2012年10月29日月曜日
ニヒリズムをカオスティックに超越し私道を徘徊する意識。
蒙る先は偏執しながら、誇張され、耳元で五月蠅く囁く。弊害を重ね、豪勢な時を隔て、
関すべき愛に手解きを受け、相対する日々に足し引きなど無いが、押し引きながら介し、
導く時の潮騒に対し、物事は拮抗し、緩衝しながら、程良く自己に浸透し、みすみす、と促す時の
心の内側で弾けながら泡、となり藻屑、と化し、貸し付けられた身体に対し、瑞々しい心を繋げ、
関すべきは、後退しない意識に対し、押しつける威風のようなものを気風に捧げるべく気骨あるように、と
促す先々に対しては、総ての答えなどは不必要だ、と告げる。
つくづく味気なく、劈きながら、躓き疎ましくも占い、時折は成熟しながら、正否を求め、静寂に介し、
感冒に対しては、寛容であるべく相違を求め、甘美たる永遠に立ちこめる事々も、姑息さを放つが、
関すべきは、寛解すべき心の病理に対する愛であるが、如何せん混線極める現代、という奴は、
疎ましく上等な意識を紡がない。
霞むような嫌気だけが噴気し、陥れるだけに価値を赴ける。転じるべきは、正攻法な事実を拡散すべきでは、
あるが、権力、というものを未熟なものに与えるから、モニュメントばかりが増えてセメントばかりの
セメタリーが増え、センチメンタルな季節に覆い被さり、流された思いを傍観しながら、関すべき情愛には、
対さず、大差無い日々に介して、関すべきは、私欲にあり、と告げる強欲は、一向に効力を失わず、
煩わしく忙しく資産繰りを繰り返し、奪われるものか、と暴く日々は、何の意味も保たず、持ち合わせるべき
今すら用いず、もたらすだけに凭れ、促すだけに悪意を堕胎し、応戦すべき事実に対しては、弱者であろう、とする。
立ちこめる雰囲気は絶え間なく、まんべんなく、どのような者でも、醜いものだが、
還元される物質に関するから、だと思う。だから見にくくなるのだ、と。だから、何だ、とも言えるし、
弔い討伐すべきは、干ばつ押し寄せる現在の心を覆うような応用を突きつける為に鋭利な言葉で刺すべく、
否、と丸みを帯びた心で支えるべく、否、関すべき事実に大差など無い、と突き抜ける為に
顕示しない誇張を続け、けたたましく促す今にこそ、固執しない永遠が存在する、と告げる。
「最もな鋭利さは自己に刺さる。最もな緩慢さは、自己の差異を失い、誰かに介し、誰かに媒介し、誰かを批難することにより、自己の差異を埋めるだけの自己の存在を持たぬ者の哀れだ。哀れむべきは、強弱関係無く、軟弱に押し寄せる。関係性は、遠端に立ち尽しながら、尽くせるか、どうか、と告げる。同化する思いは道化であるから、対すべき自己を自己を持たず、利己的に補う価値を用い、誰かに相対すべく、関した理由を用い、君の心に介したがる。縋るだけでは、肝心な自己を見失う。見捨てられる価値により、物事のよりけりは、善し悪しを決め込み、まざまざ、と支配したがる。従う意識は、隷従し、その支配の気配に従順であろう、とする。重々、承知しながら、従う意識は、知った口を放ちながら、理想的な愛を放ちながら、自己愛に陥る。飢渇する思いに対する愛は、悲哀に導かれるだけの曖昧な愛にだけ靡き、関すべき愛に対して心を持たず、自己に隆々、と流れる意識に対しての愛にだけ、従わす。審査を加える愛は、至難を持たず、危難に陥り飢渇しながら、自己を潤わすだけに裏切る。機械的な愛は、総てに従いながら、反動する意志を殺め、対処すべき心を持たない。規範的な愛は、模範で有ろうとだけに、有し、自己ですら有ろう、としない。関すべき自己を失いながら、自己の背びれを掴み、自己の尾鰭を歩く、その場に司る思いも、いつかは老い耄れるが、若いだけでは、何も無い事を識り、単一に老い続けるだけでは、何も無い事を識り、正常などは無く、異常すらも無い事を知り、善悪などは、初めから無い事を知る。単に、浪々、と流れ、立ちこめる一瞬に頓挫する今に蔓延る今が、延々に繋がり、見果てぬ現状を徘徊しながら、僅差無い今に、規範なものなど無い事を知り、目眩く日々に価値などは、存在せず、存在した、としても、それは見せられているだけに過ぎぬ事を知る」
見つめ合う意識は、照合され、去り行く意味合いに施され、程良く溶け合う意識が愛になる。
安定などは、決してないからこそ、安定を求めるが、安全などは、決して無く、判然に派生する事柄に、
絶対もある。それを求めぬ限りは翳るだけに現時点も現実味も見失う。
揉まれる意識は、一過性のモラルに悶えながら、息絶え絶えに進む。
行き交いする思いは、示唆などを繰り返し、愚行を繰り返す。鞍替えすべきは、既存の価値に存在するが、
存在する事すらも、価値には無く、定める位置にこそ価値は存在する。
転換すべきは総ての微睡みに介し、対する思いの差異の彼方に鬱血している。
関する出来事は、自在に変貌し、変転しながら、価値観などに、尊大さは無い事を知る。
切磋する意識は、すり減りながらも、すり減る事により、本質から補うべきが、何であるかを知り、
今に平穏などは無いからこそ、優雅さを蓄え、一律の幸福などを克服しては、
不幸であった、としても不幸とは、思わぬ。それは誰かに思わされている事を知り、
その誰か、とは、自分自身だ、と言うことを知り、寡黙に滾り、大愚に戦かず、関すべき今に解明すべき
自己を調律し、一介の出来事などは、関すべきでも無く、抗すべきでも無い事を知り、
悉くに、存在する出来事などに、本質も真実も無いからこその、絶対だけを求める。
無に介し、無に対し、永遠であるべく、この意識に緩慢なニヒリズムなどは、決して無く、
躍るような意識を指揮し、一人で執り行うオーケストラだ、と告げ、この繋がる意識は、
何処かに対してだけは、勤勉な愛であって欲しい、とだけ願う。
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