2012年9月11日火曜日
夜の口径から眺める世界の剪定を行う日記。
強欲な夜は微々たる永遠を掴む。簡素な時代は請求書を掲げ、忙しそうにだけ駆け巡る。
加算される事実は、浸透せず、その場しのぎの永遠を蓄え、過去に帰還する。
現状は、一過性な飢渇を仰ぐが、思えば、この情事に司る現実とは、現形を保たず、
原拠、とされている場所に帰還するだけの翳りだ。先々は気概を含み、未来に進化する。
今に辛抱しても、何かは与えられぬが、求めるよりも、動機に堅実であるべく、
この嫌忌を悟り、禁忌に戦かず、定理を求めるよりも、その答えに存在する概念を打ち砕くような
生き方を学ぶべく、この命の居心地とは、俯瞰的に見ても、ずっと不完全であり、
ごくたまに、忽ちに永遠たる愛を見せつけてはくれる。
明けても暮れても、同じ日々の降車を終えるだけの日々に仕る思いは、ひけらかされ
誰かからすれば、渇いては居るが、実地に溜まり、忽ちに濁流、と化しながら、
流動的に進む。
膠着しているような余韻を保ち、予期すべき事実に感情を持ち込む。
紅潮する意識は夜にだけ加勢し、生動を補う。
単体である私たちは、孤独に産まれ、孤独に死滅する淡彩を泳ぎ、
淡々、と消え入る本心に躍動するような是非を問う。
悶える意識は理念を忘れ、時々の刹那に嘆じる。
納期される思いは、好機を求め、純白ではありたいが、それすらも難しく惨めではあるが、
見せしめに誰かを責め立てるよりは、この夜の余韻を示す値を忍ばせ、
凌ぎ斡旋されるよりも、渇する意のままに進む思いこそが、
この姑息さを少しは拭うのかも知れず、
時知れず、人知れず、ささやかな愛も、緩慢な現実に現実を打ち付けるだけでは、
未来に到達せず、その場の諦めに司る愛は、悲恋に濡れては居るが、
依然、として上向きに歩むべきである。
その場に枯れた愛などに膠着せず、次なる償いを求めるよりも、
この開花する夜に犇めく新たな愛に抗う方が、よっぽど人間的であり、
この人間性とは、苦味を帯びながら、突きつける傷みに比しながら、
太古から存在する遺伝子的な悩み事を抱えながら、現実に護送され、
吐露する思いは、誰にも届かないかも知れないが、
誰かには届いているかも知れない、と思わない限りは、
その翳りに跪き、肥満化する憂鬱に締め付けられる影になる。
その影から抜け出すべく尚逸な風景に拵えられ移行する意識を追いかけるだけで、
生きている侘びしさなどは、楽しさに示唆され、
その愉しむ意味の本質を知るべきだ、と促され、
ただ笑うだでは勿体ないからこそ、患う事にも然り、と告げ、その思惟は、
新作の夜道を歩き、新品の靴であるくような嬉々、とした感情を保ち、この現世を歩むのだ。
完結な日々は、終焉するだけに幕を閉じ、また第一幕に転じる。
ダイナミックに見える世界も、ミニマルではあるし、有った、としても明日失っても善いような
気持ちに択一する風景を保ち、明日勿れ、この災いも性懲りも無く、傷痕を宿すが、
補う勿れ、その場で止まる意識に膠着し、偶感を保ち、単なる満足で終わる。
均等な意識とは、起源を保たず、回転し、らせん状になった意識は何かを担わず、
運ぶだけに、その意識を兌換する。
勝ち誇るよりも、この重き足取りで進む日々に幸など求めず、赴くままに偏るよりも、
動向を求めず、思いのままに進んで、殆どの様相に勤勉であるべく、
脳裏は純真を保ち、受講すべき真実を信心せず、嘯く風景を解き、
危難を超え、徴候を宿し、生きる限りを知り、翳りを知りながら、
その状態に覆い尽くされないように、その場には止まらない。
幸運を運ぶトンボ、とチキンレースを行う。どちらが壁にぶち当たり、
それを突き抜けるかだけの勝負だ。そこに絡繰りは無く、ただ繰り広げられる日々の
空間だけが存在する。
聡明なものは、中庸を保ち、均衡だけを保ち、単一な平等性を謳わない。
現存する価値に概念を持ち込まず、そこに理念すら無い。
崇高であるべく自己に高慢さも与えず、恰も存在するだけに浮遊する現象の限りを打ち出しながら、
この夜を神速で飛び交い、現実から脱兎し、景況を遡り、不可避な出来事から抜け出し、
寛容であるべく恒久的な意識を保ち、この夜の神経をかいくぐり、
この夜の動向を探り、今日の結論を得るのは、総てに対して幸いである。
感謝。欠乏する未来のインフラに俯瞰はふらふらしているが、負担するべきは、自己の心持ちだけである。
感謝御礼。
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