2012年10月25日木曜日
超越した意識の高揚。
転義を用い、事柄に対して行く。対象は自己に介する欺瞞を押しつけ、撃ち抜くべく、持ち込む意識は、
著明なものでも無ければ、もたらされる出来事の殆どは、ヘラヘラ、と笑い、こじつける意味に媚びうる。
蔓延る意識は堅実さの差異を計り、反すべき自己の対立に手解きを与え、対立していた意識は
分かち合い、一つの結論には偏らず、その結論の両方に、幇助する。
縫合すべき意識は、対象に介し、還元されるべきだ、と五月蠅く連ねる。拙い意識は穢い出来事に
関し介し、対象を卑下する事により、優越感を得ては、自己を慰める。
様々な散々な理由が、存在のつけいる隙を狙う。強請る思いは、強欲、と化し、求めるだけに、
その欲動する思いは、欲望にだけ介し、心などは捨ててしまう。
捨てられた意識は、廃れるままに、蔓延り、陥るだけに司る。それを嗅ぎつける卑賎たる者に
気配を察知され、飲み込まれるだけに、促される。
疑心は用いるべきだが、用い過ぎる、と動作の動機を失う。自己は自己に対象せず、
数多の事実に介入し、心の容量を狭めも広め、狭まりすぎた意識では、物事に介さず、物音も立てない。
広まる意識は、介すべき事実に飲み込まれ、対すべきものの摂理を見失い、偏る意に介し、猜疑に陥る。
両道を歩き、介すべき事実の中道などは、存在もしないが、尊大であるべく広大な意識は保ちたい。
対すべきは、清逸な時に関すべき自己の始まりに存在し、聡明さを求める差異は、痕跡を歩き、
重要な要点を掴み、好転すべき事実に対して絶え間ない愛を放つべきであり、
有り難みも、いつかは、あらゆる事実の緩慢さに微睡み、その有り難みも、対すべき対象を求めるだけに、
敢行する意識に空回りする。
対象を失った心は、上辺のものを求め、そのものの内容を求めもしない。
内包される事実は、心無いものに対して惹きつけられ、容態を忘れ、走るだけに過ぎ去る風景に
見向きもせず、その風貌に司る雰囲気も見ずに、対していたのだ、と勘違いする。
「寛解すべきは、病理になく、思う事柄に対して存在し、大海に溺れ、快活な日々の細やかな部分に存在する、繊細さを用い無い限りは、寛容さを忘れ、患うだけに留まる。嗅ぎつける思いは、見収めの事実を操作し、奏すべき事柄の形を様々に変貌させる。建築的な日々にも、精密さが無い限り、少しの出来事で崩れ去る事を知る。賢明に生きた、としても、生きる事だけに介す、と物事の本質を見失う。その場に存在する出来事などは、過ぎ去るだけに弛み、爛れながら、隣接すべき事柄の至福に溶け合う。蔓延る意識は調律され、事柄の良心を探り、堅実に埋めるべき事柄だけに、無尽蔵な愛を放つ。荷担すべき事実の閃光を手繰り寄せ、寄せ付けるべき出来事の本質を知る是非を知るべきである」
この世は糞みたいな出来事の応酬だ。押収されるのは、強者も弱者も同等だ。
何を用いても、何かに対する事柄の対象に介し、感ずる事柄により、変貌する意識が促しているだけに、
過ぎないことを知らない限りは、拙い思いに、切磋し、関すべき時代の微睡みの枠組みに嵌まる。
完治すべきは、総ての主事に存在する傷みだ。関すべきは改質すべき対象に持ち合わせるべき愛の記号だ。
改竄すべきは、既存の価値が押しつけるだけに、留まる意識だ。
解放した、としても自由はあらず、本質から望む自由などは無く、隷属しながらも自由であり、
何かをしていても、しなくても、不自由なままであり、
その自由も不自由も、同じ意味である、と知り得た事が自由である、と知るべきだ。
「嵩張る意識は五月蠅いだけである。我が清逸に存在する壮大な意識は、広大な意識に荷担せず、万物が織りなす総ての意味合いに微睡む。信心すべきは、何にも無く、信じる事により留まる意識のが問題だ。代償は抗すべき事柄にもあらず、あった、としてもその場で枯れ果てるか、勝ち誇るだけに、家畜化する意識の餌場で屠殺されるのを待つような生き方だ」
謹厳たる日々に立ちこめる意味は、滞りながら、永らくの囚人で居る。
隷属する価値は首輪に繋がれた意志だ。苛烈な日々に絡まり合うだけに、留まる者は足枷に嵌まる無意味だ。
聳える価値は、幾重にもカテゴライズされ、後来するだろう、と形骸、と化す。
掻き乱す思いは、可燃されず、不燃物や不純物を溜め込みながらも、進み出す一歩を知る者ほど、
強い者は居らず、用いた、としても、信念だけでは、何も為し得ず、対する愛を用いる者は、
いつまでも崩れない。
空説過ぎり、それを確信、と捉える。寂れる思いは寂れるだけに留まる。
滞る意識に答えは為し得ず、為し得た、としても介すべき対象に答えを求めるだけでは、
何も解消できず、回収もされず、悔恨に纏わり付き、取り除けない腫瘍、と化し、身心を蝕む。
咽ぶ思いは、結ぶだけでは味気なく、自己を超越しない限りは、限りある意識に留まる。
解放すべきは何処にも無く、根底に存在する聡明な瞬間に存在し、
短絡的な出来事に介す事柄にも存在し、それを知り得る事こそが、解放に繋がり、
それに勘違いしないために、完治も、寛解も求めず、ボロボロの身心引き摺りながらも、
聳立しよう、とする意識にこそ、総ては溢れかえる。
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