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2012年9月28日金曜日

剪定される一輪の理に対する夜の割合を比する日記。

夜は見栄えは良く、無垢に広がり、利潤を含み、可決する心に鳴り響く。 慢心は弊害を生みながら、択一な愛に犇めいている。励行する愛が嘆き、破傷風の身体を抱え、 キャンドルに照らされる夜の不可思議さだけを、示唆し、この拒絶する世界性も、やがては淫靡に包まれ、 まことしやかに嘯いて、包まれるような感情を央軌させ、既読する毎日を流離い、 毅然、と行う毎日が、悟りを開いては、短い刹那を綴じ、ふくよかな今に耽美を与え、 物事は、ゆっくり、と深緑に消え、果てしない四季を流転しながら、万物に帰還していく。 行く末は誰もが知らぬ物語を形成し、この痩せ細った感情にも、やがて真実の愛も降り注ぐだろう、と 促すよりも、この夜に開けた愛を結び、無数に散らばる意識に囀り、疎ましく連なる慈悲を支え、 配備される数多の事実の流れを感じ、無作為に広がる現実を転じ、やがて静寂に包まれ、 提要される現実に即座に蹴落とされながら、去り行き悶える意志を抱いて、 小さく円らな現状に秤は要らず、と告げ、風声に登り詰める残り香を辿り、 少しの空腹を癒やしながら、減退しない心に詰まる内情を、そっと捧げ、張り詰めた現実に、 やがては、単一な、やがてであり、手当のような現実も、優しく微笑みながら、 内心に詰まる激情も仄か、数える月日も躍動し、数々の時間も、主事を保ち、 全貌を説き伏せながら、感情的に息吹く毎日に優しさも切なく、心許なく生きた理に対し、 少しの起源も呈さず、根治する感情は踪跡を歩み、結ばれる赤い糸を手繰り寄せ、 ただ、ある自由に納期される解放感など、と羨望しながら、この価値観で有る事こそが、 生きている戒律を踏み躙り、誰にも為し得ない結論を得るからこそ、噛み締める今も、 反旗を翻し、やがて切実な時間を迎えるまでは、私はなるべくでは有るが、心を楽にして、 少しの笑顔に鎮座し、沈積する思いに悲愁を漂わせ、酔いしれる後先も、陳腐に靡きながら、 感傷的な時間を再起させながら、またまた笑う為に、この世に生まれ落ち存在したことを便りに、 こんな困難を渡ってきたのか、と。簡素な気持ちも、瞬く間。 焼け爛れた感情から吐き出される積荷も、面影を囀り、蔓延る意識は、効率などは、求めずに、 恋する翳りに、顰蹙を買うような、未熟な愛では有るが、関する意味に、消失する現在も、 きっと大昔から、優しさの茎を登り、躍動しながら、総て、と調和し、適合すべく、 今に端折る現存する価値を引き合いに出させず、懇切に仰ぐ夜だけに、 この真相を明け渡し、私は流離う翳りに、刺すような傷みを抱えながらも、 乏しく突き抜ける月夜に堅実な意味合いを露呈し、怪訝たる今に、囁く事柄も、 厭わしく連なるだけに過ぎず、この追考に犇めくのは、現在を材料に、懸隔を埋める為に、 建設的な喧騒を歩き、凍てつく胞子で、心を兌換しながら、人生の系譜を踏み、 微睡む季節を飛び越え、同じ意味合いに徒労せず、蕩ける事柄に、人生の心地を売る。 全身全霊で、夜を写し出す。形骸化している夜の残り香を囁く饗宴が、姦悪を突きつける。 君は自覚しているようで、誰かに扇動され、枯れた感情に与える水を欲しがる癖に、 その羨望する意識に絶えず、信仰すべき実像を与えはしない。 安易なポピュリズムが生み出した、捏造されたリベラリストが徘徊し、保守すべき事柄の威風に靡き、 たった数千年の事柄で進歩してきた生き方も変わるべき時代だ、と何度、と無く促しても、 この現状の腐食が補え、と言うのは、今よりも、尤もなものを欲しがり、欲しがるだけに、 増える欲望に動向を突きつけ、その暴徒、と化す自己に、詭弁を吐きながら、恰も、 自分が正しいのだ、と突きつける自分だ、という。 そんなものである私も、もう辞めよう、と思う。成長有れば達観に戦き、見つめる先は、 傍観に引き寄せる諦観である。或いは、この命の契りを数え、動機は不安定では有るが、 君の言葉を信心に、もう二度、と陥らないように、この領域は、散じる意味に、放射され、 君の心に既読され、分かち合う意味になれば、私も生きて来た限りも有るものだ。 未熟である夜は、幽閉され、時折の欺瞞を吐き出し、閑散、とした現状に降り注ぐ自由を飼い殺しにしながら、 流離う意識は、光年を超え、磔のビーナスの一筋の涙で滑り落ち、 美麗に佇む今が、汎称し、やがて失うものだけに囚われ、情感に靡く現状を知りもせず、 持ちつ持たれつであり、もたらされる事実は、期日をはみ出しながら、悶え、 持ち合わせる時期は、誰もが決められた定めのように、運命論を歩き、 感情的な景色も、芝居を辞めて、生じる先の意味合いだけに、零れるべきである。 価値観は狭まり、広がる。もたらされる事実により、その問題は、膠着したり、諦念したり、と 大忙しな脳内だ。脳内回転数は、宇宙の始まり、と調和し、調律していく意識は、無意識を超え、 超域に存在する意識、と繋がる。 総ては、表裏を表し、対立する。数理に決められた物語が、交差しながら、交錯する意識は、 鎮座しながら、座標軸を探し、そこに根差す意識こそが、いじけ無く、自己を批判したり、逍遙させたり、 昇華させたり、と意志に反し、蠢く。意志は表面だ、とニーチェは促す。 隔意に存在する意識の著明な部分には、総ての理論、と繋がり、促される事実は、高直な奇蹟を生む。 それを何度、と無く、否、生まれてこの方、感じ続けて来たのだ。 聳える今は、物事に関与しながら、総ての時間を崩し、君の心に、優しくもたれかかるのである。 感謝。それぞれの自由を自負し、数々のジレンマも、後先に爛れる軌跡である。御礼。

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