2012年6月18日月曜日
現存する意識を、開拓する日々の魚拓みたいなもん。
複雑化し、感傷的な、空間に吐き出す思いに、比例する信号を超え、僕は、漂う夜に復活を求め、
止めどなく溢れる言葉を武器に、活気ある時代を形成すべく、何か知らんけど、書き連ねる日々です。
誰でも無い、自分のためかも知れんけど、結局、自分の試練って奴を、白々しく続けているのかも知れない。
颯爽とリンリンと唸る、おばちゃんのチャリンコのベルを聞きながら、流れ出る間奏の合間を歩き、
殆どは、ミュージックで出来ているものだね、と泳ぐ日々に、感覚は付いて来よる、夜は深い。
分け隔て無く、個人的、盾の会は、悔恨に根ざす黒く覆う影を増税される日々の不文律を追いかけ、快活に挑む、
シナリオを多目的な分岐点に、注ぎ、邂逅根差す日々に、捧げる水のように、君の閑古鳥が鳴く頃合いに、
跪くように、同じ目線で望む今朝を求めながら、快晴を待つよりも、同等に消え去る翳りを遮り、後ろめたい、全景に、
注ぐ反社会的な構図を散りばめながら、正義と悪を両成敗するような、解答を求め、征服欲を遮りながら、
義理人情と嘯く街並みの、冷たい目線に、対抗を求め、回想する日々に、聯想する解答を求めながら、
もう止めよう、と必死に求めよう。対角線に広がる意志を肯定し、果然と過ぎ去る日々の面影を囀りながら、
倒錯する日々を立ち並べ、便宜的に過ぎ去り、背徳の生け簀に溜まる、自分自身に混同する意識を溜め込み、
空腹は、決して癒やさず、何時も、飢えた表情で眺める先こそが、この幼稚に響く心たちを、壊し、
深層心理に宿る今朝を形成し、溌剌と、渇望する毎日の胃に溜まる、高潔な日々に、吹雪く意味こそが、
君の意識を改革し、やがて掴んだ叡智を支払うように、柵みから抜けだし、滑走する日々にこそ、翼は生え、
恰も、君は自由な意識を装填し、蒼天に響く歌声を追いかけ、遙か目先に詰まる思いを超える、思いになる。
恥ずかしがる歳でも無く、恥を知る歳でもある。点在する意識って奴は、目眩く変化しよるし、固体化する夜が、
降り注ぎ、オルゴールに靡く感情に、固執しながら、僕は、絶えず、数多に広がる景色を眺め、
硬質な思いを、高潔な時代に置き換え、数える日々の、偏食家たちは、同じものばかり、喰うから、
我が侭も、言わんもんやな、と。食い散らかされる日々に、及ぶ感情とは、残飯を食うみたいなののだから、
僕はこの、高貴な物語、つまり、自分という主人公の主観から、少し離れ、客観的に自分を見つめるが、
まるで、離人症のようやから、要約される出来事だけに、精神論だとか、精神医学的根拠を装填し、
限り有る絶望って奴の、硬度を測ってみるが、柔らかかったり、かったるい朝を抱きかかえる、父母のような、
気持ちで、居なくなる日々の事を考えてみるが、如何せん、ミルク臭い現状ばかりが、偏執しよるから、
君は過去に覆われること無く、事なきを得るよるな、日々の汚れを結末のシャワーで流しながら、
見つめる先は、一向に不安定だよね、と嘯きながら、運命論的な日々の、論証を解き放ち、
時は夏。そう、暑く悶える夏のエレジーが降る最中、マーメイドみたいに、泳ぐ未来は、無骨に過ぎ去るが、
幼年重ね、思春期超えて、壮年重ね、又、土に帰り、良ければ、又、輪廻転生して、来世で、出逢い、
蔓延る意識の過程になるのだろう。
宇宙の図書館には、総ての感情が詰まっている。君の理念だとか、君に及ばなかった日々だとか、
悲恋に打ち砕かれた夜だとか、悲哀に満ちた喜びだとか、愛に満ちた日々だとか、虐待された日々だとか、
黒く渦巻く思考の彼方だとか、君の生まれた喜びの瞬間だとか、主観を遮るような、運命だとか、
妥当に散った命だとか、踏まれたままの命だとか、君が幾重にも背負った悲しみだとか、だ。
それを考える、と、宇宙って奴は凄く、食いしん坊な奴やね、と八つ当たりする空は、少し悲しく切ない模様をしてる。
物陰にシンクロする思いは、輝き褪せていくようで、年々重ねる事に、輝きを増していく。
若いときは、若いままやし、殆ど、和解せーへん出来事を積み重ね、又、罪重ねるものやから、
誰もが背負うべき罪を背負う事も無く、同等に、誰もが汚れている始末。誰もがね。それを理解しない、と
嘯く倫理観や、道徳って奴に、騙されるし、誰が正しい何て事は、誰にも、分からんし、
人は人に言えんことばかりを抱えているもんやし、悶絶するような、日々の総雨量は増える一方だ。
出来事の、一歩通行を渡りながら、その日増しに結ぶ日々に、欠乏する部分に、結合されるような、
社会を目指すべきなのに、物事とは、幾重にも邪魔する思いが、連なり、誰かに触れよう、とすればするほど、
傷は増すように、思えるかも知れない。
渇水する明日にも、雨は降るやろうし、古くさい夜は、再利用され、同じような、日々を蠢くかも知れない。
無い物ねだりばかりで、少し煩い喧騒に、疎ましい事実を隠しながら、長らえるだけの、日々にも、意味が無いから、
ちょうど良いサイズで、人生って奴は終わるべきであり、儚く散るのが、人生って奴の定めなんだよ、と、
誰か、忘れたけど、言うてた。
周到な事実とは、終編に溜まり、収益を求めずに、ただ、有る現状を形成する。立ちこめる雰囲気とは、形作り、
過多な事実を消化していく。それが、万物の流れやねって思いながら、刻々と過ぎ去る夜は少し甘い。
ミルクティー飲んでるせいやろうな。南無。感謝感激、つがい続ける本能たちよ。我に、力をって、
天に投げかける日々は、schizophreniaな文章抱え、崇高に、甘い。感謝。
空虚な時代に一撃を食らわす、たった一秒でありたい。そうあろう。そうしよう。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿