2012年9月9日日曜日
怒濤に過ぎ去る命の一瞬の煌めき。
今を大切にしすぎる者は、明日に試みない。綻ぶ永遠を知らぬ者は、物陰を携え、鈍磨な感情で憐憫を
摘もう、と近道し、死生観を忘れ、寛容な事実に手解きを与えず、軟弱な現在に連なるだけの、幻影、と化す。
開花しない感情も、損なわれる事実に、心奪われ、歯痒く悶える意識の過程に飛礫を打つ。
その波形、と融合しない意識は、物事に緩和されず、その場しのぎの至極を得る。
強欲たる今にのさばる者も、季節感を封鎖し、陽炎のような実体を保ち、その微々たる熱で、
誰かの主観に媒介する。立ちこめる今は、過疎化した近状を保ち、酩酊する意識は、加点される
事実を仰がず、寡占されるべき心に名残だけを感じ、過去を振り返り、現在に愚行を行い、堂々巡りをし、
斡旋される太陽の下で、改竄されない自分を化合し、均等を保とう、とする。
我が物顔で顕示する意識とは、見世物のように、多幸を生み、贋物の感情により、その牙城を積み上げる。
外観だけは、煌びやかだが、華やかなのは、その外観だけであり、内観、と言えば、誰かに合わせるべき
是非だけを保ち、植え付けられた教育により、言い放つ言葉は、殆ど同じ様相を保つ。
近影に溜まる雑踏のニュアンスは、背徳感を保ちながら、裏切りにだけ映える。
寛容な事実に系譜は無く、持ち合わせ構築すべき理論も持たずに、右往左往、と彷徨う翳りに住み、
街灯に集まる夜光虫のように、いじけないから、集まる事で、その価値に返答し、自分を恰も、正しい者だ、と、
聳立させ、物事の転換すべき意識に価値を昇華させる。
もどかしい一瞬を携え、偏向に補う価値も、比率を忘れ、均衡を保てずに、瓦解し、破綻する一途だ。
一律の憤懣は病理を重ねたヒステリーのように、災いを呼ぶ翳りになる。
加増すべきは、この鬱陶しく連なる現象の仄かな幸福であるが、その理論を忘れる、と
論争に巻き込まれ、自分を正しい目で見つめる事は、殆ど不可能、と言えるほどに、その癒えない傷も、
癒えない過去も、拭い去れず、何かに縋り付く形で過怠し、結論付け、誰かの受け入れるべき慈悲を拒否する。
私の意識は破竹に蠢く。聳立する風景に、近代化の構図は要らず、必要な出来事を要請し、その意識を嗅ぎ取る。
堅実な日々は実験的で孤独では有るが、有する気持ちは、一律の旋律を保ち、総ての出来事、と連なり、
一律の出来事は、一部の描写に映え、添加物で補われながら、その真っ直ぐな世界線を歩き、
宇宙、と対話する。行為そのものは、拘引されながら、行為の名の下に自分を正すべき言い訳がましい
日常かき消し、立ち尽くさず、進む為に、この短い命も蛇行を繰り返しながら、行為に付属していく。
連理するように繋がるニューロンを弄くり、妨げる事無く、追憶に犇めく情感を操作する。
語弊は一律の不満を生み、不安に変わるが、恐々、と唸る現時点も、葬れば、生きた心地に変わり、
心は突然変異しながら、悔恨を溜め込み委ねるべき意識の頂上に登り、また下り、悶え苦しみながら、
また同じ場所に帰還し、飢渇したら潤うべき是非を問い、善と悪に存在する懸隔を埋め、
戒律に冷めた語源を放ち、悟性を求めるならば、その豊かであるべき、心の超域に嘆じ、
汝の為になるか、と問い続けるが、物体、とは軋轢を生み出し、その少しの擦れを埋めるべき、
擦れた感情は摩擦され、その軋轢の溝を深める構図を生み出すからこそ、その問題点の軋轢を
埋めるべく、自己とは、存在し、損なわれないように、平衡を保つ。
「生じる先は、光り、と闇を形成する。形は違えど、殆どの意識を刈り取る為に、価値が路頭に存在する。定価など無く、誰かが決め込む価値により、扇動され、その意識は膨張し、忘れた頃にだけ、伸縮される。査定される意識は肯定されないが、自己を堅持すべき位置づけに縁取りされる意識により、その枠組み、と体系は決まる。組織に存在する座標の中核を担うパワーバランスも崩れ去り、絶対的な誰かに支配されたく、その力は、次なる大きな意識を嗅ぎ取り、その意識に価値転換を行う。立ちこめる今は、濫立する風景に淡色な災いを残し、大災害の痕跡をかき消すべく、その心に代償を求め、絵空事のように、増え続け、のさばる主義は、効率だけを求め、心などは求めず、この矛盾論的な純真も、磨けば、一律の風景を瞬きはするが、それを誇示する為だけに、その意識を売り捌くだけの輩たちが、這いつくばる景色は、どれ程豊かであれど、何も残らない物を贈呈し、その心残りに卑俗たる者たちの、心の意図が絡まり合い濫立する風景は、薄気味悪く味気ないだけだ。だから、と言って、総てを否定する事は、人生を謳歌する、と言うだけの意味だけには反する。反芻すべきは、その物事に損なわれ、失脚し、弱体化している意識に存在する、脆弱な欲動の気配を悟り、同操作すべく、この同率を求めるだけの、好機に存在する運命の論調を探り、その狡猾さを止めるべく、次なる意識に転じるかを、講じる為に、誰かの愛であるべく、その許容量を明ける為の行動に移せるかにより、この寄せては返す現状の至福へ、と結合する意識に到達するかであるが、如何せん暇を弄ぶ者は少なく、見透かすだけに対立する意識たちは、見え透いた事実に嘯きながら、自己を埋める為だけに、その主観を使い、繋ぐべき主体を持たず、勤続する形で、諦め、と諦念を吐き出し、やがて遙か無気力な形骸なるべく担う未来とは、残酷さを保ち、その均衡の溝は深まり、仕った、としても、その信心は、数秒で消え去る愛の破片を露呈し、露骨に過ぎ去る私議を追う自己だけに、その荒涼たる現状を癒やせず、卑しさを纏い、間違いを正す事は無く、その間違ったままの意識こそが、次なる闘争へ、と向かい、暴利、と暴力に固着する」
正しくは有るな、ただ卑しくは有るな。有する価値は、酷く悲観するだろうが、その価値すらも捨て去る意識にこそ、
もたらされるものは大きくも小さく、小さくも大きく連なり、時間軸を潜り抜け、永遠に妨げるものは無く、
やがて自由も結論付けて、その印象を深め、動機不純な命に策略で補い、潤わない形で沁みる季節に
名残惜しい、と告げるだけに、止まるだけならば、今を兌換し、広域に転ずるべく意識を高め、
求める意識に嘆ずべき衝動を溜め込み、自己の抑止力を極め、一気に放つ瞬間にこそ、総ての主観は
愛になる。単なる愛である。私たちの生まれ持った形は、単一な愛だけである。
その愛の形は、三者三様に疎ましくも、五月蠅く、とも、弔うべき慈悲を持ち、意味深にかいくぐりながら、
君に浸透すべき意思を持ち、いつしか、といつかが折り重なり、瓦解し、果敢に挑むべき形成を迎え、
悔悟を溜め込むながら、給うべく担ってきたのだ。
猿真似でも構わず、それをどう、自分のものにするかで、新たな価値に移行する。
訝る命は、以下同文に過ぎず、と筋書き立てるよりも、奉る為に、始末の悪い現状の正気を保つよりも、
行動を、その行動の先々に存在する粗悪な意識であろうが、続ける事の価値の方が凄まじい事を証明すべく、
この葛藤とは、永遠に離れない愛のように、折り重なる。
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