ページ

2012年9月5日水曜日

建設的な夜の気配を悟る日記。

未熟な夜は誰かの童心である。同率に悶える風貌は、その先端を隠し、後景だけを残し、 恐怖に後ずさりしている。連呼する風景に携わる雰囲気だけを嗅ぎ取る。 籠の中の取りは、彼方の憔悴を重ね、美醜を漂わせ、鬩ぎ合う風景の内面に死活問題を突きつける。 そのままであれば、この要する形も、何かに荷担されながら、一つの愛の微睡みに消え入るだろう。 幼少期から燃やし続けてきた小さい炎も、本能的なものを含み、業火に変わり、 誰かを焼き尽くす事で、その満足を得るような結論で、物事は結合していく。 引き合いにする風景も、幾ら稼いだ、とか、と疎ましく、それが見出す価値に本質は無いが、 現代の価値からすれば、それは勝者である。 小者は、それだけを見出し、それに劣等感を感じる小心者であり、自分の昂進を行わず、 その行いを見ず、過程を摘まずに答えを引き出す無知な人である。 怜悧である私は、最もな情景で冷めた目線を繰り出すレイシストのように思える。 光年を携える風景は、光りの帯を放ち、歪な風景に、少しの愛を放つ。 渇水した心では、その小さな愛は見分けられず、迫りくる思いに、広がる愛が、 少し鬱陶しく纏わり付く。艶やかであろうが、その一瞬を摘み取る余裕が心に無ければ、 届くものも、届かず、不届きに迫る思いは、重荷、と化し、現実に迫る思いは、 鬱積しながら、硬直し、心無い現実に縋り付きながら、笑顔を忘れる。 私たちは煩わしくも、乏しく群がり、無理に繋がろう、と必死に徒労する。 高潮する風景は、魅惑の現実に司るべく、仲介を行う。 人知れず殺風景な道筋を徘徊し、人知れず、死に行く事が、人間の生と死の結論でもあるが、 ここでペシミズムを吐くよりも、掘り返さない人間であるべく、突き上げる人間でありたい。 突きつける武器は無いが、カタルシスを便宜的にこぼし続け、 反芻する意識を露呈するよりも、堅実であるべく、立証すべき現在に健常さを保つ為に、 はみ出し、蔓延る意識にこそ、吐き出された感情を吸い取り、 画期的な正論に変えることも出来るのであろう。 要するものは不虞に襲い、その要する形を保たない限り、その不安定な形は直ぐに、崩れてしまう。 人間とは、そのような不安定さを保ち、必死に徘徊するような事もあるであろうが、 如何せん生かされた命って奴は諦観を仰ぎ、責め立てるだけに諦念に結ばれる。 無為に徘徊する命は、行動理論を持たずに、流れるままに進む。 何事にも金がついて回るが、思いも物質で買われ、恰も、それで満足しているようだが、 欲望ってやつは、一度与える、と次から次へ、と欲しがるだけに縋り付く。 悶える今に、何かを与えても、それに反するものが無い限り、その限りなく欲動する 思いに負けてしまう。 否定するのは、簡単だが、受け入れよう、と思えば労力が必要な世界では、 賢智を持たずに、その愚行を進める為に、行軍を続け、 力を守る為だけに、その力の意思を使い果たす。 蔓延る意識は、その力に反し、躍動するが、渇水したままでは、起動せずに、 その反する命に対して、各職を与えなければ、補えず、 自己で脚色を行い、誰かに善く見て貰うために、欲深く進める先に、真実などは無く、 殆どが贋物の問責を続け、その答えを嘯くべく、その歪んだ口で、支離滅裂な羅刹を産み出す。 腐敗臭漂う、夜の銀河を歩く。突然変異した心が迫りくる。立ちこめる雰囲気は粉塵混じりで、 不縁な状態を保つながら、全部、と一つに繋がっている。 怠惰な時間は土足で、個人情報を吸い取る。利潤を求めるべく、吸い取る、その口は、 歪みきり、餓鬼のように、弛んだ腹を突き出し、何かを奪う為だけに、その主権を握り、 君に迫りくる。追い払おう、と必死に駆け巡るが、奴らは手を休めず、搾取すべく、 そのあくどいだけに考えを使い切り、君を覆い、いつしか、君は疲れきり、現実の赴くままに、 傾いていく。不確かな夜は不届きに迫り心を獰猛に、横領する。 転じる先は闇を触媒しながら、正義を保とう、と、何かを守る事に突き動かされる。 それを傀儡、と思うか否かに対しても、答えは出てこないが、自分の満足とは、 受動されて行うべきは無く、能動してこそ、本質の現実を見る事も出来るのだろう。 要する形は様々だが、その気配だけは残し、いつでも掴めるように、その領域から 転じる矢先の真実を見比べず、無垢であるからこそ、この夜に騙されてやっているのだ。 感謝。深く切り裂く大地に存在する悲鳴をかぎ取り、今日も終える。感謝御礼。

0 件のコメント:

コメントを投稿