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2012年10月14日日曜日

提言すべき夜の資源に成り得る日記。

気骨に溢れ飢渇する意識を蒙る。酷く苦痛を抱えるのが、生きる価だ、とするならば、 バラバラになるまで使い果たし、使われるよりも、仕るように、償い消える。 消えた、としても残るものは、殆ど無いからして、この命の失態も蟬蛻し、鬩ぎ合うよりも、 持ち合わせる慈悲により蠢き愚行重ねる夜にひけらかすべき是非は持たず、 心無い現存に示すべき意味合いだけを解き、施すべきは天地に無く、転義する意識に存在する、 聡明な主観を飛び交いながら、重なり合い、相成れば尊く、相成った、としても重荷にも成り得、 得たところで、所々は、おどろおどろしく五月蠅く、俯き卑しくも有るが、それだけは捨て去り、 去り行く夜の裸子に乗り、はぶる空間に簡易な愛を放たず、本質示すべく孤独に愛を感化させる。 夜の理解は程遠く、程良く溶け合う限り、蕩ける。 君は乏しく歩き、癒えない傷に、Yes、と告げる。少ない償いは、未明の夜に頓挫し、座礁したままで、 心の氷河を彷徨い、一つの孤舟の幻覚を見ているように、無くした愛に彷徨い続ける。 連なる意識は除名され、根底の意識を無くしている。 心無い夜に花開き、溶け合う意識は長じる意味を無く、画すべき瞬間を持たない。 もたらされる出来事に去り行く幻影だけを眺め、諦観するだけでは味気ないから、 実験的に執り行われる日々に執行されない為にも、考えを少しは持つべきで有り、 持たない限りは、媒介者に吸い取られるだけの、吸い尽くされるだけの者で終える 自己の傀儡に喘ぎ、思い返すだけに止まり、止まる意識は、あの頃は良かった、とだけ 連ね、今の辛みを画す事を知らない。 知るべきは現状に染まらない意識の向上心のような同等の意識に示すべき是非であるが、 如何せん倒錯する情報網により、物事の善し悪しは陳腐な意識に止まり、それが応えだ、と 自己の応答を問う事を知らない者は、止まる意識に絡まり、何が答えであるかを見失い、 本質も無く失意に生きて、怠るだけに、こだわる。 自然、と調和すべく、静まる夜に眠り、明ける朝日に淘汰され、小唄挟む昼に交錯し、 小房に止まり嘆いては、広がる意識に転じる。 喧騒は、恰も広いようで、狭い意識に、こだわる。止まる意識は蒙るべき事を知らず、 受け入れるだけに溢れ、氾濫した意識が濁流、と化し、総てを濁すのかも知れないが、 視点を変えれば、闡明に生きている限りを連ね、選択の余地も無く、泣く泣く行き交い、 生きている限りに尽くしている人々で溢れかえっている。 帰るべきは自然にある、とだけ告げるのは、余りにも、偏った意識では有るが、 それが本質でも有るし、やがて有すべき事柄も、地上に眠り、何もかも忘れ 蛹になり、また何れかの時代に産まれ揉まれながら、もたらされる意識に著明な瞬間などを与え、 主観を讃え、寒靄に曇り、諄くも俯きながら、上向き、発芽し、枯れては、また地に戻る。 形骸化した夜が陳腐に嘆いている。痛ましい夜は、希望を忘れ歯痒く悶えるだけに過ぎ行く 季節に鎮座し、歩みを止めている。 止まる意識は、怒濤に生きる事を忘れては居るが、止まる事にも、答えはあり、 単一に蠢くよりも、眺める事により、見つかるものも大いにある。 この現実がリアリズムを忘れ、単なるリズムになり、イズムになるまで、歩みを止めず、 前へ前へ、と押しのけるだけに蠢いている意識たちの横道すり抜け、狡猾に笑うよりも、 直線歩き引き連れる意識に付いて来る物事の混信に彷徨いながらも、 根生行き交い、一つの花になるような契機を用い、賢智を用い、 進むべき是非だけを負いながら、それが重荷にならぬように、と大いに笑う。 感謝。応益求めるよりも、生い茂る意味の蘂に与える種子であるべく、あらゆる事柄の、結合を執り行う。御礼。

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