて、童心であり、
離愁しながらも、生命は溢れ、近接する出来事には、大いなる愛を放ち、
間接する愛に嘆じる事を教えられ、ただ押しつけ、押しつけ合う事も無く、自然、と入る感情にだけ、
同意を求め、固執しない意識は未明の真実だけを受けとり、打算すればするほどに、
総ては数学的要素を孕むから危害を生むものであり、この命に、量子だけが重なれば、
飛び交うだけ命に成り得、会得した、としても尚、この考えには、完成は無く、
考えは思う事の重荷であるから、この考えに意識は持ち込まず、単なる意志だけで進む。
「達する意識はいじけ無く、味気ないものだ。枯れ果てる今の落ち葉を燃やし、幾重にも飛び交う可否を抱きしめるだけで、使命は終えるものだ。持ち合わさる愛が汎称すれば緩衝される出来事の均衡も正しさを持ち、持ち合わせるだけでは、印象は保てず、今が絵画、と化すから、対価を求めぬように、退廃しない意識だけは、保つ。生じる先々は、実勢に溜まるだけの五月蠅く喧しい出来事を重ねる。聳立する意識は、何度も踏まれ、何度も枯れながらも、新たな生命宿し、稜稜、とそり立つだけだ」。
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